/0.  
 
 二〇〇]年、五月二十七日。地球は宇宙人に侵略された。  
 なんだかんだ言って質・量ともに世界最高級らしいアメリカ軍が、真っ向からぶつかり合って、惨敗。超惨敗。  
 最高級がそんなざまなんだから、他の国の軍隊なんて、末路を語るまでもない。  
 私の住む日本においても同じ、……かと、思いきや。  
 まったく馬鹿らしいことに、日本――主に北海道――はわりと平気だった。  
 ――何故ならば。巨大なロボットが、この街を守っているからなのだった。  
 
/1.  
 
 失礼します、と一声。返事を待たず、自衛隊の駐屯地になった母校、その保健室に入る。  
 そこにいたのは、侵略される前―― 一月前と変わらぬ保健室の白衣・眼鏡美人教師、祭中<さいなか>先生と、幼馴染、背ばかりがむやみに高い少年、樫家・洋巻<かしや・ひろまき>だった。  
「やあ、よく来てくれた、前餅君。歓迎する。そこにかけてくれたまえ」  
 彼女はポットからお湯を出してコーヒーを淹れて、教室から持って来たのだろうか、いつも私たちが使っていた机に一つずつ置いた。  
 私――前餅・杏子<まえもち・あんず>は隣の洋巻と顔を見合わせて、お互い変な表情をしている事を確認した。  
 彼の方は、幼馴染である私がなんでこんな所に呼ばれたのか、と。  
 私の方は、世界で唯一あの宇宙人と戦える戦力の操縦者が、なんでこんな所にいるのか、と。  
 ……あまり長い間立っているのも失礼か、と私は昔――本当に昔のように感じる――のように椅子を引いて座った。  
「祭中先生、何の御用でしょうか?」  
「来てもらったのは他でもない、樫家君が駆る巨大人型兵器――雷轟衛<ライゴウエ>の弱点についてだ」  
 白衣を翻し、祭中先生はホワイトボードにガシガシと板書していく。  
「第一に、単体であること。確かに、宇宙人――『イブマ』達に対して、雷轟衛の武装は効果的だ。しかし、雷雲形成からの雷撃――樫家君。技名は付けたかね」  
「つけてませんけど」  
 即答に対し、祭中先生は大げさにふらつく。  
「……勿体無い。せっかくの広範囲大火力武装――つまりは必殺武器だというのにな。明日までの宿題だ。考えておくように」  
 はい、と犬のように素直に頷く馬鹿。  
「――それまでは仮に轟雷カッコ仮カッコ閉じとでも呼んでおこう。雷雲を生み出す最中、雷轟衛は無防備状態だ。自衛隊も部隊を出してくれるが、質も量も負けている。一時的な足止めにしかならん。昨日の戦闘のように、犠牲も多く出る」  
 横目で馬鹿を見ると、少しだけ泣きそうな顔になっていた。  
 ……そりゃあそうだろう、と思う。昨日だって、あの――轟雷(仮)を撃つために――  
「こら。二人とも、こっちを向きなさい。追悼の意を捧げるのは悪いことじゃないが、今はこっちだ」  
「……はい」  
 本当、犬みたいな男だ。そんなに巨乳がいいのか。  
「これについては、私達も『持ち前の根性でどうにかしろ』としか言えん。今のところはな。よって、次の問題点に移る」  
 ため息を吐いて、授業――と言うのもおかしいか。とにかく、話を聞く。  
「第二に、固定武装が主に近距離用であること。第三に、高機動空中戦ができないことだ」  
 ホワイトボードに連ねられていく文字は、乱雑ながらもきびきびとしたものだ。右半分には三つの問題点が、左半分には雷轟衛の模式図だろうか、簡略な人が描かれる。  
「固定武装は両腕に剣と、背部の雷雲/雷撃発生装置。肩に電磁ワイヤー。背、腰には加速器があるが、主に短距離加速用であり、長時間飛行や空中戦闘には向かない」  
 祭中先生は、よくもまあこれで二日前は敵機編隊を落せたものだ、とため息を吐く。  
 根性系だからなぁこの馬鹿。その辺もなんだか犬みたいだ。  
「この二つの問題だが、――我々の方で対処可能だ」  
 そう言って、先生は何かをホワイトボードに書き足し、  
「敵が我々の砲弾を無効化するのは、小型機は弾道予測、大型機はその構造による衝撃吸収だ。雷轟衛の腕にそれを補う高弾速かつ大威力の武器を取り付ければいい。飛行能力についても、目処はついている」  
 そして、ホワイトボードを叩く。こうすればいい、と。  
 左半分に、L字型の何かと、翼らしきものが描き込まれた。銃と追加の加速器だろうか。単純な発想と言えばそうだが、それ以上と言うのも中々出しがたい。  
 
