商店街の福引で、旦那様が特等の温泉旅行を見事引き当てられた。  
「いい機会です。これを、美果さんへの福利厚生にあてましょう」  
目録をひしと抱きしめながら仰る旦那様は、とても明るい表情をされていた。  
 
 
有名な観音様の門前に栄える商店街が主催する、年に一度の大福引大会。  
加盟店三千円分のレシート一口で、あのガラガラを一度回すことができ、出てきた玉の色によって賞品が決まる。  
期間を通してただ一本しかない特等を、まさかうちの旦那様が引き当てられるなんて。  
最初は冗談だと思ったのだけれど、目の前に燦(さん)然と輝く当選目録には、確かに商店街の名と特賞の表書きがある。  
ただのビギナーズラックなのか、それともこの方の持って産まれた強運なのか。  
うーんと首を傾げる私の前で、旦那様はにこにこして、褒めて欲しそうにこちらをちらちら窺っておられる。  
相当嬉しかったようで、本日遅れて帰宅した私は、アパートのドアを開けた瞬間、幸せ光線にカウンターを食らわされた。  
しかし、何かあったんですかと問うても「言いましょうか、どうしたものでしょう」などと焦らされて。  
寝る前になって、しびれを切らした私が語調を強くして問い詰め、あの方はやっと白状されたのだ。  
すごいお金持ちの名家にお育ちのくせに、最近はめっぽう小市民的なことで喜ばれるようになった旦那様。  
どうせ大したことではないのだろう、と思っていたのだが、今回のことは私の想像を超えていた。  
翌日以降もまだ信じられない私を尻目に、旦那様は相変わらずウキウキと日々を過ごされている。  
研究をそっちのけにして、大学のパソコンで温泉地の観光スポットを調べたりしていらっしゃるようだ。  
浮かれていらっしゃるお姿を見るうちに、私もだんだんと考えが回るようになってきた。  
今回の福引で当ったのは旅館の宿泊券だけで、それ以外の費用は自腹になる。  
正直言って家計には負担なのだが、あんなに楽しみにされているのに、「お金がかかるからダメです」とも言いにくい。  
旅館代以外の費用の算段をすることで、やっと私は普段の調子を取り戻した。  
 
 
数日後、旦那様と私の予定を見比べて旅行の日を決めた。  
予約もすませ、二人であれこれ相談しながら、少しずつ旅支度をして。  
何年ぶりかの旅行に浮かれるわが身を自覚しているうちに、当日がやってきた。  
私が旅行するのは中学の修学旅行以来だし、旦那様も、ご両親が多忙だったせいで旅行の思い出はあまり無いのだそうだ。  
一泊二日とはいえ、こうなったら目一杯楽しもうと意見が一致している。  
早朝にアパートを出て電車に乗り、まずは温泉町の最寄り駅へ行く。  
それから有名なお寺に行き、名産のソバを食べて、鰯の大群泳で有名な水族館へ行ってから、旅館へ向かう。  
一日目のスケジュールはこのような物に決定ずみだ。  
旦那様のリサーチのおかげで、下準備はバッチリ整っている。  
なんでも、この温泉町には湯の町バスという有名なバスがあり、一日券を買えば何度でも乗り降り可能なのだそうだ。  
お得なこの情報を逃せるわけもなく、今回の旅行はこのバスを主な足とさせてもらうことにした。  
最寄り駅に到着し、バスの発着所で観光パンフレットをもらい、いそいそとバスに乗り込む。  
車窓から見る町並みには、伝統ある温泉町らしい情緒があり、たくさんの旅行者が行き交っている。  
楽しそうな彼らの横顔を見ているうち、バスは最初の目的地であるお寺に到着した。  
「ここですね、美果さん」  
旦那様が仰るのに頷き、二人して目の前の建物を見上げる。  
「うちの近所の観音様とは、だいぶ違いますね」  
「そうですね。こちらのお寺は、薬師如来がまつられているそうですよ?」  
旦那様の講釈を聞きながらお寺の中に入る。  
団体客の相手をしていたここのお坊さんらしき人のお話にこっそり耳を傾けながら、寺内を見て回った。  
なるほど、ご本尊は観音様よりずっと恰幅がよく、座っているものの背丈も大きい。  
仏様に性別があるのかは知らないけれど、何となく男性的な印象のある仏様だった。  
本堂の窓口で線香を買ってお供えし、何筋もの煙がたなびく中で手を合わせて目を閉じる。  
たまにはこうやって、きちんとお参りするのも悪くない。  
とりあえず、福引が当ったお礼と今回の旅行の成功をお祈りしておいた。  
「美果さん、そろそろ参りましょうか」  
促されて、次の目的地に行くためにお寺を出る。  
地元産の醤油とかつお節とわさびを使ったソバが、私達を待っているのだ。  
 
かき揚げソバを堪能し、水族館では鰯の群泳に度肝を抜かれ、タッチプールで旦那様ときゃあきゃあ騒いで。  
朝からの疲れが出始めた夕暮れ時、私達は本日の宿となる温泉旅館に到着した。  
なかなか大きな和風旅館だけれど、ファミリー向けの安っぽさは無く、しっとりと落ち着いた風情がある。  
中に入ってみても、外観同様に閑静な雰囲気は変らず、いい感じだ。  
チェックインをすませて部屋に案内してもらい、夕食までの時間を過ごすことになった。  
「旦那様、海です、海が見えます!」  
仲居さんが部屋を出てすぐ、私は部屋の最奥に続く広縁に駆け寄り歓声を上げる。  
窓には、海と、今まさに水平線に沈まんとする夕日が大写しになっていた。  
オーシャンビューなんて横文字は、自分には全く関係の無い言葉だと思っていたけれど、こんなところで出会うなんて。  
目を凝らすと、沖にいくつか舟が浮かんでいて、それが何とも旅情をかき立てる。  
「綺麗ですね、旦那様」  
海に見惚れたまま呟くと、隣で同じく窓の外をご覧になっていた旦那様が、はいと返事をされる。  
「いいものですね。予想以上に良い眺めです」  
福引の温泉旅行だからとあまり期待はしていなかったけれど、思った以上にいい旅館だ。  
さすが、多少古びても伝統ある大きな商店街だけはある、とインスタントな地域愛が胸に湧いてくる。  
夕日が沈み、窓の外を暗がりが覆うまでをじっくり堪能してから、部屋の中に向き直った。  
「遅くなりました。お茶をお淹れします」  
少々はしゃぎ過ぎたことを自覚しながら、座卓の上の急須と湯飲みでお茶の用意をする。  
茶筒には、このお茶は県内産の良質な品である旨が、どことなく誇らしげに書かれている。  
昼間のソバ屋でも感じたことだけど、この県は随分と名産品が多いらしい。  
 
