「ようやく――逢えた――」  
 
 その男は微笑んでいた。後背は濁流が氾濫する大河、前面は10万を越す大軍。それでも男は微笑んでいた。  
男はただしっかりと前を見て、笑っていた。その対象は土煙を上げ迫る騎兵では無い。抜けるような蒼空でも無い。  
広がる荒野でもない。その曇り無き黒瞳はただ――堪え切れず眼前に顕現した――『私』の姿だけを写していた。  
 
 「アンタは相変わらず―奇麗なままだな」  
 
 あの時と変わらぬ、少年染みた無垢な笑みが『私』を迎える。二人きりで過ごした刻は逢瀬と呼ぶには短すぎ、  
邂逅と呼ぶには長過ぎた。亡国の将軍の家系に連なるこの男は、成人後に幾多の戦場を駆け巡り、無敗を誇る  
勲しを打ち立てた。この男の向かう所、敵う者など居なかった。なのに――今、こうして一人で死のうとしている。  
 
 「何故、河を渡らなかった? まだ…刻はある。生き延びたければ…」  
 「もう、ここでいい。俺がそう、決めたんだ」  
 
 幼き頃のこの男の言葉を思い出す。「字なんて自分の名前を書ければいい! 剣なんて一人しか相手が出来ない!  
俺は大軍を相手にする方法を知りたい! 」私はその大言壮語に腹を立てて――今思えばそれが間違いの元――  
顕現したのだ。顕現した私に驚かなかったこの男の器は大きかった。今と同じく、怪力乱神の類と看做すでも無く、  
ただ真直ぐに私だけを見ていた。私の持つ剣を眼前に突き付けられても、だ。  
 
 「…河を渡れ。生き延びて、捲土重来を目指せ! ただ一度きりのこの敗北は恥では無い! 」  
 「15年前に、一緒に志を立てて出陣した故郷の子弟を八千人も失って、か? 御免被るね」  
 「何故だ? 何故そう頑なに美しくあろうとする?! 戦人(いくさびと)には潔さなど薬にもなら…ンぅッ! 」  
 
 男は音も立てず近寄り、剣を構えた私を抱き締め私の唇を…奪った。抵抗しようと思えば出来る筈、と言う声が頭の  
どこかで小さく訴えていたが無視を決め込んだ。カチカチと互いの歯が打ち鳴らされる音が、互いのその手の行為の  
経験の無さを物語っていた。それでも互いの舌を貪り、甘美な唾液を味わう。 剣を持っていた腕から力が抜け、落として  
しまう。まだ抱え込まれたままの空いた手を、男の背に回す。そう…私は望んでいたのだろう。男の想いを受け取る事を。  
どちらともなく唇を離してしまう。透明な唾液が糸を引いてしまうのが恥ずかしい。それでも、言葉として確かめねば。  
 
 「…皇帝の3000人の後宮に手を付けず…頑なに童貞を貫いたのは…こう言う事だったのだな…? 」  
 「勇者、と自然に称えられるようになれば逢えると信じてた。おかげで『覇王』なんて綽名を貰っちまったけど…」  
 
 そんなものは要らなかった、と、どこか拗ねた子供っぽい顔が堪らなかった。乱戦の中、冑が脱げたのであろう。  
短く刈り込まれた黒髪の頭が露出していたので撫でてしまう。…もう、手を伸ばさねば届かなくなってしまったが。   
 
 「もう俺は、子供じゃない。31の大人だ。だから…」  
 
 ガシャ、と私の腰当の留金が外され、地に堕ちた。下穿きに太く武骨な指がそっと添えられる。指が震えていた。  
無理をしおってからに…。いいだろう。女を知らぬ『覇王』よ。貴様の最初にして最後の女になるのも悪くは無い。  
せめて…優しくしてくれ。  
 
 「で、だから何だと言う…の…ムぅん! 」」  
 
 女の甲冑を外すのは簡単だった。装飾を尽くした豪華かつ華美な物だが実用性に富んでいる。  
留金、皮帯を外せば胸甲が外れ、背甲も同時に落ちる。先程外した腰当に当たり、澄んだ金属音が  
荒野に響く。一枚の金属板で出来た鎧など、男は見た事など無かった。男の知っている鎧と言えば、  
鋼の小片に穴を空け、紐を通して編んだものを組み合わせた簡素なものである。  
 
 「ン…んふぅ…ン…っ」  
 
 左手で女の柔らかな尻の感触を衣服越しに愉しみながら、今度は肩甲を外して行く。抵抗は無い。  
羽飾りの付いた冑を外そうとして男は漸く気付いた。…外すには接吻を止めなければならない事に。  
 止めたくなどは無かった。少年の日より恋焦がれ、『いずれは戦場にて見(まみ)える事もあろう』と  
言う言葉を信じ、ただひたすら駆け抜けて来た。言葉通り戦場で逢えた時、言葉を交わした事もある。  
しかしこうして腕(かいな)に抱く事は一度とて無かった。男は潔く決心して名残惜しげに唇を離した。  
とうとう女の顎の皮紐の留金を外し、冑に手を掛けようすると、女が拒み、自身で脱いだ。  
 
