「早川君、新婚なんだろ?早く帰らなくていいのか」  
「いや、別に……」  
「そうか?じゃ行くとしよう。なあに、あれだ、女房なんか最初が肝心だからな」  
 嬉々として飲みに誘ってきた上司の後について席を立つと、こっそり溜め息と共に舌打ちをする。  
 わかってんなら誘うなよ、と自分より二周りは年上の一言多い人間に心で悪態をつきながらも、  
表面上は嫌な顔など見せるわけにもいかず、面倒だと煩わしく思う。  
 
 自分の故郷とは言えこの春本社から転勤してきたばかりで、社に馴染むためにもこうした誘いには  
出来るだけ乗るようにしていた。  
 彼の名前は早川浩史(はやかわこうじ)27歳、先程上司の言うように新婚の身。3歳年下の妻と  
結婚したばかり。それを機に自ら願い出て異動してきたばかりなのだが、そうでもなければ元来  
人付き合いの得意でない自分はさっさと家に帰りたいのが本音なのだ。  
 
 
「今、帰った……」  
 灯りの消えたリビングに入ると、それを素通りして寝室へのドアをこっそり開けて中を覗く。  
 ベッドの膨らみを確認するとまた静かにドアを閉めて風呂場へ向かい、服を脱ぎ捨ててシャワーを浴びた。  
 新婚だからと言って妻が起きて待ってくれているわけではなく、それが不満だというわけでもない。  
だが何となく、どこか物足りないような気持ちが彼の中に生じてきているのを認めないわけにはいかなかった。  
「お帰り……」  
 湯船に浸かってぼうっとしていると、扉が開いて彼女がそっと覗き込んでいる。  
「ああ。……悪い、起こしたか?」  
「ううん……何か食べる?」  
「いや、いい。お前は寝てろよ」  
「……うん」  
 お休み、とまたそっと去っていく。扉越の影を眺めながら彼は1人考える。  
「……俺じゃ、駄目なのか……?」  
 
 笑顔を忘れてしまったあいつ。  
 
 ずっと守ろうと決めた儚げな温もりは、もしや自分など必要としてはいないのではないか――。  
 
 ゆらゆら揺れる水面を眺めながら、胸のどこかがきゅっと痛むような気がして、思い切り湯を浴びた。  
 
* * *  
 
「あ……おはよ」  
 眠そうに目を擦りながら彼女がコーヒーを入れている。いくら眠っても何となく寝足りないのだという。  
そんなものなのだろうか、と思うのだが、日頃からずぼらな方でもない筈なので、男の自分には解らない  
だけなのだろうと考える。  
「ああ」  
と返して新聞を読みながら食事を摂り、出勤の支度を済ませるとまだ眠気の抜けきっていない彼女に  
「行ってくる。今日は、早く帰るからな」  
と声を掛けた。  
「ん。わかった。行ってらっしゃい」  
 その言葉に少しほっと和むと、彼女の髪に触れる。一瞬ぴく、と震えた体を感じて浩史は思わず  
手を引っ込めてしまった。  
「……あ、ごめん、ちょっと」  
びっくりして、と呟く彼女に小さく  
「ああ、悪い」  
と返すとそのまま玄関に向かい、靴を履いている時ふと俯き加減についてきた彼女に気付いて振り返る。  
「なあ、お前」  
「なに?」  
「……いや、何でもない」  
 途中で言葉を呑み込み、行ってくる、と告げて玄関を出た。  
 
 
 浩史は会社へ車を走らせながら、数ヶ月前の出来事を思い出していた。  
 愛永(まなえ)に何度も結婚しようと言ったがその都度断られ、喧嘩の回数も増えていった。  
 あの日もそうだった。付き合って7年、最初にプロポーズしてから2年待った。彼女は別れる気は  
無いというものの、なかなか彼の胸に飛び込んではくれなかった。そんな状態に痺れを切らした彼は  
もう待てないと言い、多少強引なやり方でだが彼女を抱いてしまった。  
 初めて避妊をせずに気持ちのまま衝動的に事を運んだその日――彼らは一つの命を授かった。  
そして、それを機に愛永はやっと浩史からのプロポーズを受け入れる事を決めた。  
 だが、結婚して地元へ連れて来たはいいが、ここの所ずっと彼女の表情は沈んでいくばかりなのだ。  
「マナ……」  
 
 ――お前、幸せか……?  
 
