次の日も当然、練習はある。理奈も土生も、いつも通りにグラウンドへ行った。  
 
だが、あのような事があれば、次の日以降練習に身が入らないのは当然の流れ。  
ブルペンで数球投げると、土生がマウンドへ向かっていった。  
 
「…調子が悪いな。」  
「え、そう?あ、あはははは、ごめん。」  
「…ストレートにキレがない。チェンジアップはいつもよりさらに滅茶苦茶だ。」  
「あ、あはは、きょ、今日は調子悪いのかもー?(なんで平然としていられるんだろ…)」  
 
いいボールを投げられない。しゃべり方を見ても誰の目から見ても明らかに理奈の様子はおかしい。  
それはあのような事があれば当然なのだが。  
にもかかわらず土生はいつもと変わらず無表情。  
だが、実際には土生も相当ドキドキしていた。監督以外はだれも見抜けていないが。  
 
「おーい、土生!」  
「…はい。」  
「あいつらにノックを撃ってやってくれ。理奈は少し休憩だ。疲れもたまってるんだろう。」  
 
最近は監督も下の名前で呼ぶようになった。  
練習に口出ししない監督だが、珍しく練習内容を指示した。  
土生はうなずくとホームベースの方に向かっていく。理奈は監督のいるベンチに腰掛け、うつむく。  
 
 
「何があった。」  
「え?はい?」  
「理奈はもとより、土生の様子もおかしい。喧嘩でもしたのか?」  
「え?は、土生君の様子が、おかしいですか?」  
「ああ。いつものあいつじゃない。見ていれば分かる。」  
 
流石、と言ったところだろうか。土生の事を完全に理解しているのだろう。  
理奈はだれの目から見ても様子が変なのは明らかなのだが。  
 
「へ、へえー。な、何か悪いものでも食べたんですかねえ?」  
「声が上ずってる。その様子じゃ、何か知ってるみたいだな。」  
「い、いえいえいえ!そ、そんなことありません!秘密基地では何も起きていません!」  
「…。」  
 
モロ口走ってるじゃねえか。そうツッコみたくなった。だが、あえて何も言わなかった。  
秘密基地で何をしたかまで口を滑らせなかったのは幸いだろう。  
 
「…あ、あの…」  
「ん?」  
「こっちも、何かあったんですか?って聞きたいんですけど…  
 過去に、このチームに、土生君に何かあったんですか?って…」  
「…詳しく聞かせてもらおうか。(というより、このことを話すためにここに呼んだんだけどな。)」  
 
背番号1を渡されたとき妙に全員しんみりしていた事。  
写真にあった、今では考えられないくらいの笑顔の土生の事。  
ノートのページの一部が、選手の誰かが書いた場所が黒く塗りつぶされていた事。  
 
「ある程度は想像できているんじゃないのか?このチームの影に。」  
「え…」  
「いいさ。いずれは説明しなきゃいけないからな。  
 土生が2年前に、ここにふらりと姿を見せた事があったんだ。」  
 
 
…。  
 
「おや、誰だい、君は?」  
「…土生、翔平です。小学3年生です。」  
「リトル入団希望かい?(あれ、でも小学3年って事は、まだ入団はできないはず…)」  
「俺、親に捨てられました。」  
 
その一言に、衝撃を受けた。  
誰だって衝撃を受けるのは当たり前だが。  
 
「手紙があって、親がごめんねって置き手紙だけ残して。  
 数日後に引き取り手が来るとは思いますが、それまでは何にも当てがないんでね。  
 さまよっていたら、楽しそうな場所があったんで。」  
「ここが、楽しそうって感じた?」  
「…野球、嫌いじゃないし。みんな笑顔で楽しく野球やっている。  
 もっとも、俺が野球したところで、万年ベンチ入りすらできませんけどね。」  
「やっていくかい?」  
「え?」  
 
…。  
 
「なんの考えもなくただ誘ったんだ。  
 少しでも楽しさを分けてあげたいと思ってね。そしたら…」  
 
 
…。  
 
「すごいな、あいつ…」  
「ああ、やっぱり空振りは多いけど、当たったら飛ぶな…パンチ力は年上の俺たち以上だ。」  
「守備でもエラーばかりだけど、たまにヒット性の鋭い辺りを捕っているし…うおっ!」  
 
