O incontestable Abyss,  
 What light in thine embrace of darkness sleeps―  
 
                          ――Clark Ashton Smith『Ode to the Abyss』  
 
 
「……ここ、どこだろう」  
 
 白亜の中を、一人の少年が彷徨っていた。名を、夢路刹那という。  
 視界のすべて白く、前後左右はおろか、上下の区別さえ確かなものではない。  
 こうして足裏に感じる感覚がなければ立っているかどうかすらわからない、そんな空間に彼はいた。  
 とりあえず、歩いてみる。  
 なんとなく、その方向へ行くのが良いような気がしたからだ。  
 そうしてどれだけ歩いたのか。  
 ふと目を上げてみれば、目の前に山のように巨大な扉があった。  
 巨人でなければこんな扉、使いはしないだろう。  
 扉の真正面に立っていた刹那からは見えなかったが、扉を支える柱にはこう刻まれていた。  
 
 ここ過ぎて曲節の悩みのむれに、  
 ここ過ぎて官能の愉楽のそのに、  
 ここ過ぎて神経のにがき魔睡に。  
 
 刹那が扉に近づいてみると、扉は少し開いている。どうやら、子供くらいなら通ることができそうだった。  
 扉の隙間からは、暗黒が漏れ出している。  
 そのあまりの昏さに、刹那はごくりと生唾を飲み込んだ。なんだか得体の知れない背筋がぞくぞくする感じがあったからだ。  
 しかし他に行く当てもない。  
 とりあえず扉をくぐってみることにした。  
 
「失礼しまーす……」  
 
 おそるおそる中へと踏み込む。内部は先ほどまでいた光しかない白亜の暗黒と対照的な、闇しかない漆黒の空間だった。  
 ビクビクと怯えつつも完全に中へ体を滑り込ませる。  
 その瞬間――  
 
「ひっ!?」  
 
 扉が完全に閉まってしまった。これで完全に真っ暗闇だ。  
 ――ど、どどどどうしよう。まさか僕ずっとここにいなくちゃいけないんじゃ……。  
 そんな不安が心を埋め尽くし、泣き出そうかという瞬間、唐突に薄ぼんやりと周りが見えるようになった。  
 それはわずかな反射光を水晶体で集めて見るといったものではなく、闇そのものを透過して見通すことができるような感覚だ。  
 周りが見えるようになったことでとりあえずの平静を取り戻した刹那は、再び闇の中を歩き出した。  
 どうやらここは、図書館のようなものらしい。  
 前後左右はおろか上にすら果ての見えぬ書架には大小様々な石や金属、陶器の板、それから葉や皮紙、パピルスなど  
手に取るだけで崩壊しそうな本や巻物が所狭しと並んでいる。  
 銘板、断章、巻物、本など乱雑に入り乱れ、記録媒体の形態や文字にまるで統一性のないように見える並びであるが  
見る者が見れば、関連する記録物が年代順に配列されていることが判っただろう。  
 刹那は知る由もなかったが、そこに収められた『記録』は読書家や書痴、オカルティストなどであれば一瞥しただけで  
歓喜のあまり卒倒してもおかしくはないものばかりであった。  
 例を挙げれば、『エルトダウン・シャーズ』、『ナコティック・フラグメント』、『キタブ・アル=アジフ』、『妙法蟲聲經』、『ナインス・ゲート』、  
『デロメラニコン』といった実在すら疑われていたものから、プラトンのアトランティス三部作のうち、未完であったはずの第二部  
『クリアティス』の完全版と“書かれてすらいなかった”第三部『ヘルモクラテス』など、存在しない書すら鎮座していたのである。  
 
「おや……客人とは…珍しいね……」  
 
 不意に声が聞こえた。  
 すぐ近くから聞こえるような、とても遠くから聞こえるような、不思議な響き方をしている。  
 
「ひぃ」  
 
 その反響の仕方も不気味だったが、人気のないところで突然聞こえた声に驚き、思わず小さく悲鳴を上げる。  
 背筋を走るぞわぞわした感覚がいよいよ強くなる。  
 脊髄から伸びた神経叢がそのまま蟲の足になって皮下を這いずり回っているようだった。  
 
