〜〜知られざるストレート〜〜
絶頂を極めた『虹のすきっぷ!』から離れて、半年が経とうとしていた。
わたしの前にそびえ立つ壁は、とても近く、そしてとても高い。
「今月もサエちゃんが1位かぁ。」
「やっぱすごいなー!」
同僚―と言っても、それほど仲が良いわけでもない―が、Tesraの7月号を見て騒いでいる。
いつも、わたしは2位止まり。誰にも抜かれることはない。だが、あと一人を抜くことができない。
やっぱり、すごいと思う。
これだけの色気と、人形のような移ろな表情が、流行に見事にマッチしている。
けれど、こんな真似は自分には出来ない。
なぜなら、虹のすきっぷで培った活発さが、同時に紗英の2番煎じを不可能にする事は明白だったからだ。
…しかし、それよりも心配なことがある。
わたしの望まない形で、1位にランクアップしてしまうことだ。
「あ、サエちゃん!」
「さっすがだよねー!」
売れない双子モデルの祝福の言葉を尻目に、近くの椅子にちょこんと座る…いや、乗っかる。
そんなクールさが、暗さが、ファンを魅了している。それは誰もが分かっている。
けれど、流行が求める廃頽を、『演じている』わけでは無い事を分かっているのは、恐らくそう多くはいないだろう。
紗英もまた自分と同様、ありのままの姿を大衆に見せているだけなのだ。
責任感の強い彼女のことだ。仕事を休むなんてことはしないだろう。
僅かな休息の時は、ソファに倒れ込んでいる…そんな様子も目に浮かぶ。
「テニス?」
「うん、ミクってテニスが趣味だったよね?」
「テニスなんて、趣味じゃないよ。」
仕事帰りに立ち寄るファストフード店。
親友の倖田未來とともに通う、行きつけの店だ。
「テニスは、あたしの命!だね!」
モデルとテニス、どちらが大事なのか。
言っちゃ悪いが、これでは万年ランク外モデルから卒業は出来ないだろう。
顔も普通、スタイルも普通。モデルへの想いも並程度。
「それで、どうしたの?
テニスならいっくらでも教えてあげるよー!」
「そうじゃなくてね…」
虐待同然の生活を送り続ける白瀬紗英。
いつだったか、事務所長の彼女の父親が何度も手を挙げる姿も目撃した。
「紗英、最近ずっとあんな調子でさ。身体も心もボロボロだと思うんだ。
だから、体を動かして、少しでも健康で、ストレスがなくなるようにって思って。」
「いいよ!
カナっちの頼みだからね、聞かないわけにはいかないでしょ!」
元々ミクとは、苗字のあいうえお順が隣同士だっただけの中だが、なぜか向こうから懐いてきた。
他のモデルが『虹のカナたん』として尊敬の眼差しで見る中、ミクだけはそんなの関係なしに懐いてきた。
『カナたん』と呼んだことは一度もない。『カナっち』でずっと通している。
最初は迷惑だったが、何時しか呆れて諦めるようになり、今に至る。
思えば、輝かしい過去を捨てるに当たって、過去を引っ張り出さないランク外モデルの親友の存在はありがたかったのかもしれない。
数日後の土日、彼女にとっては久しぶりの休みが来た。それも連休だった。
最初はテニスに行くことを紗英は渋っていた。当然だろう。
貴重な休みで、体力は限界。一日中ベッドに突っ伏していたいはずだろう。
そんな状態でテニスに引っ張り出しても、健康になるどころか逆効果だ。
が、それくらいでは諦めない。
紗英の母親に合い、父親に連休を取らせる用頼む事にした。
「かな子ちゃん、気持ちはすごく嬉しいし、頼んでみるけど、私が言っても連休は取れないと思うわ。」
「大丈夫です。こちらには切り札がありますから。」
「切り札?」
翌日、わたしの伝言の紙を携えた紗英の母親は、父親に連休願いを出し、了承された。
待ちに待った『Tesra』からのオファーがあったとき、わたしはすぐに了承した。
けれど、足元は見せない。決して安売りをするつもりも、言いなりになるつもりもない。
その時、1つだけ条件をつけたのだ。
それは、虹のカナたんの過去を、一切取り扱わない事。
でなければ、なんのために転向するのかわかったものではない。
向こうにとっては誤算だっただろう。人気を挙げるための、言わば切り札として目を付けたのだから。
だが、人気番組からの人気タレントの引き抜きが容易ではないことも、また事実。
直近に何度も引き抜きを失敗している焦りもあったのか、向こうは承諾した。
