「お互い、死神同士で認め合えるような仲間が欲しい」  
孤独なわたしの口癖のひとつ。  
 
「ふっふー。紫せんぱーい、何してるんですか?」  
桜も大分散り始め、肌寒さも緩んだ頃、後輩の「荵」が駆けて来る。  
春のせいで眠いわたしには、彼女の一声はズキリとくる。  
 
彼女の髪は紺がかった黒色、片方をピンで留めた前髪で開かれた額が健康的だ。  
そして、外はねの後ろ髪が彼女の元気さを表している。  
もちろん、彼女も死神なのでネコミミにしっぽを持っているのは言うまでもない。  
彼女は、黒っぽいセーラー服を着ている。若い彼女にぴったり、という天上界の判断か。  
そして、わたしと決定的に違うのは、ネコミミに付いた金色のリング型のピアス。  
今までの死神としての功績の証である。そう、彼女は死神として優秀なのだ、私と違って。  
 
初めて彼女と会ったときのことは、鮮明に覚えている。  
「荵といいます。草冠に忍で『シノブ』ですっ!」  
元気よく、ぴょこんとお辞儀をする。髪からは微かに、石鹸のいい匂いが漂う。  
澄んだつり目の笑顔からは、八重歯が覗いている年齢より若く見えるかもしれないロリ顔。  
彼女は、わたしとは違うタイプの死神だ。  
 
わたしより三つ年下の若い子。こんな忌み嫌われそうな仕事をしているのに彼女は明るく、  
いつも周りにはいつも同僚達が集まって、向日葵が咲くように華やいでいる。  
彼女は、いわゆる『クラスの人気者』タイプ。わたしにとっては最も苦手な部類であり、  
嫌いな部類にも当てはまる。なのに、彼女はわたしに付きまとう。  
 
「この間の事で、まだ落ち込んでるんですか?」  
わたしの顔をぐいと覗き込みながら、荵が話しかける。  
「ほっといてよ」  
「その分、仕事で取り返しましょうよ。ね?」  
彼女は人懐っこく、わたしにまとわり付く。正直いい加減にして欲しい。  
 
「そんなことより、新しいグロス。買っちゃたんですよー」  
あごに人差し指を当てて、わたしに媚びる様に自慢する荵。  
荵のピカピカに潤んだ唇に、幼げな色気を感じられる。年下なのに。  
 
ちゅっ。  
 
わたしが油断した瞬間、荵がわたしの唇を奪う。  
「へへへ。わたしのキッス。試してどうでした?その気になった?」  
「うるさいな!もう」  
荵の頭のなかは、何を考えているのかさっぱりわからない。  
「実はですね…。ちょっと今からお仕事なんですが、付き合ってくれます?」  
断る理由も無いので、荵についてゆくことにする。ああ、眠いなあ。  
 
東京千代田区・秋葉原。  
昼まっから、人間がごった返し渦巻いている。  
道には、アニメのコスプレやメイドの格好をした若い女性が歩いていたり  
非日常的な空間が広がる、日本の中ではかなり特殊な地域である。  
 
「ふっふー。場所柄、わたし達の格好はここでは浮く事ないんですよ。ほらっ!あそこにもネコミミ!」  
「で、何かあるの?ここに」  
「人に会うんです。さあ、お仕事ですよ!!」  
前髪のピンを外す。前に垂らした、前髪のおかげで、ただでさえ幼いイメージがあるのにさらに幼く見える。  
 
「お客さんです」  
荵はいかにもアニメが好きそうな、とある大人しそうな男子高校生に手を振る。  
「おひさー」  
荵はそのお客さんの腕に子猫のように絡みつき、しっぽをくるくる回す。  
 
「ねえ、ちゃんと考えた?」  
「う、うん」  
お客さんである少年は、気弱そうに答えた。  
わたしは黙って付いてゆく。  
「じゃあさ、約束した所に行こっかあ?わたし、楽しみだな」  
荵は、左手で彼の乳首あたりをつんつんと突付き、  
まるでその少年の恋人のように振舞う。わたしには、理解に苦しむ光景。  
 
