「…もしもし?」
「元気か。」
「監督?…今日は、」
「あれでいいんだよ。」
監督は諸事情を知っている。
…どんな暮らしをしているかまでは、知らないが。
「んー…橡浦と、山下は?」
「すぐに帰った。」
「そりゃあ良かった。ほかの連中は恐らく…」
「ああ。まあ仕方あるまい。」
曲がりなりにも、やる気を出そうとしたのは、褒められたものではないが、
「ですね。」
「そういえば、理奈の親父さん、いつ帰ってくるんだ?」
「さあ。もしかしたら、ずっと居候になる可能性もありますけど。」
「…もう1人、その可能性もある。」
「ん?」
「オヤジ!親父!」
「大丈夫、たすかるから!」
真っ赤に輝いている家。死の光が輝く家。
「く…そ…」
ユキが助けてくれた。
…そして、ユキのせいで、助けられなかった。
「チュウ!」
「…ユキ…」
その先には、呼吸器をつけた両親。
「何も…できなかった…もう少し、早く帰ってれば…」
「ごめんね…あたしの、せいで…」
「何も、言うな…」
泣きつく少女を、小柄な少年が抱き寄せる。
「いた、…ユキちゃん?」
一歩踏み出した理奈の肩に、置かれる手。
「…そっと、しといてやれ。」
「翔?」
回れ右をして立ち去る土生に、トタトタとついていく。
「大丈夫なの?おじさんとおばさん。」
「とりあえず、煙はかなり吸ったものの命に別状はないらしい。
とはいえ、意識が戻るにはまだしばらく時間がかかるらしいがな。」
「そう…」
「俺の事は気にするな。ユキは、巨神に勝つことを考えればいいさ。」
もちろん、気にするなと言われて気にしないユキではない。
「…。」
「うーん、とりあえず、ジュースでも飲もうぜ。」
「あ…」
強めの力で、腕を引っ張られてゆく。
「えっと、自販機は…」
「チュウ?」
「ん?」
「…あなたこそ、大丈夫なの?」
多分、大丈夫だと橡浦は言う。
でも、それは単なる強がりだと思っていい。
「…さあな。」
「え?」
帰ってきた答えの意外さに、あっけにとられた。
「わかってるよ。強がったって、体は正直だ。こんな状態で、試合で活躍できるかは、分からない。
もちろん努力はする。」
「…。」
「でも、俺の状況を考えて、スタメンから落とすかどうかを決めるのは、あんちゃんだ。」
「その調子なら、問題はなさそうだな。」
ジュースを片手に、グイッと一口。
目の前にいるのは、選手兼監督、土生翔平。
「自分の事は、自分が一番よく分かっていない。それさえわかってりゃ、巨神戦は安心して1番を任せられる。」
「はあ。」
「まあ、それでもしだめだとしても、それはもうしょうがない。」
ベストなメンタルコンディションで負けても、誰も文句は言わない。
「さて、俺と理奈はそろそろ学校に戻らなきゃいけない。
そもそも理奈は、仮病で遅刻するって学校に伝えたと来たもんだ。」
同じ東小なら、チームメイトの橡浦の両親の見舞いは十分理由になる。
だが、東小と通じているとバレるわけにはいかない西小の理奈は、橡浦を理由に使えない。
…それにしては、山下と黒田が、見当たらないが。
「そだ、明日から、練習再開すっからよ。じゃあ俺は学校に戻る。
ユキちゃんは、どうする?学校には俺から言っておこうか?」
「…。はい、お願いします。」
そばにいないと。だって、恋人だもん。
病室の窓から、赤い光が差し込んでくる。
「結局、目、覚めなかったね。」
「ありがとうな、付き合わせて。」
夕日が橡浦の両親を照らす。
…寂しさが、にじみ出る。
「そういや、病院には庭があったな。」
「え?」
「…これ。少しだけ、な。」
鞄からとりだした、2つのグローブと、硬球。
この時間帯なら、人はほとんどいない。
「俺も、明日から学校に行くよ。親父と母さんが目ぇ覚ましたら、早退すっけど。」
「うん。一緒に、早退する?」
突然、飛んできたボールが、カーブした。
「!?…もう、なにするのよ、ひどーい!」
「ダメだ、ちゃんと勉強しとけ。」
カーブでお返しする。
ちゃんと読めていたのか、瞬時に反応し、余裕で捕る。
「…カーブ、投げられるんだね。」
「遊びでちょっと投げた事があってな。ま、キレも変化も酷いもんだけどよ。
今のだって、たまたまユキの前に飛んで行っただけだ。」
…。
「…チュウ。」
「ん?」
「1人じゃ、寂しいでしょ?」
「…ま、違うと言えば、ウソになるな。」
ハッキリと言いたくはないが、ユキに対して嘘はつきたくない。
「うちに、来ない?しばらく一緒に、住もうよ。」
橡浦の頬が、2種類の紅に染まっていった。
「なんだあ?チビの奴、せっかく来てやったのによ…」
トム山下と、ジェリー橡浦。山下が土生と一緒に見舞いにこなかったのは、このためだ。
黒田はというと、…ここでは割愛させてもらおう。
「まったく…」
楽しそうなひとときに、ジャマをしてやろうかとも思ったのだが、
「…あれ?」
見覚えのある、違和感のある人影に、そんな気も失せた。
「緒方?緒方さーん!」
「…?」
巨体を揺らしながら、駆けてくる。
正直、衝突してしまった場合の事を考えると…怖い。
「ど、どうしたんですか?そんなに驚いて?」
「…普通、誰だって、少しはおびえるわよ。」
「あ…いや、そうじゃなくて!
