「絶対にイヤです。使うならお一人でなさればいいじゃありませんか!」  
旦那様を睨みつけ、声を荒らげて抵抗する。  
困った顔でこちらを見ていらっしゃるあの方の手には、妙にファンシーでポップな色調の瓶が握られていた。  
わざとらしいハートマークとFOR LOVERSの文字を見れば、それが何であるかなど私にだって分かる。  
聞けば、おととい薬局でゴムを買う時に目につき、ついでに買ってきたのだという。  
断りもなしに事後承諾だなんて、全く何を考えているんだろう。  
「どうしても駄目ですか?たまには、こういう物も……」  
「イヤだったらイヤです。そんないかがわしい物なんか使いたくありませんっ」  
あくまで拒否して、なおもすがろうとする旦那様を振り切り、足音も高く女中部屋に戻る。  
戸口にありあわせの物でバリケードを築きあげ、私は何もかもを一切無視して早々に寝ることにした。  
 
翌朝以降も、なるべく旦那様の傍に寄らないようにして、会話も必要最低限に抑えた。  
いくらあの方のご希望だからって、こっちにも自分の意志ってものがある。  
何があっても拒否だ拒否!と鼻息を荒くしていたのだが、さらに数日が経つうちに、心境にほんの少し変化が訪れた。  
私が今、女中部屋で使っている布団を捨てる日が近付いてきたためだ。  
粗大ゴミの日は清掃局に確認済みで、有料シールの用意ももうしてある。  
どうせ布団を捨てるのなら、「あれ」を一度くらい試してみてもいいかも。  
そんな考えが、日ましに私の頭の中で膨らんできた。  
まだ使える物を捨てるという罪悪感も、いっそ「あれ」で布団をもう使えないほど汚してしまえば消えるかもしれない。  
美果が駄目なら、他で試してみようなどと旦那様に思われても困るし。  
あの方がそんな考え方をなさるとは思わないけど、それはそれ、万が一ということもある。  
もしかしたら、もったいないオバケに二倍祟られそうで怖いけれど。  
たった一度、旦那様の顔を立てて一度だけなら。  
こうして、私はぎりぎりで覚悟を決めた。  
 
 
「あの、旦那様」  
布団をゴミに出す前夜、私は意を決してあの方の前に立った。  
お風呂上りに、また机に向かわれる前に用件を切り出さないと。  
「どうしました?美果さん」  
ここしばらく避けていた私が目の前に立ったのを妙だと思われたのか、パジャマ姿の旦那様が首を傾げて私を見られる。  
「こないだの『あれ』ですけど……。まだ、捨てていらっしゃいませんか?」  
私が問うと、旦那様はもう一度首を傾げ、しばらく考えた後に頷かれた。  
「ええ。僕の部屋の棚に仕舞ってあります。あれが、どうかしましたか?」  
問い返されて言葉に困り黙ってしまう。  
まさか「今晩使いません?」なんて……。  
言えるだろうか、いいや言えるわけもない。  
せっかくの決意が頭の中でぐらぐらと揺れはじめ、私は所在無くエプロンのフリルを指先で弄り回した。  
単刀直入に言うより、あの日から今日までの心境の変化を、順を追って説明するのが無難だろうか。  
「美果さん、もしや」  
指先以外は微動だにさせず黙っていると、こちらを見つめていた旦那様が何かに気付かれた風になる。  
「気が変わった、ということですか?」  
「あの……、えっと……。はい」  
旦那様が重ねて問うて下さったのを幸いに、微かに頷く。  
「もう使う気が失せてしまわれたのなら、いいんですけど……」  
旦那様のお察しがいいことに感謝しながら、それでも、遠慮がちにお伺いをたててみる。  
こんなにうじうじと煮え切らない物言い、私には縁の無いものだったのに。  
いっそ、カラッと明るく誘った方がよかったのかもしれない。  
複雑な思いに駆られながら、ご返答を待った。  
「その気になってくれたのなら何よりです。では、使ってみましょうか」  
短いような長いような間を置いて、旦那様がいつもと変らぬ調子でお答えになる。  
浮き足立って鼻血でも出そうな私に比べ、なんと余裕のある物腰だろう。  
「本当に、構わないのですね?」  
「は、はい」  
さすがだと暢気に関心していたところに、念を押され慌てて答える。  
妙に高鳴り始めた胸をそっと押さえ、気付かれぬよう深呼吸をした。  
 