「レールガンを持たせ、戦闘機を背負わせる。改造に多少の時間はかかるが、肝心の動力については問題ないのが救いだな。……そんな目で睨むな、力が今すぐ必要というのはよく分かる。だが、時間も物資もない。しばらくは粗悪な試作品、改造品で我慢してくれ」  
 ……もうちょっとブッ飛んでいた。戦闘機を背負わせるだなんて無茶、普通の人は考えない気がする。  
「はい」  
 目の前の女性に何を言っても、事態は改善されないことぐらいは分かっているらしい。さらに素直に頷いて、彼は耳を傾ける。  
「そして、第四の問題だが――前餅君。きみ、ガンダムやエヴァンゲリオンだとか、ロボットアニメを見たことがあるか?」  
「は、はい?」  
 い、いきなり話を振られてもっ。  
「その様子では見たことがないようだな。解説しよう。知っての通り、これらはロボットアニメだ。主人公は、ロボットの操縦者になる事を強いられる。  
 彼ら以外では無理だ、と。そして、その重圧に耐えられず逃げ出してしまう。……もちろんそのままでは話が進まないので、戻ったり、連れ戻されたりするんだが」  
「は、はぁ……それで、先生。それがなんで第四の――」  
 そこで、あ、と気付く。現状とロボットアニメの共通点を。  
 彼女は頷き、答え合わせをするように言葉を発する。  
「第四の問題点は、操者が彼しかいないことだ。暗殺や逃亡、病気、怪我……これらの問題が、致命的な問題になる。  
 体の不調なら、根性でどうにかできるかもしれない。しかし、その根性の源である心が折れてはどうしようもないんだ」  
 馬鹿は黙って聞いている。  
 その通りだ、と思っているのか、俺の心は折れなんかしない、と熱血しているのかはさておき。  
「今のところ分かっている雷轟衛の問題点はこんなところだな。では、第四の問題点の対策を今から伝える」  
「……その前に、あの。一つ聞いていいでしょうか。なんで私を呼んだんですか?」  
「そう。それだ。ちょうど、今から説明するところなんだ」  
 ぴっ、とマニキュアのまの字すらないきれいな指先が私に向けられる。  
「物理的、身体的な対策は、我々で対策可能だ。きみのような近しい人――家族や友人にはこちらでカバーするし、怪我や病気も最優先で治療しよう。  
 だが、先ほども言ったように、心までは手を出せない。君も知っているだろうが、人はテンション次第で業績が上がったり下がったりするものだ。  
 そして、この仕事は常に最高の結果を求め続けねばならない」  
 そこで彼女はコーヒーを一口。白い喉がコクリと動く。  
「カウンセリングでは足りない。もっと直接的なものが必要なのだよ」  
「……あ、あの、やな予感がするので帰っていいですか?」  
「却下だ」  
 祭中先生は今日初めて笑顔を見せる。とびっきりだ。とびっきりの――最悪な顔だ。  
「古来から、オトコが頑張る状況というのは決まっているんだ――女を守る時さ」  
 横でド馬鹿が首をかしげている。そうなのか、と。  
 ああもう馬鹿は本当に単純でいい。私はいつも苦労する……!  
「そういうわけだ。前餅君、協力を――」  
「全力でお断りしますっ!!!!」  
 立ち上がった拍子に、椅子が飛んだ。  
 元々ベッドのあった位置を抜けて、色々な薬品が入っていた戸棚にぶつかって派手な音が立つ。  
「おい杏子、んな怒鳴るコト――」  
「うっさいこのよーかん!!!」  
「よ、よーかん!? 和菓子か!?」  
「黙れ!」  
「あーこらきみ、そんな風に言ってはいけないよ」  
「誰のせいですか、誰の!!」  
「……んー……」  
 指差されたのは私だった。  
「きみかな?」  
 ――色々とブチ切れる音が聞こえたが、そこで殴りかかるほど子供でもない。  
 ……殴りかかったら、先生、その事をモトに強請ってくるかも知れないし。  
「失礼します。コーヒーご馳走様でした!」  
 二人を完全に無視して、扉を思いっきり開く。  
 廊下を巡回していた自衛隊の人がビビるのがさらに腹立たしくて、思わず威嚇した。  
 ……学校を出た後で、コーヒー飲んでないな、と、そんなくだらないことに気が付いた。  
 
/2.  
 
