『メイド・すみれ 5』  
 
お正月は、津田さんがお雑煮を作ってくれた。  
作っているところを見ると料理本と首っ引きだったので、もしかするとお雑煮を作ったことがなかったのかもしれない。  
秀一郎さんが、お正月らしいことをするように言ってくれたのかしらと嬉しかった。  
年末に秀一郎さんの机の上にも小さい鏡餅を飾り、玄関に門松を置いて、年明けには芝浦さんが破魔矢を買ってきてくれた。  
お屠蘇とお雑煮で元旦を祝い、津田さんから私と芝浦さんにお年玉もいただいて、私はちょっとしたお正月気分を楽しんだ。  
 
そして、再び津田さんが料理本を読みながら七草粥を煮るころ、私は芝浦さんを手伝って今年最初の大型ゴミの回収を準備した。  
大掃除で出たゴミを裏口へ運んでいると、その中ににまだ新しい家電の箱が混じりこんでいる。  
「なんですか、これ?」  
改めて箱を見る。  
「…ホームベーカリー?」  
「ああ、ここにあったのかい」  
一度も使われたことのない、家庭用のパン焼き機の箱を取り上げた。  
「いやあ、懐かしいねぇ。これは、先代の旦那さまのご命令で私が買ってきたんだよ」  
「旦那さま、パンを焼くのがご趣味だったんですか?」  
「いや、坊ちゃん…、今の旦那さまが食の細い人だろう。パンがお好きなら、毎日焼きたてのパンを作ったらもう少し召し上がるんじゃないかって心配なさったんだよ」  
「まあ」  
お会いしたことのない旦那さまが、サンタクロースの扮装をして眠っている秀一郎さんの枕元にホームベーカリーを置いてそっと立ち去る姿を思い浮かべた。  
もっとも、先代の旦那さまがサンタの紛争をしていたのは、秀一郎さんが子供の頃のお話だけど。  
「だけど、これを買って帰ってきたら旦那さまがお倒れになっていてね。もうすっかりそれどころではなくて、そのまま旦那さまも」  
芝浦さんが、ぐすっと軍手をはめた手で鼻の下をこする。  
「パン焼き機もうやむやになったてたけど、こんなところにね」  
「……芝浦さん、私、これでパンを焼いてみてもいいですか?」  
聞いてみると、芝浦さんは驚くほど喜んだ。  
「そうしてあげておくれよ、すみれちゃん。旦那さまも坊ちゃんも、きっとお喜びになるよ」  
 
秀一郎さんが七草粥を食べて、少し寝ている間に、芝浦さんに近くのスーパーへ連れて行ってもらい、付属のレシピにある材料を買ってきた。  
津田さんが興味深々で覗き込んでくるので、ちょっと離れながら粉を計量する。  
すっかり忘れたような顔をしているけれど、どうしても津田さんはちょっと苦手だ。  
数時間後、ホームベーカリーから香ばしいいい香りがしてきて、津田さんが台所をうろうろした。  
「すみれさん、これはどのくらいの大きさでできるんでしょうか」  
私は取り扱い説明書を確認した。  
「一斤と1.5斤でできますけど、今回は一斤焼きました」  
「一斤、といいますと、少しは私にもいただけるでしょうか」  
津田さんがパン好きだとは知らなかった。  
そういえば、時々「またあのピザトーストを作ってくださいませんか」と頼まれる。  
私は思わず笑ってしまい、その声でそうっと台所に顔を出した芝浦さんを手招きした。  
「もうすぐパンが焼けますから、一緒に試食してみませんか」  
いい香りにつられたように、芝浦さんが頭に手を当てながら入ってくる。  
「いいのかなあ、一番に試食なんて」  
「あら、毒見ですよ、毒見」  
私が冗談ぽく言って、芝浦さんが豪快に笑ったところでホームベーカリーが焼き上がりの電子音を鳴らし、私は蓋を開けた。  
「おお、いい焼き色だね」  
苦労して熱々で柔らかいパンを切り分けると、津田さんが真っ先に手を伸ばす。  
「どうですか?」  
まだ湯気の立つようなパンを頬張って、おごそかに噛み締める。  
「……すみれさん」  
だめだったのかしら。  
「はい」  
「……おいしいです」  
そのままくるっと背を向けて台所の奥へ行ってしまった。  
「これはいいね、おいしいよすみれちゃん」  
おいしいと言ったわりにそっけない津田さんの後姿を見送っていると、芝浦さんが言った。  
「きっと、お食事のメニューをパンに合うものに変えるんだね」  
ああ、なるほど。芝浦さんも津田さんも、旦那さま思いなのは一緒なのだ。  
試食したパンは、香ばしくてふかふかして、とてもおいしかった。  
 