準備をしてきます、と旦那様が自室に立たれたので、私は先に女中部屋に戻って待つことにした。  
突っ立っているだけでも何なので、とりあえず布団を敷いてみる。  
床の準備なんかしたら、この後のことをすごく期待しているように思われそうだけど。  
私がこうするのは、こないだ拒否した時に言い過ぎたのが後ろめたいのと、段取りをしておく、ただそれだけのため。  
別に、あれを試すことに乗り気で、好奇心が抑えられないとかじゃないから。  
誰に向けるでもない言い訳は、頭の中で並べているつもりが、いつの間にか小さく口からこぼれていた。  
布団を敷いてその脇に座り込み、意味も無く布地を指で突っついて待つことしばし。  
ノックの音をさせてから、旦那様が女中部屋のドアを開けて顔を覗かされた。  
しかしその手には、あの可愛らしい瓶ではない別の瓶をお持ちになっている。  
あ、あれは来週の資源ゴミに出すために洗って干していた米酢の空き瓶じゃないか。  
「用意ができました」  
旦那様がにっこりと笑って部屋に入ってこられる。  
「用意?」  
私がおうむ返しに言うと、旦那様はええと頷いて、瓶をこちらに差し出された。  
「説明書きには希釈式だとあったので薄めたのですが、比率がよく分からなくて」  
試行錯誤するうちにこうなりました……と、五合瓶にほぼ満タンに入った中身を示される。  
受け取って、私はそれをまじまじと見てしまった。  
これがあの、いわゆるローションという、あれなのか。  
透明な液体が、小さな泡を含んで容器に納まっているさまは、ゼリー状ドリンクのようにも見える。  
揺すると瓶の中で緩慢に動く様子は、中華料理のあんかけみたい。  
こんなの、本当に使って大丈夫なんだろうか。  
「心配には及びません。人体には無害であると明記してありましたから」  
私の疑問を解消するように旦那様が仰って、さあさあと瓶を取り戻し、私をうながして布団にいざなわれる。  
組み敷かれたところでハッとする。  
布団は捨てるからいいけど、メイド服が汚れるのは困る。  
それを言うと、旦那様は頷いた後にローションの瓶を少し離れた場所に置かれた。  
「服を着たままでも使えるようなのですが、美果さんが嫌なのならやめておきましょうか」  
まるで私が脱ぎたがっているかのように言われ、思わず頬を膨らませてしまう。  
いくら気心の知れた方の前だからってポンポン脱ぐような、私はそんな恥知らずじゃないのに。  
でもやっぱり服が汚れるのは困るので、釈然としない気持ちのまま頷く。  
旦那様のお手にエプロンの結び目が解かれ、腰の戒めが軽くなる。  
ちなみにだけど、旦那様の後に私もお風呂は済ませている。  
決意を示すのにパジャマでは不足だから、自分の戦闘服ともいうべきこの格好で旦那様の前に立とうと思っただけ。  
でも、いつもは徐々に脱がされるのに、段取りのためとはいえ最初から全部だなんて恥ずかしい。  
それじゃますます私が「あれ」に興味津々で、ノリノリみたいに見えるもの。  
旦那様がエプロンを畳んで下さっている間に照明を落とそうと、一旦起き上がる。  
しかし、スイッチに触れたはずの私の手は、背後から伸びてきたあの方のお手に動きを止められた。  
「美果さん、明かりを消してはいけません」  
「えっ……」  
「何かあってはいけませんから、今日はこのままいたしましょう」  
旦那様に手を捕らえられたまま、布団に再びお尻をつけて座る。  
そんな、電気をつけたままするなんて困る。  
変な場所とか表情とか、明るかったら全部見られてしまいそうだもの。  
「ね、美果さん」  
今回だけだから……と諭すように言われてしまうと、どうしても嫌だとは言いにくい。  
私がしょうがなく頷くと、旦那様はワンピースのボタンに手をかけられた。  
手際よく脱がされ、ブラもストッキングも外されて、身に纏っているのは下半身の布一枚だけになる。  
「旦那様も、脱いで下さらなきゃ困ります」  
私がこんな格好なのに、旦那様だけパジャマ姿だなんてずるい。  
明るい場所で裸になっている恥ずかしさを隠すように、私も旦那様の着衣をお脱がせして、汚れないよう遠くにやった。  
「では」  
旦那様が瓶を掴んで手元に寄せられる気配がする。  
いよいよ始まるのだと、なぜだか体が小さく震える。  
これって、武者震いってやつなのかな。  
「寒いですか?」  
問われたのに首を振ってみせ、私はシーツをくしゃりと握り締めた。  
 
抱きかかえられるようにして、布団の上に横たえられる。  
「始めましょうか」  
その声が耳に届いた次の瞬間、胸元がいきなり冷やりとした。  
「んっ」  
水やお湯とは全く違う液体が肌にかかる初めての感触に、体が大きく跳ねる。  
「動かないで。じっとしていて下さい」  
旦那様が、まるでお医者様のように指示される。  
でも、よく分からない物に肌を一部分でも覆われているのは、何となく居心地が悪くて。  
お言葉に従いたい気持ちとは裏腹に、どうしても身じろぎを止めることができない。  
化粧水、乳液、ボディーソープに軟膏の類。  
肌につけたり塗ったりするあれこれを思い浮かべてみても、それらとは全く違う質感なんだもの。  
気もそぞろになっている私を尻目に、旦那様がさらに瓶を傾けられる。  
「あっ……」  
増やされたローションが、胸の谷間を滑り落ちる感触に思わず声が出てしまう。  
「おっと」  
胸を通り抜けておへその辺りへ向かおうとするローションを、旦那様の手がせき止める。  
流れに逆らうように押し戻されたそれは、今度は私の首元へ一直線に向かってきた。  
顔をかばおうと反射的に出した手の平が濡れ、ローションが指の間に入り込む。  
そこをすり抜けてさらに下へと滴るほど、この液体はさらさらではないみたいだ。  
むしろ、私の手首からひじを伝って体の脇へと流れ落ちたがる。  
このまま布団に吸収されてはもったいないのではという、ケチな考えが頭をよぎった。  
これ以上ローションが落ちないよう、ひじを突っ張るように持ち上げてみる。  
力を入れた手の平がずるりと滑り、右の乳房を滑り降りるように撫で下ろした。  
「あ、んっ」  
驚きと、それとは別の何かを含んだ声が唇を割る。  
未知の液体をまとった手で触れた胸は、やけに敏感になっていて、故意ではない摩擦にも違う意味を持たせた。  
面白い、もう一度やってみたいと興味がそそられる。  
旦那様に止められないのをいいことに、私は恐る恐る手の平を後戻りさせた。  
「ん……あ、あ……」  
肌に乗っかったローションが、まるで吸い付いたみたいに手の平と胸をぴたりと密着させる。  
それなのにつるつると滑って、手の平が元の位置に戻ろうとするのを邪魔して、下に引き戻そうとする。  
まるで経験したことの無い新しい触感に、全身の感覚が鋭敏になるのが分かった。  
起きているのに、さらに目を覚ましたみたい。  
もういっぺんやってみたい、今度は、ごくゆっくりと。  
好奇心に導かれるまま、鎖骨の辺りまで濡らしていたローションをすくい直した手で胸を撫で下ろす。  
指先に触れた乳首は、一瞬でも分かるほど固く立ち上がっていた。  
ほんの一往復半、しかも自分で胸を撫でただけなのに、なんで。  
頭に疑問符が浮かんだのとほぼ同時に、またローションが垂らされる。  
今度は胸元ではなく、左の乳房のてっぺんを狙って。  
「あ、ああっ!」  
少し冷たくどろりとした液体が、細く長く左の乳首を狙い打つ。  
言いようもないほど背筋がぞくぞくして、私の呼吸はいっぺんに乱れた。  
なのに両腕は体をかばうでもなく、ローションの瓶を傾けている旦那様のお手を掴むでもなく。  
私はただ、陸に上げられた魚のように体をびくつかせ、口をぱくぱくとさせるだけで。  
「はっ……あ……」  
どれくらいそうしていただろうか、いつの間にか左胸に落ちるローションは止まっていた。  
しかし息を整える間もなく、体の脇へと流れ落ちようとするそれを旦那様のお手がすくい、胸の頂上を通って心臓の方へと戻す。  
「やんっ……あん、んっ……」  
粘っこい刺激に胸を蹂躙されて、呼吸がまた乱れてくる。  
私がそんな状態でいるのを面白がるかのように、旦那様の指は何度も同じ動きを繰り返した。  
気がつけば、いつの間にか右胸も同じように弄ばれている。  
ただ手を左右に動かすだけの単調な動きで、愛撫と呼べるほどのいやらしさなど、これっぽっちもないのに。  
それでこんなに感じているなんて、私は一体どうしてしまったんだろう。  
「あ、やっ……」  
ローションをまとった旦那様の親指に乳首を嬲られ、むずかったような声が出てしまう。  
まるで、そこをねっとりと舐められているような錯覚に支配されていく。  
 
