「はい、…はい…、わかりました、今回の件については…」  
 
合宿から帰ったあとの中井監督は、苦情電話の対応に奔走していた。  
その原因は紛れも無く、あの5人の退団騒動にある。  
 
(一体どういうことです!?  
 息子は、チームにハネにされて、仕方なく出ていったそうじゃないですか!)  
「黒田君には申し訳ないことをしました。  
 ただ、グラウンドには9人しか立てないわけで…」  
(息子を締め出すために、新しい選手をどんどん呼んだそうですが。  
 それって、西村君を連れ去った人達と、何も変わらないじゃないですか!)  
 
光陵リトルは元々、中井監督が大学時代に作ったボランティアサークルが前身である。  
野球を高校で辞めて教師の道を進む為に教育学部に進学したが、  
自分がやっていた野球で子どもたちになにか出来ないかと考え、野球教室を設立。  
週に何日か子どもを集めて野球を教えていた。  
 
その活動が口コミで広がり、子どもの健全な育成を願う保護者たちから子どもを預かるようになった。  
いつの間にか子どもの数は10人を超え、子どもも懸命に練習に取り組んでいた。  
 
だが、リトルのチームではないので、大会には出られない。  
もっと野球に取り組みたいと思う子どもは県下の別のリトルに送り出していた。  
しかし、中井監督と一緒に、仲間と一緒に野球をしたかった、という子どもや親の声も上がるようになっていた。  
 
(あなたに託したのが馬鹿みたいですよ!  
 とにかく、今後は西村くんたちのチームのサポートに回りますから、そのつもりで。)  
「はい、…分かりました。申し訳ございませんでした。」  
 
そんな子どもたちを、一緒にいさせてやりたい、その上で目標を作ってあげたい。  
そう思うようになった保護者達は、中井監督にリトルチーム設立を提案する。  
 
教師の夢や、大学の実習、アルバイトなどから来る忙しさから一度は断った。  
だが、保護者が金銭や送迎のサポートを約束し、保護者会が交渉して大学が特例として単位認定してくれる事になった。  
 
結果、光陵リトルはめでたく発足。  
保護者や大学のサポートを受けながら中井監督はチームの運営、指導に集中できるようになった。  
毎年1回戦負けだが保護者からの評判は非常に良く、結局大学卒業後は隣町の中学に常勤ではなく非常勤を勤めながら、  
光陵リトルが本職のような形となっている。  
 
 
だが、保護者からの信頼がなくなれば、当然チームの存続は危うくなっている。  
それでも、中井監督は負い目から土生の意向を受け入れないわけにはいかない。これが現状である。  
 
「はぁ…どうしようか…」  
 
非常勤の給料などたかが知れている。  
本来なら生計は苦しいはずだが、リトルの月謝の収入で困ることはなく、貯金もある。  
 
当面は、リトルの運営はこの貯金を切り崩すことになるが、いつまで持つかは分からない。  
今年は大丈夫にしても、来年、土生が卒業するまで持ちこたえられるかも分からない。  
信頼を裏切ったことでそれがクチコミで広がれば、新しく子どもたちが入ってくる可能性も無くなるだろう。  
 
土生を勝たせることで、光陵の幕を下ろす。  
現状、これが一番起こりうる現象である。  
 
「…それも悪くないか…」  
 
けれど、今まで過ごしてきた子どもたちとの時間、空間。  
それらが失われてしまうのは、心が痛む。  
土生のために、様々なものを犠牲にすることになるのだ。  
 
「…。」  
 
再び着信音が聞こえてくる。  
はぁ、と一つ溜息をつき、ボタンを押した。  
 
「はい、もしもし中井です。  
 …あ、青野さんですか、ご無沙汰しております。」  
(中井監督、今お時間よろしいですか?)  
「はい、この度は誠に、申し訳ありませんでした。」  
(何をおっしゃるんですか。監督は悪くないですよ?)  
「え?」  
 