 交通機関が麻痺しているから、基本的に移動は人力だ。  
 普段はバスを使う道程を自転車で往復するには、ちょっとばかり普段の運動が足りなかったらしい。  
 へとへとになりながらも家の前まで戻ってきた私は、しかし家に入らずそのまま通過した。  
 ……根回しされてるかもしれないしなぁ。  
 先生の言いたいことは分かる。よく分かる。なりふり構っていられないのが現状で、余裕なんて実際にはない筈なのだ。  
「こうやって自転車に乗っていられるのもあいつのおかげ、かぁ……」  
 ため息を吐いて、夕焼けの空を見上げた。青森と北海道の境界――津軽海峡を渡れずに亡くなった人もいるのに、と。  
 雷轟衛の加速器では、日本全域どころか北海道全域のカバーすら不可能だ。  
 罪悪感を抱くのは、間違いだろうか。  
 ――昔。平和な日本という国にいて、地球の裏側で起こっている紛争なんて気にもしなかったのに。  
「……状況が違うのは、言い訳にならないよね……」  
 丘の坂道に差し掛かった。今の脚力ではとてもじゃないけれど昇りきれないので、自転車から降りて押していく。  
 この丘の上には、雷轟衛が眠っていたらしい神社がある。しかし、そこまで行く気にはなれない。第一、雷轟衛が出現したときに壊してしまったと言うし。  
 目指すのは、丘を蛇行しつつ登っていく坂道の途中、夕陽の見える場所だ。  
 もう、六月も半ばだ。汗だくになりながら坂道を登っていく。  
「…………」  
 なんだって私が、と歯噛みする。  
「……そんな役目。先生がやればいいじゃないですか」  
 私がアイツの――  
「――女になれって、言うんですか……」  
 理由がない。全くない。全然ないし、存在しない。ありえない。ありえる筈がない。  
 ……夕陽が妙に眩しい。  
 目がくらんで、視界がにじんでしまった。  
 ……最悪だ。本当に、最悪だ。  
「嫌われたかな……嫌ってるって、勘違いされたかな……」  
 人は人の言葉の裏を読む。  
 私が逃げ出したあと、あの羊羹野郎は――『せんせーせんせー。結局第四の問題点の対策ってなんですかよ?』『ははは簡単サ。前餅君にきみの彼女にするのサ!』――などと会話するだろう。  
 あんな勢いで拒否したんだ、立場が逆なら、私だって理由は一つか二つしか思いつかない。  
 嫌いか、他に好きな人でもいるのか。  
「……そんなわけ、ないじゃないか」  
 丘の中腹くらいの場所。ちょうど木々が開けて、夕陽がキレイに見えるその場所に、到達した。  
 自転車をガードレールに立てかけて、自らも腰掛ける。  
「……あーあ」  
 夕陽。影になり、鳥の編隊が行く。  
 こんな所にくる人なんて、そうそういない。……一区切りも付いたことだし、吐き出すことにしようか。  
 我慢をやめたら、編隊が光ににじんで消えた。  
 へたり込んで、それをしばらく眺めていた。  
 ……と、異音。  
「うぅ……っ!?」  
 脳を直接かき回すような不快な多重音だ。  
 聞き覚えがあるどころの話じゃない。つい昨日も聞いたばかりの、悪夢の開始を告げる音。  
 これは、空間が歪む音だ。  
「『イブマ』が来る……!?」  
 
