どんな楽観主義者でも……否、楽観主義者だからこそ。
人生観を根底から覆すような絶望に陥れられた時、その人格は容易く壊れる。
明るく朗らかだった笑い声は卑屈で冷たくなり、
夏の日差しのように眩しかった瞳は冬の木々のように枯れ、
軽やかだった足取りは、人間の臓器でも纏っているかのように重くなる。
歩く度に、足元でぐちゃ、にちゃ、と音がするようだ。
足に絡まる内臓の群れからは、血液こそ出ないものの、得たいの知れない汁が染み出る。
無論それは錯覚に過ぎないのだが、人が壊れるというのは、そういう事だ。
その目に映る風景や物質の見え方は、常人の理解が及ぶところではなくなる。
だからこそ、こんな有り得ようもない幻覚まで、見てしまったのかもしれない。
俺の前に現れた、学生服の少女。
ほんのり茶色がかった髪は、しかしその控えめな発色具合から見るに、恐らく地毛だろう。
縁無しの眼鏡は、理知とお洒落を兼ね備えて、大人びた雰囲気さえ漂わせる。
白いセーラー服の襟元で赤いスカーフがヒラヒラと風に舞い、
黄色味の混じった肌色のカーディガンが、ふんわりと羽織られている。
やや青味の強い紺のスカートは、上着とコントラストがきいて、全体的にマッチしている。
それだけ見ると、いたって普通の女子高生か、下手をすると中学生だ。
と俺が思うのは、その娘の身長が、高校生にしてはやや低く感じられたからだ。
しかし、その手に握られた物騒な物が、全体に漂う清涼感を裏切っていた。
少女は、俺の眉間に銃口を突きつけていたのだ。
「……何コレ。何の真似? つーか、君誰?」
「いっぺんに質問されても困ります。
一つ目の質問の答えですが、これは単純に、あなたの命を奪う道具です。あなたにはそう見えませんか?
二つ目の答え、私は今まさにこの道具であなたの命を奪おうとしているんです。見てわかりませんか?
三つ目の答え……これは、あなたに私の姿がどう見えているかわからないので、何とも言えませんが、
見てわからないという事は、今あなたの目には、存外常識的な外見でもって、私が見えてるのでしょうね?」
物静かそうな静謐な声とは裏腹に、少女は意外と早口だった。
俺の質問に、いちいちマシンガトークで糞丁寧に答えてくる。
周囲を蠢く人ごみの、誰一人としてこの少女の奇行に注視しないという事は、
単に俺が幻覚を見ているだけなのだろう。
俺もとうとうここまで壊れたか。畜生め。
もしこれが幻覚でなかったとすれば、単にこの少女が
エアガンでも使って、ワケのわからないゴッコ遊びをしているのだと思えただろう。
巻き込まれるのは甚だ迷惑だが、妄想癖のある子だと思えば納得出来る。
だが、周囲の人間がこの少女の右手に握られた拳銃に反応を示さないという事は、
むしろ妄想癖に陥っているのは、俺の方だと言う事だろう。
であれば、俺がこの少女に対して何か話しかけても、周囲からは独り言に見える筈だ。
さすがに、かつて『あの件』で人格の崩壊した俺とて、可能な限り常人のフリをしていたい。
周囲に奇異な目で見られるのはかなわないので、妄想の少女を相手にする事なく、
黙ってその手を振り払い、歩き始める事にした。
が、俺には何故か、その少女を振り切る事が出来なかった。
手は振り払ったのだが、俺がどれだけ前進しようと、少女は体ごと俺の方を向いたままで
器用に後ろ向きに歩きながら、常に俺の眼前にいるようポジショニングしてきたからだ。
しかし、後ろ歩きしているにしては、何か違和感がある。
