どこか懐かしい感じのする猫の鳴き声に誘われて、外に出た。
家の前の通りには誰もいなかった。逃げて行く尻尾の先でもないかと見回したが街灯が等距離に光を溜めているだけで猫の影すら見えなかった。
静かだった。
すっかり目が覚めてしまったが家の中に戻る気にもなれず、ぼんやりとしたままお尻をつかないくらいまで腰を落とした。
自然視線は上を向き、ドームのような夜空に星がたくさん輝いているのが目に入った。
「きれいだ」
そう思った。
思ってから打ち消すように陳腐であるなと思い、風が吹いて鼻がぐずついて苦笑する代わりにくしゅんと鳴いた。
「寒いな」
隣りにのっそりと大きな人影が生まれた。
「おや」
「やあ」
全身が星明りで半端に翳っていた。
表情がわからない。
しかしいつものように声は陽気だった。
だから笑っているのだろう、いつものように。
「猫がうるさくてさ」
彼の影はそんなことを言いながら、何か肩から羽織っているものをかけなおした。
「わたしも」
呟き声になってしまった。
かすれていたかもしれない。
「けど、いないな」
「いないね」
「どこの猫だろう」
「さあ」
手のひらが汗ばむ。
どうもいけない。
お互いの影が重なるような、この距離がいけない。
「最近どう?」
彼が訊く。
「特に変わりなし」
「こっちもだな。日々淡々として変わることなしだ」
「そうですか」
「そうだ」
「彼女さんとはどうなったの」
「ああ……」
しばらく影がもぞもぞとうごめき、
「別れたよ」
「そう」
「驚けよ」
いや。
驚いてるよ。
「どうして」
「俺は驚いたんだ。あれだけ仲の良い二人だったのに、なんでって」
「まあ他にもきっと良い人はいるよ」
「慰めは要らない。もう心の整理は付いたんだ」
「慰めてるんじゃなくて、事実」
影に向けてとっておきの声でささやく。
「だって、あなたはとても良い男だから」
しばしの沈黙。
顔が熱い。
動悸がうるさい。
暗くてよかった。
「……こっぱずかしい台詞をありがとう」
「少しは喜びなさい」
また沈黙。
彼の影の角度が変わる。
「ありがとう。嬉しいよ」
「どういたしまして」
彼は立ち上がると腰の辺りを手で払った。
「寝るか」
「寒くなってきたしね」
私も立ち上がる。
彼は私より頭ふたつ分くらい背が高い。
「おやすみ」
「おやすみ」
私が家に入ろうとするその背中に、彼が声をかけてくる。
「本当は話したかったんだ。嘘ついた」
振り返ると、彼の姿がぼんやりと夜の中に浮かび上がった。
そこで私はようやく思い出した。
小学校低学年の夏の夜。
歌うような猫の声に誘われて、そっと玄関のドアを開けると、まだ私と背丈の変わらなかった彼が、今と同じように立っていた。
彼は多分笑いながら、どこか懐かしい声音で、歌うように鳴いた。