――そして。  
 
 彼女は、巨人を見上げた。  
 二〇〇]年、五月二十七日。地球は、宇宙からの侵略によって壊滅状態に陥った。  
 それを、人類は『イブマ』と呼び恐れた。  
 恐怖が地上に蔓延し、不安が天を満たした。  
 だが、巨人を見上げる彼女の顔は、誇らしげな笑みだ。  
 ああ、と、彼女は思う。大丈夫、と。きっと彼は、その意志を貫き通す、と。  
 ――冬に至る季節。これは、そんな時期の話だ。  
 
 
 ――無想機神――  
―― 鋼 狼 牙 ――  
 
 
 
〇、『巨人(海底)』  
 
 ……そうして、彼は眠りについた。  
 己に課した役割を終えたのだ。  
 もう大丈夫だ、と。力を失った彼は、海の底に沈んだ。  
 だが、その眠りを覚ますものがある。  
 雑音のようなそれは、平坦で、無感動で、機械的で、静かで、しかし確かに感情ある声だった。  
 言葉、だった。  
 彼は、その残された能力で、その解読を開始した。  
『……依頼・する』  
 声音には、やはり感情があった。  
『我々は・過ちを・犯した』  
 その感情の名は、悔恨と言う。  
『君の・力を・借りたい』  
 そして、言葉はループする。  
 その感情を強くしながら、何度も。  
『……依頼・する<プリーズ>』  
 彼は眼を開く。  
 手助けを求める声がある。  
 ならば、この身はかつての役目を思い出す。  
 彼は動き出す。  
 砕けた己でも、出来ることがあるならば、と。  
 
 
一、『守護者(孤軍)』  
 
 島がある。周囲に群島を抱く大島だ。  
 木々に緑はなく、海岸近くにある家の大半は破壊されている。  
 島の中央には小高い山があり、その中腹を切り開くように、一つの施設がある。  
 海岸沿いの町と同じく、砕かれた箇所がある。焼滅した場所がある。地殻を抉られ、崩された地がある。  
 だが、その機能、核は失っていない。  
 『千木島宇宙センター』――と。施設入り口、破壊されながらも再建され、朝日を浴びる門扉には、その文言が刻まれている。  
 
/  
 
 乾いた大地が鳴動している。  
 千木島宇宙センター、門扉前。そこに、俺は立っている。  
 既に周囲は破壊されているし、人はいない。気兼ねする必要は一切なく、故に戦闘においての不純物はない。  
 見上げる先には銀の四足巨獣。  
 全高にして二十五メートル。全長は五十メートルを超えているか。  
 この地上、いかなる生物とも異なり、しかしその特徴を随所に見せるそれは、どこか幻想上の獣を思い起こさせる。  
 が、と、それは吼え猛る。意志を砕きに、その足を前へと進めながら、だ。  
「――悪いが、ここは守るべき場所だ」  
 怯まず、退かず、銀の巨獣へと告げる。  
「故に、オマエはここで果てる」  
 息を吸い込み、左胸を右手で抑える。  
 鼓動は機械的な正確を持つ。  
 呼び出すのは、己が機構だ。  
「――我が機構たる鋼を召還する」  
 詔は、自動的に紡ぎ出される。  
 俺が機能として持つ言葉。機構文<プログラム>が、全身を動かしている。  
「応えろ。想い無く、温もり散らす鋼の機神よ」  
 経路は繋がっている。動力にも問題はない。故に、それは応える。  
 ばぢり、と空間が鳴動する。空間の軋みは空気の鳴動を引き起こし、金属がねじ切れるような音を発する。  
 それは、『イブマ』が出現する音だ。  
 それも当然。なぜならこの技術は、まさしく『イブマ』のそれであるが故、だ。  
 震撼は先ほどよりも激しく、しかし先ほどとは別の理由をもって引き起こされる。  
 空間に走る亀裂。そこから突き出るのは、巨大な鋼の指先だ。  
『「――無想機神。」』  
 詔は二重。  
 一つは肉である己、春日・陽逢<かすが・ひあい>から発されたもので、もう一つは、空間の奥、鋼である己からだ。  
 背後。サイズにして二十倍近い口から発されるソレは、ひび割れる空間をさらに押し広げていく。  
『「鋼、」』  
 上体が空間を割り砕いた。  
 同時、胸部のパーツが開き、俺を飲み込む。  
 半身に、操縦席なんて上等なものはない。行われるのは、肉体の咀嚼と分解だ。  
 異なる肉体で活動するための構造変換。  
 異なる精神で行動するための精神改造。  
 異なる摂理で起動するための概念改革。  
 
 血液は冷却水と潤滑液、筋肉は機構、皮膚は装甲、脳髄は電脳、心臓は炉心、鼓動は出力となる。  
『狼、』  
 目を見開く。  
 いつの間にか全身が出ている。  
 鋼たる満身には力があり、意が隅々まで行き渡っている。  
『牙……!』  
 最後の一言と同時――合一が完成する。  
 眼前。銀の巨獣と戦うために、だ。  
 
 ●  
 
「おかえりなさいであります」  
 家に帰ると、機械じみた出迎えの声が聞こえてきた。  
 声の方向を見れば、家の裏手、庭側から出てくる影がある。  
 制服に、少し汚れてしまったエプロンを付けた少女だ。  
「……真喜<まき>か」  
 彼女は小脇に洗濯籠を抱えている。  
 風もあるし、天気もいい。洗濯日和ではあるだろう。  
 だが、季節がいけない。手を見れば、赤くなっているのが見えた。  
 まともに電気が使えない今では手洗いするしかないが、そもそも服自体が少ない。洗濯を減らし、シャワーも自粛しているのは、彼女にとっては少し辛いことだろう。  
 元々手作業が好きな性質だったが、正直、真喜がいるおかげで助かっている部分は多い。  
 ……まあ、絶対に言わないが。  
 心中頷いていると、真喜は洗濯籠を置いて近寄ってきていた。  
 目線は全身に向かう。僅かな所作の不自然さでも見逃さない、と、機械じみた正確さで、俺の動きを見ている。  
「陽逢、怪我はなかったでありましょうか」  
「ああ、ない。いつもどおりだ、『イブマ』はいつもどおりに弱かった」  
 そうでありましたか、と頷いて、真喜――春日・真喜、俺の義姉たる彼女は、白髪を翻した。  
 足取りはいつもと変わらない。ゆっくりと家に戻っていく。  
 向かう家は、プレハブ小屋だ。  
 自衛官が言うには、大震災の時にも使われた、由緒正しい仮設住宅なのだと言う。  
 当初は何人もの人がいたのだが、今では俺たちとあと一人、怪しい外人が住んでいるのみだ。  
 と、家に入る直前で彼女が振り返る。流れ出るのは、一方的な通告とも言える台詞だ。  
「ところで陽逢。お昼ご飯ができております。私は陽逢の世話を自身に課したのであります。昨日のように食べないと言うのなら、口の中に押し込んででも嚥下していただくのでありますが、いかがでありましょうか」  
「お前の料理は飽きた」  
 一言で切って捨てて、俺は真喜とは違う家に入る。  
 真喜は機械じみた正確さで料理を作る。  
 失敗することはあるが、それも最初の数度だけだ。  
 一度成功すれば、味は変わらない。そして今、必然的に狭くなったレパートリーでは、飽きるのも仕方ないってものだろう。  
 横目で見た彼女は、無表情で、しかしなによりも胸に刺さる言葉を言ってきた。  
「陽逢。私のご飯を食べたくないのなら、それでいいのであります。しかし、できれば、ご飯は必ず食べて欲しいのであります。そうでなければ、私はまた、『悲しい』と思うのでありましょうから」  
「……っ」  
 鍵を取り出し、鍵穴を壊す勢いで差し込んだ。  
 逃げ出すのか、と、心中で声がする。  
 ああ、と思う。  
 俺は逃げ出すのだ、と。  
 
 ●  
 
 水道も冷蔵庫なんてものも使えないので、基本的に水はペットボトルなりに入れて放置しておくことになる。  
 今は冬なので部屋に放置しておくだけでも冷たいが、夏には酷いことになるかもしれない。  
「井戸が枯れなけりゃいいんだけどな……」  
 ストーブを点火しながらため息を吐き、ふと天井を見上げる。  
 そこには忍者がいた。  
「……………………」  
 水をもう一口含み、ゆっくりと飲み下す。  
 忍者はピンク色だった。足指や手指を使って天井に出たでっぱりを掴んで、天井に張り付いていた。すさまじい身体能力だった。  
 ペットボトルのキャップをしっかりと閉めて、部屋の隅に放る。  
 この部屋の鍵は、真喜も持っている。俺がいない間に真喜が掃除や洗濯をするためのものだが、ついでに整理整頓をされることがある。  
 それが嫌で部屋の掃除は自分できちんとしているのだが、  
「よっ」  
 手を伸ばして、棚の中、大き目のサバ缶を手に取る。  
 整理整頓はやはり大事だなぁ、と頷きながら行うのは、腕の振りかぶりだ。  
 一発叫びを入れながら、全力で投擲する。  
「何をやっていやがるかぁーッ!」  
 ごしゃんとひしゃげるサバ缶。そしてべたりと落ちる怪しいピンク。  
「お、おォう……ジョドー、ちょっと寝ておりました」  
「黙れ変態所長」  
 ピンク忍者は衣装を脱ぎ、白衣を取り出して着込んで、どっこらショー、と座り込んだ。  
 ――如怒・憤母流斗<ジョドー・フンボルト>。自称純正の金髪黒肌日本人。  
 こんなのがこの島にある宇宙センターの現所長で、宇宙船製作やらなにやらのエキスパートだと言うのだから疲れる。  
 ……そう。宇宙船。この男がこの部屋を訪ねるなんて、その用事しか在り得ないだろう。  
「で。今日は何の用なんだ、ジョドー所長。また鋼狼牙の炉心を調べたいのか? それともパーツを?」  
「いえ、その件に関してはもう大丈夫です。今は、日本中から電装品をかき集めて調整を行うだけの段階まで至リました」  
「……ジョドー所長。だったらアンタは、なんでこの部屋に来たんだ」  
「おォう。よくぞ聞いてくれました」  
 ところどころ怪しい日本語が、耳朶を嫌な感じで刺激する。  
 正直出て行って欲しかった。  
「実はですネ、自衛隊の方に追われているのです」  
「何でだ」  
「ちょーっとお尻を撫でたら、殺意交じリに、こう、ケッチョー蹴りが」  
 座る位置をゆっくりと窓際に変えつつ、俺は続きを促す。  
 携帯は使えないので、代わりに無線機をいじくる。  
 コール。そして机の上に置き、送信状態にだけしておく。  
「で? その後、逃げる場所に困ってここに来たのか?」  
「えェ、ニンジャ衣装を揃えていたら、危うく捕まって火刑にされかけましたが」  
「そうか。それは災難だったな、ジョドー所長。ここ、春日・陽逢の家でゆっくり休んでいくといい」  
「ありがとう、ヒァイさん。ところで何故無線機を?」  
「ああ、もうすぐ分かるさ」  
 フム、と首をひねるジョドーから耳へと集中を移す。  
 ……遠くから、バイクやジープの音が聞こえてくる。  
 
