▼花見酒
冬、12月24日。
世間様はクリスマスイブとやらで盛り上がっているようだが、残念ながら俺には寄り添う恋人なんていない。
俺のように孤独な貧乏学生なんて世の中には溢れてるんだろうが、それでも何かしら理不尽さを感じてしまう。つるんでる友人達はちゃっかり相手を見つけてやがったりするからなおさらだ。
今夜は一人でヤケ酒でもして寝るかと思い、煙草を燻らせてバイトからの帰り。雪がちらほら舞っているが、傘を差すほどでもない。
割と広い裏通りなのだが、やはり皆は表通りにいるようで、うっすらと積もった雪には誰の足跡も付いていない。
雪見酒というのも中々にオツなものだが、この時期に窓を開けて泥酔してたら凍死するんじゃないか、なんて思ったその時。視界の端で何かが煌めいた―――
「――――――っ!」
反射的に転がるようにして体を横に飛ばす。受け身を考慮する余裕など無かったので、無様に地面を雪まみれになって滑る。一瞬前に俺の首があった場所を銀の軌跡が通り抜けたのが見えた。
思考が凍り、汗がドッと噴き出す。跳ね起きるように体勢を立て直し、相手を確認すべく視線を上げ、息を呑んだ。
黒い外套と長い髪をはためかせ、流れるような所作で大鎌を振るう少女。小柄な体格に不釣り合いな長物を取り回すその後ろ姿は―――死神を彷彿とさせた。
「苦しいのがイヤなら抵抗しないで。面倒だし」
全体重を掛けたであろう斬撃を振り抜き、大鎌をくるりと回して慣性を殺した襲撃者は振り向かずに淡々と告げる。その足下には真っ二つになった煙草が煙を上げていた。
冷たい静寂に染み渡る澄んだ声。明確な殺意を滲ませたその一言で俺は冷静さを取り戻した。
急いで次の手を考えろ。
今すぐに逃げなくては。だが何処に?逃げ切れるのか?
ならば闘うか。武器もないのに?勝てるのか?
「貴方は此処で死になさい」
一瞬の迷い、その隙を突いて黒い影が舞う。
それを目にして、自然に覚悟が出来た。最初の一撃だってかわせたじゃないか。これでも人並み以上に武道の心得はある。
スッと体の芯が冷えて、雑念が取り払われる。長い修練を積んだ体が、殺し合いの感性を研ぎ澄ます。
ここからはお互いの命の削り合いだ。遠慮なんて必要ない。
横様に首を狙う一撃を、背を逸らして避ける。更に体を回して襲いかかる一刀から逃れる。
いける。この速さなら追いついていける。
狙うは鳩尾への一撃。
上段の払いを屈んで避け、飛び退って距離を稼ぐ。
「小回りは効くようね。本当に面倒」
鎌という形状上、攻め手は薙ぎ払いが基本となる。例えその鎌が舗装された地面を穿つ強度を持っていたとしても、地に刺さった鎌を抜くのは手間だろう。
故に縦振りは必殺の一撃のみ。その一撃さえ凌げれば―――!
左右から無尽蔵に繰り出される斬撃を間一髪で避け続け、その一撃を待つ。
「でも貴方は死ぬの。諦めて」
じりじりと後ろに下がり、あと数メートルで壁というところまで追いつめられる。
そして更に飛び退り、壁に背中が当たるほどに下がった瞬間。終に死神は天高く獲物を振りかざし、一気に距離を詰めてきた。
「そこだっ――――――!?」
着地の反動を右膝で殺し、左足を全力で踏み込んだ瞬間―――視界が反転した。
地面には降り積もる雪。当然と言えば当然である。斜めに一回転した視界に、雪空をバックにひらめく外套が。
こんな馬鹿な終わり方って無いだろう。此処まで誘い込んでこのザマか?我が人生ながら泣けてくる。
そこで、ふと気が付いた。
「きゃっ――――――!?」
そう、全力で踏み込めば転ぶのだ。
視界の端には、持ち主の制御を失い、ギロチンの如く迫り来る刃が。首を捻って避けたぎりぎりの所に切っ先が突き刺さる。
そして休む暇もなく、視界いっぱいに広がってくる外套と可愛らしい顔。いくら小柄な少女でも、この速度で落ちてくるとなると話は別だ。
時間がスローモーションのように流れていく。倒れ込んでくるからだを受け止めるべく腹筋に力を込める。
風圧でめくれ上がる外套の中に。
あ、白だ。
「ぐふっ――――――」
「きゅぅ――――――」
よこしまな思考に集中力が緩んだ瞬間、衝撃が訪れた。痛覚が、呼吸が、意識が―――
目が覚めると、体の上に何かが乗っていた。そして顔のすぐ横には謎の超危険物体が。
考えること数秒、意識がハッキリとした。生きてるってすばらしい。
とりあえず積もった雪を払い、気を失っている死神(?)少女を抱えて起き上がる。
体の節々が痛いが、このままだと二人とも凍死してしまいそうだ。家に戻って酒でも飲みたい。
少女については一瞬迷ったが、流石に放っておくことも出来ないし風邪でも引かれたら後味が悪い。
今し方殺されかけたばかりだったが、鎌さえ渡さなければ大丈夫だと信じよう。どうやら鎌は折りたたんで刃を仕舞えるようなので、折りたたんで担ぐ。
雪見酒も悪くないが、今夜は花見酒と洒落込もうか。腕の中の桜色の寝顔を見て、ふとそう思った。