「ご主人様、起きて下さい」  
 
 そう声をかけれから、正博はぼんやりと目を開けた。  
 窓から差し込む明るい日の光。視線の先に座っている尻尾が二本ある白い猫。ぺたぺ  
たと正博の頬に触れている。ほんのり冷たい肉球の感触。  
 
「あー。おはよう……」  
「もうお昼ですよ」  
 
 正博は寝ぼけ眼でシロを見つめた。  
 シロの帰りを待ちつつ窓辺に寝転がっていたら、そのまま眠ってしまったらしい。元々、  
薄い敷き布団を敷いて、折り畳んだ座布団を枕にしていたのだ。眠ってしまうのも当然だ  
ろう。窓の外には晴れた空と、小春日和の暖かな空気。  
 窓は少し開けられている。シロが入れるように十センチほど開けておいたのだ。  
 
「どうだった?」  
 
 シロを両手で抱え上げて、胸の上に乗せる。  
 背中を撫でると柔らかな毛並み。もう二度と触れることはないと思っていた、肌に慣れ  
た手触り。シロが戻ってきたということが実感できる。  
 
「おめでとうと褒められました。でも、これから色々とやることあるとも言われました。猫か  
ら人間になるのは大変ですから」  
 
 胸の上に乗ったまま、シロは二本の尻尾を動かしていた。  
 正博が寝転がっていると、よくシロがやってきて胸の上に乗っかる。シロにとって居心  
地がいいらしい。先日尋ねたら、そう答えた。  
 正博はシロの首元を指でくすぐりながら、何となく口にしてみる。  
 
「人間から猫になるヤツっているのかな?」  
「ほとんどいないみたいですね」  
 
 シロが答える。  
 正博は左手で自分の頭を撫でた。  
 人間から猫になろうとする物好きはいないだろう。しかし、ほとんどいないということは、  
少しはいるということだ。猫になりたい、と言う人がいるが、そのまま本当に猫になってし  
まうのだろう。多分。  
 
「人間も化生化できるのか?」  
 
 そんな疑問を口にする。人が妖怪や神になる。今まで考えたことすらなかった話。天神  
様の菅原道真や首塚で有名な平将門。そういうものはあくまで伝承の中の話であって、  
実在の話ではない。――と思っていた。  
 
「できるみたいですよ」  
 
 しかし、シロはあっさりと頷いてみせた。  
 
「生きてるうちに、神様と知り合いになって化生化する方法を教えて貰えばなれると思い  
ます。死んでからなる人もいるようですけど」  
「じゃあ、シロは何で?」  
 
 話の流れとして自然に質問する。  
 シロは右前足で自分のヒゲを撫で、黄色い瞳をぐるりと動かした。その動作の意味は  
分からない。何かを言うのを躊躇うような仕草。  
 それでも普通に答えてくる。  
 
「私は十年くらい前に猫の神様に会いました。その時に人間になりたいとお願いしたら、  
猫又になる方法を教えて貰いました」  
 
 そこで口を閉じた。話し終えるのではなく、口を閉じる。  
 言いたくないのは、猫又になる方法らしい。猫が猫でなくなる方法。人間が人間でなくな  
る方法とも共通するはずだ。それは感単に口外していいものではないだろう。興味が無  
いと言えば嘘になるが、無理に訊くことでもない。  
 正博はシロを両手で抱え上げて、床に下ろした。  
 両腕を真上に持ち上げて思い切り背伸びをして、その場に起き上がる。部屋を見回し  
てから、テレビの横に置いてあるデジタル時計を見やった。  
 
「さて、これからどうしよう? 午後二時半、と」  
「散歩に行きましょう。二人でその辺りをぐるっと」  
 
 シロが挙手するように右前足を上げていた。どこか招き猫を思わせるような仕草。  
 しかし、正博は眉を寄せた。  
 
「それはマズくないか? シロは猫耳メイドにしか変化できないんだろ……? さすがに  
危ない人間に見られるのは嫌だぞ」  
「何言ってるですか。私は猫のままですよぉ」  
 
 笑いながら、言ってくるシロ。最近はいつも人の姿をしていたので、散歩に出かける問  
いも人の姿をしていると勘違いしてしまった。  
 
「それなら……」  
 
 と言いかけて、視線を斜め上に向ける。  
 
「尻尾二本の猫と一緒に歩くってのも、微妙にマズくないか?」  
 
 頬を引きつらせつつ、シロの尻尾を見つめる。  
 猫と散歩というのは不自然ではない。滅多に見かけるものではないが、猫と一緒に歩  
いている人を見たことがないわけではない。しかし、尻尾が二本の猫と一緒に歩く人間は  
いないだろう。  
 
「大丈夫ですよ」  
 
 シロは気楽に答えた。  
 
「猫又って普通の人間には普通の猫にしか見えませんから。こっちから猫又だと自己紹  
介した人、ご主人様のような人には猫又に見えますけど」  
 
「ほう」  
 
 何だかよく分からないが、頷いておく。  
 ようするに、普通の人間にはただの猫にしか見えないらしい。それならば、奇異な目で  
見られることもないだろう。  
 
「じゃ、散歩行くか」  
 
 
 
 
-------  
 
 
 
 
 午後八時半頃だろうか。  
 
「ご主人様」  
 
 シロがふと口を開いた。  
 猫ではなく人の姿である。いつもの猫耳メイド姿。こたつに向かい合ったまま、お互いに  
教科書を開いていた。シロが日頃から熱心に勉強する姿を見ていると、自分も真面目に  
勉強したいという気持ちになる。  
 参考書から目を離し、正博はシロを見つめた。  
 