気持ちいい、もっともっと触って欲しい。  
旦那様の手首を掴み、胸に押し付けるようにしてねだる。  
さっきの行為で濡れた手の平には、旦那様の体温がはっきりと感じられた。  
一緒にお風呂に入って、お湯の中で触れられている時より、何倍も鮮やかに。  
私の求めに応じるように、旦那様が両手を動かして下さる。  
そのうちにローションを足そうと思われたのか、ふと旦那様の両手が胸から離れた。  
「ひゃっ」  
にちゃ……という音と共に、旦那様のお手と私の胸の間にローションの糸が何筋もできる。  
引いた糸はその緊張に耐え切れない順番に切れ、体温を含まない間があったことを示すかのように、肌に一瞬の冷たい感触を残した。  
全く見なくても、幾筋もの糸の一本一本が切れていくさまが思い描けるくらいに。  
お手が触れていなくても感じることがあるなんて、今の今まで想像すらできなかった。  
 
 
ローションを足して、旦那様がまた私の両胸に手を密着させられる。  
今度は優しく揉むように愛撫されて、私はいよいよ声を高くして喘いだ。  
とろみのある液体をまとった手で触れられるのが、こんなに気持ちいいなんて。  
ぬるぬるするのも、当初想像していたような不快さは全く無い。  
それどころか、摩擦が軽くなったせいで「もっと」と欲望が煽られる一方になる。  
この辺でとか、もういいとか遠慮する気持ちがどこかに飛んでいってしまったよう。  
限界まで固く立ち上がった乳首に触られるのは、本来なら痛いはずなのに。  
ローションのおかげで滑りがよくって、痛くないどころか、その、絶妙だ。  
旦那様がお手を動かされるのに合わせて、くちゅ、ぴちゃ……と粘っこい水音が立って、私の羞恥を煽る。  
まだ触れられていないのに、脚の間がじわじわと熱くなり疼き始めた。  
あまりにも、そこを愛撫される時の音と今している音がそっくりだから。  
二箇所を同時に愛撫されているような錯覚を起こしそうになる。  
旦那様も、こういった小道具を使うという初めての経験を楽しまれているようで。  
好奇心を抑えられないといった様子で、いつもよりずっと念入りに愛撫して下さっている。  
全てをお任せして、私は喉が痛くなるくらいにいっぱい声を上げて、たまに叫んでしまって。  
時間を忘れるくらいに耽っていたのだけれど、ふとした変化に気付いて眉根を寄せた。  
柔らかいお餅をこねるように滑らかだった旦那様の手つきが、あちこちに引っかかるように動きが悪くなりかけている。  
やだ、さっきの方が気持ちよかったのに。  
もしかして、私の体温でローションが乾燥してしまったのかも。  
液を足したらまたぬるぬるが復活して、元の素晴らしく滑らかな愛撫になるのかな。  
そう考えながら枕元の瓶を横目で見やっていると、ひとりでにそちらへ手が伸び、指先が瓶を掴んだ。  
「美果さん?」  
気がつけば、私は不思議そうに尋ねられる旦那様に、おずおずと瓶を差し出してねだっていた。  
これを使うのは嫌だと散々ごねていた私は、どこに行ってしまったんだろう。  
釈然としない気分になった時、胸にまた液体の落ちるとろりとした感触がする。  
望みどおりにローションがまた垂らされたことに、私の頭は自己批判を遠くへ追いやった。  
「んっ……あんっ……あ、ああ……」  
再び旦那様の手の動きが滑らかになり、胸に快感を呼び起こす。  
やっぱり、こっちの方がずっといい。  
ひとりでに腰が浮き、身をくねらせて悶えてしまう。  
まるで、旦那様の愛撫を誘っているみたいだ。  
このローション、まさか使うとエッチな気分になる成分が含まれてるんじゃないだろうか。  
少し怖いように思うけれど、こうなってしまえばもう、今更どうすることもできない。  
明かりが煌々と灯った部屋で素肌を晒して、あられもなく喘ぐ姿を旦那様に見られている。  
すごくいけないことをしているという罪悪感と高揚感が、触れられる快感を底上げして、私を夢中にさせて。  
冷静な思考が奪われて、いけない欲望だけが全身から溢れそうなくらい、どんどん湧いてくる。  
 
 
ふと、わきの下に旦那様の手が入り込み、前触れも無く抱き起こされる。  
びっくりして目を開けると、鼻と鼻がくっつきそうなくらい近くで見つめられていた。  
恥ずかしさに下を向くより一瞬早く、旦那様が唇を重ねてこられる。  
するりと忍び込んできた舌が口中を這い回り、私の舌を絡めとった。  
「く……ん、んっ……」  
愛撫の余韻にぼうっとしながらも必死でキスに応え、置いていかれないように頑張る。  
 
旦那様の腕を掴もうとした両手はずるりと滑り、手首の辺りでようやく止まった。  
それでは物足りなくて、私は旦那様の背に腕を回し、あの方を抱きしめるように捕まえた。  
愛撫されるのもいいけれど、こうして密着しているのも大好きだ。  
こうしてくっついて、旦那様の香りをいっぱいに吸い込むと、胸に明かりが灯ったようにほの温かくなる。  
塞がれている唇も口角が上がって、まるでキスをしながら微笑んでいるみたいになる。  
 
