猫が恩返し 2話 前編  
 
 
 
「ただいま」  
 
 正博は玄関のドアを開けた。外から室内に流れてくる冷たい空気。  
 
「あれ?」  
 
 普段ならシロの出迎えがあるはずである。いつも帰宅時間が正確に分かっているよう  
に玄関に立っていた。帰宅予定時刻よりも早くても遅くても、それを外したことはない。  
猫の本能っぽいものが正博の帰宅を知らせてくれるらしい。  
 しかし、今日はその姿がない。  
 奥の部屋は明るいので、出掛けているわけではないようだった。  
 訝りつつ靴を脱ぎ、室内サンダルに履き替え、正博はキッチンを通って奥の部屋へと  
移った。八畳の一間で、床にはコタツが設置されている。  
 
「シロ?」  
「ご主人様……」  
 
 そこから首だけだして正博を見上げる少女がいた。  
 白い髪に白いカチューシャを付け、白い猫耳が小さく動いている。人間に化けた猫又  
のシロだった。黄色い瞳に涙を浮かべて、真顔で言ってくる。  
 
「助けて下さい。寒すぎてコタツから出られません!」  
「何か分かるなぁ……」  
 
 正博はしみじみと苦笑しながら、暖房のスイッチを付けた。天気予報によると、今日は  
この冬一番の冷え込みらしい。雪こそ降っていないものの、外の気温は氷点下である。  
正博がいない間は電気代節約で暖房を付けていないため、部屋はかなり冷たかった。  
 ふと時計を見ると、午後六時。  
 
「今晩の料理は……」  
 
 普段はシロが夕食を作ってくれるのだが――  
 シロはコタツ布団の縁を両手でがっしりと押さえている。  
 
「ごめんなさい、無理ですぅ。わたし猫又ですから、寒いのは苦手なんですよ。童謡にも  
あるじゃないですか。犬は喜び庭駆け回り、猫はコタツで丸くなる〜♪ って」  
 
 そう言い訳して引きつった顔を見せた。シロが猫だった頃コタツに入っている姿を見て  
いたが、伸びていることの方が多い。丸まっている姿は見たことが無かった。  
 正博は荷物を机に置いてから、  
 
「分かった、今日は僕が作るよ。何食べたい?」  
「お肉」  
 
 黄色い瞳を輝かせながら、シロが即答してくる。  
 やはり元が猫であるせいか、野菜類よりも肉や魚が好きだった。期待するように猫耳  
が動いている。コタツの中では二本の尻尾も動いているだろう。  
 横の髪を掻き上げてから正博は吐息した。  
 
「野菜も食べないと身体に悪いよ」  
「猫は本来肉食なんです」  
 
 白い眉毛を斜めにして、そう反論してくる。猫は魚を好むとも言うが、それは魚をよく  
食べる日本での話であり、実際には肉の方が好きらしい。もっとも、人間になるには人  
間のような食生活をするようにと言われてはいるようだった。  
 正博はシロの前に腰を下ろした。そっと両手を前に出す。  
 
「何です、ご主人様……? はッ!」  
「おしおき」  
 
 ぺたりと両手をシロの頬へと触れさせた。  
 
「にゃァ!」  
 
 悲鳴とともに、シロが猫耳を立て、黄色い瞳を見開いた。表情も含めて全身の筋肉を  
硬直させたのが分かる。さきほどまで冷たい空気に触れていた両手をいきなり頬に触  
れさせたのだ。驚かない方がおかしい。  
 手の冷たさに固まること数秒。  
 正博が手を放すと、シロは一度脱力してから恨みがましく見つめてきた。  
 
「何するんですか、ご主人様。酷いですよー」  
「言い訳しないで、ちゃんと野菜も食べるように。えっと、野菜とラーメンあったから、野  
菜ラーメンにしようか?」  
「お肉……」  
 