そう思って少女の足元を見て、俺は若干驚いてしまった。、
彼女の足は、ピクリとも動いていなかったのだ。
まるで地面のスレスレをホバー移動しているかのようだ。さながらドム。
妄想でなければ、あぁ、幽霊かもしれないな、と思う。
だが、少女はすぐに俺のそんな推測を否定する言葉を述べた。
「ハジメマシテ。私は死神。名前は特に無いわ」
いくら前に歩いても、常にこの不気味な少女が前にいるのでは、歩く意味が無い。
元々、何か用事があって街にくり出したわけではなかった。
単に暇を潰すために外出しただけなので、変質者に絡まれようが、妄想に絡まれようが、どうでも良い。
俺は人気の無い裏路地まで入ると、そこでじっくりとそのオバケ少女と、話してみる事にした。
「……死神ぃ? 死神ってあの、人の命とってく奴?」
少女は、コクリと頷いた。
やれやれ、俺もいよいよ重症か。
勿論これは、壊れた俺の妄想の産物だろう。
だがもしも妄想でないとすれば、死神は実在する事になる。
何しろ、この少女の特異な行動に、俺以外の誰も反応しなかったのだから。
死神か幽霊でなければ、説明がつかない。
「なるほどね……俺もいよいよ、くたばる時が来たって事か?」
「いやに落ち着いてるのね。
もう少し疑ってかかるか、さもなくば錯乱するかだと思ってたんだけど」
少女は、拳銃を握ったその手をブラブラさせながら、冷静に俺を観察してきた。
「まさか死神が実在するとは、俺も思ってなかったがな。
しかも、こんな可愛らしい娘さんだとは。俺ぁ死神ってのは、
てっきり真っ黒なフードを被ったシャレコウベが、鎌を持ってるもんだと思ってたよ。
しかしそれにしても、死神は日本語も話せるんだな?」
俺は、漫画で見た事のある死神の予想図そのままのイメージを口にした。
だが、少女は首をふった。
「見る人によっては、そう見えるかもしれないわね。
けれど実際には、私はただの意識体。実体を持たないわ」
意味がわからず、俺は首を傾げてみせた。
少女は、面倒くさそうに説明を続ける。
「人間の脳には、防衛本能というものが備わっている。
脳の理解出来る範囲を超えた事象が起こった時、脳は防衛本能を機能させる。
今あなたに、私の『姿』が人間の娘として見えるのは、あなたの脳が、映像をそう処理しているから。
私が日本語で喋っているように思えるのは、私が発する『声』を、
あなたの脳が自動的に、あなたにワカる言語にに翻訳して受信しているから。
この『道具』だってそうよ。あなたには何に見えてるのか知らないけど、
人によっては鎌にも見えるでしょうし、あるいはドリルにだって見えるかもしれない。
『命を奪う道具』としてあなたが連想する物体が、私の『右手』にフィルタリングされているだけに過ぎないわ」
少女はそう言って、拳銃――少なくとも俺には拳銃に見える――を、俺の目の前にチラつかせた。
「なるほどね……その話が本当なら、
つまり君の存在は俺の妄想ではないけれど、君の姿形は、俺の妄想というわけだ。
予想はフィフティ・フィフティだったな」
恐らく、先程俺がこの少女の手を振り払ったのも、防衛本能の見せた映像の一部だろう。
意識体と名乗るこの少女が、実際にはどんな挙動をしているのか、想像だに出来ない。
『死神』と名乗った事にしても、本当は『死神』とは言ってないのに、
俺の脳が勝手にフィルターをかけて『死神』と発音したように聞こえていただけだろう。
中々愉快な話だ。
人間にとっては、死神に対する新解釈だ。
「で、その死神さんが、俺に何の用だ?