 
私の気がすむまで唇を重ねていて下さっていた旦那様が、体を起こされる。  
また組み敷かれるかと思いきや、私は今度は背後から抱きかかえられ、あの方の胸に背を預けた。  
旦那様を座椅子にして、体重を全て預けて寄りかかっているような体勢。  
普段とることのない形に、私は背筋を緊張させた。  
「旦那様?」  
振り返って旦那様のお顔を窺うと、心配ないとでもいうような微笑が返ってくる。  
私が頷くと、体の前であの方の両手が動き、またガラス瓶が傾けられる。  
「あっ」  
瓶からローションを受けた旦那様の左手が、私の胸元にそれを塗りこめるような動きをする。  
再び与えられた快感に、私は思わず自らの体を凝視した。  
旦那様の長い指に液体を塗りたくられた両胸が、部屋の明かりを反射して妖しく光る眺めは、とても刺激的で。  
まるで自分の体ではないような錯覚がして、そこから目が離せなくなった。  
お屋敷にいた頃に見た、白桃のコンポートやゼリー寄せにされたメロンのタルトを連想させる照りと輝き。  
触れてみると、たっぷりと垂らされたローションでぬるり、つるりと指が滑る。  
手を離すと、粘着質な音を立てて、まるで気泡を含んだ細いつららのような糸が何筋も引く。  
何度も同じ動きを繰り返し、同じ感触に酔う。  
見慣れた自分の体が、まるで初めて触れる珍しい何かになったみたいで、手を止めることができない。  
そんな私の心中を知ってか知らずか、旦那様は胸に触れていたお手を止め、私の下着に右手をかけられた。  
いくらもかからず脱がされたそれは、ほんの一瞬見ただけで、正視できないくらいにじっとりと湿っているのが分かった。  
綿の下着があんなになるなんてと、私は怖れにも似た思いで、それが軽く畳まれてあちらに置かれるのを見送った。  
胸に垂らされたローションが、覆う物が無くなった下半身へと伝い落ちていく。  
控えめに生えている茂みなどやすやすと踏み越えたそれは、私の脚の間へ入り込み、どろりとした感触を残して姿を消した。  
流れ落ちた後をたどるように、旦那様の指が私の体をなぞる。  
力を入れていないくらいに弱い触れ方なのに、私は体を大きく跳ねさせた。  
みぞおちからおへそを通って、茂みを通り抜けて、脚の間へと指が分け入るさまを、息をすることも忘れて感じる。  
気づいた時には、旦那様の5本の指が脚の間にぴたりと押し当てられていた。  
ローションで濡れそぼった指が、それと同じくらいに濡れて熱を持った場所を覆っているのは、それだけで頬に血を昇らせて。  
そこの柔らかさを楽しむように指にほんの少し力がかかるだけで、掠れた悲鳴が唇を割る。  
指から逃げたくても、背後は旦那様に抑えられていて、腰を数センチ引くこともままならない。  
「あ……んっ、あっ!」  
旦那様の指が、脚の間をゆっくりと撫でさすり始める。  
ほとびてしまうほどに湿っている敏感な場所を上下に擦られて、私は背を大きくそらし、喉をむき出しにして喘いだ。  
中から溢れた物で十分潤っている場所をさらに濡らすかのごとく、ローションを塗りこまれて。  
指先だけの微かな力とは思えないほど、その刺激は鮮烈に私のそこを捉えて夢中にさせた。  
時々わざと動きを止められると、体を揺すって抗議したくなるほどに気持ちいい。  
「旦那様……んんっ」  
柔らかい襞を丹念に撫でていた旦那様の指がある一点を捉え、ぴたぴたと叩くように刺激する。  
体の中で一番敏感な場所に与えられた快感に、私はそこを責め苛む旦那様の腕に掴まった。  
爪を立てるほどに力を入れて声を堪えようと頑張るのだけれど、濡れた手ではそうすることなど無理なこと。  
ローションで滑って肉芽を十分触ってくれない旦那様の指に、快感と同じくらいもどかしさをかき立てられて、どうしようもなくて。  
二つのもどかしさに思考を奪われ、いくらもしないうちに、私は脚を閉じることも忘れてしまっていた。  
「美果さん」  
旦那様が耳元で小さく呼びかけられる声にさえ感じてしまい、熱い吐息が漏れる。  
見開いた私の目は壁際に置いた小さな鏡をとらえて、そこに映っている我が身を見てしまった。  
旦那様に後ろから抱っこされて愛撫を受け、あられもなく身をくねらせる己の姿。  
 
恥ずかしさでいたたまれなくて、私は両の手で顔を覆って隠した。  
鏡が見えるのは嫌だからあっちを向いて触って下さいなんて、言う勇気なんかない。  
手の平に残ったローションが頬につくべっとりとした感触に、カッと体が火照る。  
性感を高めるための液体に全身のほとんどをまとわりつかれて、これからどうなってしまうのだろうと恐れにも似た感情が胸に生まれた。  
しかし旦那様は、私が背筋を震わせたのは限界が近いからだと思われたようで、下半身への責めを強められる。  
いや、だめ、怖いと切れ切れに訴えても、あの方の手は動くことをやめてくれなかった。  
強引に高みへと押しやるように肉芽を苛まれ、乳首もつねられて。  
間もなく、私は今まで上げたことがないほど大きな叫びと共に達してしまった。  
 