ジャストミート。  
大きく弧を描いた打球は、推定飛距離100mオーバーの特大弾。  
その感触と飛んで行く打球に、気持ちよさを覚えていた。  
 
(すごい…打球を飛ばすツボを持っている。  
 いや、そんなことより、さっきまであれだけ暗い顔をしていたのに、今はあんなに楽しそうに…)  
 
…。  
 
「俺は決めたんだ、この子に賭けてみようって。  
 数日後引き取り手である親戚が来るって聞いて、強引に俺が土生の引き取りを希望したんだ。」  
「ええ!?」  
「どうやら向こうも、土生の引き取りは嫌がっていたらしい。喜んで土生を譲ってもらった。」  
「土生君は…」  
「あいつもそれでいいって言ってくれたんだ。  
 とにかく野球ができるのが嬉しかったんだろうな。」  
 
親戚の住んでいるところはここよりもずっと遠い町にある。  
ずっとここで野球をやりたい気持ちが、監督の引き取りを決断する後押しとなったのだろう。  
 
「もともといい物を持っていたんだ。すぐにあいつの野球の腕はメキメキと上がった。  
 当時から弱小だったこともあるが、夏にはあいつはレギュラークラスまで上り詰めていた。」  
「え、でも、3年生は大会には…」  
「だから残念だったよ、あいつを出せなくて。  
 でも、その年はいい4年生達が入っていてね。ほとんど素人だったけどいいものを持っていた。  
 そいつらも土生同様すぐに野球が上達して、レギュラーになってチームを引っ張った。」  
 
4年生たちがメキメキ腕をあげて頭角を現し、レギュラーになった頃に土生が入ったらしい。  
ゆえに土生も、その4年生たちに憧れ、尊敬していた。  
 
「そして土生も4年になり、今年はいけるって雰囲気があった。俺もそう感じてた。  
 だから本気で優勝を狙うと公言した。  
 そこで俺はいろんなリトルチームが集まる夏の合同合宿に参加することにしたんだ。  
 グラウンドを借りて練習したり、気軽に他のチームと練習試合を組めるんだ。…それが失敗だった。」  
「え?」  
 
…。  
 
「おっしゃああっ!」  
「ナイスバッティング、白濱さん!」  
 
土生が笑顔でハイタッチで出迎える。4番の一振りで3点を先行した。  
 
「最強だな、俺たち!」  
「1番二岡、2番土生、3番エース西村、4番白濱、5番新井!最強だなこの打線は!」  
 
敵チームも唖然としていた。  
 
「な、なんだ、確か去年も2回戦負けの弱小だったはずだ…  
 ええい、打て!打線だけのチームなんだ、絶対!」  
「ストライーク!バッターアウト!」  
「え…」  
 
うなる快速球。理奈と負けず劣らずの快速球。  
監督はまっすぐに絞れと指示するが、  
 
「ストライーク、バッターアウト!」  
「か、カーブ…」  
 
ブレーキの利いた、大きなカーブ。  
練習試合は連戦連勝。全員が大きな希望を持っていた。  
…だが、それらの練習試合を見ていた、一人の男がいた。  
 
…。  
 
「強豪チームの監督から、選手に直接オファー?」  
「電話で、うちに来ないか、と言われたらしい。設備やメンバーを餌にな。  
 そのチーム、結構暗い噂が立っていたが、その監督は選手にこういったらしい。」  
 
『監督にもちゃんと話はつけてある。安心していい。  
 よりいい環境で野球をした方がためになるから、将来のためにも新天地に移籍しなさい、と監督も言っていた。  
 他の4人も監督にそう言われて移籍を決断したよ。』  
 
「そんな…そんな事言ってませんよね?」  
「もちろん俺はそんな事を言っていない。だがすでに土生以外の4人は移籍し終わっていた。  
 1度でも会えばその監督が嘘をついていることに気がついたろうが、  
 移籍を了承してから数十分後にすぐに連れて行かれたらしい。  
 そのチームは遠くの町にあってしかも全寮制だから、今も連絡がとりようもない。」  
 
