狭い個室の中で、少女が目を開けた。  
 くすんだ蛍光灯の明かりに照らされて視界に飛び込んできたのは、灰色の天井。  
 周囲から漂うのは、埃と鉄の匂い。  
 首を左右に傾けると、体育倉庫のマットの上に仰向けで寝ていることが分かった。  
(あれ? 私、どうして、こんなところに……?)  
 霞がかった思考は、目をこすっても醒める気配がない。  
 それどころか、一夜漬けの朝のように、気だるい感覚が少女を包んでいた。  
 窓一つない倉庫からでは、時間も分からない。  
 ただ、身に纏っていたオレンジのユニフォームから、部活の前後に何かあったということだけは想像がついた。  
「あ……」  
 ふと気づけば、目の前には初恋の相手。  
 長身にして顔立ちの整った男が一人、寝ている自分に覆い被さるようにそこにいた。  
 名前も思い出せないが、確かに好きだった男がいた。  
「んっ……」  
 男が唇を寄せ、重ねてくる。  
 柔らかく、蜜のような味の口づけ。  
「んっ……。あっ……」  
 求められるままに応じると、脳髄が痺れて、下半身まで疼いてくる。  
 十分以上もそうした後、やがて男の手がシャツをめくりあげる。  
 僅かな日焼けにも曝されていない胸のふくらみがまろびでた。  
 今なお成長を続ける果実のように、つんと張った双球が期待に震える。  
 ストライプのスポーツブラの上から、やわやわと乳房全体を揉みつつ、そしてすぐに尖り始めた先端をこねくり始める。  
「あふっ……。いっ……んっ……」  
 少女は喘ぐ。  
 夢にまで見た、淡い光景。  
 男の手が、ユニフォームの下とショーツを脱がし、その中心にひたひたと舌を這わせる。  
 鼻息が繊毛に当たり、溢れた愛液が、唾液と混ぜ合わせられる。  
 
(やだっ、先輩の前なのに、こんな……)  
 くちゅりくちゅりと、淫猥な水音が反響して、宙に浮くような気分になる。  
「あ、ああ……う、はあうう……」  
 次々に与えられる羞恥と快感で、もはや舌が回らない。  
「あ、う……?」  
 夢見心地で虚空を見ていると、男の影が動いた。  
「あっ、やっ……!?」  
(何これっ!? いつの間に、ズボン下ろして――)   
つぷりっ。  
「ひうっ……!?」  
 少女が気付いたときには、既にはめ込まれていた。  
 やや固めともいえる抵抗を弾いて、ずぶずぶと一物をねじ込まれる。  
 痛みの恐怖に顔をしかめるが、すぐにおかしなことに気付く。  
(あ、あれ……? 初めてじゃ、ない……?)  
「気持ちいいよ……明菜ちゃん。ううっ、くっ」  
(ああ、そうか)  
 少女はここで思い出す。既に数日前、目の前の男に処女を捧げていたことに。  
(なんだ、じゃあ。心配はないわね)  
「ああっ、明菜ちゃん……」  
「はあっ、気持ちいっ、はああんっ。先輩っ! あふうっ……」  
 身もだえしながら、快楽の波に身を委ねる少女。  
 肌に赤みが差し、スポーツで引き締まった筋肉が、柔らかくほぐれ始める。  
「はっ、んっ……。先輩っ、先輩ぃ」  
 甘い喘ぎをあげながら、唇と腰の二箇所でつながる。  
 ぐちょぐちょと溢れた愛液が攪拌されて、  
「あっ、も、だめぇ……イクッ、イキますっ!」  
 唾液と愛液でウェアをぐしょぐしょにして、少女の青さを残した体が激しく震える。  
「うおっ、おおおおん」  
「あっ、いああああーーーーーっ!?」  
 男は獣のような叫びを上げ、ぎゅっと締め付けられたペニスから、どぷりと大量の精液が解き放ち、少女の胎内を焼いた。  
 
***  
 
 宴の開始から、早二時間が過ぎた。  
「はふ……ああっ。あうっ……ううう」  
 深夜の体育倉庫の中で、断続的に少女の喘ぎが響いている。  
 そこに他人の目があったなら、たちまち顔を背けるほどの異臭と光景が繰り広げられていた。  
「あふっ、あひぃ……んくぁ……」  
 焦点の定まらない目で天井を見続ける少女は、陵辱の限りを尽くされてなお弄ばれる人形のようだった。  
 つんとすぼめられていた唇は、だらしなく開かれ、唇の端から、泡だった唾液が垂れ続けている。  
「うっ、ぐおおっ……!」  
 男が射精する度に、時折ぴくんと、全身を震わせる様は、さながら仰向けにされたカエルのようだった。  
 全身余すところなく、ヘドロのような精液に塗り込められ。常人なら吐き気を催す異臭を放っている。  
 トリートメントされていたショートの黒髪は、精液にパックされて、パリパリに固まっている。  
 男一人分とは思えない、異常な量だ。  
 この場に少女以外の人目があったなら、あるいは、少女が三日前の正気を少しでも保っていられていたならば、あるいはこの異常に気付けたかもしれない。  
 そもそも、少女とまぐわい始めたその瞬間から、男は人ではなかった。  
 精液の量でも、行為の回数と長さより先に気づく。絶対的な、姿という異常。  
 豚とアリクイを混ぜ、ふた周り大きくしたたような奇妙な生き物が、少女に覆い被さり、若い肢体を貪り喰らっていたことに。  
「せん、ぱい……」  
 
「おぉぉおん!」  
 豚のような生き物の長い舌が、生気を失った少女の健康的な胸をべろべろと舐め上げる。  
 ぬちゅりと、ドリル状に捻りのついた浅黒いペニスを引き抜くと、濃厚な精液が、少女のほぐれきった秘裂からどろりと溢れ出した。  
「あ……う……」  
 ぴくりと、少女の体が思い出したように震える。  
「おおおおおん」  
 獣はうなり声を上げた。  
 あらゆる欲望を満たした、絶頂と歓喜の叫びを。  
 
***  
 
「ふう……」  
 早瀬ミナミは憂鬱だった。  
 それはよくある思春期の少女のように、自分と周囲を取り巻く環境のこともあったし。 現在この場、放課後の生徒会室で行われている、数週間ぶりに行われた学年会議の内容についてもそうだった。  
「で、あるからだな! もう少し厳しい罰則を与えるべきなのだ! 甘やかしては生徒は育たん」  
 ロの字型の長机を囲んだ、2学年全クラス、計7人の委員長たちの揃った生活指導室  
 その中心に陣取って、しきりに怒鳴り声を上げているジャージ姿は、先月四十路を迎えたばかりの体育教師にして、生活指導員の室田茂という。  
 会議の内容は、最近、行方不明や素行が悪化するを生徒が増えていることに対しての注意と対策だった。  
 その意見をミナミは律儀にメモしていたが、室井の自分本位な教育論の講壇と化してからは、もっぱらノートは落書き帳へと早変わりした。  
(具体的な指導方法も挙げずに精神論を言われてもね……、私たちにはどうしようもないわよ……)  
 呆れた顔を見せないよう取り繕う。程なくして、会議は終わった。  
「では、失礼します」  
「おい、待て早瀬」  
 ミナミがいの一番に席を立とうとすると、室井に呼び止められてしまった。  
(あちゃー)  
 捕まってしまったと、内心でミナミは歯噛みする。  
 どうも入学して1年と半、顔合わせから約半年はしたが、ミナミはどうも、この室田という男に対する嫌悪感を隠しきれないでいる。  
 潰れた鼻と耳、ニキビに覆われた醜顔はさておくとしても、自分や他人を見るときの視線と、そこに含まれる何か言いようのない粘度が、耐え難かった。  
 