 「されるがままと言うのも存外に風情が無い。どうした? どこか面妖な所でも見つけたか? 」  
 
 艶やかな黒髪に新緑の碧眼、透き通るような白い肌が、男の目を焼いた。幼きあの日に心に刻んだ  
その姿に比すれば、世俗の女などをどうして相手が出来ようか? 女の気高さに萎える心を無理矢理に  
押さえ、男はもう一度女を抱き寄せる。愚かなる幼き日の男は女の正体を残酷にも尋ねていたのだ。  
 
               女は言った。「自分は『喪門神』、死神である」と。  
 
 戦場にて勇名を馳せ、果敢無(はかな)く散りし者を連れて行くのが己の役目だと女より直に聞いた。  
その日より以前よりも熱烈に戦場に出る事を望み、己に出来る限りの手段を尽くし、不平を金輪際漏らさず、  
一の敵も万の敵も殺し尽くせる術を学んだ。その上で男は戦場を同志たちと駆け、斬撃、打撃の限りを尽くし  
敵と戦い、『殺される』事を望んだ。もう一度…己の蒙昧を戒めた『喪門神』に逢い、その手に抱く事を夢見た。  
蒙昧を克服した自分を見て欲しいが余りに、大敵を打ち倒した後に故郷に帰ると言う愚行をやらかしたのも…  
全てはこの時のためだ。  
 
 「この後は如何するのだ? ただ抱いている…だけか? 」  
 
 男は我に還った。己に残された刻は僅か。ならば…都にて入手し、顔を赤らめながら閲覧した房中術の限りを  
尽くさなければならぬと一人合点する。男は女の下裳を捲(まく)り上げ右手指で股座のあたりにそっと、触れる。  
…粘つく感触が男を驚かせる。秘所が…濡れていた。男の知識の外にある現象に動転し、そのまま匂いを嗅いで  
しまう。脳髄が痺れ、獣欲が沸き上がる。急に抗いだした『喪門神』の勢いに押され、女を抱えていた左手を弛めると、  
勢い良く頬を張られてしまった。  
 
 「匂いなど嗅ぐな! 想う漢に抱かれていれば、こうもなろうに…! どこまで辱めれば気が済む!? 」  
 
 涙を零しながら恥じ入る『喪門神』の目尻に男は唇を付け、溜まる涙を吸った。急に『喪門神』の抵抗が止む。  
   
 「…孺子(じゅし)よ己の非を認める気に為ったか? 」  
 
 己の今迄見て来た凛々しい姿など何処の借りてきた猫だ、と男は胸の奥が痛む程切なく思う。可憐だった。  
何も辱めた訳では無い。男は実技の経験などさらさら無く、記録でしか『房事』の遣り方を弁えては居なかった。  
 初めて恋焦がれた女性(にょしょう)――人では無いのだが――を胸に抱き、心の赴くままに接吻を交わした。  
その先の事など思慮の外だ。つい男の覇業の原動力とも言える『好奇心から生ずる探究心』が軽く頭(こうべ)を  
擡(もた)げたとしても、誰がそれを責める事が出来ようか? いや、男自身にしか責められまい。  
 
 「女性の涙とは、存外に塩辛く無いものなのだな…」  
 
 高鳴る胸の動悸が、耳の奥から聞こえて来る。息が荒く為って来る。『喪門神』の抵抗が男の征服欲を程良く  
刺激する。もっと、困惑する顔が見たい。相手は人では無い者。気高く『喪門神』と名乗る、女の形をした者だ。  
 
 「…抜かせ…孺子(じゅし)の癖に…ッ?!」  
 
 急に顔を赤らめた『喪門神』の見ている先を釣られて見ると、己の分身である猛り狂った陽物が鋼の小片を  
編んで作られた鎧を軽々と盛り上げ、『喪門神』の下腹を突付いていた。男は素早く直垂の部分を捲り上げ、  
襟に差し込む。男の下袴はすでに大天幕を形作っていた。天幕の高さは『喪門神』の肩をすっぽりと覆い尽す  
肩当の長さに等しい。  
 
 「此処は子供では無いぞ? 『喪門神』よ」  
 「そ、その…ようだな? 」  
 「ぅおっ…! 」  
 
 下袴の上から軽く握られただけだが、男は疼痛を感じてしまう。いや、余り痛くは無いのだが、そのむず痒さに  
身悶えする。まだ握られて居たいと思ったが、『喪門神』は動転して右手を離してしまおうとする。男はその手を  
捉え、グリグリと己の陽物を下袴漉しに押し付ける。恥らいで叫び出したいのを堪えている『喪門神』の、唇を噛み  
叫びを押し止めている様は、男の持前の悪戯心を刺激する。もっともっと、困らせて遣りたく為るのだ。  
 

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