「…今何時だ?」  
 
…6時か。  
そして、俺のそばにある柔らかいすべすべしたもの。  
 
「全く起きる気配がないな。」  
 
お互い裸同士。でも、最終段階には至らなかったんだっけ。  
…どうでもいいか。さて、今日はどこに行くんだろうか。まさか球場?勘弁してくれ。  
 
パン焼いて、卵焼いて、野菜切って盛り付けて。  
すっかりこの家の雇いシェフに定着してしまった気がする。  
2人分作って、自分だけ食べて、寝ぼすけが起きてくるまで何してようか。  
 
 
「俺、どれくらい投げられるんだろ。」  
 
庭のブルペンのマウンド。  
十数球ボールの入れてあるかごをそばに置いて、マウンドのプレートに足を乗せて。  
 
「そりゃっ!」  
 
的を外れる。  
うーん、やっぱり野手の送球と比べて段違いに難しい。  
 
「第2球…」  
 
ダメだ、当たらない。  
あーあ、ピッチングの知識はあるにしても、いざやってみるとなると体がうまく動かないもんだ。  
 
「もっと体重移動をスムーズに、肘も下がってるし、目線もあさっての方向向いてるよ。」  
「起きたのか。」  
「おはよ。ピッチング練習なんて、またどうしたのよ?」  
「暇だからな。今日はどこか行くのか?野球はチームがアウェーだからやってねーし。」  
「知ってるよ。今日どうするかは考えてないや。とりあえずご飯食べてくるね。」  
「ああ。」  
 
体重移動…ひじ…えっと、あとは目線…  
 
「それっ!」  
 
…あ、また外れた。  
 
 
 
「あの…」  
「ん?」  
 
誰かの声がしたような。  
日曜日の朝っぱらから、この家に用事でもあるのか?  
 
…そして、なんでこいつがこの家を知ってるんだ。  
 
「ユキちゃんか…なんだ、急に。てか、どうしてここが…」  
「いつもこのあたりまでランニングしていますから。」  
 
同じ東小でこのあたりをランニングコースにしているやつがいたのか。  
となると、ここに来たのは偶然という事になるが…  
 
「で、どうした?」  
「えっと、その…」  
 
通りがかっただけだし、まあ用はないか。  
理奈が飯を食べ終わるまで暇だし、こいつとでも話しておくか。  
 
「ランニングって、スポーツでもやってるのか…そういや、空手をやってたんだっけ。」  
「あ、はい。  
 小さいころからずっと。でも喧嘩は好きじゃないし、それを親に伝えたら、」  
「怒られて家を追い出されて、今に至る、と。」  
「いえ、そんな!  
 それじゃあ、他に別のやりたいスポーツを探さなきゃなって。」  
「…スポーツなら何でもいいのか?」  
「はい。」  
 
変わった教育方針だな。  
まあ、他人の家庭の教育方針に難癖つけたところで、なんにもならんか。  
 
「しかし、スポーツなら何でもいいってやり始めた空手が、4段って言うのは…」  
「やり始めたころは楽しかったです。どんどん強くなっていって。  
 …でも、最近面白い勝負が出来なくなって。飽きてきて。」  
(4段って言ったら相当なもんだろうからな。  
 周りが弱かったら、そりゃあ楽しくないだろう。)  
「だから、新しく別のスポーツを…あ、あの!」  
「なんだ?」  
 
何かを決意したような目。  
そして、眼球が飛び出るような一言。  
 
「野球をやられてるんですよね?チームに入れてもらえませんか!?  
 あなたのチームで一緒にやりたいんです!」  
 
…はあ!?  
 