「何か御用ですか?」  
 真っ直ぐ見据えるのは苦痛なので、気付かれない程度に視線を逸らす。  
 開いた口から、黄ばんだ歯を見せて、室田が笑った。  
「お前の素行については心配していないが――ヤツは大丈夫だろうな?」  
「それは、そういう意味でしょうか?」  
「お前のAクラスにも、最近問題が増えたろう?」  
(はあ、気づかれちゃったか……)  
 登下校の記録データと、成績のリスト程度しか見てないくせに、偉そうなものだとミナミは呆れる。  
「気をつけておきます」  
 この横暴な男に、むざむざ親友の心の傷を抉らせるわけには行かない。  
 そう意志を決めて見返すと、室田の大きな手が、ミナミの肩をつかんだ。  
「そうか、だがくれぐれも言っておくが、ミイラ取りがミイラになるなよ。せっかくの我が校の逸材が失われるのは、慙愧に耐えんからな、ふははは」  
 しばらくそうして肩に触れられた後、ようやくミナミは解放された。  
(うへえ。気持ちわるぅ……)  
 生徒会室を出ると、顔に全てが出てしまった。  
 廊下を歩きつつ窓から校舎を見下ろすと、白亜の巨大な建物が並んでいた。  
 聖宝学院。連立した高等部と中等部の校舎からなる地元でも最大の私立校だ  
 全寮制で、生徒は各学年男女合わせて五百人を超え、それゆえにその質もピンキリまである。  
 対外的には華やかで歴史ある学院も、いや、それだけに裏には様々な事情が隠されていることを、ミナミは知っている。  
「はあ……。どうしたものかしらね」  
 
「年頃の乙女がため息だなんて、似合わないわよ?」  
「きゃっ!?」  
 ミナミの背後から、快活そうな笑みのポニーテールの女生徒がふわりと抱きつき、両腕を首に回してきた。  
 隣のクラス委員長にして、ミナミの昨年のクラスメートの橘茜(たちばな あかね)がそこにいた。  
「にしても、さっきのセクハラよねえ。室田のヤツ、絶対あんたに気があるってー」  
「ちょっと、冗談でもやめてよ! 鳥肌立っちゃうじゃない!」  
「あっははは、ごめんごめん」  
 悪気の欠片もない笑顔を見せる茜と、そのまま長い渡り廊下へと歩いてゆく。  
 長引いた会議のせいで、6時を回っていたが、夏至から半月ほど経った太陽は、まだ高く上っていた。  
「ところで、さっきの問題って、何のこと? まさかミナの成績が落ちるなんてないと思うし」  
「杵島明菜って、あなたはクラスメイトになったことあったかしら?」  
「んー、ないけど。確かにミナの親友でしょ? てことは、もしかして……」  
「まさにさっきの通りなのよ。生徒会室での議題。生徒たちの素行悪化」  
 ミナミの言葉に、茜は意外そうに目を丸める。  
「へえ、あの健全なスポーツ少女がドロップアウトなんて、意外ねえ」  
「失恋よ、失恋」  
 茜の両手を振り払って、ずんずんとミナミは先を歩く。  
 昔のクラスメイトを邪険にしたいわけじゃなかったが、今はそれより気がかりなことがあった。  
「どこのどいつよその、贅沢な相手は。あの子確か、結構可愛いかったじゃない」  
「男子バスケット部の部長」  
 その言葉に、茜の表情が苦いものに変わる。  
「あー、それはちょっと分が悪いかも……てかあの人、最近彼女できたんじゃなかったっけ?」  
 茜の言葉に、ミナミがうつむいてため息をつく。  
「タッチの差だったのよ。あの子がもう少し思い切りが良ければ、先に告白できたかもしれないし、もう少し慎重にしていれば、負け戦にも挑まずに済んだかもしれないのに……」  
 
 当人のことのように項垂れるミナミとは対称的に、茜はけろりとして、組んだ両腕を頭の後ろに回していた。  
「……ま、この年頃には仕方ない傷じゃない? あんたにとっちゃ、人ごとじゃないんだろうけどさ」  
「全くもって悩みのタネだわ」  
「それより、ミナミこそどうなのよ? 十七にもなって好きな男の一人でもいないわけ?」  
「忙しくてそれどころじゃないわよ」  
 茜の悪戯っぽい視線をさっと受け流して、ミナミは目を閉じる。  
「さっすが連続学年トップは言うことが違うわね。でも、もったいないなあ。あたしが男だったら、放っておかないのになー。メガネの隠れ美女ってすんごく好みなんだけど」  
「バカなこと言ってないで、あなたも気をつけなさい」  
 大げさにため息をついてみるが、内心ミナミもどきりとしていた。  
「おっぱいまた大きくなった? まったく、頭にも胸にも栄養が行ってるなんて、うらやましいことで」  
「ちょっと、セクハラやめなさいよ!」  
 茜のスキンシップを振り払いつつ、ミナミは廊下を抜けていった。  
 
***  
 
 ミナミが教室に戻ると、既に西日が教室を赤く染めていた。  
 放課後から数時間が経過しているとはいえ、気持ちのいいくらいの無人。  
 そこには当然、件のクラスメイトの姿はない。  
 相談したいことがあるなら、教室で待っていて欲しいと明菜には伝えておいたのだ。  
「今日は学院に来ただけ、マシかしら」  
 明菜はつい先週に失恋して以来体調を崩し、数日おきに無断欠席を挟む日々を送っていた。  
 他のクラスメートはもちろん、ミナミと話す時でも、どこか上の空だ。  
「素行不良、か……」  
 失恋でのやさぐれ。一時的な現実逃避。  
(その程度であれば、いいんだけど)  
 ミナミの心配は、単なる友人の成績の低下ではない。  
 もちろん、大人数の学校ゆえ、ドロップアウトの人数もそれなりにいるが、数ヶ月前からその数が異常に膨れ上がっていることに由来する。  
 しかも、学生寮にすら戻らない、いわば《行方不明者》が多発しているのだ。  
 ついさっきの対策会議も、それが理由だ。  
(何もなければいいけど)  
 おまけに最近、変なサークルや、薬を配っている人間がいるという話も聞く。  
 失恋の隙に付け込まれて、道を誤らなければいいのだが。  
「早まっちゃ、ダメだからね」  
 明菜の机をそっと撫でて、ミナミも教室を後にした。  
 