今、ネットカフェのブースにわたし達はいる。仕切りがしてあるので、外からは完璧に見えない。  
荵と少年が一室。そしてわたしが別の一室にそれぞれ入る。荵からの希望だ。  
すると早速、薄い荵側のブースの壁から、二人が絡み合う音が聞こえてくる。  
ちゅ、むにゅ…  
「ほら…。ちゃんと舌を入れて…あん…」  
「う、うん」  
薄い壁にわたしのネコミミを当てながら、隣を察する。  
この上ない、異常な事態とは分かっているんだが、わたしは黙って聞くだけだ。  
下手に動くと、周りが騒ぎになる。  
 
「憧れの、ネコミミ少女とえっちするのは気持ちいいでしょ…」  
「…う、うん」  
「ほら、わたしもこんなに濡れてるってばあ。ほーら、すりすりすりっ!」  
断片的に、こんな言葉が聞こえてくる。荵もまるでオトナのような甘えた声を出してる。  
「死んじゃったら、こんな事もう出来ないよね」  
「はあ、ううん。イキそう…」  
「ちゃんと、生きる?生きるね?」  
「うん」  
「あんっ!あんっ!…ふぁああ…いっぱい出ちゃったよお…。ちゅっ。  
はあ。もう、アンタのったら、ねばねばしてるんだからあ。だめだよ、こんなに溜めちゃ」  
 
わたしは、ぞっと背筋が凍りだした。  
死神の条件。それは『処女である事』  
『生』に関わることは、死神にとってタブーだ。  
成人男子はザーメンを持っている為、死神になり得ない。尤も生殖能力のない老人は、例外だが。  
女子でも処女を失う事は、『生』に関わる為に、死神の資格を失う。  
 
少年を先に返し、事を済ました荵がわたしのブースに入ってきた。  
「ふう、案外ちょろいもんだね。あの子も」  
荵は今までもたことのない笑顔で、わたしに近づく。  
「ちょっと、荵。何考えてるの!?死神は処女じゃなきゃだめって知ってるでしょ!?」  
「素股だよ。素股」  
荵は白い内腿に未だベタ付くものを、手持ちのティッシュでしつこくふき取りながら言う。  
 
「本当にやるわけないじゃん。そういう点はちゃんとわきまえてます。わたしは、ちゃんと処女ですからご安心を。  
あの子は体験ナシだから、すっかりその気になってるんですよ。かわいいもんで、十三分で済んじゃいました。  
ま、紫先輩はお子ちゃまだから、こんな現実は分からないと思いますけどね。ふっふー」  
八重歯をにっとさせながら、上目使いでほくそえむ荵。  
 
ほっとするやら、ヒヤヒヤさせられるやら、荵の発言がいちいちムカついてくる。  
「こうやって、天上界に来るべきでない人間に自信を持たせて、地上界に思いとどまらせるんです。  
これが出来る、出来ないでわたし達の能力の差が出ます」  
得意気な荵。ニコニコと笑顔が向日葵のようだ。とても眩しく輝いている。  
でもなんだか、わたしがバカにされているようなのだなあ。  
 
「あの子は、初めて会った時『オレは、死ぬ死ぬ』って言ってたんですよ。  
でも、彼には生きていて欲しいんです。わかりますよね?この理屈。  
そんでもって、わたしは彼にいきなりキスしたんですけど、アレが効いたのかな?」  
右手を頬に当てて、にやけた顔を赤らめる荵の自慢話は続く。  
 
「これで、あの子も二度と『死んでしまいたい』なんてバカなことを言わないでしょうね。  
ああ、いい事をした。人助けは気持ちいいなあ。ふっふー」  
「ねえ、本気でやってるの?ソレ」  
なんとなく、荵のことが心配になったわたしは、老婆心ながら聞いてみる。  
 
