見知らぬ女を抱いた。抱きたかったから抱いた。侘しいから抱いた。人肌恋しかったから抱いた。  
女の裸体を抱き寄せ、互いの唇を重ねる。毛穴から汗がにじみ出た。  
大量のアルコールがもたらす酩酊感が意識を遷移させる。女の乳房に顔を埋めた。女の体臭に男根が反応する。  
むせ返るような匂いだ。汗と愛液とザーメンが熱で溶けて混じりあう。生酸っぱい臭気を鼻腔いっぱいに嗅いだ。  
臭気が濃密さを増していく。そこから先のことは良く覚えていない。  
 
今朝早く、お前がドアを叩いたときに  
今朝早く、お前がドアを叩いたときに  
おれは言った、「やあ、悪魔。出かける時間だな」  
 
おれと悪魔は並んで歩いた  
おれと悪魔は並んで歩いた  
おれの女を気のすむまでぶちのめしたい  
   
あいつはおれをつけまわす理由が自分でわかっちゃいない  
(語り)ベイビー、お前の態度は不実でそっけないな  
あいつはおれをつけまわす理由が自分でわかっちゃいない  
きっと地面の奥深くに潜んでいるあの悪霊のせいだろうさ  
 
おれの身体をハイウェイのそばに埋めてもいいぜ  
(語り)ベイビー、死んだあとどこに埋められるかなんておれにはどうでもいいんだよ  
おれの身体をハイウェイのそばに埋めてもいいぜ  
そうすりゃおれの悪霊がグレイハウンドバスに乗れるからな  
 
          ──ロバート・ジョンソン『俺と悪魔と』──  
 
 
フィルターだけになったキャメルを地面に落とし、踏みつける。  
夜風にうだるような熱気が孕んだ。蒸し暑い──生温い風が高津英二の首筋を撫でた。  
こめかみから浮き出たぬるい汗が頬を伝う。額から吹き出す汗の雫が熱気で蒸発した。  
鈍色に光るマンホール、剥きだしのコールタールに唾を吐いた。  
地面にべっとりと付着した乾いたガムと潰れたタバコの吸殻が視界に飛び込む。  
 
携帯画面を見た。時刻は午前二時八分。ギターの弦を垂らしたような三日月を黙って睨む。  
高津はA&Gのシルバーリングを舌でなぞった。苦い。純粋な銀の味だ。  
今夜の戦利品だ。髑髏を象った銀モノの指輪──ドレッドヘアの餓鬼からぶん取ってやった。  
こんなものでも売れば酒代くらいにはなる。  
あるいはガンジャの二グラムでも拝めるかもしれない。  
寂れた深夜の渋谷センター街の路上をうろつきながら、高津はジョニ赤のスキットルボトルを呷った。  
   
酒がざらつく咽喉を潤す。勢い良く流れるアルコールが食道を灼いた。  
胃袋がアルコールを吸収する。筋や健が強張った。  
ギャングもヤクの売人も渋谷から少なくなって久しい。うざったいSCGPのせいだ。  
今ではほとんどが六本木に溜まっている。額から流れる一筋の汗を高津は手の甲で拭った。  
道玄坂を横切り、わざとアスファルトを踏みつけ、踵を鳴らしながら歩く。  
 
退屈だった。退屈は罪だ。退屈はそれ自体が罪だ。退屈なのに何もする気が起きない。  
星一つない夜空を見上げた。今夜は星空も自分の寝ぐらで休んでいるのだろう。  
 
今日は家に帰って静かに酒でも飲むかと一人ごち、高津は自宅のアパートに足を向けた。  
人影の途絶えた路地。静寂な空間に軋む己の骨音をブルースハープの代わりに聴きながら。  
*      *     *      *     *      *     *      *  
苗字は母方のもので高津は今でもそれを名乗っている。時代おくれのブルースを聴き、高津がジンを口に含む。  
 
時折、高津は自分の人生に嫌気が差してたまらなくなる事があった。  
人生に嫌気が差すとジンを浴びるように飲む。  
すると気分は更に憂鬱になり、やりきれなくなる。  
憂鬱な気分に落ち込むと死にたくなる。死にたくなると見境がつかなくなった。  
ブルースがついて回る状態になるのだ。  
誰彼かまわず噛み付き、高津は喧嘩を吹っかけて回った。  
いつしかヤクザも与太公も高津を避けるようになり、陰で『気狂いピエロ』と呼んでは蛇蝎のごとく嫌悪した。  
 
