翌週の香織は、周囲から心配されるほどにおかしかった。  
 空手についての悩みではない。  
 そのことについては、本質的な解決ではないのだが、モデル依頼をされたという悩みにより、当面の問題として意識されなくなったという、怪我の功名があった。  
 ぼんやりとしていることが多かったり、急に困り出したり。かと思えば少し嬉しそうだったり。  
 その理由については香織自身が一番よくわかっている。いままで空手一筋だった自分を女扱い、それもモデルになって欲しい、などという最上級の扱いをされたからだ。  
 それが嬉しくて浮ついた気分になったり、自分にそんなことができるのだろうかという不安から困ってみたりしてしまう。  
 こんなに自分の感情がふらふらするとは思わなかった。  
 空手のことだけを考えていたときはこんなふうにはならなかった。  
 結局、何度もモデルを断ろうとしたのに最後の一歩が踏み出せないで、モデルの件について吉村と話すこともできず、新しい感情も御しきれないまま、一週間は瞬く間に過ぎてしまった。  
 
 約束の土曜日。練習を終えて寮に帰ってきた香織は、ひどく落ち着かない様子でそわそわしている。  
 見かねた同室の聡子が声をかけた。  
「ちょっと、香織。なんか最近落ち着かない感じだけどなんかあったの?」  
「な、なにもない」  
「なんでそんなばればれの嘘つくの。最近のあんたなんかピリピリしてたけど、なんかここんとこ、それがなくなってるもん」  
「それよりどっかおかしくないかな?」  
 聡子の言葉を無視して、しきりに自分の服装を気にする香織だったが、ジーンズにティーシャツという格好ではおかしくなりようがない。  
「別におかしくないんじゃないの。ふつー。いつものジャージ姿よりはまとも」  
 気のない同居人の返事に怒った様子もなく、香織はせかせかと鏡で髪型をチェックし始めた。  
 こちらもポニーテールにまとめただけで、ワックスでいじったりもしていないので、これまたおかしくなりようがないのだが、香織は真剣な表情で鏡を覗きこんでいる。  
 
 これまでにない香織の態度に聡子は一つの結論に思い至った。  
「わかった! カレシだ! そうでしょ。今日デートなんだ」  
 香織が慌てて聡子に向き直る。  
「ちっ、違う! そんなんじゃないから!」  
 聡子はこの同居人がこうまで取り乱すのを初めて見た気がした。  
「おかーさんは嬉しいよ。空手にしか興味がなかったあの子がこんなに立派になって」  
 聡子はわざとらしく目尻を拭うふりをしてみせる。  
「だから、違うって!」  
「相手は誰なんだろうねぇ。お父さん、天国で娘の恋人を見極めておくれ」  
 天を仰ぎ、よよよ。と無き崩れる聡子。  
「聡子っ!」  
 妙な小芝居に香織がキレた。  
 ものすごい目で自分を睨んでいる香織を見て、聡子はやりすぎを後悔したがもう遅い。   
 聡子がさらなる怒声を覚悟したところへノックの音がした。  
「北条さーん。なんか吉村って人が来てるよー」  
 間延びした声が室内の二人の気を抜けさせる。隣室の陸上部員だった。  
「は、はひっ! すぐ行くからっ」  
 香織は裏返った声で返事をすると、どたばたと部屋を動き回った。  
 もう一度格好をチェックすると、制汗剤のスプレーを手に取る。香水でないところが香織らしいといえば香織らしい。  
「えっ! 吉村って空手部の? そうなんだぁ、以外かもしれない。香織って男は自分より強くないとダメっとか思ってそうだと思ってたけどそうでもないんだ。  
 っていうか吉村って空手部員っぽくないよね、どっちかって言うと可愛い系だよね? そっちがいいの?」  
 まったく懲りた様子のない聡子が好き勝手なことを言う。  
「聡子っ!」  
「私の相手してていいのぉ? 愛しい吉村君が待ってるよー」  
 にやにやと聡子が人の悪い笑みを浮かべた。  
「そんなんじゃないっ!」  
 勝ち目がないのを悟ったのか、香織はむなしい抵抗の言葉を口にすると部屋を飛び出した。  
 