おそらくこの時に学校も転向させたのだろう。  
ウソがばれないように徹底している。  
 
「当然土生にも電話が着ていたが、流石に向こうも俺が同居しているのは想定外だったらしい。  
 電話をした当時俺も家にいたから、すぐにおかしいことがわかった。」  
 
…。  
 
「監督、…(略)…ってことをそのリトルの監督が言っていたんだが、本当なのか?  
 本人が近くにいるから確認するって言っておいたけど。」  
「移籍?…何の事だ?」  
「え?」  
 
もう少し詳しく話すと、話の食い違いが鮮明になった。  
話を聞く限りでは、他の4人にも話が行っている。すぐに連絡をとり、事の矛盾を伝えようとした。だが、  
 
「もう、…行ってしまった?」  
「はい、電光石火の様に連れて行かれて…連絡もとりようがないんです。  
 中井さんがいいと言ったときいて、私どもも安心して…」  
 
親たちから勝ち取った信頼が、こんな形で裏目に出るとは思わなかった。  
ここまで強引に連れて行かれそうになったら、普通とりあえず止めようとする。  
だが、『中井監督の了承を得ている』の言葉が、印籠のような役割を果たしてしまっていた。  
 
…結局、4人とも手遅れだった。  
そのチームそのものに連絡しても、「ウチは知らない」の一点張り。  
結局、土生以外の主力4人以外は全員失ってしまった。  
 
土生のオファーもあれから来ない。「本人が近くにいる」と言ったおかげで、矛盾がばれると思ったからだ。  
真相を知る選手が入団し真相をほかの4人に知られたら、獲得に失敗したも同然だからだ。  
だからこそ、迅速に土生や監督と4人を強引に隔離する手段に打って出たのだろう。  
 
 
「…すまないな、土生。俺がこんな頼りないばっかりに。」  
「あのチームが悪いだけです。せっかく、今年はいけると思ったのに…」  
 
土生が涙を流す。  
だが監督は意外にも冷静だった。  
 
「まあ、もともとウチは優勝より、野球を楽しむのがモットーだ。優勝する気はあまり無い。  
 そんなチームにいても、確かに実力のあるあいつらのためにはならないだろう。  
 確かに俺から向こうのチームにそう言ってはいないが、あながち間違いでもないしな。」  
「なっ…!?」  
「それであいつらが大成するなら、それもまたいい。  
 もうあのチームの入団は無理だが、お前も別のチームに言ったらどうだ。  
 俺に遠慮するな。引き続きここで暮らして、強豪の中で自分を磨けばいい。」  
 
土生が下を向く。  
ごめんなさい、俺も移籍します、と言うと監督は思っていた。だが、  
 
「ふざけるな!俺はここに残る!」  
「土生…だが、それではお前のためにはならない。遠慮するなって言って」  
「そんな問題じゃねえ、遠慮でも何でもねえ!  
 身寄りのない俺を、どん底だった俺を監督は救ってくれた!  
 何より野球選手として、俺をここまで育て上げてくれた!  
 光陵リトルで育った以上、俺はここで野球をやる!俺が優勝させる!このチームを!」  
 
そう言ってバットを手に部屋を出ていった。  
監督は、ただ呆然と土生が出ていったドアを見続けていた。  
 
…。  
 
「じゃあ、ノートに塗りつぶされていたのは…」  
「その4人の名前だ。西村、白濱、二岡、新井。  
 チームの恩を裏切った以上、チームからその過去を抹殺する意味でやったことだろう。」  
「…土生君があんな性格になったのも…」  
「親に裏切られ、仲間にも裏切られた。ああなってしまうのも当然だ。  
 ここにいても腐ってしまうだけなのに。あれから何度か、ここを去っていいんだぞと言っても。  
 俺はここに残ります、の一点張りだ。」  
 
相当監督を慕っている証拠だろう。  
自分の選手生命うんぬんより、違う何かを重んじているのは間違いない。  
 
「だからこそ勝たせたいんだが、結局その年の秋の大会は1回戦負け。  
 土生は5打数5安打4打点と縦横無尽の活躍だったが、他がな…  
 あそこまで言ってくれてる以上あいつに勝たせてやりたいが、言っちゃ悪いがこのメンバーでは無理だ。  
 優勝、優勝と叫んでも、橡浦、山下はともかく他の連中にそれは酷だ。  
 だからチーム方針を野球を楽しむという、元の方針に戻した。土生もそれでこのチームを見限ると思ったんだが。」  
 