「そんなわけないじゃん。あんなのと」  
キッと急に真面目な顔に戻り、ポケットからピンピンの五千円札を取り出しわたしに見せびらかす。  
「きょうも、これで豪華なディナーだ。ふっふー」  
まったく、荵のやんちゃ振りには、はらはらさせられる。  
荵なんか、いつか痛い目に遭えばいい。その時は、大笑いしてやるから、よろしくねっ。  
 
わたしは、その日以来、秋葉原のネットカフェに入り浸ったている。  
「神」の端くれなのにネット難民だなんて、この世の中とち狂ってる。  
ネットのニュースを見ていると、まったく大勢の人たちが死んでゆくなあと思うと  
わたし達の仲間がさぞかし働いてる事なんだろう。わたしって、なんて怠け者なんだろう。  
ちぇっ。わたしは、競争社会の落ちこぼれかよ。  
 
『先生!八の段を覚えました!』ってわたしが言っている間に、みんなはもう微分積分を解いてるような感じがする。  
脳内で『せんぱーい。4×8を31って言ったんですって?』と、荵の人を小バカにした笑い声が聞こえてきた。  
ちくょう。ムカつく世の中になったものだ。  
それに、わたしとほぼ同い年の子達の死のニュースの多さったら。  
わたしにとっては、ビジネスチャンスなのだろう。  
でも、不思議と心が痛む。わたしはきっと未熟な神に違いない。  
そうやって、自分で理解するしかない。ああ、マウスのホイールを回す人差し指がつりそうだ。  
 
ずっと、ネットカフェに引きこもるわけにもいかないな。  
定期報告もしないといけないし、第一仕事にならない。  
とにかく、お腹がすいたわたしは、近所のコンビニでおにぎりを買い、  
歩道の脇のベンチに座り、もくもく食べる。白米が薬くさい。  
「チョット、写真トラセテクダサーイ」  
観光客の外人が、デジカメでわたしを狙う。わたしのスイッチが入る。  
 
「失せろ!!この、異人どもー!」  
一瞬の怒りに負けて、食べかけのおにぎりを彼らに投げつけてしまった。あーあ、貴重なお昼ごはんが…。  
「ちょっと、おはなし。いいですか…」  
「うるさいよ!もう」  
声を荒らげるわたし。声をかけてきたのは、意外にもわたしと似た格好のコスプレ少女だった。  
 
年のころは、わたしと同じくらい。  
ミディアムロングの髪が黒々とし、手足は色白で。いかにも幸薄そうな顔つき。  
瞳は黒目がちな、いかにも守ってあげたいような、そんな感じの少女。  
彼女は、ネコミミのカチューシャを付け、しっぽのついた黒いワンピースを着ていた。  
その少女は、とんでもない事を言い出す。  
「もしかして、死神さん?」  
わたしの心臓が止まりそうになった。  
「否定しない所を見ると、そうですね」  
否定しないから、肯定だ。という、米国式の考え方には引っかかるが、わたしは死神なのでしかたがない。  
「そうだよ」  
「死神さんなら、聞いてもらえますか?わたしの話…」  
 
いちおう、彼女の話だけ聞いてみよう。くだらなかったらすぐに逃げ出す事に。  
「わたし。死神に狙われてるんです。ホントです」  
「えっ?ナニそれ」  
「この間から、あなたと似た女の子につけまわされて『天上界に必要なのよ。あなたは』って言うんです」  
結構リアルな話。『天上界』なんて言葉はそうそう出てこない。  
「その子は、どんな子?」  
「えっと、同じようにネコミミで…、後ろ髪が跳ねてて…」  
もしかして、荵か?とにかく、わたしは彼女に興味を持った。  
 
わたしを信用してもらえるように、自己紹介をする。  
「…わたしは、死神の『紫』です。ムラサキって書いて『ゆかり』と読みます」  
「じゃあ、わたしも。『宇摩ゆきの』っていいます。あっ、このコスプレは…」  
アニメには疎いので、もういいと遮った。  
 
