6−5。
緒方の執念と土生の他の追随を許さない実力によって得たリードである。
「よーし、あと2回…って、あれ、ユキは?」
「大丈夫だって、ラリナが何とかしてくれるさ。」
あとは理奈に任せれば…その思考を真っ先にたちきったのは、まぎれもなく土生だった。
「…今日はあいつに完投させる。ちょっと待っててくれ。」
ベンチ裏に出て行くと、更衣室へと続く廊下を進んでゆく。
案の定、女子更衣室にはユキがいた。…上半身裸で、ベンチに寝転んでいる。
「何をしている。さっさと試合に出ろ。」
「…なんで?いいじゃないですか、あとは」
「理奈に任せるってか?馬鹿な事言うな、今日は最後まで投げてもらう。」
「…最低ですね。女子の更衣室に、それも裸の女子のいる場所にはいるなんて。」
話をはぐらかそうとする。
しかし大人との比較でも巨乳といわれるほどの胸があるのに、裸を見られているにしてはかなり冷静な様子。
一方の土生も、日ごろから理奈の裸と付き合ってる故かまったく動揺していない。
「とりあえず、さっさとアンダーシャツ着換えろよ。見苦しい。」
「昔から、熱い時は普通に男子の様に裸でいましたけど?胸が膨らんでからも。」
「…逃げるのか?」
「!」
核心を突かれた。今一番言われたくない言葉。
「…しょうがないじゃないですか。それに、これ以上投げたって…」
「逆転したぜ。6−5だ。」
「!?」
「まったく、せっかくかっこいいとこ見せたかったのに、なんで消えてるんだよ。」
「…あたしは、あなたの彼女じゃない!」
すっと起き上がると、ベンチを蹴りあげた。
大きな音を立てながら、数センチ移動するベンチ。そしてしばらく広がる静寂。
「〜〜〜っ!」
「…別に泣いてもいい。
でも、ユキちゃんは泣けても、理奈は果たして、涙を流せるかな?」
「…どういうことですかっ!」
「あいつはエースだ。たとえどれだけ打たれても、誰にも頼れずに、歯ぁくいしばって投げ続けなきゃいけねえ。
エースの宿命だからしょうがない。逆にいえば、ユキちゃんには理奈っていう逃げ道がある。」
「そうですよっ!だから、あとは理奈さんに!…。」
「どうした?」
空手を始めて5年。
常に同年代から尊敬のまなざしで見られ、それを生きがいの1つとして戦ってきた。
常に頼られ、常に勝たなければいけない使命のもと、その使命を感じつつもプレッシャー等感じずに勝ってきた。
頼られることが、快感だった。
それが、ここでは2番目ピッチャー。
球速以外では圧倒的にこっちの方が上なのに、球速故に、エースになれずに。
…いや、違う。オーラっていうのか、理奈さん、緒方さんに持っているものが、あたしには欠けてる。
同い年の赤松君ですら、実力はこっちのはずなのに、あたしの方が…
「ああもう、わかりましたよ!投げればいいんでしょ!?」
気が付くと、そう言い放ち、手が勝手に服をつかんで体に着せている自分がいた。
(…言いたい事は伝わったみたいだけど、こうも簡単に説得できるとはな。)
「なんなんですか、あたしを馬鹿にしてるんですか!」
「いや、別に。」
追いつきたい、追い越したい。
エースになって、チームで一番になって、みんなに頼られたい。尊敬されたい。
だったら、こんな事で折れてちゃだめ、今日の結果じゃみんなあたしを認めてくれるはずはない…
でも、じゃあせめて最後まで投げて、見返さないと、やり返さないと!
「おーい!守備どうするんだー!審判が早くしろって、急いでくれー!」
青野さんが呼んでる声がする。
…さあ、行かなきゃ。あたしにはセンスがある。そのセンスがどこまで通用するか、試してやる!