それでも土生はチームに残っている。  
チーム内で、特に同い年なのに橡浦や山下が彼を兄貴分として慕っているのは、実力だけではなく、  
自分たちを見捨てずにチームに残ってくれたからだろう。  
土生も仲間のために優勝したいと強く思っている。  
 
「本当は俺も優勝したい。とにかく土生のために。  
 そして、わずかにその可能性が生まれた。」  
「え?」  
「理奈…頼む。あいつらを勝たせてやってくれ。  
 おまえは、直球だけならかつての西村より速い。県内でもトップクラスだ。  
 …そして、土生の、あの頃の明るかったあいつを、取り戻してくれないか。」  
「取り戻す?」  
「あのころの明るいあいつが戻れば、そして優勝目指すぞと大声で言ってくれれば、  
 チームの士気も高まる。確実にチーム力は上がる。  
 …頼む。今それが出来るのは、お前しかいない。」  
 
黙々とノックを撃ち続ける土生。  
その体から伸びる影法師が、妙に切なく感じた。  
 
以前の土生に戻ってほしいのは理奈も同じこと。とにかく、話さないと始まらない。彼を家に呼ぶことにした。  
ついでに理奈の父親にも土生を紹介しておきたかった。  
ただ暗い性格なだけで人嫌いと言うわけではないので、土生も理奈の誘いを受けてくれた。  
 
「ただいまー!」  
「お、今日は早いな。…そっちの子は?」  
「…おじゃまします。土生です。」  
「そうか、君がね。いつも理奈から話は聞いているよ。とにかく上がりなさい。」  
 
居間のソファーに体を置く。  
理奈の父親は茶と菓子の準備をしている。手慣れたものだが、ある理由があった。  
 
「…電話だ。もしもし。  
 あ、はい…そうですか、すぐ行きます!」  
 
あわてて用意した菓子を持ってきつつ。  
その様子を見て、理奈には大体の察しが付いた。  
 
「すまないが言ってくる!マークした外国人がマイナー落ちした!」  
「あはは、はいはい。行ってきて。うまくいくといいね。」  
「ああ、それじゃ!」  
 
荷物を持って飛び出してしまった。  
土生はポーカーフェイスの中で、唖然としていた。  
 
「…悪いが、どう言う事か説明してくれるか?」  
「いやー、あたしのパパ、プロ野球チームの3A外国人獲得の担当スカウトなんだ。  
 駐米スカウトが別にいるからあたしのパパは日本で活動してるんだけどね。  
 でもさっきの様に事態が変われば、すぐに飛んで行くわ。多分数日は帰ってこないよ。」  
「…シーズン中でも外国人獲得は行うからな。」  
「ちなみに、ラミレーズやルウィズも、パパの担当なの!」  
「ラ、ラミレーズにルウィズ!?片や去年の打点王、片や去年の最多奪三振…」  
 
珍しく表情を変えて驚いた。やはり野球少年だけあって、その言葉に驚くのも無理はない。  
パパの仕事が理奈にとっても誇りだった。胸を張る。  
 
「えへへー、すごいでしょ。今日は出前ね。何か頼もうか?  
 …ていうか、今日はちょっと話があるの、長くなるから、晩ご飯は食べていって。」  
「…わかった。監督にもそう言っておく。」  
 
電話を交互に使い、監督に伝言をし出前も取った。  
 
…そして再び座ると、理奈はうつむいた。  
これから話す、土生のつらい過去の事を考えると、こうなるのも仕方ない。  
 
「…話って?」  
「うん、話すね。あのノートの事、そして秘密基地で見つけた写真の事…」  
「…話すなと言っただろ。」  
「全部、監督から聞いた。」  
「!」  
 
