「どう、もう馴れたのか?」  
「うん。みんないい人だし、仕事もだいぶ覚えたんだから」  
「そうか。家の事は無理しなくていいんだぞ?お前だって好きな事する時間も必要だからな」  
「大丈夫!学生の時よりは自由な時間あると思うし。それより早く食べないと」  
 朝の一時。慌ただしくも2人で過ごせる至福の時間でもある。  
 というのも、最近になって私、八神香子(やがみ かこ)は週に3日程だがパートに出るようになったからだ。  
「あのねイチ君、今日遅くなるんだよね?私もちょっと……」  
「ん?ああ、何、どっか行くの」  
「あのね、実は買い物したくて……だからね、お金なんだけど」  
「いいよ。香子の好きにしたらいいさ」  
「本当!?……ありがとう」  
 実は今日給料日なのだ。  
 私は春に高校を出てすぐ結婚した。学生時代もバイトをする機会を逸してしまったため働いた事がない。  
 だから生まれて初めての給料日なのだ。  
 自分で働いたお金が貰えるのだから、それはとても新鮮で嬉しい。  
「香子が一生懸命働いて手に入れるお金なんだから。ただ大事に使えよ」  
「わかってる。ちゃんと貯金しとくつもりだから心配しないで」  
 そうこうしているうちに、短い朝のくつろぎタイムはあっという間に過ぎてしまう。  
「お、もうこんな時間!」  
 残りのコーヒーを飲み干してジャケットを羽織ると玄関へ向かう。  
「じゃ、行ってくる」  
「行ってらっしゃい」  
 靴を履いた所で鞄を渡すが、なかなか彼はドアを開けようとしない。  
「忘れ物……」  
「え、うそ。ハンカチも車のキーも……えっ今日お弁当いったの!?」  
 すると背をかがめてじーっと黙ったまま、顔を私の目の前まで持ってくる。  
「ほれ、んっ」  
「……」   
えっと、これって???  
 
 
 忘れ物を受け取ると嬉々として出掛けていった。  
「ほんとにもう……段々子供っぽくなる気がするんだけど!」  
 私より10も年上の旦那さんは伊知朗(いちろう)、私は彼をイチ君と呼ぶ。  
 
 
 仕事帰りに銀行へ行き、ATMでお金を下ろした。生まれて初めてのお給料は、いつもイチ君が稼いで  
きてくれる額とは比べものにならないけれど、私には重くて貴重なものだ。  
 封筒にいくらか入れて財布に使う分を移して建物を出た所で、誰かに肩を叩かれた。  
「ひゃあっ!?」  
「わあっ!!」  
 思わず悲鳴に近い声をあげて振り向くと、相手も驚いて仰け反っている。  
「ああ、伊吹さん!……びっくりしたぁー」  
「いや、こっちもびびったって!!って、俺のせいか、いやごめんごめん」  
 そこにいたのは私より2つ上の大学生。  
「こんな所じゃひったくりかなんかだと思いますよ!って、伊吹さん店どうしたんですか?」  
「あー、明日竹田さんと替わってあげたんだ。だから今日は休み」  
「ああ、そうなんですか」  
 私は近所のレンタルDVD店で昼から夕方まで月水金働く事にした。学生のバイトも多く、夕方から  
入れ替わりで入ってくる彼、伊吹さんとはその時顔を合わせている位だが軽い雑談位は出来るようになった。  
「これから帰ってご飯作んの?主婦は大変だなあ〜」  
「そんな事ないですよ。今日はイチ君……あ、彼遅いから。ちょっと買い物して適当にやろうと思って」  
「へー。何買うの?」  
 実は、と返そうとしてはたと気がついた。  
「どうしたの?」  
「いえ、あの伊吹さん、私良く考えたらまだお店とか知らない所多いんですよね。どこかおすすめの  
 とこ知りませんか?」  
「おすすめね……何が欲しいの?」  
 欲しいものを告げると、彼は少し考えてわかった、と頷いた。  
「じゃあそこまで連れてってあげるよ。俺暇だし」  
「えっ?でもそんな……いいんですか?」  
 いいのいいの、という彼に甘えてそこまで連れて行って貰う事にした。  
「それにしても八神さんて旦那さんの事クン付けで呼ぶんだ〜。ラブラブなんだ?イイナー」  
「いや、そんな……」  
 慌てて首をぶんぶん振ってしまった。何ていうか、凄く恥ずかしい。  
「照れないの!ますます妬けてくるじゃん」  
 調子狂うなあ。良い人なんだけど、ねえ……。  
 そんな私の困惑をよそに伊吹さんはずんずん前を歩いていく。  
 
