「あの事件ですか?もういいじゃないですか、俺達には関係ないし。」
「まあ、関係はないがな。…だが、同じ悲劇をお前たちに起こさせるわけにはいかないだろ。」
「そりゃそうですけど…今になってもまだ引きずっている姿は、見たくないです。」
「な、何の話?」
橡浦や山下は何か知っているようである。
土生とともに、去年ベンチ入りしていた4年生は他にはこの2人しかいない。
「実はな姉御、姉御はリトルには女性選手で名を残したとか、今活躍した選手は皆無と思ってるかもしれないけど。」
「え?うん。」
理奈は女の子はリトル選手としては不利な立場と考えていた。
なぜなら、女性選手で活躍した話を聞いたことがなかったからである。
「でも、いたんだよ。昔、男子に交じって活躍してた選手が。
…巨神リトルに。」
「そ、そのリトルの事は…!」
「赤松。確かに俺達は巨神に仲間を奪われた。だが今は、巨神のとある女性選手の話をしたいだけだ。」
「え…まさか、1年前に移籍した4人の選手って…」
「まったく…話がどんどんややこしくなって行く…まあいいや、理奈、順に話すから黙って聞いとけ。」
―1年前・光陵vs巨神の練習試合―
「おっしゃあ、いいぞ新井!」
「すげえ、巨神とここまでいい勝負できるなんて…」
2点負けていたが、新井のタイムリーで1点差。
だが、後続は続かず、この回は追加点ならず。
「あっちゃあ、ツーベース…」
「ドンマイ西村。つぎ抑えろよ。」
「次は…ん?代打か?」
巨神の監督が代打を告げる。
6番の選手に代打を送るのだから、かなりの選手なのだろう。
「6番代わって、代打・緒方!」
「緒方…どんな選手なんだ…って!え!?」
髪が長くくりっとした可愛い目。
胸も膨らんでるのがしっかりと目視確認でき、くびれや骨盤、下半身の膨らみ具合。
どうみても、女の子。
バッターボックスに入ると、腰を数回振り、膝と腰を曲げてバットを縦に揺らしながら構える。
腰の振り様は色気すら感じる。
(ど、どう言う事だ?)
(とにかく西村、いつも通りに投げろ、それでいい!)
白濱がアウトコースに構える。西村も白濱も、…無意識に弱気になっていた。
そして緒方は―その女の子は―アウトコースからシュート回転して甘く入った失投を、見逃さなかった。
…。
「6回の表まで終わって、6−2…」
「あの緒方って女の子が出てきて、全てが変わったな…」
「右中間に抜けそうな当たりをとられて、さっきの2ランに続いてタイムリーも打たれたし…」
緒方に全ての流れを変えられた。
結局逆転どころか突き放されるばかり。
「やばい、2アウト…何とかしろ、土生!」
「このまま終わって…たまるかよっ!」
初球を振りぬくと、打球はセンターへぐんぐん伸びる。
「いったか?」
「やばい、緒方が追いついてきてる!」
「抜けろー!」
激しい衝撃音とともに、緒方が倒れこむ。
審判が確認に行くと、
「アウト、アウトー!」
「ああ…」
「ちっ、だめだったか…ん?」
緒方が起き上がってこない。
フェンスにぶつかって、どこかを怪我したのか。
(おい、大丈夫か!)
(しっかりしろ、緒方!)
―――。
「後日調べたところ、緒方は抜群のセンスを持っていて、不動の1番だったらしい。」
「巨神の1番…」
「理奈同様いろんなリトルを回った物の女だからと受け入れてもらえずに、
結局巨神に入ったのは5年生になってかららしかったがな。
すぐにレギュラーに上り詰めて、あの日がデビュー戦だったらしい。」
「なんで試合に遅れてきたんだろう…」
「それに深い意味はない。単に親戚の法事で遅れてきただけらしい。」
だが、問題はそんな事じゃない。その後緒方がどうなったか、という事である。
「その緒方って人は、どうなったの?」
「…フェンスにぶつかった際、左膝の皿が割れたらしい。
とにかく、緒方は大怪我をして、その後グラウンドに戻って来たという話は聞かないな。」
かなり残酷な話である。
西村や二岡達、4人なら何か知っているかもしれないが、連絡方法など分かろうはずもなく…
「目の前であんなの見せられちゃ、怪我に過敏になったって、当然だろ。」
「う…。」
全員が静まり返る。
こんな状態では、気の入った練習などできない。
「悪い、変な話聞かせちまったな。」
「それで、巨神に仲間を奪われたってのは…」
「何となくわからないか?あの4人を奪っていったリトルが、巨神だ。
あの練習試合のすぐ後、あの4人をスカウトし、連れ去っていった。
おそらく、練習試合でその高い能力を見てほしくなったか、緒方の代わりが必要だったのか…
…もういい、今日は最後にランニングをして、あがるぞ。」
堤防の上のコンクリートの道を走る。
土生、理奈、橡浦、そしてユキは余裕の表情だが、
「…待ってくれー…」
「どこまで走る気だー…」
「お前ら、遅れるなー!」
「へーい…」
しばらく走っていくと、向こうから同じくらいの年の女の子が走ってきた。
そして近付くと、土生がある事に気付いた。
「…?