「あ、えっと、あなたのチームって言ったのは…その、他に知ってる野球チームの人がいなくって…」  
「いや、別にそれはいいんだが…俺自身は別に迷惑じゃねえし。  
 ただ、いきなり野球転向を宣言して、いきなり入団志望を言われても、こっちは驚くしかないが。」  
「す、すみません!えっと、でも、あなたのチームで…」  
「とーりーあーえーず!  
 明日監督に話しつけてみるから、とりあえず家に…」  
 
家に…は、超軽装の理奈がいる。  
流石にまずい。変な疑いを持たれかねないし、その上その疑いは事実だし。  
 
「家はちょっといま取り込み中だから…どうしようか…」  
「誰か来てるんですか?」  
「そういうわけじゃないが…」  
 
軋むような音。すなわちドアの開く音。  
姿を現したのは当然この家の住人、理奈。ちゃんと服を着ている。  
 
「どうしたの?翔…って、その子は!」  
「あ…どうも。一緒に住んでらしたんですね。てことは、お二人の関係って…」  
「ああ、いや、べ、別に俺たちは…」  
「そ、そうそう!その…」  
 
まずい。非常にまずい。  
そう思ったのは、半分体の関係を持っていたこの2人だけの感覚に過ぎなかった。  
 
「兄妹だったんですね。」  
「…え?」  
 
普通に考えれば。  
一緒に住んでいる同じくらいの年の男女。どう見ても兄妹である。  
 
「ああ、いや…そういうわけじゃないんだけど…さ!  
 とにかくあがってよ。ここじゃなんだからさ。」  
「あ、はい。」  
 
 
とりあえず、『昨日たまたまお泊まりに来たお友達』という事で通し、  
親がいないという事になるとそれもまずいので朝早く用事で出て行った、と言ってごまかした。  
 
「この子が野球を?」  
「ああ。やったことはないらしいけど。」  
「しかしまたどうして?」  
「空手に飽きて、他のスポーツをやりたいんだってさ。ある程度の運動神経は保証されてると思う。」  
「あ…えっと、それで…」  
「とりあえず監督には言っておくからさ。明日にでも入団できると思うよ。」  
「あ、ありがとうございます。」  
 
かなり物静かな性格のようである。  
時計を見ると10時を指していた。そろそろ午後の事を考えてもいいころかもしれない。  
 
「で、午後の事どうする?翔。」  
「ん?そうだな…そうだ、ユキちゃんに野球を教えるのも兼ねて、バッセン行くか!」  
「いいね、それ!ねえ、そうしない?」  
「あ…あ、はい!おねがいします!  
 えっと、この服装じゃあれなんで、一旦家に戻っていいですか?」  
 
ユキの姿はジャージ。  
そんなのではとてもお出かけ、とはいくまい。  
 
「それじゃあ…どこで待ち合わせしよう。そうだ、公園の近くに新装開店したコンビニに…12時半!」  
「パパから今日の分のお小遣い貰ってるから、お金は持ってこなくていいよ!」  
「あ…どうも。それじゃ!」  
 
少し恥ずかしそうに家を出て行った。  
なにも今家を出ることはないんじゃない?…と言いかけたが、なぜか口から出なかった。  
 
「さって、お昼ごはん♪」  
「まだはやいぞ。ったく…はいはい、何作ってやろうか?」  
「オムライス!」  
 
新装開店したコンビニに行くのは、わけがあった。  
ソフトクリーム1つ31円。資金の少ない子供の強い味方がそこにいるからである。  
 
「あ、いたいた!おー…あ。」  
「ん?…って、西小のボスじゃん!」  
 
また厄介な相手に出会ったもんだな、瞬時にそう感じていた。  
そして、隠れる場所もなく、ユキも来ていたのでやむなくコンビニの前へ向かう事に。  
明を含め、3人の男子が何かを話している。  
 
「あ……いや……。なんか、さっきから……誰かに、見られてたような気がして――」  
「誰か? って」  
「……誰もいねーぞ……?」  
「あれ?」  
 
あーあ、見つかったか、そう思っていたが、どうやら別の相手のようである。  
 
「っかしいなあ……。気のせいかな?」  
「昨日の今日だしな。さすがにお前も疲れてるんじゃね?」  
「うーん……」  
 
どうやら気付かれていないのか。真相は『国境地帯』参照。  
とにかくユキのもとに向かうが、ついにばれた。  
 
「あれ、またあったな、土生君!」  
「…どーも。」  
 
その声で気がつき、ユキも土生のもとへ小走りしてくる。  
 
「君も31円アイス目当て?」  
「今日は近くのバッティングセンターに行くんで、その途中です。な、2人とも。」  
「うん!」  
「あ、はい。」  
 
以前より口調が明るくなっている。こっちが本来の明なのだろうか。  
おそらくは土生が東小だという事を最初から受け止めているからだろうが。  
喧嘩が達者な明、そして真夏の日光。2つの圧力が土生に襲いかかり、汗を絞り出させる。  
 