 
 家に帰ると8時を回っていた。  
「やっぱりまだ帰ってなかったんだ……」  
 何度か携帯に掛けてはみたけど通じなかった。まだ仕事中だったのかもしれない。  
 とりあえずお風呂に入ろうとお湯を入れて、その間に荷物を片付けた。  
 雑誌とちょっとした雑貨類を整理し、それから1つ包みを取り出す。少し考えてダイニングテーブルの  
上に置いた所でお湯が溜まったアラームが鳴ったので、そのままお風呂場に向かった。  
 体を洗って湯船に浸かって寛ぎながら今日の事を思い出す。  
 
 伊吹さんに付き合って貰ったおかげで何とか目的のものは買うことができた。  
 その後どうせ今日は1人だから、とご飯を食べて少し話をした。  
 同年代の人とじっくり話をするのは久しぶりで、異性という事で多少緊張はしたものの、越してきて  
できた友達という事はやはり嬉しかったのだ。  
「くふふっ」  
 交わした会話を思い出して笑いをかみ殺していた時だった。ばん!と音を立てていきなりドアが開いた。  
 
「ひゃあ!?」  
 思わず張り上げてしまった悲鳴に近い声がお風呂場に響く。見ればイチ君がいた。  
「びっくりしたー……お、お帰り」  
「ああ」  
 玄関から直行してきたのだろう。鞄を持ったままの姿で突っ立っている。  
 たがその顔は少し不機嫌で、湯船にしゃがんだままの私の事をじっと凝視したまま何も言葉を発しない。  
 何となく居心地が悪くなってきたのとこんな格好で見られているのが恥ずかしくなって、曲げた膝を  
縮めて両腕でぎゅっとし、隠すように体を丸めた。  
「どうかしたの?」  
「……いや。俺も入りたいんだけど」  
「ん、どうぞ」  
 磨り硝子の向こう側に動くシルエットを見てタイミングをはかり洗い場へ出る。  
「出るの?」  
「えっ?だって入るんでしょ。それに狭いし」  
「いいだろ別に」  
「でも……」  
 入れない事はないが、背の高い彼にすぐ目の前に立たれているこの状態では1人の時よりも圧迫感が  
すごい気がする。  
 
 なのにずんずんと入り込んでくる体に圧されて出るに出られず、洗い場に一緒に立ち尽くす事となってしまった。  
 どうしたもんかと見上げた顔はむすっとしていて、ずっと無言のまま私を見下ろしている。  
「ねえ、イチ君……何か怒ってる?」   
「いや」  
 違うのか。でもなんかが感じられる。  
「じゃあ何?黙ってちゃわかんないよ」  
 すると私の頬を挟んで撫でた両手が首筋を滑り、左右それぞれの肩を強く掴んで止まった。  
「……買い物は楽しかったか?」  
「うん、まあね」  
 と、目線を何気に落としてぎょっとした。うそっ……いきなりその気になってる!?  
「あの、イチく……んっ!!」  
 慌てて顔をあげるといきなりキスされた。それはとても強く、その勢いで下がった  
背中が壁にぶつかった。タイルの冷たさに悲鳴があがりそうになったが、塞がれた唇からはかろうじて  
短い呻きが漏れただけだった。  
 逃げ場がなくなった私の躰は腰に回された手でしっかり捕まえられていて、身動きが  
とれなくなっている。そんな状態で胸を弄られ舌を押し込まれると、目の前にある彼の大きな躰にしがみつく  
ことでやっと立っていられるといっ具合だった。  
「ん……はうっ!んっ」  
 胸を弄んでいた手が両脚の間に落ちて、多分お湯とは違う湿りを確かめるとざわざわと蠢き始める。  
 それに舌を引き抜かれかけた一瞬声で反応してしまい、狭い風呂場に響いた音が思いのほか大きくて  
必死でもう一度唇を押し当ててしがみつき耐えた。  
「んっ、痛ッ!!」  
 唇を離した彼の顔が目の前で歪んでいる。  
 私が回していた手につい力が入ってしまったようで、背中をしきりに気にしていた。  
「ごめん……」  
「いや、いいよ」  
「けど」  
「大丈夫」  
 気にするな、とでもいうように軽くキスをする。そしてそのまままたじっと私を見下ろしている。  
 
