『メイド・すみれ 9』  
 
授賞式の打ち合わせにやってきた小野寺さんは、私が戻ってきているのをとても喜んでくれた。  
「もうほんとね、すみれちゃんがいない間、先生は死んだみたいだったんだから。見てよ、今の顔色のいいこと」  
ポンポン言われながら、秀一郎さんは相変わらず聞こえていないように届いた雑誌を見ている。  
その後、秀一郎さんは津田さんに言われて、授賞式のために久しぶりに髪を切ってきた。  
帰ってきた秀一郎さんは、髪が短くなって、目も頬も隠すものがなくなってこけた顔立ちがくっきりしたせいか、ちょっと驚くくらいハンサムだった。  
「10年、我慢できます……」  
いつか小野寺さんが、あの顔は2年は我慢する価値があるわねと言ったことを思い出して、私はぽうっとしながら言ってしまった。  
たまに見るテレビに出てくるタレントみたいに、それ以上に格好よかったのだ。  
秀一郎さんが不思議そうな顔をしたので、私は見とれたのをごまかすために出来上がってきたタキシードを試着していただいた。  
既製品では一番細いサイズでも身幅や肩が余って袖や丈が足りないので、やむをえず仕立てたもので、それを着てみるとまた男ぶりが100倍くらいに跳ね上がった。  
「……なに」  
ぽかんと口を開けた私に、窮屈なタイを引っ張りながら秀一郎さんが言う。  
どうしよう。  
いつもゆるゆるした服か、それでも着ていればいいほうな秀一郎さんが、髪を切ってきちんと装っただけでこんなにステキになるとは思っていなかった。  
やせすぎなくらいやせている欠点が衣裳で隠されると、それがすらりとしたモデル体型に見えるからびっくりだ。  
背も高いし、長い手足も小さな顔も、ファッション雑誌から出てきたみたいに見える。  
「なに」  
秀一郎さんがもぞもぞして繰り返す。  
もう、窮屈な服を脱ぎたくてたまらないのだ。  
「お似合いですよ、とても」  
私が言うと、秀一郎さんはちょっと首をかしげた。  
「……そう」  
本人に、変化したという自覚はないようだった。  
 
授賞式とその後の記者会見の様子は、その日のうちに小野寺さんが撮ってきた携帯の写真で見せてもらった。  
「見て見て、ドレス高かったのよ。先生が授賞式に出てくれて良かったわ。あたしも編集長に褒められたもの、よくあの先生を連れて来たってね」  
編集者の晴れ舞台と言っただけあって、小野寺さんは嬉しそうだった。  
流行の小説作家のように注目を浴びることがなかった秀一郎さんにとっても晴れ舞台で、本人はともかく、津田さんと芝浦さんは喜んでいる。  
ところが、しばらくして授賞式の様子や取材の記事が雑誌に載ったのを見て、私たちは呆れ、驚いた。  
小さな白黒写真しかなかった新聞記事とは違い、秀一郎さんの全身や顔のカラー写真がやたらと紙面を埋めている。  
私たちが見れば、ぼーっと突っ立って絶対なにも考えていないだけなのに、活字は「ペンの貴公子」だの「セレブイケメン作家」だのと書き立てている。  
「これ……誰のことですか」  
私が聞くと、津田さんが苦々しそうに首を振った。  
その横で、秀一郎さんが自分の記事を切り抜いている。  
切り抜いた記事をスクラップ帳に貼って、満足そうに閉じる。  
こんなにまめな人だとは知らなかった。  
秀一郎さんが散らかした紙くずをゴミ箱に集めて、私はちょっと複雑な気分になった。  
秀一郎さんのお仕事が世間に認められるのは、私にとっても嬉しいことのはずなんだけど。  
それから、マスコミがワイドショーで秀一郎さんの容姿を取り上げるにいたって、ファッション雑誌やテレビの取材も入るようになってきた。  
秀一郎さんがぼんやりしているうちに、小野寺さんが窓口になり、本の宣伝になると嬉々として引き受けてくる。  
どうせ秀一郎さんはろくにしゃべれやしないので、アシスタントの名目で津田さんが同行すると、セレブイケメン作家にイケメンメガネ秘書と騒ぎが大きくなってしまった。  
当の秀一郎さんは、お屋敷の周りを女子高生がうろうろしていようと、本屋に引き伸ばした顔写真が貼られていようといっこうにお構いなしで、相変わらず夜中に仕事をして、昼間はパンを食べてコーヒーを飲み、寝たり起きたりしている。  
私のエプロンの匂いをかぐのも好きだし、髪の毛に鼻を埋めたり、耳を噛んだり、ゆっくりしてくれたり。  
それに反して、秀一郎さんの周りはどんどん騒がしくなった。  
新しく出た本は売れ行きがよく、前に出した本ももう一度ランキングに入るほど売れて増刷された。  
秀一郎さんは増えた仕事をこなすために書斎にこもり、私は書斎のドアの向こうに目を背けて、せっせとパンを焼く。  
 