どうやら、青野は事情説明をきちんとこなしていたらしい。  
事情が複雑なだけに小学生がそれを行うのは至難の技、そして中井監督は土生をかばっている。  
先程の黒田のように、苦情電話ばかりが掛かって来るのが普通だ。  
 
 
(土生君に押されて、仕方なくレギュラーから追い出したんですよね。)  
「いや、その、全ては僕の…」  
(いいんですよ、監督さんが捨て子だった土生君を思う気持ちはよくわかります。  
 それに、西村君がいなくなっても、土生君がいるから息子は野球をやめずに済んだんですから、土生君を恨む気にもなりません。)  
「それは、その、ありがとうございます。」  
(けれど、やっぱり、監督さんにうちの息子を見てもらいたいんです。  
 内気で家にこもりがちだった息子を変えてくれたのは、ほかでもない監督さんなので…)  
 
長い間培ってきた信頼は、そう簡単に崩れることはないようである。  
 
(黒田くんたちもきっと、監督さんと一緒に野球をしたいはずですよ。)  
「…それなら嬉しいですが、でも…」  
(西村くんたちも、きっと監督さんが好きだから、戻ってこようとしたんです。  
 私たちも最初は西村君たちやお母さんたちを裏切り者だと思ってましたけど、今では反省してます。  
 近々、お詫びを入れに行く予定ですが、できれば同席していただけますか?)  
「分かりました。僕もしっかりと事情説明させていただきます。」  
(助かります。  
 …ずいぶん辛い思いをさせてしまいましたけど、監督さんが間に入ってくれたら、許していただけると思うので…)  
 
どうやらこのために電話をかけたらしい。  
この分なら、黒田たちの保護者への誤解もすぐに解けるだろう。  
 
(…それと、もう1つお願いがあるのですが…)  
「はい、なんでしょうか?」  
(…土生君のではなく、息子たちの光陵の面倒を、見ていただけないでしょうか?)  
「…!?」  
 
 
 
翌日。  
公民館の一室を借りて、西村たち9人とその保護者が同席して、会合が開かれた。  
あらかじめ青野の母親が黒田たちの母親たちに話をつけていたようである。  
 
「本当に申し訳ありませんでした。」  
「いえ、とんでもないです、こちらこそご迷惑をおかけしまして…」  
 
あの電話のあと、黒田自身が誤解を招いていることに気づいたらしい。  
土生は悪くても、監督は悪くないと断言し、誤解は解消された。  
 
西村たちとの間でのわだかまりも解消。  
これで、新生光陵リトルは1つにまとまって再スタートを切ることはできそうだ。  
 
そして、もう1つの大きな本題。  
 
「中井さん、お願いです。どうかこっちのリトルに移籍してもらえませんか?」  
「監督!俺たち、監督とやりたいんだよ!」  
「俺たちが、必ず監督を日本一にしてやるからさ!」  
「私たちも、全面的なバックアップを約束します。  
 来年以降も、引き続き光陵リトルが続くよう、広く子どもたちが入ってくるように宣伝もしますよ。」  
「子どもたちが、安心して野球を楽しめるように、お願いします!」  
 
大きな決断を迫られているなど、土生は知る由もなかった。  
 
連休が終わり、今日から再び光陵の練習が始まる。  
いつも置物の中井監督は、今日は風邪を拗らせて休んでいる、とのこと。  
 
もっとも、最近は土生が全てを取り仕切っているので何も問題はないわけだが。  
 
「よーし…そうだ!もういっちょ!」  
「はいっ!」  
 
集合時間の3時間前から土生が片岡を呼び出し、トスバッティングを続けている。  
低め打ちをマスターすれば、育成スピード次第では秋大会での戦力になる、との判断である。  
 
