『導入部』
「北の狐どもが南下し始めたそうなのです」
開口一番に羊の長はそう言った。
ちらりと自分の父親を見ると目をつぶって何かを考えているようで、
羊の長の隣に座る少女に瞳を向ければ……目があった瞬間ビクッとして俯いてしまった。
「つまり、俺たちにそなたらの村を守って欲しいわけだな」
その声を聞いた羊の長は首を立てに振った。それを見て父親はまたしばらく考え出す。
そしてしばらく考えた後に気になる要素がまだあるらしく、父親であるこの村の長は首を羊の長の横の少女へと向けた。
「それで………そちらを、と言うことか」
それを聞いた羊の長は首を大きく縦に振った。
「そうです。この子………ネリーをキーファ殿に………」
それを聞いた我が父はふむ、と声を出してから何かを考え始めた。
原因はここから東にある羊たちの村に狐たちが迫っている事らしい。
この村に住む我々狼の民と、東に住む羊の民は昔は仲が良かった。
本来なら食うものと食われる側の立場なのだが、この村のやつらは羊毛製品が大好きなのだ。
なので食べるよりは仲良くして羊毛を分けてもらおうと考えていたわけだ。
幸いにも西のほうでは集落が完全にできていなかったりする別の種族がうようよ居る。そいつらを食べていたわけだ。
だが、100年ほど前に大飢饉があったらしく食べ物に困ったうちらの先祖は羊どもに手を出してしまったらしい。
それ以来仲が悪くなってしまい、飢饉が終わって豊作が続いている今でも友好関係は断たれたままだ。
だが、ここに来て事情が変わった。羊たちの北に生息する狐どもが南下し始めたらしいのだ。
あいつらはグルメだと聞いたから、おそらく羊どもを食べたいと思ったのだろう。
それは困った、と羊の長は思ったらしい。なんせ奴らの目的は肉なのだ、羊毛あげるからお引き取りくださいとはいかないだろう。
そこで、また我々狼の民と友好関係になる事を望んだらしい。
そこでの手土産となったのが長の娘である少女、ネリーと言うらしい。
そいつを俺の嫁とすることで、今回の同盟を締結しようと考えているらしい。
「キーファ、お前はどう思う?」
「俺は別に構わないぜ。あの女からは村の女どもとは違って良い匂いがするしな」
ああ、そりゃ当然か。本来は俺らの食べ物となるんだっけか?
「うむ、分かった。ではこの件を受けるとしよう--------」
こうして、俺の嫁は決まったわけだ。
『その1』
一週間がたった。
あれから、数名を北の森へと偵察に向かわせたりと狐対策は着々と進んでいる。
で、俺の新婚生活だが………。
「ネリー、ちょいと出かけてくる」
「はっ、はい。いってらっしゃいませ」
………夫婦というよりご主人様と召使って感じだ。
なぜか敬語を使ってくるし我侭等もまったく言わない。それに自分はネリーの笑った姿をまだ一度も見ていない。
やはりいきなりこんなところに放り出されるのは怖いのだろうか。
まぁこの村にはネリー以外は全員狼だし仕方ないのかもしれないが。
そしてネリーはまったく外出しなかった。結婚式を終えてから一歩も外に出ていない。
ずっと家の中で羊毛を使った編み物をしている、まぁ編んでもらったマフラーは暖かいし、もうすぐ冬になるからちょうど良いのだが。
ともかく元気な姿を見ていなかった。かわいいのだがどこか儚い、それが今のネリーだ。
西での狩りを終えた集団がちょうど村に戻ってきたらしい。
そういえば自分の家の貯蓄がなくなりかけていたので明日あたり自分も狩りに行かないといけない。
そんな事を考えてたら目的地へと付いた。
村から少しはなれたところにある川辺だ。
そこからネリーの普段食べている草を探してもってきた大きめの籠の中へと入れていった。
あれからネリーは家から出ていないので、最初に溜めておいた草がなくなりかけていたのだ。
料理は、ネリーが肉を裂くのが怖いらしく自分がやっている。まぁ、草食だから仕方ないのだが。
ともかく草がなくなりかけていたので集めているのだ。
しばらく集めて籠の半分まで溜まった頃、おもむろに草を噛んでみた。
………苦い。傍を流れる川で口をゆすいで対処するが、まだ口の中に苦味が残っている。
流石に肉食の自分では草の味を理解するのは難しいようだ。また作業に戻ることにする。
家に帰るとネリーは俺が背負っていた籠の中を見て驚いたようだった。
「あの、おいしそうな草がたくさんありますけど………」
「ああ、草がなくなりかけてたから採ってきた」
それを聞いたネリーはびっくりした表情で俺を見つめた。
「え?な、なんでキーファ様が草を?」
「はぁ?お前の食べるものがなくなっちまうからだろ」
「そ、そんなの。言ってくだされば自分でとってきましたのに……」
それを聞いて思わずため息を吐いた。
それを見たネリーはビクッと肩を震わせたがおとなしくしている。どうやら次の自分の言葉を待っているようだ。