彼女が死神に初めて会ったというのは、一ケ月前くらいのこと。  
放課後、今日のようなコスプレで秋葉原を歩いていたゆきの。  
こうすれば、地味なわたしにでも声をかけてくれるから、少し楽しいらしい。  
そして、死神に出合ったのは、夜中の秋葉原のカフェにてだという。  
「ふっふー。座っていいかな?」  
と、同じような耳をしている黒いセーラー服の子と相席になったのだ。  
(こんな掛け声をするのは荵しかいない)  
わたしは、直感する。ゆきのは、続ける。  
 
「『きっと、この子もこういうのが好きなのかな』と思ったわたしは  
『わたし『宇摩ゆきの』っていいます。あっ、このコスプレは…』って話しかけたんです。  
わたしの中で、人生最大の挑戦だったかも。すっごく緊張しました」  
流水の如く、アニメの話をすると、相手は興味を持ってニコニコと聞いていたという。  
同性の友達が出来て、少し嬉しくなったゆきのは、お互いの事を話し  
あっという間に意気投合していたという。  
「で、友達が出来たって思ったわたしがバカだったんです」  
ゆきのの顔が暗くなる。  
 
こんな夜会が毎日のように続き、心を許してしまったゆきの。  
ある晩の会話。ゆきのは、何気なく話を切り出す。  
「わたしね、このまま生きててもいいのかなって思うの」  
「ふーん、実はね。ゆきのっち、いい?わたし、死神なのね」  
「うそばっかり」  
「あなたの夢。叶えてあげようか?」  
と、いきなり手を引っ張られ、路地裏に連れ込まれた。  
持っていた杖をブンと振ると、冷たい剣に変わってゆきのに斬りかかろうとしたらしい。  
「荵!」  
もー。アイツったら…。  
ゆきのは、必至に逃げ出しそれ以降、その店に近寄ってないとのこと。  
 
もちろん、こんな悩み事は誰も取り合ってくれない。  
ネットの書き込みで勧められて心療内科に行ってみたが  
「緊張によるものでしょう。落ち着く事が大切です」と  
血圧を下げる薬を処方してくれるだけ。彼女にとっては根本的に解決しなかった。  
「引きこもってちゃだめだ。あの子と話し合わないと、と思って  
ここまで出てこれたんですけど、あの日以降、あの子に出会わないんです」  
ゆきのは頭を抱えて、髪をくしゃくしゃにした。泣いているようにも見える。  
「夜が怖いんです。助けてください」  
「大丈夫。わたしは死神だけど、力になれるかもしれない。ゆきのはいい子」  
わたしは、ゆきのを誉める。  
 
とにかく今日は、ゆきのと一緒に過ごそう。  
ゆきのは、いわゆる三多摩地区のあるアパートで、一人暮らしをしている高校生。  
訳あって、実家にもう帰りたくないとの事。同世代なのにしっかりしているなあ、と感心する。  
家賃も最低ランクのもので、共同のトイレ・キッチンがあるだけ。風呂はない。  
歩くと、ギシギシと床が鳴る。そんな、アパートに女子高生が一人。  
窓からは、夕日で紅くなった光が差し込んでいる。  
 
「狭いですけど、どうぞ」  
本当に狭い。4畳半の土塗りの壁に囲まれた部屋に一人暮らし。  
家具があるので、余計狭く感じる。  
棚には、アニメのDVDや古今東西の本・漫画がぎっしりと詰まり、インクの匂いが漂っている。  
くんくんとインクの匂いを嗅ぐのは、わたしは大好き。  
「すきなの?こういうの?」  
「うん」  
「いい趣味だと思うよ。あっ、この置き時計かわいい」  
「ネットオークションで買ったんだけど、これいいでしょ」  
ゆきのは、素直な子だ。私と違って。そんなゆきのをどんどん誉める。  
 