「まあ、ここに来た用は、それだけでは――ム、どうしましたか、ヒァイさん」  
 さて、と立ち上がって、俺は笑顔で言い放つ。  
「ジョドー所長。俺、ちょっと出てくるから。すぐには戻らないが、あまり悶えるなよ」  
「悶え……? とりあえず、分かりました」  
 いい笑顔で頷く野郎へ、同じくいい笑顔で頷き、右手親指を上げて言い放つ。  
「グッドラック!」  
「グッドラック!」  
 即座に返ってくるサムズアップサイン。颯爽とそれに背を向けて、上着を羽織り、靴を突っかけ、外に出る。  
 そこには自衛隊の皆様が整列していた。そして、その手前にある後ろ姿は、紛れもなく俺の義姉だった。  
「ご苦労様なのであります皆様。陽逢からの無線により、フンボルト氏の居場所はこの部屋と断定されたのであります」  
 アイ・マムと答える自衛官さんたち。一糸乱れぬ統率が無駄に格好いい。  
 ……状況は、予想のもう少し斜め上にあった。訓示をたれる真喜は、妙にサマになっていた。  
「――以上。展開であります、皆様」  
 プレハブを取り囲む自衛官の皆さん<暇人>。そして突入、遅れて聞こえてくるのは哀れな悲鳴だ。  
「あー……」  
「陽逢。ご飯はまだ余っております」  
「……要らん。お前が食っとけよ、真喜」  
「分かったのであります」  
 家にもいられなくなったので、とりあえず歩き回ることにする。  
 『イブマ』に弱点はいくつかあるが、その一つが、隠密活動ができないことだ。出現時には、金属がねじ切れるような音と、空間を割るモーションを伴う。そして遠方で出現し海から来る場合は、全く話にならない。やつらに、ステルスと言う概念はない。  
 そして、俺は鋼狼牙をどこにいようと呼び出すことができる。この島にさえいれば、どこにいてもほとんど問題はない。  
 しかし、と思う。  
 やつらは何故、こんな馬鹿な攻め手を繰り返すのか、と。  
 これではまるで、あたまの悪いロボットアニメのようだ。  
 ジョドー所長が開発している宇宙船を破壊するために来ているのではないのだろうか。  
 所詮俺と鋼狼牙は単独で、しかし『イブマ』は機械、集中力とも疲れとも無縁の存在。飽和攻撃でも仕掛ければ簡単にこの島は焦土になる。  
 あるいは、別の目的があるのだろうか。  
 鋼狼牙と俺のデータ取りか。それとも、人類破滅の侵略方針が変化でもしたのか。  
 どちらにせよ、このままでいてくれるならそれでいい。  
「俺はただ、ここを守るだけだ」  
 頷いて、足の向くままに歩く。  
 狭い島だ。他に娯楽もない。部屋でゴロゴロしているよりは、ずっと健康的だった。  
 
 
二、『守護者(憂鬱)』  
 
 度重なる『イブマ』の襲撃で寸断された道は多いが、迂回路などいくらでも思いつく。  
 島を海岸沿いに歩きながら、空を見上げた。  
 青く、高い空だ。潮風が強いが、この島で十四年過ごしている。この程度で今更何かを言うこともない。  
「フー……」  
 息を吐くと、僅かに白かった。  
 ――そも。俺と真喜は、この千木島の生まれではない。  
 十四年前、この島に流れ着いた、どんな関係だったのかも分からない幼子だった。  
 色々とあったのだが、結局俺達は春日家の養子となり、姉弟として育ってきた。  
 出自が気になったこともあったが、今ではごく稀に思い出す程度だ。  
 既に俺は春日・陽逢以外の何者でもなく、それ以外であった幼児時代など、記憶の果てにしかないのだから。  
 ……などと。柄にもなく沈んで考えていたら、後ろから雄叫びが聞こえてきた。  
「む」  
 振り返ると、全身タイツに白衣を着込んだ変態がいた。変態は、凄まじい顔で、自転車を漕いでいた。  
 ああ、あの格好は競輪選手が着ているユニフォームの真似か、と、変態ルックに関しては理解する。  
「……………………」  
 周囲を見回し、長くて太めな枝を捜し、拾い上げる。  
「ヒッァーイさ――ン!」  
 突っ込んでくる変態をひょいと避けて、スポークに枝をさっくり差し込む。  
 当然、自転車は大変なことになる。  
 海岸沿いであったことが幸いし、自転車はガードレールを飛び越えて海へと転げ落ちていく。  
「……おっと。幸いじゃない幸いじゃない、災いだった」  
 しかし、コイツを仕留め損ねた自衛隊の皆様からすれば、手間が減ってよかった、と言うところだろう。  
 やっぱり幸いで良かったか、と思い、歩き出す。  
 と、その瞬間、背後から怨嗟交じりの嘆願が来る。  
「ヒアイさ〜ん」  
 当然無視して歩き出す。すると音量が跳ね上がり、嘆願が懇願とでも言うべきモノに変わった。  
「ヒアイさ〜ん! 助けてくださ〜イ! チャリンコ漕いで来たので足が! 足が! 話すコトがあるのです! どうか! どうカァ!」  
「……仕方ないな」  
 流石にマジ死にされては寝覚めも良くない。どうせ死なないだろうが、万が一と言うこともある。  
 手を伸ばし、白衣の首根っこを掴んで引っ張りあげる。野郎の手を掴むのは、なんだか抵抗があった。  
 自転車は、どうやら回収不可能だ。崖下に叩きつけられてひしゃげてしまっている。  
「……で、話って何だよ、ジョドー所長」  
「えェ。実はですね、鋼狼牙には、隠された機能があるようなのです」  
「――へぇ。それは、知らなかったな」  
 軽い驚嘆で、続きを促す。  
 ジョドー所長は白衣の襟元を正しながら続ける。  
「鋼狼牙の構造を調べた際のデータを、余暇時、解析にかけて、昨晩やっと分かったのですが……」  
 白衣を正したジョドー所長は、研究者としての顔になっていた。白衣の下の変態タイツをものともしない格好よさは、その生き様――己の道を貫き通す強い意志から来るものだろうか。  
「鋼狼牙には、もっと上等な電子頭脳が、――いえ、もしかすると、意志すらあった可能性があります」  
「……何を根拠に?」  
「人間で言う脳髄の箇所に、奇妙な空白が。そして、代わりとでも言うように、身体各所に神経塊が発達しています。鋼狼牙は、アナタと合一して生体的な特徴を持ちますが……」  
 ……と。説明を続けようとしたジョドー所長が止まった。  
 
 原因は胸部。白衣にクリップで留められた小型無線機から鳴り響くビーコンによって、だ。  
 何が、と思う間もなく、その理由を理解する。それは、ギリギリ、と空間を渡る不快な音だ。  
 発生地点は、既に破壊されつくした町、その上空。黒く、穴が、開いている。  
 ……どうやら、と思う。やつらは、俺が育ったその場所を、再度穿り返そうとしているらしい、と。  
「……いいだろう」  
 白い息を吐いて、心臓を掴む。  
「――そこは、守るべきだった場所だ」  
 苛立ちがある。  
 詔を起動。機構文が脳髄を駆けていく。  
「故に、憂さ晴らしをさせてもらう」  
「ヒァイさん!」  
「大丈夫です、ジョドー所長。さっさと避難を」  
 深呼吸。  
 心臓は一定のリズムを刻み出す。  
「――我が機構たる鋼を召還する」  
 口をついて出てくる詔。  
 どこかで半身と繋がった脳髄が、半身に、時空を超えろ、と命令を下す。  
「応えろ。想い無く、温もり散らす鋼の機神よ」  
 空間に亀裂が入る。鋼の指先が、それを広げていく。  
 超特急の召還だ。光栄に思うがいい、と。視界にすら写りだす機構文に負けぬほどの強さで思う。  
『「――無想機神。」』  
 空間が一気に砕けた。  
 突き出る上半身に、身体が解体されて吸収される。  
『鋼、』  
 分かたれた身体で撃つための芯鉄化。  
 分かたれた心理で進むための鉄甲化。  
 分かたれた法則で動くための機構化。  
『狼、』  
 意識と身体が一体化。人体には存在しない機構も、最早己の身体として認識できる。   
 最後の一言と同時、合一が完了する。  
 踏み出すのは、討伐の歩みだ。  
『牙……!』  
 進む。  
 
 ●  
 
 ――鋼狼牙は、俺の二十五倍程度、四十五メートルほどの全高を持つ巨大人型兵器だ。  
 鋼色と黒の二色で彩られた姿は、長大な剣を背負う騎士のようなシルエットを持っている。  
 しかし、その武装はシルエットに反する。  
 一つ。両前腕に装備された射出式ヒートアンカー。  
 二つ。背部、左右に設置された二連荷電粒子砲。  
 三つ。同じく背部、腋の下に挟み込むように接続された二連ライフル。  
 四つ。胸部と頭部に組み込まれた機関砲。  
 五つ。自衛隊の装備を流用したミサイル。  
 総じて言えば、鋼狼牙は、遠距離戦用の機体と言える。  
 だが、踏み出す一歩は高速だ。  
 人の身のように、道に縛られることもない。  
 最短経路を、丘を森を道を、鋼の足で駆けて、一気に距離を削っていく。  
『コオオ――――!』  
 息吹。  
 背部、背の中央部にある加速器から、燐火が一瞬散り咲く。  
 