……って、まぁ、聞くまでも無いか。死神だもんな。
俺を殺しに来たのか?」
少女――俺には少女に見える――は、やはり、コクリと頷いた。
どこからか手帳を取り出し、ページをめくって読み上げる。
だがその動作すらも、どうせ俺の脳がそう見せているだけの映像だろう。
そう考えれば、鞄も何も持っていない筈のこの少女が、
どこからともなく手帳を取り出してきた事にも、合点がいく。
「死亡管理局報告書、No.8267584。
名称、深沢哲(フカザワサトシ)。享年19歳。間違いないわね?」
「……あぁ」
正直、享年というのは実年齢に一歳足した数字になる筈だと思ったが、
そう言えばこの少女の言葉は、俺の脳が勝手に翻訳した言葉なのだ。
少女は『死亡時の年齢』とでも言ったつもりが、俺が勝手に『享年』と聞いたつもりになっただけだろう。
だから、その点にツッコむのは止めておく事にした。話がややこしくなる。
少女は読み上げ続ける。
「あなたは現在、周囲の人間達から、ストーカーとして疎まれているわね。
覚えはあるかしら?」
聞くまでもない。
何しろ、面と向かって「ストーカー行為は止めろ」と、好きな子の彼氏に罵られた事があるのだから。
何も、勝手に相手の家に侵入したり、つきまとったりしたわけではない。
だが、俺のやった事は確かに、相手から見れば不気味な半ストーカー行為だったかもしれない。
俺は、否定しなかった。
「被害報告が上がっているわ。中には、あなたを殺したい程恨んでる人間もいる。
私達死神は、そんな人間達の声を聞き取り、客観的に見て死ぬべきと判断出来た対象を、
被害者の代わりに殺害してやる事が仕事なのよ」
「なるほどね……
正直、殺意を抱かれる程恨まれてるとまで、思ってなかったなぁ。
ま、しゃあないか。自分でやった事の報いだ。
俺はそう言って少女の手をとり、銃口を俺の額に押し当てた。
「殺して良いよ、死神さん。
特に未練なんて無いから」
だが、少女は引き金をひかなかった。
目は、相変わらず俺を観察するように鋭く、且つ暗く、光続けている。
もっとも、観察されているという事自体、俺の脳がそう見せているだけで……
あぁ、ややこしい。
いちいちフィルター云々考えるのは面倒くさい。
兎も角少女は、じっと俺を見据えたまま、俺を殺そうとはしなかった。
「殺さないのか?」
たっぷり一分程待ってから、俺は問いただしてみた。
少女は銃を下ろした。途端に、その右手から銃が消える。
どうやら、俺を殺す意思が消滅したようだった。
「わからないわ。
私達死神は、報告書と指令に従って人を殺すだけ。
いちいち指令の内容を、自分で吟味した事なんて無い。
考えるのは私達末端の仕事ではなかったし、それに今までは、
いざ殺害対象に対面してみると、指令にも納得がいったもの。
皆見るからに、殺されて当然のクズばかりだったわ。
悪質な取立てを続けた金融会社の社長や、快楽殺人者や、強姦魔。
或いは、大義のために仕方なく殺戮を犯した軍人なんかもいたけど……
基本的には、殺すのを躊躇ってしまう事なんて、無かった。
皆ちゃんと、殺されるに値する理由が、備わっていたのよ」
相変わらず、クールに早口だ。
口数の多い女は嫌われるぞ、と言いたくなったが、そう言えばこの少女が
女かどうかすらも、俺にはよくわからないのだ。何しろフィルターが……あぁ、もうどうでも良い。
「報告書には、俺がストーカーで、いろんな人間に恨まれてるって、書いてあるんだろ?
だったら遠慮する事は無い。殺せば良いじゃないか?」
俺は、わざとらしく肩をすくめてみせた。
だが、少女は尚も俺に手をかけようとしない。
しばらく押し黙った後、少女は口を開いた。
「差し支えなければ、あなたの過去に何があったのか、お聞かせ願えるかしら?」
俺は、やれやれと溜息をついた。
死神などという人智を超えた存在ならば、俺の過去ぐらい、とっくに洗っていると思っていた。
しかしこの死神は、先程報告書がどうとか言っていた。
被害者の側の事情は知っていても、俺の側の事情は知らないというわけだ。
まったく役に立たない報告書だ。
「教えてやろうか、死神。
俺はな、俺をフった女の子に、しつこくメールを送り続けたんだよ」
「……それだけ?」
「十分だろ?
