夕方から降り始めた大粒の雨は、いまだ止みそうにない。
何が『午後は降水確率0%』だ、これだから気象庁の予報は信用できん…
すっかり静かになった駅前商店街をずぶ濡れになりながら早足で歩いていく俺。
名は椎名 優、一人暮らしを始めて2年になる。ついでに言っておくと童貞である。
アパートの入り口で水滴を払い、欠伸をしながら階段を上っていく。
階段を上ったところで、俺は凍りついた──俺の部屋の前に少女が立っている。
もちろん俺に彼女なんていうものはいないし、他に来そうな人もいない。
しかし、いつまでも放っておく訳にもいかないし、俺も早く部屋に入りたい。
仕方なく少女に声を掛けようとして、俺はまた凍りついた──傘かと思ったら鎌を持っている。
しかも農業で使うような草刈り鎌ではなく、2メートルもあろうかという大鎌である。
やれやれ…幻覚が見えるとは、俺も働きすぎか?しかもよりによって少女とか、どんだけ飢えてるんだよ。
大体、俺はロリコンじゃないはずだが…いや待て大鎌は何だ、最近の流行りか?
パニくっている俺にようやく気付いた少女が、やっと口を開いた。
「ねぇ、寒いんだけど。早く開けてくれない?」
ドアを開けてから気付いた。なんで俺は身元不明の少女を部屋に入れているんだ?
追い出そうと思ったが後の祭り。すでに少女は俺の布団でおやすみモード。
「おーい、そこは俺が寝る布団だからどいてくれ。」
「お前は床で寝れ。」
「おいおい、一応ここは俺の部屋だぞ?なんだその態度は、何様のつもりだよ…」
「死神様に決まってるじゃない。」
「あのなぁ、たかが死神の分際で俺の布団を占領…って死神!?」
自分で言うのもなんだが気付くのが遅いとつくづく思う。大鎌を持っている時点で気付くべきだった。
俺が何を言うべきか迷っている間に、死神少女は布団に潜ってしまった。
「お前が遅いから風邪ひいた、責任取れ。」
責任取れって何だよおい。
熱を測らせたところ38度5分。風邪をひいたというのは嘘ではないようだ。
いつまでも突っ立っている訳にも行かないので寝る仕度を整えていると、大鎌が目に入った。
朝起きたら首がありませんでした、なんていうのは御免なので鎌は没収しておくことにしよう。
とりあえず、少女も寝てしまったようなので俺も寝る。もちろん床で…
普段と何ら変わらない休日の朝──のはずだった。
「おい、起きろ。」
誰だよまったく…今日は仕事もないんだからもう少し寝かせて──って誰だよおい!
慌てて目を開けると、少女と目が合う。なぜか俺は少女を抱いて寝ていた。
えーと、昨日はこの少女が押しかけてきて…死神だの何だの言って。
俺の布団を占領され、俺は床で寝ていて…それなのになんで俺も布団で寝ているんだ?
もしかして寝ている間に襲っちまったか?いやまて俺も少女もちゃんと服を着ているし…
というかそんな目で俺を見るな。ロリコンじゃないんだからそんな餌で釣られ…じゃなかった。
別に誘っている訳じゃないんだ。いやでも結構俺の好み…ってそういう問題じゃなくて
「とりあえず放せ。」
どうやら相当がっちりと少女を抱きしめていたらしい。腕を解いてやると、少女は逃げるように
布団の反対側の端に移動した。寒いのか俺に引いているのか…多分両方だと思うが、
まだ布団から出たくないらしい。しかもまだこっちを睨んでいる。
「えーと、その、すいませんでした」
気付いたら布団にいた、と弁明したいところだが、とりあえず謝っておく。
「エッチ、変態、スケベ、ロリコン。」
思いつく限りの悪態をつく少女。まぁ仕方ない──って俺は断じてロリコンじゃねぇ!