「なにも…そんなに怯えることはないじゃないか……急に声をかけたのは…悪かったけれど、ね……」  
 
 背筋のぞわぞわが最高潮に達した瞬間、刹那の体に柔らかいものが絡みついた。  
 
「ひゃあああああああああああんむぅっ!?」  
 
 とうとう悲鳴を上げた刹那の口腔を、湿った何かが蹂躙する。  
 何が起こっているのかわからない。とりあえず暴れて振りほどこうとするもののビクともしない。  
 ――助けて、お姉ちゃん!  
 心の中で絶叫し、いつも黒髪シニヨンヘアーで気だるげな目の姉に助けを求めてみても、事態はなんら好転しなかった。  
 なすがままだ。  
 大きなナメクジのようなそれは歯列を撫で、舌に絡みつく。  
 
「んっ、んんぅ……」  
 
 くぐもった悲鳴が、だんだんと気色の違うものになりはじめる。  
 糖分のような甘さではない。しかし甘いとしか言いようのない不思議な感覚が刹那を支配していた。  
 
「ん、ぷは、ぁ……」  
 
 蹂躙が終わり、離れていく。  
 刹那はそれがとても残念だった。だから、蕩けはじめて焦点を失いつつあった瞳を凝らして相手が何だったのかよく見ようとした。  
 
「…図書館では…静かに、ね……少々強引な手を…使わせてもらったよ……」  
 
 そこにあったのは、悪戯っぽく微笑む美しい女性の顔だった。  
 白皙の肌に、シニヨンに纏められた濡れたような黒髪。  
 美しい線を描く柳眉に、鋭くもどこか気だるげな目は紫水晶のようだ。  
 冠のような白い牙の飾りがついた真っ赤な大きな帽子をかぶっている。まるっきり魔女のとんがり帽子だ。  
 服は詰襟のロングコートとローブを合わせたような形をしている。ビショップスリーブのせいでそう見えるのかもしれない。  
 楕円形に開かれたコートの胸部から覗く服と、腰に拘束具のように何本も巻かれたベルトだけが黒い。  
 その女性の顔があまりにも美しかったので、刹那はしばし呆然とし――そして彼女の服にも負けぬくらい赤面した。  
 女性は笑みを深めると優しく、しかし力強く刹那を抱きしめる。  
 
「フフ……君は、かわいい…ね……」  
 
「あ、あうぅぅ」  
 
 刹那はより赤面し、そしてなんだかどうにも恥ずかしくなって女性の腕の中で身じろぎする。  
 それを見た女性がますます笑みを深め、抱きしめていく。  
 そんなループがどれだけか続いたころ、女性が口を開いた。  
 
「ここは…どこでもあってどこでもない場所…夢幻(無限)図書館と、呼ぶ者もいる……。  
 夢でしか訪れることができない…限りない広さと本を持つ場所、ということらしい……」  
 
 本当は名前なんてないのだけれどね――女性は続けた。  
 
「そして私は…ここの司書、だよ……」  
 
「それって貸し出しとかしてる人のことですよね? ……あの、名前は……?」  
 
 名前、と女性はつぶやいて、考え込みだした。  
 ――聞いてはいけないことだったろうか。  
 あんまり女性が悩んでいるので刹那は少し心配になる。  
 それが顔に出ていたのだろう。女性は悩んでいたわけを説明し始めた。  
 
「私には…力がある……私の名を知っただけで…人が狂うくらいの、ね……だから…本当の名前は教えられないんだけれど……  
 それでは君が困るだろう…名前は有るが無いに等しく…無いに等しいが有る……そうだね…『無有』とでも…呼んでくれ」  
 
