草木が萌え出で、鳥たちが歌いはじめる季節。
人々は、新しい季節に喜び唄い「春」という季節を待ち望んでいたかのように、ざわめき始める。
目の前を、わたしと同い年ぐらいの女子高生達が、サルのようにきゃっきゃと
けたたましく騒ぎながら歩いていった。
一体何が楽しいんだ。わたしが一番嫌いなタイプの人間達。
地上で最もうるさい人類かもしれない。ムカつくなあ。
春という陽気のせいか、それが輪をかけてウザく感じる。
いっその事、わたしの力を使えば消せるのもなんだが、こんな無駄遣いはいやだ。
わたしは、こんな季節が大嫌い。
無くなって欲しいとも思っている。早く冬が来ればいい。
わたしは、ひと気のない桜並木を一人して歩く。
肩から膝下まで伸びた雨合羽のような黒いワンピース。
フードがついているのだが、邪魔なので被っていない。
襟元には、可愛らしい黒いリボンがワンポイント。肩から袈裟懸けのポーチも自慢。
黒猫の化身の名残のネコミミがわたしには生えている。もちろん、尻尾も。
こげ茶の編み上げブーツで歩くたびに、落ちた花びらがふわりと舞い上がる。
落ちてきた桜の花びらが、ぺたりとわたしのメガネにひっつく。そんな、桜の季節をわたしは、忌み嫌う。
できれば死神の証、大鎌でぶんと、桜の枝をなぎ払ってやりたいくらいだ。
尤も、最近では、市中は危ないと言うので鎌は天上界の自宅に置いてあり、
代わりに、先に大きな輪がついた杖を肩に掛けて持ち歩いている。
「なぜ、桜は咲くんだろう…」
当たり前のような疑問がふと、頭によぎる。
生暖かい春風が、栗色のくせっ毛ボブショートをふわりと揺らす。
わたしが、嫌う公園の桜のアーチを歩く中、一人の男が池を見てたたずんでいる。
彼は、時代を五十年程遅れてきたような着物姿で、なにか物憂げな雰囲気を漂わせる。
「うん。この人にしよう」
彼のたもとにすっと立つ。彼は、私のことに気付いているようだが、わたしに振り向く事はまだしない。
「桜がきれいですね」
わたしは、人間に話しかける時の常套句を使って、接触を試みる。
もちろん、個人的にはこんな言葉を使うのは、反吐が出るほど大嫌い。
しかし、わたしの本分のためなら、仕方あるまい。
「桜は、嫌いだよ」
彼は、予想外の言葉を返してくる。
「桜は、人の心を悲しくさせる。彼らも、咲きたくて咲いてるんじゃなかろうに」
「…わたしも、桜は嫌いです…」
わたしは、彼に非常に興味を持った。
「わたしですね。死神なんです」
思い切って、自分の正体を明かしてみる。意外にも、反応は薄かった。
「面白い事をいうね、死神に初めて会ったよ。いい思い出になった」
わたしのネコミミがくにーと垂れる。今までにあったことのないタイプの人間に少し戸惑う。
どのように、対処すればいいんだろう。そんな、マニュアルは一切ない。
「わたしのこと、疑わないんですか?どう見てもおかしな人ですよね?耳もヘンだし…」
「疑う理由が見つからない」
そんな彼に、ますます興味を持つわたし。
「死神って、ドクロの顔をしてたりして、怖いイメージだと思っていたけど、
君を見ていると『死』というのが怖くなるね。むしろファンタジア、幻想的だ」
「相手を引き込む作戦です。ただ、天上界と地上界では少々、感性が違うようで…」
「ぼくも、よく『人と違う』って言われるから、きみの寂しさは良く分かる」
彼は、そんな事を言いながら、ぶんと池に小石を投げ入れる。
わたしも真似をして、ぶんと池に小石を投げ入れるが、足元でポチャンと落ちてしまった。
「そういえば、わたしの名前を言ってませんでしたね。
『紫』といいます。むらさきとかいて『ユカリ』。あなたはなんていうんですか?」
「『長谷部』といっておこうか。これ以上は言えないな」
といい、下駄を鳴らしながら去っていった。
長谷部が投げた小石がまだ、水面を切って跳ねている。
うん、彼にしよう。わたしは、ぐっと手を握り締め、心に決める。
次の日。今朝は、ダンボールの家のおじさんから、小さなおにぎりをもらった。