「明、誰だよこいつ?」  
「ん?ああ、野球やっているんだけど、いろいろあってな!まあきにするな!」  
「男の方じゃねえ、その2人の女の子が、おまえのなんなんだよ!」  
「こいつら、2人とも…すげえ!片方は谷川以上なんじゃね!?」  
「ば、馬鹿!」  
 
何の話だろう、首をかしげる。  
もっとも、内容がばれると豪速球と周り蹴りが飛んでくる可能性もあったが、土生がそれを制す。  
…げんこつで。  
 
「てっ…いてえよ、明!」  
「今日の学校でも痛い目にあったってのに、まだ俺たちを殴らねえと気が済まねえのか?」  
「え?学校…って、今日日曜日なんじゃ…」  
「何言ってんだよ、今日は参観日だぜ?3時間目に親が来て、それから下校だっただろ。」  
 
一瞬、頭が真っ白になる。  
確かに今日は参観日なのだが、父親が出張中という事もあり理奈の頭から完全に離れていた。  
なお、1時間目の前後で国東も含めいろいろあり、3時間目の千晶の変貌ぶりには保護者も少し戸惑っていたとか。  
(『はじめての日』と同じ時間帯だが、つじつま合わせの完全オリジナル設定なのであしからず。)  
 
土生とユキは東小なのでもちろん休みなのだが。理奈は完全に固まった。  
 
 
「お、おい…まさか、知らなかったとか言うんじゃねえだろうな?」  
「…。」  
「理奈!?」  
「今日言ってた用事って、参観日の事ですよね。なんで行かなかったんですか…」  
 
ユキにまで突っ込まれる。どちらにせよ、理奈の頭は完全にショートしていた。  
そんなとき、偶然ショートの赤松が通りかかり。  
 
「ん?土生さん!ラリナ!」  
「お…?あ、赤松!おい、ちょっと来てくれ!」  
「な、なんです?」  
 
チーム内では橡浦に次ぎ、土生と同等の俊足を持つ快足を飛ばす赤松。  
汗をふきだしながらたどり着くと、土生の質問一閃。  
 
「なあ、お前確か西小だったな!今日参観日あったの、本当か!?」  
「そうですよ!ラリナのいる5年生のフロア探したのに、今日はどこにもいなかったんですよ?  
 聞いたら休みだって言うし…風邪じゃないんですか!?」  
 
光陵リトルで、理奈を除けば唯一の西小である赤松。  
赤松が1年下だが、理奈がリトルに入ってからは暇を見つけては会っている。  
 
「…ど、どうしよ…」  
「と、とにかく、もう終わったことはしょうがないからさ、な?」  
「明日…先生になんて言おうか…」  
「か、風邪ひいてて親もいなかったって言えばいいんだよ!  
 電話できなくてすみませんでした、ってさ!」  
「雅人くん(=赤松)に風邪ひいてないってばれてるのよ!?」  
「そんなもん関係ねえだろ!赤松、このことはだまってろよ!」  
「は、はい!」  
 
パニックとパニックの応酬。  
参観日なんて言わない方が良かっただろうか。明は何とも言えない顔をするしかない。  
 
「はあ…ふう…だ、大丈夫、だよね!」  
「ああ、だから落ち着け!」  
「そうだよ、ラリナ!だったら俺が見舞いに行ったって先生に言っておくから!」  
「と、とにかく何か食って落ち着こうぜ!31円アイスで頭冷やすぞ!」  
「は、はい!」  
 
4人がコンビニになだれこむ。  
その姿に呆然としながら、外からコンビニ内部を覗くと。  
両手にアイスの千晶と理奈がぶつかり、レジ前でパニックを売る羽目になっていた。  
 