でもあまりにも、彼女が真面目のまー子に見えてくるので、わたしの中で  
少しからかいたくもなってくる。とにかく、純粋すぎるのだ。  
「実はね…。わたしたち死神に頼みごとをするには、お金がかかるんだよ。  
えっと、今回の場合は1000万ぐらいかな。ちゃんと用意できるの?こんな暮らしで」  
わたしのメガネを人差し指でつんと持ち上げ、芝居を打った。  
「…そうですか。やっぱり、人に頼ろうとしていたわたしがバカでした。ごめんなさい」  
ゆきのが泣きそうになったので、慌ててウソだと謝る。  
びっくりするぐらいの純粋な子。天上界も欲しがるわけだ。  
(ゆきのを、絶対守ってあげる)  
そう、わたしは誓う。夕焼けがいつの間にか、夜空に変わっていた。  
 
この晩はゆきのの家に泊まり、一緒に同じ布団に入る。こんな経験は初めてだ。  
ゆきのと顔が近づく。彼女の息が暖かく、わたしの鼻をくすぐる。  
わたしには、百合っ気はないんだが彼女の不思議な魅力に陥ってしまったのだろうか…。  
「この耳って、本物ですか?」  
わたしの耳を軽く抓るゆきの。  
「本物だよ。息を吹きかけてみる?」  
ゆきのは、俯いて赤くなった。  
 
次の日、ゆきのは学校を休んだ。  
どこにも出たくないとの事。わたしも付きっきりで付き合う。  
次の日も、次の日も学校を休む。  
なにもせずゲームしたり、マンガ読んだりと、だらだらした生活。  
そして、たまーに、わたしはゆきのをからかう。  
「明日使える雑学だよ。れんこんって、農家の人が一つ一つ穴を開けてるんだよ」  
「へー。それって、何気にすごいね!!」  
「ウソだってば!」  
そんな会話ばっかりしている気がする。わたしは、死神である事をすっかり忘れてしまったかのように。  
 
十日目の夜。布団の中で、突然ゆきのが話しかける。  
「ねえ、紫さん」  
「なにー?」  
「わたし…しっぽが生えてきたみたい…」  
「ウソ?」  
「なんだか、腰の方が熱くって…」  
ばっと布団を捲って、ゆきのを見るがしっぽなどない。  
「ふふふ、紫さん。騙されましたね」  
すっかり、ゆきのは悪い子になってしまった。わたしのせいだろうか。  
そんな暮らしが二週間も続く。定期報告もすっかり忘れてしまった。  
 
いつものように、布団に入る春先の夜。何もないのが逆に不安に感じるのか、  
ゆきのは、日に日にわたしにくっついてくるのだ。  
(わたし、死神の癖に何してるんだろう)  
ミシっと、部屋が鳴る音が聞こえた。  
 
深夜1時過ぎ。突然、扉を叩く音が聞こえる。  
わたしとゆきのは目を覚ます。  
「アイツだ!アイツがやってきたよ!」  
布団に隠れ、息を荒くしながら怯えるゆきのに目の前にしたわたし、悲しいくらい今、非力だ。  
「大丈夫だってば…」  
無言で、わたしはゆきのの背中をさすっていた。  
「ちょっと待ってて」と、ゆきのに言い残し、玄関に向かいドアスコープを覗くと  
わたしの不安が的中していた。荵だ。  
 
「開けてくださーい」  
能天気な荵の声が余計に不愉快だ。  
「空けるもんか、バーカ。一生、男と寝て暮らしてろ」  
まるで、小学生の喧嘩のようなボキャブラリーで荵を罵倒する。  
わたしは、悪い先輩だ。後輩の面倒もろくに見ず、ダメ死神と後ろ指差されて  
人間の味方をしようとしている卑怯者だ。  
目の前の獲物をやすやす見逃し、飼い主に襲いかかろうとする猟犬のようだ。  
 