ちょっと先を走ってるな。」
「え?ちょっと…」
さらに距離を縮めると、土生がその女の子に話しかける。
「(あの時少ししか姿は見えてなかったけど…間違いない!)
おい、君!ちょっと止まってくれ!」
「…何?」
女の子が土生の呼び掛けに応じ、止まる。
「お前、緒方だろ?」
「…それがどうしたって言うのよ。」
「そうか!1年前に姿を消してから行方が気になってたけど…ここにいたのか!」
「…何?巨神の奴?」
あんまり友好的な雰囲気とはいえない。
だが、土生はずっと気にかけていたのか、いろいろ聞き出そうとする。
「いや、そんなんじゃないけど…」
「巨神以外のリトルの選手で、わたしを知っているやつはいないはず。」
「練習試合に出たのが、一度だけだからか?でもその練習試合の相手が俺だったとしたら、どうする?」
「!
…そう。そういうことね。」
理奈達も追いついた。
土生と緒方のやり取りを淡々と聞いている。
「あの試合の後、何があったか、聞かせてくれないか?」
「…何で言う必要があるの?」
「それは…。」
「わたしに、あのつらい事を思い出させたいわけ?」
「あ、いや…ごめん。」
完全に手詰まりになってしまった。
緒方はため息をつくと、
「はあ…いいわ、来なさい。話してあげるから。
そこのファストフード店に行きましょ。お金なら出してあげるから。」
「あ、ああ…」
ようやく全員追いつく。
それを確認すると、緒方達は店に入っていった。
「で、何を聞きたいんだっけ?」
「怪我の状態や、巨神からいなくなったその後だ。」
「なぜわたしが退団したとわかるの?」
「巨神は県内トップクラスのリトル。そこのレギュラーなら、おのずと名が知れるはずだ。」
「…そう、まあいいけど。」
11人全員が同じテーブルに着くのは不可能なので、
理奈、土生、山下、橡浦、赤松、ユキ、そして緒方が同じテーブルに座っている。
「知っての通り、わたしは膝の皿が割れた。ほかにも靱帯が損傷したりやらなんやらで、
…二度と野球はできないって、医師から通告された。」
「マジかよ…」
「でも…膝が万全でなくっても、5分くらいなら持つ。
そう考えたわたしは、代打専任としてチームに残してもらえないか…そう頼んだんだけど…」
「あの監督は冷徹だからな。
おそらく、戦力にならないと言われチームを追われたんだろう。」
「でもおかしくない?
プロ野球ならともかく、チームから選手に出て行け、なんて普通は…」
「あのチームならそんな事をしてもおかしくはない…そういう事だ。」
もう1つのテーブルでは全く関係ない話が繰り広げられていた。
書くのもめんどくさいので割愛。
「で、まあいくつかリトルを回っているものの、どこもかしこも女だからって受け入れちゃくれない。」
「でも、さっきランニングしていたって事は、野球をやりたいんだろ?
見ての通りうちには女子が2人もいる。女子だって当然のように受け入れるさ。」
「…あんたたちのチームに、入れって事?」
「ああ、怪我をしているかもしれないが、少なくとも打撃は健在なんだろ?」
「…気が乗らないわね。」
そこ断るとこ!?
…いや、普通に入らない?そこはさ!
「あの5人のうち、4人がいない。わたしが分からないとでも思ったわけ?」
「!」
「あの時5年生だったはずの彼らに何があったかは知らないけど、
あのスタメンの9人の中で、優秀な選手はあの5人だけ。…ほかの4人は、言ってしまえば数合わせね。」
「…。」
「今いるのはあんた1人。勝てないチームに、わたしは入るつもりはない。」
勝てるチームを選んでいたら、当然女だからと言って拒否されるのも無理はない。
弱小チームなら女子を拒むことはあまりないが、
強豪だと、ましてや怪我持ちの6年生なら拒まれることは多々ある。
「なぜそこまで勝ちにこだわる?」
「決まってるでしょ?