***  
 
 ミナミは学生寮に戻り、夕食と入浴を済ませた。  
 時計の針は既に九時を回っているが、相部屋の同居人はまだ帰ってこない。  
 門守夕里という、美しい黒い髪を持った寡黙で精悍な剣道少女だが、どこか得体の知れない雰囲気をもっているので、ミナミはイマイチ親しい仲になれずにいる。  
 彼女の帰りは基本的に遅いので、気を余り遣う必要がないのが唯一の利点である。  
 授業の予習復習の為にノートを開いていると、とんとんとノックの音が聞こえてきた。  
(誰かしら? こんな時間に)  
「やっほー。お姉ちゃん!」  
 ドアの覗き窓を見ると、パジャマ姿の幼顔がひょっこり顔を出した。  
 早瀬イリス。ミナミの妹にして中等部の二年生だ。  
「あのねえ……。こんな時間に何しにきたのよ」  
「ちょっと勉強教えて欲しくて、テスト近いんだあ」  
「敷地内だからって、夜に出歩くのは危ないって言ってるでしょ。そうでなくても、最近は何かと物騒なんだから……」  
 そう言いつつも、冷蔵庫の中から麦茶を出してやる。  
 どうもミナミに比べると、イリスは決して頭が悪いわけではないのだが、根がおおらかなせいか、成績には大きな開きがある。  
 相方の寮生がほとんど不在のせいもあってか、イリスが勉強を見てもらいに訪れるのは珍しいことではなかった。  
 テーブルで向き合い、しばらく無言でペンを走らせると、次第に勉強の内容から、世間話へと移行した。  
「そういえばお姉ちゃん。まだ悩んでるの? 明菜先輩のこと」  
「良かったら相談に乗ってあげて。朴念仁の私よりは、あなたの方がよっぽど力になれるわ」  
 教科書を閉じて、ミナミは天井を仰いだ。  
「あはは、無理だよ。あたしだってまだ彼氏いないもん」  
 そうおどけてみせるが。そんなことはないだろうな、とミナミは思う。  
 この鉄面皮な自分と違って元気で愛らしい妹を、周囲の男たちがいつまでも放っておくはずがない。  
 
 少なくとも、恋人候補のボーイフレンドはいくらでもいるだろう。  
 そう考えると、なんだか微笑ましくも羨ましいような、何ともいえない気分にミナミはなる。  
「そういえばお姉ちゃん、占いの魔女って知ってる?」  
「占いの魔女?」  
 勉強が終わると、途端に饒舌になるのはいつものことだが、そんな話は初耳だった。  
「実は中等部の方でちょっとした噂になってるんだけど……。なんでも相談に乗ってくれてアドバイスをくれたりするの」  
 そのまま数分間、イリスは興奮気味に『占いの魔女の話』を続けた、が。  
「私は、占いは信じない主義なのよ」  
 最終的に、ミナミはすぱっと断ち切った。  
 普段は周囲のみんなと話を合わせているが、どうしてこう女というのは益体もない占いが好きなのだろうとミナミはいつも思う。  
 ミナミは占いを信じない。  
 単に自分がリアリストだから、というだけではない。  
『占いで出たから』とか『占いのせいで』というのが、何かどうも酷く他力本願な気がして、気に入らないのだ。  
「でも、友達も悩みが解決したって話を、ちらほら聞くんだけどなあ」  
「早く帰って寝なさい。寝坊してもあなたのとこまでは、起こしに行ってあげられないんだから」  
「もう、遅刻はしてないよ。あたしにもルームメイトがいるんだし」  
「迷惑かけちゃダメよ」  
「うん、じゃあお休みなさい。お姉ちゃん」  
 寮部屋から出て行くイリスを見送った後、ミナミも二段ベッドの上に横になり、灯りを消した。  
「占い師、か……」  
 暗闇の中、ミナミはイリスの話を思い返していた。  
 
***  
 
 虫も寝静まった深夜、カチャリと開かれたドアの隙間から、かすかに光が差した。  
 霞がかった意識の中で、ミナミは光源にそっと目を向ける。  
 夜行性の獣のように鋭い赤い瞳と、しなやかなポニーテール。  
 間違いなく特進クラスの門守夕里だった。  
 見覚えのある洗練されたシルエットに、早瀬は安堵する。  
 例え女子寮にいるとしても、誰かに入ってこられるのはドキリとする。  
「…………」  
 そのまま彼女がシャワーを浴びる音を聞いていると、ミナミの意識は再び闇に吸い込まれていった。  
 
***  
 
 翌日、ミナミが登校すると明菜の姿はなかった。  
「はあ……」  
 携帯電話にメールもしてみたが、反応がない。  
 明菜の寮部屋に直接訪れるべきだろうか。  
 不安で授業に集中しきれないまま、時間が過ぎていく。  
(本当に、私はこんなことをしていていいのかしら……)  
 公式と英文を黙々とノートに刻みながら、ミナミは考えていた。  
 本当は自分も休んででも、明菜のそばにいてやるべきではないかと。  
 既に何日も、今でも説得は続けていたが、明菜の心は開かれなかった。  
 結局は私事を優先する自分は、あの無関心な先生たちと、何も変わらないのではないかと。  
 ため息を堪え続けたまま、放課後が来た。  
(どうしたものかしら)  
 言葉と文字の説得は、一週間以上前に出し尽くした。  
 ミナミは攻めあぐねていた。  
 失恋の悩みや苦しみなんて、経験者しか――いや、本当の意味では当事者しか分からないのだから。  
 考えたって、何も出てくることはない。  
 ただ、それを言い訳にいつまでも傍観しているのも、ミナミには耐え難かった。  
「よし……」  
 放課後。ミナミは意を決して中等部へと向かった。  
 
***  
 
 学院の中には、1年前に新しく建てられた図書館棟がある。  
 中等部と高等部で兼用できる大きな建物であり、パソコンでの書籍検索や、ビデオルーム、学習机なども完備されている。  
 既に過去の遺物となった中等部校舎の小さな図書室に寄りつく人間など、今はほとんどいない。  
 その図書室に占いの魔女は出没していると、イリスは言っていた。  
「…………」  
 閉館間際の図書室は窓から既に西日が差し込んでいた。  
 放課後の遅くにその魔女は現れるという。  
 だが、黒目がちの無表情な図書委員が1人、カウンターで本を読んでいるだけで、それらしい人物はどこにも見当たらない。  
 どこを探せばいいのやら、夕日に染まった黴臭い図書室で、しばらくミナミは赤茶色の絨毯をすり減らしていた。  
(どうしよう。誰もいないみたいだけど。やっぱりタダの噂かも)  
 まさか図書委員の女の子に、「占い師を捜してるんですが」と尋ねるのもマヌケ過ぎる。  
 
