至って普通の会社のような高層ビルの施設。  
 1階には受付があり、各階にはそれぞれ部署が配置されている。  
 広報課、人事部、開発営業、それらたくさんの部署の中にある一般的には異色の部署。  
『人外対策課本部』  
オフィス自体は他の部署と何ら変わりなく、一人ずつ仕切られた机とPCと電話端末。  
奥の方には『階級(クラス)』が上の者のための個室が設けられている。  
狗牙とコマはその個室のひとつ、『ミカサ』という女性退魔師の部屋に呼び出されていた。  
『ミカサさん、遅いですねぇ・・・』  
 呼び出されてから20分程、部屋のソファーに座って待っているが当のミカサがいつまで経  
っても来る気配がしない。  
 コマはいつもと変わらぬ独楽柄の白い着物姿で、耳をピクピクと動かしながらつまらなそう  
な顔をする。  
『どうしてこう、お偉い人の部屋って、味気がないんでしょうねぇ・・・』  
 ミカサ専用の部屋は広さの割に大きな机がひとつと大きな本棚が壁に沿って並べられる  
だけ並んでいる。  
 書物はどれもこれも伝奇やら妖怪や幽霊、物の怪の類の書物ばかりが並んでいた。  
「少しぐらい落ち着いて待てないのか、お前は・・・」  
 狗牙は部屋に入る前にコマに「静かにしているように」と念を押したが、部屋に入ってから  
5分ほど経つとコマはそわそわし始めて、10分ぐらい経ったあたりから、ぶつぶつと不満を  
漏らし始めた。  
『人を待たせるにしても限度ってものが・・・』  
 ガチャッ。  
 コマが狗牙に向かって新たな不満を漏らそうとした瞬間、二人の背中越しに扉が開く音が  
聞こえる。  
『待たせてしまったようだな』  
 扉を開けて、二人が座っているソファーを横切り、自分の机へ向かう女性。  
 背丈は170cm前後で服装は濃紺のジャケットとパンツのいわゆるOL姿でツヤツヤしたロ  
ングストレートの黒髪をなびかせている。  
 整った顔立ちと切れ長の目を見ると全てを見透かしているような余裕のある印象を持つ。  
 そして何より、全体的に見るとスラッとしたスレンダーなスタイルだが、胸だけが苦しそうに  
ジャケットの中のYシャツをはちきれそうに膨らませて自己主張をしている。  
 机の椅子を引き、ゆるやかに腰をかけて、ふぅっと軽く一息つく。  
 そして、狗牙とコマのほうに顔を向けてハキハキとした口調で自己紹介を始めた。  
 
『初めまして、私がミカサだ、君はコマ・・で良かったかな?』  
『は、ははははいっ!』  
 急に叩き起こされたような声を上げて体を強張らせるコマ。  
「ど、どうしたんだ急に素っ頓狂な声を上げて?」  
 驚いた狗牙も思わず声を上げる。  
『い、いや、おっぱいおおきっ、じゃなくてですね・・あのっ!』  
 コマ一人が座ったまま大慌てしている、そんな不可解な状況に陥りかける。  
『え、だって、この人、いや、人じゃなくて、えー!?』  
「いいから、少し落ち着け・・・」  
 狗牙の引き気味で冷め始めた声にコマは何とか冷静さを取り戻したが、どこかやりきれな  
い表情で狗牙にボソボソと耳打ちを始める。  
『だって、あの人、妖気というか、何かこう吸い込む感じというか・・・危なく魅了されかけたの  
ですけど・・・』  
 耳打ちされた狗牙はただ訝しげ(いぶかしげ)な表情を見せていた。  
 それを見たミカサが楽しそうに目を細めて微笑んだ。  
『どうやらコマとやらの勘は良いみたいだ。狗牙のほうはもう少し修行するべきだね』  
 狗牙が尚更わからないといった表情になったのでミカサは微笑みながら『そのうちわかる』  
と言い聞かせた。  
『さて、一応、自己紹介してもらおうか?』  
 急にミカサが微笑みを消し、落ち着いた切れ長の目でコマを見つめた。  
 少しの間、コマは何をして良いかわからずボーっとしていたが、狗牙が肘で脇腹をつつい  
たことによって我に返り、バッとその場に立ち上がる。  
『あ、え、はい・・あの、コマと言います。猫です、えーと・・・』  
 他に何を語れば良いのかわからないまま、コマが少し考え込みそうになった瞬間、ミカサ  
が『ふむ、何となくだが理解できた、座っていいよ』とコマに座ることを促した。  
 コマは言われるがまま、座ろうとするがどこか緊張しているためか、ソファーの高さを誤っ  
て尻餅をつく形で、ぽてんっ、と座り込んでしまう。  
 ミカサの視線がコマから狗牙に移される。コマは自分から視線が移されたことで若干、安  
堵した表情を見せている。  
『狗牙、私がお前を呼んだ理由はわかるな?』  
「コマのことでしょうか?」  
『今日は察しが良いな』  
 ミカサがわざとらしく感心した表情をしてみせる。  
「それ以外に呼び出されることも無い気が・・・」  
 狗牙が少し困った顔を見せるとミカサが少し微笑んで見せた。  
『すまんな、どうも狗牙の困った顔が見たくてな』  
「勘弁してくださいよ・・・」  
 狗牙が更に困ったような、疲れたような顔をすると、ミカサはまた嬉しそうに少し微笑んだ。  
 