秀一郎さんの部屋へ行って、衝立の奥を覗く。  
掛け布団に包まって、秀一郎さんがこっち向きで眠っていた。  
足先でもう冷めているだろう湯たんぽに触れて、ちょっとだけ唇を開いている寝顔が、少し幼く見えた。  
そろそろお目覚めになるだろうと、私は静かにコーヒーの準備を始める。  
電気ケトルのお湯が沸くころ、衝立の向こうで衣擦れの音がした。  
そっと覗きに行くと、秀一郎さんが目を開けていた。  
「お目覚めですか」  
「……うん」  
秀一郎さんがベッドに起き上がり、私が箪笥から出した服をのろのろと身につけた。  
簡単にベッドを整えて部屋の中に行くと、机の上で投げ出した腕に突っ伏している。  
まったく、眠いなら起きなければいいのに。  
コーヒー豆の缶を開けると、いきなり後ろからエプロンを引っ張られた。  
「どうなさいました?」  
身体を起こした秀一郎さんが、近づいた私の腰に手を回してお腹に顔を押し付けた。  
「秀一郎さん?」  
「……いい匂い」  
じいっと上目遣いに私を見上げる。  
「パン……」  
どうやら、パンを焼いた匂いが身体に染み付いていたらしい。  
ふんふんとエプロンに鼻をうずめて、秀一郎さんは顔を上げた。  
「今日は……パン」  
私が答えないうちに、秀一郎さんはすっかりご機嫌になってくすくすと笑った。  
離してもらえたので、コーヒーをドリップする。  
「ホームベーカリーを見つけたんです」  
ポタポタと落ちるコーヒーを見ながら言うと、秀一郎さんが眉を上げた。  
「見つけた……」  
「納戸の奥にしまいこまれていました。先代の旦那さまがお買いになったものだそうですよ」  
秀一郎さんが頬杖をついた。  
「焼きたてのパンなら秀一郎さんも食が進まれると思ったのですって」  
サーバーにコーヒーが溜まる。  
「でも、すぐに具合が悪くなってしまわれて、それどころではなくなって」  
「……で……なんで」  
「大掃除のときに見つけたんです。それで、さっき第一弾を焼いてみました。けっこう美味しかったですよ」  
コーヒーのカップを机に置く。  
いつもならすぐに両手で包むように持って飲むのに、手を出さない。  
見ると、急に機嫌が悪くなっている。  
「秀一郎さん?」  
覗き込むと、細い指が私の頬をつまんだ。  
「……ずるい」  
「痛いです」  
「ず……るい」  
まったく、子どもなんだから。  
「痛いですって。すぐにお食事ですし、その時にお持ちしますから」  
秀一郎さんの手を押さえて顔から引き離したところで、ドアがノックされて津田さんがお食事のワゴンを押してきた。  
津田さんにしては奇跡的なスピードだと思ったら、作り置きしてあったピクルスと昨夜から煮込んでいたシチュー、調理はムニエルを焼いただけのようだった。  
何を出しても興味なさそうにつつきまわすことの多い秀一郎さんが、真っ先に不恰好に切り分けたパンに手を伸ばした。  
「なに……」  
不揃いで多角形のパンは、そうお尋ねになりたい気持ちはわかる。  
「食パンです。焼きたては柔らかくてうまくスライスできなかったんです」  
秀一郎さんが、口に入れる。  
細かなきめに沿って裂けた生地が、秀一郎さんの口元と手元で分かれる。  
小麦の香りが鼻をついたのだろう、そのまま嬉しそうに目を細めた。  
ただ食べやすくてお腹が膨れるという手っ取り早さだけじゃなくて、本当にパンがお好きなのだ。  
 
「いかがですか?」  
副菜のお皿を並べて、聞いてみる。  
「……これ……は、すごく……たいへん」  
「いいえ、分量を量って入れたら、機械がこねて焼いてくれるんです。3時間かそこらですよ」  
「たくさん……」  
「すみません、私たちも食べてしまいましたので、もうこれだけしかないんですけど」  
「あした……」  
「はい、明日また焼きます。今度は丸ごと持ってきてお見せします」  
秀一郎さんの表情がとろけそうになる。  
この方、こんなお顔もなさるのかしら。  
「説明書を見たらいろいろできるんです。レーズンやクルミを入れたり。あと生地を途中で取り出して成型して、調理パンや菓子パンもできるみたいです」  
「……できる……」  
「やってみます」  
パンばかり食べる秀一郎さんの手にスプーンを握らせて、シチューも食べていただく。  
驚くほどたくさん召し上がった秀一郎さんが、あくびをした。  
「いっぱい……」  
苦しいのか、胃のあたりを手をさすっている。  
こんなに食の進んだ秀一郎さんを見るのは私も初めてで、少し嬉しくなった。  
明日もまたパンを焼こう。  
レシピをいろいろ調べて、変わりパンにも挑戦しよう。  
たくさんたくさん焼いても、きっと津田さんも芝浦さんも喜んで食べてくれる。  
そう思うとわくわくしてきた。  
このお屋敷に来て、こんなに張り切ったことはないかもしれない。  
 
お食事のお皿をワゴンに片付けていると、満腹になった秀一郎さんが机の上で何かごそごそしている。  
ちらっと見ると、パソコンで打ち出したような表。  
お仕事の忙しさは一段落したようだけれど、まだなにか急ぎのものでもあるのかしら。  
「また……粥」  
ガッカリしたように秀一郎さんが呟いたので、私は思わずその表を覗き込んだ。  
一年分のカレンダーのようだけれど、ところどころに二十四節気のようなものが書き込んである。  
一月一日はお雑煮、七日の今日は七草粥で、ここまでは横線で消してある。  
その後は鏡開きと小正月で、『小豆粥』と書いてある。  
またお粥、という不平はここから出たのかしら。  
カレンダーには季節ごとにぎっしりと、洋の東西を問わずに毎月の伝統的イベントがピックアップされ、12月のクリスマスと大晦日まで続いていた。  
秀一郎さんは、今年はこれを全部やるおつもりなのかしら。  
私のために?  
夜中に秀一郎さんが書斎でこの一覧表を調べて、パンの日がないと嘆いている姿が想像できるようで、私はおかしくなった。  
「あ、節分がありますよ。豆まきもなさるんですか」  
聞いてみると、秀一郎さんは表の紙を置いて頬杖をつく。  
「あれは……、痛い」  
笑ってしまった。  
「秀一郎さん、鬼をやってくださるんですか」  
ふざけて聞くと、秀一郎さんが小さく私を手招きした。  
近づくと、また頬をつままれる。  
「いたいれふって」  
「豆も……、痛い」  
頬をひっぱったまま、秀一郎さんが不満そうに言う。  
節分には、秀一郎さんに鬼の面をかぶせて豆をぶつけてみようかしら。  
その後で、むりやり歳の数だけ豆を召し上がっていただこう。  
 
