青年が置かれているこの状況は客観的に見れば、『棚からぼたもち』というヤツだった。  
 打ち所次第では死ねるほどの神速でぶつかって来た可憐なるぼたもち。彼女と出会ったことで青年の只でさえ迷走気味だった人生航路は哀れ、さらなる混沌の海域に向かわされる事となる。  
 そして二人が契りを交わす今宵、表紙はゆっくりと開かれる。嫌でも綴られる物語。それは感想文のために読むことを強制される、夏休みの課題図書のようなものなのかもしれない。  
 
 
 
「……あんた、誰?」  
 困惑気味の表情を顔面全体に浮かべながら、鯨波 映夜(いさなみ えいや)は眉をハの字に下げ、恐る恐る口を開いた。  
 眼前に佇むその少女は彼の問いも何処吹く風といった様子でベッドに腰掛けたまま、三角形に切り分けられたチョコレートケーキを手掴みでむしゃむしゃと頬張っている。  
 彼女の着ている服はモノトーンを基調とした、いわゆるパンクファッション。ゴシック・ロリヰタと混同されがちの、ガールズバンドがよく着るアレだ。  
 映夜はアパートのフローリングに正座。そして少女は前述の通り、ベッドの上。高低差が生んだ粋な悪戯により、泳夜の目線の位置は丁度、赤いチェックのプリーツミニの奥……柔らかそうな太股の間からちらちらと覗く、純白の三角地帯の正面にある。  
 腹が減ったらご飯を食べる。  
 眠たくなったら布団に潜る。  
 見えりゃあ当然パンツ見る。  
 学校でも学習済の、ヒトとしての三大欲求。古代から受け継がれた偉大なる本能に、たかだか生後十九年三ヵ月の若造が抗えるハズもない。初めてナマで見る近距離対面での『それ』に視線を集中させる映夜の耳に、呆れたような少女の声が届いた。  
 
「なに見てんの? パンツ?」  
 穴でも開けようかという熱視線を注がれていることに気付きながら脚を閉じようともしない彼女はもしかすると、かなりの猛者なのかもしれない。  
「あ、いや……。つ、つーかあんたも悪いって言うか……。 こんなの見せてるようなもんじゃん!」  
 露骨過ぎる覗き方故に否定も出来ず、しどろもどろに逆ギレする映夜を楽しげに眺めながら、少女は指に付いたクリームをペロペロと舐める。ムラムラモードの映夜にはその何気ない仕草すら、無駄にエロティックなものに見えた。  
「……で、誰なんだよ、アンタ?」  
 油断すれば下がろうとする目を上へ、上へと向けながら、映夜は改めて問い掛ける。  
 親指から舌を離して少し思考を巡らせた後、少女はにっと笑って口を開いた。  
「お茶。そうね……出来ればミルクティーがイイかな?」  
「……はあ!?」  
 口角を猫のように上げた無邪気な笑み。正直かなり好みな顔でも、突然現れ、冷蔵庫を漁り、ベッドに陣取り、我が物顔で居座る少女の狼藉をこれ以上許容出来るほど、映夜の器は大きくない。  
 例え田嶋先生に怒られることになろうが、無理矢理叩き出してやる。そう決意し、立ち上がったその瞬間、彼の首筋を一陣の風が過ぎた。  
「……!」  
 額に脂汗を浮かべながら、目をそちらへと向ける。すると彼の首筋に、硬質な棒状の物が突き付けられているのが見えた。  
「何だよ……これ……」  
 引きつった顔で、よろよろと後退る映夜。  
「……危ないわよ、後ろ」  
 少女の静かな忠告に恐る恐る振り向いた彼は理解した。彼女が携えた物の正体を。  
 
 部屋の壁に届きそうなほどに長い柄は三メートルはあり、その先端には歪に曲がった巨大な刃が備えられている。刃渡りは四メートルと言った所だろうか? それは長大で、鋭く、美しい鎌だった。少女はその規格外な武器を片手で笑顔のまま、易々と保持している。  
「じゃ、お願いね。ミルクはいっぱい。砂糖は三個」  
 物騒なモノをこちらに向けたまま、機嫌良さげにオーダーを告げる少女の笑顔を背に、すごすごとキッチンへと向かう映夜。  
 内心、涙がちょちょ切れそうな心境だったが、彼は振り返り、せめて一つだけと尋ねた。  
「……名前ぐらい、聞かせてくれてもいいんじゃないの?」  
「あたし? 名前はアスラ。性はまだ無い。……これでイイ?」  
 それが彼らの間に成立した、初めての会話だった。映夜は少女の名前を咀嚼するように何度も、心の中で繰り返す。そして彼の脳裏に浮かんだもの。それは少女と同じ名前の、B級映画の一場面だった。  
 

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