だんだんと秀一郎さんがお出かけすることが増え、私は秀一郎さんのいないお屋敷にいる時間が増えた。  
「先代のお父さまが亡くなる前は、旦那さまも今ほど引きこもってはいなかったんだよ。やっと少し元気になったんだ」  
芝浦さんは言うけれど、お屋敷に閉じこもっていた秀一郎さんを外に連れ出したのが、私じゃなくて小野寺さんの出版社がくれた賞のおかげなのが、ちょっとおもしろくなかった。  
「なに言ってるんだい、最初にパン屋に旦那さまを連れて行ったのもすみれちゃんだし、旦那さまがダイニングでお食事をするようになったのも、すみれちゃんのおかげじゃないか」  
そうかもしれないけど。  
製菓材料店で買ってきたパンプキンパウダーを強力粉と合わせてホームベーカリーに入れながら、私はやっぱりつまらないと思った。  
メイドなんて所詮、お屋敷の中の仕事で、秀一郎さんが一歩外へ出てしまったら、もう一緒にはいられない。  
「だから、旦那さまが快適にお仕事をしたりお出かけをしたりできるようにするんじゃないか」  
そうですね、と芝浦さんに話を合わせておいた。  
だけど、私は秀一郎さんがいてくださらないと、……寂しい。  
 
今日も秀一郎さんは、文芸雑誌の新しい連載に合わせた特集記事の取材とかで、絵になる背景を求めてどこだかのカフェまでカメラマンと記者に連れられて出かけていた。  
この前なんかは、クイズ番組の収録までしてきている。  
付き添った津田さんによれば、早押し問題は散々で、漢字や歴史、計算問題なんかはかなり成績がよく、時々ぼそっととぼけたことを言うのがけっこうウケていたらしい。  
秀一郎さんが、あの秀一郎さんが、テレビ。  
信じられない。  
収録されたクイズ番組が放送される日になると、一番大きなテレビのある芝浦さんの部屋でみんなでそれを見た。  
小野寺さんが選んだダークグレーのスーツに、ピンストライプのシャツを着た秀一郎さんが司会者に紹介される。  
「いやー、うちの旦那さまはタレントと並んでもちっとも見劣りしない」  
芝浦さんが言い、私もそれには反論はない。  
時々、津田さんがこの時の姿勢が悪いとか、書き問題で「手偏はハネるんです」とか注意しているうちに、番組が進む。  
秀一郎さんは、かわいいアイドルにチーム戦で勝ったといって抱きつかれたり手を叩いたり、難しい問題を答えて司会者にさすが作家と持ち上げられたりした。  
芝浦さんは大笑いしたり感心したりしていたけれど、私は笑わなかった。  
正解したのが映ると、秀一郎さんは褒めてほしそうに私を見る。  
私が不機嫌なので、エプロンを引っ張ったり、スカートの影で手をつなごうとしたりする。  
それをみんな振り切って、私はテレビを睨みつけていた。  
秀一郎さんが津田さんに助けを求めるように途方にくれた顔を向けるのもわかったけれど、探ってくる手を握り返してあげたりはしなかった。  
このところずっとお忙しくて、お屋敷も留守にしがちで、だから本当は私も秀一郎さんの手を握りたかったけど。  
もっともっと、秀一郎さんのおそばにいて、お世話したかったけど。  
私は、わざと不機嫌な顔を作ってテレビを見ていた。  
 
「……苦い」  
朝、コーヒーを淹れると秀一郎さんが呟いたので、私は慌ててその手の中のカップを覗き込んだ。  
「そうですか?」  
コーヒー豆はいつもと同じものを同じ量、ミルの目盛りも同じ。  
「怒る……」  
お仕事明けで、充血させた目で私を見上げて、秀一郎さんが言った。  
昨日も秀一郎さんは、地元のフリーペーパーのインタビューに出かけた後で原稿を書いていたのだ。  
秀一郎さんからカップを取り上げて一口飲んでみても、私にはいつもとの違いがわからない。  
それなのに、秀一郎さんは私が怒って淹れたコーヒーは苦いとおっしゃる。  
「……今だけ」  
カップを睨みつけている私のエプロンの端が引っ張られる。  
「飽きる……」  
みんな、すぐに自分のことなど飽きるから。  
騒がれるのも、今だけだから。  
だから、雑誌に写真が載っても、きれいなインテリタレントと対談しても、クイズ番組でアイドルと共演しても。  
「……すみれが、いちばんすき」  
秀一郎さんは、本当に言葉でも魔法を覚えてしまったのかしら。  
私は怒るのをあきらめて、朝食のためにダイニングへ降りていく秀一郎さんの後ろについて歩いた。  
秀一郎さんは新作のパンプキンパンがたいそうお気に召していて、おかわりのもう一切れをねだる。  
部屋に戻ると、一枚ずつ服を脱ぎ落としながら衝立の向こうへ歩き、私は服を拾いながらその後についていく。  
ベッドに横になった秀一郎さんに、薄っぺらな掛け布団をかけて、おやすみなさいのキスをする。  
秀一郎さんが私の首を抱いて引き寄せた。  
唇を舌が割って、口の中を探ってくる。  
「……ん、」  
だめ。もうお休みにならないといけないのに。  
秀一郎さんが名残惜しそうに私から離れた。  
手で秀一郎さんのまぶたを押さえて無理に閉じさせて、私は部屋に戻った。  
――――すみれが、いちばんすき。  
思い出したら、顔が熱くなった。  
どうにかして、もう一度言ってもらえないものかしら。  
 