 
お茶でしばし過ごしてから、夕食の前に温泉を楽しむことにする。  
一風呂浴びてさっぱりして、気分も新たに夕食に取りかからないと。  
大浴場のある下の階へ行き、旦那様とは一旦別れる。  
服を脱いで浴場の引き戸を開けた途端、私は歓声を上げた。  
打たせ湯に岩の露天風呂に樽のお風呂、他にも趣向を凝らしたお風呂がいくつもいくつも、一度では入りきれないほどある。  
どのお風呂に入ろうか迷い、とりあえず一番大きい露天風呂に入る。  
少し茶色がかった温泉が源泉かけ流しになっていて、何だかとても贅沢な気分になってくる。  
お湯は柔らかく肌になじみ、長く浸かっていても心地がいい。  
お風呂の外には小さな日本庭園がしつらえてあり、灯された明かりも風流で情緒がある。  
何より、体を小さくせねば入れないアパートのお風呂とは違い、ここは泳げるほどに大きい。  
たぶん、一気に30人は入れるんじゃないかな。  
それほど大きいのに、今の時間は空いていて、私の他には数人しか入っていない。  
何だかとても愉快になり、意味も無く手でお湯の表面を撫でてさざ波を作って遊ぶ。  
しばらくそうした後、次はどのお風呂に入ろうか考えながら立ち上がった。  
 
 
歩き回り、とっかえひっかえして浸かっても、まだ全種類のお風呂を制覇できない。  
そのうちのぼせ気味になってきたので、今回の入浴は一旦終えることにし、お風呂から上がる。  
二枚の浴衣を前にし、どっちを着ようか少し迷った。  
この旅館は、女性客に限り、好みによって浴衣と帯が選べるのだ。  
お風呂の前に、チェックインの時にもらった引き換えチケットを見せて衣裳部屋に入れてもらい、浴衣と帯はもう選んである。  
女性客を喜ばすためのサービスに過ぎないと分かっていても、着たい浴衣を決められるというのは、心が浮き立つものがある。  
私が選んだのは、淡い藍色の地に白と桜色で季節の花が描かれた物。  
もう一つは、落ち着いたクリーム色の地に細竹と糸菊の模様の浴衣。  
年にしては控えめな柄のようにも思うけれど、あまり派手なのでは旦那様に失礼だ。  
ピンクや明るい空色の浴衣を選んでいる女性もいたけれど、私が着ると浮いてしまいそうだから。  
まずは藍色の浴衣を着て、苦心さんたんで帯を締めて部屋へ戻る。  
既に戻っておられた旦那様に、長風呂したことを謝ってから、改めてお茶を淹れ直した。  
急須を持つ私に、「その浴衣は美果さんに似合いますね」と旦那様が褒めて下さる。  
私は言葉を返し損ね、はあとかいえとか、返事にもならない返事をした。  
お風呂上りの旦那様が着ていらっしゃるのは、濃紺の地にグレーで麻の葉模様が描かれた浴衣。  
女性は浴衣が選び放題なのに対し、男性はお仕着せなのだけれど、この浴衣は旦那様にとてもよく似合っている。  
一見地味にも思えるけれど、この方の穏やかな人柄が引き立って見える、落ち着いたいい柄だった。  
 
そういえば、この方の和服姿を見るのは初めてになる。  
普段の服装とは違うシックな浴衣を身に纏われているのを見ると、胸が高鳴ってくるようだ。  
やだ、久しぶりの旅行で浮かれているのがまだ治らないのかな。  
「美果さん、夕食前ですよ?」  
目をそらして座卓の上の茶菓子を手に取ると、あの方が私を制される。  
「あ、はい。そうですよね……」  
封を切るのをやめ、籠の中に菓子を戻す。  
タイミングよく、夕食の用意が整ったことを知らせる電話が鳴り、私達は再び連れ立って部屋を出た。  
 
 
足を向けた食事処は、各席がつい立てで余裕を持って仕切られていて、部屋食ではないものの落ち着いた雰囲気があった。  
酔って騒ぐお客もおらず、時々聞こえる人の声も、お料理を褒める声や小さな話し声ばかり。  
大広間で一列に並んだお膳に突進し、自分の席を探すという過去の経験とは全く違う設えだった。  
席には前菜だけが用意されていて、後は食事の進行にあわせ、その都度お運びさんが持ってきてくれる。  
名産品の多い地方らしく、お料理も地元の食材を多く使って作られているそうだ。  
二人分とは思えないほど立派な舟盛りに始まり、海鮮の小鍋立て、和牛の陶板焼き、地元野菜の天ぷらにハモのお吸い物。  
膳の脇にある献立表とお料理を見比べ、あれこれ話が弾む。  
舟盛りに乗っかっているお刺身の魚名を当てっこして、固形燃料の炎が小さい私のお鍋を心配して。  
牛肉の霜降り具合をうんぬんして、天つゆには大根おろしを入れるべきか入れざるべきか、意見を戦わせて。  
一品出てくるごとに、お料理と一緒に話題までが運ばれてくるようだった。  
アパートで私が作るのは、おしゃれでも華やかでもない普通のお惣菜。  
食事中に一言二言意見を交わすことはあっても、今のようにこんなに盛り上がることは無い。  
こんなに楽しい食事は何年ぶりだろう、もしかしたら初めてかもしれない。  
お料理も、まるで私達の話を盛り上げる役目を担っている自覚があるかのように、外れが無くて。  
締めの釜飯についているお漬物も4種類もあって、お腹に納まりきらないくらい盛りだくさんの内容だった。  
それでも何とかデザートのアイスクリームまで終わり、畳に後ろ手をついてふうと息をつく。  
「美果さんはやめておきなさい」と食前酒を旦那様に巻き上げられた他は、完璧な夕食だった。  
まるで、自分がどこかのお嬢様になったみたい。  
げっぷをこらえているこんなのが、お嬢様だなんておかしいけれど。  
こんな経験がタダでできるなんて、明日死んでも文句は言えないかもしれない。  
「美果さん、堪能しましたか?」  
旦那様の問いに、はいと答えて目を見交わし微笑む。  
「何もかも美味しかったです。旦那様はいかがでしたか?」  
「僕も堪能しました。動くのも億劫なくらいです」  
本当に、もう少しそっとしておいてもらわなければ部屋に戻れない。  
「旦那様、どうしましょう。こんなに福利厚生して頂いて、私、これからワガママになるんじゃないでしょうか」  
お腹を押さえて言うと、旦那様がおやおやと相好を崩される。  
「どうしたものでしょうね。これが福引でなく、僕が連れてきてあげられたのなら、ちゃんとしなさいと強く言えるのですが」  
元手はかかっていないようなものですからね、と笑みを含んだ声で続けられる。  
「えっ?タダだから余計に美味しいんじゃないですか」  
家計に見合った福利厚生なら、もっと貧弱な内容になるもの。  
私が言うと、旦那様が小さく吹き出される。  
「それもそうですね」  
「でしょう?それに、連れてきてもらったような物じゃありませんか。運も実力のうちです」  
本当に、たった一本の特等を引き当てられた旦那様の強運には、今も感嘆の気持ちしかない。  
もし私が福引をしていれば、きっとティッシュの類しか引き当てられなかっただろう。  
「そろそろ戻りましょうか。他のお客も、あらかた引き上げたようですから」  
しばらくして旦那様に促され、二人して、なるべくお腹を圧迫しないように立ち上がった。  
 