十七年間という人生の記憶をたぐり寄せても良い思い出という奴は何一つ浮かんではこない。  
高津の人生はやりきれなさの連続だった。だからこそ高津は酒とブルースをこよなく愛する。  
大久保にある安普請のアパートで物心つく前から高津は母親と二人きりで生活していた。  
赤錆に覆われたトタン板作りの吹けば飛ぶような安アパートだ。  
父親はいなかった。母親に聞いてみようとも思わなかった。  
母親の売春行為がばれて生活保護を打ち切られてしまい、ボロの服を着て腹を空かせていたのだけは覚えている。  
 
湿り気のせいでぶよぶよに腐って黒く変色した古畳の上で高津はいつも震えていた。  
母親と客とのセックスの様子と喘ぎ声を聴きながら、幼い頃の高津は肩を潜めて震えていた。  
破れた障子の向こう側で母と客のシルエットが映る。生臭い匂いが鼻をついた。  
愛液と精液の入り交ざった臭気だ。吐き気がした。生唾を飲み込んだ。朝日が訪れるまで、高津は耳を塞いだ。  
 
台所から漂う生ゴミの異臭、腐汁をしたたらせた鶏肉を旨そうについばむ太ったチャバネゴキブリ、  
茶色い触覚を震わせて生ゴミを漁るチャバネゴキブリの群れ。眼球が白濁したネズミの死骸。  
高津はいつも怯えていた。痛みに雑言に苦痛に怯えていた。石ころになれればどれだけ幸せだったろうか。  
秋代は鬱憤晴らしに実の我が子をいたぶった。  
お前を見ているとイライラしてくるッ、汚い子だね、あっちへおいきッ、  
 
罵声を浴びせられた。灰皿代わりにタバコの火を押し付けられた。顔が気に入らないと怒鳴られ、横面を拳で打たれた。  
ペニスを針で突き刺され、小指をへし折られた。来る日も来る日も、苛め抜かれ続け、高津の精神は限界だった。  
だから殺した。誰を。母親を。どうやって。金属バッドで。  
寝込みを襲い、今までの怒りをぶつけるかのように、高津は何度も秋代の身体目掛けてバッドを振り下ろした。  
激痛で涙と鼻水まみれになった秋代の顔面──額にバッドを叩き込んだ。  
 
額がひっしゃげ、バッドが頭蓋骨にめり込む感触。生まれて始めて体感した衝撃に血管が凝固した。  
赤い網膜を張り付かせた眼球が、視神経ごと飛び出したあの光景は今でもはっきりと記憶している。  
 
高津の最初の殺人だ。この時、十一歳だった高津は児童自立支援施設に送られた。  
親殺しのレッテルを貼られて。  
二度目の殺人は忘れもしない十四歳の七夕祭り──施設を抜け出した高津は喧嘩になった相手のひとりを刺殺した。  
使用した凶器は砕けたビール瓶。  
喧嘩の最中に割れたビール瓶の尖端が、誤って相手に突き刺さってしまった。  
 
殺す気は無かったという高津の言い分が家庭裁判所で通り、  
初等少年院に送致後、一年ほどで出所した。  
 
十五歳で娑婆に舞い戻った高津を引き取ったのは自分の父親だと名乗る秋城英一という男だった。  
己に流れる血──高津は男が自分の本当の父親であることを本能で悟った。  
英二という自分の名前も恐らくこの男から取ったものなのだろう。  
感慨などは全く湧かなかった。ただ、悟ったというだけの話だ。  
 
英一の息子だから英二。安直な名前の付け方だ。  
松涛にある自宅内の敷地は四百坪ほどの広さがあり、かなりの金を持っている事だけはわかった。  
三階建ての奢侈な住宅に通されたとき、高津は腹の底から憎悪が沸々と煮えたぎるのも感じた。  
この家と比べてみれば、自分と秋代の住んでいたアパートはブタ小屋か公衆便所よりひどい。  
男の妻は二年前に他界し、今では娘とふたり暮らしだとのことだ。だからどうしたというのだろうか。  
 
そもそも何故、こいつは俺を引き取ったのだろうか。それが一番の疑問だった。  
高津にとって、親子の愛情だとか血の絆という奴は何の意味も持たない。  
実の母から虐げられ、実の母を殺した少年には何もかも虚しいだけだ。  
『お父さん、お帰り。そいつ誰よ?』  
階段から降りてきた少女が高津を指差す。そいつ誰よとはご挨拶だ。  
 