お食事のお皿と洗濯物をワゴンにまとめて台所に降りると、津田さんが配達された食材を片付けているところだった。  
「すみれさん。旦那さまのコーヒー豆がそこにありますから、お願いします」  
「……はい」  
秀一郎さんの、お気に入りの店のお気に入りのブレンド。  
私はその豆の袋を取り上げてラベルを指でなぞった。  
苦くなったり、酸っぱくなったり、不思議なコーヒー豆。  
……私は、怒っているのかしら。  
なにに?  
「明日は外出はありません。今夜までに仕上げなければいけない原稿が書けたら、ゆっくりできます」  
津田さんがそう言って棚のドアを閉めた。  
苦くない、おいしいコーヒーを淹れてさしあげなくては。  
「すみれさんは、……意外とやきもちやきですね」  
びっくりして顔を上げると、津田さんのメガネの奥の目が柔らかかった。  
私は大急ぎでワゴンに乗せてきたお皿を洗い、津田さんがそれ以上何か言ってくる前に洗濯物を抱えて台所を飛び出した。  
……私は、秀一郎さんの周りにいる女の人に、やきもちをやいているのかしら。  
ちょっと秀一郎さんぺたぺた触られるくらいで、すきって言われるくらいで。  
私は、うぬぼれている。  
主人にやきもちを焼くメイドがどこにいるのかしら。  
わざと乱暴に洗濯物を洗濯機に入れて、乾いたシーツを取り込んで、アイロンをかける。  
 
しばらくして、秀一郎さんがお目覚めになる頃を見計らって、洗濯物を抱えてお部屋に戻ってみた。  
衝立の奥を覗くと、ちょうど秀一郎さんは寝返りを打ってこっちを向いたところだった。  
「お起きになりますか」  
秀一郎さんの細い両手が宙に伸びた。  
私はその上に屈みこみ、腕が首に巻きついたところで秀一郎さんの背中を抱きかかえるようにして起こす。  
ちょっぴり弾力の出てきた背中。  
「秀一郎さん……」  
「……うん」  
まだ完全に目が覚めてはいないらしく、ふにふにとあくびをする。  
「私、やきもちやきなんだそうです」  
「……ん」  
「どうしましょう」  
くす、と秀一郎さんが笑った。  
ついでのように、ちょっとだけ私の耳を噛んだ。  
秀一郎さんが服を着て、机の前に座る。  
最近は、本格的に原稿を書く前の簡単な作業が出来るように、机の上にノート型のパソコンが置いてあった。  
そのおかげで、その間は私も秀一郎さんのそばに長くいられた。  
書斎には私は入ることが出来ず、秀一郎さんがそこにこもると出てくるまでお会いできないからだ。  
お仕事が忙しいと書斎にいる時間も長くなるし、そうすると物音ひとつしない部屋の中で、秀一郎さんが明治の文豪や外国の作家の亡霊に取り付かれたり、妖怪に食べられてしまったりしてはいないかと心配になってしまう。  
秀一郎さんが私のそばでパソコンを触っているのは少し嬉しかった。  
お湯を沸かしている間にコーヒー豆をミルで挽いていると、秀一郎さんがパソコンの電源を入れた。  
私はこういう機械ものはさっぱりわからない。  
マウスをカチカチしていた秀一郎さんが、私のエプロンの裾を引っ張った。  
「ねえ……」  
秀一郎さんが、パソコンの画面を指差した。  
「見て……」  
覗き込むと、授賞式のときの秀一郎さんの顔写真が映し出されている。  
秀一郎さんが画面を操る。  
どうやら秀一郎さんのファンだという女の子が、日記形式でホームページを作っているようだ。  
他にもたくさんの人が秀一郎さんについて、いろいろなことを書いている。  
秀一郎さんが画面を切り替えながら次々と見せてくれ、出てくる写真や文字に私は声も出なかった。  
大抵は外見や育ちのよさ、おっとりした性質などを好意的に述べ、秀一郎さんが書いているものについてはほとんど触れていない。  
女の子の服を着せた合成写真や、まるで本当のことのように、もし秀一郎さんとデートしたらああでこうでという空想を書き散らしてたりする。  
「こんなの。これじゃ、秀一郎さんがなにしてる人だかわからないじゃないですか、失礼な」  
私が怒っても、秀一郎さんはくすくすと笑うばかりで、面白そうに新しい記事を探していた。  
有名な掲示板というところでは、秀一郎さん専用のページがあって、匿名でたくさんの人が書き込んでいる。  
根拠のない噂話で、秀一郎さんのありもしない性癖や女性遍歴が見てきたかのように書かれ、ああいう人はきっとこうだという思い込みが氾濫している。  
中には下品な内容も、秀一郎さんの名誉を傷つけるようなものもある。  
そういえば、編集部には昔ながらのファンレターというものが届くらしいし、ファンメールとかいうものを『転送』します、と小野寺さんも言っていた。  
それらもみんな、こんな内容なのかしら。  
女の子たちの頭の中で、秀一郎さんが無責任に踏みにじられているようだった。  
それなのに、秀一郎さんは隣でくすくす笑っている。  
「なんですか、こんなの見て鼻の下伸ばして!女の子に騒がれて、知らない人にバカにされて嬉しいんですか、秀一郎さん」  
秀一郎さんはきょとんとして首をかしげる。  
「人気……」  
「こんなものが人気なんですか。こんな人たちに本を買ってもらって、それでいいっていうんですか」  
秀一郎さんがこんなふうに騒がれているのを、私が喜ぶとでも思ったのかしら。  
「秀一郎さんは、物書きじゃないですか。だったら物を書いてればいいじゃないですか。それで、津田さんに山のお金を返せないんですか。テレビに出たり、雑誌に出たりして有名になりたいんですか」  
くすくす笑っていた秀一郎さんが、真顔になった。  
メイドの分際で、また主人にやきもちをやいて口答えをしてしまった。  
だって、いやだから。  
秀一郎さんが、他の女の人に笑いかけたり、触れたり、腕を組んだりするのは、いや。  
「なんていいましたっけ、ワイドショーでパネルを持ってた女の子。髪が長くて目が大きくて脚が長くて」  
私が美人ではないことくらい、自分で知っている。  
顔は十人並みだし、スタイルだってそんなに良くない。  
 