それから、私は毎日パンを焼いた。  
焼きたてのパンだと確かに秀一郎さんはよく召し上がってくださるけれど、その分他のものを召し上がらなくなる。  
それで、パンの中にハムやサラダを包んでみたり、野菜やフルーツを練りこんでみたりと工夫する。  
津田さんと芝浦さんも喜んでくれるので、ホームベーカリーは一日二回のフル活用をされていた。  
秀一郎さんは、ちっとも太ってはくださらなかったけれど。  
その日は、月に一度編集部の小野寺さんが見える日だった。  
ほとんどの編集者は秀一郎さんを苦手にしていて、メールや郵便でだけやり取りしている中、小野寺さんだけは月に一度必ずやってくる。  
その日もばっちり決まったスーツ姿で、これでもかと巻いた髪。  
出したコーヒーを飲みながら仕事の話を一通りしゃべり、いつものように返事ひとつしない秀一郎さんに話しかける。  
「先生、すみれちゃんのことはずいぶん気に入ったみたいじゃないですか。もう三ヶ月ですよ」  
ちらっと秀一郎さんを見ると、全く聞こえていないようにパラパラと届いた雑誌をめくっている。  
いつものことだけれど、小野寺さんも辛抱強いなと感心する。  
そのうち、思い出したように秀一郎さんが机の引き出しを開け、クリアファイルに挟んだ書類を私に向けて差し出した。  
それを受け取って渡すと、じっと見ていた小野寺さんが真面目な顔でふうっと息をついた。  
「……お預かりします。珍しいです、先生のほうから企画を提案していただけるなんて」  
ファイルをアタッシェケースにしまって、小野寺さんが身を乗り出した。  
「編集部の近くに、人気のあるおいしいパン屋があるんですよ。先生がお好きでしたら、今度いくつか買ってきましょうか」  
パンには目のない秀一郎さんだ、これは初めて返事が聞けるかもしれない。  
予想通り、秀一郎さんは顔を上げて小野寺さんを見た。  
「すみれが、…焼く」  
私はちょっと慌てた。  
小野寺さんがおいしいというくらいだから、きっと有名なパン屋さんなのだろうし、おいしいに違いない。  
私がホームベーカリーに生地をこねさせて焼くようなパンなんか、コーヒーメーカーで淹れるコーヒーと同じじゃないのかしら。  
ちょっとプライドを傷つけられたような小野寺さんの顔を見て、私は慌てた。  
「…わかりました。ではこの企画は持ち帰らせていただきますね。またご連絡差し上げます」  
小野寺さんが立ち上がり、私は廊下まで送った。  
「すみれちゃん」  
小野寺さんが私の腕を引っ張って顔を近づけた。  
「先生に気に入られるのはいいけど……、辞めるタイミング間違わないでね」  
長い爪の手を振って、小野寺さんは階段を降りて行く。  
悪い人では、ない。  
部屋に戻ると、秀一郎さんは空になったコーヒーカップを見せてお代わりを要求してきた。  
そろそろ、お夕食用のパンの仕込みに入らないと。  
「秀一郎さん、お休みになりますか」  
聞いてみると、斜め下から見上げてくる。  
「邪魔……」  
別に邪魔だから寝てくれと言っているわけではないのに、拗ねられてしまった。  
「そうだ、秀一郎さん、パン屋さんに行きませんか」  
お代わりのコーヒーを飲みながら、秀一郎さんが眉間にしわを寄せる。  
「……焼かないの」  
そういえば、さっきとても自然に秀一郎さんは私を『すみれ』と呼んだような気がする。  
パンは、すみれが焼くからいらない。  
脳内で足りない単語を補充して繰り返して、私はちょっと顔が熱くなる。  
「いえ、焼きますけど、スーパーへ行く途中にいつも混んでるパン屋さんがあるんです」  
「……」  
「市場調査もかねて、行ってみませんか。新しい種類のパンのヒントになるかもしれないと思うんですけど」  
「……新しい」  
「はい。中に入れるものとか、挟むものとかのアイディアに」  
「……いつ」  
本当に秀一郎さんが行くとは思っていなかったので、ちょっとびっくりした。  
ぐずぐずしていたら、気が変わるかもしれない。  
私は洋箪笥から一度も出したことのないコートを引っ張り出した。  
「行きましょう、芝浦さんに車を出してもらって、今から」  
「い……ま」  
「ほら、行きましょう!」  
このお屋敷にお勤めして三ヶ月、初めて秀一郎さんがお屋敷から、この部屋から外へ出る。  
強い太陽の光を浴びて溶けてしまわないように、チャンスは冬にやってきた。  
食も細く運動らしい運動もしない秀一郎さんが、部屋に閉じこもって健康的に太れるわけなんかないのだ。  
驚く津田さんや芝浦さんをよそに、私は秀一郎さんを車に押し込んでパン屋さんまでやってきた。  
片道わずか5分、秀一郎さんの大冒険だった。  
 