あたしを捨てた巨神に、復讐するのよ。」
「なーる…その物静かな態度は、復讐を意味するってわけか。」
「復讐の何が悪い?
試合でぶちのめす、その何が悪いの?」
「じゃあ、こういえばいいか?俺たちも、巨神に仲間を奪われた。
さっき言ってた、いなくなった4人。巨神に奪われたんだ。」
「…ふうん。」
「目的は同じ、悪くはないんじゃねえの?」
「…でも、あんたたちが弱かったら復讐なんてかなわない。あんたたちにその実力はあるわけ?」
しめた。
この運びになれば、もうこっちのもんだ。
「なら、俺たちが相手になってやる。
それで俺たちの強さが分かったら、俺たちに巨神を倒すための力を貸してくれ。」
「…。」
「一生野球ができないと言われた以上、怪我の酷さも相当のものだろう。
おそらく、野球を再開しても、その膝は長くはもたない。お前の野球人生は今年限りだろう。」
「花道を作ってやるとでも言うの?」
「人が言おうとしていたことを…」
「そんなのわたしが決める事。勝負したいのなら、さっさとグラウンドに案内してちょうだい。」
「やれやれ…まあいい、戻るぞ。…あ。」
隣のテーブルの連中はまだ食べ終わっていない。
というより、土生達は遠慮の意味合いを込めて水しか頼んでいない。
「まあいい…お前ら、それ食い終わったら各自勝手に解散!」
「へーい!うまいな、これ!」
「はあ…」
「こんなチームが勝てるなんて、到底思えないけど?」
反論できない。
とりあえず、理奈が何とかしてくれるだろう。
「当然ピッチャーは理奈。
赤松がショート、山下がサード、俺がセカンド、橡浦とユキちゃんで外野を頼む。」
「もろい守備体型ね。」
「これで十分だ!キャッチャーは本来俺だが、人数が足りないから大目に見てくれ。
3打席勝負でヒットを1本でも打てれば、そっちの勝ちだ!」
「…勝負の勝ち負けより、あたしは内容を見たいんだけど。」
「俺たちに、内容が伴っていれば仲間になれって甘えなんざねえよ!」
「入るかどうかはあたしが決めること。
まあいいわ、そっちが勝ったら無条件でこのチームに入ってあげるわよ。」
たった6人の守備体型。
対するは、怪我のブランクがあるとはいえ県内最強クラスの強打者。
「それにしても、女子がエースなんて、このチーム本当に人数が少ないのね。」
「自分だって女のくせに。
見せてあげるわよ、あたしの…」
第1球。
「ストレートっ!」
…。
(な、何、今の…男子でも、巨神であんな球を投げるやつは…
去年戦った西村ってやつも、ここまではやくはなかったはず…)
「もういっちょ!」
(くっ!)
辛うじて当てるが、ベンチ前にころころ転がっている。
そして、
「ウィニングショット!」
(速い!)
高めの釣り玉に、完全に引っかかった。
いや、その速すぎる球速に、バットを止める事自体が難しすぎる。
(?…今のスイング…)
「さあ、あと2打席!」
「…ああもう、やめやめ。」
「え!?」
「こっちはブランクがあるのよ、あんまり勝負が長引くと膝にも影響が来るし、このあたりであがるから。」
バットを放り出し、去っていく。
「おい、じゃあこの勝負は」
「だから、わたしは巨神以外との勝ち負けなんてどうでもいいの。
あんたたちと白黒つける気なんて元からない。さよなら。」
階段を上っていき、去っていく。
それを、ただただ眺めることしかできなかった。
(緒方…何を思っているんだ、お前は?)