 
 聞きそびれた言葉を頭の中で問い掛けながら、浩史はハンドルを握る手に力を込めた。  
 
* * *  
 
 昼休み、浩史は友人と一緒に食事をしていた。  
「マナちゃんも慣れなくて大変なんじゃないか?色々とさ」  
「……ああ、そうかもしれんな」  
 大学時代からの仲である八神。彼は浩史が転勤して来る際に別会社から引き抜かれ、一緒にこの地へ移り住んで来た。  
「俺だって、やっぱり本当は寂しいもんな……」  
 八神は携帯のメールを眺めながら、残してきた愛おしい存在に想いを馳せている。  
「だったら連れて来りゃ良かったんだよ、お前も」  
「いや、俺は無理だよ。あいつの事を幸せにしてやれる保証なんかどこにもない」  
 まだ10代の女の子の未来を摘み取ってしまう事を恐れ、身を切るような思いで離れることを選んだ  
友を浩史はただ黙って眺めていた。  
「後悔しないように手に入れるっていってたじゃん、お前。だから不安にさせないように守ってやれ。  
 ……側にいてやれるだけいいじゃないか」  
「八神」  
「羨ましいよ、お前が」  
「…………」  
「……っと、悪い、もう行くわ。今日中に仕上げなきゃいけない図面があってな」  
 テーブルに千円札を置くと八神は携帯を手に立ち上がった。  
「お前には、幸せになって欲しいんだよ」  
そう言ってまた職場へ戻る友の寂しさを覗かせた笑顔を思いながら、冷めてしまったコーヒーに口を付ける。  
 
 愛永が大学を卒業する直前、彼女の両親が離婚する事となった。元々昔から別居状態にあり、家には  
常に家政婦と2人きりという生活をしてきたとは言え、さすがに彼女にもその2文字は堪えていた。  
 それが後押しをしたのも事実だが、既に5年も付き合っていたのもあり、浩史は愛永に一緒にならないかと言った。  
だが長年の家庭によるトラウマから結婚に踏み切る勇気が持てなかったのか、愛永はそれを受け入れる  
事がなかなかできず、半同棲の生活が続けられてきた。  
 
「保証なんか、俺だってねえよ……」  
 半ば強引とも言えるやり方で手に入れた。それ程欲しかった物――。  
 
 自分がそう思う程、愛永の方は必要としてくれてはいないのではないか……。  
 溜め息を吐きながら薬指を眺めた。  
 
* * *  
 
 今朝言った通り、浩史は仕事が終わると上司や同僚に捕まる前にさっさと家に帰った。だが部屋は  
薄暗く灯りは点いていない。声を掛けるも返事が無く、急いで靴を脱ぐとリビングへ向かった。  
「マナ……?」  
 ソファーにもたれ掛かるようにして眠っている愛永を見つけると、心底ほっとして息をつき、寝室から  
毛布を持ってきて掛けてやった。  
 考えてみれば、彼女が他に行く宛なんかあるはずは無いのだが、それでもこうして不安を感じて  
しまうのは、やはりどこか噛み合わない夫婦としての自分たちの今の姿があるからなのだろうか。  
 ふとテーブルに目をやると、針仕事の途中らしく裁縫箱が開けたまま置いてある。その側に広げられた  
布地を手に取り眺めながら、もう一方の手で眠っている彼女の髪をそっと撫でた。  
 
 
「……ん」  
 カチャカチャと食器の並ぶ音がして目を開けると、キッチンから漏れる明かりにはっと気付いて、  
愛永は慌てて飛び起きた。  
「お、起きたのか?飯出来たから」  
 ネクタイこそ絞めてないものの、Yシャツのまま食事を並べる浩史の姿に申し訳なさを感じ、愛永は  
入口で立ち竦んだ。  
「……ごめん」  
「いや、別にいい。それより食えるか?」  
「……」  
 浩史はさっさと席に着くと、お前も座れ、と愛永にも促した。だが、彼女は押し黙ったままでその場から  
動こうとしない。  
「どうした。具合、悪いのか?」  
 黙って首を振る。  
「食欲ないなら、無理しなくていい。……また、横になるか?」  
 また首を振る。  
「マナ」  
 立ち上がって側に寄ると俯いて黙り込む。  
「どうした?」  
「…………」  
 頬に浩史の細い指が触れ、一瞬だけぴくっ、と震えた肌に今朝の光景を思い出すが、そのまま動こうと  
しないのを見てそっと両手で愛永の顔を包み込んだ。  
「……?」  
 指先にふと冷たく濡れた感触を覚えて、くい、と顔を上げさせる。  
「マナ」  
「……ごめん」  
 見下ろしたその両の瞳には大粒の涙が溢れていた。  
 