「あーあ…あぶねえなあ。」  
「何とかアイスは落とさなかったか。」  
「さすが谷川。食べ物の執着心。」  
「やれやれ…谷川の胸といい、あの2人の胸といい、今の騒ぎといい…」  
「そういや、さっきも明が言ってたけど、谷川の胸って…」  
 
慌てたり、謝ったり、戸惑ったり。  
そんなこんなでなんとか千晶達数人は店内からクーラーの冷気とパニックの余韻と共に出てきた。  
 
(なんだったんだろ、さっきの子たち。危うくボクのアイス2つが…)  
「いちきろ……いちきろぐらむ……」  
「谷川……お前ってやっぱスゲーな!」  
「へっ……?」  
 
無論『国境地帯』の作者にとって、作中にこんなトラブルがあったなどとは思いもよらなかっただろう。  
正直、つじつま合わせや話の流れをつくるのに大変でした、ハイ。  
 
「でも、作中に1ヶ所、『平日』って書かれてるよな。by明」  
「無理に世界観共有しようとするからこうなるんだよ。by土生」  
「もうそういう突っ込みとかなしね、  
 2日という短い設定の中に3話もぶち込む無茶を人に言ってよ。by暴走ボート」  
「知らないわよ。感想の代わりにクレームが来たって。byラリナ」  
 
…。  
 
 
アイスとクーラーに体だけではなく意識も冷やされ、何とか落ち着いた。  
31円アイスに舌鼓を打ち、コンビニを出るころには明たちはおらず、ようやくバッティングセンターへ。  
 
「ふっ!」 パキーン!  
「ふっ!」 カキーン!  
 
一瞬で吐き出す呼吸。気持ちのいい打球音。  
この流れが土生の理想の打撃を作り出す。130kmのボールを軽々と打ち返す。  
周囲の人間も土生のバッティングに見とれている。  
 
「すごい…」  
「ね?しょ…土生君はすごいんだから!」  
「土生さん、次俺の打撃見てもらえます?」  
「ああ。」  
 
いつもはチーム方針から、赤松たち下っ端の選手には守備練習に特化したメニューを組んでいる。  
当然バッティング練習はさせてもらえないが、今日は楽しむために、遊ぶために来ている。  
土生も今日は何も言ったりはせず、バッティングを見てやることに。  
 
「少し脇が甘いな。もっと閉めろ。」  
「あ、はい!」  
「あと、スイングの軌道が少しぎくしゃくしてるな。  
 スムーズにバットを動かすために、バットを縦に持たずに少し寝かせて持ってみろ。」  
 
パキーン。  
 
 
…スカッ、…スカッ、  
 
「…理奈、お前には何も言う事はない。」  
「わーん!」  
 
投球は一流、守備も軽快にこなしたりと、ここまでは普通の男子よりよっぽどいい選手。  
…打撃は、箸にも棒にもかからない。これが光陵リトルのエース、野村理奈。  
 
 
「打てるかい?」  
「えっと…見よう見まねでやってみます。」  
 
打席に立つ。  
ここのバッティングセンターはケージの外からもボールの操作を出来るようになっている。  
 
「まずは…100kmかな。速いかな?まあいいか。」  
(脇を閉めて…脚は開きすぎずに…バットは立てずに斜めに…)  
 
先ほど赤松にアドバイスしていた土生の言葉、  
そして、見ていた赤松や土生のフォームを思い出す。  
 
(お、割といいフォームじゃん。)  
(ふん、どうせ素人なんだから、あたしより下手に決まってる!)  
 
100km/hの軟球が、飛び出してくる。  
 
 
カキーン!  
 
 
…ドン。  
 
 
打球音と…『ホームラン』と書かれた的に当たる音。  
それは即ち、周囲を驚きの渦に巻き込む音。  
 
「な…嘘だろ…」  
「い、今の打球…」  
「土生さんでも、あんな鋭い打球は…」  
「ま、まぐれよ、どうせ!2球目は豪快に空振り…」  
 
カキーン!  
 