人の温かさに触れた肌寒い朝。おじさんも、天上界にいけますように。
この日の午後も、長谷部と同じ場所で出会った。ウグイスが遠くで鳴いている。
「長谷部さんは、よくここにこられるんですか?」
「ふふふ。ここしか来るところがないのさ」
人のことを言えた義理でもないのだが、身なりからして、彼が気ままに生きている事が分かる。
「そういえば、紫さんは『死神』とか申してたね」
「はい。わたしは『死神』です」
「きみを見る限り、どうも人を恐怖に陥れる悪いやつに見えない。
むしろ、ぼくらの友達としてこの世界に来てるんじゃないのかな?」
わたしの血が一瞬引いた。
ネコミミもくるりと警戒し、尻尾がわたしのお尻に隠れようとする。
「…わたし達の仕事は、地上界の者を天上界に迎え入れる事です。
地上界では『死』といい、無に帰る意味になりますが、わたし達の世界では天上界に戻り、
永遠に生き続ける意味になるんです。つまり、分かりやすく言うとエリートです」
「なるほど」
「むしろ、死神に見放された人たちは、かわいそうな人たちです。
天上界にも行けず、グルグルと地上界に後戻り。なんでも輪廻転生って言われているらしいんですがね。
『あなたの前世は天草四郎だった』とか言って、人間同士で騙そうとする人間もいます。
決して前世があることは良い事じゃないんですよね。むしろ、不幸せな人たちです。
『お前は、天上界ににどとくんな』って。…ごめんなさい。少し難しいお話になっちゃいましたね」
「ははは、構わんよ。ぼくも、よく『何を考えているか分からないから、話にならない』とよく言われる」
彼は腕を組みながらケラケラと笑った。
ますます、彼に興味を持った。彼こそが、天上界にふさわしい人物かもしれない。
わたしは、天上界からの使者。上役への報告義務がある。
そろそろ、上役に報告をしなければいけない。とても面倒だ。ゆううつだ。
また、お説教されるんだろうな。春の陽気が輪をかけて、わたしを陰鬱にさせる。
どんな水面でもいい。その水面をちょんと杖の先でつつくと、水面が大きな画面になり、
相手が浮かび上がる。天上界にいる上役に直接会話が出来る仕組みだ。
もちろん、人間達には、その水面の画像を見る事は出来ない。
「亜細亜州日本国東京。0024番の紫です。定期報告をいたします」
水面にはわたしより若干年上のお姉さんが映る。彼女もまた死神。
同じく、黒猫の化身の証、ネコミミが生えている。
「紫さんですね。突然で申し訳ないんですが、あなたがこの間、天上界にご案内した
東京都の『小椋ひいな』さん。地上界日本国滋賀県琵琶湖のフナに戻る事になりました」
「…えっ」
厳しい口調でお姉さんが、紫を責立てる。
一ヶ月ほど前、紫が天上界に連れて行った、女子中学生の名前であった。
学校でいじめられて、地上界で生きるのが嫌になり、公園で出会った紫と話しているうちに意気投合。
そんな彼女を哀れに思い、天上界に連れて行ったのだ。死因は、睡眠薬の多量摂取となっている。
「彼女はあまりにも天上界での素行が不良で、大審院からこの世界にふさわしくないと判断され
彼女は、もう一度地上界に戻ってもらう事になりました。わたし達としても非常に遺憾です」
地上界で性格の悪い子は、天上界でも変わる事が出来なかったのか。
話した感じ、いい子だと思っていたのに。わたしは自分の力不足を恨んだ。
「…はい。ごめんなさい」
天上界でのわたしの査定は、このことにより大きく響く。
わたしの同期の死神たちはどんどん出世して、天上界でバリバリ働いているというのに
未だに地上を駆けずり回る、初心者レベルの仕事をしているのだ。
なので、同期の奴らは、みんなわたしの事をバカにしている。
不器用なわたしは、泣きたくなった。わたしは弱い死神なのだろうか。
首をうなだれ、暗くなったわたしを慰めるように、お姉さんが優しく語り掛ける。
「大丈夫。まだまだ、あなたは若いんです。ところで、最近の調子はどうですか?」