「ごめん、待たせて」  
 聡子のせいで妙に意識してしまい、香織はなぜか吉村の目を見ることができない。  
 一方の吉村も、制服と胴着以外の姿の香織を見るのは初めてのため、緊張してどぎまぎしてしまう。  
「ぜ、ぜんぜん待ってないよ。僕の家はこっからだとちょっと遠いけど、自転車だとそんなにかからないと思う」  
「だったら、門の所で待ってて。自転車取ってくるから」  
 香織が元気良く駆け出していく。  
「え? あ、うん、わかった……そうだよなぁ、自分の自転車ぐらい持ってるよなぁ」  
 密かに、ここに香織を送って来たときのように、再び自分の自転車の後ろに香織を乗せることができるのではないかと期待していた吉村は、とぼとぼと門に向かっていった。  
 自転車に乗ってやって来た香織は、なぜか吉村が少しがっかりしているのに気付いたが、さっぱり理由がわからずに、首をかしげた。  
 
「うわっ、なんか美術室の匂いがする……」  
 吉村の部屋のドアを開けた途端に、絵の具の匂いが香織の鼻を刺激した。  
「絵の具の匂いだよ」  
 香織の背後で吉村が笑った。  
「ふぅん……。以外に部屋汚いんだな」  
 絵の具や、筆、スケッチブックに美術書、カンバスなどが雑然と部屋を占領している様子に驚きながら、香織は部屋に足を踏み入れた。  
「そうかな、こんなものだと思うけど。あ、そこの椅子に座って」  
 ばつの悪そうな顔で吉村が答える。  
 言われたとおりに香織が、椅子に腰を降ろすと、吉村はその正面にある椅子に腰掛け、早速スケッチブックを開いた。  
「え! もうはじめるのか? あたしこんな格好でいいの?」  
 自信の飾り気の無い格好を見なおして、香織が慌てる。  
「とりあえず、軽く腕ならしにスケッチするだけだから。それに格好はそれで充分だよ。気になるなら後で姉さんの服何着か借りてくるよ」  
「お姉さんいるんだ」  
「うん。じゃあ、できるだけ動かないでね」  
 美術家モードに入ってしまったのか、吉村の目つきが空手をやっているときよりも鋭くなった。  
 その真剣な表情に圧倒され、香織は結局それ以上なにも言えなくなってしまった。  
 鉛筆が紙を走る音だけが狭い部屋に響く。  
 
 最初のうちこそモデルらしくしようと頑張っていた香織だが、元来が活動的な性格のため、じっとしているのがしだいにつらくなってきた。  
 それを紛らわすために、顔は動かさずに目だけで周囲を見まわしてみる。  
 適当に積み上げられた本の背表紙から、いくつかタイトルを伺うことができた。  
 近代美術の旗手。写実主義の技法。色の名前。デッサンの基本。などなど、様々なタイトルがあったが、香織の興味をひくようなものはない。  
 視線を流すようにして移動させていくと、ようやく見知った単語の入った本が見つかった。その名もヌードデッサン。  
 ぱちぱちと目から火花が出るような気持ちになった香織は、慌てて目線を逸らした。  
 すると、途端に黙々と自分を見て手を動かしている吉村のことが気になりだす。服を着ているはずなのに、それをすりぬけて、裸の自分を見られているような気がしだしたのだ。  
 そう感じだすと、とたんに落ち着かなくなってきた。吉村の後ろにあるベッドまでなにやら意味ありげに思えてくる。  
 今まで、こんなにも他人からの、それも男からの視線を意識したことのなかった香織は戸惑った。  
 な、なんかすごく落ち着かない。緊張してんのかなあたし。  
 やっぱりモデルなんか引き受けるんじゃなかった。  
 なんだろう? 見られたところが熱い?  
 吉村の視線のせいで、香織の体はしだいに熱を帯びてきた。自分に浴びせられる視線に興奮しだしているのだが、香織にはわからない。ただ、体の奥が熱くなってきたと感じるだけだ。  
 時間だけが過ぎていく。すでにスケッチが始まってから二十分は経っていた。  
 頭がぼうっとして、なにも考えられなくなってくる。  
「ん……はぁ」  
 あきらかに疲労から来る吐息などではない、それはとろけるようなあえぎ声だった。  
 