午後の時間だというのに、パン屋にはけっこうお客さんがいる。  
私は自動ドアの前でためらう秀一郎さんの背中を押して、店に入った。  
店の中はパンの洪水。  
混雑を見越したのか、焼きあがったパンがどんどん棚に並べられ、奥の調理場からいい香りが流れてくる。  
女の人ばかりのお客さんの中で、流行の過ぎた長いコートをぞろっと着た背の高い秀一郎さんはひどく目立った。  
それに気づかないように、秀一郎さんはひきつけられるようにパンの棚に近づく。  
私は急いでトレーとトングを取りに行き、他のお客さんたちの間に入っていく秀一郎さんとの距離が開いた。  
秀一郎さんはずっと順番に棚を見て行き、ところどころで試食までしている。  
もうパンしか目に入っていらっしゃらない。  
それがおかしくて、私は離れたまま秀一郎さんを見ていた。  
一ヶ所で足を止めた秀一郎さんが、また試食している。  
うつむき加減にパンを食べ、それから顔を上げて店内を見回した。  
レジに並んだお客さんの影にいた私は、通路が狭くてそばに行くことができない。  
私を探していらっしゃるのか、秀一郎さんが途方にくれたような顔になる。  
もしかして、もしかしてこのまま隠れていたら。  
私が見つからなかったら、秀一郎さんはまた。  
どきどきしながら、そっと身をかがめて小さくなる。  
そして。  
「……すみれ」  
お呼びになった。  
呼んでくださった。  
秀一郎さんが、私を呼んでくださった。  
ねえ、でも、あなた、でもなく。  
――――すみれ。  
それが、どうしてこんなに嬉しいのだろう。  
私は迷惑そうな顔をするお客さんをかき分けて、秀一郎さんに駆け寄った。  
「……これ」  
指差したのは、今試食したらしいパン。  
りんごやレーズンを生地でぐるぐると巻いて、アイシングをかけた菓子パンだった。  
これが、おいしかったのだ。  
私はそのパンをトングでつかんでトレーに乗せる。  
「焼ける……」  
秀一郎さんが、心配そうに私を見る。  
つまり、秀一郎さんはこのパンを買いたいのではなく、これと同じようなパンを私に焼いて欲しいのだ。  
私は秀一郎さんに笑顔を向けた。  
「食べてみて、研究します」  
そのあとも、秀一郎さんは店内を2周して、いくつかのパンを選んだ。  
その他に、生地の種類や具材にするものなどで参考になりそうなものをチェックして、私はトレーに山盛りのパンをレジに運んだ。  
車で待っていた芝浦さんがその大荷物に驚き、自分のお腹を叩いた。  
「これでは、旦那さまより先に私らが太ってしまいますね」  
秀一郎さんは、膝の上にパンの入った紙袋を抱えて、そこから上がってくるパンの香りに至福の表情を見せている。  
 
パンを買っただけで満足なさった秀一郎さんは、久しぶりの外出にお疲れになったのか、お屋敷に戻るとすぐにお休みになった。  
台所に戻ると、津田さんが買って来たパンを並べていた。  
「……旦那さまが外出なさったのは、半年前に髪を切りにいらして以来です」  
半年振り、というのに驚くより、髪は切りに出かけるんだ、というほうがちょっと意外だった。  
それから二人で、いろいろなパンを少しずつ試食して、生地にバターが多いとか層になっているとか分析してはメモを取った。  
とりあえず、今夜の分として生地作りの段階で手を加えたデニッシュパンに挑戦してみようということになった。  
ということになった、というのは、今まで基本的にパン焼きは私一人にまかされていたのが、津田さんがものすごく意欲的に参加を表明したせいだ。  
私はパンの食べ比べですっかり満腹になってしまい、ホームベーカリーが焼きの工程に入ったところで津田さんはふっと笑った。  
「旦那さまが、お仕事以外でこんなに興味を持たれたのは初めてかもしれません」  
心なしか、津田さんも嬉しそうだ。  
私は気になっていたことを聞いてみた。  
「津田さんは、こちらは長いんですか?」  
津田さんの態度は、ただの主人思いとか忠誠心といったものとはすこし違うような気がする。  
「……ええ」  
津田さんはそっけない返事のあとで、壁の時計を見上げる。  
いけない、パンに夢中でずいぶん時間がたっている。  
秀一郎さんはもうお目覚めかしら。  
「焼けたら、出しておいて下さいますか」  
慌てて立ち上がった私を、津田さんがまっすぐ見た。  
メガネの奥の目が、私を射る。  
「すみれさん」  
「は、はい?」  
「旦那さまを、お願いします」  
「……はあ」  
その言い方がなんだか深刻で意味ありげで、私は津田さんから目をそらしてそそくさと二階へ行った。  
 
「遅い」と怒るかと思っていたら、秀一郎さんはまだ眠っているようだった。  
たった30分の外出がよほど疲れたのかしら。  
小野寺さんが帰ってすぐに出かけたので、秀一郎さんの机の上が乱雑になっている。  
私は音を立てないように机の上を片付けた。  
秀一郎さんの書いたものが載っている雑誌やパンフレットをまとめて重ね、お仕事のスケジュールが印刷された紙をそれぞれクリアファイルに入れる。  
結構な高さの紙の山ができ、これでは秀一郎さんがお食事をするスペースが狭い。  
できれば書斎に運んでしまいたい、と思って書斎のドアを見た。  
書斎に『昔の文豪の亡霊が出る』という小野寺さんの怪談が本当か嘘かわからないけれど、津田さんに『鶴がいる』とからかわれてもいるし。  
「気になる……」  
ふいに秀一郎さんの声がして、私は振り返った。  
「あ、お目覚めですか」  
衝立に手を掛けて全裸で立ち尽くす秀一郎さんに、急いで着るものを用意する。  
私が手渡したシャツに袖を通しながら、秀一郎さんがあくびをした。  
 
