雨が降った―――
昇降口で五月蠅い雨音を聞きながら、重い空を見上げる。
「外れた、な……」
天気予報では一日晴れだって言ってたのに、最後の授業が終わったと同時に降り出した。
っ……たく、当てにするんじゃ無かったよ。それとも、『ヨシズミ』予報を信じて、傘を持って来なかった僕が馬鹿だったのか?
何とかしないと、な……
小雨ならまだしも、この土砂降りじゃあ、絶対に塗れて駄目になる。
「このケーキ、一緒に食べたかったけど」
僕の右手に有る物は、二十日も前から予約を入れていたデコレートケーキ。
誕生日を迎える人物の名前と、僕からのメッセージが描かれている。
「さて、どうするか?」
受け取るのを待ち切れなくて、昼に一度学校を抜け出し、放課後まで職員室の冷蔵庫で保存していた。
子供だと笑われても良い。早く、笑った顔が見たかったんだ。
「走るか……そうすれば、何とかなるだろ」
さっきから何人ものクラスメイトが通るが、声を掛けて来る者はいない。別に、誰かの傘に入れて貰うつもりも無かったし、誘われても断るつもりだった。
でもこの現実が、大切な人を、更に大切な人にする。この人しかいないと思わせる。
「急げば五分。ケースにブレザー掛ければ、間に合う」
そう見切りを付け、走り出す。
━━━バシャ、バシャ。
水を跳ねる。
━━━バシャ、バシャ。
校門を出た時には、靴下まで濡れていた。
━━━バシャ、バシャ。
予想したより浸透が激しい。シャツが肌に張り付いて、気持ち悪くなる。
━━━バシャ、バシャ。
この角を曲がれば……
━━━ドン!!
「がっ!?」
「きゃっ!?」
鈍い衝撃。
……ぶつかった!?
「ぐっ……」
何とか踏み留まる。だが、相手はそうは行かなかった。その衝撃で車道へ。
「くそっ!!」
両手で相手の腕を掴み、自分へと引く。
━━━ズシャャャッ!!
力強く引っ張り過ぎた為に、引き込んだ勢いに耐え切れず、相手ごと後ろのブロック塀に倒れる。
終わっ、た。何をやってるんだ僕は!?
「みつる……ちゃん?」
名を呼ばれ、その出所に視線を送る。
「あ、あっ……さん。どうし、て?」
不意を付かれ、名前が出て来ない。
けれど、買ったケーキも、浮かれてた気持ちも、どちらも目の前の人物に捧げたいと思っていた。
「ごめんなさい。大丈夫だった?」
「大丈夫だよ。僕は、ね……」
道に転がっている開いた傘の他に、腕に別の傘が掛かってる。
恐らく、僕を迎えに行こうとしていたのだろう。視線を横にずらすと、ズブ濡れのブレザーが、歪つな形になって水溜まりに浮いていた。
「そろそろどいてよ。重いんだ」
最低だ。この現状も、八つ当たりしてる僕も。
「みつるちゃん、怒ってる?」
「怒ってないよ」
手を伸ばし、ブレザーを掴む。これは、見せられない。もう、形すら止めていない筈だから。見つからない様に、後で捨てよう。
「みつるちゃん、それ何?」
「何でもない」
反射的に後ろへとブレザーを隠す。普段はぼーっとしているのに、こう言う事には気付くんだから。
「うそ。雨降ってるに、わざわざ薄着になる人なんていないよ」
本当に……
「ケーキ、買ったんだ。甘い物を食べたくなったから」
「また嘘。私に、買って来てくれたんだよね?」
何もかも見抜かれているんだな。
「ずいぶん、自惚れてますね?」
ひどい事を言っているのに、それでも笑顔で……
「だってみつるちゃん、私にホレてるでしょ? 今日は私の誕生日だし」
この人の前じゃ、僕のプライドも空かされてしまうんだ。けれど、それが気持ち良いから、僕は……
「見せて」
「きっと、ぐちゃぐちゃになってるよ?」
負けを認め、ブレザーを解く。
「それでも良いから」
そして、すっかりふやけた蓋を開ける。
「ほら、ね?」
予想通り、ぐちゃぐちゃだった。綺麗にデコレートされていたケーキも、影を無くしている。
「あっ、何か字が描かれてる。これ……く?」
チョコで描かれた字も、大半が消えていた。
「これからもよろしく」
「えっ?」
「そう、描いてあったんだよ」
既に、意味を成さなくなってしまったけど。
「そっ、か……じゃあ、食べよ?」
「だめだよ。汚い」
こんな物を食べたって、お腹を壊すだけだ。
「うーん、えいっ♪」
それは分かってる筈なのに、指で表面のクリームをすくうと、自らの口へと入れた。
「やっぱり甘いよ。ほら、みつるちゃんも」
そう言うと、同じ指でクリームをすくい、今度は僕の口前に持って来た。
「食べて……」
こう言われて断る術を、僕は知らない。
「んっ」
指を口に入れる。
「甘いね」
「でしょ?」
本当は雨に当たり過ぎたせいで、感覚等無くなっていたのだが、言わないで置いた。
「それじゃあ、風邪を引く前に帰ろ?」
「どいてくれないと、立てないんですけど」
言うと、慌てて僕の上から飛び退き、「はいっ」と手を差し伸べて来た。
「僕は良いですから、早く傘を差して下さい」
僕がそう言っても、差し伸べる事を止めない。
「ううん。一緒に濡れて帰ろう」
やっぱり勝てない。しかたなく手を取り、立ち上がる。
「一緒にお風呂入って、温まろうねー」
――ッ!!?
「くっ、ははっ」
笑いがこみ上げる。やっぱり、勝てないなー。
「あっ、やっと笑ってくれたね、みつるちゃん!」
そんな無邪気な笑顔をされたら、嫌でも、この人に惚れてると確認させられてしまう。
「あーあ、真奈美さんと一緒にお風呂入るの楽しみだなー」
「わっ、冗談だよー」
雨は未だ止まらない。でも、今日の雨は好きになれるかも知れないと、そう思えた。