 
部屋に戻ると布団が敷かれていた。  
座卓は部屋の隅に片寄せられていて、白く清潔なカバーのかかった布団が部屋の真ん中に二組。  
上げ膳据え膳で床の用意までしてもらって、本当に楽ちんだと頬が緩む。  
この福利厚生は、向こう10年分を先払いされたほどの価値はある。  
このまま寝転がってごろごろしたいくらいだったけど、それはさすがに憚られるので、広縁のソファに座った。  
置いてあった観光用パンフレットを見て、明日の予定をもう一度確認する。  
今度いつこんな機会が巡ってくるか分からないんだから、せいぜい楽しまないと。  
 
相談の結果、当初の計画を変更し、近くにある観光牧場に行くことを決める。  
この旅館の宿泊客には、各種の体験プログラムがある、ハーブ園が併設された大きな牧場の入場料割引サービスがあるのだそうだ。  
乳搾りやハーブ石けん作りなんて良さそうですね、などとまた話が盛り上がり、子豚レースも見てみたいと旦那様が仰って。  
あれこれ話をして、お腹を落ち着けた後にもう一度お風呂に入りに行った。  
さっき入れなかった花のお風呂やワイン風呂を堪能し、湯上りの火照る体をサービスの冷茶で落ち着かせ、部屋に戻った。  
今度こそ、布団の上に2人して横になる。  
久しぶりに見るテレビには、合間の天気予報で見慣れない地図が映って、旅行に来たなあという実感がある。  
ふと旦那様の方を見ると、妙に首をコキコキ動かしておられる。  
どうしたんだろう、肩が凝っているのかな。  
いや、温泉でリラックスしたから、逆に体の疲れを自覚されているのかもしれない。  
「旦那様、肩をお揉みしましょうか?」  
私の言葉に、旦那様は首を動かすのをやめてこちらを向かれる。  
「ああ、頼んでもいいですか?妙に固くこわばっているのです」  
申し訳なさそうに仰るのに、私は首を振った。  
「構いませんよ。私、今日はメイドらしいこと何もやってないですから」  
昼間は旦那様以上にはしゃいで、豪華な食事を楽しんで、果ては布団に行儀悪く寝そべって。  
家事から全く解放させてもらってるんだから、せめて、肩を揉むくらいはやりたい。  
布団の上に座り込んでもらい、背中に回って両腕を旦那様の肩に乗せる。  
まずは、どこを揉むべきか調べないと。  
「旦那様、どの辺が凝ってますか?触りますから教えて下さい」  
ただ揉むだけじゃ小学生のお手伝いだから、どうせならもっと効果的にしたい。  
人差し指と中指を使って、旦那様の肩をまんべんなく押してみる。  
反応を示された場所の位置を確認して、心にメモした。  
自分の肩も押してみて、骨の上など、明らかに痛い場所は候補地から除外して、触れるべき場所をしぼりこんだ。  
「では、いきますよ」  
いきなり力を入れては痛いと思うから、最初は軽い力で揉み始める。  
急がないで、落ち着いて。  
ゆっくりと何度も手を動かして、肩全体をほぐす感じでマッサージする。  
そっと窺うと、旦那様は目を閉じてじっとしていらっしゃる。  
時たま、肩の荷を降ろすように大きく息を吐かれるのが、気持ちよさの証明のようだった。  
うん、これはいい調子。  
もっと頑張ろうと、手の平全体を使って、筋肉をつかみあげるようにして揉む。  
人様の体に触れるのは、なかなか力加減に神経を使う。  
指先に意識を集中させると、肩の皮膚の下に所々、こりっとした固まりがあるように感じられる。  
きっと、これが「凝り」なんだ。  
これを解さなければ、本当の気持ちよさは得られないんじゃないかな。  
全体的に揉むだけじゃなくて、もっとピンポイントで、この固まりを何とかしなきゃ。  
「旦那様、今からこわばってる場所を押しますから、痛かったら言って下さい」  
断って一旦手を止め、固まりのある場所を上から押すような動きに変える。  
肩の真ん中辺りに触れると、旦那様がうっと呻かれた。  
「あ、すみません」  
痛かったのかと謝ると、旦那様が首を振られる。  
「そこ、とても気持ちいいです。もっとお願いできますか」  
あ、気持ちよかったのか。  
はいと頷いて、旦那様の背中に向き直る。  
押すだけじゃこれも芸が無いので、示された場所に手を置き、指で挟みこんでぐにぐにと握る。  
さっき全体的に揉んだ時より、固まりの所在が明確に感じられる。  
「あっ」  
不意に、頭の中にバイト先の茶店が思い浮かんだ。  
小上がりの壁に貼ってある、全身のツボ一覧表。  
頭の先から足の裏まで、びっくりするぐらいに沢山ツボが描いてあったっけ。  
もっとちゃんと見て覚えておけばよかったと思いながら、懸命に表を思い出す。  
確か、肩のもう少し下にも「肩凝りのツボ」があったはず。  
探してみようと指で押すが、この体勢ではやりにくい。  
「旦那様、寝転がって頂いていいですか?もっとやってみたいんです」  
私が言うと、旦那様は素直に布団にうつぶせられる。  
そのままだと苦しいだろうから、窒息しないように枕を抱いてもらった。  
うるさいテレビのスイッチを切って、改めて旦那様に向き直る。  
「じゃ、いきますから。『そこ』とか『違う』とか、指示して頂けると助かります」  
 
全くの素人だから、私の指先の感覚より、触られてる本人の感覚の方が頼りになる。  
旦那様が頷かれたのを見て、私は肩の下のツボを探した。  
「あ……」  
この辺かなと思う場所に触れると、旦那様の吐息が聞こえる。  
そこに親指を合わせて力を入れると、ふうっ……とまた息を吐かれる音が聞こえた。  
やっぱり、ここなんだ。  
指を押し付けて上下に動かし、まんべんなく刺激が行き渡るようにして、さらに旦那様の反応を見る。  
もう返事することも忘れて、されるがままになっていらっしゃる。  
よっぽどここが凝っていたのかな。  
大学ではパソコン、アパートでは書き物や読書をなさる生活を続けていらっしゃるからに違いない。  
ならば腕も凝っているに違いない、ああ、眼精疲労は首にくるってツボ一覧表には書いてあったっけ。  
これは、かなり大掛かりなマッサージになりそうだ。  
 