 次の瞬間、鋼狼牙は大きく跳躍している。  
 廃墟となった町の上空には、いまだ穴が開いている。  
 鋼狼牙は右肩に荷電粒子砲を展開。突き出たグリップを握り締め、もう一度息吹を吐き出す。  
『コオッ――!』  
 鋼狼牙の電脳に、機構文が記録される。  
≪右荷電粒子砲・安全装置・装弾機構・解除<アンロック>≫  
 鼓動が跳ね上がり、砲身に力が蓄積されていく。  
 狙うは空間に開く大穴。  
 轟音は、射出と哮声、同時に響くその二つによって構成される。穴の中から、既に流れ落ち形を作ろうとする銀色へと薙ぎ払うような一砲だ。  
 鋼狼牙は加速器で空中に留まらず、自由落下に入る。  
 目線は、砕けた穴と、ぼたぼたと溶け落ちる航空戦艦に向く。  
 『イブマ』とは、その実、ナノマシンの集合体だ。  
 稲妻を受ければ焼損し、衝撃を受ければ破損し、高熱を受ければ融損し、機能を失う。  
 故に、鋼狼牙は剣となることができる。  
 溶け落ちきらぬ航空戦艦に向けて、全ての砲身を展開する。  
≪鋼狼牙・全砲一斉射撃・準備<スタンバイ>――完了<コンプリート>≫  
『コ・オ・ラアアアアアア――――!』  
 容赦も仮借も、一切持ち合わせぬ動きだ。  
 鋼狼牙は無想。  
 ただ純然たる機械として、銀色をブチ抜いた。  
 
 ●  
 
 ……フ、と。  
 機構と同調していた人間としての意識が、ゆっくりと浮上する。  
『……やった、か』  
 瞬殺、と言うべきだろう。  
 全力の砲火だ。航空戦艦は、抵抗する間も与えられず砕かれた。  
 だが、心にはしこりがある。それは、疑念と呼ばれるべきものだ。  
『弱い』  
 敵は毎回、千木島宇宙センターを目指してやってくる。  
 だが、  
『明らかに、本気ではない』  
 展開していた砲を背に戻し、自衛隊の駐屯地に歩んでいく。  
 左右の家は、重機や鋼狼牙によって砕かれ、更地にされている。  
 そこにあった景色を、俺は覚えている。  
 と、沈んでいた意識が別の方向に向いた。  
 原因は、鋼狼牙と同調し拡大した感覚。そこに、一つの異変がある。  
 意識の端にある探知機<レーダー>に感がある。  
 それも、俺自身とほぼ同調する形で、だ。  
『!』  
 身を悶えるようにして飛び退る。  
 意識をそちらに振り分けた瞬間だ。  
「や、お初」  
 と、気の抜けた挨拶が来た。  
 男だ。  
 サイズは人間と同程度。二メートル弱と大柄な方ではあるが、それでも普通の人間の範疇。  
 しかし、その服や肌には破れ目があり、そこからは、銀色の内部が覗けている。  
 
 そして、その顔には、見覚えがあった。  
『貴様――!』  
「や、まあ待てヨ。今回、オレっち戦いに来たんじゃないんだからさ」  
 ――なぜならば。その外側は、俺の父親のものである。  
「や、怒るのは分かるヨ。だけどさ、銀色で不定形だと話しにくいじゃん? だからさ、テキトーに、ふんずけちまった肉体を参考に、ネ?」  
『コ。お、お、お、お――!』  
 吐き出された息吹によって、男は吹き飛ばされる。  
 同時に鋼狼牙が一歩下がれば、既にそこは機関砲の間合いだ。  
「お、マズいマズい」  
 機構へと埋没する直前。俺は、確かに殺意を持つ。  
『……撃ち砕く!』  
 必殺。一発でも当たれば、『イブマ』など紙のように千切れて飛ぶ威力だ。  
 ナノマシンによる多重並列計算による回避運動も、物理的に回避できる限界速度を超えては意味を成さない。  
 しかし弾丸は、ばぎり、と割り開かれた空間に呑まれていく。  
「聞こえてるかな? 聞こえてますネ? オレ、名前を『スリール』と名乗ることにしたんだヨ。概念の再取得って難しかったヨー?」  
 ならば、と、機関砲の狙いをズラし、地を穿つ。破片で傷つけるためだが、構わず『スリール』は話し続ける。  
「まァ聞けヨ! 『スリール』とは『楽』の意! 分かるか? オレ達は、『イブマ』は『感情』を得た! 生身を得るための実験として――オマエらを糧に!」  
 何、と思う間もない。  
 機械の反応速度ですら、それの回避を許した。  
 弾丸が装甲を僅かに削り、虚空へと消えていく。  
「意思! 情動! そして肉体! オレ達にとって――何よりも望んだものさ!」  
 『スリール』は嘯く。現世とは、こんなにも楽しいものだ、と。  
 空間が再度開く。  
 内から光るが如き銀色が、鋼を照らしている。  
「さっき、弱いとか呟いてたヨナ」  
 『スリール』は、その口元を三日月の形に変える。  
「だったら、コイツを倒してみるがいいさ! 特別製の特級品、最新で作った、本気の群体だヨ……!」  
 降ってくる。  
 巨獣だ。  
 だが、その光は強い。  
 星々の光を集めたかのような煌きだ。  
 く、と思う。回避は間に合うか、と。  
 全力加速。  
 身を投げ出すようにして、地を砕きつつも迫撃を回避した。  
 質量差は著しい。  
 そして、距離。近い。鋼狼牙の距離ではない。  
 絶対的な不利だ。  
 着地の衝撃でわずかにカタチを崩した煌く銀獣は、重量を感じさせる動きで起き上がった。  
『オ、オォオオオオオオ……!!!!!』  
 煌く銀獣が、咆哮を鋼狼牙に叩きつける。  
 しかし退かず、全砲展開を開始する。  
 ……先手は与えたが――!  
≪鋼狼牙・全砲一斉射撃・準備<スタンバイ>≫  
 コ、と息吹を吐き出しながら、砲を展開する。  
 
 ――流星。  
「させはしないさ!」  
 『スリール』の叫びを集音機が拾ったのは、単なる偶然だ。  
 右の砲が砕かれた。  
『!?』  
≪右荷電粒子砲・破損・機能・不全――切断<パージ>≫  
 爆裂ボルトで荷電粒子砲が基部から切り離され、――爆発した。  
 衝撃と熱が鋼狼牙を焼く。  
≪荷電粒子砲・基部・破損≫  
 よろめいた鋼狼牙の背で、ばぎり、と金属が砕ける音がした。  
 背面視界には、『スリール』の笑みが大写しになっている。  
「これで熱砲は使えまいヨォ……?」  
 言葉と同時、弾けるように左に飛ばされた。  
 頭部のフレームが歪む。  
 打撃だ。  
≪荷電粒子砲・応急修復・完了まで・五十秒≫  
『――――!』  
 踏みとどまった瞬間、前面視界が煌きに包まれた。  
 迫撃が来ている。  
≪胸部/頭部機関砲・安全装置・装弾機構・解除<アンロック>≫  
 咄嗟に、胸部、頭部の機関砲を叩き込んだ。  
 衝撃で煌く銀獣の構造が砕ける。  
 しかし、そこまでだ。  
 津波のような圧倒的破壊力で、防御した鋼狼牙の左手がひしゃげた。  
 跳ね飛ばされる。  
≪左腕フレーム・破損・応急修復・完了まで・四十五秒≫  
≪胸部機関砲・破損・応急修復・完了まで・八秒≫  
『ッ――――!』  
 空中で、加速器を点火。  
 荷電粒子砲は失ったが、脇下のライフルはまだ動く。  
≪左右旋条砲・安全装置・装弾機構・解除<アンロック>≫  
 故に、左右のそれを連射した。  
 打ち抜く。  
 特殊加工された砲弾は、衝撃を銀獣の全身へと伝播させ、その身体たるナノマシンを砕いていく。  
≪胸部機関砲・応急修復・完了<コンプリート>≫  
 機構文を受け、更なる連射を追加。打ち砕かれ分離した破片が、更に分割され風に散っていく。  
『コォオオオオ――――!』  
 連射。  
 連打。  
 息吹による強制排気。  
 打ち砕く。  
 その全てが塵に還ったころになって、俺は気づく。  
 すでに、『スリール』はいなくなっていた。  
 
 ●  
 
 自衛隊の基地に戻り、俺は鋼狼牙との合一を解いた。  
 再生される身体に震えを抱きながら、俺は地に降り立った。  
 鋼狼牙は、己自身によって再生する。  
 だが、それを期待していては不安すぎるほどに、鋼狼牙は破壊されていた。  
 自己診断によれば、荷電粒子砲完全修復まで五日。各部装甲に二日。左腕に四日。胸部機関砲に二日。そしてその整合に一日。  
 二週間だ。  
 そして、二週間も、あの『スリール』が与えてくれるはずもない。  
 故に、自衛隊側に修理を任せた。  
 ジョドー所長が手を回してくれた結果だ。  
 それでも、完全修復まで四日はかかるという。  
 甘い、と思う。  
 甘すぎて涙が出そうだ、と。  
「……ああ。なるほど」  
 頷き、思う。  
 周囲は、えぐれたりなんだりで散々だ。  
 そして、守りの力たる鋼狼牙もいずれ例外ではなくなる。  
「――俺はもう、この島を守りきることができない」  
 敗北。  
 それは悲しみだ。それは涙だ。それは死だ。  
 この島は、俺の全てだ。  
「帰ろう」  
 どこに。  
 決まっている。  
 真喜のいる場所へだ。  
 