理奈は長い目で見るように言ったが、あくまで土生の目は秋大会に向いていた。  
 
「これはなんです?」  
「ティーバッティングって言うんだ。ちょっと見てろ。」  
 
細い棒の上に、ボールが置かれている。  
インローにセッティングされたボールを、フルスイング。  
 
「わ!…フェンス超えちゃった。」  
「やってみな。」  
「はい!…そーれっ!」  
 
フルスイング。  
バットは見事にボールを捉え、ぐんぐん伸びる。  
 
「わっ、飛んだ!」  
「おお、なかなかやるな。フェンス超えたぞ。」  
「えへへ、これで赤松君に認めてもらえるかな…」  
(…なるほど。)  
 
理奈と愛の誓いをした効果があったのか、土生も恋愛に関して少しは物わかりが良くなった模様。  
片岡が野球を始めた理由にガテンがいった。  
 
そして、柵超えが出来るほどのパワーは、あの5人にはない長所。  
もちろんまだミートする力はなく守備もボロボロだが、赤松もいい素材を見つけてきたものだと感心した。  
 
「よし、ティーバッティングを続けろ。  
 空振りしてもいいから、全部ホームランをねらえ。」  
「はいっ!」  
 
山下は最近、結果を求めて振りが鈍くなっている気がしていた。  
せっかくのパワーがあるんだから、何も気にせずフルスイングをすればいい。  
 
初心者ゆえの、恐れを知らない強みを知った。  
 
「そうだ、もっと飛ばせ!…ん?」  
 
グラウンドの向こうから誰かがやってくる。  
女子のようだが、理奈でもユキでもない。  
 
「緒方?…もう一人は誰だ?」  
「どうしました?」  
「練習を続けとけ。ちょっと行ってくる。」  
 
他人と群れることを嫌う孤高の鷹。  
それが、全体練習に、ましてやギャラリーを連れてくるなど、滅多にあることではない。  
 
「珍しいな。」  
「悪い?今日からわたし、全体練習に参加するから。」  
「一体どういう風の吹き回しだ?お前に走塁や守備練習は必要ないはずだが。」  
「舐めてもらっちゃ困るわね。守備も走塁も、まだまだあなた達に負けちゃいないわ。  
 ケガの再発が怖いだけで、能力自体は落ちちゃいないわよ。」  
 
嘘つけ、と心の中で悪態を付く土生。  
とはいえ、平均レベルの守備走塁と、さやかに勝る盗塁能力を湛えているのもまた事実。  
 
「まぁいい。そちらさんは?」  
「わたしのモデル時代の友人。こっちに引っ越してきたのよ。」  
「初めまして、あたしの名前は」  
「ああああああああっ!?」  
 
突如として、後頭部を劈くった叫び声。  
何事かと振り向こと、慌てた様子で片岡が駆け寄ってくる。  
 
「こ、こ、倖田未來ちゃんだぁ!」  
「片岡、知り合いか?」  
「あなたねぇ…知り合いも何も、ミクを知らないのは日本であんたぐらいよ、土生。」  
「…へ?」  
 
去年紅白にも出場したニューホープアーティスト。  
今年の出場の内定も勝ち取っており、その実力は本物。  
 
「…お前の過去に、そんなことが…」  
「そう。で、今のあたしを見たくって来たんだって。見学したって別にいいでしょ?」  
「そりゃ構わんが…テニスやってる奴が野球やって楽しいのか?」  
「うん!  
 ね、ね、野球やって見せてよ!ね!」  
「やってみせろって言われても、人数揃わねーと話になんねー。  
 つーか、テニスの全国大会はどうなったんだ?練習しなくていいのか?」  
「昨日終わったんだ。1回戦負けー。  
 けど、テニスの啓発目的もあって、特別枠で来年も出場できる事になったんだ!」  
 
つまり、練習せずとも来年の全国大会には出場できるということだ。  
有名人冥利に尽きる、とでも言えばいいか。  
 
「まぁ、あたしは楽しめればなんでもいいんだけどね!  
 ところで、その子が野村理奈ちゃん?」  
「違うわよ、ミク。土生、その子は誰?」  
「こいつは新入り。赤松の紹介できたのさ。  
 ズブの素人だが、送球がすげぇ。下半身の使い方もうまそうだから、ティーで鍛えてるのさ。」  
「ふぅん。  
 てっきり育成なんかより即戦力を集め続けるものだと思ったけど。」  
「そういい選手がゴロゴロ転がってるわけねーだろ。」  
 