 刹那には女性――無有の言ったことの意味がよくわからなかったが、とりあえず名前を教えてもらったことだけは理解する。  
 
「『ないある』さん、ですか……あ、えっと、僕は夢路刹那っていいます」  
 
「ゆめじ…せつなくん、か……いい名前だね……」  
 
 あう、と言葉にならない声を漏らすと刹那は再びうつむいた。名前を褒められたのが恥ずかしかったのである。  
 無有は微笑を浮かべると、再び刹那を抱き寄せた。  
 
「わぷ」  
 
 無有はどちらかというとスレンダーな体型をしているが、それでも胸は十分に豊かといえるだろう。  
 その豊かな双丘の谷間に刹那の頭は挟み込まれた。  
 なんだかひどく安心できる匂いだ。最近もこの匂いを嗅いだことがある……一体どこで?   
 そこまで考えたとき、すっと無有が体を離した。  
 やはり彼女が離れるのは名残惜しい。  
 半身を喪失するような感覚を感じながら刹那は無有の顔を見上げた。  
 
「さて……私はどうして君がここへ来たのか……そしてここで何を願うのか……それをすでに視ている……けれどあえて訊こう……。  
 どんな願いもかなうなら……君は…何を願う……? 一つだけ…叶えてあげるよ……」  
 
 一つだけ、どんな願いでも叶えてくれる――?  
 それはあまりにも唐突な質問だった。  
 頭が混乱してなんと答えるべきかわからない。願い事、願い事、願い事……。  
 今一番かなえたい願いは――  
 
「……えっと……僕の願い事は……無有さんに…お姉ちゃんになってもらいたい、です」  
 
 言った。言い切った。  
 刹那は、自分の顔が今まで以上に真っ赤なのが理解できた。  
 恥ずかしい。それでも無有がどんな顔をしているのかが気になった。  
 驚いているだろうか。呆れてるだろうか。もしかしたら――嫌がっているのではないだろうか。  
 おそるおそる顔を見る。  
 無有は――  
 
 ――彼女は笑顔だった。  
 今までのような感情を隠すようなどこか遠い笑顔ではなく、もっと親近感を感じることのできる感情の宿った笑顔。  
 そこにある感情は――歓喜。  
 心の底から、刹那の願いを喜んで叶えようという笑顔だった。  
 
「その願いは…受理、されたよ……さあ…契約を……」  
 
 やさしく刹那の頬を両手で包み込むように押さえると、そっと唇を寄せた。  
 
「わ、んむぅ――」  
 
 しばし唇だけのキスを行ない――そのまま深い口づけに移る。  
 ああ、さっきの大ナメクジみたいのは舌だったのか――すでに茫洋としはじめた頭で、刹那はそんなことを思った。  
 静謐な闇の中に淫靡な音だけが小さく響く。  
 
「ん…ふぅっ……」  
 
 どれだけの間、そうしていたのかはわからない。  
 途中から、刹那の意識は半ば飛んでしまっていたからだ。  
 ようやく唇が離れ、刹那は大きく息を吸った。  
 
「んぷ、はぁ……」  
 
「ふふ……それじゃあそろそろ…本番といこうか……」  
 
 気だるげな無有の瞳に、どことなくサディスティックな色が宿った。  
 それがとても恐ろしく見えて、刹那は少し怯えながら無有に尋ねる。  
 
「ほん、ばん…?」  
 
「そう…本番だよ……これから…もっと気持ちよくしてあげるよ……」  
 
 耳元で、そうささやく。吐息がくすぐったくてゾクゾクする。それもまた心地よかった。  
 無有が刹那を押し倒す。  
 しかし、刹那は頭を床にぶつけることはなかった。  
 浮いているのだ。  
 ふわふわした透明な空気のベッドに横たわったとしたら、きっとこのようになるのだろう。  
 そのまま無有は刹那のズボンへと手を滑り込ませた。  
 
「ふぁ、ナル姉ちゃ…やめ……ひうんっ」  
 
 刹那のその言葉に、無有が反応した。  
 
「ナル…姉ちゃん……?」  
 
 無有の手の動きが止まる。  
 ――先ほどまで私のことは『無有さ』んと呼んでいたはず。ならば、ナル姉ちゃんとは誰だ?  
 この状況で“私の刹那”に名前を口走らせるのは一体誰なのだ――ゆらり、と無有の中に嫉妬の炎が揺れた。  
 