真相を知られた以上、さすがに理奈の言葉を無視するわけにもいかない。  
とにかく、理奈が監督から聞いた事を、全て聞き終えた。  
 
「…その通りだ。」  
「うん…。」  
「で、それがどうした?」  
「え?」  
「その話は本当だ、それに間違いはない。…で、それで俺にどうしろと?」  
 
確かに、真実を確かめるだけでは、何の解決にもなっていない。  
一瞬戸惑ったが、監督から言われた昔の土生を取り戻す、と言う事を思い出した。  
 
「昔の…以前の明るい土生君に、戻ってほしいって…」  
「!  
 …バカバカしい。おそらく監督の差し金だろう。」  
「…。」  
「違うって言うのか?」  
 
少し考えた。  
そのままうんと言って、土生が納得するはずがないと。  
 
本気で土生に元に戻ってほしい。覚悟を決めた。  
 
「違うわよ。」  
(雰囲気が変わった?)  
「…確かに監督からすべての事を聞いた。そして、あたし自身が土生君が元に戻る事を望んだ。」  
「理奈自身が、か?」  
「望んじゃ、迷惑だったかしら?」  
「…。」  
 
まさかこう切り返してくるとは。  
監督に頼まれたと言われたら即座に帰ろうと思っていた。  
…だが、理奈の目は本気だ。本気で俺を元に戻そうと思っている。…なら、  
 
「元に戻ったところで、なんになる?」  
「みんな喜ぶよ、昔の、明るい土生君に戻ってくれたって!」  
「それで俺はまた誰かに裏切られるのか?」  
「!」  
 
俺は裏切られ続けた人生だった。  
親に裏切られ、仲間に裏切られ、…そして、お前がこのチームに来た。  
…なんで理奈をチームに呼んだんだ、俺は!?  
 
「俺は親と楽しい生活を送っていた。  
 別に金持ちとかそんなんじゃなかったけど、親と一緒にサッカー選手目指してたからな。」  
(そんな過去もあったんだ…)  
「…だが、倒産かなんかでいろいろあって、見捨てられた。  
 その生活が楽しかったからこそ、見捨てられたんだ。」  
「それで、監督に拾われて…」  
「ああ、監督やあの4人、その他の奴とやる野球は、最高だった。  
 本当に最高だった、楽しかった。なのに…」  
 
何熱くなってるんだ、俺は!?  
感情を殺す、って決めたじゃないか!もう2度と、あんな目に合わないように…  
 
「また見捨てられた、チームごとな!  
 そして俺は気付いた。人間、誰だって裏切る。」  
「そんな…」  
「俺は決めた。俺だけは、何があっても誰も裏切らねえ!  
 そして、誰かが裏切る事を、いつも覚悟しておこうってな。」  
「まさか、感情を殺した理由って…」  
「ああ。  
 いつまた裏切るかもしれないなんて思ってたら、明るくなれるわけないだろ。」  
 
…ここまで深く傷ついている土生君を、あたしが元に戻せるの?  
監督はあたししかいないって言ってたけど、むしろ土生君と会ったばかりのあたしに一番可能性はないような…  
…もう、無理だよお。  
 
「…もういいか?」  
「あ、あともう1つ!」  
「ん?」  
「えっとね、怒っちゃいないんだけどね。  
 …その、なんで、あたしのおっぱい触ろうとしたの?」  
「!」  
 
…あれ、黙っちゃった。まあ、当たり前か。  
 
「…ごめん。」  
「う、ううん、別に謝らなくったっていいの!  
 …でも、どうしても理由を…!」  
 
あ、あわわ!涙を流し始めちゃったよ!  
どどど、どうして?どうして!?  
 
「い、いいんだって、ね?おっぱい見たいって言ったのはあたしなんだから!」  
「…理奈を、俺のものにしたかった。  
 その豪速球も、ふかふかのその胸も。俺のものにしておきたかった。それだけだ…」  
 
あ、あたしを、土生君のものに?  
それって、もしかして…  
…そうか、わかった!土生君が感情を殺している理由が!  
 
…。言っちまったな。  
これで俺は変態扱いされてもしょうがない、か。  
あーあ、また俺は、仲間を失ってしまうのか…今回は裏切りじゃなく、自業自得だがな、まだマシか。  
 
…り、理奈!?  
 