 そうして十数分が過ぎた頃、ミナミはふと我に返った。  
「何やってるんだろ、私……」  
 思わず独り言が漏れてしまう。  
(占いの魔女? そんなものに相談して、本当になんとかなると思ってたのかしら)  
 そこまで考えてふとミナミは、自分が藁にも縋りたいほど困っている事に気づく。  
(バカバカしいわね。帰ろう……)  
 踵を返そうとした、そのとき。  
「何か……本をお探しですか?」  
 今まで沈黙を保っていた少女の唇が、綻びと共に開いた。  
 本を立てて顔を隠していたその少女を見て、ミナミは心臓を打ち抜かれたような衝撃を覚えた。  
 Sサイズの制服が大きめに見えるほど小さな体躯。しなやかなショートの黒髪。底なしの闇を映す瞳。  
 一見、どこにでもいるような風貌の少女だが、身に纏う空気は、得体の知れぬ異様さを醸し出していた。  
(この感覚……前にもどこかで)  
「どうかしましたか?」  
「あ、いえ。私は本を借りにきたわけじゃ――」  
 しばし見とれた後、慌てて否定しようとすると、少女が机の下から本を取り出しカウンターの上に置いた。  
 
「まあそういわずに、例えばこんなものなどは?」  
 少女の言葉に、ミナミは目を見開いた。  
 その本はただの本ではなかった。  
 大きさは美術部員の使っているスケッチブックほど、しかし厚さは国語辞書並みの分厚い本。  
 しかも相当な年代物らしく、表紙には銀箔の印が捺してある。  
 その印は六芒星――いくらミナミがオカルトの知識に疎くても、それが魔術において重要な意味を示すことくらいは知っている。  
「まさか、あなたが――」  
 占いの魔女なのか、そう聞こうとしたとき、少女が立ち上がって室内に視線を走らせる。「失礼ですが、カーテンを閉めていただけますか?」  
「えっ……? あっ、はい?」  
 一瞬意味が分からず、少女がカウンターの内側から“清掃中の”立て看板を取り出すのを見て、それが話をするための個室と暗幕を作る作業であることに気付く。  
 それを外に立て掛け、内側から図書室のカギを閉めると、少女はゆっくりと中央のテーブルに移動した。  
「えっ!?」  
 指示された通り全ての窓をカーテンで隠した後、室内を振り返って、ミナミは目と口を丸くする。  
 少女の姿が、一変していた。  
「えっ……!?」  
「ああ、これですか? お気になさらず、ただの気分出し用の小道具です」  
 魔女帽子とでもいうのだろうか。先端が尖って少し折れ曲がった三角の黒帽子と、同じく黒のマントを羽織っていた。  
 ハリーポッターのコスプレと違うのは、帽子があることと、杖の代わりにどでかい魔術書があるだけだ。  
 しかしミナミが驚いたのは、その格好が滑稽には見えず、むしろ少女に不思議な雰囲気に異常なほど似合っていたことだった。  
「さて、あまり遅いとうるさいですし、さっそく始めましょう」  
 魔女姿の少女は、暗幕の張られたカーテンの中で電気を消し、一本のろうそくに火をともす。そして、そのまま中央のテーブルに陣取って、少女は手を差し出した。  
「それでは、寄付金をお納め下さい」  
「…………は?」  
 たっぷり五秒ほどの間をあけて、ミナミは目と口を丸くした。  
 
「ど、どういう意味よ? もしかしてこれ……」  
 唖然とするミナミに向かって少女は平然と言い放つ。  
「なんだ、聞いてなかったんですか? 一回三千円になります」  
 それを聞いて、怒りと呆れがミナミの中でわき起こった。  
「って、あなた! これでお金取るつもりなの!?」  
 そんな話は、イリスからも聞いていなかった。  
「当たり前じゃないですか? むしろ安過ぎるくらいですよ。私の手間暇を考えれば」  
 さらりと言い放つ少女に、ミナミは眉をひくつかせた。  
 どうやら少女の顔色を見る限り、正真正銘の本気らしい。  
「どうしました? まさかいい年したお姉さんが、三千円ぽっちも持ってないんですか?」  
「あなたねえ……。学院内で商売していいと思ってるの?」  
 ミナミは呆れてぐうの根もでない。  
 が、少女は動じた様子もなかった。  
「教会だって寄付をしないと、毒の治療すらしてくれない世の中ですよ? ギブアンドテイクです。ほら早く」  
「ったく、もう……」  
 挑発されて、ミナミはしぶしぶ財布の口を開ける、そのまま紙幣三枚をテーブルに叩きつけた。  
「ひい、ふう、みい。はい、確かに……。それで、相談内容は?」  
(ほんとに大丈夫なのかしら、この子……)  
 なんか妙に不安になってきた。田舎の縁日のおじさんが、当たりくじを初めから作っていないような嘘くささだ。  
 不審に思いつつも、ミナミは明菜のことについて話した。  
 彼女の失恋と、最近の素行不良について。  
「……ということで、どうしたらいいのかしら?」  
「ふうむ……」  
 全く悩んでいるようには見えない顔で、少女は顎に手を当てる。  
 ミナミの中で、急速に気分が冷めていった。  
 妹と同級生のコスプレ少女に、友人の真面目な問題を話している。  
(何やってるのかしら、私は……。こんな後輩のごっこにまで付き合って……)  
 ため息をつこうとした瞬間、少女が顔を上げた。  
「彼女の体毛や皮膚の一部、着衣、もしくは最近の所持物などはありますか?」  
 真顔で、急に儀式めいたことを聞いてきた。  
 しかし、真剣な少女の口調とは裏腹に、ミナミの少女を見る目は急速に冷めていった。  
 
(そういう手で来たのね……)  
 要するに、これはインチキなのだ。占いの内容を何も思いつかなかったから、他に適当な理由付けの材料を探しに来た。  
 ミナミはそう解釈した。  
「……ノートでもいいのかしら?」  
 明菜の部屋に押しかける口実に、机から抜いておいた親友のノートをミナミは手渡した。  
 ここまで来たからには、中途半端な誤魔化しをされたくない。せめて、三千円を奪った償いをさせなくては。  
「どうも……」  
 少女はそれを手に取ると、開いた本の上にのせ、念じるように両目を閉じた。  
「“Analysis”」  
 分析、の単語を発すると共に。金属の平と、そこに浮かんだ魔法陣が一瞬赤く滲むように光った。  
(何これ? 光って……これって、トリック?)  
 光ったのは一瞬だけで、ミナミが瞬きをすると、もう消えていた。  
「……1日ほど時間を頂けますか? 少し調査をします」  
 目を開けた少女はろうそくを吹き消して立ち上がり、カーテンを開けていく。  
「えっ? ちょ、ちょっと、占いはどうなったのよ!?」  
 何か置いてきぼりにされたミナミがくってかかると、少女は静かに視線を向けてきた  
「少しやっかいですね。残り香があります。これは運良く――。いやあなたとお友達の方にとっては運悪くですが、当たりを引いたかもしれません」  
 どこかさっきより冷たい表情で、少女がつぶやく。  
「ちょっ、ちょっと! どういう意味よ。変な言い方して不安を煽らないででくれる!  
 結果を先延ばしにされたミナミは、文字通り煙に巻かれた気分だ。  
 少女の肩をつかんで引き留めると、感情の見えない目でミナミを見つめてきた。  
「っ……?」  
 その底なし沼のような得体の知れない黒の瞳に、思わず手を離してしまう。  
「結果は私からご報告させていただきます。明日はこの部屋には来ないで下さい。そしてそれより重要なことは、お友達には絶対に近寄らないで下さい。話しかけられても無視して、人目の多い場所にいて下さい。では、失礼します」  
 少女がマントと帽子を脱ぎ去って鞄に詰めると、返事も待たずに出て行った。  
「……どういう、ことよ」  
 ぽかんと口を開けたままのミナミが、無人の図書室に取り残された。  
 最後の問いを、ミナミは口にできずにいた。  
 その言い方はまるで、明菜が危険に晒されているのではないかと。  
 
