楓狐の伽草紙(かえでぎつねのとぎぞうし)  
   
■序■  
   
 我々が住むこの地上より遥か天空の別次元に、広大で緑豊かな大陸『高天原(たかまがはら)』 
がある。そこには八百万(やおよろず)の神々や、その神々に仕える神使達(しんしたち)が住んで 
いた。  
 この領の一つ稲荷領には、稲荷系列である神々の代表神であり、稲荷神の神役を持つ夫婦神 
『ウカノミタマ神』と『トヨウケ姫神』、そして娘の『オオミヤ姫神』と、稲荷系列の神々に仕 
える大勢の稲守狐(いなもりぎつね)が住んでいる。  
 稲荷神が住む神殿の一つ拝謁殿(はいえつでん)に、ウカノミタマ神と、稲守狐の総宰領(そう 
さいりょう)である神役にあたる白狐神の、天狐久遠がいた。そして、この二神はここで話をし 
ていたのだった。  
   
「お前の娘はもう、地上に降りたのか?」  
「はい、昨日この地を発(た)ちました。今朝、支援者である夫婦とコンタクトが取れた旨、娘か 
ら連絡が入った所です」  
「そうか……久遠よ、お前の娘にとってこれは決して悪くは無い役目ではあるのだが……お前達 
夫婦には申し訳無いことをしたかもしれんな……」  
「いえ、滅相もありません」  
「この役目の遂行は全稲守狐の中で、お前の娘が最も適しているのでな。許してくれ」  
「はい、仕方無いと心得ます。これは娘に与えられた大事なお役目です。私も妻も、娘が選ばれ 
て光栄に思っております」  
「しかしだな、役目に対する真の目的を話さなくてよかったのか? お前の娘に?」  
「はい……娘は稲守狐の官女として、まだまだ未熟であります。話してしまうと、緊張が原因と 
なって大失敗するに違いありませんので」  
「そうか、分かった……恐らく遠い将来、私はあの少年に会わねばならなくなると思う。地上に 
降りた時、頃合を見て真の目的を話すとしよう。お前は引き続き例の監視を頼むぞ」  
「承知しました」  
   
 地上での役目は専任の稲守狐が担当している。彼らは霊狐であるため、霊的能力の高い人間を 
除いて、人間の目に見えることはまず無いのだった。人間たちはその稲守狐を、御先稲荷(おさ 
きとうか)と呼んでいる。  
 しかしたまにではあるが、ウカノミタマ神も地上に降りることがあるのだった。  
 ウカノミタマ神はゆっくり立ち上がると、退路の方向へ歩き出した。しかし、まるで何かを思 
い出した様に途中で立ち止まってしまったのだ。  
   
「それにしてもだ……あの使い魔は何とかならんのか? あれはまずいと思うのだが?」  
「ええまぁ……娘について行くとあまりにも泣き叫ぶもので……ついつい……娘に与えられたお 
役目遂行に支障をきたす様でしたら、強制的にこちらへ戻しますゆえお許しを」  
「それならいいが……しかし心配だな……」  
「おっしゃる通りで……」  
   
 二人は頭(こうべ)を垂れてため息一つ、困惑していたのだった。  
   
                    ★彡  
   
 それから幾年月が過ぎ……天狐久遠の娘が地上に降りてから、約十年が経過していた。その娘 
は今でも地上で、与えられた役目を継続しているのだった。与えられた役目遂行の条件に、『特 
殊変化(とくしゅへんげ)で人間にならねばならない』という項目があった。  
 霊狐の体は『霊』と『幽』の二つから構成されている。そして特殊変化を行うと幽の部分が物 
質化し、望んだ哺乳類生物の同じ性――これ以外には変化(へんげ)できない――の肉体に変って 
しまうのだ。これは人間の目に見えてしまうことを意味する。  
 これが原因なのだろう、『狐崎家の長女』と言う戸籍ができあがっていることといい、『両親 
は海外赴任の最中とする』と言われたことといい、学校にいかねばならないことといい、全く持 
って人間の生活そのものを体験せねばならないのだった。それは非常に不便なのだ。  
 メインの役目はただ単なる御先稲荷なのに、なぜこの様な特殊変化をする必要があるのだろう 
か? 天狐久遠の娘は今日までずっと疑問に思っていたのだ。  
 しかし、個人的な目的を果たせ易いと言う利点もある。不便な思いはしていたが、別に不満で 
はなかったのだった。  
   