「紫先輩でしょ?わたし、何でもわかるんだから。とにかく、外で話しましょう」  
わたしは、頭が沸騰していたのだろうか。  
荵に諭され、外に出ようとしてドアノブを回し、扉を開ける。  
わたしが、荵と付きっ切りならゆきのは大丈夫だろう。  
「すぐ、戻ってくるから。うん」  
ゆきのに優しく話しかける。ゆきのは黙ってうなずく。  
しかし、そんなわたしが甘かった。  
 
アパートの玄関先。深夜なので、全く人通りがない。  
わたしは、ゆきののつっかけを履いている。ブーツを履いている暇などない。  
夜の風は、わたしの足を容赦なく冷やす。  
「お久しぶりですね。紫先輩」  
「…」  
「先輩もお元気そうで」  
 
「ねー、紫先輩。お仕事はかどってる?」  
ニコニコしながら、荵はわたしに聞いてくる。  
「知らないよ。そんなこと」  
「仕事を放っぽりだすなんて、先輩らしいですね」  
カチンときそうになったが、いけない。荵の作戦かもしれない。  
 
「とにかく、今は仕事をしたくないの」  
「へへへ。とうとうニート死神の誕生ですね」  
と、言い終わるか終わらない瞬間、荵はブンと持っている杖を振る。  
そう、荵の杖は剣になる。不浄の血を瀉血するための剣。  
月に照らされた、鋭い剣先をわたしの喉もとに突きつけ、アパートの壁に追い詰める荵。  
荵の目は何時になく真剣で、この剣のように鋭く見えた。  
 
いままでかいたことのないような汗が背中に噴出す。心臓の音が鼓膜にまで聞こえてきた。  
「わたしが、先輩を殺してもいいんですよ。先輩も、もう死神として働かなくていいし、  
天上界も不埒な死神を消したって喜ばれる。一挙両得だあ、ふっふー」  
荵のバカ笑いが耳に突く。剣先はわたしのメガネに向けられ、レンズをツンツンと突付く。  
 
怖い!怖いよ!  
わたしは、ゆきのと同じ恐怖を感じているんだろうか。  
死神に殺される!  
 
この剣で斬られても、痛くはないはずなんだけど、きっと血はたくさん出るんだろう。  
わたしなんか、醜い死神だからだくだくと瀉血しないと、天上界に戻れないね。  
半分以上の血が流れちゃうかも。あはは、ダメじゃん。  
荵は優秀だから、きっと上手に斬ってくれるはずだ。  
そもそも、天上界に受け入れてもらえるのかな。きっと「お前なんか、くるな」ってね。  
ならば、地上界に戻って、ゆきのと一緒に暮らしたいな。  
誰にも邪魔されずに、小さな部屋を二人で借りて、のんびりお茶でも飲みながら暮らしたいな。  
 
と、思っている隙に荵が突然、アパートに駆け込んだ。  
しまった。ゆきのが一人っきりだ。  
「バカ!!」  
急いで、荵の後を追うが、つっかけでは走れず転んでしまった。  
走りたいのだが膝をすりむき、足をくじいて歩けない。悔しい、無念だ。  
最後までゆきのに付き添えなくて。  
「やめて!」  
深夜ということ忘れて大声で叫ぶわたし。泣いてしまいそうだ。  
 
しばらくすると、荵がアパートから戻ってきた。  
「びっくりしたなあ。全然、血が出ないんだもん。あんないい子いないって」  
荵は杖を片手にわたしに近づいてきた。もう片方の手には、わたしのブーツやら私物が。  
「ねえ、紫先輩。契約を結んだ人間は、死神に24時間以内は近づいちゃダメなんだよねー。  
『天上界ヨリ派遣サレタル者ノ法・第34条ノ2』これ、常識ですよね」  
わたしと荵は、ゆきののアパートから遠ざかった。  
「さ。先輩のおごりで吉牛に行きましょう。深夜の吉牛はすんごくおいしいんですよ」  
足が痛い。嫌だけど、荵の肩を借りて漆黒の住宅街をゆっくり歩く。  
 