 吉村がぴたりと手を止めた。じっと香織の様子を窺う。初めと違いなぜか紅潮したほお、息までが熱っぽい。  
「北条さん?」  
 疲れたのだろうかと声をかけてみるも、香織はまるで反応せずぼうっとしている。  
「北条さん」  
 もう一度、さっきよりも強い調子で問いかけてみる。  
 すると、ゆっくりと香織の視線が動いた。ぼんやりと吉村を見つめていた瞳に光が戻ってくる。  
「え? あ、ごめん。ぼーっとしてた。なんだろ。モデルなんかやったことないから緊張したのかな、悪い。」  
 吉村はなぜか謝る香織をまともに見ることができない。  
「う、うん。初めてだから疲れたんじゃないかな。きゅ、休憩しようか。なんか、適当に持ってくるよ」  
 スケッチブックを放り出し、吉村はあわただしく部屋を出て行った。  
 ひとり残された香織は立ち上がると、伸びをした。  
「なんだったんだろ、あの感じ。すごくどきどきしたけど。」  
 自分の体が自分のものではなくなってしまったような、今までにない感覚だった。  
 おそるおそる自分の体に触れてみる香織。  
 鋭い刺激が胸に触れた指先から伝わってきた。  
「ぁん」  
 自分の口からでたとは思えないような甘えた声に香織は驚いた。  
「なに……今の声」  
 うっとりして、気持ちよくて。こんなのは知らない。  
 もしかして、これは、聡子が言っていた……感じるってことなのか?  
「で、でもなんでこんなときに。こういうのってエッチな気持ちになったときになるんじゃないのか」  
 その手の話題からは逃げるようにして生活してきた香織は、初めての体験に混乱しきっていた。  
「とりあえず、紅茶とクッキー持ってきたよ」  
 
 紅茶でのどを潤していると、本棚の『ヌードデッサン』が目に入った。  
「なぁ、やっぱりヌードって描いてみたいものなのか?」  
 言ってしまってから、香織は自分の発言の大胆さに気づいた。  
 聞きようによっては、まるでヌードになってもいいような言い方である。  
 現に吉村は含んでいた紅茶を噴き出しかけてむせている。  
「ごほっ、こへっ。っ、えっと……」  
 いきなりの問いに、さすがに吉村も答えづらそうに口をもごもごさせている。  
「いや、その、別に深い意味があるわけじゃなくて……」  
 あわてて言いつくろうのだが、顔を真っ赤にしてしまっているのであまり効果はない。  
「そ、そう! 本棚にヌードの本があるから、なんとなく気になっただけで……」  
「それはまぁ僕だって描いたことはあるし、これからも描きたいけど。別にそれだけってわけでもないし」  
「描いたことあるのか!」  
 意外な返事に香織は驚いた。そして同時に、いったいどんな相手の裸を見たのかという、好奇心がわいてくる。  
 しかし、その興味の中に、ヌードモデルへの嫉妬が含まれていることに香織は気づいていない。  
「あるよ。そういうヌードモデルを相手にしたデッサンの会とか、そういうのが色々あるんだ。  
 男のモデルさんの場合はたいしたことないんだけど、女のモデルさんが相手のときは裸だけが目当ての人が時々いて、それがいやで最近はもう行ってないけどね」  
 吉村の言葉はほとんど香織の耳には届いていなかった。あるよ、の三文字だけがぐるぐると香織の頭の中で渦巻いていたからだ。  
 お、女の人の裸見たことあるんだったら……私の裸見てどう思うんだろう。  
 比べられたら、比べられたらどうしよう。どうしよう、困る、いやだ。  
 やっぱり性格だけじゃなくて体まで可愛げがないと思われるのか。  
 こんなに筋肉のついた体では女として見られないかもしれない。  
 女らしくないということを自分でもわかっているせいで、どんどん気持ちが沈んでいってしまう。  
 もはや、ヌードを描いてもらうことが前提の思考になっているのに香織は気づかずにいる。  
 