 と、いきなり私の足下に跪いて両の太ももを撫で、掴んだかと思うと  
「ちょっと脚開いて」  
なんて言い出した。  
「へっ?やだ、何でぇ!?」  
「いいから」  
 静かな瞳で見上げてきながらおへその辺りに唇を当ててくる。  
「お願い」  
 ずるい。そんなふうに言われたらいうこと聞くしかないじゃないか。  
 ゆっくりと少しずつ脚を広げてみる。  
「これ位?」  
「もっと」  
「ええっ!?……こ、これでっ」  
 壁にもたれて脚を広げて立っている。 裸だというだけでもの凄く心細いというのに、向かいの壁に掛かる鏡に私の膝から上の全てが映し  
出されていて目のやり場に困り、かといって俯けば彼と目が合ってしまう。  
 仕方なくふうと息を吐くと目を瞑って天井を仰いだ。  
 程なくしてまた、ぬるんとした感触と共に馴れた指の動きが膝をふるふると震えさせてくる。  
 少しの間その指の悪戯に耐え声を殺していると、それは熱い息づかいと柔らかい舌の動きに替わった。  
「ひぅ!……や、いやぁっ」  
 また不意をつかれてあげてしまった声が響きわたり、慌てて手の甲を押し当てる。  
「んっ……んんーっ……んん」  
 小窓は閉じているものの、こんな声は意外と響くような気がする。それを必死で我慢しようとしている  
私にはお構いなしにがっちりと脚の付け根を押さえ込んで愛撫を続けている。  
「いや、ねえ、やめて……イチ君……あ、ああっ」  
 ジンジンと熱を持って理性に襲いかかってくる快感から逃れようと彼の動きを止めようとするが、  
闇雲にその癖のついた髪を掻き乱しただけに過ぎず、執拗にその一点を攻めてくる。  
「ねえってば……ここじゃ、だ……め。お願い……んっ」  
 何度もこのような哀願を繰り返し、やっと冷たいタイルから解放された。  
 シャワーを捻る彼をドアを閉めようと振り返って見た時、背中には先程私がつけた朱い爪痕があった。  
 
 多分今夜はするんだろうな、と引き出しからコンドームを出しておき、ドキドキと布団の上で座って  
待ちながら考える。  
 いきなりどうしたというんだろう?なんか変だ。ふざけて『風呂入ろう』なんて言うことは時々あったけど、  
私がヤダって言ったら無理に押し入ってくるような真似はしなかった。(誘えば確実に来るに違いない)  
 なのに今夜は……。その上あんな事!  
 やっぱり怒ってるんだろうか?今頃まで出歩いていた事をわかっていて、それが面白くないのかもしれない。  
 縛られているわけじゃないけど、だとしたらちょっとこっちだってどうかと思う。  
 高校生の頃は家事もあったし、友達と出掛けてもちゃんと時間を決めて早めに帰宅していた。イチ君は  
心配性だったから。保護者としてはそれで良かったのかもしれない。でも今は違う。私はただ守られる  
だけの存在ではない筈だ。  
 にぎにぎと軽く手のひらで袋を弄んでいると、襖が開いてタオルを腰に巻いただけのイチ君が立っていた。  
 