***  
 
 もやもやとした気分のまま一夜が明け、翌日ミナミが登校すると、昨日までの空席に親友の姿があった。  
(よかった……)  
 ほっと胸を撫で下ろして、ホームルームが始まる前に穏やかな笑顔で声をかける。  
 ミナミが心底安心したのは、明菜が登校した事実もさることながら、その表情が、失恋以前の――いや、それより明るかったからだ。  
「今日は、大丈夫なの?」  
「うん、心配かけてごめんね、ミナ」  
 快活な返事。いよいよ吹っ切れたのだと思った。厚い壁を乗り越えたのだと。だが、その直後、ミナミは戦慄した。  
「ちょっと、先輩が具合悪くて心配だったんだあ。もう、自分の食欲もなくなっちゃうくらいに」  
「えっ……?」  
「ほんと、恋は病って本当よね。でも、昨日看病したら、すっかり元気になったから。もう大丈夫よ!」  
「…………」  
 先輩とは、誰を指しているのだろうとミナミは思う。明菜にとっての“先輩”とは、男子バスケ部のキャプテンであり、初恋の――乙女の傷そのものである。  
 まさか、明菜が欠席をしている間に、先輩を前の彼女から奪い取ったのだろうか?  
 それとも、何かの事情や勘違いで、和解を……。  
 いや、これは何か“そういう気配”とは違う。  
(何これ、なんだか。何か、おかしい……)  
 真実ならば、暑苦しいほどののろけと、明菜の屈託のない笑顔。だがミナミはそれを見ているうちに、急速に不安が高まっていった。  
 明菜の上機嫌が、4時限目まで続く中、ミナミは喉に小骨でもつかえたような息苦しさを味わっていた。  
(本当に、それって先輩なの? あなた、嘘をついてるんじゃ……)  
 幾度となくこみ上げてくる言葉を、吐き出せないまま。  
「それでさ。もう、聞いてんの、ミナってば」  
 ミナミの緊張が、限界に達しつつあったそのとき。  
「ミナミさーん。手紙が来てるわよー。中等部の子から」  
 教室の外のクラスメイトから、声がかかった。  
「えっ!? あ、あ。うん……」  
 教室の窓際から離れて、手紙を受け取りに行く。  
 預けた人間は去っていたらしいが、心当たりはあった。  
「なんか、不思議な感じの子だったけど……。それよりミナミって中等部まで顔が利くのね」  
「う、うん。……まあね」  
 嫌な予感を押し殺して、ミナミは手紙を受け取った。  
 赤い蝋で封をされたそれには、『占いの魔女』と書かれてあった。  
 
***  
 
 放課後。ミナミは明菜には委員会の用事が出来たと言い残して、教室を抜け出し、女子トイレの個室で手紙の封を開いた後、屋上に向かった。  
 ポールのバリケードを乗り越えて、カギの壊れた屋上への扉をこじ開ける。  
「遅かったですね」  
 そこに、占いの魔女がいた。  
 昨日と違い、明るい空の下で見ると、少女は少し大人しそうなだけの、普通の女の子に見えた。  
「どういうつもりなの?」  
 ミナミが見た手紙の内容は『件の友人とは一切関わるな。理由が欲しければ放課後、屋上に』とだけだった。  
「どうもこうも、説明を聞いても正直どうしようもないと思いますが、聞きますか?」  
「当たり前でしょ!」  
 ミナミは自然と声を荒上げていた。  
 それは、この少女の不可解さに対してというより、明菜の心情が一変している得体の知れない恐怖によるものだった。  
 が、魔女は何の感慨もない目で、さらりと言い放った。  
「申し訳ないですけど、彼女が立ち直るのはしばらく無理ということです。諦めて下さい。後、私がいいと言うまで、彼女には近づかないで下さい」  
「……どういう意味よ?」  
 ミナミの問いにも、少女は顔色ひとつ変えない。  
「だから、“そういう意味”です。残念ですが、少しばかり手遅れでした」  
 その淡々とした区長が、更にミナミの不安を煽った。  
「意味が分からないわよ!」  
「ここ数ヶ月で、やたら素行不良の学生が増えているのは、ご存知ですよね? 2年A組クラス委員長の早瀬ミナミさん」  
「…………」  
 
「聡明なあなたに簡単にご説明しますと、“それ”は偶然や、ましてや流行病などではなく、ある意志に従って起きている現象なのです」  
 抑揚のない口調のまま、じっとミナミを見つめてくる。  
「彼女は、“それ”にかかってしまったのです。それはもはや、あなたの手に負える代物ではありませんし、近づくだけ無駄というものです」  
「遠まわしじゃなくて、はっきり言いなさいよ! どういうことなの!? クスリ? ヤクザにでも絡まれてるの!?」  
 まさか、覚醒剤などを流しているチームにも捕まったのだろうか。最悪の想定が、ミナミの脳裏をよぎる。  
 そこまで親友が危機に晒されていて、黙っているわけにはいかなかった。  
「……頭いい癖に、バカなんですね、あなたは」  
「なっ!?」  
 ミナミが目を見開いたのは、後輩の暴言だけではなく、その目が今までとは比較にならないほどの冷たさを宿していたからだった。  
「もう一度言いますよ。“あなたの手には負えない”んです。すぐに始末はつけますから、大人しくしていてください」  
 そう言って、屋上と校舎を繋ぐ階段に向かう。  
「あなたのちっぽけな正義感など、何の役にも立ちませんから」  
「ふざけないでよ!」  
 その肩をつかんで引きとめると、涼しげな顔で、ミナミを睨んできた。  
「分けわかんないこと言って! 逃げないでよ!」  
 だが、今度はミナミも怯まない。  
「さっきの話は、言った通りにお願いします。そうでないと私も責任を持てませんので……」  
 ミナミの手を振り払って少女は去っていった。  
「ったく! なんなのよ! あの子は!」  
 アテにしようとしたのがバカだった。  
(やっぱり、私がどうにかするしかないわね)  
 決意を込めて、ミナミは屋上の階段を降り、リノリウムの廊下を歩き出した。  
 
***  
 
「あれ……?」  
 教室に戻って明菜を捜すと、何故かその姿は見えなかった。  
 周囲のクラスメートに行き先を聞くと、こっそり教室を抜け出てしまったらしい。  
(まさか、入れ違いなんて……)  
 その胸に、一抹の不安がよぎる。  
 ミナミは小走りで、聖宝学院の敷地内を散策し始めた。  
 