狙いは当たり、あたしの過去を触れずとも、虹のカナたん目当てでTesra購入者は大幅に増えた。
それでも、1度として紗英を追い越したことはなかったわけだが。
「はい紗英ちゃん、バック転よろしく!」
カメラの前で、妖精の衣装を身にまとい、バック転を華麗に決めるわたし。
その瞬間を見逃すまいと、カメラが連続でシャッターを切り続けている。
正直、久しぶりのバック転だったが、綺麗に決まったので一安心。
ふぅ、流石に虹のカナたんは、そう簡単には錆びつかないね。
今頃、紗英は母親に連れられてレディースのマッサージ店で疲れを癒している頃だろう。
そんなことを思いながら、久しぶりの虹のカナたんを楽しんでいた。
たまには、過去を引きずるのも悪くはない。甘えだってのはわかっているけど。
喉から手が出るほど欲しかったであろう虹のカナたんを、わたしは引き受けたのだ。
紗英の1日分の埋め合わせをするには、十分な取引材料だった。
「緒方くん、今日はありがとう。
正直なところ、紗英のことに口出しをするのは気に入らなかったが、まぁいい。」
「ご理解ご協力、感謝致します。」
次月号には、『虹のカナたん、今月限りの大復活!』なんて見出しが踊っていることだろう。
もし数年前の8月号を見た人がいたら、こんな過去もあったのかと思いを馳せて見てもいいだろう。
結局その月も紗英が当然のように1位にランクインしていたわけだが。
「…!」
その日の仕事を終え、事務所から出ると、紗英が待っていた。
「ありがとうね、緒方さん。紗英の疲れはすっかり取れたわよ。」
「いえいえ。」
「…ありがと、カナたん。」
「自分の健康管理くらい、自分でしなさい。おかげで、こっちはバック転三昧。」
「…ごめん。」
憎まれ口を叩いてやる。それくらいの報酬はもらってもいいだろう。
案の定紗英はブーたれている。虐めるのはこれくらいでいいか。
「そんじゃぁね。明日は午前10時、遅れないこと!」
「…うん!」
久しぶりに、紗英の笑顔を見られた。
やっぱり、こっちの報酬の方が何倍も嬉しい。
翌日。
付いたのは、スポーツアミューズメントパーク、バビッチャ。
(土生たちも利用する場所と言えば、お分かりだろう。)
「ここかぁ…」
「うん!テニス!テニス!テニスを愛する者の聖地!」
とてもそうは見えない。
確かにテニスコートもあるが、バスケットコートや卓球もある。
「さ、やろやろ!」
「紗英、先にやってきて。わたしは見ておくよ。」
「うん!」
これだけ生き生きとしている紗英を見るのは久しぶりだ。
この状態で雑誌に乗せても、1位は盤石だと考えるのはわたしだけだろうか。
のどかだ。
緑のボールが、ゆっくりと双方のコートを往復している。
あれだけ楽しそうな紗英を見ていると、それだけでお腹いっぱいだ。
「変わろうか?カナたん。」
「いいよ、紗英。楽しんでおいで。わたしはいつでも行けるからさ。」
非常にゆっくりとした動き。楽しむスポーツとしてはちょうどいいだろう。
プロだと200kmを超えるサーブを打つ人もいるらしいが、そんなの信じられない。
どうせ、運動神経抜群の虹のカナたんがスポーツをやるんなら、もうちょっとスリルが欲しいかな。
カキーン!
活きのいい音が聞こえてきた。
なんだろう、この、胸のすくような音。ワクワク感。
思わず、音のした方を振り向いた。
「あれは…」
野球だった。
テレビでも何度か見ているから、野球がどういうものかくらいはわかる。
バットを持った人間めがけて、マシンがボールを放っている。
それを高校生くらいの男子がいとも簡単に打ち返していた。
(すごい…!)
あれだけの速い球を、打つことが出来るのか。
これだ、わたしが求めていた、虹のカナたんが求めていたスリルは。スピードは。
そう思うと、居ても経ってもいられなかった。
「えへへへ、あたしの勝ちー!」
「ふぅっ、容赦ないね。んじゃぁ一旦休憩…あれ?」
「カナっちは?」
「あ、あそこに!」
楽しい。
野球が、こんなに楽しかったなんて。
「す、すごい!こんなに速い球、打ち返してる…」
「えーと、なになに…120km…」
最初は空振りばかりだった。
けど、だんだん当たるようになってきて…今じゃボールが完璧に見える!
「わっ!ホームランボードに…!」
「カナたん、すごい…!
…きゃっ?」
「やぁ、君たち、今暇かい?」
ふぅ、おしまいっと。
さて、テニスコートに戻って…ん?