「何で、謝るんだ」  
「だって……」  
 また俯くとぎゅっと握り締めていた手をお腹にやり、涙声で呟く。  
「だってあたし、寝てばっかだし、家事もろくに出来ないし、コージの足引っ張ってるみたいで」  
「なんだ」  
 そんな事かよ、と再び顔を上げさせて、宥めるように話し掛ける。  
「仕方ねえだろ?お前、今普通の体じゃねえんだから。それに別に飯炊きさせるために結婚したわけじゃねえし」  
 元々2年前までは家政婦付きだったため家事なんて一切縁の無い、言わばお嬢様だった愛永だ。  
大学を出て一応1人で部屋を借りたものの、ほとんど何も出来なかった為大体を浩史のアパートで過ごしていた。  
それでも一緒に暮らすまで到らなかったのは、彼女がその申し出を受けなかったからだったのだが……。  
「だって役立たずだもん、あたし」  
「そんな事言うな」  
 何かまだ言いたそうに見えた唇を、聞きたくないという風に黙って彼は自らのそれで塞いだ。  
 軽く優しいキスが終わると愛永はまたぽろぽろと涙を零し、俯きながら浩史の胸におでこを寄せた。  
そんな彼女の頭に黙って手を乗せ、撫でながら抱き寄せ言葉を待った。  
 何がそんなに哀しいのか――そう思いながら。  
「……コージ」  
「ん」  
「どうしてあたしとなんか結婚したの?」  
 愛永は目を合わさずにそっと体を離すと、またお腹に当てた手を眺めじっと立ち尽くした。  
「聞かなきゃわかんねえのかよ……?」  
 何度も伝えた筈だ。愛している、と。それだけでは駄目なのか。愛しているから側にいて欲しい、  
側にいたい。それでは足りないのか……?  
「俺じゃ、足りないのか?お前を幸せにしてやれないのか?」  
「違う。それはあたしよりコージの方でしょ?」  
「…………え?」  
 自分では彼女の寂しさを埋めてやる事が出来ないのか、と絶望しそうな気持ちになりかけた浩史に  
届いた声は意外なものだった。  
 
「駄目なのはコージの方でしょ?」  
 思ってもみない事を言われて、浩史は何と答えればいいのかしばし言葉を失ってしまっていた。が、  
混乱しかけた頭を元通りに落ち着かせ彼女に問い掛けた。  
「何だよ。何がだよ。なんでそう思うんだ?……俺、何かしたのか?」  
「何もしないから……」  
「あ?」  
「コージ何もしないし、言わないから」  
 その瞳はとても不安そうにさまよい、震えているように見えた。  
 それを見て浩史は自らを落ち着かせ、とにかくここは愛永の気持ちが知りたいと思い、ゆっくりで  
いいから話してくれと諭した。  
 
「……あたし、赤ちゃんが出来てから悪阻とか辛くて寝てばっかりで、終わったら今度は眠くてたまらなくて  
 結局寝てばかりで、ただでさえろくに出来ない家事が益々手に付かなくて、コージに迷惑ばっかり  
 掛けてる。これじゃ奥さん失格じゃん、あたし」  
「そんな事気にしてたのかよ……。んなのそのうちでいいっつってんだろーが」  
「そうだけどさ……」  
 そんなもの承知の上だ。元々嫌いではないし、3兄弟の真ん中で育った浩史は、不器用な兄と病弱だった  
弟に挟まれた上に、両親が共働きだった為自分の事は自分での精神でやってきたので、別に女性にそういう  
期待を持った事はない。  
 でなければ、愛永のような彼女と7年も付き合ってるうちに幻滅しないわけがないだろう。  
「そんな事かよ」  
「それだけじゃない。あたしに触れようとしなくなった」  
 確かに妊娠がわかってからというもの、特にここへ越してきてからは彼女にあまり触れていない。  
「それは、お前の体を考えて……」  
「そうかな?」  
 何が言いたいのかと浩史は口を開くのを控えて耳を傾けた。  
「……あたしの髪、好きだって言ってたのに、全く触れなくなった。切っちゃったからつまんなくなった?  
 お腹が膨らんできたから?それとも他には何も取り柄がないから、その価値さえなくなっちゃったの?あたし」  
 まさかの言葉に浩史はただ驚くしなかった。  
 