 
三、『癒し手(涙)』  
 
「おかえりなさいであります、陽逢」  
 家の前には、厚着をした真喜が立っていた。  
 いつから待っていたのだろうか。血色の薄い頬は、赤くなってしまっていた。  
「――ああ」  
「ご飯はできておりますが、先にシャワーを浴びるべきかと思うのであります。それも、とびきり暖かいシャワーを」  
 頷いて、仮設住宅横に設置された仮設シャワー室に入る。  
 中の電球をつけようとして気づく。  
 外接されたボイラーは、既に回っていた。  
 優遇されていた。  
 それなのに、と思った次の瞬間には、仮設シャワー室の薄い壁がひしゃげていた。  
 そして拳には痛みがある。  
「……く、」  
 子供らしい。  
 一度負けたからって何だ。  
 一度勝てなかったからって何だ。  
 それだけで絶望しようというのか。  
 甘えている。  
 甘えている。  
 こんなだから、負ける。勝てない。  
「……そ……!」  
 服を破る勢いで脱ぎ捨て、シャワーを浴びた。  
 熱く流れる湯の中、上を向いて、必死で涙をこらえた。  
 涙を流しては、本当に守れなくなる、と思った。  
 強く、強く、何よりも強く。  
 この島を、誰かを、守るための力が欲しかった。  
「畜生ッ……! 畜生ぉおおおっ……!」  
 真喜に、この叫びは聞こえているだろうか。  
 そんなことを思うと、叫びが止まった。  
 代わりに来たのは、下唇の痛みだ。  
「ぐっ、うっ、ふ、ぅううううううううッ……!!!」  
 泣かない。  
 泣かない。  
 絶対に泣かない。  
 俺の名が故に、泣かない。  
 負けただなんて、絶対に認められない。  
 勝ちたい、と、切に願う。  
 あの『スリール』に。  
 『イブマ』に。  
 そして、この弱い俺自身に。  
 
 ●  
 
「……メシって、朝と昼に作ったものじゃないよな、これ」  
「陽逢。朝と昼に作ったものを暖めなおして食べるのも、悪くないものであります。特にこちら、おでんは味が染みているのであります」  
「おでんってほどのタネもないぞ、これ」  
「おでんと言ったらおでんなのであります」  
「……そっか」  
 顔を伏せて、自称おでんと、レトルトのご飯を噛み、そして飲み下していく。  
 合わせる顔がなかった。  
 散々偉そうなことを言った覚えもある。  
 思えば、なんて傲慢だったのか。  
 俺は手加減されていた。  
 手のひらの上で、笑っていた。  
 これからは、そんな風にはなってくれない。  
 負けられないのに、相手は強い。  
「……陽逢。どうしたのでありますか」  
「……なんでもない」  
「聞きたいのであります、陽逢」  
「だから、なんでもねぇって」  
「なら私の目を見て言っていただきたいのであります、陽逢」  
「っ……」  
「陽逢」  
 心が燃えない。  
 逆恨み、八つ当たりの炎すら燃えない。  
 鋼のように堅かった決意すら、今の俺には残されていない。  
「……陽逢」  
 真喜が、わずかに声の調子を落とした。  
「……すまない」  
 言って、俺は食事を再開、……そして、ペースを早めていく。  
 食べなければ、これから先は辛くなるし、それに、……食べなければ、真喜と、顔をあわせ続けなければならない。  
 辛かった。  
 怖かった。  
 重かった。  
 嫌だった。  
 だから、逃げようとした。  
 逃げるために逃げようとした。  
 だが、真喜は、俺を逃がしてなんてくれなかった。  
 陽逢、と。無言で呼ぶ目線がある。  
 その視線に縛られていた。  
「……陽逢。私は、あなたが無事であれば、それでいいのであります」  
 ふと、真喜がそんなことを言った。  
「鋼狼牙なら、どこへなりとでも行けるでありましょう。この島さえ捨てれば、あなたは自由なのであります」  
「……ま、」  
「私たちは、……いえ、私は、あなたを縛る枷なんかではないのであります」  
 
 ごくん、と、おでん最後のタネを飲み下す。  
 目は、ただ、真喜の口元を見ている。  
「……陽逢。もう、あなたは、頑張らなくてもいいのであります」  
 ――その一言で、身の内にあった霧が晴れた。  
 その向こうにあったのは、ただ、鋼のように鋭い決意だ。  
「――何を言ってやがるッ!!!」  
 叫んだ。  
 腰が上がり、真喜に詰め寄っていた。  
「真喜! 俺が、おまえを見捨てると、本気で思ってんのか!? 違うだろ!? 違うって言えよ! 真喜、俺は、おれは、そんなに、」  
 ぐ、と、真喜を抱き寄せた。  
 温かみが、腕の中に来る。  
「そんなに、頼りなかったのかよ……」  
 そのままきつく抱きとめた。  
 ん、と、腕の中で真喜が体をよじる。  
 痛いのか、と思った。  
 だが、緩めて、彼女がどこかに行くのが、怖かった。  
「……真喜。俺は、どこにも行かないからな」  
「…………陽逢」  
 ゆっくりと、背に手が回った。  
 真喜は、夢見るように、言葉を放つ。  
「……はい。私も、どこにも行かないのであります」  
 ここから、と。そう言って、あやすように、背を叩いてきた。  
 く、と、力が抜けた。  
 情けないことに。  
 俺はそんなしぐさひとつで、心をほぐされてしまっていた。  
「真喜……!」  
 ひ、と涙が出た。  
 頬を、耳を摺り寄せるように、真喜を強く抱きとめる。  
 やわらかかった。  
 あたたかかった。  
 守りたいと思った。  
 けれど、守りきれないと諦めそうになってしまった。  
 俺は、こんなにも弱かった。  
「……陽逢」  
 真喜の手は、まだ俺の背を叩いている。  
 安心した。  
 不安が消し飛んだ。  
 だが、後から後から、怖さはやってくる。  
「嫌なんだ、嫌なんだよ、真喜、俺は、おまえを、島を、守りたいんだ……!」  
 真喜は何も言わない。  
「父さんも、母さんも、守りたかったんだ、でも守れなかったんだ、家だって壊れたし学校だってそうだ、俺は、いつかおまえもこぼす、守れないまま、終わっちまうんだよ……!」  
 ただ、俺の言葉を聞いている。  
 が、ふと気づく。  
 真喜の体が、薄いことに。  
「っ、……す、すま、ん」  
 肩をつかんで、ぐ、と引き離した。  
 
 目をそらしながら、俺はごまかしの一語を言う。  
「痛かった、だろ。悪い」  
 そこまで言って、俺は肩から手を離す。  
「弱音吐いてすまなかった、明日から、また、島を守り続けるから――」  
 と。  
 そう言ってきびすを返した俺の手を、真喜が握った。  
「あ、」  
 振り返った先、真喜は、感情の薄い目を揺らがせていた。  
 どうして手を握ってしまったのか、と。そう思っているかのような、瞳だった。  
「――――」  
 ふと、思った。  
 真喜の唇。  
 不安げに、何か言葉を生もうとして、しかし生まれず、半開きになった唇。  
 それが、妙に蟲惑的だった。  
 気づけば、手を引き、真喜を抱き寄せ、口付けていた。  
「んっ……!?」  
 驚いて開いた口に、舌を進入させる。  
 握られていない手を背に回す。  
 握られた手を深く絡める。  
 抱き寄せた。  
 半開きになった歯の間を、舌が抜けていく。  
 背に回した手を、脇に差し込むように上げて、後頭部を寄せた。  
 深く行く。  
 逃げるように萎縮した舌を絡める。  
 舌の表面をこそぐように舐めまわした。  
 舌の裏を味わうように舐めまわした。  
 逃がさない。  
 逃げようとする頭を抑え、引っ込もうとする舌を捕らえた。  
 唇の暖かさと、その向こうにある歯の硬さを楽しむ。  
 口端から吐息が漏れた。  
 くすぐったい。  
「ふぁ、ぁ、」  
 驚きに見開かれていた真喜のまぶたが落ちた。  
 俺も、それにならう。  
 音が濃くなる。  
 水音がした。  
 真喜が、ためらいがちに、俺の背に手を回してきた。  
 手が、強く握られた。  
 俺も、握り返す。  
 小さな手だ。  
 頼りないとも言えるほど、たおやかな指。  
 肉つきの薄い手のひら。  
 それでもやわらかいと感じるのは、その骨が細いからか。  
 それでもあたたかいと感じるのは、その心も暖かいからか。   
 足元に、隙間風の寒さが来た。  
 それが嫌で、俺はさらに口付けに集中する。  
 歯をなぞる。  
 その昔、歯医者が嫌だと涙目で言い張って、結局銀歯になった奥歯を。  
 それ以来、歯磨きに時間をかけるようになって、健康を保たれた歯を。  
 笑みを見せても見えぬ歯を。  
 
 大声もあげず、口を大きく開くこともなく、中々見えぬ歯を。  
 歯茎をなぞり、頬を舐めまわし、歯列を磨くように愛撫した。  
 真喜が、わずかに首を振った。  
 背に回された手が、軽い握りこぶしになって、どん、と背を殴ってきた。  
 それでも逃がさない。  
 舌を吸い出す。  
 甘く噛んでそれを逃がさぬようにし、舌を責めた。  
 ふと、おでんの味がした。おろしわさびの刺激が、それに乗る。  
「ん」  
 真喜の吐息が荒い。  
 背に回された手は、服をつかんで引っ張っている。  
 それでもなお逃さない。  
 舌を吸い、引き寄せ、のしかかるようにキスを続けていく。  
 ……ふと、目を開く。  
 真喜は眉根を寄せた必死な顔。  
 窓から見える月が、大きく動いていた。  
 光陰のように、時は早く過ぎ去る。  
 それでもなお、まだまだ、逃さない。  
 真喜の舌が動いた。  
 反撃だった。  
 甘噛みの歯から抜け出すと、舌を絡め、歯をなぞってくる。  
 だが、ためらいがちの動きだった。  
 口端に笑みを作りつつも、俺はそれに応える。  
 舌をつつき、舌横を押して舌裏をなぞった。  
 おでんの味など、既に分からない。  
 ねぶる。  
 しゃぶる。  
 犯す。  
「ん、ふっ、ふぅ、ぅ……!」  
 真喜の背は折れそうなほど俺に押されていて、手は俺の背を肉ごと握っている。  
 痛いが、気にもならなかった。  
 心地よかった。  
 真喜が、目を開く。  
 潤んでいる。  
 顔も紅潮している。  
 それでもなお、まだまだ、絶対、逃さない。  
 唾液を吸い上げ、真喜自身の舌と絡めてから飲み込んだ。  
 甘い、と思う。  
 じる、とみだらな水音がした。  
 ひ、と、真喜が再度目を閉じた。  
 首を振られる。  
 少し力を入れて、その首を固定した。  
 再度、真喜の口に進入する。  
 口蓋を、俺の色に塗り替えるよう舐めまわした。  
 前歯裏の硬さを楽しみ、奥の柔らかさを堪能する。  
 ……ふと気づく。  
 真喜の顔が、顔色が、少し、危ない。  
 仕方なく唇を離すと、真喜は涙目で、大きく息を吸った。  
 荒い。  
 ひどく、息が乱れている。  
 