「気になる……の」  
「はい?」  
「……見てる」  
それが書斎のことだと気づいて、私は口ごもる。  
「いえ、あの」  
こうやっていつまでもグズグズ考えているから、気味悪く思えるんじゃないのかしら。  
「怖いもの見たさというか。あけてはいけない玉手箱は開けたくなるというか、恩返しは覗きたくなるというか」  
しどろもどろでそう言うと、秀一郎さんはくすっと笑った。  
「……よかった」  
くす、くすくす。  
「はい?」  
秀一郎さんはベッドを整える私に手を伸ばした。  
「……きゃっ」  
やられた。  
油断した私のお尻を撫で上げて、秀一郎さんはまだくすくす笑っている。  
「なんですか、もう」  
「……薄気味…悪いと思ってる…」  
「はい?」  
「私じゃなくて……書斎」  
私が気味悪がっているのが、秀一郎さんではなくて書斎なんだとわかって喜んでいらっしゃる。  
笑われたのが悔しくて、私は秀一郎さんの背中に向かっていーっとした。  
秀一郎さんなんか、ちっとも薄気味悪くなんかない。  
ちょっと言葉が足りなくてゆっくりで、わがままで偏食でやせすぎなだけじゃないですか。  
あと、その、すごく、その、そっちが。  
撫でられたお尻がむずむずする。  
わずかな運動と少し長めの睡眠で元気になったのか、秀一郎さんはご機嫌だ。  
机に向かってコーヒーを飲みながら、しきりに私に視線を投げてくる。  
それを無視していると、また手が伸びてきた。  
ぱっと手に持ったトレーでガードすると、またくすくす笑う。  
思わず、秀一郎さんに向かっていーっとした。  
節分に豆で鳥を追い払う。  
違う、なんていったっけ、こういう顔。  
そうだ、鳩が豆鉄砲をくらったような顔。  
秀一郎さんがその顔で私をまじまじと見た。  
はっとして口を押さえたけれどもう遅い。  
メイドが主人に向かって歯をむき出してしかめ面をするなんて、言語道断。  
「す、すみません」  
慌てて謝罪すると、秀一郎さんは下げた私の頭に手を乗せた。  
「あなたは……」  
ぽんぽん、と頭を叩かれる。  
恐る恐る顔を上げると、秀一郎さんはコーヒーを飲んでいた。  
「……すごく……元気になった」  
え?  
「はい?」  
聞き返したけれど、秀一郎さんはもう返事をしてくださらず、うっすらと微笑んでコーヒーをおかわりした。  
元気になった?私が?  
元気が、なかった?  
どうしてかしら、何が変わったのかしら。  
私はうつむいて、自分の桜模様のカップにもコーヒーを満たした。  
前のお屋敷のことを思い出す回数が、減ってきているかもしれない。  
それはこのお屋敷の、秀一郎さんのおかげなのかしら。  
「……ご相伴よろしいですか」  
お尋ねすると、おかわりを受け取った秀一郎さんが、カップを机に置いてのそっと立ち上がる。  
どうするのかと思ったら、ふらっと書斎のドアに近づいた。  
昼間、秀一郎さんが書斎に入るのを見たことがない。  
 
書斎のドアを押して中に入ると、秀一郎さんはすぐに小さなスツールを抱えて出てきた。  
貧弱な秀一郎さんが抱えると、スツールはやけに重そうに見えた。  
私は急いで秀一郎さんに手を貸した。  
秀一郎さんは転がすようにそのスツールを机の隣に置いた。  
それから、片手で座面の埃を払う。  
「たぶん……、きれい」  
私の肩に秀一郎さんの両手が置かれ、ぐいっと押される。  
スツールに腰掛けた私に、秀一郎さんが桜模様のコーヒーカップを持たせてくれた。  
「……どうぞ」  
長い。  
ご相伴よろしいですか、とお聞きしてから、お答えまでが長すぎる。  
それがおかしくなって、私はぷっと笑った。  
つられたように、秀一郎さんもくすくすと笑った。  
「ねえ……、これを飲んだら」  
「そうですね、そろそろパンが焼けると思うので、私は台所へ行きますけど」  
「……」  
秀一郎さんが笑顔を引っ込めた。  
パン、という呪文の通用しないときがあるのだと思うと、またおかしくなった。  
「おなかすいてないですか」  
「……ねえ」  
しつこくお誘いをかけてくる。  
「ごっ、ご自分でなさればいいじゃないですか」  
わざと意地悪な言い方をすると、秀一郎さんはすっかり拗ねたような顔をする。  
でも、だめ。  
私には、わかる。  
本当に拗ねたときと、拗ねたふりをしているときは、顔が違うんだから。  
ほら、もう笑い出しそうになっていらっしゃる。  
今度は、私がつられて笑ってしまった。  
「いじわる……にも……なった」  
くすくす笑いながら、秀一郎さんが椅子をくるりと回して私と向き合った。  
スツールは低いので、私は秀一郎さんを見上げる。  
細くて冷たい指が、私の頬を両側からつまむ。  
生意気なことを言ったお仕置きかしら。  
痛いです、と言おうとしたら今度は手の平で頬を挟まれた。  
秀一郎さんの顔が、近づいてきた。  
ベッドではないところで、キスをされるのは初めてだった。  
いつも少し冷たい秀一郎さんの唇や手の平が、私の体温で暖まる。  
「……んっ」  
唇を押し付ける力を緩めて、秀一郎さんはくすくすと笑う息を吹きかける。  
両手で頬を挟まれていて逃れることも出来ず、私は視線だけをそらす。  
秀一郎さんは私が変わったとおっしゃるけれど、秀一郎さんだってお変わりになった。  
私がここに来たころは、ベッドに寝ているか机に向かってお食事をなさったりコーヒーを飲んでいるかで、あとはぼーっとしてらした。  
たまに、してくるとかしてくれとかおっしゃるだけで、なんにもなさらなかった。  
それが、小正月や節分の心配をしたり、パン屋まででかけたり、スツールを出してきたり。  
たったそれだけだけど、それだけのことだけど。  
「しゅ……」  
コーヒーカップを持っているのでもがくわけにもいかず、私は唇の端や鼻にもキスされながらじっとしていた。  
嬉しそうに、ちょっと笑いながら、ご機嫌で秀一郎さんは私にキスをする。  
何が楽しいのか、おかしな方。  
秀一郎さんの座る椅子のキャスターが転がって距離が縮まり、私の脚を秀一郎さんの膝が挟む。  
そっと手に持ったカップを机に置こうとして手探りで場所を確認すると、さっき積み上げた雑誌が崩れてしまった。  
「あ」  
私が声を上げ、秀一郎さんも私の顔から手を離した。  
崩れた雑誌は秀一郎さんの脚にぶつかり、床に落ちる。  
 