秀一郎さんがこのお部屋を出て、お屋敷を出て、私以外に女の子は砂の数ほどいるんだということに気づいたら。  
そして、かなりの割合でその女の子たちが私よりきれいで賢くて、華やかなことに気づいたら。  
秀一郎さんが咳払いを二度して、口を開く。  
「……有名になって、本が売れて、…お金とか地位とか……、全部欲しいです」  
ひそかに否定する言葉を期待していた私は、予想しなかった秀一郎さんの言葉にびっくりする。  
テレビに出て、有名になって、お金をたくさん手に入れたい?  
秀一郎さんは、私の顔をまっすぐ見た。  
「そうしたら、もう…、なにがあっても……、あなたを手放さなくて済む……から」  
秀一郎さんがエプロンの端を引っ張って、私は腰を屈める。  
頭を両手で挟まれて、秀一郎さんは私の額に自分の額をこつんとくっつける。  
「やだ……から」  
額から、秀一郎さんの体温が伝わってくる。  
「すみれが泣くの……」  
私は。  
秀一郎さんが髪を切って、お出かけするのに新しい服を着るようになって、仕度をするたびにうっとり見てしまうほど格好良くて、それを私の知らないきれいな女の人たちが取り囲んでもてはやすから。  
机に肘をついてコーヒーを飲んだり、焼きたてのパンを目を細めてちぎったり、裸のまま掛け布団に包まっているのを起こしてもらおうと腕を伸ばしてきたり、そんなことしてるなんて想像もできないほどステキに装っているのが悔しいから。  
私は、やきもちをやいている。  
秀一郎さんが、どうして苦手な仕事をしてまで、お金を稼ごうとしているのかなんて考えてもいなかった。  
「いちばんすきって、おっしゃいました」  
「……うん。すき」  
秀一郎さんが私の腰に腕を回して抱き寄せる。  
ぱふ、とエプロンに顔を押し付ける。  
「……すき」  
もう、本当に秀一郎さんはずるくなった。  
「……ほんとですか」  
秀一郎さんの頭に手を乗せて、私はそっと柔らかい髪を指に絡めながら呟いた。  
ほんとに、私は秀一郎さんのいちばんすき、なのかしら。  
きれいな女の人をたくさん見ても、私のことをいちばんすき、でいてくださるのかしら。  
私は、ずっともっと秀一郎さんのお側にいても、いいのかしら。  
秀一郎さんの、一番近くに。  
「じゃあ……」  
考えるより先に、唇が動いていた。  
「今日の分のお仕事が終わったら……。して、くださいますか」  
秀一郎さんがちょっと目を見開き、私は顔から火を噴きそうになる。  
「……する」  
仕事は夜するから、すみれとは、今する。  
 
