「よぉ、ジロー、たまには酒に付き合えや」
親方の声が閉店後の店内に響く。
「別に構わないですけどけど……禁酒は?」
「あぁ? 別にかまわねーよ、今日はな」
親方は俺にずっと禁酒を命じていた。
中学時代、ドラッグ、煙草、飲酒、全てを行っていた俺は親方のもとについて以来、その全てをやめた。
もちろん、親方にやめるように言われたのも理由の一つだが、自分でも今までの生活とのけじめをつけるつもりだった。
だから、酒を飲むのは実に十年ぶりとなる。
「ビールでかまわねーよな」
「それでいいです」
親方は業務用の冷蔵庫から、ビンのビールを取り出すとコップに注ぐ。
「ほらよ、十年ぶりのお酒様だ、丁寧に扱えや」
「ありがたく、受け取らせていただきます、お酒様。と、これでいいですか?」
「お前、相変わらず冗談のセンスねーな」
クックッ、と親方は笑う。
俺は酒を受け取ると、机に着く。だが、まだ酒は飲まない。
というのも、親方が酒を飲むのは、何か話したい時だ。
しらふでは、恥ずかしくてしゃべれない事は酔いに任せてしゃべる。
この人は、そういう人だ。
そして、もちろん今日、この場でしゃべるとしたら、
「てめー、夜は随分とごさかんだったみたいじゃねーか」
昨夜のことに決まってる。この人が、気づかないわけが無いのだ。
じろりと敵が目の前にいるかのように、こちらを睨みつける。
「……」
俺は、何も言い返さない、ただ、その親方の目をじっと見つめ返す。
重苦しい沈黙が店内を支配する。
親方がときおり、酒を喉に通す音だけが、店内に響く。
十分ほど、経っただろうか。
親方が、笑い始めた。先ほどみたいに忍び笑いではなく、豪快に。
「ハーハッハハ!!ハハハハハハハハハ!!」
「親方、気が狂いましたか?」
「お前の冗談、やっぱ、センスねーよ」
笑顔のまま、親方はちびりとビールを口に含む。
「ったく、お前らくっつくのに何年かかってるんだ」
「十年ですね、初めて会った時から考えるなら」
そうか、十年か、そう呟くと、親方はしゃべり始めた。
「お前が美香に好意を持ってたのは、ずっと知ってる。
もちろん、美香もお前にずっと好意を抱いていたろ」
「やっぱり、気づいてましたよね」
俺はずっと、親方が気づいているのだ、ということに気づいていた。
そう、だから……
「……だから、しょっちゅう俺に対して言いましたよね。
美香に指触れる奴は、家族以外、誰にも許さんって」
「あぁ、言ったな」
そう、親方は気づいていた、ゆえに俺に釘を刺したのだ。手を触れるなと。
「まぁ、最終的には触れる以上のことをしたわけですが」
「あぁ、そうだな」
相槌を打つ親方の顔はどこかうれしそうだった。
俺はその顔を見て、ようやく確信する。
昨日からずっと考えていた事、
ずっと親方をどう説得すべきかということを考え続けていた。
親方のいままで言ってきた事を思い出し、
親方に納得してもらうにはどうしたらいいのかを。
そこで、一つおかしなことに気づいた。
それは、何故、親方は俺とお嬢をくっつけるのを嫌がるのか。
親方の性格からして、本当はそれはありえなかった。
何よりも誰よりも自由奔放で、決して縛られる事を望まず、
縛る事をしない人が、たとえ大事な娘とはいえ、お嬢と俺の間だけ……
俺は、考え続け、それを納得させる理由を一つだけ思い当てた。
それは……
「親方は、俺を試し続けてたんですね……」
「気づくのおせーんだよ、バカ」
親方は自らのコップにさらにビールを注ぐ。
「大体、おれっちの態度一つで娘との仲をあきらめるだぁ?
そんな、軟弱者に俺は娘を嫁にやりたくはねーな」
「それじゃあ……」
「ったく、てめーも美香も時間と手間かけさせやがって」
ビールを一気に飲み干し、こちらを睨みつける。
「すいません……」
俺は一応謝っておく。
「わざわざ、嫌いな嘘ついてまで、俺を試させて……」
本当に親方には、頭が上がらない。
と、そこで、親方は予想外の一言を言った。
「あ? 俺がいつ嘘ついた?」
「は? だって、美香に指触れる奴は、誰も許さんって」
「だから、おまえは馬鹿だって言ってんだよ。いったじゃねーか、『家族以外』って」
「……え?」
親方はそこで一息つくと、こちらを真剣なまなざしで見つめる。
「てめーは、俺の息子だ。俺が、背中を見せて、育てた、大切な息子だ。
たとえ、戸籍が認めなくても、お前は俺の家族だ。……だから、いいんだよ」
ぶっきらぼうな口調で告げたのは、俺を家族と認める言葉。
「け、けど、俺を引き取る時、養子縁組が出来るのにしないとか言ったって」
それは、俺を引き取るが、『家族』にはいれないという宣告だとずっと思っていた。
だが……
「てめーが戸籍上まで俺の息子になったら、美香と義兄妹になって
結婚とかやりにくくなってたぞー」
クックッと悪事が成功したように喜ぶ、親方。
ということは……
「俺はずっと親方の手の平で踊り続けてたわけですか……」
「てめーが勝手に踊り続けたんだろ。俺は用意してやっただけだぜ」
俺はもう、驚きを通り越して、ただ、唖然としていた。
「親方……あんたには一生かけても、かないませんよ」
「テメーが俺に勝つなんて一生どころか、1000年かかってもねーよ」
俺たちは互いに笑いあう。
話しが終わった事を確認した俺は、机においていたビールを一気に飲む干す。
十年ぶりのビールは当時と味は全く変わらず、しかし
「……当時飲んだ時より、美味しいですね」
「あたりめーだろ、酒は大人になって飲むからうまいんだ。ガキが大人ぶってに飲んだところでそのうまさが分かるわけねーんだよ」
俺は親方のその言葉に、涙が、こぼれそうになりながらも、グッとこらえた。
「まったく、親方、強すぎですよ」
「酒がか?」
「全てです」
俺は、笑いながら言う。
この人たちには一生かなわないと思いながら。