 
「…当たったよ。」  
「…当たったな。」  
「…当たったね。」  
 
土生、理奈、赤松。驚き3兄弟。  
そして、イタズラで球速をアップさせる三男・赤松。  
 
(ひひひ…球速を120に…!)  
 
ボール発射。  
 
(速い!?)  
 
 
カキーン!  
 
 
「…当たったよ。」  
「…当たったな。」  
「…当たったね。」  
 
土生、理奈、赤松。驚き3兄弟。  
遂には、イタズラで球種を変更する三男・赤松。  
 
(…な、ならば、変化球MIX!)  
 
ボール発射。  
ユキは左足を踏み込むが、その直前、ボールが斜めに落下。  
 
(あれ!?)  
 
 
カキーン!  
 
 
「…当たったよ。」  
「…当たったな。」  
「…当たったね。」  
 
土生、理奈、赤松。驚き3兄弟。  
もはやいたずらの手段もなくなった三男・赤松。  
女の子が快打連発、この事実に周りにいた他の人たちも、驚き兄弟と化していた。  
 
 
空振りはおろか、打ち損じすらほとんどなかった。  
120kmの後の80kmくらいのチェンジアップすらうまく打ち返していた。  
 
「すごいな…」  
「なによ!どっかで野球やってたんでしょ!」  
「そうだそうだ!俺が球速変えたり、変化球混ぜたり、緩急したのによ!」  
「あ、いえ、単に無我夢中でバット振っただけで…  
 ボールが曲がったりもしたけど、慌ててその変化に合わせて…」  
 
もうこれは天性の打撃センスを持っているとしか言いようがない。  
空手で4段を取っただけあり、運動神経は抜群、と結論付けるしかないのである。  
 
(ええい、みてなさい!こうなったらあたしのすごさ、見せつけてあげる!)  
 
ストライクゾーンの中を9つに分け、番号がふってある。  
そこにいくつボールを当てられるか、というピッチング競争。  
一番手はもちろん、本職が投手の理奈。  
 
「は、はやい…」  
「だろ?あれがうちのエースのラリナさ!」  
 
(なんだ?あの女の子…)  
(おっぱい大きいけど、それ以上になんだ、あのストレート…)  
 
周りがざわつく。  
110kmを大きく超える豪速球。それを子供、しかも女の子が操っているとなれば、当然の運び。  
ピッチャーとしてのコントロールは悪いが、それでも12球投げ、9マス中6マスが命中。  
 
 
「あれ、あまり当たらない…」  
 
赤松の球速はそこそこ。一般人と同じくらい。  
当然コントロールもままならず、結果は9マス中3マス。…そして。  
 
 
「てりゃ!」  
「そりゃ!」  
「おりゃ!」  
 
…。  
 
「な、なんでだよ…」  
「ま、まあまあ。しょ…土生君、しょうがないって。」  
 
12球全部外れ。しかも枠にすら当たらないという超ノーコン。  
ピッチャーとしての才能は0に等しい。  
 
「で、最後はユキちゃんか…行って来いよ。」  
「あ、はい。」  
「バッティングであれだけの打撃を見せたんだ、あのセンスを持ってすればそこそこは…」  
 
ビュッ!ドン!  
 
「…え?」  
「な、なんだよ、あの速さ…」  
「理奈には負けるにしても、110は超えてるんじゃないのか?」  
 
ビュッ!ドン!ビュッ!ドン!ビュッ!ドン!  
 
「…っ!」  
「10球で全部…当てやがった…!」  
「あたらかなかったボールも、最後に残った的の横スレスレ…」  
 
とんでもないコントロールである。  
プロでも9分割のストライクゾーンを思い通りに操れる選手はほとんどいない。  
 
「お、おまえ、どこかで野球を…」  
「い、いえ…理奈さんのフォームを見よう見まねで…」  
 
確かに理奈のオーバースローは理想的なフォームではある。  
だが自分にフィットするフォームは人それぞれであり、仮にフィットするフォームだとしても  
一朝一夕で自分のものにする事などとてもできない。  
 