「お前……そんな事考えてたのか?」  
 確かに愛永の黒く長い髪が好きだと言った。そのためにずっと胸元までの長さをキープしていたのは  
知っている。それをシャンプーするのが辛くなったから、と短くしたのには多少残念だとは思ったが、  
さほど気にはしていなかった。  
 少しずつ膨らんできたお腹を不思議に思ったり、体を気遣って触れるのを躊躇ったりはしたが、嫌悪感を  
催した事などあるはずもない。それを望んだのは元々自分なのだから。  
「その上あたし何も役に立てないし、コージにとって価値の無い人間なんだって。そう思ったら……」  
「馬鹿かよ、お前は」  
 顎の下で切りそろえられた髪を掬い、唇をなぞった指先で涙を拭うと震える体を抱き寄せた。  
「……馬鹿。俺はお前と付き合う時言ったろ?会えないほうが辛いんだ、って」  
 愛永は一時自暴自棄になりかけた事があり、声を掛けた相手とその日の内に関係を持った。  
 ――それがコージだったのだ。最初は割り切った関係を続けるつもりでいたはずなのに、本気になって  
しまっていた。  
「いや、馬鹿は俺もか」  
 初めてセックス抜きで会った日、愛永は言ったのだ。  
 
『やれなかったら意味ないじゃん。あんたにとって、あたしは会う事の意味が……』  
 
 愛情の薄い両親からは、常に期待だけを背負わされていた。そのため学校での成績だけは良かった。  
それしか親に認めて貰える価値は無いのだと愛永は頑張ってきたのだ。それを知っていながら自分は  
まるで腫れ物に触るかのように彼女を扱い、自ら踏み込もうとしなかったのだという事に浩史は気が付いた。  
「……もっと俺を頼ってくれよ。マナ。それともあんなやり方でお前を手に入れた俺じゃ、やっぱり  
 駄目なのか……?」  
 抱き締められて愛永はゆっくりと首を振った。  
「……少し、強引だったとは思うけど。でも本気で嫌ならもっと抵抗してた。あたしもどこかで望んで  
 たから……」  
 奪って欲しかったのかもしれない。何も迷い考える間もない位に。  
「お前がいない暮らしこそが、価値なんてねえんだよ」  
 その言葉に、愛永は子供みたいにただ泣きじゃくるしかなかった。  
 
