近くのビルの壁が壊れる。霊体に瓦礫なんてぶつけられるのか?とか思ったが、それはただの目くらましだったようだ。あたり一面に砂埃が立つ。
――くそっ、どこから近づいてくるか分からねえ。
俺はさっき逃げてきた方向からできるだけ――そう、できるだけ遠くに離れるように走った。しかしそれは間違いだった。
俺ができるだけ逃げた距離は5mほど。砂埃を抜けたそこにアイツは立っていた。
「あきらめろ。貴様如きのような下級の上程度の怨念の霊が逃げる術はない。」
全てを吸い込むかのような漆黒のローブに鏡のようにきれいな銀色の長髪。
一般的な東洋人と変わらない黄色の肌にまるでどこまでも透ける蒼い目。
その華麗なる姿をした女性の左手には純白な光、右手には命刈り取る死神の鎌。
そう、彼女は死神の鎌を持つ。すなわち、死神なのである。
「現世に在るままの霊は破壊衝動を持ち、放置しておけば現世の人にとって危険極まりない。よって我らは貴様らを黄泉へと送る。
黄泉で自らの犯した罪をつぐない、転生せよ。そして新たな運命を持つが良い。」
彼女は俺を黄泉へ送る、つまり地獄へ直行させようとしている。
「地獄なんかに行っていられるかぁっ!」
俺は彼女の頭を狙い、回し蹴りを放つ。彼女はそれを見切り、後ろへ体を反る。俺の脚は空を切る。
一発目の蹴りの勢いを利用したまま、二発目を放つ。しかし、
「狙いが甘すぎだ。そんな程度ではかすり傷もつけれんぞ。」
彼女は余裕もって蹴りをかわし、俺の手をとる。そのまま背中側に回り込まれ、うつぶせに蹴り倒される。
腕は背中に押し付けられ、上から体重をかけられる。しまった、この体制じゃあもう逃げられない。
「手間を取らせるな。ほら、終わるぞ。」
何か光るものが押し付けられる。
――――熱い。光るものに押し付けられた部分が焼けるように痛む。
「黄泉へ送られることを拒否するからだ。受け入れよ。すれば痛みはないだろう。」
「・・・だっっからぁ、死んでたまるかっての!」
俺が地獄行きを断るのはただ完全に死ぬのが怖いわけじゃない。
アイツ―――俺の友人との約束があるからだ。
■眼鏡をかけ、適当に生やしたせいで"ボサボサ"した黒髪の貧相な格好のアイツのことを思い出す。
■『やあ七瀬。あいかわらずお元気そうでなにより。』
■『お前こそあいかわらず頭が回るようだな、夜月。』
■七瀬は俺の名前、だ。夜月が俺の友達の名前。
■『僕、別にそんなに頭使ったりしないけど?』
■『聞いたぞ。あの黄也に一泡吹かせてたじゃないか。確か・・・
■ "お金はあげられないけどこのナイフの刃ならあげるよ?"だったかな』
■ちなみに黄也とは俺の学校の不良っぽい奴だ。
■『ありゃ、知ってたんだ。まあそんなことは別にいいじゃないか。』
■『それもそうだな。ところで今日はなんか予定あるか?』
■『いんや、今日は予定無し。また遊びにでも行く?』
■『んじゃいつもどおり裏路地に不良どもシバキに行こうか。』
■眼鏡をかけた貧相な男のイメージを覆すかのように夜月は強かった。空手をある程度触って強くなった俺と違って、アイツは天性の強さ、という感じだった。
■もちろん、眼鏡をかけている男の例にもれず(?)勉強やらボードゲームやらの頭を使うことにかけてもすばらしかった。
「熱ッ!? 痛いっての!」
熱さと痛さで回想から現実に戻る。あいかわらず光るものを押し付けられたままでめちゃくちゃ痛い。
「さっさと黄泉に行け。私も面倒なんだ。拒否するな。黄泉は楽だぞー」
なにが楽だ。そりゃ全てなくなったら楽も苦もないだろうけどな。
俺はいきなり暴れてみた。予想通り、彼女は急に俺が暴れだしたせいで体重をずらしてしまい、結果俺を逃がしてしまう。
「捕まってたまるかっての!」
俺は彼女を撒こうと再びとんずらする。彼女も慌てて俺を追おうとする。
■『ところで七瀬。魔法ってあると思う?』
■『いきなり何を言い出す。
■ ・・・人間のただの妄想の産物じゃないか?魔法なんざ使えたら、物を無から作り出すなんてことができたら危険な兵器だって作れただろうしな。
■ もし巨人なんざ大量に作ってたら大変なことになる。それに、現代で魔法だなんてゲームや小説程度でしか聞かないだろう?
