〜1日目〜  
 
「よし、全員ドリルは持ってるな?」  
「はーい!」  
 
まだ、あの5人がいた頃に遡る。  
夏休みと言えば、分厚いドリルを想像する人もいるかもしれない。  
 
8月31日が毎年のように地獄だった理奈にとっては、7月中に取り掛かるなど初めてのことだった。  
なお、土生はほぼ全て終わらせている。  
 
大きな机をナインが囲む。  
土生は監視役、その他は机に必死になって向かっている。  
 
「えーっと…全然分かんないよぉ!」  
「黙ってやれ。」  
「えーっ!?ええっと、三角形の面積は、縦がえーっと…3本の線を足すのかな?」  
 
仕方なく理奈の隣に足を運ぶ。  
…隣には、緒方が勉強していた。  
 
「(俺じゃなくてこいつに頼むか。)なぁ、緒方。」  
「…ん?なぁに…」  
「理奈の世話を、…ん?」  
 
不意に、緒方のドリルが目に入る。  
文章題の途中経過の掛け算が、こんな感じだ。  
 
『8×3=83』  
『6×7=67』  
 
「…いや、何でもない。」  
 
〜2日目〜  
 
「はい、あーん!」  
「ユキ…こんなとこで恥ずかしくないのか?」  
 
午後四時。  
練習を終えた彼らが向かう先は、食堂に隣接するカフェテリア。  
 
ショートケーキを一口大にフォークに乗せ、向かう先は橡浦の口の中。  
 
「疲労回復には糖分補給、でしょ?」  
「そういうことを言いたいんじゃねぇ。」  
「あとで、塩分補給もさせてあげるからね。」  
「…むしろお前のせいで欠乏しそうだ。」  
 
二人の好きな行為はシックスナイン。  
互いの塩分が入れ替わるわけだが、差し引き0にならないのは明らかだ。  
 
「そういや、なんで土生さんは練習に参加しないんだろうな。  
 今日の試合でも、ショートを狙え、なんて…」  
「う、うーん。まぁ、なんかあるんじゃないかな?」  
 
大洋との練習試合で、さやかを狙い撃ちにしたのはこのコンビ。  
ユキはスカウティングの事情を知っているが、口外無用を義務付けられているので何もしゃべらない。  
 
「ほ、ほら、それよりさ。  
 昨日行った場所、…今日も行こう?」  
「お、おう。行こうか。」  
 
結局彼らは、合宿終了まで一日たりとも情事を欠かすことはなかった。  
 
〜3日目〜  
 
「あの、あのね。…その。    
 す、好きです!」    
「…えっ?」    
「つ、付き合ってください、チカちゃん!」    
 
エースにのぞき見されているとも知らず、愛の告白タイム。  
新加入が決定したさやかが何よりも嬉しかったことは、自分のグローブを救ってくれた山下と一緒になれることだった。  
 
山下より丈は低くとも、想いの丈は富士の山よりも高い。  
めでたく誕生したカップルは、キャッチボールのため薄暗いグラウンドに向かっていった。  
 
 
「行くよ、チカちゃん!」  
「おう…うぉ。」  
 
あの小柄な体からは想像もつかないほどのキレのある送球。  
兄のDNAを受け継いでいるだけはある。  
 
「…なぁ、君のお兄さんって、どんな人なんだ?」  
「よくぞ聞いてくれました!かっこいいんですよ!」  
「へぇ、どんなところが?」  
「とってもかっこいいんです!」  
「…。」  
 
野球選手なのに、会話のキャッチボールは成り立っていない。  
おとなしい彼女も、我を忘れるほどハイテンションになることもある。  
もちろんそれは、大好きな兄と彼氏の前でのみ。  
 
「でも、うーん…」  
「今度は何?」  
「あのね、あのね。チカちゃんとお兄ちゃん、どっちがかっこいいんだろう。」  
「…さぁ。」  
 
それを決めるのは俺ではなくてお前だろ。  
そんな思いは封印し、軽く受け流してボールを投げる。  
 
「それより、サードでいいのか?確かにショートには赤松がいるけど…」  
「いいんですよ、サードも大好きなポジションです!  
 セカンドの進藤さんがサードにコンバートする前は、お兄ちゃんがサードだったんです。」  
「へぇ…」  
「それに、それに…」  
 