ファックスを送り続けたり、留守電のメッセージをパンクさせたりって手法は、
ストーカーの常套手段として、古くからあった。
メールを送るのはストーカー行為に該当しないなんて、誰が判断するのさ?」
だが、少女は納得出来ない様子だった。
明らかに、今まで殺してきた人間達より、罪のレベルが低く感じられるのだろう。
「……とても私には、その程度の事が、殺意を抱かれねばならない程の悪行だとは思えない」
「殺意を抱いてるのは、多分別の女だと思うけどな」
「別の……? 詳しく聞かせて」
少女は、話が複雑になりそうだと予見したのだろう。
より俺の話に集中するように、半歩俺に近づいた。
「あー、つまりなんだ、アレだ……
俺は俺で、他の女の子をフった事があるんだよ。
俺を一番恨んでるのは、多分その子だよ」
この際だ。
俺は、俺の過去を、洗いざらいぶちまける事にした。
俺が、片思いの相手にフラれた事。
その後、どうしてもその失恋が忘れられず、俺に告白してくれた別の女の子を
あっさりとフってしまった事。
そして、俺がフった相手が……
俺への恨みから、ある事ない事を噂にして、周囲に吹聴しまくった事を。
俺は、あの時程、女を怖いと思った事は無かった。
気がついた時には、俺は、その子の唇を無理矢理奪い、
胸まで揉んでおきながら、悪びれもせずにケタケタと笑って逃げていった、変態にされていた。
勿論俺の友人達は、俺がそんな人間じゃない事を、わかってくれていた。
だが、俺の事を深く知らない知人達や……
俺の片思いの相手は、噂を鵜呑みにしてしまった。
好きな子にそんな風に思われているとは気付いてなかったある時。
俺は、偶然バス停で、その片思いの相手を見かけた。
珍しく髪型を変えていたので「綺麗だよ」「似合ってるよ」などと、気のきいた声をかけてやりたかった。
けれど俺は既に満員のバスに乗りこんでいて、相手は次のバスを待っている最中だった。
仕方なく、メールで「髪型変えたんだね、可愛いよ」と送信した。
気付くべきだったのだ。
見ようによっては、まさにストーカーじみた文面だったという事に。
俺は、間抜けな事をして、自分の首をしめてしまった。
ただでさえ、その子は俺に対して不信感を募らせていた。
俺の間抜けなメールは、その子の俺に対する嫌悪感を後押しするのに、十分だった。
いくら学校へ向かう途中のバス停で、偶然見かけたからメールしただけだと言っても、信じてもらえなかった。
相手からしてみれば「次は私がターゲットなの?」という恐怖心が、あったのだろう。
何しろその子はその子で俺をフった事があるのだから、
俺に逆恨みされて、粘着されていても、おかしくないと思ったに違いない。
誤解されている事に気付いた俺は、必死で釈明しようとした。
けれど、学校で声をかけようとしても、女子達が鉄壁のガードをして、俺を近づけさせない。
メールを送っても、返事は当然返してくれない。
いつの間にか俺は、しつこくメールを送り続けて相手を精神的に追い詰めようとする、
まさしくストーカーとして、周囲に蔑まれるようになっていた。
支え、励まそうとしてくれた一部の友人達の声を振り切って、俺は高校を中退した。
それからはフリーターになり、死に物狂いで働いた。
家に迷惑はかけられないので、昼夜を問わず働き続け、食費は自分で稼いだ。
一応税金だって払ったし、二十歳になれば、厚生年金だって、自分で納めるつもりだった。
辛い顔を見せると親や友人が心配するので、努めて笑顔でいるように心がけた。
作り笑顔の中に、猜疑と人間不信を隠し続けて、いつしか俺は壊れてしまった。
生きる事に、何の執着も感じなくなった。
足に、汚らしい内臓が纏わりついているような幻覚さえ、見るようになった。
世界の色が、それまでとは違ったように見えるようになった。
朝起きると、起きた瞬間に反動的に涙がこぼれてくるようになった。
声を殺しながら、それでも好きなだけ泣ける布団の中が、俺の唯一の居場所になった。
ベッドから這い出れば、再び作り笑顔をまとって、元気の良いフリをして、バイトに向かった。
全て話し終えた時。
少女は、言葉を失って立ち尽くしていた。
「……と、まぁ。こんなとこだな。
少し長くなったか?」
少女は、俺のフィルターに狂いが無ければ、下唇を噛み締めて、震えを堪えているように見えた。
「どうして……どうしてあなたのような人が、死ななければ……っ」
クールだった筈の表情は一転、年相応の儚さと脆さが、その瞳から滲んでいた。
もっともそれも、あくまで俺のフィルター越しの映像なんだが。
少女は、再び手帳を取り出した。
何度も何度も、同じページを繰り続ける。
だが、目的とする箇所が無い事を認めて、落胆した。
「何故……
何故報告書には、あなたの苦悩が記されていないの?