■ 現実で魔法を使って大災害とか起こしたらさすがに世界の誰かの噂にはなるんじゃないか?』
■『ん〜・・・君が否定派ならそうなるだろうね。』
■『じゃあお前はどう思ってるんだ?』
■『僕はね・・・多分、存在すると思えば存在するんじゃないかって思う。』
ビル郡の間、裏路地を走りぬける。太陽は西の地面から30゚程度にある。人はそれを別名、"夕日"、"夕暮れ"という。
死神の姿はない。けれど、気配はある。追ってきている。それも少しづつ近づいている。来んな。
ビルとビルの間の狭い十字路を横切ろうとしたとき、突如気配が消えた。
いや、違う。気配はある。横や後ろに感じられないだけだ。つまり――――
俺は十字路をやっぱり曲がる。はい、見事十字路の行こうとした方向が陥没しました。やりすぎじゃないか?
「いい加減逃げるのをやめなさい。疲れてきました。」
「なら勝手にやめればいいだろうが!」
全速力で逃げる。とんずらとんぬら。
■『そんな曖昧な答えがあるか!』
■『エ〜、理屈は通ってるんじゃない?』
■『確かに考えれば・・・・・・なんて思うわけねえだろ、通ってねえよ。
■ 人の答え聞いておいて自分だけ逃げるんじゃねえって。』
■『ん〜、仕方ないなぁ・・・
■ でもね、存在すると思えば存在する、ってのは間違ってはいないと思うよ?
■ ただ、魔法とかを使うには条件があると思うんだ。呪文、とかも条件だと思うけど・・・』
背中の気配が殺気に代わる。ちょうどいい路地が左にあったから飛び込む。
――ちゅごごごごごごごごごごぉん。
たった今いた路地の横のビルの壁が砕け散ってゆく。ああ、不良のスプレーアートも砕け散る。アレは目に悪いからその点で感謝する。
ところで・・・幽霊は疲れないようだ。ひたすら逃げても筋肉の疲労を感じることや息切れをすることが全くない。さすが肉体がないだけある。
■『ちょっと待て。オカルト話に付き合う気はないぞ。』
■『君の要望に答えているだけだ。んで話進めるけど、代償か契約がいる悪魔召喚をして悪魔に魔法を使ってもらう方法と、
■ ルーンとかを使いながら呪文を唱えたりする決められた法則により魔法を使う方法の2つに分かれていると思うんだ。』
■『話が進みすぎてワケワカラン。これ以上話を進めると俺の脳内が炸裂するぞ?』
■『大丈夫。これで終わる。つまり、魔法を使うための呪文を知っていたか、魔法を使える誰か・何かを知っていたから、
■ 前者の場合はそのままやりたいことに使って、後者の場合は自分のためになんたらしてくれるように頼んだ、とか。』
■『フーン。まあ途中から聞いてねえからな。いくらなんでも入り込みすぎだ、アレの路線に。』
■『ま、別に聞いてなくても要望に答えていただけだし。今は知っておく必要はないと思うし。』
――――今は、ね。
しまった。さっき、うかつに曲がるべきではなかった。
見事に袋小路にぶつかってしまった。周りは完全にビルに囲まれている。塀だったら登って進むこともできたが。
幽霊だからといって壁を透けることもできなさそうだ。アイツが言っていた魔法を使うための呪文を知らないように、俺も幽霊のように透ける方法を知らない。
「やっと追い詰めましたよ。もうさっさと終わらして帰りたいです。」
俺は後ろに立っているだろう彼女、死神を迎え撃つことにした。
彼女が跳躍し、一気に距離を詰めてくる。普通の人間には到底できないような速度で打ち出される左手の突きを全力で見切って左に避け、鳩尾に左拳を打ち込む。
しかし空いていた右手でつかまれ、突きの勢いを利用しつつ密着して膝蹴りを放ってきた。
このままだと踏み倒されてしまう。さっきの二の舞にならないように右手で膝をつかみ、勢いを殺す。俺と彼女の距離はほぼ零距離。さあどうする。
――ガァァンッ!!
