「各員、戦闘体制のまま待機!」
荒野に5000の兵士が集まっている。
前列は長槍を構え、その少しあとに黒いローブを纏った魔術士が立っている。
次に弓兵が矢をつがえ、残りは剣と盾を握っていた。
「いいか、敵の数はたかだか1000!
我々にとって、ただの小石に等しい事を忘れるな。
敵を、敵の血で溺れさせろ!
我々の勝利は神に約束されている。
これは聖戦だ!!」
おぉ!と声があがった。
5000の兵士を束ねるグラムは満足気な顔で彼らの前に立っていた。
「我々の槍は鎧を貫く!
我々の魔術は敵を焼き付くし、矢は雨に等しく降り注ぐ!
剣を振るえば地が砕け、盾は全てを弾く!
もう一度言おう、我々の勝利は約束されている!!」
雰囲気はすでに勝利をおさめていた。
そこに、グラムのそばに男が近寄る。
「グラム様、大事なお話が。」
彼は物見役だった。
「敵にクリスが、死神のクリスが合流しました。
東の国境の防衛に向かったのは偽情報です!」
グラムの背筋が凍った。
運よく、他の兵士には聞こえなかったらしい。
鼓舞された兵士は猛々しい空気に包まれていた。
彼は言葉を締めて、その場を離れる。
そして、ゆっくりと聞き直した。
「それは本当か?
間違いや、それこそ混乱を狙う偽情報ではないのか?」
だが、残念そうに首は振られた。
断じて否、と。
「ちっ…くそ!だから俺は反対だったんだ!
普通に考えて5000に対して1000を向かわせるか?
ここはやはり引くべきだったんだ。」
それは吐き出されたような言葉だった。
「いいか、クリスが合流した事を誰にも話すな。
指揮に影響するからな。
なに、1000の兵と一騎当千が一人…たかだか2000の兵だ。
問題はないだろう。
…問題はない。」
その言葉に嘘がないと誰が言えようか?
だが、敵の軍勢はすぐそこまで来ている。
秒針が10回、円を描けば対峙するはずだ。
退こうとすれば背中を突かれてしまう。
逃げる、という選択肢はなくなっていた。
「…って話してるんだろうな〜。」
焦ってる顔が目に浮かぶ、目に浮かぶ。
私が国境に向かった情報はうまく流れたからね。
おかげで、あっちの敵さんは防御の構え。
こっちの敵さんは油断していると。
まったく、笑顔がこぼれちゃうよ。
「んじゃ、みんなー。
死なない程度に頑張ろうね。」
…よし、元気な返事。
さてと、このペースで進めば10分でぶつかるな。
そろそろ準備をしなくちゃ。
まずは武器のチェック。
歩きながら剣を抜く。
桜色の目と唇、ゆるやかな輪郭が写る。
うし、いい感じに研がれてる。
次は防具、肘当てと膝当て、胸当て、真っ赤な服に欠損はなし。
あ、そうだった、そろそろ髪を切ろうと思ってたのを忘れてた。
もう肩まで伸びてるし…、気になるなあ。
視界に赤いのがはいるし、邪魔になってるよ。
これが終わったら切ってもらおう!
なんて考えてると、地平線に敵が見えはじめた。
距離にして100m、走れば10数秒。
魔術、弓矢、両方とも射程圏内。
まさに臨戦状態だね。
「よーし、魔術部隊は詠唱準備。
剣士部隊はいつでも突撃できるようにしといてね。
合図をしたらすぐに戦闘開始だよ。」
そう言い残して私は敵と対峙しに歩き始めた。
枯れた草がサク、サクと音をたてる。
距離にして10m、ザワ、ザワと、どよめきが聞こえる。
『おい、あれって』
『死神?死神のクリス?』
『まさか……』
本当に焦ってる、焦ってる。
ここまで上手くいくと笑いたくなるよ。
「やっほー、私の噂は知ってるかな?
通称死神、死神のクリスだよ。
まあ、あんた達に恨みはないさ。
だけどマスターのために、とりあえず死んでくれる?」
どよめきはさらに大きくなる。
すかさず私は詠唱を始めた。
『大気に満ちる、数多の水よ
集い来りて玉となれ
その身を氷に変え
敵を押し潰せ!』
戦闘用魔術・氷式・ガラスの星
半径10mにもなる大きな氷が、隕石となる。
これが私の合図。
ぐぁっしゃ!
綺麗、とても綺麗な音。
空から落ちた氷が100人、いや200人は押し潰し、殺した。
…背中がゾクゾクしちゃう。
「っ、各員戦闘開始!」
相手の指揮官ぽいのが叫んだ。
30代くらいかな?銀髪のオールバックと長い髭、がっちりした鎧が特徴的。
ま、どうでもいいけどね。
「どうせあんた達、みんな殺しちゃうんだから。」
前からも、後ろからも怒声が聞こえる。
二つの軍勢の突撃が始まった。
私も10mの距離を走り出す。
槍兵が武器を突き出し、壁を作っていた。
まずはこれを消さなきゃ。
剣を抜く、同時に詠唱を始める。
『降りそそげ、炎
敵を押し潰せ
息をさせるな、焼き殺せ!』
戦闘用魔術・炎式・赤の重さ
炎に質量を持たせて放つ技。
穂先をかいくぐり、一人目の喉に剣を刺すと同時に発動した。
左右と前から叫び声がする。
あれは潰れた声?あれは焼かれた声?
…ゾクゾクしちゃうよ。
魔術が飛び交い、剣が交じり合う。
数分もしないで混戦になった。
出鼻をくじいてやったから、こっちの有利に進んでい───
「…おっと、や!