この女は俺にぶちのめされたいのか。それとも殺して欲しいのか。  
高津のガラス球のように光る冷たく鋭利な瞳が少女を突き刺した。  
少女の相貌が青白く退色していく。その視線に英一は気づかず、少女に高津を紹介した。  
間抜けな男だ。隙だらけの間が抜けた男だ。  
『未優、弟に向かってそいつという言葉があるか。今日から私達は英二と三人で暮らすんだぞ』  
『あたし、そんな奴と一緒に暮らすなんて真っ平ごめんよッ、絶対にいやだからねッッ!』  
未優が下がってきた階段を駆け上り、自室へ引きこもる。  
 
別にこちらから住まわせてくれだとか引き取ってくれと言った覚えはない。  
最初からひとりで生きていくつもりだった。  
盗みでもタタキ(強盗)でも何でもやって暮らしていくつもりだった。  
『あんたの娘は俺の事がお気に召さないようだよ。余計ないざこざは俺もごめんこうむるんでね。  
俺を大久保まで送っていってくれよ。あとはひとりでなんとかするさ』  
英一が少し慌てながら振り返った。高津に愛想笑いを浮かべる。  
 
『まあ、そういわないでくれ。未優もいきなりの事で少し動転しているんだよ』  
『まさか、話してなかったのか』  
『いや……前々から少し話してはいたんだが……』  
『どっちにしてもこうも毛嫌いされちゃ話し合う余地はないだろうさ。  
誰が好き好んで人殺しなんかと暮らしたいと思うんだ。あんたの娘の言い分ももっともだろうよ。  
それからな、俺の事は高津と呼べ。英二なんぞと名前で呼ばれるのは妙に馴れ馴れしくて頂けないからな』  
なんとか英一が食い下がって高津を引き止め、一晩だけでもと部屋に案内した。  
 
高津は文字通り、一晩だけ泊まり、その日の内に自分の居所を探してきた。  
高級住宅など高津の肌にはどうしても合わなかったからだ。  
あれからもう二年が経つ。なんとか塀の中に放り込まれるのをやり過ごしてきた。  
あれほど自分を毛嫌いしていた未優は今ではなんだかんだと、つきまとって離れようとしない。  
ブルースのようにつきまとって、いくらはなれようとしても纏わりついてくる。  
高津はひっしゃげたキャメルのパッケージから、タバコを一本取り出して、口にくわえた。  
ギターを手に取る。ピックの代わりに十円玉を使って無造作に鳴らした。  
 
気が狂いそうな気持ちだぜ、自殺でもしなきゃおさまりがつきそうにない気分だぜ  
お前を見るたびに、俺の心の奥がどうにかなっちまいそうなんだよ  
 
*      *     *      *     *      *     *      *  
未優は窓辺から差し込む光を頬に感じ取り、目を覚ました。時計を見遣る。  
 
ベッドの上で間延びすると部屋着を脱いで軽いストレッチを行った。  
オリーブグリーンのTシャツにリーバイスのジーンズに着替える。。ラフな服装だ。  
今日は休校日だった。  
英二はまだ眠っているのだろうか。テレビをつけてリモコンを操作する。  
ブラウン管から流れるニュース──軽薄そうなコメンテーターやら、  
我が物顔の太った女評論家やらが大声でごちゃごちゃと何かをまくしてていた。  
 
気になるようなニュースはない。未優はすぐさまテレビのスイッチを切った。  
英二に会いたい。弟に会いたい。会いたいが何を話せばいいのだろう。  
本心ではない。傷つけたくもない。英二が好きだ。  
だが、顔を合わせればいつもこの口から出る心ない言葉は辛辣で無神経で、英二のハートを打ち砕く。  
英二は私に苛立つ。今にも殴り倒しそうな剣幕で怒鳴る。  
ウイスキーボトルを壁に叩きつけ、失せろと怒鳴る。それでもかまわない。  
私は英二に命と心を救われた。一度ではない。二度も救われた。  
私は英二が好きだ。愛しているのだ。だから、殺されてもかまわない。  
 
おれと悪魔は並んで歩いた  
おれと悪魔は並んで歩いた  
おれの女を気のすむまでぶちのめしたい  
あいつはおれをつけまわす理由が自分でわかっちゃいない  
 
   
未優は無意識に口ずさんでいた。いつも英二が歌うブルースの歌詞を、口ずさんでいた。  
アルコールとニコチンで爛れた咽喉仏を搾り出し、中古の古ぼけたギターを弾いている英二の姿が胸裏に浮かぶ。  
不機嫌そうに顔を歪め、あらゆる感情をブルースにぶつける英二。  
それは怒りであり、哀しみであり、絶望であり、諦観だ。そっけない英二の態度。  
それでも会いたくてたまらなかった。あの悪魔に。  
 