秀一郎さんは、私の耳もとに口を寄せた。  
「ね……やきもち」  
やきもちを、やいているの。  
くす、くすくす。  
ベッドの上に座り込んだ秀一郎さんの足の間に座りこんで、私はうつむいた。  
「……だって」  
秀一郎さんが私の背中に腕を回して、ぽんぽんと優しく叩いてくれる。  
「どうして……」  
どうして、やきもちをやくの。  
「しゅ、秀一郎さんさんがいけないんです。きれいな女の人とばっかり、嬉しそうに」  
くす、くすくす。  
「どうして……」  
きれいな女の人と一緒に仕事をすると、どうしてやきもちをやくの。  
……どうしてかしら。  
だって、いやだから。  
だって。  
秀一郎さんが笑う。  
「……すき」  
好きだから?  
私は秀一郎さんの首に腕を絡ませて、自分の胸を秀一郎さんの胸に押し付けた。  
「そうです」  
「……ほんと」  
秀一郎さんが背中を撫でる。  
首筋から、肩から、背骨も、脇も。  
「ん……と、です」  
いつのまにか、こんなにも秀一郎さんが好きだから。  
秀一郎さんが私の鎖骨や胸に唇を押し付けた。  
「すみれ……が、いちばんすき」  
息が吹きかかる。  
「泣いたら……だめ……だから」  
好き。  
やきもちをやくくらい、私は秀一郎さんが好き。  
誰にも、取られたくない。  
秀一郎さんにパンを焼いて、コーヒーを淹れるのは私でなくてはだめ。  
服を脱がせてもらって、目の縁にも頬にも唇にもキスしてもらって、耳を噛んでもらうのも私。  
秀一郎さんの薄い胸に抱かれるのも、魔法の手で撫でてもらうのも、胸やあそこに口づけてもらうのも。  
私のあちこちを、秀一郎さんの舌が形を変えながら舐め上げる。  
産毛がぞわっとする。  
こんなふうに、秀一郎さんにこんなふうにしてもらうのは、私だけじゃなきゃいや。  
秀一郎さんが、一番好き。  
「あ……、秀一郎さん……」  
「……うん」  
「そうやってもらうの……すごく、気持ちいいです」  
「……ん」  
脚の間で秀一郎さんがくぐもった声を出す。  
自分から誘ってしまったのに、こんなにしてもらうだけでいいのかしら。  
舌が複雑に動き、痛いほど開かれて押さえられた脚が震える。  
「そこ……んっ」  
言った事のない言葉が口から出てくる。  
私、こんなはしたないこと言うタイプだったかしら。  
「あ、あ、やっ、それ、あんっ」  
中のほうに差し込まれていた舌が上に移動し、一番敏感なところを周囲から攻めてくる。  
指が入ってきて、上のほうを擦りあげてきた。  
「やあっ、あ、ああんっ、秀一郎さんっ」  
秀一郎さんの肩を脚で挟み込み、頭を手で押さえつけて暴れてしまった。  
いつもは体中を撫でたり舐めたりされたあとでそこにたどり着くのに、今日はいきなりそんなところを。  
手が触れた自分のお尻が、ぐっしょりと溢れたもので濡れている。  
 
「あ、あ、んっ」  
急に強い快感が上がってきて、私は思わず叫びながらのけぞった。  
頭の中で何かがはじける。  
「ああああっ!」  
大きな声、これはまさか私の声なのかしら。  
どきどきがおさまらなくて、私は自分を抱くように丸くなり、酸素を求めて大きく息を繰り返した。  
こんなことって、あるのかしら。  
ほとんど、あそこだけでこんなふうになるんだ。  
一番好きな秀一郎さんに、一番感じるところを、一番恥ずかしいところを。  
「大丈夫……」  
秀一郎さんがきれいにしてくれてから、はあはあしている私を抱き寄せてくれた。  
「……して、って……、すごく」  
「え……」  
ようやく声が出るようになって、聞き返す。  
「ね……」  
秀一郎さんがなだめるように背中を撫でる。  
私が、自分から「して下さい」なんて言ったから。  
秀一郎さんは私がものすごくしたくなっていると思って、ご自分のことは置いておいて、私にしてくださったのかしら。  
そんなふうに思われたことが恥ずかしくて、私は熱くなった顔を隠すように秀一郎さんにくっついた。  
今度は、私がして差し上げなくては。  
そっと手を秀一郎さんの腰に滑らせる。  
もう、私にとってちょうどいいくらいの大きさになっている。  
私がびっくりしているのを見て、秀一郎さんがくすくす笑った。  
「すみれの……してたら」  
すみれのを舐めているだけで。  
「や……」  
そんな恥ずかしいこと。  
秀一郎さんは私を抱きかかえて起き上がると、胡坐をかいて私を脚の上に座らせた。  
「挿れて……」  
こんな体勢で、大丈夫かしら。  
したたるほど濡れたそこに、秀一郎さんのものを収めようと、何度か腰を上下してみる。  
「ん……、はっ……」  
やっぱり、うまくできない。  
秀一郎さんの押し倒して腰に手を置いて一休みする。  
「すみれは……へた」  
くす、くすくす。  
もう。  
私は秀一郎さんのお腹に座って、意地悪なことを言う唇が変形するくらい頬を引っ張った。  
「秀一郎さんが、大きすぎるんです」  
「……そう」  
頬を引っ張る指を外して、秀一郎さんは私の太ももをさすった。  
「すごい……ぐしょ」  
はっとして腰を上げると、秀一郎さんのお腹が私の中からあふれたもので濡れていた。  
しかも、ちょっと糸さえ引いている。  
ものすごくいやらしい。  
「あ、すみま……」  
秀一郎さんが私のウエストを両脇からつかんで起き上がった。  
「そんなの……もう」  
そんなの見たら、もう我慢できない。  
お尻を浮かせて、脚を抱え込んだ秀一郎さんが音のしそうなそこを指で開く。  
「ゆっくり……ね」  
みっちりと圧迫するように、秀一郎さんが入ってくる。  
さっきしてもらって敏感になっている場所には直接触れないように、中の気持ちいいところだけを探るようにしてくれているのがわかる。  
半分くらいで一度引いて、またゆっくり入ってくる。  
「あ……」  
お腹の中が暖かくなるような、心地良さ。  
 