結局、翌日以降、緒方は姿を見せなかった。
打撃力が決定的に不足している光陵リトルにとって、
1打席限定とはいえ緒方の打撃力は、代打の切り札として非常に魅力的な存在なのだが。
「探さないの?このあたりをまた走ってるかもしれないよ。」
「無い物ねだりしたところで、しょうがないだろ。
だめならだめ。そこで終わり。はいおしまい。」
練習の合間の休憩のときも、土生は素振りを欠かさない。
かと思えば、バットをバトントワリングのようにくるくる回す。
「もー。本気で勝つ気あるの?」
「俺もそう思うぜ。」
「赤松。
今日からお前も打撃練習をしてもらう。バントと守備は、だいぶうまくなったからな。」
「俺も…打つ、役割を?」
「…やっぱ間に合わないか。そだ、必殺技の練習でもすっか。
おーい、あとは各自勝手に守備練習してろ。」
緒方と会ってからというもの。
練習内容が奔放になった。土生の様子も何か腑抜けた様子。
もちろんだれ一人練習を手抜いてはいないものの、以前の厳しい練習は影をひそめた。
「赤松はバントの時、右足に体重がかかり過ぎている。
正確なバントをするためには、本来体のバランスをしっかり保ってないといけない。」
「はい、すみません。」
「だが、それでもそんなアンバランス状態できっちりバントを決める事が出来る。
だったら、バランスを調整して安定感を磨くより、この短所を逆手に取るんだ。」
「へ?」
緒方を加えた12人という青写真。
それが崩れ去り、優勝から大きく遠のき、どこか以前の土生に戻って、
…そんなのは嫌だ。
「…翔。」
「なんだ?今特訓中だ。(その呼び名は2人だけの時だろ!)」
「…いいよ、聞こえないようにすれば。あたしの親しい人として、今話してるんだから。
あたしちょっと走ってくる。」
「好きに練習すればいいって言ったろ、なーにが親しい人だ。
そういう内容ならチームメイトとして…」
「…何も分かってないね。いいよ、許可さえもらえればそれでいいから。行ってくるね。」
土を蹴る音がリズミカルに聞こえる。
なんで理奈はあんな事を?チームメイトとしてではなく、親しい人として…
「…。やれやれ、練習のために走ってくるわけじゃないって事かよ。」
新しい友達を作りたい。
そういう話はチームメイトではなく、親しい人にするべきだからね。
「…とはいったものの…そうそう都合よく見つけられるわけないか…」
うろついている間に、賑やかな所に出てきた。
もっとも、買い物しようにも今は持ち合わせがあまり無かったりする。
…ふと、因縁の場所にたどり着いた。
『スポーツアミューズメントパーク バビッチャ』
「…。」
ブン!ブン!ブン!
「もう1回!」
ブン!ブン!ブン!
「もう1回!」
ブンブンブンブンブン…
金と引き替えにボタンを押す権利を与えられる、自動販売機。
ボタンを押す権利と引き替えに、ガコンとジュースを落してくれる、自動販売機。
「ぷはぁ…なんなのよ、もう。」
「ひどいスイング。ピッチングとのギャップが激しいにもほどがあるわよ。」
「そうなのよ…って、緒方さん!?」
「胸が大きいせいで必要以上に内角球を怖がり、外角に手を出せない。おまけに内角を捌くこともできない。
そりゃ打てっこないわよ。」
「…しょうがないじゃないですか…昔はそれなりに打てていたけど、
前に在籍していたリトルで…」
前に在籍していたリトルでは、監督の目の見えないところで打撃練習させてやるとは名ばかりに、
チームメイトにわざとボールを胸に当てられていたりもした。
「ふーん…」
「…だから必要なんですよ。」
「え?」
「あたしが打てないから、緒方さんの力が必要なんです!」
「…そう。
じゃあ、わたしからも1つ問題を出そうか。」
「へ?」
問題。
なぜわたしはあの時の勝負を途中でやめたのでしょう?
「えっと、そりゃあ、怪我を悪化させちゃいけなかったから…」
「確かにわたしの怪我の具合はまだよくはないし、守備にも問題はある。
でも打撃だけなら、3打席ぐらい余裕でこなせるわよ。」
目の前のマシンが空く。
コインを入れて、バットを持ち、構える。
「その答えはね…」
「…!」
飛んできたボールを、カット。
…そのスイングを見て、理奈はその理由にはっきりと気付いた。
「あの勝負、間違いなく負けていた。」
「まさか…スイングが戻ってないって事!?」
「昔なら簡単に飛ばせていたのに、今はちゃんとミートできるのは半分ほど。
当たり前よね、怪我で下半身にガタが来てて、筋力も落ちて。
なによりも、そんな状態で、一振りに賭ける代打なんて、無理よ。それにね…」
「それに?」
「わたし、ひとつ嘘をついてた。」
緒方がボールを撃ち続けながら、自分の過去の嘘を告白していく。
「女だから最初から入団を拒否された、なんてのは嘘なの。
女だって入団か、入団テストだけならどこのリトルだってやってくれる。」