 
だらりとした体を引き上げるように抱き起こしてもらい、お胸に背中を預ける。  
ローションでぴったりと蓋をされ、肌から逃げられなかったはずの体中の熱が、すうっと引いていくような感じを覚えた。  
ぜいぜいと乱れる息を懸命に整えながら、旦那様のお手に自分の手を重ねる。  
何度か深呼吸して、ギュッと握った。  
大丈夫ですかと問われて、いいえと小さく答える。  
あんなに乱れて叫んでしまったのに、大丈夫なわけがない。  
旦那様はまだ下着も取らないままなのに、私だけがあんな風になってしまって。  
混乱が収まると、いつもの自分が戻ってくる。  
私だけじゃ不公平だ、旦那様も同じ目に会わせてやる。  
そのまましばらくじっとして体力が回復するのを待ち、頃合いを見て私は旦那様の腕の中から逃げた。  
「美果さん?」  
きょとんとしてこちらを見ているあの方に乗りかかり、傍らのガラス瓶を引き寄せる。  
躊躇なくそれを傾けて、中身をあの方の肌に落とした。  
「あっ」  
冷たさに驚いたのか、旦那様の口から小さい声が聞こえ、私の口角が上がる。  
液に粘りがあるせいで、細い瓶の口からは、もどかしいほどゆっくりしか出てこないけれど。  
出てきた物の上に指先を乗せると、ほんの少量でもびっくりするほどよく伸びる。  
まるで手でスケートをしているような面白い心地がして、好奇心がどっと湧いてくるのが分かった。  
さっき旦那様が、私の胸の上で手を動かして遊ばれていた理由が分かる気がする。  
手を滑らせるたびに組み敷いている人の表情が変わって、小さな声が聞こえて。  
これは面白いわけだ。  
悪戯心を刺激された私は、ローションで濡れて立ち上がっている旦那様の乳首を指先で弾いた。  
さっき肉芽を責められた時のことを思い出し、円を描くようにそこを触り、爪で軽く触れる。  
「あ……。いけません」  
旦那様がハッとしたように私の手首を掴み制される。  
もしかして気持ちよかったのかな、だから止めようとなさるのに違いない。  
「いいじゃありませんか。旦那様だって、さっきいっぱい遊ばれたんですから」  
私もやってみたいのは当然でしょうと、唇を尖らせて口答えをする。  
しかし旦那様は、いいえそれだけはいけませんと頑なな態度を崩されなかった。  
なんだ、つまんないの。  
気勢をそがれた私は、あの方の胸に垂らしたローションをかき集め、しぶしぶお腹の方に持ってきた。  
こっちならだめと言われないと思ったのだけど、無駄なお肉のない平らなお腹を触っても面白くない。  
なんか面白くなる方法はないかと首をひねり、やがて一つ思いついた。  
瓶を逆さまにし、鉄板の上のステーキに洋酒を振りかけるシェフのように、上下に瓶を振って旦那様の上にローションを落とす。  
このくらいかなと思ったところで、今度は手の平に取って自分にも塗りたくる。  
お互いの肌が同じくらい照り光ったところで、私はおもむろに旦那様の上に重なった。  
そのまま上下左右に動き、全身でスケートするみたいにして旦那様の上を滑る。  
最初体を固くされていたあの方は、やがて吹き出し、クスクスと笑い声を上げ始められた。  
「美果さん、随分と面白いことをしますね」  
ひとしきり動いて疲れた私が息をつくと、あの方が笑みを含んだ声で仰る。  
「これならいいでしょう?旦那様、これもだめですか?」  
「いいえ、楽しいアイデアだと思いますよ」  
お伺いをたてる私に、旦那様が声を震わせながら答えられる。  
「今度は僕が代わりましょうか?」  
「いいえ、今は私の番ですから、旦那様はそのままになさっていて下さい」  
旦那様が上だと、滑った拍子に布団から落ちて壁にでも激突されては困る。  
私の方が小回りがきくし、旦那様を好きにしているというこの高揚感を取られたくはない。  
「今度は背中にしましょう。旦那様、裏返って下さい」  
私が頼むと、旦那様ははいはいと頷いて体を持ち上げられた。  
 
ローションを足して、また旦那様の背中の上で目いっぱい滑って遊ぶ。  
勢いがよすぎて時々布団から転げ落ちそうになっても何とか堪え、思うままに全身スケートを楽しんだ。  
ついでに旦那様の背中をマッサージしてみると、ちょっと強い力をかけても心地が良さそう。  
そういえば、滑りのよいオイルを使うアロママッサージっていうのもあるんだっけ。  
肩揉みや指圧とは違って、こういうやり方でも凝りが解れるのかもしれない。  
いくらかして、もういいですよと旦那様が仰ったので、手を離してふうと息をつく。  
ふと自分の体に意識を戻すと、顔から胸から足先に至るまでべとべとのぬるぬるになってしまっている。  
大丈夫なのは頭のてっぺんくらいだ。  
旦那様も同じくらいになっていらっしゃるのを見ると、このまま二人できな粉にでも塗れたら面白そうだと思える。  
残念ながら今はきな粉のストックは無いんだけど。  
さて、いつまでもこんなことばっかりしていてはいけない。  
旦那様をきちんと気持ちよくしてあげないと。  
もういっぺん裏返って下さいとお願いして、私は旦那様の足元へしゃがみ込んだ。  
ローションを吸って色が変わってしまっている下着に手をかけて、一息に下ろす。  
出てきたアレを咥えようと姿勢を落とした時、いいアイデアを思いついた。  
かなり中身が減ってしまったローションの瓶をまた引き寄せ、左手にたっぷりと注いで受ける。  
瓶を離した右手を重ね、両方の手にローションをまぶして、アレを包むように握った。  
「あ……」  
根元から先端までを柔らかく擦り上げると、旦那様の吐息に熱が籠もってくるのが分かる。  
粘っこい水音が絶え間なく立って、ひどくいけないことをしている感じがした。  
先端の太くなっている部分に指を這わせると、旦那様が大きく息を飲まれる。  
いつもより大きな反応に、自分の頬に笑みが浮かぶのが分かった。  
ごく軽い力で先端に指を這わせ続け、根元の方は左手で規則的に扱いてみる。  
ローションの粘りと滑りに助けられ、いつもよりはかどっているのではないかと思えた。  
元々全て自己流で、上手にできているかどうかも全く分からないこの作業。  
でも、今日は旦那様の反応が一際いいし、私もいつもより楽しい。  
口でするのは後に置いといて、まずは手で目いっぱい触ってみたい。  
力を変えたり指を細かく使ってみたりと、思いつく限りのことを試してみる。  
手を止めて焦らしてみると、旦那様が不満気に長く息を吐かれるのを感じ取って、私は心の中でやったあと叫んだ。  
さっきはこの方にいいようにされてしまったんだから、私も仕返ししなければいけないもの。  
手と摩擦の熱でローションが乾燥すると、再び瓶を傾けて補充してまた触れて。  
いつもよりずっと長いけれどちっとも飽きない時間を、存分に楽しんだ。  
でも、時折気持ち良さそうな吐息が聞こえる反面、イかれる気配があんまりしない。  
滑りがよすぎると、逆にそういうのからは遠ざかるのかな。  
首を傾げたけれど分からないので、とりあえず先端を弄っていた手を離して私はアレに吸い付いてみた。  
「美果さん……っ」  
ハッとした声で旦那様が私の名を呼んで、腰をびくりと跳ねさせられる。  
ぬるぬるしすぎて扱いづらいアレに手を焼きながら、唇と舌とで愛撫を続けてみる。  
手触り同様、口に含んでもローションのおかげでいつもとは大分違う。  
どんな食べ物とも異なった感触に、一体何に似てるのだろうと私は口の中でアレを弄びながら考えてみた。  
だめだ、やっぱり思いつかないとさじを投げた時、あの方のお手が私の後頭部に触れる。  
そのまま引き寄せるように押され、私はアレを根元まで飲み込んだ。  
求められるままに頭を上下させて奉仕すると、旦那様が堪えきれない喘ぎを漏らし、体をぶるりと震わされる。  
自分の楽しみを一旦忘れて、私は旦那様の望まれるままにしようと決めた。  
先端に舌を這わせ、時には強く吸い付いて熱の解放を促す。  
やがて、一際大きな体の震えと共に、あの方は私の口の中に出された。  
息を乱してぼうっとした目をされているのを見ると、何がしかの勝利感のような物が胸に生まれてくる。  
最後にもういっぺんアレに強く吸い付いてから、私は旦那様の足元を離れた。  
 