■第一話(1)■  
   
 少女の目前には、誰も理解しがたい暗闇が広がっていた。暗闇と言っても、そこは光る雪の様 
な、あるいは光る綿の様な、小さくておぼろげな物がふわふわと無数に漂っている、出口も入口 
も窓も床も天井も見えない広がった空間。  
 少女はそんな暗闇を漂っていたのだ。それはまるで海中を漂うだけの、泳ぎを忘れたクラゲに 
なったという感じだった。  
 そこは何も聞こえない、自分の体に当たる感覚もない、手足で触れることもできない。まるで、 
肉体を失い霊体にでもなった感覚に陥ってしまう。いや、霊体にも感覚はあるかもしれないから、 
この発言は間違いかもしれない。  
 なぜか少女は一糸まとわぬ産まれたままの姿で、仰向けに浮かんでいた。その少女、年齢は十 
五歳。当然その少女に第二次成長があるわけで、どうしても『産まれたままの姿』という言葉に 
違和感を感じてしまうのだった。  
 その少女、背中まで伸びた灰銀色の輝く髪。瞳は、見たとたん目を離すことさえ忘れてしまう 
ほど、透明感のある深緋色(こきひいろ)。  
 肌は、雪が多い地方の女性だけが持つと言う、きめが細かく白に近い肌色。さほど大きくはな 
い乳房と体の形を描くそのライン、それは羞恥心を引き出させて凝視できないほど美しい。  
 顔立ちには少し幼さが残っていて、『綺麗な』よりも『可憐な』と言う形容詞が似合うと感じ 
てしまう。  
 その少女の姿は、一見すると普通の人間に見える。だが、違う所が二つだけあった。それは白 
地に先だけ黒い狐耳と白い狐尾、この二つを持っている稲守狐の少女だったのだ。  
 その少女は、まるで寝ているかの様に目を閉じている。そんな時、少女の耳に微(かす)かな人 
の声が聞こえてきた。  
   
「コン……コン……」  
   
 その声は幼い少年の声だった。それは人間の耳だと、聞き取るのも難しいほど小さな声。まる 
で少年が、少女の耳にだけ声を届けていると思えるほど小さかった。  
   
「コン……俺や……起きや、コン……」  
   
 狐は音源の『方向』や『距離を測る』など、音に対する能力が高いと言われている。  
 少女は既に、野山に生きている狐とは違う稲守狐(いなもりぎつね)になっていた。しかし、そ 
れでも狐のはしくれ、音源の方向はすぐに分かった。  
 だから少女の狐耳は、既に音源の方向を向いていたのだった。人間の耳では、恐らく方向は分 
からないと思う。  
   
「誰? ……私を呼ぶのは? でも私は……楓……」  
   
 少女の名前は『狐崎楓(こさきかえで)』と言う。だが、その少年は少女の名前を知らなかった 
らしい。そのため、『楓』ではなく『コン』と言う名前で呼んでいたのだ。しかし、なぜ『コン』 
と呼ぶのかは全く分からないのだった。  
 楓は少年の顔を見ようと、ゆっくり目を開けた。すると目前には、歳の頃なら六歳くらいの少 
年、短髪の黒髪に黒い瞳を持ち、顔立ちは、実年齢より少し幼い感じの少年が向き合う形でそこ 
に存在していた。  
 そして少年の顔を見たとたん、少女は目を見開き驚いていた。しかしすぐに、少年に対して懐 
かしそうな表情に変わっていた。  
 楓は思わず、少年の愛称を口にしたのだった。  
   
「あっ! あなたは……カッちゃんなの?」  
「そうや、俺や……」  
   
 つまり、楓はその少年を知っていたのだ。  
 その少年も楓と同じ、一糸まとわぬ姿をしている。逆にこっちは第二次成長が無く、まさしく 
産まれたままの姿と言う言葉が似合うと思う。  
 しかしながら、裸なのにその格好が恥ずかしいと言う感情は、二人とも湧かない様だ。さっき 
から普通に見つめ合っているのだから……  
   
「コン……会いたかった……」  
「もしかして……私を探してたの?」  
「ああもちろんや、一時(いっとき)も忘れたことあらへんよ……」  
「う、嬉しい! 私、嬉しいよ……」  
   
 楓は突然少年に抱きついた。その動きはまるで、少年と言う名の磁石に吸い寄せられる、楓と 
いう名の鉄片と言う感じだった。  
 楓はよっぽど嬉しかったらしい。その証拠に、楓の狐尾が左右に振れ始めている。それはまる 
で犬の様にだ。  
 そして、楓の狐耳は少年の声や行動を逃すまいと、しっかり少年の方を向いていた。  
   
「そりゃよかったわ、わざわざ会いにきた甲斐があったちゅうもんやな」  
「所でカッちゃん、ここは一体どこなのか分かる?」  
   
 そう言いながら楓は辺りをきょろきょろ見回し、再び少年を見た。  
 楓はこの場所に、疑問を持ち始めたのだろうか? しかし自分が分からないと言うのに、果た 
して少年に分かるのか疑問なのだが。  
   