「むーっ…」  
「理奈、そう怒るなって…」  
「なんでよ、なんでなのよ…」  
「だーいじょうぶ、ボールの速さだけならお前の方が早いんだ、」  
「…速さだけ?」  
「う。」  
 
3時はおやつの時間。ファストフード店で思い思いに頼んだメニューにかじりつく。  
向かって右側の席には理奈と土生。店内の一部の人から、やはり胸に目線が来る。  
 
「速さだけって…速さは重要だぜ?  
 ユキのボールは確かに早いが、あの速さのボールを投げる選手はほかにも何人かいる。  
 だから、あのボールを打てる選手もたくさんいる。  
 …でも、理奈ほどのボールならほとんどだれも投げられない、誰も打てない。エースは理奈だよ。」  
「しょ…土生君。明日からまた練習よ。」  
「…あ、ああ。やる気になるのはいいことだ。」  
 
向かって左側はユキと赤松。  
ユキの胸も大きいが、理奈のおかげであまり目立っていない。  
 
「でもすごいね、あんなに野球がうまいなんて。うちのチームに入るんだろ?」  
「うん。明日から。」  
「俺も数少ない4年生さ、よろしく!」  
 
口数は少ないが、最低限の会話はきちんとする。  
ユキのコミニュケーションについてもとりあえず問題はないだろう。  
 
しかし、もう1人の女性選手とのコミニュケーションは、どうだろうか。  
 
「明日からよろしくです、理奈さん。」  
「ふん、まあ、上下関係はしっかり守るこtあいたっ!」  
「リ・ナ〜…焼きもちはその辺でな…」  
「なによ!いいじゃない翔!こっちが1つ上よ!」  
(え、ショウ?)  
 
赤松の目の前で2人でいる時の土生の呼び名。  
非常にまずいが、今はそんな事は二の次である。  
 
「こうなったらユキ、勝負よ!」  
「え?」  
(あーあ…ったく、理奈の奴…)  
(だから、ショウってなんなんだ?)  
 
 
で、結局街からグラウンドに戻ってきた。  
 
「ったく、どうするつもりだ、理奈。」  
「あたしとユキ、交互に互いの球と勝負して、多くヒットを打った方の勝ち、単純かつ明快な勝負でしょ?」  
「…。」  
「…。」  
「何、どうしたの?」  
「ラリナ、すごく単純かつ明快かつ…簡単に勝負がつくよ。」  
「理奈。お前がピッチャーの時ユキちゃんを抑えられるのはともかくとして…  
 お前、確実に打てないぞ。」  
「ラリナ。90kmも満足に打てないのに、打てるわけないだろ。  
 ラリナの球もそうそう打たれないけど、いつかヒットの1本くらい、ユキなら打つよ。」  
「…。  
 ええい、翔!雅人!力を貸して!」  
 
2人が戸惑う中、赤松をショートに、土生をセカンドに移動させる。  
 
「こっちの守備はあたしと翔と雅人君のみ!  
 あたしがストライクを10球投げる!  
 そのうち、内野安打でも何でも、1回でもファーストにたどり着けたら、ユキの勝ち!」  
「え?でも…」  
「おい理奈!外野に飛ばされたら終わりだぞ!内野も2人だけじゃ、ファーストとサードのホットコーナー付近は…」  
「任せなさいって!  
 外野に飛ばさせない直球が、あたしの武器!迷わずストレートを投げ込めば、あたしは勝てる。」  
「ラ、ラリナ…」  
 
バッティングセンス抜群のユキ。理奈のストレートに十分ついていくポテンシャルはある。  
どう見ても不利だが、土生はやれやれと思いつつ。  
 
「ま、好きにやらせてみようや。負けたところで何があるわけでもなし。」  
「翔!あたしが負けるとでも思ってるの!?」  
「いや…相変わらず面白い奴だなって。さ、投げろよ。」  
「うん!ユキ、準備はいい?」  
「…ええ。楽しみです!」  
 
いろいろごちゃごちゃあったが、勝負となればユキもやる気になる。  
先ほどの構えを思い出し、バットを掲げる。  
 
(でもね。  
 エースとして、そう簡単に打たれるわけにはいかないのよ!)  
(速い!)  
 