報告にあがっているのは、あなたに被害を受けたと主張する女の子二人の、
心の声と叫び……それに、周囲の知人達の、一方的な蔑みと偏見ばかり……
あなたの苦痛や叫びなんて、何一つ……」
自問自答している内に、少女は解答に行き着いたようだった。
「まさか……っ」
その解答がどんなものかは俺にはわからないが、
少女は一層悲痛な眼差しで、俺を見据えてきた。
「あなたが……あなた自身が、心の声を……隠し通してきたから……?」
それが、少女のたどり着いた答えのようだった。
「一番辛いのは、あなたの筈なのに……
女の子達の侮蔑の声を、一身に引き受けて、自分の主張は内面に仕舞い込んで……
だから、死亡管理局の情報部門にも……
相手側の『声』のみが、届いてしまっていたと言うの……?」
「気にすんなよ、死神。もう二年も前の事だ。
……まぁ、二年経ってもあの子達が俺を憎んでいるってのは、正直痛いけど」
「二年も……?
二年も、一人で全部背負い込んできたって言うの?
あなたは、何も悪くないのに……」
その時、俺はどんな表情をしていたのだろうか?
俺の瞳を覗き込んだ少女の顔が、一瞬で凍りついてしまった。
同情とも、哀れみともつかない複雑な顔で、俺の作り笑顔を凝視してくる。
そんな顔、しないで。
少女の目は、俺にそう言ってきているようだった。
いつの間に、立場が逆転したのだろう。
話を聞いてもらっていたのは俺の方だったのに、
いつしか俺の方が、相手を宥める側にまわっていた。
と言っても俺には、咽び泣く少女の頭を撫でて、泣き止むまで待っていてやるしか出来ない。
「ご、ごめっ、な、さっ……ひっく……
泣きたいのはっ……ぐすっ……きっとっ……あなたの方、なのにぃ……っ」
死神でも、涙を流す事などあるんだな。
もっともそれも、俺の脳にそう見えているだけでしかないのかもしれないが。
それでも、死神が俺のために悲しんでくれているのが、俺にはわかった。
何故だか知らないが、確信が持てた。
死神の少女は、ひとしきり泣き終えると、
涙に汚れた頬を手でゴシゴシと擦って、俺の方を見つめてきた。
意識体と言う割りには、その仕草はまるで本当に人間の少女のようだ。
「さ、もう気分は落ち着いたか?