「は、離してください!」
「いいじゃねぇか。そんなにいいおっぱい持ってるなんて、もったいないぜ。
俺が使い方を教えてやるからさぁ?」
紗英とミクが、高校生くらいの男に絡まれている。
右肩をゴツイ手で持たれ、左胸を指でつんつんつつかれている。
周りの人間に気付かれないよう、もう一人が壁を作りつつ、ミクの口を塞いでいる。
「や、やあっ!」
「だ、誰か…むぐうっ!」
…迷いはなかった。
落ちていた3つのボールを持って、ゲージを飛び出した。
「ははっ、さぁ、行こうぜ!」
「そんじゃまzごほおっ!」
「がっ!?」
頭部直撃。
全力投球をここまでコントロール出来るなんて、自分でもびっくりだ。
とはいえ、伸びているのは一人だけ。どうやらもう一人の急所は外したらしい。
「その子達を離して。あたしの友達だから。」
「か、カナたん…!」
「あぁ?てめぇ、俺とやるってのか、あ?」
残っているボールは、あと1つ。
だが、先程のような不意打ちは出来ない。どうする。
ふと、すぐそばにバットが立てかけてあるのが見えた。だが、バットで殴るのでは接近戦になるから不利。
となると、残された手段は多くない。
…一歩ずつ近づいてくる不良と対峙して、覚悟を決めた。
「…地獄のノック、食らわせてやるよ…」
「あぁん?てめぇみてぇなチビ、ロクな球を…」
ボールを宙に放り、…フルスイング。
打球がどこに行ったかは、さっぱり見えなかった。失敗したのか。
次の瞬間、股を両手で持って飛び上がる男の姿が見えた。どうやら当たり処は最悪の様子。
性的犯罪者には、相応しいオシオキかもしれない。余りにも辛辣だが。
「助かったよ、ありがと!」
「カナっち、そんなに野球うまかったの?」
「ううん、もう夢中で…
…ふふ、けどいいね、野球。最高。」
「えー!テニスは?テニスは?」
それからだった、野球に夢中になったのは。
親にねだってバットとグローブを買ってもらい、学校の休憩時間には壁あてキャッチと素振り。
野球雑誌はチェックし、球場でプロの選手を見るようにもなった。
放課後はモデルの仕事を終えると、家に帰る途中でバッセンで打ち込み。
何時しか、モデルより魅力的なものにも思えた。
そうなったのはきっと、高い壁に挑み続け、それが越えられないものだと悟ったからだろう。
けれど、悔しいとも、もっと頑張ろうとも、いつしか思えなくなった。
やることはやったけど、紗英はすごい、そう思うようになって、潮時かな、と思った。
ちょうど少し前、ミクがモデルを辞めたのも、いい転機だったのかもしれない。
3年の冬に辞表を提出。たった半年間のモデル生活だったが、幸せだった。
「そんな…辞めるの?」
「うん、もう決めたんだ。」
「けど…あたし、あたし、一人ぼっちなんて…」
彼女は泣かなかった。けれど、だからこそその表情はわたしにも悲痛だった。
今思えば、『私の分まで頑張って』という心の中のメッセージが、重荷になったのかもしれない。
わたしが去って、雑誌の彼女は急に生気を失っていったのがよくわかった。
自分自身が、どれだけ心の支えになっていたのか、今になってよくわかる。
『さぁ、みんな行くよー!』
…一方で、ミクが再び表舞台で活躍する日々を迎えるのに、それほど時間は掛からなかった。
顔もスタイルも普通とはいえ、それはモデルでの話。
アイドルとしては十二分の素質を持っていた彼女は、もう1つの素質を持っていた。
それが、カラオケで聞きなれた、歌声だった。
『にっじっいーろのっ!テニッスッコーォトッ!』
客寄せパンダの子供アイドルとしてではなく、実力派アーティストとして大ブレイク。
1年と立たずに紅白の舞台に登場し、老若男女を席巻した。
『歌手は体が資本!』との事で、テニスも続けているらしい。
とはいえ、全国出場するまで実力を伸ばしていたとは、正直驚きだ。
〜〜〜〜
(けど、これで久しぶりに会えるね!)
「それはいいけど、なんてここなの?首都圏からずいぶん遠いし、震災の被災地とも真逆の場所よ、ここは。」
北東方面の被災地のチャリティーコンサートなのに、開催地は日本の西側に位置するここ。
一体どういう趣なのだろうか。
(実は、拠点をそっちに移すんだ。
というのも、この前身体を壊してぶっ倒れちゃってねー!)
「…笑い事じゃないでしょ、それ。」
(過労だって。で、事務所の人が心配りをしてくれてね。
静養の意味合いも込めて、身体が出来上がってくる中学入学までは、拠点を故郷のそっちに移してもらうことにしたの!)
どうやら、Tesra脱退者は、何らかの形で身体が壊れるらしい。呪いかこれは。
とはいえ、客寄せパンダの一時の人気にあやかるタイプではない。活動を抑えても人気が落ちることはないだろう。
多少静養しても、その歌声があれば復活も容易いはずだ。
(見に行くよ、リトルの練習!)
「…そう。それじゃ、ますます頑張らないとね。」
(んじゃ、紗英にもよろしく伝えとくねー!)
…合宿の後も、忙しくなりそうだ。