「ここはな、コンと俺、二人だけの世界や」  
「ブッ……ハハハハハ……二人の世界って何それ? まあ確かに、私たち以外誰もいないみたい 
だけどね?」  
「そやろ? まぁ、それはええとしてやな……俺、コンにお願いがあるんやけど……」  
「お願い? お願いって何?」  
   
 突然の言葉に楓は首を傾げ、さっきまで振っていた尾を静かに止めた。  
   
「コン……俺……俺な、あんたが欲しいんや、全部欲しいんや」  
「へっ? 全部って? 何を全部?」  
   
 そして楓の顔は目が点になり、頭上に疑問符が一つ二つ三つと幾つも浮いた。この時点で、楓 
は今ひとつピンとこなかった様だ。  
   
「そら俺は男で、あんたは狐やけど女や。そなもん、昔から決まってるやんか?」  
「…………いっ!」  
   
 少年はまじめに、微笑みながら答えた。それを聞くや楓の顔が攣(ひきつ)り、狐耳が倒れ、狐 
尾に生えている毛という毛全部が逆立った。楓はかなり驚いたらしいが、当然の話だろう。  
 少年の言葉に、多大な困惑を覚えた楓。自分にはどうすることもできないので、抱きしめてい 
た腕を放し少年を自分の体から遠ざけた。  
 そう、少年はあの気持ちのいい、男と女のコミュニケーションを言っていたのだ。驚いた、こ 
いつ本当に子供なのか?  
   
「えぇぇっとその……あの……えっ! えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ! つまりつまりっ! 男 
と女がするあれのことおぉっ?」  
   
 楓は頬だけ赤く染め、叫びながら、何やら訳の分からないゼスチャーを繰り返している。いや、 
それはただ無意味に両手をパタパタさせているだけとも言える。  
 驚きとあせりで、楓はもう壮大なパニック状態になってしまっている様だ。  
   
「そうやっ! 俺……コンと……コンとエッチしたいんや……」  
「エッチ……エッチって……やっぱ、それまずいよっ!」  
「コン……俺のこと嫌いなんか?」  
   
 楓はエッチの言葉に思考とゼスチャーが停止し、顔は真っ赤に熟れたリンゴの様に全体が一気 
に染まっていた。  
 少年は満点の笑顔で楓に恥ずかしいセリフを使って要求するも、断られ悲しい表情に変わって 
しまっている。  
 性に対する羞恥心と、子供相手の罪悪感で楓はどうしてよいやら分からず、狐尾を股に軽く巻 
き込み、困惑の表情で自己最大にあせっている様だった。  
 その少年は楓を心理的に追い込もうとしているのか、それとも素直な気持ちをそのまま言葉に 
したのか分からない。しかし子供のくせに、もし前者なら最低の野郎だと言えるだろう。  
   
「そんなことない、そんなことないけど……でもね……」  
「だったら、どうして拒否するんや?」  
「そりゃあの時、私は子狐ながらも『あなたの赤ちゃん産むことになるのかな』と思った。もし 
そうなったらあなたを受け入れようとも思った……じゃなくってぇ、私だって心の準備が必要な 
の……じゃなくってぇ、あなたはまだ子供でしょっ! そんなことしたらいけない歳でしょうが 
っ!」  
   
 少年はさらに楓を追い込んでいく。楓は別に少年の要求を聞く必要はない。だから『嫌いです。 
だから断ります』で、きっぱり断ればそれで済むはず。  
 なのに、楓は『きらい』が言えない。それは楓がその少年に嫌われたくないらしく、だから 
『嫌い』だけは言えないのだ。  
   
「あの頃、そう思ってたんならええやんか……歳なんか関係あらへんよ。大丈夫や、コンの全て 
を俺に預けてや。今まで味わったことのあらへん、素晴らしい世界を味あわせてあげる」  
「素晴らしい世界って? ……あのね分かってる? 君はまだ子供だよ、こんなことしちゃいけ 
な……………………うぐっ!」  
   
 楓は少年に指差して忠告を与えた。それは一点の躊躇(ちゅうちょ)も無く、ビシッと音が聞こ 
えそうなくらいの勢いだった。  
 しかし、少年は目を閉じて「何も言わなくていいよ」と言わんばかりに、口をふさぐがごとく 
楓の唇を奪った。少年はとうとう行動に出たのだ。楓は突然の行為に驚き、眼(まなこ)を広げて 
少年を見ている。  
 そして、この少年野郎はさらに行動をエスカレートさせたのだ。  
 

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