親を残して死ぬのは嫌だけど、それ以外に特に未練らしい未練なんか無い。
……仕事なんだろ? 遠慮なく殺せよ」
俺は少女の頭から手を離すと、観念したように両手を左右に広げてみせた。
だが、少女の右手に銃は現れなかった。
暗がりの中で、少女の口が控えめに開く。
「私が……死神だと言うのなら……」
少女は手を伸ばし、俺の服の裾を軽く握ってきた。
いくら妄想の映像とは言え、妙に生々しく感じる。
「あなたはきっと、天使だよ……」
死神はそう言って、俺の胸板にもたれかかってきた。
その温もりは、とても妄想の産物だとは思えない。
優しくて、柔らかくて、俺を包み込もうとする。
けれど、温かいという事は、やっぱり妄想である事の証拠なのかもしれない。
女というものは、冷え性が殆どだ。
少なくとも俺は、女を抱きしめて温かいと思った事は、現実には一度も無い。
今感じているこの温もりは、俺が求め続けてきたものなのかもしれない。
誰かに抱きしめてもらって、支えてもらって、甘えさせてもらいたかった。
それが二年も叶えられないまま、ここまできてしまった。
そんな寂寥感が、俺に少女の抱擁を「温かい」と思わせたのだろう。
「諦めちゃ駄目よ、深沢さん。
上層部には、私の方から報告書の修正を陳情しておくから。
人生を捨てずに生きていれば、いつかきっと、あなたを理解してくれる人が……」
「ははっ、いらないよ、そんなの」
「い、いらないって……」
「俺はね、壊れちゃってるんだよ。
確かに昔は、俺を甘えさせてくれる女性を、強く切望して止まなかった。
けれど今は、もうそんな感覚すら殆ど残ってない」
笑顔でそう語る俺の表情は、いっそ不気味ですらあっただろう。
少女は、少し引きながら、自分のスカートの裾を握りこんだ。
「でも、人間って、挫折を繰り返して強くなるものでしょう?
あなたが一人で全て抱え込んできたのも、あなたが壁を乗り越えて、強くなったから……」
「他の人はどうか知らないけど、少なくとも俺は違うよ。
俺は、強くなったから、耐えてこれたんじゃない。石ころと一緒さ。
単に、叩かれ過ぎて、壊れ過ぎて、だからこそ
滅多な事ではこれ以上細かく砕けないってところまで、コナゴナになっただけの話さ」
瞬間的に、俺の周囲が真っ暗になった。
俺と死神の二人だけを残して、他の全て、ビルも人も、何もかもが消えうせた。
俺がキョロキョロと辺りを見渡していると、少女は慈愛の言葉を投げかけてきた。
「あなたは……確かに、石が砕けて砂になるかのように……
コナゴナになってしまったかもしれないけれど……
そうして散ったあなたの心は、土と混ざり合って、大地になって……
沢山の人を前に進ませる、土台になってくれる筈です。
だから、あなたは生き続けなければダメ。
誰もあなたを支えられないかもしれないけれど、あなたは誰かを支えられる筈だから……」
確かに、一理はある。
辛い思いを経験した者こそが、後進の者達を励ましてやる事が出来る。
幸福の最中にある者に、不幸な者を支えてやる事は出来ない。
不幸な者を励ましてやれるのは、もっと不幸な者だけだ。
「ははっ……やっぱりお前は死神だな。
誰も俺を支えてはくれないのに、俺には誰かを支えろと要求する。
結局それって、俺が一人で背負い続ける事に、代わりは無いじゃないか」
俺は、冗談半分でそう言った。
しかし、半分は本音だった。
今まで、この死神と同じような論調で俺を励ましてくれた友人は、大勢いた。
生き地獄を味わった事も無いくせに、わかった風な口調で、無自覚の内に、俺を追い詰める。
――その辛い経験を生かして、お前は人を支える側に回るべきだ――
今まで何度、そんな一方的に俺にばかり負担のかかる言葉を
金言を装って投げかけられてきたかわからない。
励ましてくれる友人達がいながらも、俺が人生を諦めてしまった最大の理由が、それだったのだ。
だが、無明の世界の中心で、死神は呟いた。
今まで、誰も俺にかけてくれなかった唯一の言葉を、その口に乗せた。