後ろから殺ろうなんて甘いよ。
ほら、首が斬られちゃったじゃん。
これを教訓にして、来世では気をつけてね。」
えっと、今ので斬った数は〜…、何人目だっけ?
まあ、50は越えてるかな?
魔術のおかげで剣の切れ味が落ちないのは便利だね。
真っ赤に染まるのはどうしようもないけど。
次の敵、胴体から真っ二つにする。
次は心臓を貫いて下に引きおろす。
次は肩から袈裟に切り落とす。
私の通った後には血と肉と死が転がっていた。
「さてさて、そろそろ頃合いだね。
『死神』の由来を見せてあげよう♪」
誰に言うでもない言葉。
私は動きを止め、剣を地面に突き立てた。
自由になった両手を祈るように組み合わせる。
別に、神様なんて信じてないけど必要だからしょうがない。
そして、静かに、ゆっくり呟いた。
『血に濡れた肢体は私の人形
その肉に魂も意思もない
それはただの死の塊
あなた達には従う義務がある
従順にして盲目に
私の手駒になれ』
封印指定魔術・死者の螺旋
効果は単純、一定範囲の死体を支配する。
私が踊れと言えば踊る。
例え首がなかろうと、二つに裂けていようと。
もはや人の形をとどめてない肉塊でも踊りだす。
屍は、私の命令に逆らえない。
「殺せ、私の敵を一人残らず!」
私が死神と呼ばれる理由。
圧倒的な力と、死者を操る事ができるから。
死者が死者を作る。
そして新らしく出来た死者を操り、また死者を作り出す。
この螺旋のような魔術を使えるのは私だけなのだから。
「私が恐れられてるのよね〜。」
肉は剣をとり、または槍をとり、それでもなければ素手で立ち向かう。
既に生きていないから。
人間の制約にとらわれていない。
筋肉は本来は使わない方法で酷使される。それこそ、岩をも砕く力になっている。
強力で残忍な魔術。
既に勝敗は明らかだった。
「土に戻れ。」
指を鳴らすと5000と少々の肉は砂になり、崩れた。
私でも怖くなる程の強制力よね、これって。
「クリス様、お疲れ様です。」
ふと、私の横にいた兵士が言った。
「心遣いありがと。
被害確認と怪我人の保護を急いでね。
私は先に本部に戻るけど…気を抜いて背中を指されないように。」
はい!という返事が返ってきた。
本当、元気だけが取り柄よね〜。
別に嫌いじゃないけど、もっと柔らかい人がいてもいいと思うよ。
そんな事を考えながら、私は馬に乗った。
「よし、急いで帰ろう!」
綱を引き、馬を走らせた。
「…それにしても、本当に死神だな。」
クリスが去った後。
兵士達の会話。
「ああ、確かに一騎当千…いや、それ以上か。」
「単純計算で、一人で4000を倒したからな。」
「さすがスリング博士の最高傑作だな。」
「もっと作ってくれればいいのに。
そしたら戦争も終わるよ。」
「偶然できたらしいぜ、だから量産は無理なんだってよ。」
「偶然、か。
偶然で戦争がひっくり返るのかよ。」
そこには苦笑いが含まれていた。
私が城に帰ってすること。
まず、皇帝様に報告をする。
いつもの褒め言葉をもらって、次の作戦までの待機命令が下る。
そしたら、いの一番に自分の部屋に戻って服を着替える。
今日は〜…、この黒いのでいいか。
ちょっと地味だけど、まさに死神って感じだし。
順番がめちゃくちゃだけど、次に手を洗い、顔を洗う。
そして『お楽しみ』のところへ向かう。
−−−ホモンクルス研究所・スリング博士のアトリエ−−−
ここ!私が頑張って戦う理由!
ノックをすると、返事がかえってくる。
ガチャリ、キィー、バタン。
古びたドアは大袈裟な音をたてた。
「お帰り、僕のかわいい死神。」
ボサボサな青い髪、小さな眼鏡、私と変わらない身長。
くたびれた白衣、だけど20歳になりたての顔には不精髭はない。
変な所がきっちりして、変な所がだらし無いこの人が。
あったかいコーヒーに、ミルクと砂糖をたっぷりいれたようなこの人が、私のマスター。
「ただいま、マスター♪」
そう言って私は抱き着いた。
「よしよし、どうした?
今日はやけに甘えん坊じゃないか。」
ふんわり、柔らかい声。
私の頭をクシャクシャと撫でてくれる手。
その両方が気持ちいい!
「ふわぁ…、ふみゅ。
マスタ〜、『今日は』じゃなくて『今日も』だよ。」
それもそうだね、ってマスターは笑った。
私も一緒に笑う。
「今日ね、作戦が大成功したんだよ。
偽情報を流して、不意打ちする作戦。
こっちの被害は殆ど0だったし、国境も防衛できたみたい。
皇帝様がね、よくやったって褒めてくれたの。
偉いでしょ?」
私が決まってする自慢話。
頑張ったねって言って欲しくてする自慢話。
でも、なぜか。
私がこういう話しをすると複雑な表情をする。
悲しい、苦しい、でも笑って隠してる表情。
「マスター…?」
「ん、頑張ったね。」
でも、やっぱりクシャクシャしてくれた。
それでいっぺんに嬉しくなる。
「んふふ、頑張ったんだよ。
だからね、マスター。」
私は無意識に、とろってした目になっていた。
「ご褒美ちょうだい♪」
そうしてマスターは、嬉しいような、困ったような、複雑な表情でキスをしてくれた。