 
性根を据えて旦那様の凝りと取り組み、疲れと固さを追い払うようにマッサージをする。  
いくらかして、肩のこわばりが取れたように思った頃、背中にターゲットを移した。  
一覧表を思い出して、肩のツボの斜め内側、つまり背骨の両脇を押すと、旦那様はまたうっと呻き声を上げられる。  
それが苦しさから来るものではないことを確認してから、うつ伏せになられた旦那様をまたいでポジションを取る。  
こうした方が、この方のお体を正面からとらえられる。  
ご主人様をまたぐなんて失礼この上ないけれど、こういう時だから多めに見て下さるだろう。  
小学生の時は父の背に乗って足踏みマッサージしたものだけど、旦那様を踏みつけにするなんてそれこそできないし。  
背骨を挟んで、両手の親指で対称に同じ場所を押して、次第に腰の方へと下がっていく。  
筋肉が固くなっているのが指先に感じられて、これは結構分かりやすい場所なのかもしれないと思った。  
肩の凝りが小ぶりの石だとすれば、背中の凝りは、硬く薄い板のよう。  
揉めない場所だから、親指であちこち押して、その圧力で凝りを追い出すしかない。  
骨の上を避けて親指を置き、触れぬところが無いくらいにあちこち探って、これと思う場所を圧迫してみる。  
そのうちに、押すコツのようなものが段々と分かってきた。  
闇雲に力で押すより、親指を支えにして体重を乗せるほうがやりやすいし、力が安定する。  
いいやり方を見つけ、ウエストから腰骨の辺りに到着したところで、旦那様が一際大きく息を吐かれる。  
「旦那様、腰も凝ってるんですか?」  
大きな反応に思わず尋ねると、はいという小さな声が返ってくる。  
座りっぱなしで前傾姿勢が多い方だから、腰も疲れているのかな。  
あとは何か……と考えたところで、自分の頬に血が昇るのが分かった。  
腰といって思い出すものがあれだなんて、私はなんてはしたないんだろう。  
頭の中の想像を追い払うように、指にかかる力を強める。  
痛いかなと思ったけれど、こちらは肩よりも強い力で押しても大丈夫なようだった。  
それにしても、旦那様も私なんかの素人マッサージによく身を任せていられると思う。  
こんなに無防備に背を向けて、リラックスしていらっしゃるなんて。  
けど、それはつまり、私を信用して下さっているからだと考えると、満更でもない。  
胸の中がくすぐったくなって、面映い気分になった。  
 
 
もっと頑張りたい気持ちになって、こうなったら手足もマッサージしようと決める。  
しかし、記憶から引っ張り出したツボ一覧表の中で、手足に打たれていた印の場所を明確に思い出せない。  
なんといっても素人マッサージ、後で害になるような触れ方だけは避けなければいけない。  
どうしよう、困った……としばらく悩んで、肩や背中と違う方法を取ることに決めた。  
曖昧なツボの記憶に頼るのをやめて、手の平をいっぱいに使い、揉みほぐすのがいいだろう。  
まずは足からと、末端から体の中心に向かって、緊張した筋肉をほぐすように揉み始める。  
脚も、帯を解いて浴衣を緩めてもらい、かかとの辺りから脚の付け根に向かって揉み進める。  
私の手がふくらはぎに到達すると、旦那様が気持ちいいと声を上げて伝えて下さる。  
そんな風に仰ったら、やりがいがある。  
「旦那様、手の平もマッサージしましょうか?」  
もう、どうにでもしてくれといった様子で横たわっておられる旦那様に確認すると、緩く首が縦に振られる。  
連日パソコンを叩いたり、ペンを持ったりするこの場所が、疲れていないわけがない。  
旦那様の指に自分の指を絡め、そのまま後方にそらし、旦那様の指が伸びをするように引っ張る。  
「あ、それ……。とても……」  
旦那様がうっとりとした声で呟かれ、また私の頬に血が集まった。  
 
そういった声には、少しばかり聞き覚えがある。  
今と同じような時間と状況で、私が、旦那様の……。  
恥ずかしさを隠すように、手の平の輪郭を内側に向かって揉み解し、仕上げに押すと、旦那様はまた黙られた。  
 
 
手足と胴が終って、残るは首から上のみ。  
ちょっと怖い気もするけれど、こうなったらもうやるしかない。  
目の疲れは首に溜まるというツボ一覧表の言葉を思い出し、旦那様の首にそっと触れる。  
思い立って、置いてあった手拭いを持ってきて、それ越しにマッサージすることにした。  
まずは背中の時と同様に、凝りの固まりがある場所を探す。  
すると、うなじのラインから少し内側に入った場所に、固まりが細長く分布しているように思えた。  
小石、硬く薄い板ときて、今度はごつごつした棒状の凝り。  
一気に攻めて凝りを追い出したい気持ちをなだめ、手を何度かギュッと握って力を逃がし、深呼吸して旦那様の首筋に触れる。  
肩や背中よりデリケートな首を、痛めるようなことがあってはならない。  
凝りよ出ていけと頭の中で念じ、抑えた力で注意深く触れる。  
上から圧迫するのではなく、指を押し付けて左右に揺する動きに変え、マッサージを続けた。  
自分の首にも触れてみて、こうやったら気持ちいいというやり方を探して同じようにする。  
私は旦那様ほど目は疲れていないから、ほとんど当てずっぽうに近いのだけれど。  
肩と首に触れていた時間を足したほど長く、首を隅々までマッサージする。  
さて、最後は頭皮。  
ここに関しては、シャンプーの時に自分でもやるから自信がある。  
指を開き気味にして、指先を利かせて握ると、頭がフッと軽くなって気持ちいいのだ。  
まんべんなく頭皮を刺激し、仕上げにもう一度肩と背中のツボを押して、私はマッサージを終えることにした。  
「旦那様、こんなもんでいいでしょうか」  
尋ねるが反応がない。  
「旦那様?」  
まさか……と覗き込むと、旦那様はすうすうと心地良さそうな寝息を立てて眠っていらっしゃった。  
よかった、何でもなかったんだ。  
胸をなで下ろしたけれど、こういう時に眠られてしまうと、する事が無くなってしまう。  
テレビを見たい気はあるけれど、音でこの方を起こしてもいけない。  
何をしようかしばらく思案した挙句、思い浮かばなかった私は、旦那様の横にころりと寝転がった。  
休みなく動かしていた手は少しだるく、眠気が襲ってくる。  
うつ伏せになられている旦那様に寄り添うようにして、私はそっと目を閉じた。  
 
