「うわぁぁぁぁぁ……」  
 
 山道を歩いていると、突然体が落下する感覚に襲われた。  
周りは崖というわけでもなかったし、落ちる理由が思い当たらない。  
 まさか、道の真ん中にでかい穴でも開いていたのだろうか。  
譲は、底の見えぬ真っ暗な闇の中をひたすら落ち続け……  
気が付くと、木の根っこや蔦のような物が巻きつき体を拘束していた。  
 
・  
・  
・  
 
「あれ、デジャビュ?」  
 
 つい先日、まったく同じ状態に陥った記憶が頭に浮かび、  
“落ち着け、俺”と自分自身に言い聞かせる。  
 前回コレを使用したのは、雪風の姉である時雨であったが、  
まさか時雨が同じ罠を使用するとも考えにくい。  
 譲の脳裏に浮かぶのは、この後自分に訪れるであろう状況。  
その予想が確かならば、まずは獣人のお姉さんが出てくるはずなのだが、  
 
「ほらな、やっぱり」  
 
 傍の草むらから聞こえるのは、草を掻き分ける音。  
今度はいったいどんなヤツが出てくるのか、草むらをじっと眺めていると、  
そいつは現れた。  
 
「……誰?」  
 
 眼前に立っていたのは、確かに獣人らしい女性であった。  
頭上に飛び出た耳と、尻の先から飛び出た尻尾。  
 丸みを帯び、茶色がかった‘それ’を見る限り、彼女が狐の獣人でないことは理解できる。  
そして、自分に対して友好的でないということも。  
今回登場した人物は前回と雰囲気が違っていた。  
“犯る気”というより“殺る気”満点といった面持ちで、殺気立った瞳で譲を見下ろし、  
躊躇することなく言い放った。  
 
「人間、死ぬがいい」  
「へ?」  
 
 次の瞬間には、獣と化した獣人の爪が譲の腹を貫いていた。  
突然のことに、自分の身に何が起こったのか理解できない。  
ただ、自分の腹と、それを貫く獣人の爪の隙間からジワリと赤い血が染み出すのが見える。  
 一瞬の出来事に、眼前の光景が現実のものと理解できなかったが、  
時間が経つにつれて恐怖が吹き出し、我慢しきれずに叫び声をあげた。  
 
「うっ、あっ、うわぁぁぁ」  
 
 腹を貫かれ、溢れ出る血液。  
‘死’という言葉が頭をよぎり、拘束されている身を激しく捩るが、  
抜け出ることは出来ない。  
 獣人は、そんな譲の姿を見つめつつ、腹に爪をめり込ませながら言い放つ。  
 
「黙れ人間、騒ぐな、痛くは無かろうが」  
「えっ」  
 
 捩らせていた体の動きを止め、意識を落ち着かせてみると、確かに痛みを感じない。  
爪が突き刺さっている腹よりも、むしろ、体を拘束している蔦のほうが痛みを感じ、  
自分の身に何が起こっているのか理解できなくなる。  
 
「せめてもの情けだ、意識を無くしてから、その身を喰らおう、新鮮なうちにな」  
「喰らう、俺を喰うっていうのか!?」  
「そうだ、今まで喰ったことは無いが、人間の肉は、実に美味いと聞く」  
 
 死の恐怖の上に、眼前の獣に喰われるという恐怖が圧し掛かる。  
体を拘束された上、獣と化した腕に腹を貫かれては、何も出来ない。  
 もとより、ただの人間である譲には、どうする事も出来ないのであるが……  
 
「血が流れ出る、もったいない」  
「くうっ」  
 
 譲の腹に顔を寄せると、湧き出る血をペロリと舐めた。  
が、舐めて、眉を顰めて微妙な表情を見せた。  
 
「うっ、うまいのか?」  
「正直、微妙だ、どちらかというと、不味い」  
 
 顔をしかめ、自分の血が不味いと言われるのが、妙に腹立たしく感じられた譲。  
譲の頭は、すでに現実を逃避していたのかもしれない。  
 現実を逃避していたからこそなのか、譲は、眼前の捕食者に話しかける。  
 
「何故、どうして俺を殺す?」  
「貴様ら人間達は、森を壊し、我等の仲間を殺してきた。貴様も殺されて当然だろう」  
「何故、俺を?」  
「私は人間が嫌いだ。獣人と仲良くする人間はもっと嫌いだ、しかも、こっ……」  
「こ?」  
「獣人と交尾するなどもってのほかだっ! 殺すぅ!」  
 