「あ、すみません、大丈夫ですか」  
カップを置いて、床に落ちた雑誌を拾うためにスツールを降りて膝をついた。  
生活雑貨と部屋づくり、みたいな分厚い月刊誌。  
この角が当たったりしたら、痛かったのではないかしら。  
顔を上げて、目の前にある秀一郎さんの脚に触れてみる。  
痛かったですか、と聞こうとして口を閉じる。  
んもう。  
なぜ、もうそこを膨らませてらっしゃるのかしら。  
雑誌の角をそこにぶつけてやったら、さすがの秀一郎さんも……。  
そんなことは、しないけれど。  
立ち上がって、机の上の崩れた雑誌を積みなおす。  
本になる前の試し刷りのような紙が、小野寺さんのいる出版社の週刊誌に挟んである。  
秀一郎さんの書いた記事。  
『日々是麺麭』。  
なんて読むのかしら。  
『……家人が言うには、ハムとマヨネーズは非常によく合う。麺麭にも合うと…』  
『麺麭』がわからないので、意味がわからない。  
私が床に屈んだまま動かないので、秀一郎さんがひょいと上から覗きこんだ。  
「パン……」  
声を掛けられて、私はびっくりして顔を上げた。  
「はい?」  
「パン」  
ああ。  
『麺麭』は、パンと読むのかしら。日々、これ、パン。  
『嘘か真か疑っていると、家人はハムとマヨネーズの麺麭を焼いてきた。丸い肉まんのような形で、生地の中にハムとコーンが巻き込んであり、上部にマヨネーズ……』  
文章は、そのパンが予想外に美味しく、ふたつも食べてしまったこと、『家人』がひどく得意げだったことなどが綴ってある。  
――――おいしいパン屋さんがあるんですよ。先生がお好きでしたら。  
――――珍しいです、先生のほうから企画を提案していただけるなんて。  
もしかして、秀一郎さんが小野寺さんに持ちかけた企画ってこのエッセイの連載なのかしら。  
私が毎日焼くパンのひとつひとつについて、エピソードを交えてちょっと笑えるような文章になっている。  
大の男が、パンをふたつも食べたと得意げに語っているのがおかしくて、私はぷっと笑ってしまった。  
「……なに」  
頭の上で、秀一郎さんの声がする。  
「ここに出ている『家人』ってどなたのことですか」  
「……」  
「なんて読むんですか。いえにん?かじん?けにん?」  
秀一郎さんの書くものは難しくて困ります、と言うと、秀一郎さんは私のおいた桜模様のカップを取り上げてコーヒーを飲んでしまった。  
「それ、私のです」  
指摘されて、秀一郎さんが不機嫌そうに顔をしかめた。  
「そうですか、パンにマヨネーズはあんなに合わないって言い張ってらしたのに。美味しいなんて一言もおっしゃらなかったじゃないですか」  
「……かっ」  
「か?」  
秀一郎さんが小さな声で呟いたので、私はちゃんと聞き取ろうと顔を近づけた。  
「……くやし…かったから」  
仕方なさそうに小声でおっしゃる。  
パンを焼き始めて間もなく、私は調理パンにも手を出した。  
生地にスライスハムやコーン、タマネギを巻きこんで、表面にマヨネーズを搾って焼く。  
レシピを見せると秀一郎さんは気乗りしないように首を振った。  
パンにマヨネーズは合わない、と。  
タマゴをマヨネーズで和えたり、ポテトサラダだったり、パンに合うものはたくさんありますと言っても聞く耳持たない。  
それで、じゃあ試しにとハムのパンを焼いた。  
その日のパンはそれだけだったので、秀一郎さんはなにもおっしゃらずに小さな丸パンをふたつ召し上がったのだ。  
「食べてみたら美味しかったけど、合わないと言った手前、悔しかったから黙ってらしたんですか?」  
不機嫌そうな秀一郎さんが、両手を伸ばしてきた。  
「……やふあはりでふ」  
頬をつまみあげられて、私は苦情を申し立てた。  
「いい……。チョコも……好きだから」  
チョコチップのパンも好きだから、ハムのパンを焼いてくれなくったっていいんだ。  
そう言って、今度は本気で拗ねる。  
まったくもう、秀一郎さんときたら。  
 
私の顔を横に引っ張ったまま、秀一郎さんがいーっとした。  
私が秀一郎さんにしたように、口を横に広げて、歯をむき出して。  
肉の薄い頬に、皮がよってしわになる。  
あんまりのことに私はきょとんとして秀一郎さんを見つめ、それからおかしくておかしくて、お腹を抱えて笑った。  
秀一郎さんもくすくすと笑う。  
つねっていた頬を撫でてくださる。  
そのまま、顔が近づいてくる。  
「……して、くれる」  
気のせいか、膨らみがいっそう大きくなっている。  
 