 
その内に、メンバーが続々と集まってくる。  
隣町に住むさやかは、タクローと一緒に自転車で足を運んだ。  
 
「タクローさん!」  
「よぉ。久しぶりだな。」  
「監督さんは?」  
「今日は体調不良でお休みです。どうです、ちょっくら汗を流していきませんか?  
 …おーい、お前ら?」  
 
他の9人は未來に夢中。  
全国制覇の戦士より、今をときめくアーティストの方が何倍もいいらしい。  
 
 
タクローがノッカーとなり、橡浦、山下、さやか、赤松、恵にノックを浴びせる。  
かねてより温めていた橡浦コンバートを早速実行し、久しぶりのセカンドで汗を流している。  
 
あとの4人は、ボロボロのネットに囲まれたブルペンに入った。  
 
「で、何するの?」  
「ユキ、悪いが、マスクをかぶってくれ。理奈、多少力抜いていいから、まず真ん中に投げてくれ。」  
「あ、うん。」  
 
要求通りど真ん中。  
だが、片岡のバットは当たらない上、タイミングも遅れている。  
 
「うー…」  
「素人なんだから当たらなくても当たり前だ。」  
「土生さん、打撃練習より、この子は守備だけでもやらせたほうがいいんじゃないです?  
 秋に間に合いませんよ?」  
「バッティングに光るものがあるから、打たせてるんだよ。秋までにこいつを主力にする。  
 理奈。今度はアウトロー、ギリギリを突いてくれ。」  
 
110kmのアウトロー。  
土生でもそう簡単には打ち返せないコース。  
 
だが、見事にミートし、理奈の横を抜けるヒット性の当たりを放つ。  
 
「え!?」  
「ユキ、こいつが片岡の可能性だ。こいつは低めに非常に強い。  
 野球初心者だからボールのスピードについていけないから、高めには成すすべがない。  
 だが、下半身が強く、膝が柔らかいから低めには対応可能なんだ。」  
 
高めより低めの方が目とボールの距離が遠いので、なれない速球への恐怖感は薄まる。  
それにより目線を固定し、肩を開くことなくボールを仕留めることが可能。  
 
「けれど、低めだったら力負けするのが普通だよね?」  
「さっきティーバッティングを見て分かったが、こいつのパワーは山下並みだ。  
 低めだろうと関係なく飛ばしやがる、だから今の打球もやたらと鋭いわけだ。」  
「じゃ、じゃあ、活躍できますかね?」  
 
とはいえ、ベルトから上の対応力はまだまだ。  
その上、まだフォームも安定していないので、得意の低めでも確実にミートする力はないだろう。  
 
さらに、理奈はまだ全力を出していない。  
 
「…ま、それはこの球を打てるようになってからだな。理奈、低めに全力で投げろ。」  
「うん!」  
「え?今のが全力じゃ…」  
 
3秒後、片岡のスタメンへの希望が、粉々に砕かれることになる。  
 
 
 
「カナっちは、みんなと練習しないの?」  
「わたしは素振りだけしてればいいから。」  
 
タクローの鬼ノックが飛び交う中、緒方は相変わらず素振りを続ける。  
最初の10分ほどは外野のノックを受けていたが、それは身体のキレを維持するためのものに過ぎない。  
 
「…そういうミクも、見てるだけで飽きないの?」  
「うーん、でも、真面目に練習している中に入って、ミス連発ってのもどーかと思うけど…  
 そーだ、一緒に守備やってくれない?服装はテニスウェアだから運動しても問題ないし。」  
「それじゃ、土生に許可をもらってくるわ。一緒に来て。  
 …と、こっちから行く前に戻ってきたみたい。」  
 