「…まずまずです。それより、調べて欲しいことがあるんですが…」
「はいはい。なんでも言ってみて下さい。力になりますよ」
「ある、人物の名前なんです」
わたしたちが、活動するには必要なもの。それは、天上界に召す人物のフルネーム。
これが分からないと、わたしたちは手も足も出せない。
そこで、天上界の本部に調べてもらい、わたしたちは円滑な活動をするのだ。
わたしは、長谷部のことを話した。いつ、どこで会ったか。どんな風貌かを詳しく説明する。
本部では、わたしの行方と行動で、接触した人物を調べるのだが、
何せ、地上の人間の数を考えると時間がかかるのは必至。気長に待つしかない。
「わかりました。ある人物の名前ですね。リサーチするには、時間がかかるので、
そちらでは活動を進めてください。次の定期報告の時にお教えできると思います」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
定期報告を終えると、水面は元に戻り静けさを取り戻した。
石を投げつけたくなるくらい、青空が美しいある朝。
わたしは、料亭のゴミ箱から拾ってきた、ある宴会料理の残りを公園のベンチで貪り食っていた。
エビや魚のフライ。朝っぱらから脂っこい料理だが、おなかを満たすためには、仕方がない。
こういうことをするヤツらが、天上界に来るとわたしはムカつく。
天上界の品格が落ちてしまうし、フライになる為に命を落とした、エビや魚たちが浮かばれない。
食い残したやつはみんなエビになれ。エビになってフライで揚げられて、食われてまたエビになれ。
そして、天上界には決して来るんじゃない。
そんな、死神の文句をたらたら流していると、わたしの脇に、雑誌が忘れ去られているのを見つけた。
本には、さらさら興味がないのだが、今日は不思議と気にかかる。死神に魔が差した。
時間も腐るほどあるし、パラパラとめくる。
表紙は下品、地上界のありとあらゆる下世話なこと書かれており
決して手にしようとは思わないものだった。しかし、わたしが一番興味を持ったのは
4ページ程の短編小説。一話完結の話のようだが、わたしは、このページにのみ惹かれた。
なぜ、こんな上品な文章がこのような雑誌に載っているのだろうかと思うほど、美しい文章。
小説というものは初めて読む。しかし、この文章はわたしに共感しやすいのか、すらすらと読むことが出来る。
数分後、わたしは、生まれて初めて小説を読破した。
なんだろう、この快感。すっとする気分。うーんと伸びをしてみる。
人間達が、やれベストセラー、ロングセラー、そして映画化決定と興奮する理由がわかってきた。
この小説の筆者らしき名前が始めに載ってある。
「津ノ山修」かあ。覚えておこう。
わたしは、津ノ山修の本を探しに本屋へ行く。こんな場所ははじめて行く。
必至に探すが、あまり人気のない作家なのか著作が見つからない。
とりあえず、見つけた一冊を購入する。地上界の金銭は念のためにと、天上界から支給されている。
わたしは、それ以降、津ノ山先生の作品にどっぷりはまった。出来れば毎日読んでいたいくらいだ。
もっと読みたいと思い東京中探しても、あと一冊ほどしか見つからなかった。
彼は、まだまだ無名らしい。これから大きな名前になってくるのだろう。
わたしは、いつでも読めるように、二冊をポーチに入れて持ち歩くことにする。
わたしは、期待している。きっと、将来すごい作品を読ませてくれることを。
今日は、定時報告の日。わたしは商店街を歩いている。
世間は日曜日なのか、人通りが結構ある。午後のうららかな日。
電器屋のテレビはクイズ番組を映し出していた。
「今日は、ある人物を当てていただきます」と司会者である紳士の声がする。
そうだ、思い出した。長谷部のフルネームを教えてもらう約束だった。
いそいで、水面がある場所へ急ぐ。
路地裏に、水の入ったバケツがあった。一目がないのを確認して、ちょんと水面を突付く。
「お疲れ様です。調子はどうですか」