***  
 
 五時間後。  
 世界の終わりのような夕焼けが落ちて、巨大な校舎は薄闇に染まった。  
「どこに、行ったのよ……」  
 もはやため息すら吐き尽くしたミナミが、高等部校舎の中庭でがっくりと膝をついた。  
 既に月が見え、寮の門限も迫りつつある。  
 それはどうでも良かった。  
 ただ、今は親友の明菜だけが。  
「どこに……行ったのよ」  
 どこにもいなかった。  
 明菜の所属するバスケ部の部室と体育館から始まり、聖宝学園の広い敷地内と校舎、学生寮。挙げ句の果てに校舎外の遊戯施設やアーケードまで探したが、見つからなかった。  
「もう、何が起きてるのよ……」  
 もしかしたら、人目のつかない場所にさらわれてしまったのかもしれない。  
 例の、薬を配っているような怪しげなグループに……。  
「っ……!」  
 突如襲ってきた想像に、ミナミは身震いした。  
 そんなことをさせるわけにはいかない。  
(このまま、諦めるわけにはいかない)  
 ミナミは知っていた。  
 本当は教師陣の、いや、同じクラスメイトだって、ほとんど、行方不明になった生徒の心配などしていないのだと。  
 ただ、対外的にまずいから。受け持っている自分の点数を下げられたくないから。  
 それが、我慢できなくて、だから……。  
「…………」  
 闇雲に走っても仕方がない。  
(部活は終わっている時間だけど、もしかしたら――)  
 一縷の望みを込めて、ミナミはもう一度体育館へと向かう。  
(えっ!?)  
 既に戸締まりの終わった体育館が遠目に見えたとき、ミナミは驚愕と共に足を止めた。  
 
 いた。  
 暗がりで分かりにくいが、確かに明菜の後ろ姿だった。  
(でも、何アレ? 様子が……)  
 探し求めていた親友を発見しても、ミナミは駆け寄るどころか、声すら発することができなかったのは、遠目に見ても明菜が虚ろな気配を発していたからだった。  
 しかし、このまま手をこまねいていて明菜を見失っては、元も子もない。  
 意を決して足を踏み出そうとしたとき、ミナミは明菜の少し前を歩く“それ”に気づいた。  
(人影、それも、男の……)  
 一瞬ミナミは、薄暗さのせいも相まって、それが例のバスケ部の先輩なのかと思った。そうであれば一応の納得はいく。だが、それは見たこともない――いや、ほんの僅かに見え覚えがあった。  
(2−Dの猪川君!?)  
 猪川治夫。同学年の人間であり、成績も容姿も性格も運動も光らない……どちらかといえば人気のない中肉中背の男だ。  
 A組のミナミが委員長であり、かつ几帳面な性格でなければ、とても気づかないであろうほど普通の、特徴のない男。  
 あえて上げる特徴といえば、顔の面積が微妙に大きいせいで、あまりよいルックスとはいえないことである。  
 しかし、何の接点も存在なかったはずの二人に、ミナミは違和感を覚える。  
(どうして、二人が……)  
 そのまま、当然のように体育館の鍵を開け、中へ消える。  
(何が、どうなっているの!?)  
 息を殺して、後を追う。  
 辺りは既に真っ暗で、素早く助けを求めにいけるような状態じゃない。  
 いや、そもそも“本当に危機的な状況”なのかすらも分からないのだ。  
 そんな躊躇が、ミナミの思考を鈍らせる。  
(そうだ、まだ決まったわけじゃない)  
 ここは、確かめないと――。  
 二人が入った扉が閉まり、内側から施錠される音が聞こえる。  
 本来なら焦るべき状況だが、ミナミは落ち着いていた。  
 体育館に入るルートはひとつではなく、ほとんどの人間に知られてはいないが、校舎から繋がる道もあることを知っているのは、委員会の仕事上知った情報だった。  
(これなら、気付かれないかもしれない!)  
 急いで回れ右をして、ミナミは高等部の校舎に駆け込んだ。  
 
***  
 
 息を殺し、忍び足でミナミは急ぐ。  
(あれ……?)  
 秘密の通路を通って体育館に進入すると、既に二人の姿はなかった。  
 館内に障害物はなく、差し込む僅かな月明かりだけでも、一目で全体が見通せる。しかし――。  
(どこに、行ったの?)  
 少しの間、ミナミはさっきの目撃が幻覚だったのではないかと自分を疑い始めた。  
 が、暗闇に目がなれると、うっすらとした光の線が、壁から伸びていることに気付く。  
(あれは、体育倉庫……)  
 二人の発見に安堵したのもつかの間、直後に妙な不安に襲われる。  
 男女が夜に逢引して、何故こんなところにいるのかと。  
「…………」  
 一瞬、自分の行為がただの覗きではないかと躊躇したが、どうもあの男は、顔も性格も明菜のタイプとは程遠い気がする。  
 まさか、明菜は失恋のショックで別の男に付け入られたのではないか?  
 そんな不安がミナミを突き動かし、一歩、また一歩と僅かに開かれた体育倉庫の扉に近づいていく。  
 次第に声と、妖しげな水音が聞こえてきた。  
 
***  
 
「んぅう、じゅるじゅる……。あああ……明菜ちゃあん……ちゅぱじゅぱっ」  
 まずは盛って声の上擦った男の声、聞き覚えはないが、それが猪川のものであることは想像がついた。  
(って、これ、まさか……!)  
 行為が既に始まっていることに気付き、ミナミの顔が熱くなる。  
 恐る恐る扉の隙間に顔を寄せて、中の様子を伺った。  
「あっ、ううん……。んちゅ、せんぱ……ぃいよぉ……」  
「……!?」  
 紛れもなく、明菜がそこにいた。  
 男に覆い被さられ、舌を絡めるほどの濃厚なキスをされながら、露にされた白い胸をくにくにと揉まれている。  
「あふっ、やっ……ふあっ……いいっ……。そ、そこっ……ああ」  
「ああ、明菜ちゃん……君は本当に可愛いよ……。俺はずっとこうしたかったんだ、でも……みんな俺のことを馬鹿にして……。んちゅ、れろれろ……」  
 二人の顔は、ちょうど用具の陰に隠れて見えない。だが、甘く上擦った明菜の喘ぎ声から、その行為に感じていることは、容易に予想がついた。  
 石にでもされたようにしばらく動きを止める。  
 いつの間にか、ミナミはごくりと、口内に溜まっていた唾を飲み込んでいた。  
(な、何考えてるのよ! 私は……!)  
 親友の情事を想像しているうちに、なにやらむず痒いような感覚に襲われて、ミナミは戸惑った。  
 これでは本当に覗きではないか、立ち去るか止めるか、早々に決めなくては。  
 そうだ、仮にこれが和姦であれば、止めるミナミの方が滑稽になる。  
(さ、最後に確認だけ――え?)  
 そうして、もう一度覗き込んだとき、ミナミは目を疑った。  
 ディープキスをしていると思った猪川の顔が、二十センチ近く離れていた。  
 離れたまま、舌を絡めあっていた。  
「ああ、明菜ちゃん。君の体は最高だよ……うおっ、うおおおおっ!」  
 猪川の舌が、伸びていた。それだけでない。首にかかっていたカギのようなアクセサリーが光を帯びると。  
「えっ……!?」  
 