 それを察したのか否か、刹那があわてるように口を挟む。  
 
「あのね…『ナイアル』だから略して『ナル姉ちゃん』って……そう呼んだら、ダメ……?」  
 
 まるで怯える小動物のような視線を無有――改め、ナルへと向ける。  
 刹那の言葉に、ナルは自分の心が打ち震えるのを感じた。  
 
「いや…かまわないよ……君が私を呼んでくれるなら…なんだって、ね……」  
 
 そう言って再び刹那の陰茎を玩弄しはじめる。  
 
「ひぅ、ぁひああ…や、だぁ……へんにぃ…へんになっちゃうよぉ……」  
 
 刹那ははじめての快感に喜びと恐怖を覚え、とうとう目尻に涙を浮かべはじめた。  
 
「あ、あひ、あひゃあああああ、出る、オシッコでちゃうよお! ああ、ああああああああああ!」  
 
 ついに絶頂を迎え、射精する刹那。  
 陰茎をいじっていた繊手を青臭い白濁が汚した。  
 
「あ、あふぅ…ぁぁ……」  
 
 はじめての射精に目の前にチカチカと星を飛ばす刹那。  
 
「ふふ……その顔も…かわいいよ、刹那くん……」  
 
 ナルは指についた精液を舐め取っていく。  
 
「…甘い…甘露、だね……」  
 
 そう言うと、いまだ息を荒げて状況をつかめなくなっている刹那の股間に顔を近づけた。  
 射精の余韻に脈打つ陰茎にそっと頬をすり寄せる。  
 
「あ…っ」  
 
 キメ細かい絹のような滑らかな頬を何度も何度もすり寄せていく。  
 可愛らしさの残る陰嚢を揉み上げ、裏筋に舌を這わせる。  
 感覚が敏感になっていたところへの追撃である。萎んでいた刹那の陰茎は快感に耐え切れず再び屹立した。  
 それを確認するとナルはコートの前を開く。  
 露わになったのは胸の谷間を隠すタイプのホルターネックの黒い肌着、同じく黒のショーツにガーターストッキング。  
 透けるような白い肌も艶かしい光沢を放つ下着類も非常に扇情的で、刹那は思わず唾を呑んだ。  
 恥ずかしくて視線を背けたいが、それ以上に雄としての本能がナルの肢体を凝視させていた。  
 進退窮まり硬直した刹那の手をナルはやさしく包むと、そっと自らの乳房へと導く。  
 
「あっ……」  
 
「ぁふ……ん…触り心地は…どう、かな……?」  
 
 ナルはひどく愛しそうな表情でそう問いかける。  
 
「え、と……すごくやわらかくって……気持ちいいです」  
 
 素直にそう答える。その間も手と視線は胸元から離れることはない。  
 一心不乱に揉みしだき続けている。  
 その懸命さがなんだか可愛らしく見え、ナルはふっと口元を綻ばせた。  
 
「ねぇ、刹那くん……もっと…気持ちよくしてあげるよ……」  
 
「え?」  
 
 きょとん、として思わず手の動きを止めてしまう刹那。  
 その間にもナルはショーツの股布部分をずらして陰部を露わにする。  
 うっすらとした繁りに覆われた秘裂は、すでに十分な湿り気を帯びていた。  
 
「それじゃあ…挿入るよ……」  
 
「え、あの、ちょっと」  
 
 困惑する刹那を置いてきぼりにして、ナルは嬉しげに、しかし淡々と屹立した男根に腰を下ろした。  
 
「ん…んん――!」  
 
「え、あ――い、いたい! いたいよぅ!」  
 
 挿入していくうちに、包皮がめくれて亀頭が露わになったのだ。  
 急にめくられたうえに敏感な粘膜をさらけだされた刺激が痛みとなって脳をガンガンと叩いている。  
 その感覚に思わず悲鳴を上げ、涙を流す刹那。  
 