「私が……あなたを、支えてあげます」
「……はい?」
思わず、腑抜けた声で聞き返してしまう。
死神は……否、少女は顔を赤らめ、胸に手を当てて呼吸を整えながら、言葉を繋いだ。
「きっと、私が『少女』の外見で貴方の前に現れたのは……
そのためだったと思うんです。
これから先、多くの人々を支えるであろう貴方の荷物を……
少しでも、軽くしてあげるために……」
その時、俺はこの光一つ無い暗闇の正体が、おぼろげに見えてきた。
きっとここは、少女の精神世界か、或いは俺の精神世界か。
どちらにしろ、肉体のくびきを離れた、純粋な心と心だけの世界なのだ。
現実の俺の肉体が今どうなっているかはわからない。
だが、この精神世界の中で、少女の衣服が淡い光となって空間に溶けていくのが見える。
気がつくと、服が無くなっていたのは少女だけではなかった。
俺達は、互いに服も、肉体さえも纏う事無く、純然たる魂同士で会話していた。
少女のか細い体が、ふんわりと俺の体にもたれかかってくる。
抱き寄せたその体からは、有り得ない筈なのに、心臓の音が大きく聞こえてきた。
きっとこれも、彼女の感情の変動を、俺の脳が解釈した結果だろう。
だが、その音が妙に心地良い。
俺は一筋涙を流すと、少女をきつく抱きしめた。
「死神……ありがとうな」
さすがは精神世界と言ったところか。
或いは、やはり妄想のなせる業とでも言うべきか。
少女の体は、思った以上に敏感だった。
健康的な小麦色をした乳首は、控えめな乳房と相まって、とても可愛らしかった。
これが、俺の脳内が作り出した姿だと言うのなら、俺は案外ロリコンだったのかもしれない。
そんな思考が、彼女にも伝わったようだった。
「きっと、深沢さんは単純に、年下の女の子に特に優しい人なんですよ。
決してロリコンなんかじゃ……」
「いや、つーかお前、今俺の心読んだな?」
「え、あ……はい。
一応、心と心が直接触れ合える空間なんで……
意識しなくとも、自然と読み取れてしまうんですけど……
迷惑ですか?」
いいや、と小さく呟くと、俺は少女の乳首を指先で転がした。
少女が俺の思考を読めるのと同様、俺にも、少女の思考が読めたからだ。
少女は黙って声を我慢しているが、感じてくれている事は、自然に読み取れた。
お互いに精神だけの状態という事は、恐らく少女の体と同様、
俺の体の方も、本当はこの暗い世界には存在していない筈だ。
にも関わらず、俺には少女の肉体も、俺の肉体も、存在しているように見える。
それはやはり、例のフィルターのせいなのだろう。
とすれば今こうやって愛撫しているのも、単なるイメージに過ぎない。
だが、肉体という壁が取り払われているからこそ、夢のような快感が得られた。
「ひぅんっ……や、もう……やっぱり、あなたロリコンかも……」
出会った当初はクールに見えた死神の顔が、今ではとろけそうな程ホットになっていた。
ものの数分でこんなに痴態を曝け出すようになったのは、これがイメージの世界だからか。
それとも、俺がしつこく彼女の貧乳をペロペロと舐め続けているからか。
口が寂しそうに見えたので、今更ながら、俺は彼女の唇にキスしてみた。
舌をねっとりと絡めると、吐息がお互いに混ざり合うのがわかった。
口を離すと、少女はだらしなく涎の糸をひいて、呆けた表情になった。
乳首はコリコリと硬くしこっていて、指先で軽く弾くと、その感触が面白かった。
俺は、玩具で遊ぶ幼児のように、何度となく少女の乳首を弄り倒した。
少女が感じてくれているのが、直接精神を伝わって、俺の心に届く。
俺は少女の下半身に手を伸ばしてみた。
やはりイメージの世界。
現実には中々無いのだが、少女のアソコは、既に見事に濡れそぼっていた。
グチュグチュとみっともない音を立てて、愛液を小便のように垂れ流す。
うっすらと生えた産毛と、綺麗なピンク色の陰唇を見て、
あぁ、やっぱり俺は、変態扱いされて迫害されても、仕方の無い男だったかもな、と思い直す。