 実に単純な発想、恨みというより嫉妬を多分に含んでいる。  
だが、獣人の殺気立った瞳に迷いは無い。  
本能に順ずる獣人に迷う必要など無いのかもしれないが……  
 
「食い散らかした貴様の骨と肉片を、あの子狐にでも届けてやろう」  
 
 何故か、血が流れ出るにつれ、死が近づくにつれ、冷静に物事を見ることが出来た。  
相手の言い分にも一理あるのではないかと思え、  
己の血と肉で、一時でも欲求が満たされるのなら良いのではないかと考えてしまう。  
 
「なぁ、最後に」  
「最後に、何だ?」  
「俺を殺す者の名を教えてくれよ」  
 
 譲を見下ろす殺気に満ちた表情が、“最後に言いたいことがそれなのか”  
と言わんばかりの驚きに満ちた表情に変わが、すぐ元に戻ると、  
 
「人間ごときに名乗る名など持ち合わせていない、ただ、私は狸の血脈とだけ教えよう」  
「そうか……あ……れっ」  
 血を流しすぎたのか、意識がだんだんと遠のいてゆく。  
己の意識が白く染まることだけが理解でき、痛み無く死ねる事が異様にうれしく感じられ、  
譲の顔には笑みが浮かんでいた。  
 
「死に逝く途前で笑うか、人間」  
 
 最後に止めを刺すためか、腕を大きく振るう姿が見える。  
だが、殺意に満ちた視線を送り続けていた瞳が、哀しみに染まってゆく。  
後は腕を振り下ろすだけで殺せるというのに、そのまましばらく時が止まる。  
 恐怖を長く与えるつもりなのか、祈る時間を与えてくれているのか、  
譲には、後者のように思えて仕方が無い。  
 
 彼女は好き好んで殺すわけではない。心の迷いをぶつける相手が居ないだけ。  
譲は、それが理解できただけで満足し、瞳を閉じた。  
閉ざした瞼の裏側に、これから会おうとしていた愛らしい狐の姿が浮かぶ。  
(あいつ、おれの死骸を見たら、泣いてくれるかな、いや、きっと泣きじゃくるさ)  
ふと、そんなことを考えていた。  
 
「貴様のような人間に出会ったのは初めてだよ、サヨウナラ」  
 
 狸娘が、獲物に対して最後に放った言葉。  
瞳を閉じながら耳に届いたその言葉が、譲には妙に温かく感じられた。  
 そして、腕に力を込め、振り下ろさんとした、まさにその時、  
 
「何をしている、貴様、何をしている!」  
 
 意識を手放そうとした刹那、譲の頭の中で、どこか懐かしい声が響いた。  
快活で愉快で騙されやすい、そんなところが可愛いアイツ。  
 
(あれ、だれだっけ?)  
 
だが、その名前が思い出せない。  
 
(もう俺を起こさないでくれ、俺はとても眠たいんだ……)  
 
 譲の意識は白い世界で漂い続ける一方、  
現実の世界では激しい戦いが繰り広げられようとしていた。  
 
「よくも、よくもっ!」  
 
 社から急いで駆けつけたのであろう。  
巫女服を身に纏った雪風は、予想外の事態に驚きを隠せないでいた。  
 胸に大きな穴を開け、血液を噴出させて死にかけているのは、自分が処女を捧げた人間。  
それに跨り、手や口を大量の血に染めて内臓を貪ろうとする獣人の女。  
 木の上から現状を把握し、怒りに震える雪風は、鬼の形相であった。  
雪風は己の腕を凶暴な獣のソレへ変化させると、そのまま狸娘に飛び掛かる。  
 
「ふんっ、子狐の分際で私に歯向かうとはいい度胸だ、返り討ちにしてくれる」  
 
 口の周りについた血を舌で舐めとると、雪風に対して身構えた。  
転瞬、木の上にいた雪風の姿が消えると、次の瞬間には狸娘の懐へ潜り込み、  
狸娘を見上げた雪風と視線が交差する。  
金属同士が衝突するような轟音が森中に木霊し、  
2匹の獣による真昼の決闘の合図となった。  
 両腕を獣のように変化させた雪風に対し、狸娘は人間形態のままで、  
余裕の笑みを浮かべつつ、雪風の爪を受止めている。  
 