『光陵リトル、選手の交代を、お知らせします。
先ほど代打に入った土生君がそのままキャッチャー、先ほど代走しました野村君がファースト、
ファーストの山下君がサードに入ります。
4番、サード、山下君、5番、ファースト、野村君、6番、キャッチャー、土生君。以上に変わります。』
緒方の代走で理奈が出ていたので、そのままファーストに入れる。
誰もがリリーフ登板だと思い込んでいたので、
「今日はユキちゃんに任せるのかな?」
「ラリナの方が…」
「土生さんとラリナが遅刻したことなんて、もうどうでもいいと思うけどなあ…」
土生には聞こえてなかったが、その雑音はしっかりとユキの耳には届いていた。
…見返さないと。絶対に最後まで投げて、勝ってやる。
…だが、更衣室で寝転んで少しリフレッシュしたはずだったのだが、やはり疲労は溜まっている。
「アウトォ!」
ショートライナー、赤松のファインプレー。だが、あと一歩でヒットになっていた。
「アウトォ!」
青山が必死に追いかけ、背面キャッチ。これもファインプレー。
だが、いつ崩れてもおかしくはない。
…そして、思ったよりも早く、打ちこまれ始めた。
「フェア!」
「フェア!」
ライト線、レフト線にシングルヒット。ツーアウト1塁2塁、そして…
「てっ!」
「デッドボール!」
…最悪の形で塁上をにぎわせる。
そして、最悪の打順に回ってきた。
『4番、ライト、佐藤君。』
「行けー!ジジィ!」
「そのあだ名はやめろ!」
今度は向こうのベンチが盛り上がっている。
ジジィのあだ名に苦笑しながらも、意気揚々と打席に入る。
流石の土生も、マウンドに向かわざるを得なくなった。
「土生さん、もうここはラリナに…」
「そうですよ。」
山下も赤松も黒田も口をそろえる。
そして理奈も、
「ユキちゃん、辛かったら、いつでも変わるからね。
大丈夫、あたしは投げたくて、うずうずしてるんだもん!」
土生は何も言わない。続投を強制はさせない。
…ユキから、強い続投の意思を示させるために。
「絶対に抑えます。下がっていて下さい。」
「…だそうだ。もし負けたら、俺を恨め。いいな。」
「は、はい…」
内野4人衆が散っていく。
「…なんで自分を恨め、っていったんですか?
仮に打たれたとしても、責任はあたしにある!」
「プライド高いな。それは結構なこった。でもな、ユキちゃんは野球を始めてまだ日が浅すぎる。
どんな時でも、結局責任はトップの奴が追うって決まってるんだ。…そんな奴になりたいか?」
「はい。」
「それじゃ、まずは目の前にいるあいつを撃ちとるための、作戦を立てるか。
疲れているユキちゃんが、あいつを撃ちとる方法は…」
土生がホームベースに戻り、マスクをかぶる。
(初球、アウトローストレート。球が遅くなってもいいから、ギリギリに入れろ。)
コントロールを気にするあまり、フォームが縮こまらないのが、ユキのいいところである。
腕の振るスピードを少しだけ遅くし、その分フォームに細心の注意を払えば、
「ストライーク!」
(うおっ!…こりゃ手が出ないな。なるほど、球威は落ちても制球はまだ健在って事か。)
(第2球、カーブを…)
「ボール!」
「っと、あぶねえ…ワイルドピッチで同点になっちまうからな…」
変化球が大きく外れ、あわや後逸。
ストレートはともかく、疲労のせいで変化球はコントロールできない。
(なるほど、変化球は入らないか。ならば、ストレートに絞って…)
(3球目、インローストレート。球威が落ちている以上、高めは釣り玉でもタイミングが合ってしまう。
球威が落ちているとアウトコースでも向こうが力負けしない以上、確実にここに入れろ!)
流石にユキは度胸が据わっている。
要求どおりにインローに投げ込む。が、
「いったー!」
「しまった!」
ユキが思わず声を上げた。レフトに高々とあがるボール。
…だが、ボールはポール際、わずか左を通過。
「ファール!」
「あ、危なかった…」
(ち、タイミングが早すぎたか…)
(インローは思い切り引っ張るべき球、プルヒッターの傾向があるこの打者なら、なおさらだ。
球威、球速が落ちている今、引っ張りすぎてファールになるのは必然の流れ…)
狙いはカウントを稼ぐ事、その1点。
佐藤のストレート狙いは土生もしっかりと分かっていたので、あとはカーブをストライクに入れるだけ。
…だが、そう簡単にはいかない。
「ボール!」
(やはりカーブは入らない!)
カーブがまた外れる。これで2−2。
ストレートの威力が落ちている今、ボールカウントを2つ増やす前に、カーブでストライクを取らなければならない。
(カーブは入らない、ストレートだけを…!)