「な、何を…」  
「え?見れば分かるでしょ?服を脱いでるの。  
 あたしのおっぱい、興味があるんでしょ?」  
「ば、馬鹿!確かに興味があるとはいったが…」  
 
な、なんなんだ!すぐに止めねえと!  
…で、でも、やめろって言えない、なんでだ…?  
 
「ふふ、真っ裸。おっぱい丸出し。」  
「な、何を、理奈…」  
「そんな事言ってる割には、視線はこっちに釘付けじゃない。」  
 
だああっ!そうだ、まずは後ろを振り向かねえと!  
…く、首も、動かない…体が、動かない!後ろから押されている感覚だ…  
 
「ようやく、分かったの。土生君の心の中。  
 土生君は、覚悟を決めてるから、感情を殺してると言った。でも、本当はそうじゃない。」  
「な、何が…」  
「土生君は、怖がっている。」  
「!?」  
 
ふ、ふざけるな!  
俺は、裏切られたから、裏切られたから覚悟をきめて…俺は…  
 
「本当に覚悟を決めているなら、あたしの事も諦めている。  
 あたしがどこかへ移籍してしまうかもしれないって事を、諦めてる。」  
「そ、そうだよ!」  
「でも、そうじゃなかった。でなければ、土生君はあたしを自分のものにしようとなんてしない。  
 おっぱいが欲しいなんてエッチな考えじゃなく、ただただ、あたしを手放さないために。  
 どこかへ行ってしまう前に、自分のものにするために。」  
「う、うるさい!」  
「そうしようとした土生君の根底にあった感情は何か。  
 それは決して、覚悟というものではない。」  
「や、やめろ…やめろおっ!」  
「翔平!」  
 
パシン!  
 
土生の体が、凍りついた。  
その眼だけが、ただただ理奈を見つめていた。  
すぐに理奈は表情を和らげる。  
 
「覚悟を決めるってのは、これから生きていくうえで、とても大事なこと。  
 でもね、あたしには、もっともっと、大事な事があるの、なんだと思う?」  
「…。」  
「それはね、自分に正直になるって事。」  
「!」  
「自分に正直になれなかったら、今のチームメイト達も、本当の意味で土生君についてきたりはしない。  
 慕う気持ちは本当だけど、みんな以前の土生君の方がいいと思ってる!」  
「以前の…俺…」  
「自分に、正直になって、ね?  
 土生君の根底にある感情は、なあに?」  
「知っている、くせによお…」  
 
上半身裸のまま、理奈が両手を広げた。  
その、大人のグラビラアイドルのそれをも大きく凌駕する巨乳が、土生を受け止めようと待ち構えている。  
 
「おいで、…受け止めてげる。  
 あたしのおっぱい、好きにしていいよ。」  
「…理奈あっ!」  
 
 
胸の谷間に、土生の顔が飛び込んだ。巨乳が土生を包み込む。  
背中に手をまわし、がっちりと理奈を抱きしめる。  
 
「そうだよ!怖かったんだよ!  
 せっかくいい仲間が出来たのに、理奈が他のチームに連れて行かれるかもと思うと、怖かった…  
 …毎日、おびえてた。お前を連れてくるんじゃなかった、とすら思うようになったんだよ!」  
「辛かったよね、苦しかったよね。ごめんね。…きゃっ!」  
 
理奈も土生を受け止めて謝る事しかできなかった。  
土生が理奈の乳首にしゃぶりつく。無我夢中で巨乳を揉む。  
 
「…もう、甘えんぼさん。  
(そっか、親に会えないから、人恋しい性格でもあったんだ。かわいいなあ♪)」  
「どこにも、行かないでくれ…  
 もうこれ以上、大切なものを失いたくない、理奈だけは絶対に手放さない!」  
「土生君…」  
「親なんかより、あの4人なんかより、ずっとずっと大切な…女の子なんだよ!」  
(え…)  
 