それに、を4,5回連呼して、ボールを投げる。  
 
「一緒にホットコーナー守れるの、すごく嬉しいの!」  
 
バッテリーのカップル、鉄壁の外野守備を誇るカップル。  
それ以外に、ライン際を固めるカップルも、相性は悪くないようだ。  
 
〜6日目〜  
 
「あ、あの、やっぱり、ですか?」  
「ほらほらぁ、脱いで脱いで!」  
 
理奈がいなければ、恵はユキが独り占めできる。  
夕方は橡浦と、そして日が完全にくれてからは恵と。  
小学生にしてこれほどお盛んなのは問題視していいだろう。  
 
「やっぱり大きいなぁ、チュウとは大違い!」  
「あ、あんまり、言わないd…ふあっ!」  
「パイズリ、好きなんでしょ?」  
 
本人に浮気のつもりはない。あくまで彼女の心は橡浦一筋だ。  
けれど、恵に対してだけは、どうしても抑えが効かない。  
 
 
二人きりの時は、ユキは完全に暴走する。  
理奈が居る時はまだマシだが、いない日は決まって、  
 
「あっちゃー…まーたやっちゃったかぁ。」  
 
失神したあとで気付いて、後の祭りである。  
揺らしてみても、ピクピクと動きながら、か細い声で呻くだけ。  
 
橡浦の時は、互いのことを思いやり、心を通わせながらスローペースで情事にふけ、  
ピロートークなどにもかなりの時間を割くのでこんなことにはならないのだが。  
 
「…うーん、ま、いっか♪」  
 
性奴隷相手には、遠慮など、容赦など、一切入る余地はない。  
 
 
〜9日目〜  
 
バッティングゲージで、寂しく響く打球音。  
 
「えいっ…それっ!」  
 
赤松は友達が少ない。  
それは、今の光陵では避けようのない事実である。  
 
〜13日目〜  
 
「…。」  
 
誰とも群れない、孤高の戦士。  
さらりとした彼女の長髪が、河川敷の爽やかな風になびく。  
 
「…。」  
 
明日でこの合宿ともお別れ。  
様々なピッチャーの球を見て、実践感覚は完全に取り戻した。  
 
足の調子もいい。外野守備には付けずかつての走力はないが、盗塁はまだまだ出来る。  
キャプテンに、代走起用を提案してみるのも手かもしれない。  
 
彼女には、確かな自信が芽生え始めていた。  
 
「…。」  
 
明日からは再び孤独な練習が始まる。  
全体練習というのは、どうも彼女の肌には合わないらしい。  
 
時計を見ると、集合時間10分前。そろそろ行くか、と立ち上がる。  
 
 
「…?」  
 
ケータイが鳴る。  
画面を確認すると、懐かしの表示がそこにはあった。  
 
(もしもーし!)  
「…あぁ、ミク?どうしたの?」  
(サエサエから聞いたよー!ほんとに野球やってるんだってねー!  
 ほんっと、あんたって、じっとしてない性格だよねー!)  
 
旧知の知り合いなのは間違いないだろう。  
サエサエとは、恐らくは東小の白瀬紗英と推測できる。  
 
「紅白出場の売れっ子歌手が、落ちぶれモデルに何の用?」  
(そーゆー事いうー?  
 ちょっとそれ、酷いってばー!)  
「まぁそれは冗談だけど。で、何の用?」  
(今度チャリティーコンサート開くんだけどさ。  
 会場にさ、カナっちの小学校はどうかなーって。)  
 
随分と壮大な提案である。  
緒方は、一応担任に提案してみる、と言おうとして、止めておいた。  
 
「うん…いや、紗英の小学校はどうかな。」  
(へぇ、どうして?)  
「なんとなく、ね。あたし、そっちとの方が関わり深いし。」  
(うん、じゃぁサエサエに持ちかけてみるー。  
 ところでさ、野球はどんな感じ?テニスとどっちが楽しい?)  
 
緒方が野球を始めたのは、まだTesraで白瀬と双璧を張っていた頃の話。  
その頃は、モデルとしての快活さを磨くための手段として、熱中していただけだった。  
 
そんなTesra時代、二人の影に隠れていた、二人の親友のモデルがいた事は、誰も知らない。  
 
「野球に決まってるでしょ。」  
(そーなんだぁ、あーぁ、なんかつまんないなぁ。  
 なんでテニスを教えたのに、野球なのかなぁ?)  
「テニス一筋のミクには、野球の楽しさはわかんないでしょうね。」  
(まぁねぇ。テニス楽しいもん。今もやってるよ。ていうか、腕上がったかも。冗談抜きで。)  
「ふぅん?」  
(なんたって、県大会優勝!今度全国大会出るんだぁ!  
 カナっちも、最後の全国のチャンス、逃すんじゃないよ!)  
 
テニスを教えてくれた親友の想いに反し、緒方が得たものは野球の楽しさだった。  
そして、3人はそれぞれの道を歩むことになる。  
 
 
白瀬紗英は、絶妙な肢体を生かした、ローティーンモデルの道を。  
 
緒方かな子は、抜群の運動神経を生かした、野球少女の道を。  
 
そんな二人の親友だという、知られざる秘密を持つ『ミク』は、日本を代表するアーティストの道を。  
 

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