「美味しかったぁ」
昼休み、学校の屋上で弁当を食べていた智子(さとこ)は満足そうに呟く。
彼女の周りには、上級生・下級生問わず数人の男女がビニールシートに
座っている。その中には彼女の弟の孝明(たかあき)の姿も在った。
「ご馳走様でした」
智子と時を同じくして食べ終わった孝明は、自分の弁当箱を片付けると行
儀良く手を合わせる。
周りには未だ食事中の者も居るというのに、彼は立ち上がると口を開いた。
「皆、ごめん。用事有るから、俺先に戻るね」
快く返事を返してもらい、孝明はその場を後にしようと歩き出す。そんな彼の
後を追うように智子も立ち上がった。
「ごっめーん、あたしもちょっと用事が有ったんだ。先に戻ってるね」
手を小さく振って別れを告げると、小走りに弟の背中を追いかけた。
階段を降りかけたところで追い付き、ポンと肩を叩いて弟の横に並ぶ。
「今日、お父さんとお母さん帰って来れないらしいから」
「え、そうなの?」
姉の言葉に驚きを隠せない孝明。
今朝家を出るときはそんな事言ってなかったのだ。
「さっき携帯にね、メールが来たの」
智子は高校3年生。
進学を希望しているのか就職を希望しているのかまだ分からないが、この歳
になると3者面談だの何だのと連絡事項も増えてくる。
彼等の両親は共に仕事を持っており、更にはここ数年は忙しくて家を空ける
事も多くなっていた。そこで年上の彼女には連絡用として携帯電話を持たせて
いるのだ。孝明も欲しいとねだりはしたものの、何かあればお姉ちゃんに言っ
て連絡してもらいなさいと持たせては貰えなかった。
「だから、帰りに買い物しなくちゃいけないの」
「分かった、荷物持ちだね?」
「ふふ、正解。校門のところで待ってるから、お願いね」
そこまで言い終わると、智子は『えい』と声を掛けて飛び降りた。残りは3段
だったのでそれほど無茶では無かったのだが、夏服のスカートが空気を孕ん
でふわりと持ち上がった。
「――!」
瞬間、夏スカートの薄い生地が日差しを受けて彼女の白い肌を透かして見
せる。
ゴクリと唾を飲み込んだ孝明は、次いで更なるものを目撃してしまう。
なんと、着地と同時に姉がスカートの前を押さえた為に空気が逃げ場を失
い、スカートの後ろを大きく捲れ上がらせたのだ。
「じゃあね、孝明。放課後ヨロシク!」
その場でくるりとタ−ンして弟を見上げた智子は、軽くウィンクを投げ掛けると
片手を上げて教室へと戻って行ってしまった。
「はぁ…」
先程の光景が頭から離れず、5時限目の授業内容がさっぱり頭に入ってこ
ない。
(黒…だったよな)
自室に隠し持っている本に書いてあった言葉を思い出す。
――セーラー服には黒い下着が良く似合う
その通りかも知れないと、黒板の文字を写しながら思ってしまう。
ずっと憧れてきた姉。成績優秀で定期テストでは常に学年で上位に入ってい
るらしい。それに加え、高校入学してからずっと水泳部で活躍してきたらしく、
大会でも良い成績を収めているのだ。彼女の部屋には賞状やらトロフィやらと
ところ狭しにならんでいる。そんな姉だからして、スタイルもそんじょそこらの
女子校生とは比べ物にならないくらいにすばらしい。しかも、泳ぐのに邪魔に
なるのでは無いかと思うくらいに胸も膨らんでいる。
(あぁ…お姉ちゃん…)
教師の話を上の空で聞きながら思いを馳せていると、丁度チャイムが鳴り響
く。クラス委員の号令に合わせて立ち上がり礼をした後、孝明は急いで帰り
支度を始めた。
「おーい、孝明。今日帰りに」
「すまん大輔、今日は急いで帰らないといけないんだ」
「また今日も親父さんたち帰ってこないのか?」
「ああ、そうなんだ」
孝明の家庭事情はクラスの皆に知れ渡っていた。というのも頻繁に今日み
たいな事があるからだ。
「そっか、じゃあ仕方ないな。またな」
「ああ、また明日」
片手を上げて別れを告げると、孝明はそそくさと教室を出て行った。
校門を1歩でたところで、智子は壁に背を付けて腕時計を気にしていた。
5限目が終わってからそれほど時間は経っていないのだが、彼女のクラスは
今日に限って授業の終わるのが10分も早く、掃除当番でも無い為に直ぐに
ここに来て弟を待っていたのだ。既に20分近くは経っている。
時間を確認した後、智子は空を見上げた。空を漂う雲が形を変え、孝明の
顔の様に見えてくる。
(孝明…)
いつも元気で明るい弟。そんな彼の笑顔を思い浮かべて溜息を吐く。
智子には、彼の知らない、知られる訳にはいかない秘密があった。
それは、今から3年前の事。
当時受験を控えて勉学に励んでおり、彼女は色恋沙汰とは無縁の生活を
送っていた。そんなある日の事。塾での授業で解らない部分が有った為に、
授業後講師に教えを請うていた。お陰で遅くなり、帰路についた頃には辺りは
すっかりと暗くなっていたのだ。早く帰って予習復習をしなくては、それだけを
念頭に近道をしようと普段は通らない道、日中でも薄暗いその道を通ってしま
い――智子は数人の男達により暴行を受けてしまう。