「だいじょうぶ……もうだいじょうぶだから……」  
 
 本当はこの台詞を言うのは逆であるべきなんじゃないかな――そんなことを考えつつ、そっと刹那を抱きしめ、頭や背中を撫でさすって  
落ち着かせる。  
 よほど痛かったのだろう。目をぎゅっと閉じたまま、あううぅぅと小さく唸り続けている。  
 そんな様子もまた可愛らしくて、庇護欲と嗜虐心がそそられる。  
 
「だいじょうぶ……だいじょうぶ……」  
 
 ナルは限りなく万能無敵に近しい存在だ。  
 たとえば自分の体液を麻酔性を持った媚薬などという都合の良いものに変えることもできる。  
 だから、刹那の目尻に溜まった涙を啄ばむように舐め取りながら、少しでも彼が楽になるように自らの愛液を媚薬へと変化させた。  
 そうしてしばらく経つと、媚薬が効いてきたのか刹那はだいぶ落ち着いてきた。  
 
「…なんか……おちんちんがジンジンする……」  
 
 ――訂正。別の意味で落ち着かなくなってきていた。  
 
「…痛くしてすまなかったね……おわびに…すごく…気持ちよくしてあげるから……」  
 
 言うが早いか、腰をグラインドさせ始めるナル。  
 
「ひぁ、あ、あ、あああああああああああああっ!?」  
 
 絡みつく膣粘膜。その襞一つ一つが亀頭をこすっていくたびに、例えようもない快感が走る。  
 怒涛のように押しよせる間隙のない快感に一気に絶頂へと押し上げられていく。  
 経験のない刹那には、そのなかば苦痛ですらあるような過剰な快感に耐えられようはずもない。  
 あっという間に絶頂を迎え、再び射精する。  
 
「あ、かは、あああああああ! また…また出てるよぉ!」  
 
「あったかい……刹那くんのが…私の膣内に……ああ……」  
 
 だが、ナルはこれで満足しない。まだ彼女が絶頂を迎えるには足りない。  
 それに先ほど痛い思いをさせた償いには一回の絶頂などでは十分ではないと彼女は考えている。  
 
「それじゃ、あっ……もう一回…イこうか……?」  
 
 語尾こそ疑問系だが、体はすでにそのための行動に移っている。  
 有無を言わさず再び開始されるグラインド。  
 精液を潤滑剤にして行なわれるそれは、一回目よりもずっと激しい。  
 
「い――ひぃ、い、あああああああ!」  
 
 射精し終えたばかりで感覚が敏感になった亀頭をすりあげられ、思わず悲鳴を上げる。  
 淫猥な、粘着質な水音が暗黒の静謐の中に響いている。  
 平衡感覚、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚――その瞬間、刹那のすべての感覚が快楽を貪ることに集中していた。  
 快感は神経の閾値を越えて、まともな状態ではなくなっている。  
 ふわふわして気持ち悪さすら快感になりつつある平衡感覚、閃光に神経を焼かれたように視界は白い。  
 聴覚とて無事ではない。キンキンと耳鳴りがするほかはロクに音など聞こえない。  
 舌も唾の味すらわからず、あれほど濃密に漂っていた雄と雌の匂いも今では不確かだし、ナルが自分を抱きしめているかどうかすら  
わからなくなりつつある。  
 だが、そんなメチャクチャになりつつある感覚すら今では快感だった。  
 正確には、どんな刺激も快感としてしか認識できなくなりつつあった。  
 心臓が早鐘を打ち血管が血圧で膨張と収縮を繰り返すことすら今では快楽として敏感に感じ取っていたのだ。  
 すでに身を焦がす快感は、刹那を発狂寸前のところまで追いやりつつある。  
 
「い、いい…いいよぉ……刹那くん、刹那くん、刹那くん――!」  
 
 自失の域にあった刹那の手が無意識のうちにナルの乳房を揉み、まさぐる。  
 すでに肌着もめくりあげられ、美しい双丘が外気にさらされている。  
 その外気の冷たさが体の熱気を冷ますのが心地よく、また同時に『刹那を気持ちよくしてあげなきゃいけない』ということを  
ナルに思い出させてくれた。  
 ぎゅっと刹那を抱き寄せる。刹那が右の乳房を咥えた。  
 軽く歯を立て、乳首を甘噛みする。  
 それは女を悦ばせようとする男の本能だったのか、それとも母を求める子供の本能だったのか――あるいは両方か。  
 絶妙な力加減で揉み、吸い、噛んでいく。  
 的確に行なわれる胸への責めに、一気にナルの絶頂感が高まっていく。  
 まず一回。ナルは軽く絶頂を迎えた。腰の辺りから背筋を電流が走ったように、ビクビクと小さく痙攣する。  
 まだ終わりではない。責めは続いている。  
 