 
私を立たせたまま、秀一郎さんは耳を噛む。  
メイドの制服を床に落とし、肩や肩甲骨を撫でながら手を下ろして下着をはずす。  
首筋や鎖骨にもキスをされて、もうそのまま目をつぶって崩れてしまいたくなる。  
胸の下に唇を這わせて、秀一郎さんがくすっと笑った。  
ご自分だけ、余裕たっぷり。  
私はそれが悔しくなって、屈んだ秀一郎さんの肩に手を置いた。  
シャツのボタンを外そうとしたけれど、秀一郎さんに立っていただくか、私が屈まないと手が届かない。  
秀一郎さんが私の手を押さえた。  
「……脱がせて……くれる」  
熱っぽい目でそう言われると、自分の顔が熱くなった。  
秀一郎さんは私の手をとって、ベッドに腰掛けた。  
「……はい」  
はい、と言われても。  
秀一郎さんが私を見上げる。  
もう。  
シャツのボタンを上からはずす。  
するっと肩から落とすと、やせた白い身体。  
薄暗い部屋の中でもはっきりと肩の骨が浮いているのがわかる。  
こんなに毎日毎日パンを焼いて、少しでもたくさん召し上がっていただけるようにがんばっているのに。  
ちっとも太ってはくださらない。  
私はそのごつごつした肩に腕を回して、秀一郎さんの薄い身体を抱きしめた。  
少し戸惑ったような秀一郎さんが、そっと私の腰に腕を回す。  
「……どうしたの」  
やさしい、声。  
「…抱き心地が、悪いです」  
秀一郎さんを抱きしめたまま言う。  
くす、くすくす。  
秀一郎さんが笑う息が首筋にかかる。  
くすぐったい。  
いつも秀一郎さんが私にするように、秀一郎さんの耳たぶを噛んでみた。  
柔らかい耳たぶと、少し硬い軟骨の感触。  
秀一郎さんは、これのなにが面白いのかしら。  
耳の穴に息を吹きかけると、秀一郎さんが身体をよじって逃げた。  
追いかけるように体重をかけると、ベッドに倒れてしまった。  
上半身だけ横になった秀一郎さんの腰に手をかけて下も脱がせてから、上に乗りかかる。  
なんだか楽しくなってきた。  
秀一郎さんは下から両手で私の胸を持ち上げた。  
そのまま上に伏せて、今度は秀一郎さんの唇の端と鼻に自分の唇を押し付けてみた。  
秀一郎さんが顔を傾けてくるのを、わざとはずす。  
上になっているのに、秀一郎さんが下から胸を揉んでくるから、してるんだかされてるんだかわからなくなる。  
秀一郎さんの脚を抱えてベッドの上に上げ、腰の辺りをまたいで膝立ちになった。  
あばらの浮いた胸や、水を溜めたら金魚が飼えそうなほどへこんだお腹。  
それを指先だけでそっとなぞっていくと、秀一郎さんがぴくっと震えた。  
脇腹から胸の方へ指を滑らせる。  
乳首の周りをくるくるとなぞると、きれいなピンク色したそれが立ってきた。  
男の人も、こんなふうになるものなのかしら。  
顔を伏せて口に含んでみる。  
ぺたんこな胸にちょっとだけ立ち上がっているそれを口に入れるのは難しく、舌先で舐めたり吸ったりする。  
 
頭の上で、秀一郎さんがため息をつく。  
私のお尻のあたりで、なにかもぞもぞするのはなにかしら。  
秀一郎さんが私の背中に手を回した。  
「……いい」  
なにかおっしゃったので、私は顔を上げて秀一郎さんを見た。  
肩と背中を撫でながら、頭を持ち上げてくすくす笑っている。  
そんな体勢では首が痛いのではないかしら。  
私は秀一郎さんの頭の下に枕を入れて、声が聞こえるようにずり上がった。  
「なんですか」  
笑いながら秀一郎さんが私の肩を抱き寄せて、耳を噛んだ。  
「あなたは……、すごく……抱き心地が……いい」  
吐息まじりに言われて耳がくすぐったくて、思わず首をすくめて笑ってしまう。  
秀一郎さんもくすくすと笑ってまた耳に息を吹きかけ、私の脚に自分の脚を絡めて羽交い絞めにする。  
「笑う……とこ」  
「すみません、でも、秀一郎さんも笑ってらっしゃるじゃありませんか、あん」  
秀一郎さんがお尻を撫で、腰を押し付けてくる。  
下腹にそれが当たるのを避けようと腰を引こうとすると、お尻を押さえられる。  
「ん、秀一郎さん……」  
「……うん」  
秀一郎さんの息が荒くなる。  
少し意地悪をしてみようかしら、と強く抱きついてみた。  
今まで逃げようとしていたのを引きつけていた秀一郎さんが、抱きつかれて身動きが取れなくなっている。  
ただ、密着してしまったのでそれ以上どうにもならない。  
秀一郎さんの腰にあるものが私の太ももに当たって、熱く硬くなっているのがわかる。  
「……こう…さん」  
秀一郎さんが根を上げ、私の脇に手を入れて引き離した。  
仰向けになった秀一郎さんの上に座り込むと、下から身体の側面を撫でてくる。  
「……い…て……」  
一瞬、何を言っているのかわからなかった。  
「はい?」  
秀一郎さんが、潤んだような目とかすれた声で繰り返した。  
「……挿れて」  
そんなふうに言われると、胸がきゅっとなる。  
私はベッドに膝で立って、お腹にくっつきそうなほどになっているそれに手を添えた。  
指先でなぞったりして触ると、秀一郎さんが短くうめいた。  
いつも秀一郎さんが開けるベッドサイドの引き出しから、小さな袋を探し出す。  
見ていたとおりに着け、あそこに当てて腰を下ろす。  
「……ん」  
上滑りしてうまく入らない。  
ただでさえ、秀一郎さんのは大きい。  
平均的な大きさというものに詳しいわけではないけれど、きっと大きい。  
何度も試しても、膣口のあたりを擦るだけで、自分の中に収めることができない。  
「秀一郎さん、あの」  
中腰が辛くなって、私はおずおずと言った。  
「もう少し、先っぽ小さくなりません?」  
私以上に苦しそうな顔をしていた秀一郎さんが、その一言でぷっと吹き出した。  
だいじょうぶ、というように私の太ももを手の平でさすって、秀一郎さんが身体を起こして私と上下を入れ替えた。  
「……へた」  
なんてこと言うのかしら。  
私は下から秀一郎さんを見上げて、いーっとして見せた。  
「失礼で、す」  
言い終わらないうちに言葉を唇でふさがれてしまう。  
舌で唇が割られ、中のあちこちをなぞられる。  
その間に秀一郎さんの手が体中をまさぐり、脚の間に差し込まれる。  
指が、入ってくる。  
「……っ」  
指の当たるところに、ちょっと違和感を感じた。  
いつもはこんなことがないのに。  
 