「もう……、いい……」  
動いても、いい?  
「……はい」  
ゆっくりが、徐々に速くなる。  
「う……」  
秀一郎さんが眉間に皺を寄せてうめいた。  
「秀一郎さん……?」  
動きを止めて、秀一郎さんが私を見下ろす。  
「……すごく、いい……から、もう」  
私は秀一郎さんに抱きついた。  
「いいですか……私」  
「うん……いい」  
私の中で、また秀一郎さんが少し大きくなった気がする。  
「いい……、すみれじゃなきゃ……」  
すみれじゃなきゃ、だめ。  
胸がきゅん、とした。  
私も、秀一郎さんじゃなきゃだめ。  
秀一郎さんが動きだし、私は抱きついていた腕をベッドに落として目を閉じた。  
自分の全部で、秀一郎さんを感じるために。  
駆け上がってくる感覚に打ち震える。  
秀一郎さんは、私が短く叫んで秀一郎さんを中で締め付けるまで我慢して、そして達した。  
私はすぐにそれが抜かれてしまわないように、秀一郎さんに強く抱きついた。  
もっとずっと、潮が引いていくような気持ち良さの中で秀一郎さんを感じていたかった。  
「……あ」  
秀一郎さんが呟いて、するっと私の中から消えた。  
あん。  
その直後、ぬるっとした何かが流れ出た気がする。  
「忘れた……」  
困惑したように、私を見る。  
ああ……どうしよう。  
ぼんやりとそう思ったけれど、それよりも急に睡魔に襲われてきた。  
秀一郎さんも同じらしく、私の横に転がってふにふにする。  
ちょっとだけ、眠ってしまおうかしら。  
秀一郎さんはお仕事のためにたくさんお休みしておかないといけないけれど、私もちょっとだけ。  
ぴとっとくっついてくださる秀一郎さんの腕の中で、うとうとしてきた。  
 
……ねえ。  
……っ…ん…してね。  
 
秀一郎さんがなにか言ったような気がしたけれど、聞こえなかった。  
心地良い眠りに落ちる中で、遠くで電子音が聞こえた。  
なにかしら。  
秀一郎さん、なにかおっしゃいましたか。  
……あ。  
電話だ。  
私は慌ててベッドから飛び降り、部屋の中に駆け戻って受話器を取り上げた。  
「すみれさん、すみません、よろしいですか」  
津田さんが千里眼のように言って、私はしどろもどろになる。  
「小野寺さんが、明日、旦那さまにお会いしたいそうですがいかがでしょう」  
私は、受話器を持ったまま衝立の奥を振り返った。  
秀一郎さんの小さな寝息が聞こえていた。  
 
翌日、電話で約束した時間ぴったりに、小野寺さんはやってきた。  
定期的に毎月一度やってくるのとは、別のお話らしい。  
時間の前に起こして、めんどうくさそうにする秀一郎さんのシャツのボタンを留めて、伸びかけた髪をとかしつけて、  
口の端についた歯磨き粉を拭いて、踵が上に来ている靴下を逆さに直して、夕食のパンはなにを焼くのと聞いてくるのを  
チョコチップにしましょうねとなだめすかして、秀一郎さんを机の前に座らせるのがぎりぎりだった。  
津田さんに先導されて部屋に入ってくるなり、小野寺さんは立て板に水でしゃべりだす。  
「先生、おとといオンエアになったインタビュー、見ました?あのあと書店に新刊の注文が殺到したんですよ。前作もそろそろ増刷しようかと思ってるんですよ」  
小野寺さんが持ってきた、単行本の文庫化にあたっての表紙レイアウト見本を見ながら、秀一郎さんは聞こえているのかいないのかわからない顔をしている。  
「……で、来週ですけど、午後でいいですか」  
ドアを開けて出て行きかけていた津田さんが、足を止める。  
「私は……聞いておりませんが」  
津田さんが苦手な小野寺さんが、まだそこにいたのと言うように肩をすくめる。  
「先生にはお話したんですけど。ええと、取材をお願いしてるんですよ、『お仕事場拝見』のコーナーで」  
秀一郎さんは三枚あるレイアウト見本のうち一枚を抜き出して私に渡す。  
文庫本の表紙は、これがいいらしい。  
クリアファイルに挟んで小野寺さんに渡そうとすると、津田さんが珍しくちょっとした剣幕で小野寺さんに食い下がった。  
「聞いていません。旦那さまは来週、三本締め切りがあります。取材のスケジュールが入る隙はありません」  
「でも、二週間も前に先生にお話してますから。それに、仕事場の写真を何枚か撮るくらいで、先生のお話はそれほどいりませんし」  
小野寺さんは引き下がろうとしないし、津田さんはよほど怒っているのか目が怖い。  
「他の作家に当たってください。旦那さまは無理です」  
どうしよう。  
あたふたしていると、秀一郎さんが私のエプロンの端を引っ張った。  
屈みこむと、耳もとでくすくす笑う。  
「津田……こわい」  
なにを、のんきなことをおっしゃてるのかしら。  
秀一郎さんが笑っている間に、小野寺さんはついに腹を立てたらしく津田さんと口論のようになる。  
「とにかくページに穴が開きますから!先生、どうなんですか」  
当事者の癖に、矛先を向けられるのが心外だというように秀一郎さんが首をすくめた。  
「だいたいあなたは週刊誌の編集者です。文芸誌の取材に関わるのはなぜですか」  
決して大きな声ではないのに、津田さんが言うと冷ややかで突き刺すように聞こえる。  
恐らく、いままで何人もの偏屈な先生方と渡り合ってきたのだろう、小野寺さんも引かない。  
「じゃあ、先生が他の編集者にお会いになるって言うんですか。誰がお尋ねしても門前払いだから私に話が来るんです」  
「あなたが門前払いになっても入ってくるだけです」  
「仕事がいらないんですか。私はお屋敷の執事より先生にお話があって来るんですっ」  
ほらこっちにきた、と秀一郎さんが雑誌を立てて顔を隠す。  
「先生!」  
「……大きな声を出さないで下さい」  
「あなたのせいですっ」  
二人が言い争っているのを見てると、どうやら興奮しているのは小野寺さんだけで、津田さんはそれを軽くあしらっている。  
目が怖いけど、それは津田さんの標準装備で、小野寺さんがいくら噛み付いても変化しない。  
しばらくしてから、また来ます、と小野寺さんがぷんぷんしながら出て行った。  
見送りもせずに、津田さんはむっつりとそこに立っている。  
小野寺さんがソファのところにおいていった取材の概要を書いた書類を取り上げて、秀一郎さんの机にぽんと投げ出す。  
感情の起伏をあまり表さない津田さんにしては珍しいこの成り行きに、私は居心地悪くなった。  
「……いい」  
小野寺さんがいるときは何も言わなかった秀一郎さんが、ぼそっと呟いた。  
別に、取材くらい受けてもいい。  
津田さんがむっとした顔で秀一郎さんの前に立った。  
「書斎に、カメラを入れるおつもりですか」  
なるほど、仕事場拝見、という企画なのだから、秀一郎さんのお仕事場は書斎ということになる。  
さすがに口に出しては言わなかったけれど、文豪の亡霊が出て各内容を指示する、なんて噂が立ったこともある秀一郎さんの書斎なら、記事になれば部数も伸びるのかもしれない。  
 