 茜色の空が砕け、銀色が滴り落ちてくる。  
 どろどろとしたソレは、透明な容器に収まって行くかのように、その形を確定させていく。  
『オオオオオオォォォォォォム…………!』  
「……っ!」  
 空間が閉じきるのと、ソレが完成するのはほぼ同時。  
 その姿は、まるで昔の巨大ヒーローモノに出てくる怪獣だ。  
 恐竜を模した総銀のその身体は、大量のナノマシンで構成されている。  
 戦車の砲弾も、戦闘機の機銃も爆弾もほとんど通じない――そんな化物だ。  
 だけど、私たちにも対抗の手はある。  
 学校、その校庭で轟音がする。  
 雷轟衛――全高、およそ四十五メートル。樫家・洋巻駆る、稲妻を司る機械仕掛けの巨人だ。  
「洋巻……!」  
 目を袖で拭い、目を凝らして、少しぎこちなく動き出す彼を見る。  
 雷轟衛は、一度胸の前で腕を交叉させ、一気に振り下ろした。  
『ウゥウウラァア――――!!』  
 咆哮。  
 前腕から、収納されていた刃が飛び出す。  
 同時に発生するのは、背中、展開される八本の角からの雷光だ。  
 ――『イブマ』のナノマシンは、技術レベルこそ高いものの、基本的には私たちの使うコンピューターと大して変わらない。  
 ブロックこそされているが、強力な電撃を受ければ、焼き切れて機能を停止する。  
 それが、雷轟衛が彼らを倒せる理由だ。  
『ヲォオオオオ…………ム!』  
 二つの巨体が雄叫びを上げ、――戦闘が、開始される。  
 先手は銀の巨獣。  
 走り出し、自らの身体を砲弾に変え、雷轟衛へと投射する。  
 しかし雷轟衛はそれを避けず、背からの雷撃で迎撃する。退かぬ、と。  
「わっ……!」  
 豪雷。  
 巨獣は射抜かれ、その足を止める。  
 そこに、雷轟衛は吶喊する。  
『ドラァア――――!!』  
 雷轟衛の腰から燐光が出る。加速の光が。  
 両腕から伸びるは剣、近距離戦用の、雷撃発生装置――!  
 吶喊は突貫を。  
 アッパーのような打ち抜きで、雷轟衛は稲妻を巨獣に叩き込んだ。  
『ヌヲォオオオオオ…………!!』  
 どろどろと、巨獣が溶けていく。  
 しかし、解けきる前に巨獣は動いた。  
 牙だ。  
『ガァアアアアア――――!』  
 強靭な顎によって、雷轟衛の肩が砕ける。  
「あ、」  
 稲妻はいまだ、巨獣を貫いている。  
 だが、巨獣も倒れず、雷轟衛の肩を砕き続けている。  
 考えてみれば、当然だ。  
 電撃に対する防御を高めてくるなんて。  
 防ぎきれてはいないけれど、確実に、先日のそれより電撃の効果が薄い。  
 負ける、と、弱音が来た。いつか、彼は負ける、と。  
 
「……ひぁ」  
 視界が、再度歪む。  
 その瞬間だ。  
 背後から、こつ、こつとハイヒールの足音が聞こえてきた。  
「……やあ。見つけたよ、前餅君」  
 振り返ることができない。  
 涙を見せたくないから。顔を見せたくないから。何より――あの戦いから、目をそらしたくないから。  
「さっき言った、第四の問題点、その解決手段。これは、諸刃の剣でもあるんだ。たとえばきみ、小さい頃、親しい人から嫌いと言われて落ち込んだことがあるだろう? 恋人とケンカしたら、誰だって落ち込むものさ」  
 そこで彼女は言葉を切る。  
 代わりに聞こえたのは、きん、と火花が散る音だ。  
 タバコだろうか。このご時世では結構貴重品だろうに、先生は味わう様子もなく言葉を続ける。  
「しかし、きみなら――と、思ったんだがね」  
「そうでしょうか」  
「そうだよ。きみが去った後の彼の顔と言ったら、もう、この世の終わりのようだったね」  
 くつくつ、と、祭中先生は笑う。  
 にじむ視界の先では、いまだに戦闘が続いている。  
 叫び、荒れ狂うように、しかし足元に気をつけながら。  
 被害を出さぬように、時には地をかばうような動作をしながら、だ。  
 ……そうかも、しれませんけど、と。胸にある信頼が――もうちょっと夢見がちな言い方をすれば、『絆』が――言う。  
 巨獣が、その対電限界を超えたのか、盛大に溶け始める。  
『ヲヲヲ……ォ……オ…………』  
「……どうやら終わったようだな。今回は実験か」  
 ふ、と息を吐く音が聞こえた。  
「そもそもこの侵略自体が実験じみたところがあるが……まあ、次回はそれなりに戦力を用意してくるだろう」  
「……大丈夫でしょうか」  
「どうだろうかなと言いたいところだが、今の雷轟衛――」  
 雷轟衛は、ボロボロだ。  
 格闘戦の結果、左腕はほとんど機能を失い、右腕の剣は折れた。背中の雷雲発生器も、数本折れてしまっている。  
「――否。樫家君では、おそらく次の戦闘では勝てん。生き残るとしても、雷轟衛はしばらく動かせなくなるだろう。……それでは、我々の負けだ。今回も自衛隊はほとんど活躍していないしな」  
 祭中先生は、事実を語る。間違いのない、事実を。   
 彼女はタバコを吸い、唐突に話を変える。  
「彼のカウンセリング――まあ、心理テストの類なんだが、そのテストは私が行った。……彼は正義感と言うものが薄いんだよな。その彼が逃げ出しもせずにいる。――なぜだろうね?」  
 返答を待たず、彼女はこつこつと足音を立て、どこかへと歩いていく。  
「早く家に帰りなさい。治安は比較的いい方だけど、何があるか分からないからね」  
「…………」  
 返事を返さず、私は雷轟衛を見続ける。  
 街を守るためにボロボロになった――はずの、雷轟衛を。  
 