* * *  
 
「本当に大丈夫か?」  
「うん、少しなら平気だと思う。一応安定期だし」  
 浩史はベッドに横向に寝転がると、久しぶりに愛永の肌に自分の肌を合わせるよう抱き寄せる。  
「腹ちょっと出てきたなー」  
 恐々と背中にまわしていた手を愛永のお腹に触れる。  
「その内つっかえてこういう事も出来なくなるかも」  
 愛永が顔を寄せてキスをせがむと、浩史がゆっくりそれに唇を合わせながら胸へと掌を滑らせる。  
 敏感さを増した躰はほんの少しの愛撫でも反応してしまう。  
「……んあっ……や、優しく……」  
「ああ」  
 両の重みをすくい上げるようにそうっと揉むと、首筋から耳朶にかけて吸いつきながら唇を這わせる。  
「あっ、や……」  
「相変わらず弱いな」  
 ぶるっと震えた肩にキスをして意地悪く耳元で囁くと  
「ばか」  
と赤い頬を膨れさせて枕に顔を埋めてしまう。  
「拗ねんなよ」  
 愛永のそういう時折自分にだけ見せる子供っぽい部分が浩史は好きだと思う。  
 わざと開き気味に唇を塞ぐと、待ちわびた愛永の舌が侵入して彼の中で蠢くのをたまらない気持ちで味わった。  
 湿ったキスの音だけがしんとした部屋に響くのを聞きながら、ただ2人は抱き合っていた。  
だがそれだけで一向に事は進まない。  
「コージ……?」  
「ん……悪い」  
 愛永がそっと下着の上から触れてみるが、浩史のそれは気持ちに反して通常の状態に近いままだった。  
「……やっぱり今のあたしじゃだめなの?愛せない?」  
「いや、違うって」  
 今度は悲しそうに枕に顔を付ける愛永の肩を抱き寄せ、  
「何か、何つうかさ、無茶しちゃヤバいなとか、緊張すんだよ!……見られてるみたいで」  
「はあ!?」  
 お腹に目線を落としながら大真面目な顔で頭を掻いている浩史の様子に思わず吹いた。  
「ばっ……バッカだぁ〜。んなわけないじゃん!」  
「うるせえっ!」  
 頭を掻くのは困ったときの彼の癖なのだ。真っ赤な顔が可笑しくて、愛おしいと愛永は思う。  
「大丈夫だよ……無理だったら我慢しないから」  
 その言葉に浩史が彼女の躰に手を伸ばす。  
 
 おへそからそっと滑らせた指が奥まった秘部へと到達すると、既に滑りを帯びてそれをくわえ込んだ。  
「もう、凄い事になってるぞ」  
「だって、ひさ、しぶりだか、ら……やあっ、あっ」  
 きゅうと締め付けてくるその感触を、指ではなく自身が味わいたいと刹那に思う気持ちが通じたのか、愛永の  
それを握る手に力がこもった。  
「……う」  
「コージ、なんか元気になった?」  
 潤んだ瞳で見つめてくる愛永の顔を見て、浩史のそれがどんどん硬さを増してゆく。  
「……お前は?」  
「あのさ、あんまり……感じすぎたりすると良くないんだって。だからそっと……。コージは?」  
 浩史の方は答えるまでもないだろう。  
「辛かったら、言うんだぞ?」  
「ん……あっ」  
 横向きのまま向かい合った躰を抱き寄せると、愛永の片足を持ち上げ中へ圧し進む。  
「あ……」  
 開かされた脚を浩史の躰に絡ませるようにしがみつき、愛永は思わず背を反らす。  
 彼女を気遣って浅くゆっくり動いてはみるものの、一度振り切ってしまった理性は抑えがきかない。  
「……悪い、マナ。良すぎる……」  
「ん……ふ、ふうっ、あっ!?」  
 何とか欲望が暴走しそうなのを抑えようと、気を逸らすために舌を絡ませるように少々強引にキスをするが、  
狂い始めた彼女の泣き声を聞き逃すまいとしてまた耳元に舌を這わせ、逆に昇り詰めていってしまう。  
「あ、コージ、や……」  
「ん……っ」  
 ぎしぎしと確実にリズムを刻み始めたベッドのスプリングの音が更に2人を狂わせた。  
「……も、もう、イッていいか?」  
「ん……っ」  
 しがみつく腕に更に愛永は力をこめる。  
「お願い、中には、出すの良くない、から……」  
「……ああ、わかっ……」  
 思い切り弾けさせてしまいたい気持ちを抑えながらすんでのところで躰から引き抜くと、自らの熱情を  
愛永の肢体に散らせて、静かに倒れ込んだ。  
 