ホームベースを通過し、後方のフェンスに激突。  
 
「どうよっ!」  
(ユキでも手が出ないか…でも、あと9球もあれば、合わせてくるはず。)  
 
ギューン…ガシャン!  
ギューン…ガシャン!  
 
(すごい、ラリナの奴2球連続で空振りを…)  
(…。)  
 
キン!ガシャン!  
 
(だがやはり、タイミングが合ってきたか…  
 ファールボールが後方のフェンスに一直線という事は、タイミングが合っている証拠だ。)  
 
カキーン!  
 
「まずい!」  
「いや、これはファールだ。」  
 
打球がサードベンチの向こう側に飛んで行く。  
そろそろ打球が前に飛び出してくる頃。ここからは土生や赤松に対するウェートも大きくなる。  
 
「えいっ!」  
「セカンド!」  
「理奈!お前もベースカバーだ!」  
「あ…そっか!」  
 
センターよりのセカンドへの打球。  
ファーストがいない以上、理奈がベースカバーに入るしかない。  
 
「!?…速い!」  
(打ってからのスタートダッシュも早いし、あきらめずに全力で走ってやがる!  
 スポーツへの真摯な姿勢もかなり強い!)  
 
何とかベースカバーに入りつつ、送球を受け取る。  
 
「ふう…間一髪。」  
「理奈、ユキちゃんが右打ちだから良かったものの、左打ちだったらセーフだったかもな。」  
「う、うるさいわね!あと4球、全部空振りよ!」  
 
だが、何球もそのストレートを目に焼き付けたユキに、もう空振りはあり得なかった。  
 
「しまった、がら空きのサード方向に!」  
「理奈!いいからベースカバーだ!」  
(本来ならサードがとる打球…でも、これだけショート寄りなら!)  
 
逆シングルで取り、右足でフルパワーで踏ん張り、大遠投。  
 
「ラリナっ!」  
「ナイスキャッチ!」  
 
少々危なかったが、なんとかラリナもキャッチ。  
元から守備範囲はかなり広く、最近は特訓の成果も出て守備の確実性も増している。  
 
(守備で一番成長を見せているのはこいつだ。  
 もともとセンスはあるし、時間をかけて教えればバッティングも橡浦クラスに匹敵する。  
 足も俺に迫る速さだしな…)  
 
8球目も真っ芯で捕らえる。センター前へ抜けようと言うあたり。  
赤松が飛び付くも、抜けて行く。  
 
(だめだ、追いつけない!)  
「まだまだ、そんなんじゃ甘いぜ、赤松。」  
「え?」  
 
土生が飛びついて捕る。  
 
「え?」  
「理奈!捕れ!」  
 
そして倒れこんだ不安定な体勢のまま、送球。  
だが、ボールは理奈のグローブへ一直線。完璧なコントロール。  
 
「あと2球だ、理奈!」  
(すごい、ピッチングはあれだけノーコンなのに…)  
 
野手としての感覚が身についているのだろう。  
ピッチャーのように、ゆったりした、体勢の安定したマウンドで自分のタイミングで投げるよりも、  
体勢的に不安定な、ぎりぎりの状態での送球でこそ、精神が研ぎ澄まされ、土生の真価が発揮される。  
 
(けど、もうだいぶ慣れられてしまった。  
 2球とも完全に真っ芯でとらえられてたし…)  
「赤松。状況だけで勝ち負けを判断するのは、どうだろうな。」  
「え?」  
「理奈とユキちゃんの決定的な違い。それは、野球に対する経験、そしてプライドだ。」  
 
ギューン…ガシャン!  
 
「こ、ここにきて空振り!?」  
「理奈の中にも、秘められたポテンシャルがある。負けたくないという思いが、さらにボールを加速させる。  
 勝負の中では何が起こるか分からない。その何かを起こせる、それが理奈がエースたる所以さ。」  
 
ここにきての空振りに、一番驚いていたのはほかでもないユキ。  
知らず知らずにうちに自信を持っていた彼女にとって、この空振りは信じられないものだった。  
そして、精神的にも理奈が圧倒的に有利となって…  
 
(うそ…)  
(これで決めるわよ、おしまいよ!)  
 