 
小一時間くらい、眠っていたらしい。  
頬に触れている物がないのに気付き目を開けると、私は自分が天井を向いて眠っていたことを知った。  
ハッとして周囲を見回す。  
「あっ……」  
旦那様はとっくに目を覚まし、横向きに頬杖をついてこっちを向いていらっしゃった。  
やだ、暢気な寝顔を見られていたんだろうか。  
慌てて寝返りをうつと、旦那様がクスッと笑われるのを背中に感じた。  
「よく眠っていましたね、美果さん」  
「は、はい」  
「あまりに気持ちよさそうなので、起こすのが惜しくなって見ていました」  
いつから見られてたんだろう、別に起こしてもらっても構わなかったのに。  
よだれとか、垂れてなかっただろうか。  
「旦那様こそ、途中から眠っていらっしゃったじゃありませんか」  
後ろめたさから、恨みがましく言ってしまう。  
「ええ、美果さんのマッサージがあまりにも気持ちよかったものですから。寝ますよ、と断る前に寝てしまいました」  
「……そうですか」  
そんなに良かったんだったら、いいんだけど。  
でも、だからって人の寝顔をずっと見るなんて悪趣味だと思う。  
変な寝言とか、言ってやしなかっただろうか。  
 
「今度は僕が美果さんをマッサージしましょう」  
言うが早いか、旦那様が起き上がられる。  
びっくりして声を上げる前に、私の体はまるでお好み焼きのようにたやすくひっくり返された。  
「痛っ!」  
肩の骨の場所を見当違いに押され、不躾に悲鳴を上げてしまう。  
「これは失礼」  
旦那様が謝って、慌てて手をどけられる。  
しかし。  
「ぎゃっ!」  
今度は力加減が強すぎて、私は布団にめり込みそうになった。  
これではたまらないと、飛び起きて後ずさる。  
「旦那様、いいです。遠慮しときますっ」  
不器用な方だから、マッサージができるなんて思えない。  
力の強さも、破壊力につながってむしろ危険だ。  
「そうですか……」  
私の言葉に、旦那様が肩を落としてしょげられる。  
「申し訳ありません。僕は、美果さんのように上手にはできないようです」  
まるで叱られた子犬のようにしゅんとされると、罪悪感が湧いてくる。  
「気にしないで下さい。主人がメイドにマッサージ、なんて変でしょう?」  
「でも……」  
主従関係を説いても、旦那様は尚も諦めきれないご様子。  
私を気遣って下さる優しさを無駄にしたくないが、体を委ねるのは怖い。  
困ったな……と考え込むと、小さな効果音とともに一つのアイデアが頭に浮かんだ。  
「旦那様。マッサージの代わりに、撫でて下さいませんか?」  
「えっ?」  
「指圧して頂くほど、私は凝ってないんです。撫でるくらいがちょうどいいと思うんです」  
そう提案すると、旦那様はなるほどと頷かれる。  
「分かりました。では、こっちにいらっしゃい」  
招かれて、今度は素直に旦那様の方に戻る。  
横向きに寝転がられたあの方と向き合って、そっと目を閉じた。  
旦那様の大きなお手が私を引き寄せて、優しく髪を撫でてくれる。  
その心地良い刺激に、体から力が抜き取られていく。  
指圧はだめでも、撫でることにかけては、この方には才能があるようだ。  
特に閨の時はお上手で……と、また危ない方向に考えが向きかけるのを、慌てて止める。  
この距離で妙なことを考えては、たちどころにばれてしまう。  
旦那様のお手が、肩や背に移って撫でてくれる。  
ますます気分がほぐれていくようで、私は大きく深呼吸し、旦那様の香りを胸一杯に吸い込んだ。  
ただ手を上下に動かされているだけなのに、こんなに心地がいいなんて、この方は天才かもしれない。  
もっともっと撫でて欲しくて、私はさらに旦那様にくっついた。  
飼い主に擦り寄る子猫の気持ちが、今なら分かる気がする。  
んっ、と甘えるような声が鼻に抜け、さっき痛くされた時に体中に入った力が、完全に抜け落ちる。  
気持ちよすぎて、また寝てしまいそうだ。  
「旦那、様……」  
自分の物とも思えない、うっとりして蕩けきった声が出る。  
無防備っていうのは、きっと、こういうことを言うんだろう。  
 
 
眠りに落ちる直前で、旦那様のお手がふと止まる。  
「やっ、もっと」  
それが不満で、私は旦那様の胸の中で抗議の声を上げた。  
「美果さん」  
呼ばれてしぶしぶ目線を上げると、半開きになった私の唇に、旦那様の唇がそっと触れる。  
キスされていることを、回らない頭で認識した。  
「ん、っ……ん……」  
あっという間に舌を絡めて吸い上げられ、くぐもった声が出てしまう。  
いつもは私も頑張るんだけど、今日は何だか骨抜きにされたようで力が入らない。  
旦那様のキスに翻弄され、どれくらいの時間が過ぎたのか分からないまま、あの方の唇が離れる。  
その頃にはもう、眠気などより別の欲望が、私の体に生まれていた。  
そんなに経ってないはずなのに、私をこんな風になさるなんて、この方は錬金術師か何かだろうか。  
目を合わせて視線でせがむと、分かったとでも言うように旦那様が微笑まれる。  
 
首筋に軽く吸い付かれて、そこから下へ向かって順々に唇が寄せられていく。  
唇は鎖骨に当ったところで一旦止まって、帯はそのままに、浴衣の前が大きく開かれた。  
「旦那様、明かりを……」  
急に恥ずかしくなって言うと、それが聞き入れられて照明が絞られる。  
広縁の明かりが障子から薄く差し込み、幻想的な雰囲気を作る。  
同じ和室でも、うちのアパートとはやはり違う。  
戻ってこられた旦那様が、浴衣の衿で寄せられ、いつもより高さを増した私の胸にお手を触れられる。  
「あっ……」  
手の平で柔らかく弄ばれて、体の中心がむずむずと騒ぎはじめる。  
期待感がどんどんと高まり、溜息が何度も漏れた。  
撫でるような、さするような手の動きに快感を呼び起こされ、鼻にかかった声が漏れる。  
旦那様がお餅を食むように胸に口づけられ始めると、私は声を抑えられなくなった。  
「ん、あんっ」  
旦那様の鼻が乳首をかすめる感触に、体を跳ねさせてしまう。  
一瞬のことだったのに、そこが吸われることを望むように固く立ち上がるのが分かった。  
こんな風になるなんて、池之端家のお屋敷にいた頃からすると考えられない。  
胸を弄ばれる旦那様の頭を、もっと触れてとでもいうように抱きしめることも。  
「んっ……旦那様……」  
後ろ髪に指を絡めて小さく呼ぶと、それに応えるようにあの方が私の胸元で息をつかれる。  
乳房を包み込むようにしていた両の手が外され、胸が少し冷やりとした。  
「あっ……ん、っ……。やぁ……」  
旦那様の悪戯な指に、両方の乳首を弄ばれて身を捩る。  
なぜだか腰まで揺れてしまい、頬に血が集まるのが分かった。  
ただ体の一部を指で擦られ、弾かれているだけなのに、どうしてこんなに甘い刺激が体を走るんだろう。  
頭の中がぐずぐずに溶けそうなくらい、すごく気持ち良くて堪らない。  
「あんっ……あ、あ……」  
指で触られるだけじゃ、もう我慢できない。  
乳首を口に含み、熱を吸い出すように舐めて吸い上げて欲しい。  
でも、そんなことはとても言えない。  
「旦那様……あ……んっ……あの……」  
喘ぐ合間、あの方の頭を抱きしめ、自分の胸元に強く引き寄せてねだる。  
早く、早く欲しい。  
「あっ!」  
求めに応えるように、旦那様が舌を使われ始める。  
一舐めされた乳首が、恥ずかしいくらいに固くなっているのが分かった。  
待ち望んだ刺激に、裏返ったような高い声が出て、体が大きく震える。  
固くなりすぎたそこを、温めて溶かすようにゆっくりと舌を使って欲しい。  
口を付けていない方の乳首は、浴衣の上から軽く引っかくように指で弄って欲しい。  
旦那様の愛撫に慣らされた体は、持ち主の自制などたやすく飛び越えて、貪欲に求める。  
だってあの方は、私の頭の中を読めるのかと思うほど、して欲しいと思った通りのことをして下さるから。  
望んだ快感をたちどころに与えられては、平常心などどこかへ飛んでいってしまう。  
旦那様に触れて欲しい、ただそれだけしか考えられなくなる。  
 