片岡の特訓も終わり、ノックを受けるために戻ってきたようだ。  
部外者の練習は正直乗り気ではなかったが、人気アーティストと練習したいという他の連中の強い希望に押し切られた。  
 
センターには、緒方、片岡、そして未來が集まっている。  
 
「まずは打球方向、スピードから落下点を推測し、そこへ走る。  
 落下点に近づくまではボールを見ちゃダメ。」  
「見ないんですか?」  
「そう、とにかく全力でそこまで走る。落下点付近に来たらボールを確認し、立ち位置を調整して捕る。  
 ちょっと見てなさい。」  
 
緒方が手を振り合図をすると、タクローがセンター方向にフライを上げる。  
 
「まずは落下点までダッシュ!近づいたらボールを確認!  
 取る直前でグローブを構える!」  
「はい!」  
「そしてとったら、バックホーム!」  
 
さすがは巨神の元スタメンセンター。  
ボールをとってからの送球も非常にスムーズ。  
 
「す、すごーい…」  
「カナっち、やるぅ。」  
「片岡さん、まずはあなたから。取ったら、土生を目掛けて送球して。」  
 
ボールが上がる。なんでもないセンターフライだ。  
だが、初心者である以上そう簡単に順応するわけもなく。  
 
「え?どこどこ?」  
「右!もっと右!後ろ!」  
「右?で、後ろ?」  
 
ボールが迫ってくる。  
慌ててグローブを差し出す…というより、顔を腕で覆う。明らかに怖がっている。  
 
高いところから猛スピードでボールが落ちてくるので、当然だろう。  
結局、3m手前でボールはワンバウンド。  
 
「きゃあっ!」  
「もたもたするな、返球しろ!」  
「は、はい!」  
 
タクローの横から聞こえる、土生の怒号。  
慌ててボールをつかみ、緒方を真似てステップを踏み、腕を振り抜く。  
 
その瞬間、片岡の肩を知らない選手たちは、全員あっけにとられた。  
 
「!?」  
「うお!」  
 
低弾道の強烈な返球。  
40mはゆうに離れているだろう場所から、あっというまに土生の頭上をボールが通過した。  
正確性には欠けるが、低めを意識させるように練習すればすぐに解消できるだろう。  
 
「よーし、それでいい!捕れなくてもとにかく返球はしろ!  
 もういっちょ!」  
「はい!…今度こそ…!」  
 
2度目のフライ処理。だが、目算を誤り、ボールは片岡のはるか後ろを通過。  
目算云々より、まずボールを正視することすら難しいのだろう。  
 
「わああっ!」  
「いいから取りにいけ、返球しろ!」  
 
慌ててフェンスまで駆け寄り、ボールを掴む。  
そこからステップを踏み、再び送球。  
 
「うわ!」  
「まただ!」  
 
だが、先程の送球がまぐれじゃないと言わんばかりのレーザービーム。  
フェンス際にもかかわらず、今度は土生のすぐ手前でワンバウンドするという理想的な返球。  
 
「す、すげぇ…」  
「フライさえ取れれば、凄い守備力じゃねーか…」  
(これほどとは…巨神でもこんな子は居なかったような…)  
 
緒方ですら内心驚いている。  
だが、たった一人だけ例外がいた。  
 
「でも、取れなきゃ意味ないよねー。」  
「ちょっと、ミク。そういうこと言わない。」  
「土生くーん、あたしにも、強烈なのをおねがーい。」  
「…あぁ、んじゃ行くぜー。」  
 
ご要望にお答えして、鋭いライナー性の打球を放つ。  
だが、臆することなく突っ込んでくる。  
 
「よーするに、これを直接とればいいんでしょ?  
 よっと!」  
(お。)  
 
一目散に守備位置まで駆け抜け、叩くようにグラブでボールをつかむ。  
様になっていた。  
 
「これくらいなんてことないね。  
 右手でラケットを持ってたのを、左手でグローブを持つのが変わっただけ。」  
「テニスと同じ感覚で、行けるものかしら?」  
「遊びで50m離れた相手とテニスしたことがあってね。そのおかげかな。  
 もういっちょどーぞ。」  
 