/3.  
 
 ……夜。  
 私は、あらゆる明かりを消して、寝転がっていた。  
 発電所を壊されたりしているので、もう深夜に電気は使えないのだけど。  
 それでも習慣――普段からの夜更かし――というものは恐ろしく、『イブマ』が来てからも眠れない日々が続いている。  
 ……贅沢だ。すごく、贅沢だ。  
 貧困な想像力でも、この国――否、北海道以外で、夜更かしできる余裕はないだろうと分かる。  
 月明かりが、部屋に入ってきている。以前と変わらぬ、冷たい光が。  
 このまま寝転がっていても寝れなさそうなので、立ち上がり、窓から外を見た。  
 北海道だ。二階程度の中途半端な高さでも、地平線ヨユー。隣の家までの距離は、百メートルほどある。月と星の明かりでは、その家を視認できない。  
「街灯もついてないしね」  
 元々まばらだけど、と。わずかに笑い、窓を開ける。  
 風が来る。冷たく冴えた、静かな夜気が。  
「ン……」  
 目を細めて、すこし、それを浴び続けた。  
 最近は水ですすぐしかできない髪が流れ、さわさわと音がする。  
 机の上に載ったままのプリントが、風で落ちた。  
 ……モノクロに近い色彩の風景を見続けていたせいだろうか。  
 その人影に気づいたのは、家まで十数メートル、といった段階だった。  
「あんた――」  
 呟きだ。  
 この距離で聞こえるはずはないのに、彼は右手を上げて挨拶をした。手の形は自然形。だらしない、と言うのは、ちょっと乱暴だろうか。  
「む」  
 とりあえずこちらはズビシとばかりに勢いよく右手を上げる。窓枠にぶつかってガツンと酷い音がした。さっきとは違う理由で目が細くなる。ぶっちゃけ泣きそうだった。  
「…………!」  
「…………」  
 HAHAHAと呵呵大笑する仕草の馬鹿が見えたので、近場にあった時計を投げた。命中した。  
「…………!」  
 いい気味だ。すごく。  
 あっはっは、と、仕草のみ、無音で笑う。  
 ひとしきり笑ってから、一階へと足音を忍ばせて降りる。  
 両親は、多分眠っている。それを起こすのは――二重の意味で――寝覚めが悪い。  
 何を話しに来たんだろうか、と思う。  
「何を話すにしても――」  
 玄関。とりあえず、サンダル代わりのゲタをつっかける。  
 扉。開く前に、一呼吸を入れる。  
「――あいつが来たんだったら、普段どおりにしてあげないと――」  
 ……今日会ったのも、本当は久しぶりだった。  
 アイツは、私に近づかないようにしているフシがある。  
 洋巻は今、学校で寝起きしている。家には帰っていない。俺が狙われたらいけないから、と。  
 家族を。近所の人たちを。畑を。家を。風景を。雰囲気を。未来のために、きっとある未来のために、戻れるかどうかも分からないのに、彼は必死で守っている。  
 ――その背の影には、きっと、私も入っている。  
 ……扉を開く。  
 月光の下、樫家・洋巻が立っている。  
 