「どうかしたのか?」  
「いえ、ひとつお願いがありまして」  
 
 勇気を振り絞るように、その言葉を口にする。重要なことを口にしようとしているようだ  
った。人間になる話の関係だろう。  
 
「私が人間になるために、ちょっと必要なことがありまして。それを、ご主人様にお願いし  
たいのですが……。よろしいでしょうか?」  
「まあ、できることなら」  
 
 シロの口振りに戸惑いつつも、正博は頷く。  
 言いにくいことを言おうとしているらしい。口元を引き締めつつ、黄色い瞳をゆらゆらと  
動かしていた。頬がほんのりと赤く染まっている。  
 しばらくしてから、覚悟を決めたように頷いた。  
 
「私と交わって下さい」  
「………」  
 
 意味を理解するのには数秒を要した。想像していなかった台詞ではない。だが、実際  
にそれをシロの口から告げられると思考は止まる。  
 恥ずかしそうに頬を赤くしたまま、目を伏せるシロ。  
 一度深呼吸をしてから、  
 
「何で?」  
 
 それだけを訊く。  
 シロは再び視線を彷徨わせてから、  
 
「猫の神様に言われたんです。人間になるには、人間の身体の一部を自分の身体に取  
り込む必要がある、と。人間という要素を取り込むんです。それには、生き肝が理想的な  
んですけど……。心臓とか肝臓とか脳髄とか。でも、さすがに無理なんで」  
 
「物騒だな……」  
 
 息を呑みながら、正博は囁いた。人間になるために人間の要素を取り込む。内臓や脳  
髄などの重要器官には、人間の要素が沢山詰まっているのだろう。  
 猫又が人を食い殺す姿が頭に浮かぶ。  
 正博の思考を読んだように、シロが続けた。  
 
「稀に人を襲っちゃう猫又もいるみたいなんですけど、大抵退魔師に退治されてしまい、  
人間になることはできません。でも、私にはご主人様がいますから、大丈夫です」  
 
 照れたように笑ってみせる。  
 退魔師、という単語が引っかかる。名前からして、妖怪退治などを生業とする人間だろ  
う。下手なことをすれば退治屋に襲われるため、正博の協力が必要となる。  
 
「シロには俺がいるってのはどういう意味だ?」  
 
 この場で食い殺されるということはない――と思う。そこで正博の協力が必要となって  
いるらしい。協力の内容は何となく想像は付いているのだが。  
 シロは頷いた。  
 
「男女は問わずに人間の身体の一部なら何でもいいんですけど、若い人のものがいいみ  
たいです。髪と毛とか爪でも大丈夫なんですけど、それだと物凄く沢山必要なんです。で  
も、血や精液とか生きている組織ならある程度の量で大丈夫ですので、お願いします」  
 
 そう言いながら、こたつから出てくる。四つんばいでこたつの縁を回り込み、正博の真  
横まで移動した。くねくねと動く尻尾と、ぴこぴこと動く猫耳。頬を染めながらも、黄色い瞳  
に映る期待のきらめき。  
 
「でも、血を採るのは痛いと思いますので、精液を頂こうと思いました」  
 
 何となく言いたいことを理解する。というか、確信する。  
 数度首を動かしてから、正博はジト目でシロを見つめた。  
 
「お前……実はそっちの事にかなり興味あるだろ?」  
 
 固まる。  
 数秒の沈黙。図星らしい。  
 白は小さく頷いてから、シロは目を逸らした。  
 
「えっと、はい……。人間同士の交わりは物凄く気持ちがいいと描いてあったので……。  
お恥ずかしながら、うぅ……一度その気持ちよさを味わってみたいと思いまして。あの、  
えっと……すみません。私、はしたなくて……」  
 
 頬を真っ赤に染めて、顔を伏せる。  
 何と言うべきか言葉を選んでから、正博は口を閉じた。隠してあった本を盗み読みして  
いたのだろう。知識としては間違っているのだが、訂正する度胸はない。  
 
(俺もシロが来てから処理に困ってったのは事実だし……。俺の趣味ど真ん中の猫耳メ  
イド少女と毎日一緒にいるってのは、精神衛生上よくないと思う。元が猫だから、動きが  
無防備だし……。据え膳食わねば男の恥ってか? ハハ……)  
 
 そう自分を納得させてから、正博はこたつから両足を出した。既に身体は臨戦態勢へ  
と移行している。喉の奥が熱い。シロに向き直り、やや困ったような苦笑いを見せた。  
 
「俺は女性経験ないから、上手くできるかは分からんけど。出来るだけ気持ちよくなるよ  
うに頑張るから。痛いとか辛いとか思ったら言ってくれ、すぐ止めるから」  
「ありがとうございます」  
 
 シロはそう答えてから、そっとその場に腰を下ろす。  
 今までとは違う、ほんのりと染まった頬。微かに下ろされた目蓋。憂いを帯びた黄色い  
瞳。そして、口元に浮かぶ淡い微笑み。期待と不安に揺れる二本の尻尾。  
 身体の熱をはき出すように吐息し、正博は両手を差し出す。  
 
「おいで、シロ」  
「よろしくお願いします、ご主人様」  
 
 一度頭を下げてから、シロが腕の中に身体を預けてきた。  
 

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