「甘い」  
「キャンッ」  
 
 先制をかけた雪風の一撃が、あっけなく返される。  
狸娘は、雪風の爪を受け止めた腕を無造作に振るい、地面にたたきつけた。  
 雪風も負けじと立ち上がり、両腕の爪を縦横無尽に奔らせるが、  
寸前ですべての攻撃がかわされ、変わりに狸娘の強力な一撃が見舞った。  
 
「ぐがっ」  
 
 腹に入った拳が体にめり込み、そのまま拳を振りぬくと、雪風の華奢な体が宙を舞い、  
そのまま木の幹へ叩き付けられた。  
 さらに、幹に叩きつけられた雪風の体めがけて、狸娘が更なる一撃を加えるが、  
間一髪のところで回避し、狸娘の拳は木の幹に直撃した。  
 
「ちっ、外したか、だが、逃げれば逃げるだけ、貴様の苦痛は続くぞ」  
 
 狸娘の拳が打ち込まれた木が、ミシミシと音を立てて崩れ落ちた。  
雪風もその光景を目にして、この戦いの部が悪いことを認識するに至る。  
だが、引くことは出来ない。  
 
「くっ、ふぅぅぅぅっ」  
 
 怒りに震える雪風の瞳は輝きを失ってはいないが、戦闘力の差は歴然であった。  
自分の攻撃はすべてかわされ、相手の攻撃により確実に体力が削られる。  
妖狐としては幼い雪風にとって、今回の相手は部が悪すぎる。  
 
「貴様もあの男と同じように、冥土に送ってやるよ」  
「がっ!」  
 
 転瞬、視界から消えた狸娘が雪風の眼前に現れ、雪風の細い首を鷲?みにすると、  
そのまま小さな体を持ち上げ、腕に力を込めた。  
首がギリギリと締め付けられ、苦しみにあえぐ雪風の声が漏れ聞こえる。  
 
「くくっ、呼吸が止まるのが先かな? それとも、首の骨が折れるのが先かな?」  
 
 持ち上げられた雪風は手足をバタつかせるだけで、反撃する余力はない。  
数秒後にはバタついていた手足も力なく垂れ下がるだけになり、  
やがて、口からは泡を吹いて意識を喪失した。  
 
「獣はな、食事の邪魔をされると怒り狂うんだよ……もう聞いてはいないようだな」  
 
雪風の生気がなくなるのを感じると、譲の傍へと無造作に投げ飛ばした。  
 
「ふんっ、陽炎の一族とはいえ、所詮はこの程度、さて、食事の続きでもしようか」  
 
 狸娘は再び譲の元へと歩みを進めるが、無論、雪風が諦めたわけではない。  
男の傍らへ投げ捨てられ、口から泡を吹き、目を開けたまま力無く体を横たえ、  
光無い瞳に、死を迎えようとしている譲の姿を映す。  
 雪風の心には、さまざまな思いが廻っていた。  
人間一人守る事ができない悔しさ、無力な自分への憤り。  
ハラワタを掻き回されながらも生を強要されている人間を助けたいと言う強い思い。  
その思いが、感情が、異性に対する特殊な感情であることを理解したとき。  
自分が‘愛する’者を守りたいのだと理解したとき。  
 
覚醒する。  
 
心から、熱い何かが溢れ出す。  
 
体中に、今まで感じた事の無い力が満ちてゆく。  
 
 食事を再開しようとしていた狼娘も異変に気が付いた。  
確実に仕留めたと思っていた雪風の中から強い力が発せられている。  
横で倒れる雪風の体に目を向けると、その瞳は相変わらず死んだままであるが、  
体からは何か異質な力が湧き出ている。  
 
 確実な止めを刺すために、喉笛を食いちぎろうと彼女の首筋めがけて飛び掛かるが、  
それは寸前で止められた。  
雪風の首に牙が触れようとした瞬間、狸娘の体を衝撃波が遅い、跳ね飛ばされる。  
状況が把握できないまま、なんとか体勢を立て直して着地し視線を戻すと、  
眼前にソレが立っていた。  
 
雪風ではない、何か別の存在が。  
 
 尻尾や耳、獣と化した腕に見られた金色の毛がすべて白銀に変わっており、  
瞳は閉ざされていて周りを見ることはできないはずなのに、真っ直ぐに歩いてくる。  
 
「何のつもりか知らんが、年寄りみたいに白くなっただけで私に勝てると思っ」  
 
 狸娘がセリフを言い切る前に、雪風は一筋の光となって飛び掛った。  
目にも止まらぬ速さで突撃し、狸娘の後方に着地するが、  
寸前でそれを察知した狸娘は回避し、自分の後ろに着地した雪風に向き直る。  
 