 ミナミは危うく叫ぶところだった。  
 男の大きな馬面が更に浅黒く変形し、鼻が大きく伸び、耳は頭の上の方に。  
 制服を過ぎ捨てながら、あっという間に、まるで巨大な豚のような生き物へ変貌していった。  
「おおおっ、んふおおおっ」  
 獣が、いや、バケモノがくぐもった声を上げて、明菜のスカートを捲くり、下着を剥ぎ取る。両足を開かせると、その中心にキリンのような長い舌をぺっとりと張り付かせた。「あ、ふあああっ、せんぱい、せんぱぃぃぃい」  
「おおおん。ぐお、おおおお、じゅる、ぴちゃっ……」  
 唾液でぬめった舌が、明菜縦裂を這い回る。硬く閉じた割れ目を押し開いて舌を入れると、そのままぐちょぐちょと中でかき回し始めた。  
「あああ、いあああっ。はくぅ……。んあああっ!?」  
 明菜は目を虚ろにしながら痙攣を始める。怪物に蹂躙されているとしか見えないその光景の中で、明らかにその声色は、快楽を帯びていた。  
(な、何これ……。何が起きてるの? こんなことが……)  
 ミナミは現実を圧倒する出来事に夢を見ているのかと疑う。  
 助けにいくだとか、止めるという発想は既に消え、ただ目の前の光景に動けずにいた。「あふっ、ふああっ? せ、せんぱひぃ……。く、くらはい。せんぱいの、おちんちん……」  
 明菜の声にミナミは我に返った。  
(先輩? そういえば先輩って……)  
 そう。猪川はそもそも同級生で“先輩”ではない。  
 それなのに、何故か明菜は歓喜の表情で、怪物を求めている。  
 何か異常があることは明らかだった。  
「おおお……。げっげっげっげ……」  
 豚の化物が上擦った声を上げる。ねじれたような形の浅黒いペニスが、明菜の秘裂に押し当てられる。  
「待っ――」  
 声を上げようとした瞬間、ミナミの口が背後から塞がれた。  
 
「お静かに、私です」  
 ミナミは心臓が口から飛び出るかと思った。  
 ゆっくりと振り返ると、あの魔女の少女がいた。  
 以前と同じように何の感情も見えない、黒塗りの瞳。  
「んっ、くっ……」  
 どうにか悲鳴を飲み込んで、後輩の魔女に視線を向けた。  
「聞きたいことは山ほどあるでしょうが、今は私に従って下さい」  
 少女は小声でそう言いつつも、隙間の向こうの化物から視線を外さない。  
「んはあああぁぁぁぁぁああっ!」  
 ミナミが平静を取り戻しかけた時、明菜が歓喜の悲鳴を上げた。  
 怪物の長い肉棒が明菜の中にズプリと根元まで埋まっていた。  
「っ……!」  
 慌てて飛び出そうとするミナミを、強い力で少女が押さえつけた。  
「まだです。敵を殺すにはタイミングがあります」  
 射抜くような強い目に、ミナミはどうにか自分を抑える。  
「おおおっ、んおおおおっ!」  
「ひいっ、せんぱい。あふあああっ!? んぐう、ひあああっ!」  
 豚の腰が卑猥に動く。じゅぽじゅぽと膣をえぐる音と、攪拌される愛液がかき混ぜられて滴るり落ちる音が、二人分の――いや、一人と一匹分の嬌声に混じって聞こえてくる。「あうっ、あいっ……! うあああっ。うううんっ……!」  
 不気味な獣に犯され、歓喜の声を上げる親友。直視し難い光景から逃れるように、ミナミは隣の少女に噛み付いた。  
「なんであなたがここにいるのよ!?」  
 あくまで小声だが、怒気をこめたミナミの視線に、少女は呆れた顔を見せた。  
「あれだけ忠告したのに……全くあなたという人は」  
 小さくため息をついて、少女はちらりとミナミを見る。  
「前向きな足手まといほど始末に負えないというのを、あなたは実感させてくれますね」 少女の嫌味に反論している余裕はなかった。  
「あれは――あの化物はなんなの!?」  
 ミナミの問いに、すぐに隙間の向こうの化物に少女は視線を戻す。  
「“サタニック”」  
 抑揚なく少女が答える。  
「そう私たちは呼んでいます」  
 ミナミが次の質問をかぶせる前に、少女が続けた。  
「あれはただの化物ではなく、人の心と肉を生け贄に異界より呼び出された悪魔です」  
「明菜は? 明菜を早く助けないと! さっきから様子が――」  
「落ち着いて下さい。彼女は夢を見ているだけです。どうやらそれが、あのサタニックの能力のようです」  
 
「……どういうことよ?」  
「獏という空想の生き物をご存知ですか? ヤツはあの女生徒に夢を見せています。失恋した相手と結ばれている幸せな夢を。本来、獏は悪夢を食らうはずなのですが、あれはどうやら、性質だけ似通った別の存在のようですね」  
 あくまでも冷静な口調に、逆にミナミは苛立った。  
「そんなことはどうでもいいわよ! 明菜を早く助けなさいよ!」  
 そう言っている間に、獏は腰の動きを早めている。  
「んぐおお、おおおおおうっ!」  
「あっ、ああああっ、ひいいぃ!」  
 腰をぶるりと震わせると、明菜が背筋をえびぞりに逸らして痙攣した。  
「あふ、あふぅ……」  
 舌を突き出して、明菜は絶頂を迎えていた。  
 たっぷりと吐き出された獏の精液が子宮を叩く旅に、ひくひくと身体を震わせる。  
「はひぃ!? やあっ、ひゃああああああっ……!」  
 円錐状に尖りきった乳首を獏の長い舌が弄ぶと、半ば意識を失ったような表情で明菜は声を上げた。  
「ああああ、いいなあ。ぎちぎち締めてくるよ、明菜ちゃあん……」  
 獏が猫撫で声を上げつつ、射精を終えたペニスを挿入したまま、ゆるゆると腰を動かし、精液をかき混ぜてゆく。  
「んひっ、ら、らめそれぇ……! あっ、うっ……ああああ……」  
 絶頂の余韻で敏感になっている明菜の体が、涙と涎を垂れ流して打ち震える。  
「くっ……!」  
 あまりに悲惨な親友の光景に、ミナミは思わず引き戸に手をかける。  
 それを魔女の手がつかんで止めた。  
「もう少しだけ、お待ちください」  
「何言ってるのよ! 何か知ってるなら助けてよ! 早くしないと明菜が――」  
 ミナミが怒りと共に少女の手を振り払おうとした瞬間。  
「え……?」  
 明菜の体が、紫とピンクの混じった光に薄く覆われていることに、ミナミは言葉を失った。  
 