「疲れたか?」  
「ちょっとね。でも嫌な疲れじゃないよね」  
 浩史も心地良い疲労感を感じながら、汚れたお腹を拭いた愛永の汗ばんだ躰を腕枕して抱き締める。  
 彼がそっとそのお腹の膨らみに手を当てていると、愛永がぽつりと呟いた。  
「ねぇ」  
「ん?」  
「……あたし、ちゃんとママになれるのかな?」  
「マナ?」  
 浩史が覗き込んだ顔には、また不安を浮かべた瞳が彼の姿を捉えて震えていた。  
「あたし、ちゃんとコージの子ども、愛してあげる事出来るのかなあ?」  
 浩史が覗き込んだ顔には、また不安を浮かべた瞳が彼の姿を捉えて震えていた。  
「あたし、ちゃんとコージの子ども、愛してあげる事出来るのかなあ?」  
 浩史は息を付くと、愛永のお腹をゆっくりさすり、それからまた抱き寄せた。  
「お前が思ってるよりいい母ちゃんになるんじゃね?」  
「え?」  
「何かちっちぇえの、見たんだけど。あれ、自分で作ってんだろ?こいつのやつ」  
「……見たんだ?」  
 縫いかけのまま眠ってしまった、赤ちゃん用の肌着。  
「下手くそだよね?笑っちゃった?」  
「笑わねえよ」  
 真剣な目をして愛おしそうにお腹を撫でる。  
「笑ったりしねえ」  
「……」  
「お前さっきから、やってる最中何言ってたか覚えてるか?」  
「え?」  
「口にしてたのは、ずっと腹ン事ばっかりだった。俺なんか理性吹っ飛びかけてたってのに。針仕事だって  
 嫌いだっただろうが。愛情のない奴がそんな真似できっかよ」  
「……うん」  
「俺だって、産まれてみなきゃ正直わかんねえなって時もある。けど、マナがそうやって大事に守って  
 くれんなら、俺は俺に出来るだけの事やるから。……俺は、ただお前を好きでいる事だけしか  
 出来ねえけどな」  
「……充分だよ。だって、あたしが欲しかったのはずっとそれだけだったんだもん」  
 
 ただ好きになって――愛して欲しい、それだけがずっと本当に望んだものだった。それを教えて  
くれたのは浩史だ。  
 
「あたしもずっと……コージの事、好きでいるから。頑張っていい奥さんになるから」  
 愛永はこれまでとは違う涙を浮かべながら、浩史の頬に自分の頬を寄せた。  
 
 暫く横になった後、シーツを取り替えようと浩史がベッドから立ち上がった時だった。  
「あ……れっ!?」  
「どうした?」  
 小さく呻いて身を屈めた愛永に駆け寄ると、一瞬驚いていた表情が徐々に弛んでいく。  
「……た」  
「え?」  
「あのね、今動いたよ。絶対動いた!」  
 ほら、と浩史の手を掴んでお腹に押し当て、一方の手で『しっ』と声を立てさせないよう促す。  
 じっと神経を集中させていると、そのうちに小さく中からポコポコと微かな感触が伝わってきた。  
「……ね?」  
「ああ」  
 照れ臭いのかほんの少しだけ緩めた彼の頬に彼女の手が触れる。  
「2人きりも今の内だけだね」  
「ああ……けど、いずれこいつも誰かと一緒になるんだ。……それからでも遅くねえさ」  
 空いた方の頬を指でポリポリと掻きながら  
「飯食うか」  
とキッチンへ向かった。  
 
 それから新婚生活をやり直すのもいいかもしれない――。  
 彼の最上級の照れ隠しを真似して頬を軽く掻きながら、愛永はシーツをかき集めてキッチンへ向かった。  
 
 
* * *  
 
 翌朝浩史が起きると、愛永がキッチンでまじまじと皿を眺めている。  
「どうした?」  
「あ、おはよ。ねえ、これ見て」  
 覗いた皿には黄身が2つの目玉焼きが乗っていた。  
「何だ?実は裏が黒いのか?」  
「違う!そりゃこの間やったけど……そうじゃなくて。これ1つの卵から出てきたの、黄身2つ。  
 あたし初めて見たんだよねー」  
 興奮して嬉しそうにまくし立てる愛永が子供みたいに見えて、知り合った頃の醒めた彼女が別人の  
ようだ、と思いながら、浩史は一緒にそれを眺めて微笑んだ。  
「……いいね、こういうの」  
「あ?」  
「こういう事が分け合えるのって、幸せなんだよね?」  
「……そうだな」  
 些細な喜びを伝えて分かち合える相手に恵まれるという事は、本当は稀で幸せな事なのかもしれない  
と側で微笑む愛永を見て浩史は思う。  
 もっと早くからそれを伝えてあげられていたらとも。  
 
 ――そういう意味では『最初が肝心』なのかもしれない、と煩い上司の一言多さに、この時ばかりは感謝する事にした。  
 
 
* *終わり* *  
 
 

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