 灯りもつけたままの部屋でタオルを外すと、丸見えのそれはすっかりその気になってしまっているのがわかった。  
「あ……の」  
 電気を消そうと立ち上がった私の腕を掴んで袋を取り上げるとぽんと放り投げ、さっさとパジャマの  
ボタンを外していく。  
「イチ君、ちょっ、電気!!」  
「いいから」  
 完全に無視。煌々と照らされる灯りの下、布団の上に押し倒された私はあっという間に下着まで取られて  
力強い躰に組み敷かれてしまう。  
「どうしたの?恥ずかしいよこんなの」  
「何で?いいだろ」  
「だって!ぜ、全部丸見えだし……。それにイチ君なんか怒ってない?怖いよ」  
「……怒られるような事、したのか?」  
「してないよ。そりゃちょっとゆっくりし過ぎたかもしれないけど……さ」  
「だったらいいじゃん」  
 少し雫の残る唇で私の唇を塞ぎながらゆっくりと胸を揉んでくる。  
「俺の事好き?」  
 あ、出た。してる時必ずと言っていい位こうやって聞いてくる。もちろん  
「うん」  
と答える。そうすると少し嬉しそうにはにかむ顔が私にとっても嬉しいからだ。  
 
「本当に俺だけ?」  
「当たり前でしょ」  
 あれ?今日はちょっと勝手が違う。いつもなら『俺も好きだよ』って言ってくれるのに。  
「イチ君は?」  
「……好きだよ」  
 それからニコッと笑ってキスしてくれるのに。  
「ね、キスして」  
 優しく落とされるキスを待っていたのに、私からねだってやっとしてくれたキスは  
やっぱりいつものものと違っていた。  
「んっ……あ、ちょっ、んんん」  
 のしかかった躰の重さをそのまま押し付けて来るような、乱暴なキス。差し込んできた舌は私の中で  
暴れもがいているようで、息をする事すらままならない。――苦しい。  
「はぁ……。イチ君、どうしたの?なんかやっぱり怒ってない?変だよ!」  
「……怒ってないって言ってるだろ!!」  
 そう言うと首筋にきつく吸い付いて、その勢いで胸の膨らみやお腹のあちこちに痛い位のキスの雨を降らせる。  
「ちょっと痛っ……痛いってば!!離してっ」  
「だめだ」  
 散々啄まれた跡を見れば、所々うっすら朱くなってしまっている。これじゃまるでマーキングだ。  
「何よ何なの?やっぱり変!私が何したっていうの!?」  
「何もしてないよ」  
 自分がつけた跡をなぞりなが静かに呟く。  
「何もしてないんだろ?」  
 ――やっぱり変。何か言いたい事隠してる。拗ねたような口振りとあんまりな行動にだんだん腹が立ってきた。  
「はっきり言えば!?何が気に入らないの。何を疑ってるの!私の気持ちまで信じらんないの?ねえ!!」  
 ぴく、と彼の肩が震え、体を起こして見下ろしてくる。  
「信じてないからすぐ『好きか』って聞くんでしょ?言わせるんでしょ!?もう知らない」  
 精一杯の力で被さる体を押しのけ起き上がりパジャマを取る。  
「今日はもう嫌。私リビングで寝るから。……イチ君なんか嫌い!」  
 パジャマに袖を通しかけて気配にはっと振り返ると、引きちぎられんばかりの勢いで剥ぎ取られ、前のめりに押し倒されてしまった。  
 肩越しに振り向いて目に入った彼の痛々しい瞳に、それこそ勢いで吐き出してしまった言葉に思い切り後悔した。  
 