 そんな様子を見て、吉村は香織が脱がされると思って困っていると勘違いした。  
「あの……北条さん? 僕はその、北条さんにヌードになってくれとか言うつもりはないから安心してくれていいよ」  
 純粋に安心させるつもりの言葉だったのだが、空手に疲れ、かといっていまさら普通の女の子のような生活もできない香織には、そう受け取ることはできなかった。  
 香織の頭の中でなにかが大きくはじけた。  
「気使ってくれなくてもいい。ようするに、あたしみたいな女っぽくないやつの裸なんか興味ないってことでしょ」  
 吐き捨てるように言って、香織は立ち上がった。  
「気分転換にはなったからそのお礼だけは言っとく。それじゃあ」  
 慌てたのは吉村である。わけのわからないうちに、ようやくモデルとして口説き落としたはずの香織が帰ろうとしているのだ。  
「なんで!? なんか気に障ることいった?」  
「別になんでもない。もう何枚か描いたんだからモデルになる約束は果たしたでしょ」  
「北条さんのヌード描きたくないなんて一言も言ってない! 僕は、できることなら、北条さんのヌード描きたい! けど、そんなこと普通は頼めないじゃないか」  
「本当に描く気があるなら今すぐ描いてもらおうじゃないか!」  
「いいよ! 描く! じゃあさっさと裸になってよ」  
 さすがに一瞬間があいたものの、香織は意地になっていたので、いまさら後に引くことなどできずに、ゆっくりと服を脱いでゆく。  
 シャツにズボン、勢いよく脱ぐと下着姿になる。大きく息をついて色気のないスポーツブラを脱ぐと、さすがに胸を隠すようにしながらショーツを脱ぐ。  
 急展開についていけずに、混乱したままの吉村はその様子をまばたきもせずに見つめている。  
 なんでこんなことになってるんだ?  
 僕の目の前で北条さんが裸になってる?  
「このあとどうすればいいの」  
 香織に尋ねられて吉村はようやく現実に帰ってきた。  
「え、えと……とりあえず、構えてもらえるかな。あ! いや、やっぱり適当に立って。も、もちろんその胸とかは隠してくれてもいいから」  
 
 しかし、香織は胸どころか、股間すら隠そうとせずに最初に言われたように、空手の構えをとって見せた。  
 自分で体を隠すのはなんだか負けを認めたようでいやだったのだ。  
 腰を落とし、基本の型をなぞる。ポニーテールが上下に揺れた。  
「これでいい?」  
「いい……」  
 香織の体は素晴らしかった。飾りのためではなく、戦いのための筋肉はまさに美しい鎧そのものだった。張り詰めたそれは、静止していてもなお躍動感を感じさせる。  
 それでいて、小ぶりな胸のふくらみと、ふくよかなお尻に象徴されるように、女性としての美しさを失っておらず、うっすらとのった脂肪が柔らかなラインを形づくっており、男なら誰でもが自分のものにしたいと乞い願うような体だった。  
 練習中にできた日焼けのあとが、最小限の白いままの肌、衣服に覆われていたのであろう部分、を強調し、素晴らしいコントラストをつくっている。  
 ところどころにある痣や、傷跡も香織の凛とした雰囲気をより高めるためのスパイスになりはしても、その価値を損なうものではない。  
 そして、構えのために惜しげもなく開かれた足のせいで、薄桃色の清楚な秘部とそれを隠し切れずにいる淡いしげみ。  
  ごくりと生唾を飲み込むと、吉村はスケッチブックと鉛筆を手に取った。  
 だが、書き始める前にたっぷり三分使って頭の中から邪念を追い払わなければならなかった。このとき、吉村はこれまでの十数年で使った以上の理性を使った。  
 
 
 ヌードになって五分後。香織は自分の愚かさを呪っていた。自分の八つ当たりが原因で全裸になることになるとは。  
 いや、それよりも一番の問題点は、服を着ていたときよりも視線に対して敏感になってしまっていることだった。  
 いまや見られている部分だけでなく、視線の届かないはずの背中側までが熱っぽい。体の心からじんわりと暖かくなるような、奇妙な心地だった。  
 この千載一遇のチャンスを逃すまいと、吉村は一心不乱に手を動かし続けていたが、ふと自分の絵と本物の香織の間になにか奇妙さを感じた。  
 どこか違和感がある。手を止めてじっと絵を見つめ、それから香織の裸身を見つめる。体のラインを追い、そこから細部に入っていくと視線が一点でとまった。  
 胸が違うのである。正確には乳首と乳輪。わずかに膨らんだ桜色の部分とその先端。違和感の原因はその先端が立ち上がりつつあることだった。  
 吉村は息を飲んだ。  
 もしかして……北条さん感じてる?  
 視線に興奮してしまうモデルがいるという話は聞いたことがあるけど、まさか北条さんが?  
 吉村は自分の考えを即座に否定した。自身の欲望がそう見せているのだと思ったのだ。  
 だが、その考えはさらに否定された。  
 香織の足の付け根、つまり秘部から太ももへ、とろりと一筋の液体が流れ落ちたのだ。  
 香織自身は気づいていないようで、どこかうっとりとした表情のまま動かない。  
「……北条さん」  
 おそるおそる手を伸ばしていく吉村。  
 指先が触れた瞬間。香織は崩れるように吉村にもたれかかってきた。  
 耳元に感じる、荒い吐息に吉村はうろたえてしまう。  
 