「……まだ」  
秀一郎さんが、私の耳もとで言った。  
ゆっくり、指が動く。  
少しずつ心地良さが上がってきて、身体の力が抜ける。  
どうやら、私の方は準備ができていなかったようだ。  
秀一郎さんにくっついたり、触ったりするのは嬉しくて楽しかったけれど、それだけでは受け入れられないのかしら。  
気持ちと身体がちぐはぐな気がして、ちょっと悲しくなった。  
痛そうなほどはちきれんばかりになっている秀一郎さんが気の毒で、私はあせる。  
それが伝わってしまったのか、秀一郎さんは私の頬を手の平で包んでくださった。  
いつもより、少し暖かい手。  
「……抱き……いい」  
優しい声。  
私は秀一郎さんの腰を脚で挟んだ。  
「もう……いいですか」  
中をゆっくり動いていた指が、引き抜かれる。  
「だいじょうぶ……」  
この方は、いつもちゃんと私をいたわってくださる。  
「はい」  
自分ではできなかったのに、秀一郎さんがしてくださると、少しつかえながらも入っていく。  
「……んっ」  
中を刺激されながら押し込まれる感覚に、お腹がぴくっとしてしまった。  
ゆっくりと、全部を収めて、秀一郎さんがふうと息をついた。  
「……ち……、いい」  
聞き返そうとしたところで、入ったものが引き抜かれる。  
あっという間もなくまたぐっと押し込まれる。  
その繰り返し。  
「ん、あんっ」  
揺さぶられて、声が出てしまった。  
片足を抱えられて後ろから突かれたり、そうされながら胸を弄られたりする。  
「あっ、あっ……、やあ、んっ」  
小さくしないと入らないとさえ思ったのに、それが私をこんなに熱くするなんて。  
ずいぶん焦らしてしまったせいか、いくつも体位を変えないうちに秀一郎さんが苦しそうな息遣いをする。  
「秀一郎さん、あの」  
心配になって汗のにじむ秀一郎さんの額に触れてみると、秀一郎さんはちょっと笑った。  
「も……だめ」  
その言い方がおかしくて、私もちょっと笑う。  
「はい」  
笑いを引っ込めた秀一郎さんが、本格的に動くと、私にも笑う余裕がなくなる。  
「あっ、ああっ」  
奥のほうまで突いては落ちそうなほど引いて浅いところを行き来し、また奥まで。  
それを繰り返しながら、敏感な突起を指先で転がされる。  
「んんっ、ああ、ああっ、あ、あ!」  
「……う」  
つながったところから何かが駆け上がってくる。  
それを捕まえようと必死になり、私は自分が何を叫んでいるのかわからなくなる。  
頭が真っ白になり、私はまた意識が飛んでしまった。  
 
気が付いたときには、まだ秀一郎さんは私の上にいた。  
気を失ったのはやはりほんの一瞬だったらしく、後始末をした秀一郎さんが掛け布団を引き上げて私に並んだ。  
一緒に布団に包まって、秀一郎さんにくっつく。  
「お風呂……入れましょうか」  
秀一郎さんがくすくす笑った。  
「挿れたばかり……」  
もう。  
私はぱっと熱くなった顔を見られないように、秀一郎さんの頬を指先でつまんだ。  
汗が引いたら寒くなるかもしれない、と心配したのに。  
「もう、ちょっと……」  
そう言って、私を抱き寄せてくださった。  
 
顔を寄せた胸板は薄っぺらで、腕を回した腰は骨ばっていて細く、絡ませた脚は木の棒みたい。  
男と女の違いがあるとはいえ、太っている方ではないとはいえ私のほうがずっと肉付きがいいはず。  
秀一郎さんは、どう思っているのかしら。  
私が秀一郎さんの飛び出した腰骨を指先でなぞっていると、秀一郎さんが私の首筋に顔を押し付けた。  
「あなたは……、すごく…きもち…いい」  
「そうですか…?」  
「……うん」  
秀一郎さんがそろそろと撫でてくださるのが気持ちいい。  
「秀一郎さんは、ごつごつしてて気持ちよくないです」  
「……ん」  
「しかたありません。チョコチップパンは効果がないようですから、ハムのパンを焼いてみます」  
くす、くすくす。  
「マヨネーズは高カロリーですから、たくさん入れますから」  
くす、くすくす。  
秀一郎さんが私の脇をくすぐる。  
「や、ちょ、やめてくださ、ひゃっ」  
仕返しに、秀一郎さんのお尻を叩く。  
秀一郎さんがいっそうくすぐってくる。  
私たちはベッドの上を転がるようにしてじゃれた。  
秀一郎さんもたくさんたくさん笑って、私も秀一郎さんに抱きついて。  
途中、秀一郎さんが私を後ろから抱いて小さく「すみれ…」と呼んでくださったような気がした。  
はい、と答えて、肌をくっつけあって、触れ合って、私は楽しくて嬉しくて。  
 
このお屋敷で、秀一郎さんのそばで。  
 
この頃は、前のお屋敷のことも、必ず迎えに来てくださるという旦那さまのお約束も、忘れていた。  
 
――――了――――  
 

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