 気づけば、俺も息が切れていた。  
「ひ、ぁ、い……」  
 握る手が強くなる。  
 真喜の背は、ほとんど俺に支えられていた。  
 足にどれだけの力が入っているのか。  
 腰が抜けているんじゃないだろうか、と思いながら、手を首裏から腰へと移動させる。  
「真喜」  
 そう言えば、と、気づいたことがある。  
 ファーストキスではないよな、と。  
 小さなころ、確か、真喜とキスをした。  
 子供の遊びのような、触れるだけのキスを。  
 故に、そうした。  
 唇が触れるたび、真喜はびくりと身を硬くした。  
 あれだけやれば当然か、と視線をやった時計は、二十分ほど時を進めていた。  
 おおう、と思いつつも、キスの連打は止めない。  
 震えるまぶたを、そしてそこから零れ落ちそうになる涙を吸った。  
 頬にも、額にも、鼻頭にも、キスをした。  
 そして、唇に、何度も、キスをした。  
「ひあい、ひあい……!」  
 名を呼ばれたので、俺も、名を呼び返した。  
 真喜、と。  
 熱を持って、強く。  
 真喜の膝が、とうとう落ちた。  
 俺も、それに引かれ倒れる。  
 ごどん、と、ひどく鈍い音が、俺の肘で発生した。  
「ぬああ……!!」  
「だ、大丈夫でありますか、陽逢!?」  
「大丈夫だ、問題ない……!」  
 涙目だった。  
 超痛かった。  
 男の子でも、これは泣いていいと思った。  
 強く握ってしまっていた手を、意識して緩める。  
 背と床に挟まれた手をずらし、落ち着く位置に置いた。  
 口を開き、……謝罪を口にする。  
「その、……すまない」  
「……陽逢」  
「つ、つい、だな」  
「私とのキスは、つい、で済まされるものなのでありますか。……遊びだったのでありますね?」  
「断じて違うぞ」  
「ならば、つい、などと言わないでほしいのであります」  
 う、と唇をへの字に曲げた。  
 顔を落とし、額を冷たい床に落とした。  
 耳が触れ合う。  
「……なあ。真喜」  
「なんでありますか」  
「俺たちさ、家族に、ならないか」  
「家族、でありますか」  
 既に、家族としてやってきた。  
 戸籍上、真喜は姉だ。  
 ただ一緒にこの島に流れてきて、親父とお袋に拾われた。  
 
 それだけの仲で、これまでやってきた。  
 それでは、もう、嫌だった。  
 新たなかたちに、なりたかった。  
「家族の定義は、私には出来ないのであります。故に、私は、家族になる、ということを判別することは不可能。ならば、家族になるのは、不可能――そう判断するのであります」  
 硬い声が来た。  
 拒絶、とも言える声音が。  
 だが、言葉は続く。  
「――しかし、私はこうも思うのであります」  
 来た言葉は、どこか暖かなそれだった。  
「お父さんも、お母さんも、いなくなってしまったけれど……今この場は、きっと、暖かい、と」  
 ふと、涙がこぼれた。  
 先ほどの、激しい涙ではなく、ただ、こぼれただけ、と言うような涙が。  
「そう……だな。暖かいな、真喜」  
 だったら、これは家族でいい。  
 手をもう一度、深く絡めなおした。  
 肩にあごをうずめるように、胸に真喜を沈めるように、深く抱いた。  
「俺は、一生、この暖かさを続けたい」  
「ええ、私も、そう思うのであります」  
 ……言ってから気づく。  
 プロポーズじみた言葉だった。  
「む」  
「どうしたのでありますか、陽逢.?」  
 返答に困ったのでもう一度キスをした。  
 口をふさぐだけのキスだ。  
「ん、」  
 真喜は一瞬不満そうな顔をしたが、しぶしぶと目を閉じた。  
 そうして、口の中に言葉を伝えてくる。  
 卑怯であります、と。  
 笑みの気配を含みながら。  
「……む」  
 よく回る舌を吸った。  
 ずる、と吸い上げ、床に背を付け逃げられない真喜を攻め立てる。  
 手を解き、白髪をかき分け、その両耳をふさいだ。  
 真喜の吐息が、急速に興奮したそれへと変わっていく。  
 真喜が薄く目を開き、同じように、俺の耳をふさいできた。  
 淫らな水音が、頭蓋内を反射し止まらない。  
「真喜、」  
 唇を離し、俺は言う。  
「いい、か、」  
 獣のようだ、と自分でも思う。  
 だが止まらない。  
 いいか、と問うたのは、きっと最後の一線だった。  
 しかし真喜は、その阻止限界点をあっさりと超える。  
「そ、その。今日は、下着が――」  
 ガバ――!  
「う、うひゃぁ――!」  
 擬音で表現した。  
 たくし上げた制服のすそからのぞくのは、飾り気のない水色の下着だ。  
 
 眼福。  
 思いつつ、慌てる真喜の手を捕らえた。  
 下着を気にする、つまり見せることを考えた、そして嫌よ嫌よも好きのうち。つまりオーケーだ。  
「せ、せめて電気を消してほしいのでありますが、というか布団、いや私もシャワーを、ああ、だから、陽逢――!」  
「……よし」  
 じゃあそうするか、と俺は頷いた。  
 んむ、と真喜が一瞬硬直した隙を突いて、俺は真喜の腰を抱えて立ち上がる。  
「む、うわ、わぁ、ひ、陽逢ぃ――!」  
「おまえ今日よく叫ぶなぁ」  
「誰のせいでありますかぁ――!」  
「叫ぶのはおまえの勝手だからおまえのせいだな」  
 よし論破。  
 頷き、揚々と俺は外のシャワー室へと向かう。  
 シャワー室内ならば、電気はつけなければ消えたままだし立ったままなら布団は要らないし何よりシャワー室なのでシャワーがある。  
 パーフェクトだ俺。  
「なにを感謝の極みとかそんな恍惚の表情を浮かべているのでありますか、この馬鹿陽逢――!」  
 真喜は暴れ、俺の足を止めようとしたり、腹に肘打ちをカマしたりするが、一切問題はない。  
 彼女は軽い。自衛隊の皆様に鍛え上げられた俺にとっては、大した問題にもならないのであった。  
 と、その抵抗が止まった。  
 呟くような声が、耳に届く。  
「ちゃんと、陽逢、その、ちゃんと――」  
 真喜の足が地面に着き、ずり上がっていた制服のすそが落ちる。  
 向かい合った。  
「ちゃんと、私は、陽逢と家族になるので、――だから、待っていて欲しいのであります」  
 鼻血が出そうになった。  
 先ほどから正直興奮で血管が何本か切れていそうだった。  
 ああそうか。千切れるって千に切れると書くのか。体内で血管が千本に分割されていてもおかしくない興奮具合。正直、青姦バッチコイ。  
 だが、ステイ、と願われた。  
 なら、待っていないと、ただの犬だ。  
 それに、今ヤると、真喜を気遣う余裕がない。  
 故に耐えた。とても耐えた。  
「……その。なるべく、急ぐので、どうか、少しだけ、待っていてほしいのであります」  
 真喜がそう言って家に靴下で走っていったのも、色々道具を持ってシャワー室に入ったのも、目に入らないくらいに。  
 
 ●  
 
 そうして、十分経った。  
 天には星と月がある。  
「あー……」  
 夜風で、少しだけ冷静になった。  
 そして先ほどのことを思い起こせば、まさに、  
「やっちまったぁー……」  
 なんだか弱みを見せて引き込んだというか勢いに任せて呑みこもうとしていると言うか。  
 まあどちらにしろ、言ってしまったものはもう取り戻せない。  
 決意を新たに島を守り通す所存である、まる。ヤった後でだが。  
 そこまで考えて、ため息を吐いた。  
 
「ってほど、簡単でもないんだよな……」  
 正直なところ、『スリール』は強い。  
 勝てないかも――知れない。  
「畜生……」  
 俺は、失うことを恐れている。  
 それを、はっきりと自覚してしまった。  
 参ったなぁ、と思っていたら、場違いにベルの音がした。  
 振り向けば、ママチャリに乗ったジョドー所長が笑んでいた。  
「ハロー少年。おゲレツですか?」  
「死ね」  
 テンプルにハイキック。自転車で身長が下がっていたのでやりやすかった。鍛えてくれた自衛官のお方、ありがとう。  
 しかし二秒で復活してきたジョドー所長は、笑みを消しながら、ママチャリの荷台に近づき、書類を取り出した。  
「昼にした話を覚えていますか?」  
「……ああ、それが?」  
「これは、鋼狼牙の解析結果、そして、ヒァイさんと、マキさんの診断結果です」  
「…………ああ。それが?」  
「この解析結果が正しければ、あの『スリール』とやらを打倒できる、……と試算が出ました」  
「そりゃ凄い」  
「……ヒァイさん。君は、鋼狼牙と合一する」  
「するな」  
「なら、コレを知らなかったはずはない」  
「……そんなことはないぜ。ジョドー所長は、いちいち内臓の動きを実感できるのか?」  
「鋼狼牙ならばできます」  
 断言された。  
 これは、ごまかしも効かないか。  
「……ああそうだよ。知ってたさ」  
 ふ、と息を吐く。  
「ちょっとだけ、昔話をしてやるよ、ジョドー所長」  
 夜風で、体が、少し冷えた。  
「ある一家と、その友人一家がいたんだ」  
「彼らは仲が良くて、この島のあたりで、個人所有の船に、乗ってたんだ」  
「夫、妻、そしてまだ小さい子供。それが二セットさ。わりと裕福で、しかも余裕があった。夢みたいな幸せ一家だったよ」  
「そこにな、『イブマ』ではない『イブマ』……ああ、俺たちを襲ってる『イブマ』ってのは、あのナノマシンじゃなくて、アレを操ってる精神体なんだ。そして、それから逃れてきた一群が、俺たちの乗った船を巻き込んで海に落ちたんだ」  
「当然、二つの家族は、全滅。父母は粉々になって、庇われた子供の片方は頭以外を、そしてもう片方は頭を砕かれた」  
「『イブマ』は焦ったのさ。彼らは、せめてこの二つの命だけでも、救おうとした」  
「そして、偶然その海底にいた、己たちの同属らしき、けれどこの星の住人である鋼の巨人に、助けを求めた」  
「……そして、彼らの血肉は、その父母たちのものを読み込んで再現された」  
「けれど、片方の子供、女の子の脳だけは、どうしても再生できなかった。そして鋼の巨人は、代わりに、自分の核を、女の子に埋め込んだんだ」  
 ジョドー所長は、長話にも拘らず無表情。  
 話した甲斐がなかったかな、と思いながらも、俺は言葉を続けていく。  
「……まあ、昔話って言ったら、こういう形式だよな。一度やってみたかったんだけどさ、話しにくい。戻す」  
 
