Blue Liquid 第3話 ルクの空腹  
中編 空腹の理由  
 
 
 街外れにある喫茶店。  
 白いテーブルの向かい席に座っているナナ・フリアル。見た目六十過ぎの老人だった。  
年相応に白くなった髪の毛とヒゲ。着ているのは、落ち着いた朽葉色の服である。胸には  
魔術師協会の紋章を付けていた。  
 
「話を聞く限り、あの子は元気にしているようだな」  
 
 コーヒーを一口すすってから、フリアルは頷いた。  
 ミルクティーをスプーンでかき混ぜながら、サジムは周囲に目を泳がせる。  
 白と茶色を基調とした清潔感ある店内。あまり喫茶店などには行かないため、微妙に居  
心地が悪い。正面の師に目を戻す。  
 
「元気ですよ。料理だけじゃなくて、掃除や洗濯もしてくれますし、アルバイトもして家計の  
助けにもなってくれますし。本当にありがたいです」  
 
 家事全般をこなすだけでなく、自分の食費のためと近所の食堂兼居酒屋でアルバイトま  
でしている。素直で真面目な性格のためか、店主夫婦に気に入られていた。  
 
「甲斐性の無いお前には、少々過ぎた子かもしれん」  
 
 直球なフリアルに、サジムは空笑いを見せる。返す言葉も無い。  
 それを誤魔化すように、尋ねた。  
 
「ルクって結局何者なんですか? 半液体魔術生命体って言ってましたけど」  
「うん。素体は治療用の魔術薬だ。半ゼリー状の塗り薬」  
 
 あっさり答えてから、フリアルはコーヒーカップを空にした。  
 治療用魔術薬。サジムが思い浮かべたのは、容器に入った青いゼリーだった。ルクから  
そのまま切り出したような半透明の塗り薬。さほど間違っていないだろう。  
 
「そこに、使わなくなったり余ったりした魔術道具や薬品やら色々突っ込んで、術式を調整  
してみたら、思ったより面白いものができた。しかし、私の所に置いておいても使い道ない  
し、処分するにも惜しいから、生活力無さそうなお前の所に送ってみたわけだ」  
「そうですか……」  
 
 他に言う事がない。  
 昔からその場の思いつきで行動する事の多い人だったが、ルクもその乗りで作られたよ  
うだ。手元に置いておくには性能不足で、売るほどのものでもなく、捨てるには惜しい。そ  
こで、家政婦としてサジムの所に送りつけたようである。  
 さておき。サジムは本題を口にした。  
 
「それはそれとして、今朝起きたらルクがぼくの右手咥えてたんですけど、その行動に心  
当たりありますか? 美味しそうに見えたって、怖い事言ってましたけど」  
「ふーむ」  
 
 フリアルは周囲を眺め、壁に「禁煙」の張り紙が貼ってあるのを見て吐息する。手持ちぶ  
さたに右手を振ってから、近くのウエイトレスに声をかける。  
 
「すまない、お嬢さん。コーヒーひとつ追加で頼む」  
「はい。かしこまりました」  
 
 手短に用件を聞き、会計伝票に注文を書き込んでから、ウエイトレスの女の子が席から  
離れていった。厨房に注文を届けに行くのだろう。  
 揺れる白と黒のスカートを見送ってから、視線を戻してくる。  
 
「何だっけ? っと、ルクか。それは放っておくと、本当に食われるぞ、お前」  
「え?」  
 
 さらっと言われた物騒な言葉に、サジムは瞬きした。  
 食われる、という表現はそのままの意味だろう。美味しそうと口にし、サジムの手を咥え  
ていたルク。何かの比喩ではなく、本気で食べるつもりのようだった。  
 ヒゲを撫でながら、フリアルが続ける。  
 
「ルクは人間の情報を取り込んで、体型や人格、思考を維持してるんだ。ようするに、血や  
肉だな。時間とともに、その情報は消耗していく。それで、情報が足りなくなると、物理的に  
情報を取り込んで自分を維持しようとする。そういう仕組みだ。ンで、その対象は一番身近  
にいる人間、つまりお前だ」  
 
 と、人差し指をサジムに向けた。  
 
「怖い事言わないで下さいよ……」  
 
 サジムは乾いた笑みを作りながら、言い返す。情報の消耗。それ自体は既にルクの構  
造として織り込み済みのようだった。解決法も知っているだろう。  
 
「それでぼくは、どうすればいいんですか?」  
「血でも肉でも少し取り込めば、情報は最装填できる。一番手っ取り早い方法は、手でも  
斬って血でも飲ませてやれ。それがイヤなら、お前が抱いてやることだな」  
「だ……?」  
 
 こともなく放たれた台詞に、サジムは再び目を点にした。  
 
「お前も子供じゃないんだから意味は分かるだろ?」  
 
 口元に薄い笑みを浮かべて、目を細めるフリアル。普段見せる事はないが、エロジジィと  
しての顔だった。  
 
「むっつりスケベのお前には合ってるんじゃないか?」  
「先生に言われたくないです」  
 
 ジト眼でサジムはそう言い返した。  
 
 
  ◇ ◆ ◇ ◆  
 
 
「――大体こういう訳だ」  
 
 風呂から上がり夕食を食べた後、サジムはフリアルとの話を手短に話した。  
 テーブルに並んだ空の器。サジムが食べてしまったが、ルクが作った野菜と魚の炒め物  
が盛られていた。店の残り物を貰ってきてそれを調理したらしい。食堂で働くようになって  
から、料理の腕も上がったような気がする。  
 
「なるほド。そういうことでしたカ」  
 
 話を聞き終わり、ルクが神妙な顔を見せる。  
 右手を持ち上げて握った。半袖のワンピースから伸びた、半透明の青いゼリーのような  
腕。向こう側が透けて見える。その手が、だらりと溶けて崩れた。  
 
「最近、身体を硬く維持するのが大変でしタ。てっきり、湿気のせいトばかり考えていたの  
ですガ、そういう理由だったのですネ。人間の情報……」  
 
 ジェル状に溶けた右手を眺めながら、頷く。  
 本人も自分の身体の仕組みを完全に理解しているようではないようだった。今日、フリア  
ルに尋ねなければ、そのままルクに食べられていたかもしれない。丸ごと消化されるわけ  
ではないだろうが、あまりぞっとしない事になるのは想像が付いた。  
 コップの水を飲んでから、サジムは右手を振った。  
 
「だから、少し血を飲ませるよ。痛いのはイヤだけど、食われるのはもっとイヤだから。ル  
ク、ちょっとナイフ貸してくれ」  
「いえ――」  
 
 ルクは首を振ってから、近付いてきた。溶けた右手はそのままで。  
 
「ご主人サマの血はいりません」  
 
 その表情はいつも通り淡々としていて、何を考えているのはか分からない。青い肌に緑  
色の瞳と、青緑色の髪の毛のような部分。見た目は人間の女だった。しかし、厳密に性別  
という概念はなく、あくまでも人間の女のような容姿と性格なだけらしい。  
 
「ソノ代わり、ワタシを抱いて下さい」  
 
 左手で器用にエプロンを脱ぎ、ルクはそう言う。  
 差し出された右手を、サジムは左手で受け止めた。ほとんど手の形を残していない、人  
肌の半液体。サジムの指を包み込み、緩慢に前腕へと流れていく。  
 
「言うと思ったよ」  
 
 サジムはため息混じりに答えた。  
 
 

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