「あ……ごめん言い過ぎた、ごめんね?」  
 慌てて謝るけど返事は無い。そればかりか肩を押さえられ、髪を乱暴にかき上げられうなじに唇を  
押し当てられ身動きがとれなくなってしまった。  
 そこへ更に、背中いっぱいのキスと撫で回される手のひらからの刺激。ぞくぞくと走る快感に躰中が震え、  
仰け反りながら声をあげてしまう。  
 一通り背中に触れていた手が一旦離れると、脇腹からお尻の膨らみを撫で回し、そのまま後ろから  
脚の間に指を回し込んで触れてくる。  
「んふっ……あぁっ!?」  
 何度か繰り返されてきた愛撫のせいか、その滑らかな動きに十分濡れているのが自分でもわかる。  
「嫌いなのか?これでも。いやらしい娘なんだな、香子は」  
「いやぁ!違う……」  
「何が違うの」  
 首筋から耳元に熱い吐息を吹きかけられながらあそこを弄られ、躰が跳ねる。  
「もっと、もっとって言ってる。ほらお尻が浮いてるぞ?……欲しいのか?」  
「やだっ」  
 まるで強請るように膝を立て、彼の言うとおりに下半身が意思とは関係なく動いているのがわかり、  
恥ずかしいのと悔しいのとでシーツを思い切り掴んだ。  
「欲しいか?」  
 熱く堅いモノが背後から脚の付け根に押し当てられ、少しずつ両脚の間に入り込んでくる。  
「どうした?」  
 後ろから動いていた手は前に回り、お尻の側から擦り付けられるモノとお腹の側からぐちゅぐちゅと  
肉芽を苛めてくる指に意識が朦朧としてくる。  
 入り口付近で焦らされるようにつるつると滑るそんな彼の動きに、とうとう耐えきれなくなってしまった。  
「イチ君……れて」  
「ん?聞こえないなぁ」  
「い、れて」  
「あれ着けてないんだけど。どうする?」  
「……あ……いや、……着けてえっ」  
 2人の愛液が絡み合って熱く求め合っている。――正直、もう何も考える事などできそうにない。  
「だめ!まだだめだってば……!?いやあぁぁぁっ!!」  
 抵抗虚しく背後から羽交い締めにされたまま、私の中は彼に満たされてしまった。  
 いわゆる生のままで後ろから突き動かされ、四つん這いの格好で頭を振り乱しながら、ただ私は嬌声を  
あげるしかなかった。  
 
* * *  
 
 まるで犯しているようだ。  
 逃げられないように背後から組み敷いた躰を抱え込み、猛り狂った自分自身を押し込んで暴れさせている。  
「いやあ、イチ君……っ!?」  
 爪を立て皺の寄るシーツと仰け反りかえる背中だけが視界に入り、香子の悲鳴に近い喘ぎだけが耳に届く。  
 どんな顔をしているのだろう。泣いているのだろうか?それとも。  
 明らかに普段より感覚を増しているはずの繋がりに狂いつつある姿を見たい、と少々名残惜しく思いながら  
彼女の中から自分自身を引き抜く。  
 その途端、えっ?といった表情で不安げに振り向いた香子の潤んだ瞳や紅潮した頬にまた欲望は高まる。  
 躰を仰向けに直すと力の抜けてふにゃふにゃになった両脚をぐいと広げ、再びその中に自分を押し込んだ。  
「あ……ああ……」  
 切なく甘い声を振りまきながら震えている。  
「気持ちいいか?……俺もだよ。そんな声して、香子はえっちだなぁ」  
 2人を隔てる物は何もない。  
 その感覚を味わおうと再び腰を動かし始める。  
 薄いゴム1枚無くなるだけでこんなにも違うものなのかと、動く度に聞こえてくる水音や香子の声に  
自分の僅かな理性が吹っ飛んでしまいそうになる。  
 このまま昇り詰めたらどんなに――。  
 出してしまいたい、思いっ切り。小振りだが動く度に揺れる乳房を眺めながらそんな衝動に駆られている。  
「う……」  
 余りの気持ちよさに喉の奥から呻き声が漏れてしまう。もう、限界だ。  
「香子……イキそうだ」  
「えっ!?あ、ちょっとだめ!だめっ!!」  
「なんで」  
 俺達は夫婦なんだろう?なのにどうして。  
「だってまだ早いよ。イチ君だってそう言ったじゃ……ああ!?」  
 最後までしゃべらせずに思いっ切り揺さぶりながら腰をくねらせる。  
「いやあぁぁっ!!いきなりこんな……嫌だ!このままじゃ怖い……」  
 くそっ。  
 泣いてる顔を見てしまったら、それ以上無理強いは出来なくなってしまった。  
「――いっちゃう……っ!!」  
 細く甲高い声をぼんやりと耳にしながらギリギリで引き抜いたモノは、びくびくと跳ねながら見下ろす躰に  
歪んだ欲望をまき散らしていた。  
 