「……よう。手、大丈夫か?」  
「大丈夫。そっちは?」  
「昼、大分やられたからな。そっちの方が痛い」  
 そう言って、ホレ、と時計を渡してくる。  
 ……文字板のプラスチックが砕け、針が二本取れていた。残る秒針も、同じ場所を行ったり来たり、だ。  
「うわ壊れてるじゃないこの石頭!」  
「ここで俺のせいにするのかお前は!?」  
「アンタがあんな風に笑うから!」  
「適度に力抜いとけ馬鹿!」  
「うっさい馬鹿!」  
 ふぅふぅ、とひとしきり怒鳴った後、洋巻の表情が固まるのが、淡い光の下でもよく見えた。  
「誰かいるのか? 杏子?」  
 原因は背後。がろがろと窓を開く音がした。  
「ひ」  
 ぇ、と、何故か叫びが出そうになった。  
 声は父さんのもので、別に驚きはしても――  
「静かにっ」  
 Gがかかる。  
 強い手が、私を土手の下へと持って行く。  
「んむっ……!」  
「バレるだろ、静かにしろっ……!」  
 手が口にかかる。鼻も押さえつけられていて、ちょっと苦しい。  
 顔が近くて、草のにおいが濃くて、息ができなくて、引っ張られたせいか頭がぐらぐらとした。  
 だからだろうか、素直に思考が言語になる。  
 ――なんで、こんなに――恥ずかしい、とか思ってるんだろうか――  
 理解すると、手の暖かさとか、タコの硬さだとか、腕の重さだとかがごっちゃになってやってくる。  
 ……うわコイツ意外と男らしく――って何を私はっ。  
「っ……!」  
「うわ馬鹿黙れぇ……!」  
 暴れたせいだろうか。  
 父さんの足音が近づいて来る。窓際に置きっぱなしのサンダルの足音が。  
 逃げるか。出て行くって方法もあるし、誤魔化す手もありそうな気がしないでもない。  
「あ、」  
 迷っているうちに、馬鹿は裏声を出した。  
「あなタが落とシたのはきれいな杏子ですカ? そレともダーてィな杏子ですか?」  
「何言ってやがんだ馬鹿ぁ――!」  
 怒声と打撃音、夢の競演だった。正確に言えば、夢に吹っ飛ばす感じのミラクル強打撃だった。  
「……ここはそんな風に人を殴るダーティ杏子ちゃんと言っておこう」  
 マトモに答える馬鹿父親。むしろ今夢だよねと聞きたいところだ。  
 夢に吹っ飛ばされたはずの馬鹿は、しかし裏声を崩さずしゃべり続ける。  
「ざンねんキレイな杏子なんて存在しねェよ――!」  
「ぬああ夢だからオーケーかと思ったんだがチクショー!」  
 緩んだ腕からずざっ、と逃げる。  
 土手を駆け上り、  
「おお、いるじゃないかキレイな杏子が――!」  
 勢いのまま飛んで、笑顔の父親を夢の世界まで蹴り飛ばした。  
 
/  
 
「で」  
「おう、なんだ」  
「いや、アンタは何をしにこんな深夜に」  
「……お前と、話にだ」  
 父親の頬に残るサンダル痕と土を軽く拭いて、窓から放り込んで。  
 星と月と夜の下を、ゆっくりと歩きながらの会話だ。  
「誰に言われて?」  
「…………」  
 ああ、やっぱり誰かに言われてなんだ、と、その沈黙で理解する。  
 ……足の向く方向は、神社だ。  
 雷轟衛が出現し、全壊してしまった神社。昔、秘密基地を作った神社。  
「今日――大丈夫だった?」  
「ピンピンしてるだろうが。雷轟衛も、自己修復で戦闘はできるくらいになってる。昼言ってた飛行ユニットも、徹夜改造でもうすぐらしい」  
 背中も壊れたんで、その自己修復にかみ合わせて強化するんだってよ、と。内部事情をべらべら喋って、彼は静かになる。  
「ん、そうじゃなくて――その、苦戦してたじゃない」  
 答える気配はない。  
 だから、少し言いたくない気持ちを、続けて言葉にしていく。  
「だから、ええと――大丈夫だったのかな、って。精神的に」  
「……平気じゃない。正直逃げたい。あいつらだって皆殺しにしようって気はないみたいだし、裏切りでもすれば日本くらいくれるかもしれない」  
 くはー、と息を吐いて、洋巻はちょっと前を歩いていく。  
「けど、それじゃ駄目だろ。その状態でフツーに暮らすなんて無理だろ」  
「……無理じゃないかもよ。ほら、改造手術で記憶を消すとか」  
「馬鹿、そんなことできん。俺はあいつらを信用できない。お前らを人質に取るかもしれないし、俺があいつらの尖兵になるかもしれない。お前らをあいつらに預けることもできない」  
 後ろ歩きになりながら、洋巻は、どこか楽しそうに言葉を続けていく。  
「故に、俺たちは記憶をそのままにするしかない。そもそも言葉が通じるかって問題もあるしな。研究はしてるだろうとは思うが」  
「……ああ。そりゃ、無理よね――」  
 きっと考えたんだろうな、と思う。  
 難しい想像じゃない。それでも、考えておかなくちゃすらすらとは出てこないと思う。  
『彼は正義感と言うものが薄いんだよな――』  
 先生の言葉が蘇る。ただ事実を淡々と言う、あの声が。  
 割れたアスファルトを、向かい合うだなんて奇妙な様相で歩きながら、私たちは言葉を連ねていく。  
「……ところでだけど、神社、壊れたんだよね」  
「ああ、雷轟衛出たときに踏んじまった」  
 申し訳なさそうな、悪びれるような、そんな複雑な表情をして、洋巻は肩をすくめた。  
「しかし、お前も物好きだよな。そんな神社に行こうなんてさ」  
「アンタも反対しなかったじゃない」  
「ヒマだからな」  
「ヒマねぇ……雷轟衛の近くにいなくて平気なの? 呼んだら来るの?」  
「来る。俺の声である程度自律行動するから、無線で呼べば」  
 そう言って、彼はポケットから小型の無線機を取り出す。  
 どうやら本当らしい。  
「来るんだ。……無線なんだ」  
「無線なんだよ。……昔のロボットアニメみたいに、ただ呼ぶだけで来るとかするにはオーバーテクノロジーすぎるんだと」  
 