会いたい理由ならわかっているはずだ。それともわかったと思い込んでいるだけなのか。  
英二は酒とブルースに依存し、中毒している。それは一歩ずつ、確実に死へと近づいている証拠だ。  
高津は間違いなくアルコール中毒者で気が狂っている。あの時、英二が垣間見せた狂気と暴力への衝動。  
未優に絡んだチンピラの哀れな末路。突発的であまりにも鮮烈だった。  
 
ヴェルサーチのサングラスをかけたオールバックのチンピラ──英二が脇腹に拳をめり込ませた。  
蹲るチンピラの顎目掛けて爪先を放つ。低く鈍い音が立った。  
衝撃を受けたチンピラの顎が横に奇妙にねじくれる。  
倒れるチンピラ──馬乗りになった。男は地元の人間ではなかったのだろう。  
出なければ英二に対してあんな無謀な真似はしなかったはずだ。  
 
チンピラに追い討ちをかける英二。顔面を殴った。殴った。殴った。殴った。殴った。  
両腕を交差させ、何度もフルスイングでチンピラを殴り飛ばす弟は、唇を引きつらせて微かに笑っていた。  
顔皮が鮫にでも食いちぎられたかのように歪に裂けた。飛沫あげた血が英二の襟元に付着する。  
生まれて初めて見る光景だった。暴力。子供同士の喧嘩ではない。本物の暴力だ。  
鮮血が飛び散る圧倒的な暴力に未優は茫然自失した。  
 
英二が懐からアイスピックを取り出した刹那、未優は我に返った。  
『お願いだから止めてよッ、殺す気なのッ!』  
英二の後ろ首を羽交い絞めにして、懸命に取り押さえる。肘で未優を押しのけると馬乗りになった英二が立ち上がった。  
血を滴らせた拳を舌で舐める。英二は未優に尋ねた。  
『酒もってないか?』  
未優は震えたまま、首を横に振るだけだった。  
 
*      *     *      *     *      *     *      *  
重く疲れた頭をもたげ、高津がバーボンのボトルに口をつける。十三センチのジャックナイフを掌で弄んだ。  
ジッポーのヤスリを親指でこする。キャメルに火をつけた。濃厚な紫煙がゆるやかに立ち昇る。  
 
玄関ドアを叩く音──こんな朝っぱらから誰だ。また、未優が尋ねてきたのだろう。  
「入りたきゃ勝手に入りなよ。鍵はかけてないからな」  
玄関ドアが赤く錆びついた音を立てて開いた。未優が顔を覗かせる。  
相変わらずいつ来ても薄暗い部屋だ。日当たりが悪いせいもあるのだろう。  
陰鬱で湿っぽく狭い部屋だった。この部屋の掃除など一度もしたことがないのだろう。  
 
「何にもない部屋ね。狭いし不潔だし、よくこんなとこで暮らせるわよね」  
「嫌なら来るんじゃねえよ。一体俺に何のようだ」  
空気が淀んでいる。アルコールの匂いが未優の鼻腔粘膜を刺激した。高津がわざとらしく下品にゲップを漏らす。  
「こんな朝からお酒飲んで身体悪くするわよ」  
「朝飯を飲んで何が悪いんだ」  
 
「馬鹿英二、朝ごはんは飲んじゃなくて食べなさいよ」  
「口の減らねえ女だな。そんなんだからいつまで経っても男ができねえんだよ」  
「そ、そんな事あんたに言われる筋合いなんてないわよ!」  
未優が玄関の電気をつけて、部屋の奥へあがった。酒瓶が所かしこに転がっている。  
「何か食べにつれていってあげるわ」  
「悪いがそんな気分じゃねえんだ。夕べの酒がまだ残っててな」  
 
「とにかく、お酒飲むのやめなさいよ」  
「てめえとシラフでなんざ喋れるか。いいから俺の事はかまうんじゃねえよ。  
親父殿から言われたとおり、学校にゃ真面目に通ってるんだからな。金蔓は大事にしねえとな」1  
バーボンを飲み干すと空になったボトルを無造作に放った。  
ボトルが別のボトルとぶつかり、がつんという鈍い音を鳴らした。高津が新しいジンのボトルを取り出す。  
「用が無いなら出て行ってくれ。俺はひとりになりたいんだ」  
 