娘の帰宅の遅さに心配した両親が彼女を探し当てた時には既に暴漢ども
の姿は無く、ただ気を失っている智子が痛々しい姿で横たわっているのみで
あった。
男性経験など勿論無かった彼女にとって、その出来事は深く深く心に傷を
負わせる事となった。警察に訴えて犯人は捕まったものの、それで少女の心
傷が拭えるはずも無く、しばらく智子は自室から出ようともしなかった。
そんな彼女を救ったのが、弟の孝明である。
中学1年生の男の子と言えば、思春期の真っ只中。恋愛に興味を示し、その
反動か身近な異性(母親・姉妹)に対して冷たく当たってしまいがちなのが通
例である。ところが孝明はそういった素振りは一切見せず、学校帰りに公園
で花を摘んできては姉に差し出したり、忙しい両親に代わって料理をしては
部屋から出ようとしない彼女の下へと運び食事を手伝ったりと、それはそれ
は甲斐甲斐しく世話をしていたのだ。
当時の彼にしてみれば、何故に姉がその様な状態に陥ったのかも知らされ
ないままに。
――今日の晩御飯は孝明の好きな豚カツにでもしようかしら
何を買って帰るか考えながらチラリと目をやると、丁度孝明が昇降口から駆
け出して来るのが見えた。
「はぁはぁ、お姉ちゃんごめん。待ったよね?」
「大丈夫よ、そんなに待ってないから」
鞄から水筒を取り出してお茶を注ぐと、息を荒げる弟に差し出す。
「どうしたの、そんなに慌てて」
「ん…ふぅ、ありがと。
廊下で谷本に捕まっちゃってね、それで…」
お茶を流し込みやっとの事で落ち着いたのか、孝明は息を整えて話し出した。
「谷本って、古文の谷本先生?」
「そそ、あいつって生活指導もだろ?
急いでたもんだからつい…廊下を走っちゃってね、それで」
「もぉ、そんなに急がなくても良かったのに」
「お姉ちゃんを待たせる訳にはいかないからね」
ありがとうと言うように『バカね』と囁きながら微笑むと、人差し指で弟の額を
軽くつつく。その気遣いに胸を弾ませながら、孝明と肩を並べて歩き出したの
だった。
夕食後、後片付けをしながら智子は弟に風呂を勧めた。
「じゃ、先に入るね」
「ちゃんと温まるのよ、汗いっぱい掻いてるんだからね」
まるで幼子に言うように、脱衣所へと消えていく弟の後姿へと声を掛ける。
そうこうしている内に洗い物もあらかた終わり、次いで洗濯物をたたみ始め
る智子。全てをたたみ終えると『よっこらしょ』と凡そ女子校生に似つかわしく
ない掛け声と共にそれらを持ち上げ、2階へと上がっていく。
「ふぅ…」
それぞれを所定の位置に戻し終え、息を吐く。
その時、階段を上ってくる足音が聞こえた。
「孝明、上がった?」
「うん、ちょっとパンツ忘れちゃってね」
そう言って彼女の前に姿を現した孝明は、上半身裸、下半身にはバスタオ
ルを巻きつけただけと言う格好であった。
「じゃ、あたしもお風呂入ってくるわね」
自分の下着を弟に見られないように後ろ手に持ってすれ違った、その時。
智子のブラジャーのホックが引っかかり、孝明の腰からバスタオルが外れて
床へと落ちてしまった。
思わず『あっ』と声を上げてしまう孝明。
その声に反射的に振り返り、智子の目に弟の陰茎が飛び込んできた。
「きゃっ」
頬を染め、顔を背ける智子。
慌ててタオルを拾い上げる孝明。
ところがタオルが引っかかってしまっている為、姉の手から下着がずり落ち
てしまう。
「ご、ごめん」
気まずい雰囲気が漂い、お互いに無言のまましばしの時が流れる。
「だ、大丈夫だから」
一瞬身を竦ませるも、我を取り戻すと、自分自身に言い聞かせるように呟い
た。
そのまま逃げるようにして階段を下りていく。
ややあってから、風呂場のドアが閉まる音が聞こえてきた。
(やーん、見られちゃった)
湯船に身体を横たえながら、照れ隠しの為か鼻までを沈める。
見られたと言っても下着だけである。下着姿を見られた訳でも無ければ、裸
を見られた訳でも無い。だが、そんな事は年頃の乙女には関係ないのだ。
しかも、彼女を羞恥へと駆っているのは、それだけでは無かった。
自分もまた、彼の裸を見たのだ。
兄妹という立場上だから、このように風呂上りなど上半身裸というのは見慣
れはしている。しかし、下半身となると話は違ってくる。
同じ屋根の下で暮らしており、また家族という安心感からか弟はパンツ一枚
の姿でうろうろしている事もたまにはあるし、それを目撃したことも何度かは
ある。しかし、彼の陰部を生で見てしまったのは、今回が初めてだった。
(……)
数年前の出来事がフラッシュバックし、智子は身を震わせた。
だが、彼のものが小さかった事(孝明の名誉の為に言っておくが、誇張して
もなお小さいというのでは無い。血液が集まっていない通常の状態だったから
こそ、小さいのだ)が、彼女に妙な安心感を与えていた様だ。吐き気や嫌悪感
を感じてはいなかったのだから。
あれ以来感じたことの無い小さな灯、それが身体の奥に点るのを感じる。
(もしかして…あたし、孝明のこと…)
戸惑いながらも、湯の所為だけではない心地よい温度を胸に秘め、智子は
浴室を後にするのだった。
つづく