「はい、順調です。その、この間の事なんですが…」
「はいはい。ちゃんと調べておきましたよ。彼の名前は『長谷部龍二郎』ですね」
「『はせべりゅうじろう』…。ありがとうございますっ!」
「彼は、私たちの調査では品格良好で、天上界でも期待されていますよ。頑張ってください」
「はいっ!がんばります!!」
「この仕事が認められると、あなたも次のランクに上がるチャンスですので
わたし達も期待しています。では、仕事を続けてくださいね」
わたしは、このとき死神になって初めて仕事のことで笑ったと思う。
陰鬱な春が少し、いつもより暖かく感じる。
曇りがちの月曜日。雨が今にも降りそうなのだ。
だが、そんな天気がわたしは大好き。大雨なんかになると、これ以上ない喜び。
世間も少しどんよりしている。わたしの気持ちも少し楽になる。
いつもの池のほとりで長谷部に会う。
彼はいつものように、飄々としてたたずんでいた。わたしは、いたずら心で少しおどかしてみる。
「わっ!こんにちは!」
「なんだ、紫さんか」
反応は薄かった。しかし、長谷部の顔は少し笑っているように見える。
そんな長谷部は、わたしにいきなり思ってもいなかったことを言い放つ。
「ぼくは、君の言う『天上界』に興味を持ったよ。今すぐ、連れて行ってくれないか?」
なんという、とんとん拍子。わたしのネコミミがぴんと立つ。
上手くいくと、初めて仕事で誉められるかもしれない。そう考えるとわくわくする。
同期のバカどもを見返してやるぞ。
「…本当ですか?覚悟はいいんですか?」
「ああ。こうして生きてゆくのも、ちょっと飽き飽きしてきた頃なんだ。
ぼくには、この地上界が狭すぎる。窮屈さ」
「では、早速準備します!ところで、あなたの名前は…えっと『長谷部龍二郎』さんですね!」
不思議と長谷部は驚く気配もなかった。
「ははは。そうだよ」
わたしは、すこし頬を赤らめて興奮している。ネコミミも絶好調。
「後悔は、ありませんね」
「うん、はじめてくれ」
「…では、契約を…始めます」
桜の花に囲まれながら、わたしの仕事が始まる。人間をいわゆる「あの世」へと送り出す尊い仕事。
「はせべ・りゅうじろう、下賎なる地上界に営み続ける魂を天上界に送らんと…」
わたしは、必至に長い長い呪文を唱える。天上界への道を開く為の呪文。
長谷部は笑って立って見つめている。
「神に近づかん事を願う!!」
ぶんとわたしの杖を体いっぱい使って振ると、杖は鋭い剣に変わる。
刀身は、およそわたしの背丈と同じ長さ。細く鋭く、まるで氷のように冷たく見える。
「…ほんとうに、後悔はないんですね」
「…わくわくしてるよ。楽しみだなあ」
わたしは、剣を両手でしっかり持って構える。体が震えて、刃先も一緒に震えている。
「いき…ますよ…」
長谷部はうなずく。
「…」
わたしの心臓がいつもより激しくうなっているのが、耳の後ろの動脈の音で分かる。
次の段階に、なかなか一歩が進み出せない。足元がすくむ。勇気が欲しい。
わたしは、上を見上げると桜の花が咲いているのが一面に見えた。
憎らしいぐらいに美しい桜。その、桜への憤りを思いっきりわたしの剣に託す。
「にゃああああああ!!」
わたしは剣で、長谷部の首筋をぶんと斬り付けた。
ぱっと、桜の花びらと一緒に赤い血が霧のように飛び散る。
わたしには、ゆっくりと舞う赤い玉が美しく見えた。後戻りは出来ない。
が、これは実際の長谷部の血ではない。事実、彼はニコニコしながら未だに立っている。
地上界の醜く淀んだものを、瀉血させているのだ。天上界に、余計なものを持ち込まぬように。
この技術次第で、天上界での品格が出来上がる。
前回は、この技術が余りにもお粗末だったため「小椋ひいな」のような失態が起きたのだ。
が、今度は手ごたえがある。長谷部のために全力で斬り付けた。もう、失敗は出来ない。
わたしが、見込んだ人間だから幸せにしてあげたい。
刃先に血のついた剣が落ちる音が響く。
「もう、これで…戻れませんよ…」