「どうして今日はそんなに意地悪するの ……?」  
 シャワーで流したあとの肌には、俺が噛みつかんばかりに付けてしまったキスマークが痛々しく残ってしまっていた。  
「私まだ今の生活始まったばかりだし、赤ちゃんなんか早いって決めたのに、そのまま……。何が気に入らないの?  
 やっぱり何か変だよ。今日のイチ君」  
「ごめん」  
 本当に変だ。どうかしてると自分でも思う。  
「何を苛々してるの?私が何かしたなら言ってよ」  
 苛々、か。確かに今の俺は心がざわざわして自分でもどうしようもない気持ちを持て余してしまっている。  
 原因はわかってるんだ。  
「誰なんだ?あの男」  
「えっ?」  
「食事は楽しかったか?俺以外との」  
 ――言ってしまった。  
 出先から社に戻る途中でこの近所に立ち寄った。その時、ファミレスの窓際の席に着いて談笑している  
香子を見たのだ。それも、知らない他の男と。  
 それを目にした瞬間自分が嫉妬の塊になったのを感じた。  
「見たの?なら、電話鳴らすなり声掛けてくれても良かったのに」  
「邪魔じゃなかったのか?かなり盛り上がってたみたいだったけどなー」  
 我ながら子供のような受け答えだと言ってしまった後で気付いた。香子は呆れたように溜め息をついて  
俺を睨みつけてくる。  
「何それ!?ただ一緒にバイト仲間とご飯食べただけじゃない。ばかみたい」  
 大人気ないと自分でもわかっているだけに余計に腹が立った。  
「へー。飯食うくらい仲いいのか。まだ始めたばかりだってのに、よっぽど気が合うんだな」  
「うわーやな言い方。確かに伊吹さんは結構話す方だけど……。買いたい物があってお店教えて貰ったの。  
 そのお礼にご飯奢ったんだよ。イチ君だって外で社の人と食べてくる事あるじゃない。何が違うの?」  
 一字一句どこを突いても彼女の言ってる事には間違いはない。  
 香子はムスッとしたまま押入から毛布を出すとソファーで寝るつもりなのだろう、リビングに消えていった。  
 俺も黙って布団を被ってそのまま不貞寝してしまった。  
 