この幼さの残る肢体は、俺の妄想の産物なのだから。
「死神……ここ、舐めても良い?」
「は……はい……あなたが、望むのなら……
その代わり、そのぅ……支えると言った手前、一方的に気持ち良くしてもらうわけにも、いきませんから……
あの、その……わ、私にも……あなたのを……」
俺と少女は、シックスナインの体勢になった。
上下も重力も無いこの世界では、その体位でも無理や重みは生じなかった。
やはり妄想の世界だけあって、少女のフェラは卓越したテクニックだった。
舌と唇と、口の内側の肉をうまく使い、丁寧に肉棒を唾液で汚していく。
膣の方も、きつく締まるくせに、指を差し入れてみるとそこには処女膜の抵抗が無かった。
少女は痛がる事もせず、むしろ指を入れただけで弓のように体をしならせた。
さすが妄想の世界は、都合が良い。
女の汁が、後から後から溢れ出してくる。
程なくして俺の指と少女の股間は、ローションをぶちまけたようにベトベトになった。
「うっ……やべっ、イっ……」
「んんん〜!!」
俺と少女は、同時にオルガズムを迎えた。
俺は少女の口の中に精液をなみなみと注ぎ込み、
少女は少女で、暗闇の向こう側へと激しく潮を吹いた。
ゴ……クン。
ゆっくりと、タメを作るようにして、少女はドロドロの白濁を飲み込んだ。
飲みきれなかった分が、口の端からトロリとはみ出して、垂れてくる。
少女はそれを指ですくうと、口の中に押し込んで、再び味わった。
「まだ……元気ですね」
「そりゃあ、まぁ……現実の肉体じゃないからな」
第二ラウンド。
少女は足を開いて、自ら秘肉に両手をあてがい、受け入れ態勢を作った。
俺は、未だ硬さを失わない都合の良いムスコを、ズブズブと膣の中へと押し込んでいった。
「あぅん! やん! あ、あぁん! き、ひうん! ら、らめっ! 壊れひゃうよぉ!」
最初のクールだった振る舞いと言動はどこへやら。
少女は、本能を剥き出しにして喘ぎまくった。
涙と涎をボロボロと撒き散らし、アヘ顔で背中を仰け反らせる様は、とても死神には見えない。
ひっくり返った蛙のような、無様な格好で、雌汁をふんだんに飛び散らせる。
ぱんぱんぱんぱん、肉のぶつかる音が空間に木霊する。
重力も引力も無いこの世界では、溢れ出した愛液は、上下左右に激しく舞った。
俺は少女に唇を重ね、深く激しく、舌を伸ばした。
「ううふ、ん、いふっ、れろ、ら、あふっ、んおぉおおっ、れろぉっ、おほぉお……っ」
呂律の回らないその鳴き声は、もはや死神はおろか、人間とさえ思えない。
ケダモノのように淫靡な声で喚いて、少女は俺の体をぎゅうっと抱きしめた。
「いひっ、あはっ、あ、はぁん、イく、イくよぅっ! イっちゃうよぉおぉぉぉぉん……!」
「あぁっ、受け取れよ死神! 全部中に出してやる!」
「あぁんっ、天使様のぉっ! 天使様のセーシぃぃぃぃ!」
死神の子宮に、天使の無駄撃ち遺伝子が注ぎ込まれた。
「やぁん、ふぁ、ふぇえん……」
少女は恍惚とした表情で、いつまでもイキ続けていた。
俺が意識を取り戻したのは、先程の裏路地の暗がりの中だった。
ハッと気がつき、周囲を見渡す。
死神の少女は、どこにもいなかった。
体感時間では数十分を精神世界で過ごしていた筈だったが、
時計を確認すると、そんなに時間が経ったようではなかった。
道行く人に「制服を着た、眼鏡の女の子を見かけませんでしたか?」と尋ねてみるが、誰もが首を横に振った。
「やっぱり、妄想か……?」
俺の精神も、いよいよ終末的なところまでキちまったかな……。
そう思いながら、俺はビルの隙間から空を見上げた。
重症だ。この処置無し野郎、と自分を罵る。
いくら寂しいからって、白昼夢で少女を犯すなんてな……。
だが、掌には、少女を抱いた感覚が、まだ残っているようにも思えた。
「……天使は、お前の方だよ」
俺は一言呟くと、雑踏の中に踏み出していった。
昨日までとは違い、人生に希望を抱えながら。