 
先程から与えられ続けた快感に乱れた浴衣の裾を、旦那様の指がつまみ、左右に開く。  
帯はきっちりと締めたまま、私の爪先から脚の付け根の寸前までがむき出しになった。  
胸から顔を上げられた旦那様の視線が、ちりちりと肌に突き刺さってくるような心地に、身がすくむ思いがする。  
足の指をキュッと握り、羞恥に耐えた。  
「あ……」  
旦那様のお手が閉じた膝の間を割り、私の脚を布団の上で立体のMの字を作るような形にする。  
粘り気のある水音とともに、汗ばんだ内腿が夜の空気に触れて冷やりとした。  
小さくお尻を跳ねさせた私の隙をついて、旦那様が私の下着を引き下ろされる。  
隠す物を奪われ、私は帯で辛うじて隠れている腰回りの他全て、旦那様に見下ろされる形になった。  
見られては困る場所がむき出しなのに、隠れなくてもいい場所だけ中途半端に隠れている格好。  
いたたまれなくて、私は両手で顔を覆いながら腰をもぞもぞさせた。  
「恥ずかしいですか?」  
どことなく楽しそうな趣のある声で尋ねられ、返答に困って黙る。  
反応が無いのを肯定ととらえられたのか、旦那様が小さく含み笑いされるのが聞こえた。  
「きゃっ!」  
 
なんか面白くない、と不満を感じたその時、前触れ無く腰を抱えられて悲鳴を上げる。  
浮いたお尻が座布団か何かに着地して、腰が斜めになる。  
「え……。あ、あっ」  
秘所をぬるりとした物が撫でさする感触に、またお尻が浮いてしまう。  
旦那様が私のそこを舐めていらっしゃることが、今度はすぐに知れた。  
「やんっ……あっ……あ……んっ……」  
柔らかい場所を柔らかい物が撫でるたび、勝手に声が出て体がびくりと跳ねる。  
あの方の舌が敏感な肉芽をとらえ、つつき始めると、私の声はさらに高くなった。  
首が痛くなるほどあごが上がり、喉をむき出しにして喘いでしまう。  
顔を隠していたはずの私の両手は、まるで溺れる人の手のようにシーツを掻き、振り回されていた。  
「ああんっ……あっ……あ……もう、っ……」  
そこをぐっと指で開かれ、露わになった肉芽を甘噛みされて、啜り上げるように唇でこすられて。  
旦那様の髪に指を差し入れ、押し返そうとしたけれど、全くといっていいほど手に力は入らなかった。  
そんなことをされたら、本当に、もう。  
「いやっ……あ……あぁんっ……だめっ……旦那、様……」  
ああ、もうだめ。  
かつてないほどの大きなけいれんに襲われ、私は、声にならない声を上げて達してしまった。  
 
 
全力疾走した後のような苦しさに、息が乱れる。  
著しく敏感になっている下半身と裏腹にぼうっとする頭では、ただはあはあと肩を上下させるしかできなくて。  
達してしばらく、私は一言も発することができなかった。  
「美果さん?」  
旦那様に名を呼ばれ、掠れた声でようやく返事をする。  
大丈夫ですかと問われ、首を緩慢に動かして答えた。  
これ以上ないほど濡れてしまった下半身が次第に冷えていく感触に身震いし、そこでやっと下に手をやって浴衣の裾の乱れを直す。  
上半身の着崩れも戻そうと胸元に触れた手を、旦那様のお手がつかんだ。  
鼻と鼻がくっつきそうな距離で顔を覗き込まれ、火がついたのかと思うほどに頬が熱くなる。  
それならよそを向けばいいのに、私はまるで頭を固定されたかのように、旦那様の目から視線を外せなかった。  
微かな衣擦れの音がして、帯が緩められて抜き取られる。  
浴衣は風もないのにふわりと左右にはだけ、私の体を隠す用をなさなくなった。  
あっ、と息を飲む間もなく、また脚が大きく開かされる。  
さっき旦那様の思うままにされた場所に、固くたくましい物が押し当てられるのを感じた。  
それだけで、私の脳はじんと痺れて、押しつけられた物を受け入れるために体の力が抜けてしまう。  
いつもは、旦那様が私をよくして下さるみたいに、私も「それ」に触れて色々するものなのに。  
こうなってしまうと、ただただもう、一刻も早く「それ」を挿れてもらいたいだけになって。  
恥ずかしさやその他諸々の、繋がることを邪魔するあらゆる事どもが、波が引くように遠くへ行ってしまう。  
早く、早く欲しい。  
旦那様の背後に手をやり、もどかしく手探りで帯を解く。  
落ち着いた麻の葉模様の浴衣が緩んだその隙間から、素肌が覗いた。  
私は吸い寄せられるように顔を近づけ、露わになった鎖骨の辺りに唇を押しつけた。  
位置を変えて何度も繰り返し、跡がつくのではと思うほどに吸いつき、舌を這わせる。  
温泉に二度も浸かったせいだろうか、旦那様の肌はいつもよりしっとりしているように思えた。  
私が夢中になっているのを止めることもなく、旦那様がゆっくりと腰を進めてこられる。  
アレの先が半分ほど入った頃には、私は旦那様の肌に吸いつくのをやめ、その肩にしがみついていた。  
何かに縋っていないと、みっともなく叫んでしまいそうだから。  
全部入ったところで、旦那様がふうっと息をついて、動きを止められる。  
私も同じように深呼吸して、挿し入れられたアレの熱さと逞しさに耐えた。  
あるべき物があるべき場所に納められている安心感に、口の端がひとりでに上がる。  
胸がきゅっと切なくなり、抱きつく腕に力を込めた。  
 