 
「で、奥さんと喧嘩しちゃったと」  
 昼の休憩時間に社食で同席した島田女史に『可愛い奥様はお元気ですか?』とからかい半分に聞かれ、  
適当にごにょごにょ誤魔化していたら何か察する物があったらしく、昨夜の夫婦生活を除く一部始終を  
暴露する羽目になった。  
「それは八神さんがちょっと我が儘なんじゃないの?いいじゃないの、お友達とご飯位食べたって」  
「別にだめだとは言ってないさ。ただまあ、何て言うかその……」  
「私と今お茶飲んで話してるのだって言わば同じようなもんでしょ?こんなんで不倫だ!なんていちいち  
 旦那に咎められたら私だってやってられないわよ」  
 やっぱりどの女の人も言うことは同じだなあ、と腕組みしてまくし立てる同い年の同僚を見て思う。  
「八神さんて結構焼き餅焼きなんだー?……まあ、新婚さんだし若くて可愛いお嫁さん貰ったら心配なのも  
 わかるけどね」  
「焼きも……!?何だよ、島田さんだって新婚じゃないか。旦那さん同い年だっけ?」  
「まあね。でも私達は友達期間も長かったし、結構落ち着いちゃってるからなぁ。今更焼き餅もないもんだわ」  
 高校のクラスメートと再会したのが大学を出たての頃で、元々気心が知れた仲は結婚までの経緯も  
緩やかに進んでいったようだ。  
「八神さんとこはずっと一緒に暮らしてきたわけだから、私達よりももっと落ち着いてても不思議はない  
 のにねぇ?」  
「いや、けどそんなつもりはこれっぽっちも無かったから。俺はあくまで彼女の親代わりだったわけだし」  
 10歳で母親を亡くした香子を引き取って17歳まで育ててきた。  
 そのバランスが壊れ、彼女を手離すつもりで高校最後の1年間を俺達は離れて暮らした。  
 けれども思った以上に別れるのは辛くて、一緒になる事を決めて卒業までを遠距離恋愛という形で過ごした。  
 再び家族となって暮らし始めたものの、どうもこの頃感情的に争ってしまう事が増えたような気がする。  
以前の自分達にあった距離感が変わってからやたらと生活の中に波風が立つように感じるのは俺だけだろうか?  
 
「思うんだよ。俺みたいなおっさんで本当に良かったのかなぁとか、ね」  
「ちょ……まだ29でしょ!?八神さんがおっさんなら私だっておばさんじゃない!失礼ね」  
「はは、ごめん」  
 俺の知らない香子を見た。保護者として暮らしていた頃も、家の外ではきっとああいう風に笑って  
いたんだろう。もしかしたらそれこそ恋の1つや2つしていたのではないか?  
 俺が香子を諦め離れると決めた時、そういった覚悟はしていたはずだった。だが実際に違う誰かと  
いる姿を見ると、喉元を締め付けられているかのように苦しくなって目を背けた。  
 はっきり言って同年代の男友達位いたっていいんだ。わかってる。だが、本人同士はともかく知らない  
人間にはそういう風に見えるだろう、と思える位絵になっていた。  
 
 ――嫉妬したのだ、俺は。中途半端に離れた年齢がバカみたいに悔しくて。  
 
「なんか八神さんて中高生の男の子見てるような気になるわ」  
「は?」  
「だってまさに彼女が出来たての恋愛真っ最中って感じするんだもの。」  
 ――恋をしている?結婚までした俺達なのに。今更、嫁さんにした女に?  
「だって八神さん夫婦って恋愛結婚にしてはちょっと特殊でしょ?だから恋愛と結婚生活が同時進行  
 してるのよ、きっと。でも……そういうのも素敵かもね、うん」  
 一緒にまた暮らすためには、正式に籍を入れて周りにちゃんと認めて貰おうと思った。それが一番先に  
きていたために、男女として向かい合った時間は本当にまだ僅かなものでしかないのだ。  
「追っかけて来てくれるような奥さんなんだからもっと自信持てばいいのに。いくら大事だからって  
 箱入りすぎるのも、ね。ま、独り占めしたい気持ちはわかるけど」  
 返す言葉がない。格好悪いなあと頭を掻いてうなだれる俺を見ながら彼女はクスクスと笑った。  
 