でも、書斎は秀一郎さんのほかはたまに津田さんが掃除に入るだけで、私は入ったことがない。  
やっぱりあの書斎には、カメラマンが来て写真を撮られてはまずいような何かがあるのかしら。  
冷静沈着というか、のんびりおっとりの津田さんがここまで反対するような、なにか。  
もしかしてもしかして、本当に鶴がいたりして。  
秀一郎さんは、聞こえないふりをする。  
津田さんは何か言おうとして口を開け、それから眉間に皺を寄せて黙る。  
このまま津田さんがどんどん怒ってしまったり、秀一郎さんとケンカになってしまったりするのかしら。  
「……いい」  
「私は、いやです」  
秀一郎さんが一言言うと、津田さんが即座に否定した。  
くす、くすくす。  
「笑い事ではありません。旦那さまがあれを外してくださらないのですからね」  
あれ?  
あれとは、なにかしら。  
文豪の亡霊が出てくるための何か、壷のような物を想像してしまった。  
笛を吹いたら出てくるヘビとごちゃまぜになってしまったのかもしれない。  
秀一郎さんが腕を伸ばして伸びをした。  
「……あれしか」  
「それは、そうですけど」  
さすがに、秀一郎さんがなにをおっしゃっているのか私にはわからなくなってきた。  
津田さんが怖い顔をしているのを見て、秀一郎さんがゆっくり立ち上がった。  
二回、咳払いをする。  
「編集にも……都合あるから…、来たとき…、外すから」  
言いながら歩いて、書斎のドアを押す。  
明かりを消している書斎は、部屋の中から見ると真っ暗で異次元への入り口のように見える。  
「仕方ないですね…」  
話の内容はわからないけれど、津田さんが折れたのかしら。  
秀一郎さんは書斎の中に入って、ドアを開けたまま明かりをつける。  
ぼんやりと、壁一面の書架と真ん中に置いた大きな机が見えた。  
「…すみれ」  
振り向いて、秀一郎さんが私を呼んだ。  
え?  
書斎に?  
腕を組んで立っていた津田さんが、ふうと息を吐いた。  
「どうぞ。かまいませんよ、すみれさん」  
私は、そうっとドアのところから書斎の中を覗いた。  
臙脂色のじゅうたんに、足を乗せる。  
壁いっぱいに圧倒されるほどの量の本、真ん中に置いたキーボードが埋もれるほど資料を積み上げた机。  
それらを見回して、ほうっとため息をついてしまう。  
秀一郎さんは、毎日毎日、ここに十時間以上も閉じこもってらっしゃる。  
空気が、秀一郎さんの匂いになっていそうで、私は大きく吸い込んだ。  
「……あれ」  
秀一郎さんがドアの横の壁を指差した。  
振り返ると、机に座ったときに正面に見える位置に、大判の写真が額に入って掛けてあった。  
古い、色あせたような写真。  
背景になっているのは、このお屋敷のお庭のようだった。  
男の人が真ん中に立っていて、若い女の人が隣に寄り添っている。  
女の人の足元に、小さな男の子が座り込み、男の人の後ろに隠れるように、少し年長の少年が立っている。  
みんな、カメラに向かって笑っている。  
楽しそうに、嬉しそうに。  
近づいて見ると、座り込んだ少年の顔に面影があった。  
隣に立った秀一郎さんが、写真を指先でなぞる。  
「父……と、……母」  
亡くなった、秀一郎さんのご両親。  
ご両親に囲まれて、学校にも上がっていないような年頃の秀一郎さんが笑っている。  
秀一郎さんは、毎日この写真を見ながらお仕事をされているんだ。  
早くにお母さまを亡くして、少し前にお父さまも亡くなった。  
クリスマスには、子どもだった秀一郎さんを喜ばせようと、サンタの衣裳を着たお父さま。  
そのお父さまを亡くされたことで、秀一郎さんはお部屋に引きこもってしまうくらい悲しんだ。  
お母さまはくっきりした二重の目が、お父さまは口元が、秀一郎さんに似ていた。  
 