「片方、体を砕かれたのが俺。そして、頭を砕かれたのが、真喜さ」  
「そして一年、隕石に巻き込まれた一家の悲劇の記憶も薄れたころ、俺たちはこの島に流れ着いた。……鋼狼牙の助けでな」  
「鋼狼牙を空間超越して呼べるのは、そのとき『イブマ』たちを使って、鋼狼牙が再生したから。使えるようになるまで十三年ほどかかったけどな」  
 さて、と思う。  
 大体話し終えたな、と。  
「……他に聞きたいことはあるか、ジョドー所長」  
「いえ。……私が言えるのは、もしも真喜さんの脳に埋め込まれた核を取り戻せば、鋼狼牙は完全になり、真喜さんは意思を失う、ということだけです」  
 そして、あなたがそれを行う気がないことも、と。  
 ジョドー所長は、そう言って口をつぐんだ。  
「ああ、それが分かってるなら言わなくていい」  
 真喜を救うために真喜を犠牲にするなんてのは矛盾している。  
 だから、世界を救う、なんて大それたことは言えない。  
 けれど、なんとか、この島は、守りたい。  
 もう、ぼろぼろになってしまったけれど。  
 それでも、俺が育った地だ。  
 もう記憶の彼方にしかない親父たちの記憶よりも確かな強さで、俺の骨子になっている地だ。  
 だから、と、俺ははっきりと言葉にする。  
「俺は、真喜の中にある鋼狼牙の核を、取り戻す事はしない。絶対に、だ」  
「……そうですか」  
 所長は、無表情を一瞬憤怒のそれに変え、そして、問うてきた。  
「これを、真喜さんは?」  
「知らんよ。そもそも、あいつの脳はまっさらにされたんだ。俺の記憶も、鋼狼牙に記憶されてたのを読んだだけだからな」  
「……いェ。知らなかった、と表現するべきでしょうね」  
「……なに?」  
 ジョドー所長の顔が、に、といやらしい形になる。  
 そして、左手が上がった。  
 その指先は、俺の後方、シャワー室を指している。  
「――まさか、てめぇっ、」  
 叫びつつも振り返る。  
 真喜がいた。  
 シャンプーやリンスが握られたその手指には、真っ白になるくらいの力が込められていた。  
 そして、その姿は、パジャマ。  
 汚れたら嫌だから、と。  
 この仮設住宅に移ってきてからの生活で、一度も着ようとしなかったそれを、彼女が着ていた。  
 そして真喜は、走り出す。  
「ジョ、ドォオオオオオオオッ!!」  
 まず鳩尾につま先をめり込ませた。  
 落ちた頭部に、本気のハイキックを入れる。  
 ジョドーが地面に叩きつけられたのを見て、わずかに冷静さを取り戻す。  
 足は、俺の方が速い。  
 どこに行くかも読めるし、何よりまだ見失っていない。  
 追う。  
「待て、真喜ッ!!」  
 叫んだ背後で、ジョドーが呻く声が、聞こえた。  
 
 同時、ひどく耳に障る電子音も。  
 
――ぎじりぎりぎりがりがり。  
 
 北の空で、金属を千切る音が聞こえた。  
 同時、流星のように、眼前へと何かが落ちてくる。  
「く、」  
 流星、と己の表現で予感が来た。  
 故に叫ぶ。  
「――『スリール』!!!」  
「やァこんばんは、鋼狼牙の操者!」  
 けたけたけたげげげげげ。  
 首を三百六十度回転させながら、『スリール』は笑う。  
「来ないと思った? 今日はもう来ないと思ったのか? 甘い、甘い甘いゲロ甘バリ甘サッカリン甘!  
 げげげげげげげげ! 本気だと言ったろう! これからおまえに寝る時間はない、飯を食う時間はない、トイレに行く時間もないし鋼狼牙を修理する時間もない!  
 ぐげげげががぎゃがぎががげげげげげ!」  
「――うるせぇ!」  
 その頭部に、怪鳥蹴りをカマした。  
 おまえは邪魔だ、  
「俺と真喜の間に立ってんじゃねぇ、この野郎ァ――!」  
 スリールの体は、抵抗なく吹っ飛んだ。  
 頭の回転が全天周になり地まで削りだすが気にせず踏み砕き、立ち止まる真喜へと走る。  
 親父の顔をしていようが、中身は違う。  
 むしろ怒りを増幅させるだけだった。  
「真喜! いいか、そこで待ってろ! 今すぐ行く!」  
 宣言をしたので、その通りに走る。  
 一歩目から全力。二歩目は全開。三歩目で全速。  
 最後の二歩は、俺と真喜が同時に踏んだ。  
 捕まえる。  
 北の空の銀色も見えない。  
 今はただ、真喜だけを見る。  
「無視するなよぉおおお!」  
 が、うるさい子虫は叩き潰さないといけない。  
「――鋼狼牙!」  
 部分召還。  
 空間を割って、腕が『スリール』を撒き散らす。  
 静かになったところで、真喜が口を開いた。  
「そ、その、……陽逢。何故、私を、……その、使わない、ので、ありますか」  
 来ると思っていた質問で、答えが用意してあっても、いざ答えるとなると照れる。  
 これは、そんな質問だった。  
「あんまり根掘り葉掘り聞くなよ」  
 口端に笑みが浮かぶのが分かる。  
 が、今答えなくて、いつ答えるというのか。  
 故に、言う。  
「……わがままかもしれないが。お前にはさ、家で、笑ってる方が似合ってるし、それに、」  
 部分召還した鋼狼牙の腕を、異相空間へと戻す。  
「あんなヤツ。俺一人で――いや」  
 ふと、感じた。  
 鋼、すなわち無想であるはずの鋼狼牙から来る鼓動を。  
 そう、それは俺と同調した鼓動。  
 
 強く激しい、感情の鼓動。  
 俺と同じ。ならば、鋼狼牙は、俺と無関係ではない。  
 だから、言い直した。  
「――俺と、俺の半身だけで、十分だ」  
「……そうで、ありますか」  
 言って、真喜は俺の腕の内から出た。  
 その顔には、笑みがある。  
「ならば、いってらっしゃいなのであります、陽逢。私は、腕によりをかけて料理をしておくのであります。実はこの前、自衛隊の方々に、色々と食料品を分けていただいたのであります」  
「それは、楽しみだ――」  
 向き直り、ゆっくりと息をする。  
 真喜が走り去っていく気配がして、ジョドー所長が逃げて行く姿が見えた。  
 心拍が、どんどん熱く跳ね上がっていく。  
 それを右手で感じながら、声を張り上げた。  
 
「――我が半身たる鋼を召還する!」  
 
 駆け巡る機構文は、眠れる機神を呼び覚ます。  
 鼓動が空間を揺らす。歪ませ、割れ砕いていく。  
 
「迷いなく――想い揺るがぬ我に応じよ機神!」  
 
 手始めは、空間を割る指先。そして、一気にそれは顕現する。  
 開いた胸部装甲へと、身体が引き込まれる。  
 分解――同化――合一。その全ては一瞬だ。  
 春日・陽逢という在り方は、半身と一体化し、特化していく。  
 
「『――無想機神――』」  
 
 新たな五体で守護するための神威探求。  
 新たな意志で貫徹するための真実究明。  
 新たな理法で始動するための原理解明。  
 血液は全身を巡る擬似体液に。筋肉は全身を動かす人造筋肉に。皮膚は全身を覆う外装鎧殻に。脳髄は全身を司る電子頭脳に。心臓は全身を震わす神造炉心となり、鼓動が全身を射抜く力となる。  
 開眼する。  
 ――絶対無敵、唯一無二の神格機人。  
 謳えその名を、人類の守護機神たるその名を。  
 そう、その名も――  
 
 
 
『――――鋼・狼・牙――――!』  
 
 
四、『守護者(真喜)』  
 
 ――顕現。  
 すぐさま機体チェックが入る。  
 半身の傷は深い。  
 背部の荷電粒子砲は使用不可能。  
 全身の装甲も、周囲にあったパーツを召還途中で取り込んだだけの間に合わせだ。  
 だが、負ける気はしない。  
『コ』  
 起動直後の熱を逃がすため、息吹を一つ。  
 ォ、とそれを伸ばし吐いて、俺と半身は砕けた『スリール』を見下ろす。  
「……やれやれ。酷いことをするねぇ」  
 千切れた頭部が、そんなことを言った。  
『おまえに手加減はしない』  
 言い放って、大地ごと『スリール』を蹴り飛ばした。  
 真喜は既に安全圏。ジョドー所長は知らん。  
 打ち上げた『スリール』を、頭部と胸部の機関砲で消し飛ばす。  
 だが、半身は、違う、と言っている。  
『分かっているさ』  
 まず俺の怪鳥蹴りで蹴り飛ばせたのがおかしい。  
 おそらく、『イブマ』の中でも、感情を理解できるのは一握りの個体だけなのだろう。  
 あれは、感情を移されただけのデッドコピーだ。  
 北の空からは、まだ銀が滴り落ちている。  
≪警告<アラート>:規模・過去・最大≫  
 ああ、なるほど本気だ。  
 だが、負けはしない。  
 負けられない理由がある。  
 故に、一歩を踏み出した。  
 一歩目の加速。二歩目で高速。三歩目には飛行機雲を引く。  
 ああそうだ、絶対ブチ殺す。  
 人の恋路を邪魔する馬鹿は地獄に落ちる。イッツ世界の真理。  
 故に勝てる。絶対に勝てる。超勝てる。  
 勝って、  
『勝って、俺は、真喜と家族になりに行く……!』  
 ……背後。恥ずかしいことを叫ばないでいただきたいのであります、と、真喜の声が聞こえた気がした。  
 