「夫は家族の食料をとってくる。妻は家事をして夫の帰りを待つ。普通の事だろ?」
それを聞いたネリーの瞳からはぶわっと涙があふれ出てきた。
びっくりして何か変な事を言ったかと考えていると、それに気がついたのか涙を拭きながらこう答えた。
「わ、私のような者でも、妻と言ってくださるのですか?」
「当然だろ。そんじょそこらの奴よりはよっぽどかわいらしいしな」
そう言って頭をなでてやるとネリーは少しだけだが微笑んだ。
なんだ、やっぱり笑っているほうがかわいいじゃん、こいつを嫁にして良かったわ。
その日からネリーは笑うようになった。
外出はまだしないが、家に帰ってきたときには綺麗な笑顔を見せてくれる。
掃除にも慣れたのかいつも家はピカピカだ。
そんなある日の事。
その日は村の者と一緒に狩りへと向かった。
そして村の北西あたりの森でで獲物を探しているとめったに見れない連中と出くわした。
狐だ。
中には銀狐や黒狐もいるがほとんどが金色の毛並みだった、そしてそいつらはまだ若いやつらだ。
その中で赤い毛と瞳を持つやつと目が合った。おそらくこいつがリーダー格だろう。
そして自分たちも村の若い者たちで来ている。つまり次世代と言うわけだ。
そして自分は長の子供、つまり次世代の長。そう、この集団のリーダーでも有るわけだ。
瞳が会ったそいつと、自分。二人は一瞬で理解した。
今この場に、狐と狼の次世代が集まっている。
そして冷静な思考とは別に体の中心は暑くなっていく。
この場で優位に立てることは、羊たちの村がどうなるかも関係してくるからだ。
それはお互いに理解している。そしてそのことに周りの連中も気が付き始める。
出会ってからお互いに動かなかったが、場の空気が一気に重くなった。
「名前を、聞いてもよろしいですか?」
そいつはやさしい口調で聞いてくるが、そこには隠しきれない殺気が含まれていた。
狐は狡猾な種族だ。この会話も一瞬たりとも気を抜けないだろう。
「キーファだ。てめぇは?」
「アスフェルです」
「そうか………ところで、最近聞いたんだが………てめぇら、羊たちにちょっかい出そうとしているらしいな」
それを聞いたアスフェルは、薄かった笑みを深いものへと変えた、そして手を上に上げると後ろに控えていた連中がいっせいに構える。
それを見た狼たちもいっせいに構えて、場は一触即発の空気へと変わった。
「だとしたら?」
挑発するように聞いてくる。
ドクン、と心臓が脈打つ音が聞こえる。
「俺の嫁さんはその村の出身でよぉ」
ドクン
体中がカアッと熱くなっていく。
「あいつの故郷を荒らされたく無いんだよ」
ドクン
そしてサアッと体が冷たくなっていった。
「まぁつまり………」
ドクン
「死んでくれや」
ウオオオォォォォッッッッ------!!
雄叫びを上げて突っ込んでいく仲間たち、そしてそれに答えるように自分に向かってくる狐たち。
先頭同士がぶつかり合って、鈍い音が森に響いた。
地の飛ぶ音や乾いた音があたりに響き渡る。
それに興奮を覚えた体を収めるために自分に向かってきた狐へと爪を向けた。
肉の潰れる音と断末魔が聞こえてきたが無視して腕を振り切った。
乱戦に告ぐ乱戦。
終わる頃に立っていたのはお互い数名づつだった。
「今日はこのぐらいにしとこうぜ、アスフェル」
それを聞いた狐は首を縦に振った。
「ええ。………次に合う時はおそらく父上たちと一緒でしょうが、そのときはよろしくお願いしますよ。キーファ殿」
動けるものに指示を出してアスフェルは北へと帰っていった。
同様に自分も部下へと指示を出すと死んでしまったものを供養してやり、村へと引き上げた。
「親父、今日狐の若い連中とやりあった」
自分の家から少しはなれたところにある家に入り、そう告げた。
父親はそれを聞いて驚いた顔をしたがまじめな顔になって言った。
「どのあたりだ?」
その後色々と聞かれて丁寧に答えていく。
「最後だ、おそらく狼と狐で全面戦争になるだろうが、次に戦う時はどうする?」
ニヤリと笑いながら言った。
「アスフェルは俺がぶっ潰す」
「うむ、それでこそ我が息子だ」
満足したように顔を振るともう帰っても良いと言われた。
家に帰ると、ネリーは俺が怪我をしていることに気がついたのかあわててタオルを持ってきた。
そして血を拭うと部屋にあった薬草を幹部に塗り始めた。
「一体何があったんですか?キーファ様がこんなに怪我を負うなんて……」
不安そうな顔で覗き込んでくる。その瞳を見ているとなぜか申し訳ない気分になってきた。
「狐どもとやりあってきたんだ」
それを聞いたネリーは驚いて何かを言おうとするが、
それのために自分は嫁いできたのだと気がついたのだろう。何も言わずに口を閉じた。
最終的にはただ一言。
「絶対、帰ってきてくださいね……」
フッと笑ってから言った。
「当然だ」
続く