さっきも理奈を自分のものにしたいと言っていた。だがそれは、どちらかと言えば捕手としての土生の想いだった。  
今度は違う。はっきりと「女の子」と言った。  
 
「そ、それって…」  
「俺は…」「土生君…」  
 
こういうときは、必ず邪魔が入るのがお約束である。  
 
ピンポーン。  
 
「理奈ちゃーん?出前持ってきたよー。」  
「あ。」  
 
完全に忘れていた。  
理奈は行こうと思ったが、まず服を着なきゃいけない。  
 
「えっと…」  
「俺が行く。もう涙は止まってるし、大丈夫だろ。  
 …っと、金を…」  
「あ、大丈夫、そのまま行って。」  
「え!?」  
「いいからいいから。そのまま受け取ってきて。  
 …あたしはずっと、ここにいるから。」  
 
そのほほ笑みは、安心感を与えた。土生もその言葉の意味はきっちり理解している。  
だが、疑っているわけじゃない、それでも、理奈がどこかへ移籍しないとは限らない。  
移籍せずとも、仕事柄、転校なんてことは十分に有りうる。  
 
不安を胸に、玄関の扉を開ける。『野球軒』と書かれた制服を着た中年の男がいる。  
おそらく中華料理かなんかの店の名前だろうが、このネーミングはまずいだろう。  
 
「理奈ちゃ…君は?」  
「同じ野球チームのものです。ちょっと今取り込み中で、俺が出てきました。」  
「ああ、そうかい。じゃあ、君にこれ渡しておくね。」  
 
よいしょと岡持を渡される。思い出したように尋ねてみる。  
 
「えっと、お金は…」  
「ははは、いつも通りツケでいいよ。今回も親父さんのスカウト出張だろ?  
 …って、君は何も知らなくてもおかしくはないか。」  
「一応理奈さんの親父さんの仕事の事は聞いています。」  
「ああ、それなら話は早い。よーするに常連さんなんだよ。  
 スカウト業は1年通して忙しいから、よく家を空けるんだ。  
 で、そのたびに理奈の食卓を頼むって言われてね。もう完全に常連だよ。」  
 
確かに、そういう事情があればツケが通用するほどの常連にもなるだろう。  
だが、常連になっている理由は、それだけじゃなかった。  
 
「ウチは球場の横で店開いてるんだけどね。  
 プロ野球の関係者である以上、当然球場に出入りするだろ?昼時とかはいつも贔屓にしてもらってるんだ。  
 それに、チームの成績はウチの売り上げにも影響する。  
 親父さんがラミレーズにルウィズ、他にも沢山いい選手連れてきて、ウチも助かってるよ。はっはっは!」  
 
なるほど、それで『野球軒』か、  
…いや、それでもそのネーミングは何とかしろ。  
 
「…しかし、理奈ちゃんも偉いよ。  
 生まれてすぐ両親は離婚して、まだ小さいころから、仕事の関係で家を空けることが多くて。  
 わたしもできる限りの事はしているつもりだけど、相当苦労しているよ。  
 今回も、多分寂しい想いをしているだろうね。」  
「…。  
(おれは、わがままだったのかもしれないな。両親に捨てられたけど、理奈と比べると大したことないじゃないか。)」  
「それに、…あのおっぱいのせいで、友達もできなかった。  
 親父さんからいろいろリトルの事とか聞いていて、こっちも辛くなったよ。  
 友達の家に遊びに行くような事もなく、親父さんがいなければ本当に一人ぼっちだよ。」  
「そう、なんですか…」  
 
土生もうつむいた。店員が慌てる。  
ちなみに、理奈はと言うと。  
 
「っくしょん!…遅いなあ…  
 何してるんだろ。まあいっか。」  
 
自分の噂をされてるとは、露知らず。  
 
 
「おっとごめんよ、しんみりさせちゃって。  
 でも、そんな中で、泣き言ひとつ言わず、本当に強いよ、理奈ちゃんは。  
 それに、君のような素晴らしい友達が出来た。」  
「え?」  
「ずっとリトルのチームでいじめられてたんだ。だけど、ようやくいいリトルに入る事が出来たみたいだね。  
 だって、今まででは考えられないもん。同じチームの選手を家に呼ぶなんて。  
 本当にチームと選手を気に入っている証拠だよ。」  
「そう…なんですか。」  
「君はその理奈ちゃんに気に入られている、いいかい、理奈ちゃんの事、大事にするんだよ。  
 芯が強くて、優しい。彼女は本当にいい子だ。こんないい子、本当に他にどこにもいないよ。  
 君が理奈ちゃんを大事にする限り、理奈ちゃんも君に、チームに応えてくれるよ。」  
「は、はい!」  
「おっと、料理が冷めてしまう。さあ、理奈ちゃんに料理を届けてあげて。」  
 