今度は後ろの方に打球を打つ。  
橡浦でも守備範囲ギリギリだが、迷うことなく落下点まで駆け出し、グラブを差し出して取った。  
ミーハー共が騒ぎ立てる。  
 
「…か、かっこいい…」  
「すげぇ、未來ちゃーん!」  
(ミクって、結構足速かったんだね…)  
 
だが、捕った本人は平然としている。  
これくらい当然、むしろ物足りないといった様子だ。  
 
「なーんか、全然練習した気にならないね。  
 もっと速い球を捕れる場所はないの?テニスみたいにさ。ねえ、カナっち?」  
「…だったら、内野でもやってみれば?  
 セカンドは人材なんだし、試してみていいんじゃない?」  
「セカンド?どこ?」  
 
緒方がセカンドキャンバス付近へ案内し、ゴロを取ったらボールをファーストに投げるよう説明。  
すると、こんな事を言い出した。  
 
「さっきここで誰かがノック受けてたけど…誰だっけ?」  
「ん、あぁ、橡浦のことか。どうした?」  
「そうそう、橡浦君。あの子のような生温いノックはいらないから。」  
 
片岡に対しても、橡浦に対しても、かなり口が悪いようだ。  
本人には悪気はないが、当の橡浦もあんまりいい気はしないようだ。  
 
「…そこまで言わなくても…」  
「まぁまぁ。チュウ、すぐに野球の厳しさはわかるわよ。」  
「あ、始まった。」  
 
少々お灸をすえねばなるまいと、強烈なゴロを放つ。  
だが、何食わぬ顔で右に移動し、バウンドを合わせて捕球。  
 
「!」  
「わー、テニスより速いんだ、野球のボールって!ねぇ、もっともっと!」  
「…まぁ、こんなんじゃ満足しないよな。」  
 
さっきよりも未來のいる位置から遠くに打球を飛ばす。  
未來も瞬時に反応するが、文句なしにヒット性の当たりゆえに流石に取れない。  
それでも、到達まであと1mを切っていた。  
 
「まぁ、流石に取れないか。」  
「…なんですって?もう1度打ってみなさいよ!」  
「たく、ああ、打ってやらぁ。」  
 
未來が定位置についたことを確認すると、今度は逆方向に強烈なゴロ。  
これも文句なしにヒット性の当たり。  
 
だが、未來のなかで、行ける、と確信をもった。  
次の瞬間、打球に向かって飛びつき、思い切りグローブを差し出す。  
 
「!」  
「すげ、捕ったぜ!?」  
「未來ちゃーん、かっこいー!」  
 
超人的な反応速度と瞬発力、俊足。バウンドに合わせてグローブを出す動体視力。  
内野手を担う上で必要な能力全てを持っている。  
 
「いやー、いいねこれ。  
 こんなに速い球、テニスじゃ味わえないよ!」  
「…もういい。俺の負けだ。」  
「えー!?もっと捕らせてよー!  
 …そだ!ねぇねぇ、暇なときは参加していい?」  
「はぁ!?」  
 
どうやら野球にのめり込んでしまったらしい。  
てっきりテニス一筋だと思っていたので、全く予想だにしていなかった。  
 
「ミク…あなたってどうしてそういつもいつも無茶なの…」  
「いいじゃんカナっち、あたしね、こーゆーのやりたかったんだ!  
 ね、ね、いいでしょ?いいでしょ?」  
「…やるんなら、本気でやれ。つーか大会前なんだ、大会に出る気がない奴の面倒を見る気はねぇ。」  
「大会!?出る!出る出る!  
 ねぇカナたん、一緒に全国大会に出よ、ね、ね?」  
 
喉から手が出るほど欲しかったセカンド候補は、とんでもない形でチームに入ってくることになった。  
こうなったからには仕方がない、そう割り切って鍛え上げることにした。  
幸い、もうすでに即戦力レベルのポテンシャルは秘めているわけだから。  
 