「ふんっ、そんな不意打ちでこの私に……つっ!」  
 
 脇腹に異様な感覚を覚えて手を当てると、体中に激痛が走る。  
視界が揺れ、足元がふらつく。  
 何事かと脇腹に当てた手を見ると、表面が真っ赤な血で濡れていた。  
狸娘は、自分の脇腹が裂かれ血が滲み出ていることに気が付く。  
 
(ばかなっ、完全によけたはずなのに)  
 
キッとにらみをきかせて雪風を見るが、相変わらず目を閉ざして立っているだけだ。  
しかも、  
 
「なっ!?」  
 
 雪風が再び閃光となり、視界から消える。  
自分の真横を2度目の閃光が駆け抜けた瞬間、さっきとは逆の脇腹から血飛沫が飛んだ。  
今度の傷は、先ほどより深い。  
 一度だけなら偶然で済ませられるが、2回連続となるとそうはゆかず、  
相手が自分よりも上のスピードを誇っていることを認識させられる。  
 ふと足元を見ると、自分の眼前に自分の足跡が見え、  
無意識のうちに後退りしている事に気づき、冷や汗が出た。  
 
 余裕の戦況は一転した。  
脇腹の痛みが、狩る立場から狩られる立場へと逆転した現実を語りかける。  
噴き出した冷や汗が、頬を伝って地面に落ちるのも自分で気づかぬほどの動揺。  
 2匹の獣は対峙したまま、言葉を発すること無く時間だけが過ぎる。  
高かった日も傾き、木々の間から降り注ぐ木漏れ日も赤く染まり、  
暗い森の内部をほのかに照らしていた。  
 劣勢の狸娘は自分から攻撃に出ることはせず、雪風も瞳を閉じたまま動こうとしない。  
狸娘は、このまま夜を待ち、闇に紛れて逃走を計るつもりであったが、手遅れだった。  
 
 急に木々がざわめき始める。  
風があふれ、木の葉が舞い、渦を作る。  
すべての風は雪風の上空で混ざり合い、雪風に流れ込む。  
狸娘は、雪風の力が高まっていくことを感じる。  
 
 雪風が、ゆっくりと瞼を開く。  
表情は何も感じさせないが、瞳は赤く染まり、狸娘を見つめる。  
同時に、気配がまったく感じられなかったのが一転し、強力な気の流れに襲われた。  
 
(くそっ、くそっ、何だコイツは!? あのガキにこんな力があるなんて聞いてないぞ!)  
 
 目を閉じ、気配をほとんど消した状態でも攻撃を避ける事ができなかった。  
その力を解放した状態では勝ち目が無いとうのは、本能云々の話をせずとも明らかである。  
 
(ちっ、ここはひとまず退却だ)  
 
 その場から逃走するために地を蹴り、雪風の方向を向いたまま高く飛び上がる。  
雪風が襲ってこないことを確認すると、飛び上がった空中で体を回転させ、  
雪風に背を向けた。  
 
 瞬間、己の体を衝撃が走り、銀色の閃光が自分の脇をかすめていくのが見えた。  
攻撃を受けてバランスの崩れたところへ再び閃光が駆け抜け、さらなる一撃。  
空中で攻撃を受けたため、体勢を立て直すことができない。  
よろけたところに更なる一撃が加わり、狸娘は空中で回り転げた。  
 
 踊る、踊る。  
何度も何度も、閃光が脇をかすめる度に狼娘の体が空中でバウンドし、弾き飛ばされる。  
落下の直前に次の閃光が飛来し、再び上空に弾き飛ばす。  
血飛沫を撒き散らしながら、空中で踊り続けるその姿は、不思議と見ている者に対して  
‘美しい’と感じさせてしまう。  
 立ち直る余裕を与えることの無い連激が、屈強な狸娘を翻弄し、恐怖させ、  
踊り続けた体は、地面へ落下する頃には斬撃の跡を無数に残していた。  
 
「がはっ!」  
 
 受身を取ることもできずに地面に激突した衝撃で口から血を吐き、  
よろめきながらも立ち上がろうとするが、疲弊した体はそれを許さずに膝を付く。  
ヨロヨロと腕をつきながら顔を上げると、目の前に白銀に輝く狐の姿があった。  
 爪の先から血をたらし、表情を変える事無く立ち尽くす銀髪の狐。  
真っ白だった巫女服を、血飛沫で赤く染めた異様な姿。  
その姿を見る狼娘の表情は、まるで捨てられた子犬のように弱弱しかった。  
 