さて、朝食の準備に取り掛かる。準備といっても、ご飯は炊飯器君に任せきりにしてあるので
俺は味噌汁とおかずを適当に作るだけだが。
死神少女はというと、今はシャワーを浴びている。熱は下がったようなので一安心。
覗きたいという衝動に駆られたが、さっきのこともあるのでなんとか抑える。
布団を畳んでから玄関に放り出されたままになっていた彼女の上着をハンガーにかけ、
コートとローブを足して2でわってフードをつけたような真っ黒な服を眺めながら
ご飯が炊けるのを持っていると、少女が洗面所から出てきた。
「お腹すいた。」
「そうだろうと思ってちゃんと作ってありますよ。丁度ご飯も炊けたようだし。」
早々と席について俺が皿を並べるのを見ている少女。少しは手伝って欲しいところだ。
「それじゃ、いただきます。」
「いただきます。」
一応、最低限のマナーは心得ているようだ。
「意外とちゃんと作っているのね…」
「朝からマクドナルドなんて御免だからな。」
ちなみに本日のおかずは鯖の味噌煮である。言っておくが缶詰のものではない。
一人暮らしを始めたばかりの頃に、祖母に弟子入りして丸一日かけて教えてもらったという
いろいろな意味で自慢の一品だ。
「お口に合いますかな?」
「まぁ、不味くはない。」
一通り食べ終わり、少女のご機嫌も治ってきたようなので一安心。
「ところで、死神さんよ──」
俺の質問は見事に遮られた。死神少女が手に持っていたマグカップを取り落としたのだ。
少女の膝は緑茶でみるみる濡れていくが、少女はそれどころではないようだ。
「ねぇ、あたしの鎌、知らない?」
よし、今なら断言できる。コイツは正真正銘のアホだ。
大工で言えば道具箱、武士で言えば刀、学生で言えば筆箱がなくなっていればすぐに気付くはずだ。
なのに死神ともあろうものが今頃になって鎌がないと騒いでいる。そうとうマヌケな死神さんだ。
まぁ、昨日コイツが寝ている間に鎌を没収したのは俺だがな。
一通り思考を巡らせた後、話題を戻す。
「なぁ、ところで──」
「ねぇ、鎌、見なかった?あれがないと失格になっちゃう。」
またしても俺の質問は遮られた。しかし「失格」とはなんのこっちゃ?
「あーもう、いったいどこに行ったのよ!」
知っていますが教えません。
「うにゃー!ないないないないない!」
とりあえず、俺の部屋を散らかすのは止めてくれ。
一通り俺の部屋を散らかし尽くした少女。誰かコイツの精神錯乱を止めてくれ。
「うにゃー!これは代官の陰謀だ! 助さん角さん、懲らしめてやりなさいっ!」
一体誰を懲らしめるつもりだよ、自分自身をか?
「静まれー静まれー!」
さっきから騒いでるのはお前だけだ。
「こちらに仰せられる方を何方と心得る!」
死神なんだろ、もう聞いたよ。
「先の副将軍、水戸の光圀公にあらせられるぞ!」
「いい加減にしろ。」
「だって、だってぇ…」
おいおい、昨夜から今朝にかけてのクールさはどこに行ったんだよ。今にも泣き出しそうじゃないか。
「とりあえず、膝の濡れているのを拭け。」
「うぅ…せっかくの余所行きの服が汚れちゃったよぉ…」
その黒いローブだかコートだか分からん服は普段着じゃないのか。一つ無駄に賢くなった。
「さて、とりあえずコーヒーでも飲んで落ち着け。話はそれからゆっくり聞こうじゃないか。」
さて、それから少女が話したことを掻い摘んで説明しよう。
彼女の名前はミカエル、正式には死神ではなくて死神見習いだそうだ。
確か「ミカエル」は聖書に出てくる天使の名前だったような気がするが気にしない。
なんでも、見習いから一人前の死神になるための試験の一環として俺を狩りに来たらしい。
しかも、俺が狩られる羽目になったのはくじ引きで当たったからだと。
「なんでよりによってくじ引きなんだ。」
「ちゃんと危険な人は除いてあるわ。」
「それで、危険な人の定義は?」
「もし万が一、任務に失敗した時に、死神の存在が人間界に知られる可能性がない人。」
「つまりは『俺は死神に殺されそうになった!』って言っても誰にも信じてもらえないような人ってことか。」
「まぁ、他にも色々あるけど大体そんなとこ。」
頭が痛くなってきた。正直、全部夢だったと思いたい。
「もう駄目だ。俺はもう寝る。」
「え、ちょっと待ってよ。あたしの鎌探すの手伝ってよ!」
「わざわざ自分を殺すための鎌探しに協力するアホが何処にいる。」
「でも鎌がないと──」
「でもも糸瓜もないっ! 昼飯までには起きるからそれまで寝かせてくれ。」
布団に潜り込むが、暑いのでやっぱり出る。頭痛が酷くて眠れん。
あーあ、何で俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだろ──