「今から出れば十分間に合うね。」
「忘れ物は?」
「無い!」
いよいよ大会当日である。
念を押して開会式1時間半前を集合時間にした。
「でも、プロが使う球場で試合が出来るのかー。」
「3回戦まで進めばな。」
あのラミレーズも戦っている、あの球場。理奈の庭。
開会式は別の球場で行われるので、あの天然芝を踏むためには2回試合に勝たなければならない。
開会式は普通の市営球場で、町のはずれにある。自転車は無論、歩いても間に合う。
「本当は自転車使いたいのに…」
「怪我のリスクは最小限にとどめる。大会の事で上の空になりそうな誰かさんのためにな。」
「むっ!」
膨れる理奈を無視して、玄関で靴をはき。
いよいよ夢の詰まったグラウンドへ出陣。のはずなのだが。
(いいか、あいつらはここを通るはずだ。
この近辺はしっかり見張ってろ!)
(はいっ!)
「…。」
「こんな大事な日に…」
家を出てしばらくして、司馬軍団に遭遇。
どうやらまた喧嘩を売りに来たらしい。今日に限っては喧嘩をするわけにはいかないのだが。
「しゃあない、遠回りだ。」
「間に合わないよ。」
「急がば何とやらだ、あっちだ。」
急がば回り、また見張りに遭遇。
「…勘弁してくれ…こりゃこのあたり一帯は…」
「どうしよう?やっぱり、強行突破?各所に見張りは1人しかいないし、脚はこっちの方が…」
「リスクは最小限、だ。俺たちは喧嘩に自信があるとは限らないから、怪我の可能性もある。
それに荷物があるから逃げ切れるとは限らない。」
「どうするの?」
「どうにもなんねえな。暴力沙汰は嫌だが、ここはもう最後の手段…」
携帯電話をかける。
集合時間はあと40分、ここから球場までは急いでも20分ちょっとかかる。
そのタイムリミットの半分が過ぎたころ、
「速く来て…」
「きたぞ!よし、合流だ!」
強行突破をもくろみ、一気に見張りのところまで突撃する2人。
「し、司馬!あいつらが来た!」
「全員金元のところに行け!」
見張りのところにも援軍が差し向けられ、5人が2人の前を封鎖。だが。
「何の考えもなく突撃すると思ったか?」
「…ぐはあっ!」
「て、てめえは!…ごふう!」
球場からユキが駆けつけてくれた。5人を瞬殺し、急いで球場へと向かう。
早く西小と東小の戦争が終わってほしいと願ってやまない。
もっとも、そんな事になれば確実に2名の小説家が困り果てる事になるので、まず不可能と考えていいだろう。
「はあ…はあ…あそこだ!」
息を切らしながら走った先に、仲間がいる。
…そこに、緒方の姿は、なかった。
「あ…あれ?緒方は?」
「先に入っていきましたよ。精神統一したいとかで。
それより、司馬達は撒けましたか?」
「ああ、サンキューユキ。…今、何時だ?」
「10時半です。集合時間と一緒です。」
「正確に言ってくれ。今何時だ?」
「…10時32分、遅れちゃいましたね。」
やはり遅れてしまった。
もちろん全員事情は知っているので怒ってなどいるはずもないが、
「みんな済まない!」
腰を曲げ頭を下げる土生。それにつられて理奈も土生同様頭を下げる。
胸元が強調され、色っぽい姿勢。
「いえ、そんな。悪いのは司馬達だし、それに集合時間だって
土生さんが念を押して早めにしたんだから、ちょっとくらい遅れたって…」
「…青野、そのいい加減さが命取りになる。
そんな甘い考えが、1分くらい遅れてもいいという考えが、10分、20分と長引くことになるんだ。」
「は、土生さん…」
半ば脅すような目つき特徴で、自らを戒める。
そして、衝撃の発表をした。
「遅刻のペナルティ。
今日は俺と理奈は、スタメン落ちだ。」
「…ええっ!?」
昼食の時も、何を食べたか覚えていない。ただ口に詰め込むだけ。
開会式の時も、何を話されたか覚えていない。まあ聞く気もないが。
それだけ、土生の言葉は衝撃的だった。
彼らがその事で私語をするたびに、
「お前ら、騒ぐな。そう慌てる事じゃない。」
肝心の監督も、
「別にいいじゃないか。あいつに采配すべて任せてるんだ。
筋を通すことは、何ら悪い事じゃない。時間を守らなかったらどうなるか、あいつは身をもって教えてくれた。」
それでいいじゃないか…と言われても、
負けたらすべておじゃんになることが、分かっているのだろうか。
「それでは、スタメンを発表する。」
(ざわ…ざわ…)
「おとなしく聞いてろ!俺は勝てると思っている。
だが、相手を舐めているから、俺自身にペナルティを貸したんじゃない。」
「ど、どういうことですか?」
「お前たちは1か月前とは比べ物にならないくらい成長した、だから俺は安心して、自分のペナルティ課せた。」
「でも…」
「俺への依存心を断ち切れ!お前らは、お前ら自身で野球をしろ!いいな!」
それでも不安という空気を払う事は出来ない。
なぜなら、チームの絶対的な存在が、同じグラウンドに立っていないからだ。
1,8・橡浦
2,6・赤松
3,1・瑞原(ユキ)
4,3・山下
5,5・青野
6,2・白井
7,7・青山
8,4・黒田
9,9・赤星
控え…土生(捕手) 野村(=ラリナ。投手) 緒方(外野手)
相手・西部リトル
1,4・片岡
2,7・栗山
3,6・中島
4,9・佐藤
5,5・中村
6,1・涌井
7,3・石井(義)
8,8・後藤
9,2・細川
「橡浦、山下。」
「はい?」
「お前たちだけは大丈夫のようだな。」
「やれるだけやってみます。土生さんを温存できるように。」
「うん。で、バッティングのいいユキを3番に入れたが、野球そのものには慣れてない。
…お前たちで1点だけでも取ってくれ。今日の相手なら、ユキならそう点は取られないはずだ。」
正直、土生も不安だった。
…これは、優勝を狙うための、賭け。チームを一つにまとめるための、賭け。
「うー、試合に出たいよ…」
(だが、本気の試合でもこの打順を試す価値はある。
理奈を控えに回すことによって全体の打力は向上する。ピンチになったらいつでもリリーフ出来て応用も効く。)
「なんかすごく今失礼な事言わなかった?」
「さあ?
あと、緒方。」
「なあに?」
「…1イニング、守れるか?」
「頑張れば。」
絶対的エースを引っ込めるわけにはいかない、故に代打は出せない。
だからこそ、控えとして温存する。いざとなれば緒方にも守ってもらう。
「…おもしろい。とりあえず、まずは橡浦次第だ。」
『1番、センター、橡浦君。』
大会初日、第1試合が、アナウンスとともに始まりを告げた。
(とにかく出ないと。ユキちゃんと、デカブツにまわさなきゃいけねえ。)
(チビ、俺まで回せよ。)
目線が合わずとも、火花は散る。
負けん気に任せて、初球を振りぬいた。
「おっしゃあ、ライト前!」
「いいぞ橡浦!」
(あのくらいのピッチャーなら、橡浦は打てる。
さて、監督から全ての采配を任されているが…問題は、ユキちゃんがどれだけ抑えられるか…)
ユキがほとんど点を取られないなら、1点を取るために固く行く。
ユキに大量失点の恐れがあるなら、大量点を狙いに行く。
(赤松のあの必殺技はまだ未完成だしな。ここは…)
(了解、バントですね。)
セオリー通り転がし、1アウト2塁。
「ユキちゃん、気楽にね。山下もいるから。」
「ああ、思い切り行って来い!」
ストライクゾーンは、選手の身長によって変わる。
身長差42cmのユキと山下の打順を隣にする事によって、リズムを狂わせるという魂胆でもある。
そして何より、いくらバッティングが良くても野球に慣れていないユキには、気楽に打たせないといけない。
…だが、土生は1つ思い違いをしていた。
(へえ、空手の大会の時と同じ…皆、いい目をしてる。楽しみ♪)
(ん?ユキちゃん、なんか楽しそうだな…)
「ち、女かよ…舐めた真似しやがって…」
「聞こえてるよん♪みんなそうやって油断して…」
ユキは、『大会』という場数は、このチームにいる誰よりも、踏んでいた。
相手との間合い、その場の空気、雰囲気。それらとの付き合い方は、緒方並みにしっていた。
「何!?」
「おっしゃあ!」
「これは大きいぞ!」
「あはっ、飛んだ飛んだ―!」
ユキが余裕の表情で2塁に到達。景気よく先制点。
そして、4番、山下も素人が目の前で打った以上、黙ってはいない。
「うおりああっ!」
特大飛球。だが、ちょっと上がりすぎた。
フェンス直撃のタイムリーツーベース。だが打点を稼ぐという点では、しっかりと仕事をこなした。
その後青野、白井と凡退。2点先制し、守備に回る。
(問題は、空手で培った場慣れが、ピッチングにどこまで通用するか…
メンタル面において、ピッチングの負担は守備や打撃と比較にはならないはず…)
だが、久しぶりの大会を『楽しんでいる』状態のユキ。
固くならずに楽しもう、とはよく言ったものだが、それを実践できる人間もそうはいない。
「ストラックアウト!」
「よっしゃあ、三者三振!」
事前に配球のパターンや簡単なイロハを教えただけで、簡単に抑えられた。
ストレートもかなり早く、カーブもそれなりに曲がる、つまりユキのピッチャーとしての能力がいいという証拠だが、
土生が教えた事をその通りに実践できる白井の飲み込みの速さも、決して無視できるものではない。
ユキのスピードなら何とか捕球できることが幸いだった。何と言ってもコントロールが素晴らしいのが大きい。
リードのしやすさ故、マニュアル通りのリードがそのまま成り立つ。この2人、かなり相性がいいかもしれない。
そのまま2点リードを守ったまま、3回の裏に突入。
「あれ。」
だが、この日初めてのヒットを許してしまう。
…ここから、大きな落とし穴が待っていた。
3連打で1点を失い、ノーアウト1塁2塁。そして、
「よっしゃあ、左中間抜けたあ!」
「帰れ帰れー!」
長打でランナー一掃、逆転。
今まで試合を楽しんでいたユキが、一変した。
(やっぱりか…
急造ピッチャーは、一度打たれるとモチベーションが保てなくなる。
いままでの大会でも負け知らずだったのが、初めて自分の思い通りにならず、やられている。)
ユキの強心臓が、その自信が、裏目に出てしまった。
結局橡浦や赤松の好プレーで救われたものの、この回5失点。
「どうしてだよ土生さん!なんでラリナを出さないんだ!」
「俺たちが遅刻したからだ。」
「そんな事言っている場合じゃねえよ!勝つ気あるのかよ!」
「ある。
そして、俺はユキが抑えられると信じているから、そのまま続投させる。」
「でも打たれてるじゃねえか!」
「結果論に過ぎない。
それに、あの長打以外はそこまでいい打球ではなかったはずだ。」
「それは…」
確かに、打たれたヒット7本のうち、ツーベースヒット以外は不運なあたりも多かった。
それとメンタル面での脆さが、負の連鎖を引き起こしていたにすぎない。
「でも、とりあえずこの点差を何とかしないと…
次は俺からか…俺と変わってください、土生さん!」
「そう焦るな、青山。まだ4回だ。
焦って勝負所を見失っても何にもならない。必ず勝負をかける時は来る。」
「…わかりました…」
この回を確実に捨てる気である。
向こうもエース・涌井がずっと投げているので、この回は点を取らずに、次の回に賭ける。
…だが、この回全く何もしないわけではない。
「青山。とにかくあいつを揺さぶれ。ツーストライクまではバントの構えからバットをひっこめろ。
追い込まれたらストライクのボールをバントだ。ピッチャー前に転がせばどんな形でもいい。黒田、赤星も同じだ。」
「「はい。」」
涌井を徹底的に揺さぶる。
バントの構えから制球を乱させ、球数を投げさせる。追い込まれたらピッチャー前に転がす。
(ちい…姑息な真似を…)
(向こうも、5回の上位打線に賭けるつもりか…)
青山、黒田、赤星、全員が土生の指示通りに動き、球数を投げさせた。
ボールをしっかり見極め、ツーストライクになったらストライクを確実にバントした。
そして、4回の裏は持ち前の強心臓で見事立ち直り、三者凡退。
「この回だ。行ってくれ、橡浦。」
「おう、あんちゃん。」
みんな分かっている。
全てはこの回にかかっているという事を。
『1番、センター、橡浦君。』
自然と手が震えているのを感じた。
それを押し殺し、前に進まなければ、未来はない。