わたしは、俯いて今にも吐きそうな気分になった。立ちくらみがする。
かなりの体力を使うため、わたしは今にも倒れそうなのだ。
「これから、24時間以内にあなたは死にます。死因は、わたしにも分かりません」
「ありがとう」
「…このあと、わたしは契約を結んだ者と会うことが許されません。
次に会うとしたら、天上界ですね。尤も、わたしがそちらに行く事ができればですが…」
「ははは、そうかい。すっきりしたよ。じゃあ、また会う日まで」
「待って!」
わたしは、長谷部の胸元に飛び込んだ。初めて、男性の暖かさを知る。くんくんと匂いを嗅ぐ。
「…幸せになってくださいね…」
何故だろう、目頭が熱いぞ。こんな感覚初めてだ。
人と別れることは、仕事上慣れっこのはずなのに、何故か今日はそれがやけに切なく感じる。
寂しいのかな。長谷部にぎゅっと抱きつけば抱きつくほど、わたしの心臓の音が激しく聞こえる。
「天上界での幸せは、わたしが保証します」
そういえば、この気分の高まりは、初めて津ノ山先生の本を読んだ感覚に似ている…。
小さなわたしの胸が痛い。
仕事を終えた翌日。わたしは、公園のゴミ箱で雑誌を拾う。
以前拾ったものと同じ雑誌の最新刊。相変わらず下品な表紙で、下世話な記事で埋め尽くされている。
そんな中、唯一ほっとするのが津ノ山先生の作品だ。
これの為だけに、読み漁っているようなもの
なんだか、内容が身につまされるものだ。死神なんぞ出てきている。
自分のことが書かれているみたいで、不思議な感じがするが、彼の上品な文ですっと読むことが出来る。
やはり、もう彼の文章の虜になっている。はやく次回作も読んでみたい。
しかし、その気持ちはガラスのように打ち砕かれる。
「※津ノ山修先生は、先日亡くなられました。ご冥福をお祈りします」
ページのはみ出しに、小さく書かれていた文字は、わたしを凍りつかせた。
メガネを拭いてもう一度見てみるが、文章は変わらなかった。
津ノ山先生が死んだ。
死に携わる仕事をしているとはいえ、わたしのショックは大きい。もう、珠玉の文章を味わえないなんて。
その日の夕刻、とぼとぼと商店街を歩いていると、電器屋のテレビで津ノ山先生の訃報が報じられていた。
淡々とニュースキャスターは話す。
「昨夜、作家の津ノ山修さん(35歳)が池で亡くなっているところが発見されました」
もう、そのニュースは悲しくなるからもういいよ、と思っていたところ、キャスターの声を疑った。
「津ノ山修さん、本名・長谷部龍二郎さんは…」
画面に生前の写真が映る。どう見ても、長谷部の顔だ。
わたしの血が全て冷え固まった。
定期報告の義務があるため水辺に向かう。長谷部もとい津ノ山先生と出合った池にする。
本当はそんな元気もないのだが、義務は義務。
いつものように、ちょんと池の水面を杖で突付く。
「亜細亜州日本国東京。0024番の紫です…。定期報告を…いたします」
「紫さん。やりましたね。天上界でも大喝采ですよ」
「…はい」
お姉さんは満面の笑みで話しかけてきた。なのに、わたしの気分ったら暗く沈んだまま。
「今回、ご紹介頂いた長谷部龍二郎さんは将来、天上界でも期待できる人材です!」
なんだろう。仕事で誉められてるのに、ちっとも嬉しくもないぞ。悲しみと怒りしか浮かばない。
「もちろん、紫さんの評価もかなり上向きに…」
「うるさいっ!もう、黙ってよ!!」
わたしは、お姉さんに声を荒らげてしまった。
出世なんか、どうでもいい。天上界の奴らも、もう好きにしろ。
メガネを外し、わたしは涙をぬぐう。
お姉さんも困っている。
「…とりあえず、ほうこくをおわります…」
兎に角、何も話したくないわたしは、無理矢理報告を終わらせその場でしゃがみこんだ。
わたしは、この夜ここで一晩過ごした。
津ノ山先生の本を抱いたまま、泣いて過ごした。
朝は、問答無用にやってくる。相変わらず桜が咲いている。
光が、わたしの気持ちを逆なでするかのように浴びせられる。
やっぱり、春は嫌い。桜はもっと嫌いになった。
おしまい。