 
 翌朝ソファーの上で目を覚ました。  
 昨夜は友人の早川に飲みに行くのを付き合って貰い(ついでに説教され)、帰った時には香子は眠って  
しまっていたので、起こすのもしのびなく思いリビングで寝た。  
 喧嘩した翌朝は、気まずさからさっさと食事もとらずろくに目も合わさず出てしまったので、全く  
言葉を交わさないまま1日が過ぎてしまったと寂しく思う。  
 今朝は普段通りに起きたので、香子がキッチンで味噌汁を作る匂いが鼻先をくすぐるのが嬉しい。  
 服を着替えリビングから出ると、後ろ姿の香子に恐々と声をかけてみた。  
「香子」  
 ピタッとお玉を持つ手が止まりちらりとこっちを見たが、また黙って鍋の様子を見ている。  
「香子」  
 めげずに再度声をかけ、振り向いてくれるのを待った。  
「……なに?」  
「欲しい物はちゃんと買えたのか?」  
「……うん」  
「あのさ。何買ったのか教えてくれないか?いや、別に無理にとは言わないけどさ。初めての給料だし   
 何が欲しかったのかなと思って」  
 香子はちょっと黙って考えていたが、火を止めると寝室へ行き、何やらごそごそと探し物をする気配がした。  
「はい……」  
 戻ってきた香子が手渡してきた細長い包みを見て、ああ、と頭の中で一昨日の夜のテーブルの上に  
あったあれと同じ物と気づく。  
 あの時はそれを一瞥しただけで触れもせず、頭の中は香子に対する我が儘な独占欲で一杯だった。  
 その翌朝は慌ただしく逃げるように出勤し、やはり置きっぱなしだった包みは視界に入っていたものの  
手を触れる気さえ持てずにいたのだ。  
「……開けてみてもいいの?」  
 頷く香子の眼差しがそれに注がれているのを感じながら封を解き、中身を取り出してみる。  
「……俺?」  
 予想外の贈り物に目をぱちくりさせ(てるに違いない)、手元の新しいネクタイと香子の顔を何度も  
見比べた。  
「お前が欲しかったのって……」  
 香子は小さく頷いた。  
 
「私、今までイチ君にお小遣いからプレゼントしたりした事あるけど、それって結局は元々イチ君の  
 お金なんだよね。だからちゃんと自分で稼いだ初めてのお金はそれに使いたいって思い付いて……」  
「香子が選んだの?」  
「よくわかんないから伊吹さんにも手伝って貰った。向こうも悩んでたみたいだけどね」  
「そっか」  
 綺麗な明るい水色のネクタイを広げて首に引っかけてみる。  
「あの人ね、大学のためによそから出てきて1人暮らししてるんだって。だから私みたいなよそ者と  
 気が合うみたい。私の事見てると妹みたいで、田舎の幼なじみの女の子思い出すんだって」  
「……そっか」  
 俺を見上げながら喋る香子の頭を撫でながら、馬鹿げた嫉妬心が薄れてゆくのを密かに感じて穏やかな  
気持ちになった。  
「結んでくれる?」  
 お願いすると、ちょっとはにかみながら慣れない手つきで一生懸命ネクタイを結んでくれた。  
「自分でした方が早くない?……あ、やっぱり難しいなあ。あんまりうまくないけど」  
「そんな事ない、大丈夫!……似合う?」  
「うん、良く似合う。……だから、仕事中も時々でいいから私の事も思い出してね」  
「そんなの言うまでもないさ」  
 少しでも側にいたいと思ってくれる香子の気持ちが痛いほど伝わってきて、それを受け止めようと  
目の前の小さな体を抱き締める。  
「ありがとう。大事にするからな。このネクタイも――香子も」  
「……うん」  
「お前が好きなんだ。だからって、俺だけ見てろ、なんてガキみたいな事考えたりして……ごめんな」  
「……私イチ君以外考えた事ないよ?そんなの誰かさんが一番よく知ってると思うけど」  
 その言葉に胸の奥がきゅっとなる。切なく、甘く、愛おしく。  
 ああ、俺本当に恋の真っ只中にいるのかもしれない。どうしてくれようか。  
「イチ君、今日は残業ありそう?」  
「いや、多分大丈夫。何で?」  
「ん……あのね」  
 今絞めたばかりのネクタイを弄びながら、赤い顔して俯いている。  
「き、今日は、頭洗ってあげたりしてもいいかなー、って」  
「へ?」  
「だから今日は優しくしてね?」  
 
 何が何でも定時に帰ってやる、とネクタイに触れている手を握りしめて微笑んだ。  
 
 
 
「終」  
 
 

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