「美由紀ー。おいこら、みゆー」  
 グラグラと揺さぶられる。ああ、目の前にあった美味しそうなルイズのパフェが遠ざか  
っていくぅ……。  
「起きろって、みゆー。こらー」  
 ゆさゆさと揺さぶる力が、どんどん強くなっていく。  
 ああ、もう!  
「うっさい! トール!」  
 がばっと起きて、怒鳴りつけた。  
 目の前には学校指定のスラックスにTシャツ。その上にだらしなくワイシャツを羽織っ  
ている、妙にかっちょいい男が一人。ツンツンに跳ねた髪は、苦心の末のセットだと分か  
ってるし、細い眉もあたしのカミソリで苦心して作った代物だ……が、まあ良い。それよ  
りも言いたいことは別にある。  
「トール……あたし、昨日はレポートで遅かったんだから……寝かして……」  
 ばふっと布団に飛び込みなおして、枕を抱える。けど、トールはそんなあたしの声を無  
視して、不思議そうに尋ねてきた。  
「え。でもみゆ、明日は早いから朝起こせって言ったじゃん」  
 言われ、時計を見る。  
 八時、十二分。いつもならまだまだ寝ている時間だけれど。  
 けれども。  
「ヤバッ! トール! なんでもっと早く起こしてくんないのよー!」  
 昨日半ば徹夜で仕上げたレポートの提出が、今日の“一限目”なのだ。がばっと起き上  
がると、トールは軽く肩を竦めて。  
「はい、本当の時間」  
 もう一つ、後ろ手に持っていたのであろう時計を、あたしの目の前に差し出した。  
 七時十二分。  
 ――それってつまり?  
「目が覚めただろ?」  
 満面の笑みで笑うトールに、あたしはフルフルと震える拳を振り上げて――  
「この――――性悪弟―――――!!」  
 振り下ろした。  
 
「酷いよな、みゆは。ヒトがせっかく起こしてやったのに、殴りつけるなんて」  
 カチャカチャと音を立てて朝食を摂る。その間中、ずっとトールはあたしの目の前で、  
殊更に青く痣になった頬をさらけ出すようにブツブツと文句を言い続けていた。  
「うっさい。大体、女の部屋に勝手に入ってくる時点で、アウトなのよ」  
「だって、みゆ。扉の外から呼んだって起きないじゃん」  
 ぐ、と言葉に詰まる。それを隠すようにコーヒーカップに口をつける。  
 うん。美味しい。トールの淹れるコーヒーは格別だ。その辺の喫茶店にだって、負けて  
ないと思う。  
「……それに、嫌なら鍵しめりゃ良いじゃん。付いてるんだから」  
 フォークをヒトに向けるな。  
「大体、俺が起こさなかったらいつまでも寝てるつもりだったくせに。その徹夜の成果の  
レポートを今日出せるのは誰のお陰よ、ああん?」  
「……トールのお陰、です」  
「よろしい」  
 ニヤリと笑う弟を、あたしはただ睨み付けることしかできなかった。  
 
 あたし、舞阪美由紀は大学に通っている。実家は電車で数時間といったところにあって、  
通学に不便という理由をつけて憧れの一人暮らしをして……いた。その一人暮らしにピリ  
オドを打ったのは、目の前で妙に決まったポーズでコーヒー飲んでる、舞阪徹。高校生だ。  
 ――苗字が一緒という事で、あたし達を姉弟だと思ってる人間は多い。というか、ご近  
所にはそう説明してる。本当のことを言うと、いろいろ面倒だし。  
 けれど、現実には。  
「そういえばお袋から電話あったよ。みゆんトコの叔母さんから、リンゴが届いたからお  
礼言っといてって」  
「あ、うん」  
 そう。トールとあたしの本当の続柄は、姉弟なんかじゃない。  
 本当の続柄は、従姉弟。あたしの両親とトールの両親は昔から仲が良くて、あたし達は  
それこそ本当に姉弟のようにして育ってきた。  
 だから今でも、こいつはあたしを「姉貴」扱いするし、あたしもこいつを「弟」扱いし  
てるのだ。でなければ、こんな風に従姉弟同士といっても同居なんて、できる筈が無い。  
 だっていうのに、お互いの両親はそんな事気にもせずに、こっちの高校を受験したトー  
ルとあたしに一緒に暮らせ、といきなり言い渡したのである。そりゃ部屋代とか色々安上  
がりになるのは分かるけど、でも、普通ありえない!と思ったのも束の間。  
 ――トールは、料理が上手かった。というか、家事全般において、あたしを遥かに超え  
るエキスパートだった。一人暮らしにおける様々な問題に直面していたあたしは、結局  
トールという最高の執事を手放す事なんか出来るわけもなくて。  
 こうして、毎朝顔を付き合わせる生活を営んでる。  
 
「あ。そうだトール。今日、あたしご飯いらないから」  
「またコンパ?」  
「そー」  
 せっかく大学生になったのだ。遊べる時には遊んでおけ、といわんばかりに、あたしは  
コンパに参加してる。彼氏いない暦もそろそろ長くなってきた頃だし、良い男を捕まえた  
いなあ、というのが心情。  
「……ふぅん」  
 トールはそんなあたしを呆れ顔で見つめてる。  
「なによ」  
「べーつにぃ」  
 そう応えて、トールはコーヒーを飲み干した。  
「さて、んじゃ俺はそろそろ行くから。食器は水にうるかしといて」  
「ん。分かった」  
 頷くあたしを置いて、トールが立ち上がった。  
 あたしが座ってるというせいもあるんだろう。けれど、立ち上がったトールは、背が高  
いと思った。  
「トール。今、何センチなの?」  
「ん? 春に計った時は175だったけど。まだ伸びてるから、わかんね」  
「嘘。まだ伸びてるの!?」  
「成長期ですから」  
 軽く笑って、トールはブレザーと鞄を手に、部屋を出て行く。  
「戸締り、忘れんなよー」  
「あ、うん……」  
 ガチャン、とドアが閉まる音。そして残ったあたしは、ぱくり、とトーストに口をつけた。  

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