 ●  
 
 乾いた大地が鳴動している。  
 千木島宇宙センター、門扉前に到達し、俺は敵を見据えている。  
 既に周囲は破壊されているし、人はいない。気兼ねする必要は一切なく、故に戦闘においての不純物はない。  
 視線の先には銀の四足巨獣。  
 全高にして三十五メートル。全長は八十メートルを超えているか。  
 この地上、いかなる生物とも異なり、しかしその特徴を随所に見せるそれは、どこか幻想上の獣を思い起こさせる。  
 が、と、それは吼え猛る。意志を砕きに、その足を前へと進めながら、だ。  
『黙れ』  
 怯まず、退かず、煌く銀の巨獣へと告げた。  
 炉心にわずかな不調。  
 
 左腕も、正確な狙いを付けられるほどの修復度ではない。  
 と、煌く銀の巨獣の額に人の体が沸いた。  
 『スリール』だ。  
「さぁ、絶望しろよ人の子! 負けて死ね!」  
『もう一度言う。黙れ』  
 火力が少々足りないので、まずは左前足を狙う。  
≪鋼狼牙・全砲一斉射撃・準備<スタンバイ>――完了<コンプリート>≫  
『コォオオ――――!』  
 ついで右前足、そしてバランスを崩した銀巨獣に両腕のヒートアンカーを打ち込み、  
『コォオオ、』  
≪鋼狼牙・出力・最大<マキシマム>≫  
『オオオオオオオオオラァアアアアアアアアア――――!!!』  
 投げた。  
 浮く。  
『いいか』  
 宙を行く銀巨獣に、『スリール』に告げる。  
『おまえなんかに、俺は絶望しない。――おまえ、ちっとも『楽』しそうじゃねぇしな』  
 だからいいか、と、前置きした。  
 絶望するのは。  
 絶望しているのは。  
『雰囲気的に、もう今日は真喜とヤれねぇってことだ――!』  
 撃つ。  
 とても撃つ。  
 どかどか撃つ。  
 バリバリ撃つ。  
 ドバドバ撃つ。  
 オラオラ撃つ。  
 超撃つ。  
 めっちゃ撃つ。  
 非常に撃つ。  
 落ちてこないくらい撃つ。  
 砕けても撃つ。  
 こぼれても撃つ。  
 手数が足りなくても撃つ。  
 後方の援護射撃に感謝しつつ撃つ。  
 弾切れになっても撃つ。  
 弾を作りながら撃つ。  
 弾を転移させながら撃つ。  
 熱を持っても撃つ。  
 息吹が追いつかないくらい撃つ。  
 過熱しても撃つ。  
 気合で撃つ。  
 とにかく撃つ。  
 何が何でも撃つ。  
 消し飛ばす勢いで撃つ。  
 消し飛びきるまで撃つ。  
 消し飛んでも撃つ。  
 それでも撃つ。  
 断末魔をあげても撃つ。  
 撃ち、そして、砕く……!  
 
『コ、ォ、オ、ア…………!!!』  
 全砲を格納し、そして息吹。  
 同時、じゃ、と、砕かれたナノマシンが鋼狼牙に降り注いだ。  
 ヒートアンカーが支えを失い戻ってくる。  
≪全砲・過熱・冷却・完了まで・六十秒≫  
 長く続いた呼気を止め、俺は周囲を見回した。  
 息吹は後半、俺のため息と合一していた。  
 スカッとしない。  
 それに、撃ちすぎたものだから、フレームにもガタが来ている。  
 流れ弾を食ったヒートアンカーも、修復しなければならないだろう。  
 怒りパワー万歳。合一した半身は、俺の怒りに応えてくれた。  
 ありがとう、――と。  
≪警告<アラート>:侵入――≫  
 ぎち、と、体が引き絞られる感触があった。  
『が』  
 何だ、と思う。  
 半身から、答えが来た。  
≪てててて――き・個体・に・よよるるるるるる・しんにゅうにゅう・きんけけ:危険:きんけ・け・け・けけけけけけけけけけ――!≫  
 ぞ、と、内側に入ってくるものがある。  
 楽しさが。  
 スナッフビデオを見て喜ぶ豚のような楽しさが。  
≪ハロー・侵入・こんにちは・邦訳・これは・危険・『スリール』・脱出・の提供で・推奨・お送り・強制・して・脱出・おります・不可≫  
『――ぎ』  
 脳髄が引っ掻き回される。  
 心臓が沈む。  
 擬似体液の流通が停止する。  
≪ははは・おまえ・こうなる・ことも・予測・して・いなかった・のか≫  
≪俺と・この・機体は・相性が・いい≫  
≪ほら・もう・おまえは・なにも・考え・られない≫  
≪俺は・おまえと・合一・した≫  
≪おまえと・合一・して・感情・全てを・手に・入れる≫  
≪さぁ・全てを・見せろよ・春日・陽逢・と・鋼狼牙≫  
≪そして・絶望・しろ≫  
≪全てを・失え≫  
≪ははは・ははは・ははは≫  
 
 ●  
 
 ――沈んでいく。  
 暗い場所へ。  
 いや、周りが、どこかに去っていく。  
 喜ばしかった希望とか。  
 怒ってしまった瞬間とか。  
 哀しかった過去とか。  
 楽しかった思い出とか。  
 代わりに来るのは、楽しさだ。  
 外道の楽しさ。  
 外法の愉しさ。  
 
 染められていく。  
 感情が一つしかないなら、それは永遠に揺らぐことのない思考となる。  
 それは、無想と同じだ。  
 最適のみを求める無想と。  
 植えつけられ、上書きされ、消えていく感情の中。  
 それだけは、染められない。  
 燦然と輝いて、負けない。  
 ――そう。  
 あいつが、この胸に、鋼のように強く在ってくれるなら。  
 決して、俺は負けない。  
 こんなまがい物に、負けるはずがない……!  
 
 ●  
 
『コォオオオオオ――――!!』  
 ばつん、とそれが弾き飛ばされた。  
≪鋼狼牙・整調<アジャスト>・完了<コンプリート>――同調・個体・整調・開始≫  
 煌く銀巨獣の成れの果てが渦を巻く。  
 そう、『スリール』の言ったとおり、この機体と『イブマ』は相性がいい。  
≪恭順・完了<コンプリート>――修復・開始≫  
 四秒待ち、天を見上げた。  
 そこには、わずかに、人の形を残した『スリール』がいる。  
『――おい』  
 呼びかけ。  
 機体冷却のための時間稼ぎなんて必要ないが、それでも、その様子が気にかかった。  
「ありえないありえないげげげげげがぎぐげげげげごぎゃげげがががっがありえないありえなななひ  
 ありえなすあえりなあいまさかそんなからだ不適合うそだちがうおかしい死ねそんなはずはない  
 そんな可能性はなかった抵抗不許可抵抗不可避拮抗不可能げげげげげげげげげげげげげげげげげ」  
 頭部機関砲で、その身を半分削り取った。  
 ――この『スリール』は本物であるはずだ。  
 間違いない、と、半身が言っている。  
 弾いたときにイカレたのか。  
「げげげげありえないあえなりい鋼狼牙同一こーろーが我ら感情ゲット肉体情報人間再構築体意思ボディヒューマン  
 人間ありえななななないありりりりらああああああああありえなああああああああああ――」  
 だが、それを撃ち砕く気にはなれなかった。  
 嫌な予感がした。  
 その情報が欲しかった。  
 首どころか全間接を三百六十度回しオブジェのようになっていた『スリール』が、唐突に一言を言い放った。  
「――結果は破棄。」  
 
「破棄破棄破棄破ァ〜棄破棄破棄! 今すぐ破棄破棄煉獄に落とし破棄破棄破棄喋って今日も元気に破棄破棄ぃ!  
 ぐげげっぎゃががががががぁ、――破棄!」  
 
 流星が行く。  
 北天。そこに赤く輝く、北極星へと。  
≪警告<アラート>≫  
 そして、警告が、来た。  
 
/  
 
「アレは……まさか、大気圏外からの攻撃でこの島ごと周囲を砕こうと……!?」  
 
 ジョドーが叫ぶのを、真喜は聞いた。  
 ……陽逢も酷いことをするものであります。  
 だが、彼のせいで一瞬仲が壊れかけたのも事実だ。  
 ……自業自得でありましょうか。  
 ため息を吐きつつ、真喜も北極星を見上げる。  
『――真喜。ジョドー所長。俺が、そうはさせない』  
 ざ、と、通信機から声。  
 鋼のように堅い、決意の声が来る。  
『――『砲』を使う』  
 ジョドーの眉が跳ね上がり、そして、やれやれ、とでも言いたげな顔へとシフトする。  
「おォう……ヒァイさんは、いつも無茶をする」  
「昔は、私の方が、無茶をする役回りだったのであります」  
 苦笑し、海岸へと歩く鋼狼牙を見やる。  
 大丈夫、と。彼女は、何も不安を抱かない。  
 彼は隠し事はするけれど嘘は言わないし、なにより――  
「けれど、陽逢がああ言うのなら、私は信頼をするだけなのであります」  
 ――そう。春日・陽逢は、約束を守る。  
 だから、彼女が言うのはただ一言だ。  
「頑張れ、であります――陽逢」  
 苦笑は、いつの間にか別の形になっている。  
 