 
旦那様に組み敷かれ、もう一度布団に背を預ける。  
また胸とあそこを触られて声を上げさせられ、危うくまたイきそうになったところでお手が離れた。  
しばらく待っていると、準備を済まされたあの方が改めて覆いかぶさってこられる。  
でも、まだ下半身に残っているローションで滑って、うまく入らない。  
焦らされただけなのかもしれないけれど、すごくもどかしくなって、私はお尻を浮かせてじたばたした。  
 
脚を旦那様の腰に絡めて、お腹の力をなるべく抜いて協力すると、やっとアレが体内に押し入ってくる。  
熱く大きい圧迫感に、私はのけぞって大きく息を吐いた。  
なんだか、いつもより気持ちいいみたい。  
散々煽って煽られてという手順を経たせいなのかな。  
すぐにイってもつまらないので、旦那様の背中に両腕を回して抱きつき、何でもない風を装う。  
いいですか、と耳元で尋ねられて頷くと、旦那様がゆっくりと動き始められた。  
下腹部に感じる粘っこい感触に、お腹とお腹の間でまたローションの糸が引いているイメージが頭に浮かぶ。  
そっちの想像にはもう慣れたのだけれど、でも、耳の方はまだ慣れていないみたい。  
繋がった場所とお腹の二箇所から立ついつもより大きな音に、頭の中が沸き立つようになってくる。  
ローションの働きで、いつものセックスより肌と肌がぴったりとくっついているように思えて。  
旦那様と私の境が曖昧になって、触れ合っているというよりまるで溶け合っているような錯覚をした。  
「やっ……あんっ」  
乳首を舌で刺激されて、上ずった悲鳴がこぼれてしまう。  
ローションで濡れた場所を舐められると、さらにぬるぬるが強くなったみたいで気持ちいい。  
手とはまた一味違った感触に、びっくりするほどに体が跳ねて、声も出てしまう。  
お腹にも力が入って、旦那様と繋がっていることを強く感じた。  
「旦那様っ……あ……んんっ……」  
だめ、またイってしまう。  
精一杯の力を振り絞って体を揺すったけれど抵抗できず、私は先に達してしまった。  
 
 
抱き起こされて、旦那様のお膝の上に繋がったまま座る格好になる。  
熱い息を吐きながら視線を上へやると、目を細めていらっしゃるあの方と目が合った。  
それに吸い寄せられるように私からキスをする。  
舌と舌がねっとりと絡み、胸の奥がキュッと疼いた。  
旦那様、大好きです。  
恥ずかしくてとても口にできない言葉を思いながら、時間を忘れて唇を重ね続ける。  
お屋敷にいた頃に初めて閨に上がった時は、こんな気持ちになるなんて全く想像していなかったのに。  
自分でも驚くくらい、私はこの方に夢中になってしまっている。  
旦那様が好き、旦那様以外の男の人なんて考えられない。  
この方には、本当ならもっと洗練されていて、きれいで頭もいい女の人のほうがふさわしいなんて分かっている。  
それでも、私はこの方とずっといっしょにいたい。  
自分が一番ふさわしい女じゃないなんてとうに承知しているけれど、それでも私は旦那様の奥さんになりたい。  
「……あれ、よそで使っちゃだめですから」  
唇を離してローションの瓶を見ながら言うと、旦那様がクスッと笑われる。  
もっと可愛くねだれたらいいのに、どうしてこんな挑むような言い方をしてしまうんだろう。  
好きですとか、私だけ見てて下さいとか、似合わなくても一度くらい言えればいいのに。  
「心配無用です。僕は恐妻家ですから」  
冗談めかして言いながら、旦那様が私のお尻をさわさわと撫でられる。  
これから籍を入れるところなのに恐妻家などと言われたのがおかしくて、私も同じように笑った。  
でも、そんな風にお尻を触られると違う声が出てしまう。  
「旦那様っ……ちょっと、やめ……」  
逃げたくても、この体勢では無理な相談で。  
くすぐったさに身を捩りながら言ってもやめてもらえず、困った私は旦那様に思い切り抱きついた。  
手が滑るのにも構わず、ぎゅうぎゅうと密着して応戦してみると、やっとお手が動くのを阻止できた。  
しめつけていたお背を撫で、ふうと息をついてあの方のお顔を窺ってみる。  
目が合ったと思ったら急にお顔が大写しになって、今度はあちらから口づけられた。  
何度か繰り返し唇が重なり、やがてチュッという音と共に離れる。  
入れ替わりに、先ほど私のお尻に悪戯していた旦那様の両手が、腰を支える位置に固定される。  
何も仰らなくても、それがどういう意味かが分かってしまう。  
私は少し体を離して、互いのお腹を擦り合わせるように動き始めた。  
旦那様のアレが入っている場所にぐっと力を入れて、緩急つけて腰を揺する。  
いくらもしないうちに肌が汗ばみ、支えて下さっている旦那様のお手が何度も下へずり落ちた。  
ローションの滑りに邪魔されても、動くのを止めることなんてできない。  
旦那様が気持ちいいように動きながら、時折自分の快感も求めつつ、アレを締め上げる。  
胸や首元に旦那様のキスが降ってきて、肌にいくつもの赤い跡を残した。  
 