 
 
その後、本格的な内野守備練習が始まった。  
さやか、赤松、未来、山下の内野陣が土生のノックを受ける。  
 
「セカン!」  
「よっ、それっ!…あ。」  
 
テニスで必要なのはラケットと足。ボールを投げる動作は必要としない。  
セカンドにも拘らず、殆ど悪送球をしてしまう。  
 
上背のある山下がなんとかカバーしているが、それが通じるのはランナーがいないときだけだ。  
 
「次、ランナー一塁!ボールとったら赤松に投げろ!セカン!」  
 
上背のない赤松が、未來の悪送球をフォローする余裕はない。  
しかも、捕る専門のファーストと比べ、ショートは捕って投げるという一連の動作をこなすため尚更だ。  
 
「ご、ごめーん!」  
「いや、いいよ。初心者だし、仕方ないよね。」  
 
だが、赤松は気にする素振りは見せない。  
…どうやら彼もまた、アーティスト・未來の虜のようだ。  
 
「もう1度、セカン!」  
 
二塁付近に打球が走る。  
未来が取る寸前で、赤松が一声かける。  
 
「トス!」  
 
その声に即座に反応。  
捕球すると走りながらセカンドベース上目掛けて右手でボールをふわりと上げる。  
 
赤松がそれを走りながら素手で掴んで、セカンドベースを踏みながらステップをかけてファーストに送球。  
両者とも1度として足が止まることなく、きれいにゲッツーが決まる。  
 
「すげぇ!」  
「やべぇ、今の綺麗に決まってなかったか、おい!?」  
 
橡浦や山下も度肝を抜かれた。  
当の本人たちに至ってはこの上なく喜んでいる。  
 
「ナイス、未來ちゃん!」  
「まっつん、やるぅ!」  
 
すっかり赤松に馴染んだらしい。  
このプレーを境に、二人の連携は深まっていった。  
 
 
練習後。  
片岡のバッティングセンターに光陵全員で向かっている。  
 
「まっつん、あれ何!?なんか、グローブで投げてたけど。」  
「あぁ、グラブトスの事?」  
「そうそれ!あれ、今度教えてよ!」  
「も、もちろん!」  
(本当に、この子とコンビ組んでたんだよな…あの未來ちゃんに必要とされてるんだ、頑張らないと!)  
 
今目の前で自分と楽しそうに話しているのが、あの倖田未來なんて、夢のよう。  
そう思うだけで心がドキドキしている。  
 
「赤松君、楽しそうだね。」  
「ああ。  
 自分の能力にコンプレックスを抱いていたようだけど、これで解決したろ。」  
「そうだね。  
 …あたし達より、いいコンビかも、ね、翔?」  
 
未來の為に自分がいる、必要とされている。  
そんな赤松には、以前のようなコンプレックスはもう残ってはいなかった。  
 
「ねぇねぇ、テニスやろ、テニス!」  
「え、俺、バッティングを…」  
「やりたいことがあるんだ、早く早く!」  
 
片岡宅、兼バッティングセンターに到着したが、赤松はテニスコートに拉致されてしまった。  
結局、ラケットを持たせられたが、未來の破天荒はここで終わらない。  
 
「…なにやってんの?」  
「え?バッティング練習だよ。バットの感覚つかむには、慣れているテニスでやるのが一番いいと思ってね!」  
 
なんとバットでテニス。  
とはいえ、確かに不慣れな打撃克服のために、テニスを通してバットを扱いなれるその狙いは悪くはない。  
 
「それっ!」  
「うお!?」  
 
…だが、未來にはラケットがバットになろうが変わらなかったようである。  
全国大会1回戦で、大会優勝者を土壇場まで追い詰めた末に敗退した彼女には。  
 
(…。)  
 
楽しそうにテニスに興じる二人を、片岡はただ眺めることしかできなかった。  
寸胴少女の想い人の心は、国民的スターにメロメロだった。  
 

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