 
いいですか、と耳元で尋ねられてから、旦那様が腰を使われ始める。  
大丈夫ですと答えたくせに、私の息は瞬く間に速くなった。  
気持ちいい場所を探られ、そこを擦るようにアレを押し当てられては、息を乱すなという方が無理だ。  
意識が飛びそうになるのを押しとどめるのが精一杯で、ただただ揺さぶられ続ける。  
また私だけ……なんてことになっては、さすがに不公平だもの。  
麻の葉模様に鼻を擦られて私がくしゃみをしたのを見かねたのか、旦那様が浴衣を脱ぎ捨てられる。  
何も隠す物の無くなったあの方の肌が、また私の目を奪った。  
ますます腕の力を強め、肌と肌がぴったりくっつくくらいに密着する。  
 
胸と胸が擦れて、さっき散々可愛がられた乳首が、また固くなるのが分かった。  
「んっ……あっ!」  
こじ入れられた旦那様のお手が、私の胸をつかみ、強く揉みしだく。  
驚きと予期せぬ快感に、体、特にお腹の下の方に力が入った。  
挿れられているアレを、決して離すまいときつく食いしめるみたいに。  
眉根を寄せて低く呻く声に、旦那様の快感も増したことを知る。  
その嬉しさに、私は意識的にお腹に力を込めた。  
事前に触れなかったぶん、今気持ちよくなってもらいたい。  
両脚をあの方の腰に絡めて支えにし、さらに意識を集中する。  
旦那様のためとはいえ、こうでもしていないと、私の方が先に達してしまいそうだったから。  
「あっ!」  
不意に抱き起こされ、驚きに息を飲む。  
私のお腹の力が抜けたのを契機としてか、旦那様は私と入れ替わりに寝そべられた。  
苦しげな表情の中に、ほんの少しだけいたずらっぽい色を乗せて。  
「やっ……あんっ……」  
伸びてきたあの方のお手に両胸が包まれ、手の平で円を描くように乳首が擦られる。  
辛うじて優勢だったさっきまでの状況はどこへやら、私は一気に窮地に追いこまれた。  
敏感な場所をそんな風にされると、もうどうしようもなくなってしまう。  
「あっ……ん……んっ……」  
旦那様が、何かを促すように私の腰に手をやられる。  
このままの姿勢で、今度は美果さんが腰を使いなさい。  
そう囁かれたようで、私は素直に背を伸ばし、恐る恐る動き始めた。  
支えになる物のないこの体勢は、快感だけに没頭するにはいささか怖い。  
何度もしている体位なのに未だ慣れなくて、おっかなびっくり……といった調子になってしまう。  
見かねたのか、旦那様が胸を弄っていたお手を離し、私の手を取り指を絡めて下さった。  
あ、これなら大丈夫かも。  
勇気を得て、少々大胆に腰を使ってみる。  
先ほどのようにお腹に力を入れ直す余裕もできて、下になられているあの方のお顔を窺えるようにもなった。  
私が腰を沈めた時と、姿勢を戻した時では、その表情が変わる。  
じっとお顔を見ながら腰を動かしていると、眉根を寄せた旦那様に、小さく叱られた。  
「あまり、こういう時の僕を注視してはいけません」  
めっ、と目を凝らして仰るのに、すみませんと素直に謝る。  
大らかで飄々としたこの方も、じっと見られると恥ずかしいのかな。  
謝ったもののやっぱり見たくって、私は快感に身を震わせる合間に、あの方のお顔を盗み見るのを続けた。  
「美果さん」  
旦那様が、今度は強く私をたしなめられる。  
ばれてしまった……と背筋が冷やりとした瞬間、不意に起き上がられたあの方の両腕の中に閉じ込められる。  
「主の言うことは、聞くものですよ?」  
耳たぶに唇を触れさせながら仰るのがくすぐったくて、私はいやいやをするように左右に身をよじった。  
なのに旦那様は、無礼なメイドにはお仕置きだとでもいうように、私の耳たぶを甘噛みされる。  
「やんっ……あ……んっ……」  
胸や脚の付け根を触られている時と同じ、熱に浮かされた声が勝手に口から漏れる。  
ここが、こんなに感じるなんて。  
「旦那様っ、ごめんなさ……んっ、あっ!」  
耳のラインをなぞるように舌を這わされ、背筋がぞくぞくする。  
謝る声も中途半端に切れてしまい、私は旦那様の腕に閉じ込められたまま、身を震わせるしかなかった。  
もうしません、本当にごめんなさい。  
何度も何度も同じ言葉を繰り返し、やっと耳を解放してもらう。  
私を戒めていたあの方の腕は、今度は下へ向かい、私の腰を支えるように両側からつかんだ。  
下から大きく突き上げられ、あっという間に息が乱れてくる。  
力強いその動きは、昼間の疲れなど全く感じられないほどたくましくって。  
私は大波に足をすくわれ飲み込まれみたいに、されるがままになるだけになった。  
そんな風なのに、少しでも気持ちいい場所を突いて、擦って欲しいという欲望が頭をもたげてくる。  
旦那様の動きに合わせ、お膝の上で私もこっそりと腰を使い、中に入っているアレを締め上げる。  
懸命に快感に耐え、先に音を上げないようにとぎりぎりの所で持ちこたえ続けた。  
「くっ……」  
旦那様の低い呻きが私の髪を一撫でしていく。  
 
もうちょっと、あと少し。  
達するのが惜しいと思いつつも、目の前にぶら下がっている絶頂を求めないわけにはいかなくて。  
唇を噛み締めながら、あの方の力強い突き上げに挑むように私も腰を使った。  
私が音を上げるより一瞬早く、旦那様が短い叫びとともに、大きく体を震わされる。  
それを感じ取ったすぐ後で、私も叫び、そして旦那様の胸にがっくりとしなだれかかった。  
 