私もまねをして、お返しに旦那様の肩口や胸に吸い付く。  
職場の大学で妙な噂が立たないように、鎖骨から上にはつけないのが決まりだから。  
「あっ……んんっ!」  
でもちょっとくらいなら……と首筋に舌を這わせると、突然下から大きく突き上げられて息を飲む。  
いけませんと叱られたようで、私は慌てて吸い付いた場所を指先で擦ってごまかした。  
しかし、旦那様の責めは緩むことなく私を突き上げ、揺り動かして翻弄する。  
あっという間に一切の余裕を奪われて息も乱れ、思わずギュッと目をつぶる。  
また先にイってしまってはだめ、旦那様と一緒じゃないといや。  
血がにじむくらいに唇を噛んで堪え、時折腰を浮かして深い責めに耐える。  
全身ににじんだ汗が、布団に落ちるぱたりという音が妙に大きく聞こえた。  
汗ではなくローションの残りなのかもしれないけど、もうどっちでもいい。  
「う……くっ」  
旦那様が苦しげに呻いて、たたみかけるように腰を打ち付けてこられる。  
朦朧とする意識をどうにか保ち、私は最後までお付き合いした。  
あっ……と小さく息を飲む音が聞こえ、旦那様が全身を震わされたのは、それからどれくらい後だっただろう。  
ほぼ同時にこちらにも大きな波がやってきて、また私も大きく叫んで達してしまった。  
絶頂の余韻を長く留めようとするかのように、旦那様が一転ゆっくりと腰を動かされるのを感じながら、お背にギュッと掴まる。  
子供をあやすように背中を撫でてもらって、私は心からホッとして頬を緩ませた。  
二人で布団にごろりと転がり、荒い息のまま抱き合う。  
体はもうどこもかしこもぐしょぐしょになっていたけれど、でも、とても幸福だった。  
 
 
ようやく人心地がついたところで、旦那様に支えられるようにしてお風呂場に連れて行ってもらう。  
椅子に座ると共に温かいシャワーが浴びせられ、安堵の吐息が漏れた。  
気持ちよさにこのまま眠りそうになったのだけど、何回にもわたって肌に塗りこめられたローションは、そうやすやすとは取れない。  
むしろお湯をかけたことでぬるぬるが復活して、お尻が滑って私は何度も椅子から落ちそうになった。  
旦那様に掴まろうとしても、時間を巻き戻したようにぬるぬるになった手足では全く思うようにいかなくて。  
まるでコントをしているみたいにお風呂場でどたばたして、私達は長い時間をかけて互いの体と髪をきれいにした。  
お湯をかけながら丹念に私の体を擦って下さる旦那様に、また体の熱を煽られたのは秘密だ。  
ちゃんときれいにしましょうと、さも衛生面から言っているようにボディーソープの用意をしながら、私は必死だった。  
全身がさっぱりして、ようよう頭も冷えたところでお風呂場を出て、今度は旦那様の部屋に連れ立って行く。  
清潔なベッドに潜りこみ、私はあの方に身を寄せた。  
ローションをたっぷりとまとった体と体が擦れあう感じは、なかなか刺激的だったけれど。  
清潔な素肌同士が触れ合うのも、やっぱりすごく気持ちがいい。  
洗いたての旦那様の肌を堪能するように、温かいお体に抱きついてぴったりと密着する。  
それだけでは足りなくて、私は頬擦りをするように旦那様に顔を近付けた。  
「美果さんは、甘えん坊ですね」  
旦那様が私の髪を撫でながら、笑みを含んだ声で仰る。  
セックスの後は、どうしてもくっつきたくなってしまうのはどうしてなんだろう。  
男の人って、女にベタベタされるのはあんまり好きじゃないんだろうか。  
「すみません」  
謝って距離を取ると、旦那様が首を傾げられる。  
「どうしました?」  
「えっと、その……。甘えられるのって、面倒なんじゃありませんか?」  
イヤなのなら無理してもらうわけにいかないし、第一、嫌われたら困る。  
恐る恐る尋ねると、旦那様は私を安心させるような柔らかい笑みを浮かべて口を開かれた。  
「面倒などとは思いません。むしろ僕は、もっと甘えてくれてもいいとさえ思っているのですから」  
「えっ」  
「美果さんは恥ずかしがりやですからね。外では無理、日中は無理と、自分でルールを設けているのではありませんか?」  
確かにそうだ、ルールとはいかないまでも、旦那様と一緒に寝る時以外は自制している。  
「自制のたがを全て取り去れとは言いませんが、甘えたい時に甘えてくれると僕は嬉しく思います」  
「日のあるうちにでも、ですか?」  
「ええ。特に朝などは、可愛らしく起こしてくれると仕事への意欲がいや増します」  
「はあ……」  
 
「メイドが主人に甘えてもいいではありませんか。それに、僕達はもうじき夫婦となるのですから」  
それは、そうだけど。  
プロポーズしてもらって半年、一応の「お付き合い」期間を設けてもらって、バイトもして指輪や何かを買うお金も貯まった。  
最初は実感がなかったけれど、結婚するならやっぱりこの方以外はないと、今では実感している。  
さっきぐしゃぐしゃにしてしまった私の布団を捨てるのは、明日の大安吉日をもって、二人一緒に寝ましょうと決めたから。  
来週には籍を入れるための準備が整うし、写真館でタキシードとドレスを着て記念写真を撮る予約ももうしてある。  
結婚式と披露宴は省略するけれど、時期をみて新婚旅行には行きたいですねと意見も一致している。  
こうなってみると、ちょっとぐらいなら昼間に甘えてもいいのかもしれない。  
でも、いざとなると薄ぼんやりとした不安のような物が私の周りを漂ってくるのだ。  
 