緒方さんの学校、ここから結構遠かったはずだけど、なんでチビ…橡浦の事を?」
チビのニックネームは、山下以外には浸透していない。
「…橡浦?何かあったの?」
「へ?」
どうやら、違う要件らしい。
とりあえず、橡浦の両親の事を話す。
「そう…後で一緒に、見舞いに行きましょ。」
「は、はい…で、なんでここにいるんすか?」
「…これ。」
小さな袋包み。
「…弁当?」
「パパがここで働いているの。
仮眠室に泊まる事も多くって。だからママの作った弁当を私が届けるの。」
なるほど、それならここにいても何の不思議もない。
「先にお弁当届けるけど、付き合ってくれる?」
「はあ。」
「か、かな子、お前、いつの間にこんな年上の男の子と…」
「へ?」
医務室にはいって対面して、かな子パパの第一声がこれだった。
「か、彼は、同じリトルのチームメイト。…ちなみに、年下よ。」
「え?あ、ああ、ごめんごめん…」
「い、いえ…」
入室5秒で、気まずい空気。とりあえずお弁当を差し出す。
「ああ、悪い。
しかし、年下の彼氏か…」
「パ、パパ!違うって!」
「え?」
なんか妙にわけがわからない。
とりあえず、全部事情を話さないと始まらない。
「…という事なの。」
「そうなのか。ええと、403、403号室…あったあった。」
患者のカルテを取り出す。
担当医師なのか、はたまた相当立場が上の医師なのか。
「…え?」
「ど、どうしたの?」
全てを知った時、緒方も山下も、声が出なかった。
「伝えるの?」
「いや。あいつ馬鹿だから、両親が目を覚まさなくても、気にも留めないっしょ。」
「…そう。」
山下が、バス停まで緒方を送っている。
「…ごめんなさい。」
「え?」
「…私が、医師の娘で。」
「俺に謝られても。…あいつ、いつまで1人ぼっちなんスかね。」
ケンカするほど、仲がいいとはこの事なのだろうか。
「だけど気になるのは、さっきのキャッチボール見ても、そんなに沈んだ様子がなかったって事だよなあ…」
「でも、じゃあなんで知らないのかしら?」
「さあ?馬鹿だから、言われたことを理解できなかっただけじゃねえか?」
「…そう。」
山下も橡浦も、テスト赤点組。
「でも、もし知っていたら?」
「…巨神と戦わない奴は、光陵失格だ。」
「…そう。」
「大丈夫っすよ。あいつは一応、やるときゃやりますから。」
少しでも緒方を元気づけてあげたい。
「なあに、腑抜けたプレーしやがったら、俺がタダじゃおきません。
もし万が一あいつが医師の娘である緒方さんに逆ギレしたら、俺が張り倒しますよ。ハハハ…」
「あ、ありがと…」
10m先に、光陵リトル御用達のバッティングセンター。
「…つ、次の試合、がんばらないと。」
「え?」
「…今から体作っておく。山下君、手伝って。」
「え?え?」
自然と早くなる足取りと高ぶる感情に身をまかせながら。
風を切るようなスピードで歩を進めながら。
橡浦君の穴を埋められるのは、同じ外野手の私しか、いないから。