 
後始末を済ませられた旦那様が、隣に横たわって掛け布団を被せて下さる。  
私は、速い息と心臓をどうにかなだめ、深呼吸をして布団に頬を擦りつけた。  
おずおずと傍に寄ると、さっきのように髪をゆっくりと撫でてもらえて頬が緩む。  
旦那様に撫でてもらうのは、いつでもどんな時でもすごく嬉しい。  
つけ加えるなら、体のどこを撫でられても。  
その大きなお手から伝わってくる体温は、この方の優しさそのもののようなんだもの。  
「……旦那様。マッサージは、いかがでしたでしょう」  
撫でてもらって気分がいい反面、自分の施したにわかマッサージの成果が気にかかる。  
今になって痛くなってきたとか、凝りが戻ってきたとかじゃ、申し訳ない。  
「ああ、とてもよい具合でした。百点満点です」  
旦那様が落ち着いた口調で言って下さって、私はホッと息をついた。  
「よかったです。頑張った甲斐がありました」  
素人の仕業に百点満点だなんて大げさだと思いつつも、褒めてもらえるのはやっぱり嬉しい。  
「ああいった技術は、仕事上で教わった物なのですか?」  
「え?いいえ」  
池之端家で奉公していた頃に学んだものじゃなくて、自己流ですと説明すると、旦那様がふむと頷かれる。  
「そうですか。美果さんが上手なので、てっきり僕はそういう知識があるものと思っていました」  
感心したように仰るのを聞いて、私はまた自分の頬がだらしなく緩むのが分かった。  
ナントカもおだてりゃ木に登るとか、そういう感じ。  
「旦那様。あんまり褒めて頂くと、私は調子に乗っちゃいますから」  
だからあまり持ち上げて下さると困ります、と言うと、旦那様がえっと小さく呟かれる。  
「僕は世辞を言っているのではありません。体の凝りがほぐれて、疲れが取れたのは本当のことです。  
おかげで、はかどりました」  
「はかどっ……」  
おうむ返しに言いかけ、慌てて口に手を当てて動きを止める。  
確かに、今日の旦那様はいつも以上に「お元気」だった。  
愛撫にさいて下さる時間も長かったし、繋がってから最後までの時間も、密度が濃かったように思う。  
おまけに、ちょっとばかし意地悪だったっけ。  
「恥ずかしいですか」と、分かりきったことをわざと問うたり、私の耳を責め苛んで楽しまれるようなそぶりが見られたし。  
もしかして、さっきマッサージをした時に、変なツボを押してしまったのかもしれない。  
精力が強くなるツボとか、女をいじめて喜ぶツボ、とか。  
そんなツボが本当にあるのかは、怪しいところだけど。  
 
 
「そっ、そういえば旦那様。電気街には、メイドが足ツボマッサージをする店があるそうですよ」  
動揺を気取られぬように、いささか強引に話題を変えることにする。  
どこかで聞きかじった話をすると、旦那様はほうと頷かれた。  
「今時はそういう物が流行っているのですか?」  
「はい。足ツボだと、お客が座ってメイドがひざまずきますから、そういうのが好きな人もいるんでしょうね」  
本当の主従関係じゃなくても、そういう形だとインスタントなご主人様気分が味わえるんだろうと思う。  
さっき私は、旦那様にまたがって指圧していたから、これとは正反対だけれど。  
「それは、どこかの家から派遣されたメイドの女性が、接待をしてくれるのですか?」  
「いいえ。普通の女の子のアルバイトだと思います。時給いくらで雇われているんじゃないでしょうか」  
もしかしたら、中にはメイド経験者もいるかもしれないけど、大部分は違うと思う。  
「ふむ。美果さんは本物のメイドですから、看板に偽り無しですね」  
旦那様が面白そうに仰るのに、私は小さく吹き出してしまった。  
看板って、私は別にマッサージで食べているわけじゃないのに。  
「確かに本物ですけれど、マッサージの技術は素人ですよ?足ツボとか、全く分かりませんもの」  
彼女達がメイド経験者じゃなくても、マッサージの技術にかけては、私ははっきりと負けているだろう。  
ツボの位置も力加減もほぼ当てずっぽうで、探り探りやっている私など、きっと足元にも及ばない。  
今後もやるなら、もっともっと勉強しなきゃ、信じてお体を委ねて下さっているこの方に申し訳ない。  
 
「美果さん。アパートに帰っても、またマッサージをしてもらえますか?」  
旦那様が尋ねられるのに、私の心にちょっとした悪戯心が湧き上がる。  
「いいですけど、高いですよ?私のマッサージは商売じゃありませんから」  
「そうですか……」  
軽口の応酬を期待したのに、旦那様ががくりと肩を落とされて調子が狂う。  
ご主人様なんだから、「やりなさい」と命令なされば済むことなのに、こうしてわざわざ尋ねて下さる。  
こんな心の広い方をいじめたら、きっと今日お参りした仏様から罰が当る。  
「冗談です。言って頂ければ、いつでもやりますから」  
「本当ですか?」  
「ええ。茶店にあるツボの一覧表をコピーさせてもらってきます」  
あの表を壁に貼っておけば、それをカンニングしながらマッサージができる。  
うろ覚えでやるより、きっとそっちの方がはかどるし、旦那様のためにもいいだろう。  
たまには、私からも福利厚生ってやつをしてあげたい。  
なにせ、普段はあれをやれこれをするなと、この方に指図するばかりなんだから。  
旦那様にマッサージするのを習慣にすれば、せっかちな私の性格も、少しくらい大らかになるかも。  
「ありがとう。美果さんは本当にいい子ですね」  
終わった後にこう言って頭を撫でてもらえるのなら、ちょっとくらい手が疲れても、きっと気にならないだろう。  
そうだ、マッサージの後に撫でてもらうことを交換条件にするのも、いいかもしれない。  
それなら、私は一層真剣に、旦那様の凝りと取っ組み合える。  
リフレッシュなさったら、研究や勉強もはかどって、旦那様にもきっとプラスになる。  
そうしたら、いっぱいお金を稼いで下さるようにもなって、今度は自費で旅行に来られるかもしれない。  
 
 
生活の匂いのしない部屋で、一つの布団に旦那様と二人。  
次、こんな機会はいつ来るだろうと頭の隅で考えつつ、私を引き寄せて下さっている旦那様の腕につかまり直す。  
まぶたを引き下ろそうとする眠気と戦いながら、ぽつりぽつり、明日買うお土産の相談をした。  
誰に買うかは決めてあるけど、何を買うかはまだ決まっていない。  
旦那様のご学友と私のバイト先の人達には個包装のお菓子を買うとして、大家さんには何を渡しましょう。  
眠たい声で言うと、やはり温泉まんじゅうでしょうかねえ、と旦那様が返される。  
一人暮らしの老婦人が、まんじゅうを食べきってくれるでしょうか、おせんべいの方が日持ちするんじゃないでしょうか、あふっ。  
ほとんど夢見心地で、きちんと喋れているのかどうかも確認できないまま言う。  
美果さん、寝る前に難しいことを考えるのはおよしなさい。それより、明日の朝食のことでも考えていらっしゃい、ふわ、くぁっ。  
私より眠い声で旦那様が仰って、体の力を全部抜こうとするみたいに長く息を吐かれる。  
真似をして私も息を吐くと、今日食べた数々の物が頭の中に順番に浮かんできた。  
昼のかき揚げソバ、夜の舟盛りに天ぷらに和牛にお吸い物、その他。  
明日の朝食には、何が出てくるんだろう。  
魚の干物かな、ご飯は朝粥になってるのかな。  
お土産を考えるより何倍も楽しい想像は、眠りに落ちる直前にはうってつけだった。  
エビのお味噌汁なんかどうだろう、旦那様のお好きな甘い玉子焼きは出てくるだろうか。  
一足先に眠られた旦那様の傍らで、私はふわふわとした甘美な想像に胸をふくらませていた。  
 
 
 
──番外編終わり──  
 

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