「え…」
「4年生なら入団テストなんてなくたって入団できるけど、5,6年生は即戦力でないといけない。
これでも巨神のレギュラー張ってたんだから、表向きには有名でなくても、
各リトルの監督は、みんなわたしの事を知っていた。」
「…じゃあ、まさか。」
「ええ。
怪我の状態も知っていた。だから、どのリトルも、怪我の状態の回復さえ見込めれば入団していい、
そのためにテストを受け、テストの合格を入団条件としてくれた。でも…」
打てなかった。
膝がまだ完全に治っていないのと、衰えている筋力。
そもそも、二度と野球ができないとすら通告された怪我。完全に治せという方が酷だ。
「…単にあたしの実力がないだけ。
あの時あなたとの勝負を打ち切ったのも、あなたに負けて恥をさらしたくなかったから、
…巨神への復讐のためにわたしを必要と言ってくれた土生を、落胆させたくなかったから…」
「緒方さん?」
話を進めれば進めるほど、涙があふれてくる。
初めて自分を必要と言ってくれたリトルがある、選手がいる。
…その選手に応えられない自分を責めていた。嘆いていた。
打ち終わって出てきたときの彼女は、もう理奈を正視できる状態ではなかった。
「…でも、それでも野球やりたいんですよね、巨神を倒したいんですよね。」
「え?」
「だって、バット振ってるじゃないですか。ランニングしてるじゃないですか。
怪我の状態が良くなってから、ずっとずっと練習してきたんでしょ?」
「!」
涙をぬぐいながら、今までの練習を思い出す。
「あたしは信じますよ。
そのひたむきな努力が、あたし達に、とても大きな力を与えてくれるって。」
「…あなたの、名前は?」
「ラリナ、って、呼んでください。」
「ラリナ、ちゃん…」
「いつでも待ってますから、信じて待ってますから!」
理奈は走って去っていく。希望を胸に去っていく。
彼女に足りないのは、そう、自信だけ。
自分に出来るのは、ここまで。後は彼女自身が強く決断し、光陵に来てくれることを信じるだけ。
…だって、バットを振っている限り、野球をやりたいはずなんだからさ!
「そんじゃ、今日も練習始めるかー。」
土生ののんきな声を皮切りに、全員が散って思い思いの練習をする。
ベースランニングするもの、ノックを受けるもの、長距離を走るもの…
さて、あたしもピッチング練習しなきゃ!…って時に、監督に呼び出されちゃった。
「え、何ですか?」
「今日お前たちが来る前に、手紙をもらったんだ。
渡し主曰く、ぜひお前に呼んでほしい、との事だ。」
「え…誰だろ。」
「考えるまでもねえだろ、あいつだよ。」
「あれ、土生君。」
後ろを振り向くと、いつの間にいたのか、翔の姿。
まあいいや、読ませてもらおっと。
『本当にありがとう、ラリナちゃん。
あの試合の日から、選手として必要だと言ってくれる人が出てくるなんて、思わなかった。
土生の遠回しに言っていたのも内心嬉しかったけど、
なんでだろ、あなたのその馬鹿がつくぐらいのかわいさに、単純さに、
なんであそこまで泣いちゃったんだろ。
…うん、大丈夫、本番までには間に合わせるから、大会当日にね。』
同じ練習はこなせないから、大会まで打撃に特化したマイペース調整をするつもりだろう。
…そんな事より、もっと大事な事がこの手紙の中には書いてあるが。
「なんて書いてあるんだ?」
「あ、あの、実は…
緒方さんって覚えてます?」
「1年前、まだあの4人がいた頃に巨神との練習試合で…」
「…ああ、そいつか!」
「数日前その子と会ったんですけど。うちに来てくれることになったんです。」
「…あれ、でも確か…怪我してなかったっけ?」
緒方の過去に何があったかを話した。
もちろん、昨日のバッティングセンターでのやり取りは理奈と緒方の秘密。
元巨神の切り込み隊長が来る、という話に監督は嬉しさを隠せない。
「ほお…
しかし、打てるヤツが来るのは、嬉しいな。
そうか、どこかで見た顔だと思ったら、あの子は1年前に会っていた緒方、か…」
「ただ、私たちと合流するのは、大会当日になりそうなんです…」
「かまわんさ、1年前のあの姿は、未だ記憶に残ってるよ。」
「…しかし、怪我であいつの打撃が衰えてなければいいんですがね…」
数日前の理奈と緒方の対決で、緒方のスイングが鈍くなっていることを土生は見抜いていた。が、
「大丈夫だよ土生君!絶対に、大会までに間に合ってくれるよ!」
「…まあ、理奈がそう言うなら信じるか。監督。大会のメンバー登録に…」
「ああ、加えておくよ。」
これで大会の布陣がそろった。
監督にさっさと練習に移れと言われると、手紙を携えたまま理奈と土生がブルペンへと向かう。
(この汚れ…塩?)
手紙についているへこみ、そして無機物。
手紙の内容も、手紙についている汚れも、理奈と緒方以外は誰も知らない。