(…。)
5球目。
カーブは入らない、絶対に振らない。その先入観の中で、投げ込まれるカーブ。
当然、手を出すことはない。…たとえストライクに入ったとしても。
(何!?く、バットが…)
ど真ん中、甘く入るカーブ。
だが、バットは、ぴくりとも動かない。
「ストライーク!バッターアウト!」
してやった。
そんな感情を隠しつつ、捕ったボールをその場に放り捨てる土生。
(ま、まさか…カーブがコントロールできないふりをしていた、だけ…!?)
佐藤が棒立ちの中、光陵ナインはベンチへと帰っていく。
「さて、理奈。エースの仕事だ。
1点では追いつかれる可能性は十分にある。追加点を取って、ユキを楽にしよう。」
「え?でも、ラリナは打撃は…」
そう。理奈は全くと言っていいほど打てない。
普通、こういう状況ならリリーフしてくれ、というが、理奈にポイントゲッターを任せるという、傍目には暴挙同然。
「心配するな、ユキ。お前には完投してもらう。
そして、理奈には間接的にプレッシャーをかけてもらう。一緒に来い。」
言われるがままについていく理奈。
ファールグラウンドの一部には、屋外ブルペンがある。マウンドからも見える位置に。
…これを、生かす。
『7番、レフト、青山君。』
「涌井!この回抑えて、最終回逆転だ!」
「おう!」
ドゴォン!
「え?」
理奈が、屋外ブルペンで豪速球を投げ込む。
(こ、光陵にはまだ、あんなピッチャーがいたのか!?)
(て、点を取れるのか?あのリリーフから…)
ブルペンからプレッシャーをかける。
理奈の豪速球から受ける絶望感に耐え、
(お、抑えないと…)
涌井に、何としても抑えないといけないというプレッシャーをかける。
そして、コントロールを乱したスキをついて、打ち込む。
「おっしゃあ、満塁だあ!」
青山、橡浦、赤松が出塁し、ツーアウト満塁。
そして、3番のユキに、打順が回る。
(なによ、結局あたしは、みんなに迷惑かけて、理奈さんの力まで借りてる…)
5点取られ、ゲッツーを喰らい、借りないと決めていた理奈の力まで借りている。
もう何も言う事はないだろう。
(意地でも、打って、見返してやる!)
燃えない、ワケがなかった。
…。
「いやー、最後すごかったなー!あの満塁ホームラン!」
「ホント、土生さんより大きくなかったか?」
帰り道。みんなが自転車や徒歩で集団で帰路に着く。
「別にいいですよ、お世辞は。」
素直になれない。
自分の力のなさを痛快しているから。
…でも。
「初登板で完投、勝ち投手。投球数85球の熱投。極めつけに満塁弾。
それだけやれれば、内容なんてどうでもいい。ユキちゃんは十分、かっこいいじゃないか。」
橡浦の一言。
その一言で、少しだけ楽になった気がした。
「あ、ありがとうございます…」
「ございますは余計だ。疲れてるだろうし、勝ち投手の荷物くらい、持ってやるさ。」
「あ…」
遠慮を口にする前に、橡浦が荷物をひょいと持ち上げた。
「ふーん…言うようになったじゃねえか、あいつ。」
「たまたま結果が良かったから、適当に褒めてるだけじゃないの?」
後ろから橡浦を見ていた土生と理奈。
投げられなかったのか、ユキが活躍したからか、ちょっと不機嫌な理奈が悪態をつく。
「そんな気づかいなんて、まったく必要…」
「橡浦だけは、ユキちゃんを変えた方がいい、と試合中一度も言わなかったが?」
「…!」
橡浦だけは、信じていた。
ユキちゃんと、チームの勝利の、両方を。
もうすぐ家に着く頃。
皆がそれぞれの家に帰り、土生と理奈の2人だけ。
「そういえばさ、次の対戦相手は?」
「次の相手はシードだ。まあ、3分の1はシードなんだけどな。」
「で、でも強いってことでしょ?」
「南海リトル。去年のベスト4だ。」
「…!」
「今日の相手とは実力差から言ってわけが違う。来週の試合は、アタマから行ってもらうぞ。」
今日の試合に出られなかったので、…来週が、自分の、初めてのマウンド。
拳に力が入る。
「ん?家の前に誰かいる…」
「あいつ、確か…」
「優子!」
2度目だっけ、あいつと会うのは。
俺と同じ、キャッチャー、ねえ…
1回戦 光陵リトル 10−5 西部リトル
土生 1打数1安打3打点
ユキ 4打数3安打5打点 6回5失点 防御率7.50
緒方 1打数1安打1打点
橡浦 4打数2安打
山下 4打数2安打1打点
理奈 1打数0安打