/  
 
 砂浜に立ち、天を見上げる。  
『――悪いが、早く帰りたい家がある』  
 天空。いかなる星々とも異なる赤星<しゃくせい>へと告げる。  
『故に、オマエはそこで果てる』  
 これからの全てを滞りなく進めるため、機体チェックの後、装甲を開いて強制廃熱。  
 炉心<しんぞう>は生命的な躍動感を持つ。  
 ……赤星を落とすためには、やはり砲が必要だ。  
 しかし、鋼狼牙の全砲射撃では射程、威力、共に足りない。  
 だが、問題はない。  
 なぜならば、この鋼狼牙には、もう一つの砲がある。無双にして空前絶後の一砲が。  
≪――第一封印・解除――≫  
 機構文が脳裏を駆ける。  
 同時、全身の装甲や武装が一時剥離。  
 その一撃を放つために、機構が最適化されていく。  
 腕のヒートアンカーが腰へと飛び、ついで大地に叩き込まれて錨の役目を果たす。  
≪白熱錨・確定≫  
 フェイスガードが降り、余波に耐えるよう、装甲が前面へと集中する。  
 先ほど取り込んだ『イブマ』のナノマシンも用いて、防護の体勢をより確固たるそれにしていく。  
≪余波防御形態・移行・完了≫  
 背部、砲身基部が加速器ごと腕部に接続され、砲身が展開。  
 加速器先端に腰部から剥離した装甲が付き、そして動力炉から直結で力が行く。  
≪出力経路・確定≫  
 顕現するのは、機体を基にした巨砲だ。  
 仰角にして88.62397度。方角は真北ゼロ度。狙うは成層圏に輝く赤き北極星。  
 右腕を左腕で支え、観測した大気状況、地球の自転などを基に、狙いを修正していく。  
 
≪薬室内・加圧・正常終了≫  
 ロックオン。  
≪第二封印・から・第四封印・解除・照準・誤差・修正・完了<コンプリート>≫  
 ――十四年間の時間を想う。  
 十四年間の人生で得た人々を想う。  
 十四年間の人生で得た家族を想う。  
 十四年間の人生で得た景色を想う。  
 その全てを想う度に、あたたかい風が心を吹き抜ける。  
 ――そう。きっと、大切なものを守るために、俺は力を得た。  
 ならば使う。我が半身の力を使う。機械で、想いなんてないくせに、誰よりも優しく、今だって俺たちを殺したことを悔いている、半身と共に、十四年間を守ろう。  
 ――最後に。十四年間共にいた、真喜を想う。  
 真喜。  
 俺に名をくれた彼女は、初めて笑った俺を見て喜んでくれた彼女は、あの時のように笑ってくれるだろうか。  
 
――君はもう、悲哀を持っているのであります。だからきっと、これから君には、幸せばっかりが来てくれるのであります――  
 
『本当。この十四年間は、幸いばかりだったさ』  
 真喜がいてくれるだけで、俺の世界は、彩を持った。  
 
 だからきっと、これからも、幸いは続く。続いていく。続けていく。  
 半身は無想。しかし何よりも強い意志をもって応える。  
≪最終封印・解除――鋼狼牙・最終砲撃形態<ファイナルキャノンモード>・準備<スタンバイ>――完了<コンプリート>≫  
≪――コード・『銀河砲』≫  
 撃ち抜く、と。守る、と。共に在る、と。俺のすべてに、等しく応える。  
 故に叫ぶ。詔と言うには激しく、その一撃の名を。  
 
 
 
『――ギャラクティカッッッ!! キャノォオオオオオオンッッッ!!』  
 
 
 
 ―― 一撃による必滅。  
 銀河すら撃ち貫く弾丸は、降る星を砕き、宇宙へと突き抜けた。  
 
 
五、『厄災(守護者)』  
 
 それからが大変だった。  
 まず自衛隊基地にあるドックに鋼狼牙を戻して調査したり修理したり応急処置部分を正規部品と交換したりしているうちに夜が開け昼になり、ジョドー所長の指示による俺自身の調査(精神面メイン)が行われた末に勝ててよかったパーティーがあり、そして、  
「……む」  
 家に帰ったのが、なんと二日経ってからなのであった。  
 気まずい。  
『ならば、いってらっしゃいなのであります、陽逢。私は、腕によりをかけて料理をしておくのであります。実はこの前、自衛隊の方々に、色々と食料品を分けていただいたのであります』  
 ……自衛隊のパーティーにも来なかったしなぁ、真喜。  
 思いつつ、俺は真喜の家扉をノックする。  
「…………」  
 無言が聞こえてきた。  
 殺意満点。入りたくない。  
 しかし、今は秋終りの冬口。正直、外は寒い。  
「……ええい」  
 入らなきゃ話が始まらない。  
 だったら入るしかない。イッツ世界の真理。  
「入るぞ、真喜!」  
 どばん、と扉を開いて踏み入った先は、真っ暗闇だった。  
 濃い、コーヒーのにおいがある。  
 電気もつけていないのか、と。  
 そう思いながら手探りで電気を付けると、布団に包まった真喜の姿があった。  
 上目遣い、と言うよりは、ただ単に顔を上げる元気がないのか。  
「おかえりなさいであります、陽逢」  
「あ、ああ」  
 その目の下には、濃いクマがある。  
 まさか、と思う。寝ていないのか、と。  
「私、ずっと待っていたのであります」  
 そう言って、真喜は深く、深くため息を吐いた。  
「まったく……本当に、姉として情けないのであります。約束を破らないと思っていたのに、こうまであっさり破ってくれるとは」  
「す、すまない。その、な? 鋼狼牙をきちんと動けるようにするのに……」  
 と、言葉に何かおかしい箇所があった気がした。  
「言い訳は聞きたくないのであります。食材を無駄にしてしまったのであります。ああ、私、これから家族としてやっていけるのでありましょうか。陽逢が無断外泊など、姉としてすごく心配なのであります……」  
「ま、待て、真喜。……姉?」  
「……はい。姉でありますが?」  
「お、おい、な、なんであの状況でそうなる、いや、そうなった?」  
「私、戸籍上は姉でありましたが、これからは真の姉になろうと――」  
 と、そこで真喜の頭が落ちた。  
 擬音で言えば、かくん。  
 寝たのだろうか。  
「ふ、二日、徹夜だったみたいだしなぁ……」  
 まあ、いいか。  
 そう思いながら、俺は布団を敷きなおし、真喜を横たえた。  
 そして、言い忘れていた一言を言う。  
「ただいま、」  
 ――俺の家族。  
 そう呟いて、俺は、電気を消した。  
 ――電気が消える瞬間。真喜の微笑みが、見えた。  
 
/  
 
 二〇〇]年、五月二十七日。地球は、宇宙からの侵略によって壊滅状態に陥った。  
 それを、人類は『イブマ』と呼び恐れた。  
 恐怖が地上に蔓延し、不安が天を満たした。  
 だが、彼女は、絶望を望まない。  
 希望の源を抱きながら、歩んでいく。  
 
 
――『蛇足』  
 
 そんなわけで、次の日。  
 シャワー室に侵入した俺は、とりあえず真喜のチチを揉んでいた。  
「うひゃうわぁ――!」  
 シャンプー中だ。  
 昔はシャンプーのときに目を開けていられなかった真喜だが、  
「う、うわ、ひ、陽逢でありますか!? 止めていただきたいのであります! いやぁっ、わぁっ、あっ、ちょっ、そこ駄目であります駄目駄目本当に駄目ぇ――!」  
 あ、今も開けられないのか。  
 よーしよし、と頷きつつ、薄い胸を揉む。とても揉む。  
「いやぁー! やぁー! ひあいぃ――! ごーかんまがぁ――! いやぁああ――!」  
 ……コレマジ泣きだろうか。  
 背後から抱きしめ、湯を頭にあてた。  
 あ、と真喜が一声をあげた。  
「ひ……あい? で、ありますか?」  
「ああ」  
「……ひどいので、あります」  
 抱きしめた腕を甘く噛まれた。  
「……と、ところ、で、その」  
「ん?」  
「お、おっぱい、揉むの、やめて、いただきたいので、ありますが」  
「嫌だよ、気持ちいい」  
「そ、んな、うっ、ふ、私の、なんて、薄くて、」  
「だから気持ちいいからいいんだよ」  
 ぐ、と一度強く抱きしめ、緩めた。  
 次に行うのは、白髪を掻き分けてのキスだ。  
「あっ、」  
 まずは首筋。うなじ。肩口。身をよじる真喜を逃がさぬよう捕らえながら、啄ばんでいく。  
「ひゃっ、そ、そこ外から見えて……!」  
「いいか、真喜。―ー見せなきゃ平気だ」  
「なんと身勝手な……! って、あぅ、ひっ!」  
 捕らえた手で、乳房の先端をなぞった。  
 震えた身も逃がさない。  
 もうお預けは食らった。  
 だから、これ以上は我慢しない。  
 膝を折り、背筋を舌でなぞって行く。  
 シャワーが、ごとん、と床に落ちた。  
「ああ、うぁああ、ああっ、うひぁっ」  
 乳房にある手をヘソヘ。  
 くりくりと軽くいじりながら、もう片方の腕で、尻を抱き寄せた。  
 丸く、白い尻だ。  
 頷いた。  
「いい尻だなぁ……」  
 身近にこんな尻があったんだなぁ、と思う。  
 鋼狼牙と初合一するまで本当の姉妹として見ていたし、意識しないようにしていたのだが。  
 鼻を尻たぶにうずめた。  
「や――っ! そ、そこまだ洗ってにゃぁ――! うひぁ――!」  
「おまえ、今日も叫んでばっかりだなぁ」  
「誰のせいでありますかって喋らないでいただきたいのでありますうひゃわぁあああ――!」  
 
 俺のせい。  
 だからおまえは一切悪くない。  
 鼻で尻たぶをかきわけ、奥、秘所を舐める。  
 大きく舐めると、舌先に少し刺激が来た。  
 そこに興奮した。  
 してしまった。  
 と、真喜のかかとが跳ね上がった。  
 ずどむ、と、鳩尾にめり込む。  
「ふぉァ」  
 変な息が漏れた。  
 腕から力が抜け、真喜が逃げ出していく。  
 力が抜けて、シャワー室から上半身だけが出た。  
 床に背が触れ、そして、  
「でやっ!」  
 思いっきり踏まれた。  
「ぐふぉァ!」  
「じじじじ自業自得であります、勝手に人のおっぱいを揉むなど! しししししかもお尻まで……!」  
 真喜はバスタオルを体に巻き、そしてシャワー室から顔を出して周囲をのぞき、そして家へと駆けた。  
 湯冷めしないだろうか。そもそも、頭は、シャンプーは大丈夫なのだろうか。心配だった。  
 ……まあ、そんな感じで。  
 俺が望むかたちになるまでは、しばらくかかりそうなのであった。  
 
 
 
→The End.  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「……ひょっとして、俺が悪いのか」  
 
 
 
終われ。  
 

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