「ああ、私ももう…もうイく……ああ…ああああああああああああ!」  
 
「かっ、はぁ……!」  
 
 嬌声とともにひときわ大きく痙攣し、絶頂を迎えるナル。  
 それと同時に刹那の陰茎に襞一つ一つが別の生き物のように絡みついていた膣がぎゅっと収縮する。  
 その強い刺激は大きな快感となって刹那を襲い、三たび射精を行なわせた。  
 どちらからともなくお互いを抱き寄せ、抱擁しあう二人。  
 絶頂の余韻の中、白濁した刹那の意識がまどろみに沈み始める。  
 
「…ん、ふぅ……これで…契約は完了だ……約束どおり…私は君の姉になる……しかし気をつけておくといい……。  
 『わたしたち』はとても…いぢわるなんだ……もしかしたら…君を裏切る形で、契約を叶えてしまうかもしれない……。  
 だから…私との再会を…望むのであれば……この宇宙に…祈るがいいよ……。  
 千の『わたしたち』の中から…再び、この私と出逢えるように…ね……」  
 
 そう言って微笑むナル。  
 ふと、刹那は違和感を感じた。まどろみに消えようとする意識を振り絞り、その正体を探る。  
 そして突き止めた。  
 彼女の右目は、いつのまにか燃える炎のような真紅の虹彩となっている。  
 そして虹彩は三つ巴に別れており、それぞれの巴形に黒い瞳孔が存在していた。  
 そのことを認識したと同時に、刹那の意識は白い闇へと落ちていった。  
 
 あまりの夢に一気に眠気が飛んでしまった刹那は、バチッと音がしそうな勢いで目を開いた。  
 もし彼の寝顔を覗き込んでいる人がいたら、その人はびっくりして心臓麻痺を起こしていたかもしれない。  
 そんな目の覚まし方だった。  
 ――ああ、『だからあの人は僕の姉』なのか。  
 夢を反芻しながら、少し寝ぼけた頭でつらつらとそんなことを考える。  
 寝ぼけた思考はどんどん飛躍していく。  
 それにしても、と思う。  
 呼び覚まされた記憶を見ているわけではなく、あれは間違いなく夢の中で現在進行形で体験を積み重ねていたのだと  
刹那は感覚で理解していた。  
 ――そういえば以前あの人は言っていた。『夢の中』では現世の法則は通用しない、と。  
 なら、あれはやはり現在起こったことなのだろう。そして願いは時空を超越して過去で叶えられているということ……  
 そこまで考え、刹那は気持ちを切り替えて起きることにした。部屋を出て一階へ降りる。  
 階段を下りる途中から、トントンという包丁の小気味よい音と味噌汁の香ばしい匂いが届いてきた。  
 これは刹那の毎朝のひそかな楽しみである。  
 リビングのドアを開けキッチンに目をやると、そこにはいつもどおり刹那の姉がいた。  
 白皙の肌に頭の後ろでまとめられた濡れたような黒髪。  
 袖をまくった白いブラウスに黒のロングスカート。そのうえにオレンジのチェック柄のエプロンをしている。  
 せわしなく動き、朝食の準備を整えていく。  
 ふと、その動きを止めて視線を刹那に向ける。  
 
「……おはよう、刹那くん……いい夢が見れた…みたいだね……」  
 
 彼女は、今まで夢の中でしか見たことのない色気を帯びた瞳で笑顔を向けた。  
 その視線が持つ意味はすなわち、夢で結んだ『契約』が、あれで終わりではないことを意味していた――  
 
 
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