「どうしたのかな? 猛々しい狸の娘がおびえた犬のような表情をしてしまって……」  
 
 ふいに、雪風が腕を振ると、狸娘の身体が吹き飛ばされる。  
吹き飛ばされた本人は、何が起こったのか理解できぬまま、地面に叩きつけられた。  
 
「逃げないの? 逃げないと、殺しちゃうよ?」  
 
 攻撃の手を休め、倒れこむ狸娘に冷たい言葉をかける。  
狸娘は何とか立ち上がろうと試みるが、雪風はさらなる一撃を加えた。  
 
「ほらっ ほらっ」  
 
 雪風の腕が降られるたびに衝撃波が放たれ、狸娘の身体を翻弄した。  
回避する余力の無い狸娘は攻撃をモロに喰らい、苦痛と恐怖のあまり地面でのた打ち回る。  
 
「しょうがないよね、私のツガイになるべきヒトを、殺しちゃったんだものね」  
 
 無防備な身体に何度も衝撃波を叩きつけられた結果、狸娘は動けなくなっていた。  
動くことはできないが、不思議と意識は残っている。  
いや、雪風によって意図的に‘残されている’と言う方が正しいだろう。  
自分がそうした、人間の男のように。  
 仰向けに横たわり、痛みに顔を歪める狸娘にゆっくり近寄ると、その首に己の爪をかけ、  
ゆっくりと力をこめていく。  
 
「くがっ!!」  
 
 首にゆっくりと爪がめり込み、血が染み出る。  
殺す事を厭わない冷たい瞳を見て、狸娘は自分の死を覚悟した。  
雪風は、悪びれる表情も見せず、無表情のまま、赤い瞳を輝かせていた。  
 
「だめだ……殺しては……」  
 
 雪風の耳が、ビクッと反応する。  
声の方に顔を向けると、譲が生きているのが分かった。  
 腹に大穴を空けられていても生きていることに驚き、  
狸娘の事を意にせず、男の元へと走り寄る。  
施されていた拘束をはずすと、その頭をやさしく抱きかかえた。  
 
「アイツはな、根っからの悪じゃない、心根は優しいヤツなんだよ」  
 
譲から発せられたその言葉に、雪風だけでなく、瀕死の狸娘も驚きの表情を見せる。  
 
「本当に俺を苦しめる気があったのなら、痛覚を消す必要なんて無いはずだ」  
「そっ、そんなっ」  
 
 譲の言葉が信じられないと言った表情をする雪風だったが、  
しばらく目を瞑って考えると、狸娘に対して背を向けたまま、小さな言葉で呟いた。  
 
「今は譲を救うのが先決、去れ、もう2度とこの森に現れるな、次は殺す……必ず殺す」  
 
 頭に直接響く言葉に身体を震わせる狸娘は、傷だらけの身体をなんとか持ち上げる。  
飛び上がる気力は無いようで、ヨロヨロと体をふら付かせながら歩みを進めていたが、  
 
「待て」  
 
 引きとめられて足を止めるが、雪風に対して背を向けたまま、振り返らない。  
いや、殺気のこもった気配が背中に突き刺さり、殺されるのではないかと言う恐怖に、  
振り返ることが出来ないのだ。  
 だが、  
 
「命をかけて戦ったのだ、最後に、名を名乗っていけ」  
「……我が名は“睦月”滅んだ一族の、最後の生き残りだ」  
 
 チラリと振り返って名を名乗ると、その言葉を最後に、森の奥へ消えていった。  
雪風は睦月の気配が遠のくのを確認すると譲を抱き上げ、顔を覗きこむ。  
その顔は、先ほどまでのような無表情ではなく、やさしい少女の顔に戻っていた。  
 
「生きてた、良かったよぉー ウワーン」  
「ははっ、生きていると言えるのかは分からんけどな」  
 
 大きな瞳から涙を溢れさせ、泣きじゃくる雪風。  
譲が、その涙を震える腕でやさしくぬぐってやると、かわいらしい笑顔が現れた。  
 
「お前は、笑顔のほうが似合って……かっ」  
 
 せっかく戻った笑顔が、再び悲しみを帯びる。  
譲は口から大量の血が吹き出し、返り血を浴びた純白の巫女服を、さらに赤く染めたのだ。  
 
「俺は、もうだめかなぁ」  
 
 すでに内臓の一部が大きく損傷しており、命が長く持たない事を自覚した。  
不思議と恐怖はなく、ボーっとする頭で夕暮れの空を見上げる。  
雪風は冷静な表情で顔を横に振ると、穴の開いた男の腹に手のひらを当てた。  
 