『実はな、調度良い機会だから、コマの保護以外に今後の監視と「躾」をお前の任務に組み  
込もうと考えている』  
 狗牙が一瞬ドキリとした表情を見せる。  
 実のところ、狗牙はコマと今後を話し合った後、本部にはその連絡を入れていない。あわ  
よくば今回の呼び出し中に切り出そうと思っていた話の一つであったためか、狗牙はまるで  
自分を見透かされているかのような錯覚に陥った。  
『まぁ、実際難しい話ではなく、我々の監視下で悪さをする気がなくなるまでタダ働きでもさ  
せておこうという話だ。いわゆる、社会復帰プログラムみたいなものだな』  
「あ、あの・・・」  
 狗牙がそれについて語ろうとした時、  
『わかっている、狗牙も同じことを考えていたのだろう?』  
 ミカサが狗牙にみなまで語る必要は無いと諭した。思わぬ発言に狗牙は目を丸くしてしま  
う。しかし、ミカサはそんなことも気にかけずに話を続ける。  
『そこでだ、コマを正式に狗牙のパートナーに任命したいのだが、異存はないな?』  
 あまりに先を越された展開に狗牙とコマは出す言葉を失って、とりあえず首を上下に振っ  
てしまった。  
『よし、決定だな。では今後、コマは狗牙に付き従い、私が狗牙に与えた任務の補佐を行っ  
てもらう。わかったな、コマ?』  
『は、はいっ!』  
 今までの話が全部自分絡みの話だということに今更気付いたのか、慌てて声を上げるコマ。  
 ミカサはその返事を聞いて嬉しそうに目を細めたがコマを一瞥すると『もっとも、本当に人  
を襲ったのは「今の君」ではないようだがね・・・』と呟いた。  
 その後、少しの間、ミカサはコマの容姿を上から下へ見ながら、『もう少し良い服を支給し  
よう』だとか『食費ぐらいは経費で落とせるから申請してくれ』とか、そういう話をしていたが、  
コマの首元についている首輪と鈴を見ると急に落胆したような溜め息を吐いた。  
『狗牙、お前はまた「印付」(マーキング)をしてないのか・・・?』  
 ミカサが狗牙の方を向き直って、少し頭を抱える仕草をする。  
『コマから妖気が漏れてないから「マーキング」はしてあるものだと思っていたのだが・・・』  
「すみません、極力、あの術は使いたくないんです・・・」  
 狗牙が少しバツの悪い顔をして謝るがミカサは顔を上げて狗牙に向き直り少し怒ったよう  
な口調で説教を始めた。  
 
『相手の意思を尊重したいという気持ちは汲み取れるが、最低限必要なことをしておかない  
と色々と面倒なことになる・・・』  
 ミカサのくどくどとした説教が始まって数分が経ったあたり、  
『つまりだ、それなりの代価というものは・・・』  
『あ、あの・・・』  
 コマが恐る恐るミカサに声をかけた。  
 ミカサはコマに声をかけられた瞬間に少し怒り気味の表情を穏やかな笑顔にして向き直る  
と『何だね?』と丁寧に応答した。  
『先ほどから気になっていたのですが、その「マーキング」って何でしょうか?』  
『ふむ・・・ちゃんと聞かされていないようだな。つまり「マーキング」とは・・・』  
 マーキングとはつまりこういうことだ。  
 狗牙が使える術式の一つで性的な交渉を用いて相手の「気の道」に「術者の気」を逆流さ  
せ、「相手の気」を取り込みながら「気の核」となる部分に制御(リミッタ)をかける。  
 使える人間が少ない術式だが、自由度が高い術で「相手の気を完全に封じ込められる」、  
「特定の条件下で気を封じられる」(自分に対して気を向けられないようにする、無力化)とい  
った使い方も出来る。  
 簡単に言えば性交渉で行う、封印作業である。しかしながら、封印が持続される期間も相  
手の妖気(霊気)やこちらの気の強さで、ある程度決まっており、封印を持続するためには  
定期的なマーキングが必要になる。  
 それらの特性から総じて「マーキング」と呼ばれるようになっている。  
 元々、狗牙の主な任務は「それ」であり、各地に居る「害を為した妖怪」や「害を為しそうな  
妖怪」にマーキングを行い、妖怪による事件を防ぐといった役割なのである。  
 そのため、当時「名無し」だった狗牙は気付けば周りから「犬」(縄張りと主従意識)と呼ば  
れ始め、流石にそれだと体裁が悪いのでミカサが正式に「狗牙」と名をつけたのが今の名前  
の始まりらしい。  
『っと、いらぬ話までしてしまったな・・・マーキングについては今、話した通りだ』  
 
 

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