額に衝撃が走る。彼女が頭突きしてきた。視界が一瞬くらむ。その隙を逃すわけはなく、足払いを放たれ、なす術もなく転がされる。
「時間を無駄にかけすぎましたよ。もう強制執行を行うことに決めましたよ。覚悟なさい。」
彼女は光るものを押し付けようとしてくる。その光は前のものより強く白く光っていた。
死ぬ覚悟なんてするもんか。まだ死んじゃアイツとの約束を守れないだろうが。いや死んでるけどさ。
アイツを・・・みすみす死なせてたまるか。
彼女はガシッと死神の肩を掴む。
「ごめんごめん、ちょっと痕跡を誤魔化すのに手間取っちゃって。ま、もう大丈夫だよ。」
死神は驚いて振り向く。そこには、死神と同じような漆黒のローブを着た桃色のツインテールの少女がいた。
その手には大きな大きな大鎌。それは黒く、どす黒く、鈍い光を放っていた。
■今日はアイツは学校にも来ず、休みだった。珍しい。皆勤賞を狙っていると言っていたのに。
■アイツのいないまま今日一日の授業が全部終了する。
■放課後、帰ろうとして玄関で靴を履こうとするとアイツからメールが届いた。いきなりなんなんだろうか?
■――"今日の8時ごろにいつもの路地で"――
■何の用だろうか?俺は断る理由もなかったし、遅く帰るのもいつものことだったから、そこらの喫茶店で時間をつぶしてから路地へと行った。
死神は驚く。
「あなたは―――まさか・・・ルナ様?」
ルナと呼ばれた少女は何も言わずに、にっこりと笑みを浮かべながら鎌を振り上げる。
「な、何故あなたのような、いえ、あなた様のような方がこのような下級霊を庇うのですか!?
確かにここ数日の間、何処かへお出かけになっていたようですが、何があったのですか!?」
死神―――さっきからいた銀髪の死神が、桃色の髪の死神―――ルナに問いかける。
ルナは鎌を大上段に保ったまま答える。
「私は契約をした・・・これが答え。十分でしょう?」
「ル、ルナ様、もしや―――」
銀髪の死神がものを言おうとする、刹那。ルナは鎌を振り切る。
一瞬、空間が"ズレた"。まるで眼鏡のレンズが割れたかのように。
銀髪の死神はその空間のズレによって切り離される。そして銀髪の死神のいた空間に浮かぶ一つのモノ以外、消滅した。
「死神は幽霊と同じように肉体を持たないから、死んでも死体とかは残らないんだよ。
でも、死神の残滓――魂やら霊力っていうのかな?それに似たものだけ残っちゃう。」
ルナ――死神の少女は解説しながら微笑み、その残った死神の残滓を手にとる。
■『やあ七瀬。久しぶりだね。』
■『ああ。お前が一日学校に来ないだけで久しぶりと感じられるよ。』
■今日は六月二十日。夏に近いではあるが、八時にもなると夕暮れは早い。
■『ところで、こんなところに呼び出してなんのようだ?また不良どもをしばくのか?』
■俺は予想できることを聞いてみる。だがアイツは予想外の返答をする。
■『いや、ちょっと死神か悪魔たちと契約をしようと思って。』
■『・・・・・・・・・は?』
■意味分からんと思うのは普通のことだろう。
■『最近話しただろう?代償か契約と呪文かなんかがあれば悪魔を召喚できると思う、みたいなこと。』
■言ってたな、確かに。だが・・・
■『なんでいちいち俺を呼ぶ?馬鹿の真似事をしたいようだったら一人でやればよかっただろ。』
■『いや、ちょいとばかし君の助力も必要だったんだ。僕の話を半信半疑に聞いてくれそうな友人が。』
■『・・・説明してもらおうか、色々と。』
■俺はアイツへ近寄ろうとする。
■『説明するより―――見て体験してもらったほうが早いよ。』
■突如、アイツの足元から植物が生え出るように急速に五芒星が浮き出る。アイツは唱える。召喚するための呪文を。