 
「あの、旦那様。本当に私なんかでいいんですか?」  
正直言って、この方が私を妻にと望んで下さる理由がまだ分からない。  
もしかして、愛情とかそんなのじゃなくて、ただ今までの働きに報いるためのご厚意ってだけじゃないんだろうか。  
武士の恩賞みたいなものなんだったら、そんなのと結婚を同列にするわけにはいかない。  
「どういう意味ですか?」  
「えっと……」  
それは、と眉を動かされる旦那様に、私は言葉少なに胸中を述べた。  
「ふむ。つまり、僕が美果さんを好きな理由が聞きたいということですね?」  
迷って、素直に頷く。  
こんなことを聞きたがるなんて、頭の悪い女がすることだと思っていたのに。  
いざ自分がこの立場になってみると、尋ねずにはいられない。  
「美果さんはいつも元気に溢れていて、困難にぶつかってもめげずに立ち向かう姿勢を持っています。  
馬鹿にされても、なにくそ!と思い、へこたれることはないでしょう?」  
「は、はい」  
「そのバイタリティは、僕からするとひどく羨ましくて、半ば憧れに近い感情を持っているのです」  
とつとつと仰るその言葉には、お世辞を言っている雰囲気はみじんも感じられない。  
人からあまり褒められたことのない身には、それがとてもこそばゆかった。  
「とはいえ、そんな自立の気風を持っていながらも、時折甘えん坊な部分がのぞきますが」  
えっ。  
「特に同衾する時などは……むぐっ」  
私は弾かれたように体を起こして、旦那様の口を手で押さえた。  
全くもう、そんなことまで言ってくれなくてもいいのに。  
「恥ずかしがり屋な所も可愛らしく思います。特に、今のような」  
もがいて私の手から逃れた旦那様が、息を整えた後に続けられる。  
おのれまだ言うか、とご主人様に対して不敬きわまりなく思いながら、私はふくれた。  
二回も口をふさぐのは、さすがに気がとがめる。  
「旦那様、目が腐ってます。私ちっとも可愛くなんかないのに」  
嘘をつかれているとは思わないけれど、自分がどう見たってそんな風に言ってもらえない造作だということは知っている。  
「美果さん。『可愛い』とは、なかなか奥の深い言葉なのですよ?」  
「奥が深い?」  
「ええ。『美しい』などとは、所詮顔の皮一枚のことです。しかし『可愛い』はそうではありません。  
僕には、美果さんの意地っ張りな所もわざと悪ぶって見せる所も、とても可愛らしく思えます」  
……やっぱり、顔が可愛いって仰ってるんじゃなかったんだ。  
それでも旦那様の錯覚だとは思うけれど、まあ世界に一人くらい、私を可愛いと思ってくれる人がいてもいいか。  
「他に、理由ってありませんか」  
「そうですね、叱られるのが好きです」  
「えっ……」  
思わぬ言葉にサーッと血の気が引いていく音が聞こえる。  
「叱られるのが好き?それってヘンタイじゃありませんか」  
「そうではありません。叱ってくれるたびに『これほど僕は想われている』と再確認できるからです」  
「はあ……」  
私は叱られるなんて大嫌いなのに、旦那様はお好きだなんて理解不能だ。  
やっぱり、この方は一筋縄ではいかないのかもしれない。  
「美果さんはどうです?僕を好きな理由を聞かせてもらえませんか」  
「……私、旦那様を好きだって言ったこと、ありましたっけ」  
話の風向きが変わって、自分の目が泳ぐのが分かった。  
そんなこと、改めて言うなんて恥ずかしいし、急には思い浮かばない。  
「照れているのですか?可愛いですね」  
おや、と旦那様がからかうような視線を向けられる。  
 
それが挑発であることは明白なのに、言い返してやらねばという意気がむくむくと湧いてくるのがわかった。  
「旦那様は、香りがいいんです。だからそばに寄るといい気分なんです」  
「香りですか?」  
ご自分の肩口に鼻を近づけ、ふんふんと匂いをかいだ後に、旦那様が首を傾げられる。  
「分かりませんね。どういった匂いなのですか?」  
「体臭ってことでもないと思うんです。旦那様がまとっておられる空気というか、雰囲気というか」  
そんなの、私もうまく説明できない。  
「要するに、僕のそばが心地いいということなのですね?」  
「はい、そう受け取って頂いて結構です」  
一緒にいると心が落ち着いて、余分な体の力が抜けて楽になる。  
まあ時々は腹が立ってしまって、体、特に口に力が入ることもあるけれど。  
「ふむ。一緒に暮らしていくことを思うと、それは何よりですね」  
旦那様がにこやかに表情を崩される。  
この方を好きな所は、他にも一杯ある。  
美果さんと名前を呼んで下さる声も好きだし、髪や体に優しく触れて下さるのも大好きだ。  
キスもセックスももう何度もしているのに、その度に胸がキュンとなるくらいに嬉しいし。  
ああいったことを他の男性とも……なんて、きっと一生考えることはないと思う。  
私がそうであるように、この方にも他の女性とあれこれするなんて考えて欲しくない。  
プロポーズされた時には即答できなかったけど、こうなってみるとやっぱり、結婚しかないのだと思う。  
今後も元気に頑張って、旦那様を支えていこう。  
ノーベル賞の約束はまだ忘れていないけれど、今となってはもう、取っても取れなくてもどちらでも構わない。  
 
 
「ところで美果さん」  
ぼんやりとした不安が一掃され、ほの温かい幸せに胸躍らせているところに、旦那様がふと言葉をかけられる。  
「先ほどの『あれ』ですが。まだ本体の方に原液が残っているのですが、どうしましょう」  
「えっ……」  
問われて考える。  
最初は嫌だったけど、使い終わった今となってはもう、あくまで拒否する気は残っていない。  
でも、女中部屋に置いた布団は捨てることが決まってるし……。  
「あの、旦那様」  
「はい?」  
「先入観は、おかげ様で無くなったんですけど……」  
「ええ」  
「あれを部屋でまた使うのは、色々難しいと思うんです。汚れますし」  
女中部屋からお風呂場に至る廊下を明日きちんと拭かなければと思いながら、次に続く言葉を選ぶ。  
「ですから、次は……」  
「次は?」  
「お風呂場でなら、いいんじゃないかと……」  
ああもう、なんで私はこんなことを言ってるんだろう。  
言いたいことを言うくせに、私は結局、旦那様の手の平の上で転がされているだけなのかもしれない。  
 
 
なるほどそうですねと頷いて、旦那様が私の髪を梳くように撫でられる。  
その心地良さに目を細めると、小さなあくびが二つ、続けざまに出てきてしまう。  
今夜はいつもより色々と濃くって、体力を使って疲れた。  
次があるのなら来週以降にしてもらおう、目にクマを作った状態で、一生残る写真を撮りたくはないもの。  
そう言っておこうかと思ったけれど、急激に襲ってきた眠気にじゃまされて、もう目を開けることも叶わなかった。  
おやすみなさい……と小さく呟いて、旦那様の胸にくっつくように体をもぐり込ませる。  
もう一度髪を撫でて下さるお手の優しさにうっとりしながら、おやすみなさいと言って下さる旦那様の声を聞いた。  
来週には、この方が私の本当の旦那様になる。  
嬉しくも気恥ずかしい幸福感に胸を震わせ、私はその日が早く来ることを願いながら眠りに落ちていった。  
 
 
 
──終わり──  
 
 
 

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