「そのわりには、無線なんかで……」  
「ああ、無線なんかで来るんだよなぁ」  
 ……そうこうしているうちに、神社が見えてくる。  
 踏まれ、砕け、しかしその雰囲気を残す神社が。  
「懐かしい場所」  
「そうだな」  
 一瞬、何を話そうか、迷った。  
 けれど、その一瞬が、タイミングを逃す。  
 ――急に空が暗くなる。ぎぎぎぎぎりりりりりりり、と金属を引き裂いていくような音がする。  
 月食のような穴が、空に開いている。  
 多い。  
 今日の昼来たあの巨獣を二桁単位で作れそうな量が、空中で凝り固まっている。  
「空中型……!?」  
 巨大な空中戦艦が、そこに顕現する。  
『樫家! 樫家・洋巻君!』  
 祭中先生の声が無線機から響く。同時、穴から銀色が漏れ始めた。  
『既に空中戦は可能だ。我々が食い止めている間に雷轟衛を呼べ!』  
「分かった! 死ぬなよアンタら!」  
「洋巻……!」  
「いいか杏子、お前、ここから動くなよ!」  
 洋巻は、一歩、走り出すように前に出て、……止まった。  
「……確認できて、安心した」  
 一言、彼が言葉を漏らす。  
「実は、ずっと怖かった。けれど、今まで戦ってこれた。なんでか、分からなかった」  
 それは、響き始めた戦闘機の爆音にかき消されるほどの声量だ。  
「俺は、俺のままだった。変わってなんかいない、大切なもののためなら、どんな時でも、どんな敵でも、戦える――!」  
 それでも、その決意は――何者にも消されはしない。  
 無骨で黒い無線機に、彼は詔を叫ぶ。  
 
「己が覇者! 意思砕けぬ我に応じよ鬼神!」  
 
 ――空が。  
 黒雲に、覆われていく。  
 
「我が空に馳せ参じよ、覇我鬼神、雷・轟・衛――!!!」  
 
 爆音。  
 学校、その校庭に立っていた雷轟衛が、空を駆けた。  
 
/  
 
 稲妻が空中戦艦を穿つ。  
 耐電仕様――ではあるのだろう。しかし、ダメージは確実にある。  
 主砲を、副砲を、艦橋を、打ち出される小型戦闘機を、雷撃は射抜いている。  
 強い。  
 銀色は、雷神の機体を捉えきれない。  
 
/  
 
 ……ふと、祭中先生の言葉、その続きが、蘇ってくる。  
『その彼が逃げ出しもせずにいる』  
 逃げ出したい、と考えているのに。  
『――なぜだろうね?』  
「なぜだろうね……」  
 その意味が、分かる気がした。  
 
/  
 
 銀の空中戦艦は、その形を大幅に変える。  
 前後に長く、まるで艦自身を砲身とするように。  
 しかし雷轟衛は怯まない。  
『ウ・ウ・ウ――』  
 加速器を全開。  
 稲妻をまとい、紫電を振りまいて、その右手、剣に雷撃を秘めて、雷轟衛は貫徹を行う――!  
『――ラァアアアアアア――!!!』  
 空中戦艦は、身悶えるように揺れ、大気の圧に砕かれていく。  
 しかし、雷轟衛はその手を休めない。  
 背面の雷雲発生器が唸りをあげる。五本と常よりも少ない、しかし、普段に倍する量の稲妻を束ねた角が。  
 ――神雷。  
 銀の戦艦を形作っていたナノマシン――それら全てが、焼き尽くされた。  
 