「な、何、あれ……?」  
「蜘蛛などが捕らえた相手を喰らう際に、消化液を送り込むのはご存知ですか?」  
 隣の魔女が、静かにミナミの耳元に口を寄せた。  
「サタニックは、人の精神を喰らって進化を遂げる化物なのです。その為にまず、性行為による絶頂を与え、相手の精神をドロドロに溶かします」  
 倉庫内の獏が、放心状態の明菜の身体に舌を這わせると、纏っていた光が泡を拭く様に舐め取られてゆく。  
「そして、喰らう。溶け出した部分がなくなればまた犯して、何度も絶頂を与えます。餌の精神が、完全に溶けて自我を失うまで……」  
「っ!? 早く行かなくちゃ!」  
 魔女の手が、ぎゅっとミナミの手首を握り締める。  
「落ち着いて下さい。あの程度ではまだ、彼女の自我は崩壊しません」  
 獏は舌を伸ばして、明菜の脱ぎかけの制服に舌を入れていく。  
 同時にゆっくりと螺旋型のペニスを引きぬくと、ひくついた割れ目から、とろりと生クリーム状の精液がマットの上に水溜りを作ってゆく。  
「彼女の精神は捕食されていますが、まだまだ浅い傷です。治療すれば数週間で自我を取り戻します。だから今はヤツを逃がさないように、少しこのままにしておいてください」「待ってどうするのよ!?」  
「すべての動物にとって、食事中と性行為中は無防備だということはご存じですか? そこを確実に捕殺するためです」  
「っ……!?」  
 と、一応は少女の説明に納得しかける。  
「私の方も戦う体制は整えて来ました。後はタイミングだけです」  
 そう言って少女が魔術書を開く、表紙の刻印が赤く光って、今にも動き出しそうな禍々しさを帯びていた。  
 
(待つしかないの……? 明菜があんな目に遭ってるのに……)  
 ミナミは爪を噛みながらもう一度明菜に視線を走らせる。  
 巨大な黒い豚の舌に舐め回されて、恍惚の表情を浮かべる明菜。  
「あふ、せんぱ、い……」  
 明菜の顔に、つい最近までよく見せていた悲壮感はなかった。  
 今頃、失恋の記憶も抱かれて、甘い夢を見せられ快楽の海にたゆたっているのだろう。「でも……でも、そんなのってないわよ!」  
「なっ――!?」  
 魔女の手を振り切って、ミナミは倉庫の中に飛び込む。  
 化物が人間なのか、その正体も未だロクに分からない。  
 だが、人の弱みに付け込んで、こんな非道な真似を、黙って見ていられなかった。  
「明菜から離れなさい! この化物!」  
 巨大な豚は、一瞬顔を上げて、ぎょっとしたように目を見開き。  
「げっげっげっげ!」  
 と、くぐもった不気味な笑いを浮かべた。  
「コイツは驚いた。早瀬さんが来てくれるとはなあ……」  
 完全に自分を認識した言葉を発してきたことに、ミナミは逆に動揺した。  
「あ、あなた、猪川君なの? 何でこんな真似を――」  
「はっ! 分かんねえさ。あんたみたいな可愛い優等生にはさ。声をかけることすら憚られる、俺みたいな下々のことはよお!」  
 覆いかぶさっていた明菜から、離れると、獏はにやりと笑みを浮かべて、ミナミに向き直った。  
「ちょうどいい、あんたはコイツを使って捕らえる予定だったが、手間が省けた。今すぐ脳がとろけるまで犯してやるぜえ……」  
「なっ! ふざ――」  
 けるな。そう反論しようとしたとき、ミナミの四肢から力が抜け、白昼夢のように視界が真っ白に染まった。  
 
(う、何これ、意識が――)  
 味わったことのない眩暈がミナミを襲う。神経の糸を切られたように五感が抜けて足元がふらついた。  
「おっと、げっげっげ」  
 倒れかけたミナミを支えたのは、獏の頭だった。  
(なんだろう、何か、何も分からなくなって――)  
 醜い顔と、生臭い獣臭。それすらが獏の瞳を見ているうちに何か初恋のような甘酸っぱさに変わって、ミナミの胸を浸していく。  
「あっ……ん」  
 明菜の隣に寝かされ、獏の前足が制服越しにミナミの胸を押し潰す。  
「ほほお。着やせするんだな委員長さんよお。あああ、ますます楽しみになってきたぜえ」  
「や、いや……」  
 ぐにぐにと窮屈そうに押し込められた胸を揉まれ、でろりと伸びた舌が、太股の内側に這わされると、痺れるような快楽がミナミを襲った。  
「おおお、最高だな。今夜はたっぷり楽しめそうだなあ……げっげっげ」  
 獏が悦に入った表情を浮かべたその時。  
 
「お楽しみはそこまでですよ畜生」  
 冷たい声を聞いて、さすがの獏も余裕の笑みが消える。  
 魔女の格好をした少女が、いつの間にか体育倉庫のど真ん中に立っていた。  
 食事中で完全に油断していたさっきとは違い、ミナミを見つけた後は、鼻を利かせて周囲を警戒していたのだから。  
「なんだぁ。お前は」  
「あなたには名乗るだけ無駄というものですが、せっかくだからそこのおバカさんの為に教えて差し上げましょう」  
「う、ん……」  
 霞がかった意識の中で、ミナミにも魔女の姿がはっきり見えた。  
「アンチサタニックソーサラー。降魔六式委員会が一人、門守小夜音」  
 喋りながら、ゆっくりと巨大な魔導書を広げ、微笑む。  
「“flamma”」  
 小夜音が魔導書のページに手をかざすと、獏の体が赤く光る六芒星に捕らわれた。  
「なっ、これは、お前も、まさか……ああああっ!?」  
 喋り終える前に瞬時に青い炎に包まれ、燃えてゆく。  
 周囲のものには全く燃え移らない炎だった。  
 ぱくぱくと叫ぶように口を開けるが、もはや誰にもその声は届かなかった。  
「おご、おごごごおがあああああ!」  
 やがて火が消える。黒こげで崩れかけた獏がどさりと床に崩れ落ちると、小夜音は魔導書を閉じて、そっと手をかざした。  
「では、喰らいなさい。“グリモワール”」  
 小夜音の言葉と共に、本の表紙にギロリと赤い目が浮かび上がる。  
 そして、ひとりでに本が開かれると、分かたれたページの上下から、鋭い牙がびっしりと突き出した。  
「しゃあああああっ!」  
 グリモワールが息絶えた獏を貪り喰らっている間に、小夜音はミナミの傍に歩み寄った。  
 
「さて、意識はありますか?」  
 小夜音がぺちぺちとミナミの頬を叩く。  
「う、ん……。あなた、さ、さっきのは、あれは……」  
「どうやら、あなたまで送っていく手間は省けそうですね」  
 そうぼやきながら、小夜音は携帯電話を取り出して耳に当てる。  
「う、あれは。あれは一体なんなの? あの化物は、あなたは――」  
 霞がかった意識で、ミナミは立ち上がり小夜音に食ってかかる。  
「この町の行方不明者がここ半年で何人いるか知っていますか?」  
 そう言って、小夜音は静かに微笑む。  
「私たちは、あれらの化物を倒すためにここに来たのです。探していたサタニックの巣窟である、この学院に」  
 ミナミが薄れた意識の中、ぐらりと体勢を崩す。  
 その背後で、小夜音の魔導書が化物を喰らう音だけが延々と響いていた。  
 夜が更けてゆく。  
 闇の住人たちの宴の、始まりの夜が。  
 
 
Ep1 END  
 

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