「今の私なら、あなたを癒せる」  
 
 目を瞑り、何かを念じると、腹に当てた雪風の手がほのかに光る。  
腹の傷は見る間に塞がり、譲の身体には生気が満ち溢れるが、  
雪風の方は逆にやつれていくように感じられた。  
 
「もういい、大丈夫だ、これ以上はお前が」  
「まだ駄目、今のままだと後遺症が残るかもしれない、もう少しだから」  
 
 腹から体中に拡がる暖かな力を感じながら、譲は生きる喜びをかみしめる。  
それと同時に、獣人という種族と関わることの恐ろしさも。  
 自分を癒す雪風の腕は、攻撃的な別の面も持ち合わせるという事実が、  
これから彼女とどう向き合えばよいかという疑問を突きつける。  
 
「さ、終わったぞ、立てるか?」  
「あ、ああ、なんとか」  
 
 狸娘を撃退したとはいえ、この場所が安全だとは限らず、譲にも安静が必要であり、  
その場から離れるために二人で立ち上がる。  
すると、森での異様な気配に察知したのか、姉の時雨が現れた。  
まぁ、ド派手に森の木々をなぎ倒せば気が付くのも当然であろうが。  
 
「雪風、おまえ」  
 
 雪風の体を見た瞬間、時雨は目を見開き、驚きを隠さなかった。  
何事かと駆けつけてみると、目の前にいるのは見慣れた可愛らしい妹ではなく、  
神々しい輝きを放つ銀髪の狐。  
 体を血で赤く染めながらも、神々しさを放つ姿であった。  
 
「お姉さ……ま……」  
 
 安心したのか、雪風は姉の姿を確認すると糸の切れた人形のように倒れこんでしまった。  
地面に倒れる前に譲がなんとか抱きかかえると、元の金色の毛並みに戻ってゆく。  
大丈夫かと心配したが、スースーとかわいらしい吐息を立てて眠っており、  
譲は安堵のため息を吐いた。  
 
「いったい、何があったんだ、説明してくれ」  
 
 銀色に変化した雪風、血に染まった巫女服、なぎ倒された木々。  
状況を判断しかねた時雨に問いかけられる譲であるが、  
 譲自身もすべてを把握しているわけではなかった。  
少しずつ、ゆっくりと、話を進める譲の言葉に、時雨は黙って耳を傾け、  
事の次第を全て聞き終えると、彼女は真剣な表情で言った。  
 
「君は、もう私たちに関わらない方が良い」  
 
時雨の口から発せられた予想外の発言に、譲は目を見開いて時雨の顔を見る。  
 
「私たちと関わりを持つとどうなるか、わかっただろう?」  
 
 腹を貫かれ、内蔵を掻き回される恐怖が頭の中でフラッシュバックする。  
自分でも気が付かぬうちに腕が振るえ、それを抑えようと力をこめるが、止まらない。  
 
「後始末はつける、雪風にも私が話す。お前はもうここに来るな、関わるな……いいな?」  
 
 初めて見る時雨の真剣な顔に事の重大さを再認識し、しばらく考えた末、決断した。  
もう、彼女たちと関わらないことを。  
自分の両腕に抱かれて眠る雪風に別れの口づけをすると、耳がピクッと動いて反応した。  
 
「それじゃぁ、さよなら、もう2度と会うことも無いだろうな」  
 
 雪風を時雨に託すと名残を惜しみつつその場を後にする。  
それが最善の策だと、それが彼女のためだと自分に言い聞かせるが、  
雪風に対する想いが獣人に対する恐怖に負けたかのように思え、心が締め付けられる。  
下山の途中、雪風の癒してくれた傷跡に手を当てると、わずかに温かみを感じた。  
 
 
「いくな」  
 
山道をトボトボ歩いていると、後ろから声が聞こえ思わず足を止める。  
 
「帰ってこい、いかないでくれ」  
 
 短い間に起こった様々な出来事、かわいらしい彼女の笑顔が頭をよぎる。  
だが、振り返ることなく山を降りた。  
山から吹き抜ける風の音に、雪風のすすり泣く声が混じっていたように感じたのは、  
気のせいでなかったかもしれない。  
 
 
 
                ――だが、話はここで終わらない。  
 
 

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