「それよりもどこかに出かけましょうよ。休みの日くらいこんな所にいるのは勿体無いじゃない」  
「てめえはちゃんと人の話を聞いたことがあるのか」  
高津の言葉を無視して、未優が高津の脇を掴んだ。  
*      *     *      *     *      *     *      *  
井の頭公園をふたりで散歩し、通りの喫茶店で紅茶の飲み比べをして歩いた。  
とはいっても飲むのは未優だけで英二は紅茶に口をつけようとしない。英二は紅茶より酒のほうがいいのだ。  
始終無言の英二はどこか遠くを見つめていた。  
 
私のことを嫌いにならないでよ、英二、お願いだから嫌いにならないでよ。  
そっと未優が英二の身体に肩を寄せ付けた。うざったそうに英二が未優の身体を押しのける。  
「暑苦しいぞ、ベタベタ触るんじゃねえよ」  
「別にいいじゃない。姉弟なんだし」  
 
「お前の頭はめでてえな」  
渋谷区神南にある「たばこと塩の博物館」にも足を運ぶ。休日だというのに人影はまばらだ。百円の入場料を払う。  
 
タバコの葉とパイプと興味を引かれたのか、真剣な顔つきで英二は熱心に眺めていた。特にタバコの歴史が気に入ったようだ。  
「タバコってのはマヤ文化の頃からあったんだな。文字のない時代から吸われ続けていたのか。タバコの神のレリーフは気に入った」  
「色んなパイプもあって面白かったわ。ねえ、火打ち石セット買ってみる?」  
「そんなもん一体どうする気だよ」  
「英二がいらないならお父さんにでもプレゼントするわ」  
「そいつはいい考えだ」  
*      *     *      *     *      *     *      *  
背の高いスツールに腰を下ろし、高津がカウンターに置かれたハイネケンの小瓶を掴む。  
ロフトを改造しただけのシンプルな店だ。心地よい。しかめ面した未優が隣の席でぶつぶつと文句を垂れている。  
「この店が嫌なら帰れよ」  
「べ、別に嫌ってわけじゃないわよッ」  
「それならなんでさっきから文句を言うんだ」  
ノンアルコールカクテルを美味くも無さそうに飲む未優を横目で観察しながら、高津がビールに口をつけた。  
「少し待ってろ。今から面白いもんが見られるからよ。ここはただのバーじゃない。ショー・バーなんだ。  
客の飛び入り参加OKのな。お、どうやら始まるみてえだぞ」  
小さなステージを指差して、高津が未優を促す。誘われるように未優の顔が真後ろにあるステージへと振り返った。  
マイクを握った二十代前半の端麗な容貌をした女がステージに立っている。  
黒いベルベッドのように艶やかな、女のセミロングの髪が揺れた。  
ドライアイスのスモッグと、客達の吐き出すタバコの煙に反射するライトの光。女は爪先で軽くリズムを取った。  
女が唇をマイクに近づけ、歌いだす。女の持ち歌はキャブ・キャロウェイの『Minnie The Moocher』だ。  
 
宿無しで尻軽女だったミニーの話をしよう ベリーダンサーの下っ端で、   
がさつで酷い女だったが、心はクジラみたいにでかかった  
ハイディ ハイディ ホー ハイディ ハイディ ホー ヒディ ヒディ ヒディ ヒー   
 
くねる腰に合わせて蛇行しながら女がスキャットを巧みに発する。客の視線は女の腰と尻に釘付けだった。  
ハイディ ハイディ ホー ハイディ ハイディ ホー ヒディ ヒディ ヒディ ヒー   
何人かの客達が女につられてスキャットする。  
 
ミニーはスモーキーってジャンキーの世話をしてやっていた   
ミニーはそいつを愛してたが、男はヘロインにイカレてた。  
野郎はミニーをチャイナ・タウンに連れてって、ヘロインをミニーにキック(ヤクを打つ)しやがったのさ  
ハイディ ハイディ ホー ハイディ ハイディ ホー ヒディ ヒディ ヒディ ヒー   
ハイディ ハイディ ホー ハイディ ハイディ ホー ヒディ ヒディ ヒディ ヒー  
ハイディ ハイディ ホー ハイディ ハイディ ホー  
ミニーはスウェーデンの王様を夢見てたよ 王様はミニーの欲しいものをなんだってくれるから  
純金と鉄で建てた家も、ダイヤモンドの車輪をつけたプラチナの車も  
だけど死んじまった哀れなミン、もう死んじまったミン、ああ、ミニー・ミン!  
 
高津は女に見覚えがあった。ああ、そうだ。二週間前に円山町のラブホテルで抱いた女だ。  
ほくそえみながら、高津はビール瓶を掌でまわした。  
 

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