/  
 
 戦艦が溶け落ちていく。  
 ――と。ざりざりと、何か砂をかむような音がした。  
『――杏子』  
 それは、雷轟衛を呼んだ、洋巻の無線機だ。  
 持って行かなかったのは、きっと、私に何かを言うためだろう、と都合のいい思考をしてみた。  
 使い方は……よく分からない。  
 だから、拾って持つ。全てを聞き逃さないよう、耳を傾ける。  
『――杏子。』  
 呼びかけは二度。  
 息を一つ吸う音が聞こえた。  
『俺はきっと、お前がいるかぎり、戦っていける。俺はきっと、お前がいなくちゃ、戦っていけない』  
 だから、と彼は言う。  
『杏子。俺のそばにいてくれ』  
 ……直球だった。  
 顔を見合わせていたら、勢いで、うん、と言ってしまいそうなくらいに。  
 だけど私たちは、電波を介していた。  
 それは、とても大きな差だった。故に、私の返事は――――。  
 
/4.  
 
 ……なんてことがあったのが、一月前のことだった。  
 私の返事はと言えば、無言だった。  
 正確に言えば、……使い方が分からないので、発言ができなかった。  
 と言うか、まあ、今考えるとしなくて良かったというべきだろうか。  
 洋巻の馬鹿は、全帯域――オープンチャンネルであの恥ずかしい台詞を言ってたのだ。  
 だから今――目の前にある扉の向こう。祭中先生なんかは、ことあるごとに私たちをからかいの対象にしてくれやがったりする。  
「ははは面と向かって言えばいいものを慣れない策を使うから悪いのだ」  
「ぬああ我が人生最大の羞恥再び――! ええいおのれこうなれば仕方ない! 己が覇者! 意思砕けそーな俺に応じよ鬼神! 我が元に馳せ参じろ、覇我鬼神、雷・g「なに雷轟衛呼んどるかーっ!」  
 とりあえず扉を開けた先に後頭部があったので膝蹴りを入れておいた。  
 うなじの上辺りに入って、洋巻がちょっと悶絶する。  
「きみの格闘センスには目を見張るものがあるね……わざわざそんなところに入れるだなんて」  
「あっはっは。先生がいいんですよ。さすがベテラン自衛官、教えるのも上手くて」  
「きみのような生徒であれば、教えがいもあるだろう」  
 くつくつ、と祭中先生は笑う。  
「そう言えば、はっきりとした理由を聞いてなかったね。きみがこの駐屯地に住まうようになった理由も、できることを探し始めた理由も」  
「予想はついてるんでしょう? 言いませんよ、白衣の胸ポケットに録音機が入ってる間は」  
「はははそれは残念だ。編集して部隊内に回そうと思ってたのに」  
「あっはっはいくら先生でも人間としての尊厳まで犯していいとは思いませんよ」  
 目が笑ってなかった。多分私もだけど。  
「それじゃあ、そろそろご飯なので、洋巻連れて行きますね」  
 悶絶する洋巻の頬をぺしぺし叩きながら言う。  
 ……ううむ、ちょっとキレイに入れすぎただろうか。  
 仕方ないのでわきの下に頭を入れるようにして、支える。  
「うん、いってらっしゃい。食事は精神的余裕の根源だからな、しっかりと食べさせなさい」  
「はい」  
 それでは、と一礼。  
 扉を出たところで、またやったのか、とでも言いたげな警備の人の視線が来た。  
 笑みを返して、私は歩いていく。  
 ……鼻腔をくすぐるのは、夏の空気だ。  
 梅雨なんてない北海道。今年の夏は、どうやら暑くなりそうだ。  
 ――そばにいるために。  
 私も、そばにいるために。  
 だから、私たちは、歩いていく。  
 
/  
 
 二〇〇]年五月二十七日。世界は宇宙人に侵略された。  
 人類の戦力がボロボロになって、世界中で絶望が蔓延していく。  
 けれど、それでも私は希望を失わない。  
 ――何故ならば。頼りになる私の幼馴染が、この街を守っているからなのであった。  
 
 
End.  
 

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