もう、ゆきのと会うことが出来ないんだろうな、きっと。足の痛さと、悲しみで涙が出る。  
『大丈夫』って言ったのに、大ウソツキだ。わたし。  
天上界で良くしてもらう様に、わたしは祈る事しか出来ない。  
 
翌朝、足の痛みも和らいだわたしは、荵と別れ天上界に報告に行く。  
全く報告していなかったので、アチラはお冠だろうな。  
「アイツをクビにしてしまえ!」とか言ってるのかな。  
おもしろい、クビに出来るものならやってくれ。そして、暴露本を書いてやる。  
楽しい印税生活が待っているぞ。ざまあみろ。  
しかし、いやだなあ。定期報告はいつも嫌だけど、今日は特に嫌だ。  
公園の池にチョンと杖で突くと、不機嫌そうなお姉さんが現れた。  
 
「亜細亜州日本国東京。0024番の紫です。定期報告をいたします」  
「…心配しましたよ。全然連絡は来ないし、何かあったんですか?」  
「いえ、別に…」  
もう、会話をするのも面倒くさい。早く終わらせたい。いや、あの事を聞いておかないと。  
「あの、ちょっと聞いていいですか?0068番の荵と契約した『宇摩ゆきの』についてなんですが」  
「えっ?そんな契約の報告ありませんよ? しかも、人の契約についてなんて。  
自分の契約はぜんっぜん伸びてないんですよ。しっかりしてください!」  
 
そんなバカな。確か、昨夜は荵が、ゆきのと契約を交わしたはずだ。  
「とにかく、あなたは報告義務を怠りましたねえ。大審院にバレたら一ヶ月の減俸ですよ」  
お姉さんは、わたしを責める。責められて当然なんだが、そんな正論聞きたくない。  
「ふぁーい。すいませーん」  
やる気のない声で返事をしてしまった。  
 
「まだまだ、あなたは伸びると思いますので活動を続けてください。でも、またこんな事起こさないでくださいね」  
このクソババア。わたしが天上界に行ったら覚えてやがれ。  
 
秋葉原のカフェで荵と出会う。  
「昨夜のゆきのの事なんだけど…」  
「…そうね。紫先輩には、申し訳なかったね。でも…」  
荵は、暗い顔でジュースを飲む。一方、わたしは、アイスティーをストローでぶくぶくぶくっと息を吹き込む。  
「わたし、契約交わしてなかったんですよ」  
わたしは、目を丸くしてストローで息を吹き込むのをやめた。  
「だって『全然、血が出ない』って言ってたじゃない」  
「そりゃ、契約してないから当たり前じゃないですか。斬れなかったもんっ。  
ゆきのっちたら、昨夜に紫先輩と契約を交わしてしまったって言うんですよ。  
それに、契約者に近づいちゃって、もうわたしゃダメダメだよ」  
 
わたしは、一切ゆきのと、契約なんぞしていない。  
きっと、ゆきのは荵にウソをついたんだろう。一緒にわたしと暮らしていたから  
すっかり、わたしの様にひねてしまったゆきの。  
あの時の荵は、自分で自分を傷つけたくなかったのだろうか。  
わたしは陰ながら、ゆきのを誉める。  
 
「荵、どうするの?これから」  
「とにかく、わたしは三日間活動が出来ないんですっ!あーあ。男の子と遊びたいなあ」  
荵は痛い目に遭い、かなりへこんでいる様子。荵の耳には、優秀な死神の証のピアスがなくなっていた。  
わたしは、荵の事を大笑いしてやりたい気分だが、わたしも同じく痛い目に遭っているのだ。人のことが言えない。  
「荵のバーカ、あとでご飯食べに行こっ。おごるからさ」  
「まじっすかあ!?うわーい」  
まるで幼稚園児のように喜ぶ荵。早くお互い認め合える仲間になりたい。  
きっと、わたしも荵も孤独が怖いんだろう。  
 
そして、後でゆきのの家に行ってみよう。  
 
 
おしまい。  
 
 

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