世知辛い世の波が、こんな田舎にも押し寄せてきた。  
 
――つまるところは幼馴染の帰郷である。  
 
夜勤明けでへとへとになり、帰宅している最中に自販機の前でばったりと出会った。  
平日の、午前中である。  
東京の大手会社で働く彼女がこんなところにいるなどありえなかった。  
缶コーヒーを受け取り口から拾い上げ、早々にプルタブを押すと口をつけている。  
薄く湯気が立つ甘さたっぷりのホットコーヒー。  
道端で飲むとは相も変わらず行儀が悪い。  
 
「……乃理歌さん?」  
「和義。久しぶりじゃない」  
「どうしたのこんなとこで」  
「相変わらず馬鹿ね。ニュース見ていないの?」  
 
くすりと笑うその笑顔は意地悪そうで、彼女らしくないダサいジャージを着込んでいた。  
道々帰りながら聞いたところ、この不況下で会社が倒産したそうだ。  
俺の会社も食品関連とはいえ町工場、このご時世で笑い事ではない。  
 
「両親が結婚しなさいって煩いんだもの。さっさと次の仕事を見つけてしまえば親の見合いなんて  
 断れるんだけれど、このご時世でしょう。もうどうしようもなくって一時帰郷よ」  
「へえ」  
「他人事ね。お母さん、知り合いに当たりまくって手近な独身探してるんだから、  
 あんただって狙われるわよ。和義ならいいかもしれないけど、楽だし」  
「俺、尻に叱れるの嫌い。あと乃理歌さん財布の紐緩そうだから結婚したくない」  
 
殴られた。  
 
相変わらずだった。  
本当に何年ぶりのゲンコツだろうと思うとやけにおかしく少し不満だ。  
 
同じ町内会で、俺の姉貴分でもあった春原乃理歌さんは、  
大学で上京して以来、数えるほどしか帰郷しなかった。  
帰郷はしていたのかもしれないがどちらでも構わない。  
会っていなかったのなら、帰ってこなかったのと同じだからだ。  
わざわざ恋愛関係でもなかった弟分に声をかけに来るようなひとではなかった。  
昨年の夏に珍しく裏手の道路で缶コーヒーを飲んでいたのを見かけ、少し立ち話をした程度である。  
それだって十年ぶりのことだった。  
 
「失っ礼ね。これでも結構倹約しているのよ貯金もあるわよ。服だってバーゲンで買ってるし」  
「それ分かんねー、倹約じゃないだろ。なんで女の人って毎年服新しくするわけ?  
 まだ着れるのに新しく買うこと自体無駄だよ、無駄」  
 
言いながら言葉尻がしぼんだ。  
こういうところが今まで付き合った彼女達にはうっとおしく細かい男に映ったのだろうか。  
乃理歌さんは俺を見て眼を細めた。  
午前中の冬風は乾いて、青空に枯葉を飛ばす。  
 
「相変わらず、和義には呆れるわ」  
「うるさいね。どうせ細かい男だと思ってるんだろ」  
「頼りになるってことよ。いいじゃない。頑張ってるってことでしょ」  
 
ただ、乃理歌さんは、俺が進学を諦めて働いている理由を知っているので。  
その同年代に比べて余裕のない経済状況もきっとおじさんおばさんから聞いているので。  
きっとそれで、このとき笑わなかった。  
薄茶色の髪はカールがとけかけて、県道を背にふわふわと浮いていた。  
 
当時の俺は年上の乃理歌さんを女性として好きだったわけではない。  
中高生にとって近所の姉貴分なんて憧れか実の姉貴並みの扱いかどちらかにしかならない。  
乃理歌さんは外面だけはよかったのだが、俺には暴君だったので後者だった。  
 
「ああもう。こっちは寒くて嫌になるわ。マフラーを貸す気ない?」  
 
ああ、ほら今もこうして仕事でへとへとな俺のマフラーを強奪している。  
お駄賃なのか何なのか、飲みかけの缶コーヒーを押し付けて。  
こんなに温くて甘たるいものが飲めるわけがないだろう。  
まったくもって暴君だ。  
 
今でもきっと彼女の本質は変わっておらず、結婚したら苦労をする。  
 
両親のいない俺の家はぼけ始めた祖父だけが残っていて、いずれ介護だの何だのと、結婚相手は苦労が多くなるだろう。  
俺自身にも学歴がなく、年収もたいして高くはない。  
お買い得なのは姑がいないことくらい、見合い話なんて舞い込んでくることもない。  
 
――だから彼女が俺に行き当たることはおそらくないのだ。  
 
それを残念だと、心のどこかが感じたのは気のせいに違いなかった。  
 

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