「北条さん!?」  
「よ……吉村ぁ……体が変なんだ」  
「ちょっ、大丈夫」  
 引き剥がそうとする吉村に抵抗しているのか、香織はなかば吉村にすがりつくような姿になっていた。  
「なぁ、あたしってそんなに、女としての魅力ってやつがないのか」  
 脈絡のない問いに吉村は答えることができない。ただ口をぱくぱくさせるだけだ。  
「やっぱり……男はもっと胸も大きくて、可愛げのある女の子のほうがいいよな。こんなに筋肉ばっかりでさ、やわらかくもなくて」  
「ぼ、僕の感じだと、え……と、北条さんもやわらかいと……」  
「だったら、だったら、私がお前のこと好きだって言ったらどうする……」  
 間近でみる香織の目はとても冗談を言っているようには見えない。いつもの凛とした雰囲気はまるでなくて、いつかの道場で見たときのように壊れる寸前のガラス細工のように見えた。  
「急にこんなこと言って迷惑かもしれないけど、自分でも驚いてるんだ。あたしが、吉村を好きかもしれないっていうことに、あたしも今気づいたんだから。  
 この前の夜に親身になってくれたり、モデルになってくれって言われたりしてすごく嬉しくて、あたし単純だから……それからなんだか吉村のことが気になって」  
 卵から孵ったばかりのひよこは初めて見たものを親だと思うことがあるというが、香織の場合もそれに近いのかもしれない。  
 とはいえ、きっかけが初めてまともに女あつかいされたというようなものでも、いや、だからこそ、一週間一人の男のことだけを考え続けていれば、本物の想いだといってもいいだろう。  
 片思いしている女の子から逆に告白され、吉村の頭はおかしくなる寸前だった。好きな女の子と自分の部屋で二人きり、女の子は全裸、しかも告白のおまけつき。  
 吉村はただ目を見開いて驚くことしかできずにいる。脳みそは考えることを放棄してしまったようだ。  
「ごめん。なんか急に変なこといわれても困るよな。今の忘れてくれていいから……もう帰るよ。今日は本当にありがと」  
 脱ぎ捨てた自分の服をのそのそと香織が拾う。  
 香織に背を向けられて、吉村からは香織の様子を窺うことはできない。  
 しかし、香織の顔からなにかが零れ落ち、手にしている下着に小さなしみをつくったのが見えたような気がした。  
 それと同時に香織の肩が震えているのに気づいた。こちらは気のせいではない。  
 
 北条さんもしかして……泣いてるのか?  
 吉村は珍しく強引に、香織の肩をつかみ振り向かせた。  
 香織の目は潤みきっていて、唇をかみ締めてひっしにこぼれるのを我慢していた。  
「……みっともないとこ見せてごめん、うっとおしいだろ? あはは……」  
 震える声で途切れ途切れに言いながら、無理やり笑おうとしている香織を吉村は思い切り抱きしめた。  
「違う! 違うんだ! 僕が何もいえなかったのは、嬉しすぎてびっくりしたせいで、絶対に北条さんのことが嫌いとかじゃない!」  
「いいよ、そんな嘘つかれると……みじめだからさ」  
 香織が弱々しく吉村の腕を振りほどこうとした。しかし、吉村は腕を背中にまわし、より強く香織を抱きしめる。  
「北条さんずっと前から好きでした!」  
 突然、吉村が絶叫した。  
「初めて会ったときからずっと好きでした! モデルを頼んだのも好きな人を描きたかったからです!」  
 今度は香織が驚く番だった。  
「うそだ……」  
「うそじゃない! 僕のほうが好きだった時間は長い!」  
 わけのわからない自慢をする吉村。  
「でもあたしなんかにそんなことあるわけない……」  
 自分の魅力にまるで気づいていないせいで、香織は現実を受け入れきれないでいる。  
 業を煮やした吉村が覚悟を決めた。  
 香織に有無を言わせずに、唇を奪ったのだ。  
 香織の目が大きく見開かれ、それからゆっくりと閉じられる。  
 

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