低めぎりぎりいっぱいの素晴らしいストレート。  
ユキも必死になってバットを出し、  
 
「当たった!」  
「打ちとったが…バウンドが高い!理奈!ファーストに行ってろ!」  
 
高い高いバウンド。土生が構えるが、ユキは俊足。  
理奈がファーストに行って思い切り体を伸ばしてグローブを構え、送球を待つ。  
 
「理奈っ!」  
 
理奈に伝わる、ボールの感触。  
それとほぼ同時に、ベースにユキの足が踏みつけられるのを感じた。  
 
…。  
 
 
「アウト!」  
「セーフでしたよ。」  
「アウトったらアウト!」  
「どう見てもセーフでしたって。」  
 
「さっきからあんな調子ですね。」  
「ま、いいんじゃないか?頼もしい仲間が加入したところで、春の前哨に意気揚々と乗り込めるわけだし。」  
「ですね。」  
 
その言葉に気が付く女子2人。  
この2人は当然、リトルリーグの大会に出るのは初めて。ちなみに赤松もだが。  
 
「春の前哨戦?」  
「言ってしまえば全国大会のない大会だな。まあ秋の大会の前座ってところか。2週間後にある。」  
「え?もうそんなに早く!?」  
「おめえら2人にかなりのウェートを示させることになるが、…まあ頑張れ。  
 この大会に本気になってるリトルもあれば、全力でやらないリトルもあるがな。  
 本番は全国大会にいける秋の大会、それまでに経験を積む上では、重要になってくる。」  
「県内一を目指して、みんなで頑張っていこうよ!」  
 
秋の大会は知っていたが、春に大会があるのは全く知らなかった。  
だが、そうときまれば練習あるのみ。  
 
…練習、あるのみなのだが…  
 
「だからって、もうちょっとメニューを軽くしてよー!」  
「コラ立て、理奈!ほかの奴もだらしがないぞ!」  
「う…うえーい…」  
 
翌日。ユキがチームに加入し、すぐにチームに溶け込んだ。  
チーム自体が溶け込みやすい体質であり、女性選手という点も理奈がチームにいる地点で違和感はみじんもなかった。  
…そのユキは、ほとんどへばっていない。  
 
「…はあ…はあ…」  
「ユキちゃん、君はまだまだ行けそうだね。」  
「ええ、まあ。」  
「てめえら、まさか新入りに負けるつもりじゃねえだろうな!」  
「な、なにを…」  
 
全員立ちあが…らなかった。  
白井だけはうずくまったままである。  
 
「おい、白井!お前も立てよ!」  
「あ、ああ…」  
「待て!白井、脚を見せろ!」  
「え?…うあっ!」  
 
足首が赤くなっている。  
内出血を起こしている、おそらくは打撲か捻挫の類だろう。  
 
「どうしたんだ!」  
「いえ、さっき練習が一段落ついて倒れこんだ時に、」  
「変に倒れこんで足をひねったってわけか。病院行って来い。」  
「いえ、まだまだ…」  
「ダメだ、さっさと行け!」  
「!…はい…」  
 
根性を推奨する土生だが、怪我には相当気をつけている。  
打撲やねん挫ならその場の応急処置で本来は十分だが、念のために監督と一緒に病院に行かせた。  
 
「不思議ね、土生君。  
 普段からあれだけ根性と練習量を前面に押し出すのに、怪我にはこんなにも…」  
「そんなに意外だったか?  
 俺は怪我しないようにメニューを組んでいるはずだが。」  
「いや、こんなに練習がきついと怪我の1つもしちゃいそうよ…」  
「練習の仕方、メニューにさえ気を使えばいくら練習したって怪我はしない。  
 逆を言えば、怪我の原因は練習の仕方やメニューの組み方に問題がある。  
 …まあ、試合のアクシデントだけは、どうしようもないけどな。」  
 
土生が何かを思い出したようにうつむいた。  
過去にいた選手?それとも自分自身?土生君の過去という黒い影、もっと知りたいよ。  
 

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