そして、もうひとり。  
「この男の子は?」  
秀一郎さんに兄弟がいたとは聞いていない。  
「……私です」  
いつの間に入ってきたのか、私の後ろで津田さんがおもしろくなさそうに言った。  
「え、津田さん?」  
私はもう一度、秀一郎さんのお父さまの後ろにいる、むちむちに太って縦と横の幅が変わらないような、真ん丸い顔の少年を見直した。  
目も鼻も顔のお肉に埋もれてしまって、腕も脚と変わらないくらいに太くて短い。  
真っ赤なほっぺたで、口を開けて笑っている、子ども相撲で横綱を張りそうな少年だった。  
写真と全く共通点のない、津田さんの今のほっそりした顔と見比べた。  
「私は小学生の頃は肥満児だったんです」  
津田さんが、そっと額に手をかけて、大切なものを扱うように外した。  
「抹殺したい過去なのですが、先代の旦那さまは写真をあまり残されませんでしたので、ご家族と一緒に映っているのはこの一枚なのです」  
外した写真を受け取って、秀一郎さんはくすくす笑った。  
それから、私に写真を向けてぽつんと呟く。  
「すみれ……」  
お父さん、お母さん、すみれです。  
秀一郎さんが、私を紹介してくださったように見えた。  
それから、本棚の隅に立てて写真の額をしまう。  
「津田が……いやがる」  
気のせいか、津田さんが照れているようにうっすらと顔を赤くしている。  
「も、もしかして、私に書斎に入ってはいけないって言ったのは、この写真を見られたくなかったんですか」  
秀一郎さんが首をかしげた。  
「いけない……」  
どうやら、秀一郎さんは私が書斎に入らないようにと言われていたことすら知らないようだった。  
秀一郎さんが津田さんの顔を見て、津田さんはぐっと眉間に皺を寄せた。  
「……鶴が出る、という渾身の冗談は、すみれさんには通じなかったようです」  
 
 
 
 
 
 
それから。  
 
津田さんは本格的に秀一郎さんのマネージメント業務を始め、その穴を埋めるように芝浦さんも本人の弁によれば『雑用係から副執事に昇進』して張り切っている。  
出版社をやめてフリーの編集者として独立した小野寺さんもちょくちょくやってきて、秀一郎さんの仕事の方向性について、しょっちゅう津田さんと言い争っている。  
だけど小野寺さんが帰った後は、なぜかいつも津田さんは機嫌がいい。  
私は相変わらず毎日、秀一郎さんにパンを焼き、コーヒーを淹れる。  
ハムのパンは、生地にスライスハムとタマネギとコーンとマヨネーズを巻き込んで。  
チョコチップのパンにはローストクルミを入れるともっとおいしい。  
日替わりで、パンプキンパウダーやチョコレートシートや、ドライ無花果や砂糖漬けのオレンジ。  
そして、秀一郎さんが自分の原稿が載る雑誌で紹介されていた雑貨屋まで出かけて選んでくださった、緑色の水玉模様のカップでコーヒーを一緒にいただく。  
秀一郎さんはまだ山の代金を津田さんに払い終えていないけれど、約束どおりクリスマスにはツリーを買って飾ってくれたし、サンタの服も着てくれた。  
その他は、日々書斎に閉じこもって原稿を書き、ときどき取材を受けたり、写真を撮られたり、サイン会になんか出かけたりしている。  
それが立て込んでくるとすぐになまけたがって津田さんに怒られ、小野寺さんに催促され、出した本がランキングに入ったという記事を私に見せて褒めてもらおうとする。  
少しは胸や背中にお肉が付きはしたけれど標準よりずっとやせているままで、でも風邪ひとつ引かない。  
お米も麺も召し上がるけど、やっぱり食卓にパンがあるときは一際嬉しそうで、それなのにこっそりお皿のはじっこにブロッコリーを寄せて隠そうとする。  
私は見て見ぬふりをするのだけれど、もう秀一郎さんが最後までそれを隠しとおすことは出来ない。  
小さな手が、私のエプロンを引っ張るから。  
 
「ママぁ、またパパがブロッコリー残してるぅ!」  
 
 
――――完――――  
 

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