そう言ってバイクに乗って、去っていった。  
その時、1つの決断を下した。  
 
 
「もう、遅いよ〜!」  
「はは、悪い悪い!」  
「…雰囲気、変わったね。」  
「ああ、理奈の言う通り、以前の俺に戻れそうだ。…決めた事があるから。」  
「え?なになに!?(あ、愛の告白かなあ♪)」  
 
岡持を机に置き、すうっと息を吸い込んだ。  
 
「さっきの理奈への返答。ずっとここにいるって言った事に対する返答。  
 理奈に自分に素直になれって言われたけど、それと同じくらい大事な事を、誓ったんだ。」  
「うん、聞かせて!」  
「俺は、…人を信じてみる!そして…」  
 
恥ずかしいのか、うつむく。  
数秒間下を向いていたが、理奈は微笑みながら土生の口が開くのを待った。そして、  
 
「何があっても、理奈を信じる!」  
「…。」  
 
嬉しかった。自分を信じてもらえた。  
嬉しさのあまりしばらく言葉が出なかったが、顔には嬉しさがいっぱいにじみ出ていた。  
 
「…うんっ!あたしは、ずっとこのチームに、土生君のそばにいるよ!」  
「よーし、今日はめでたい日だ、出前の料理で、宴会と行くか!」  
「ジュース!おかし!すぐに用意するー!」  
 
 
冷蔵庫のジュースやら、冷凍食品やら。すぐに食べられそうなものを手当たり次第あさって。  
宴会に夢中になっていたら、気付いたら午後9時。  
 
「やべっ!気付いたらこんな時間か!  
 悪い、すぐ帰る…って、後片付けをしなきゃな、かなりゴミ出ちまった…」  
「ねえ、もうこんな時間だし、いっそのこと泊まっていかない?  
 …ううん、泊まってって。お願い。」  
「え!?」  
「…監督だっていいって言ってくれるよ。」  
 
断るべきだと思った。だが、なぜか断れない。  
あの出前の人の言葉を思い出していた。父親が出張のたび、寂しい思いをする。  
気付いたら電話の前に立っており、勝手に指が動く。  
 
(おお、こーんな時間までどーこほっつき歩いてんだお前はー。  
 …ああ、まだ理奈の家?ひとつくらい連絡入れろよ〜。)  
「すみません、で、今日泊まっていくことにします。」  
(おー、そうか。まー構わんさ。明日は土曜日だしな。  
 理奈の親御さんによろしく言っといてくれ。)  
「え!?あ、ああ、はい、分かりました!では!」  
 
一瞬慌ててしまった。今は家に理奈しかいないが、普通に考えれば理奈の親がいると思って当然だろう。  
理奈しかいないことがばれると面倒だと一瞬で判断し、なんとかその場を取り繕って電話を切る。  
 
 
「…とりあえず、OKもらった。」  
「うん!初めてかなあ。パパ以外の人と一緒に一晩過ごすの!」  
(言い方に語弊があるから、そんな風に言わないでくれ。)  
 
寂しい思いをしなくて済む。正直それが嬉しかった。  
でも理奈は優しい性格。決してその事情を口に出したりはしない。  
 
 
「それじゃ、一緒にお風呂にはいろ?」  
「ああ…ええっ!?一緒に!?」  
「いいじゃない、さっきあたしのおっぱい見られちゃったんだし、  
 おまけにあれだけ激しく揉まれて飲まれちゃって、もう隠すものなんてないんだしさ♪」  
 
顔を真っ赤にし、下を向く。  
だが、不運な事に、それをうなずく行為と勘違いされ、  
 
「よーし、今から湯を沸かしてくるねー!」  
(え!?ちょ、おまっ、待っ…)  
 
声が出ない。理奈は風呂場に行ってしまった。  
…波乱づくめになるであろう一夜が、幕を開けた。  
 

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