 未練がましく呟くシロに、手の甲を見せると。  
 何も言わぬまま、コタツの中へと引っ込む。  
 
「チャーシューは入れて下さいね」  
 
 コタツの中からそう声が聞こえてきた。  
 
 
 
  * * * *  
 
 
 暖房が効き、部屋は暖かくなている。  
 
「美味しかったです」  
 
 こたつの向かい側で満足げにシロが呟いてる。  
 紺色のワンピースと白いエプロンが見えていた。いまだメイド服以外の服装には変化  
できないらしく、家に居るときはいつもこの格好である。脱ぐと消えてしまうのだが、普通  
の服を着るのはまだ慣れないらしい。  
 へなりとこたつの上に突っ伏しながら、顔の筋肉を緩めている。  
 
「暖かいって素敵ですね〜。ご主人様〜」  
「好きだな、こたつ」  
 
 苦笑しながら、正博はシロの頭を撫でた。人間の髪の毛とは少し毛質の違う白い髪の  
毛。心地よさそうに白い猫耳が動いている。  
 シロは目を閉じて、口元を緩ませた。  
 
「こたつは魔性の道具ですよ〜。一度入った者を絶対に抜け出せなくするって、現代の  
怪物です〜。猫も人間も絶対に抜け出せません〜」  
 
 こたつの暖かさは確かに凶器だ。実家で暮らしていた頃は、こたつに入ったまま出ら  
れず翌朝まで寝ていたこともある。  
 
「ところで、シロ」  
「何です〜?」  
 
 黄色い目を向けてくるシロに、正博は紙の箱を見せた。長さ四十センチくらいの細長  
い紙の箱だった。帰りに寄り道して、ペットショップで買ってきたものである。  
 
「こういうもの買ってきたんだけど」  
 
 箱を開けて中から取りだしたのは、三十センチほどのしなりのある細い棒。その先端  
に白い綿毛が付けられた。いわゆる、ネコジャラシである。  
 正博はそれを左右に振ってみせた。  
 
「!」  
 
 細かった瞳孔が、一度大きく見開かれる。肩が一度跳ねて、二本の尻尾もぴんと動い  
た。分かりやすい反応。しかし、シロは平静を装って笑っていた。  
 
「ネコジャラシなんて、ご主人様も面白いもの買ってきますね。でも、もう私も普通の猫じ  
ゃないですから、そんなので遊びませんよ」  
 
 返事はせずに、正博はこたつの上でネコジャラシを動かし始めた。  
 最初はゆっくりと左右に。  
 その動きを追うようにシロの目が動いている。本人は必死に意識を逸らそうとしている  
ようだが、猫としての本能がそうさせない。こたつの上に投げ出された両手が、ぴくぴく  
と緊張するように震えている。  
 ネコジャラシがぴたりと止まった。  
 
「ぅぅ……」  
 
 じっとそれを凝視するシロの頬に、汗が滲んでいる。  
 白い猫耳と二本の尻尾がぴんと立っていた。大きく開かれた瞳がネコジャラシの綿毛  
を凝視している。それでも、理性で何とか意識を逸らそうとしているのが分かった。視線  
が時折ちらりと明後日の方向に跳ぶが、二秒も持たずにネコジャラシに戻る。  
 ぱたっとネコジャラシが跳ねた。  
 
「!」  
 
 シロの肩が跳ねる。咄嗟に伸ばし掛けた右手を、力一杯握りしめる。  
 正博は再びネコジャラシの動きを再開した。ぱたぱたと小刻みに振ってから、跳ねる  
ように横に移動。そこで小刻みに動いてから、数秒ほどして横に移動。  
 その動きから目が離せないシロ。  
 
 パッ。  
 
 脈絡無く伸ばされたシロの右手が、こたつを押さえた。  
 しかし、ネコジャラシは別の場所にある。移動先を読んで手を出したシロだっが、正博  
はさらにその先を読んでいた。シロがじっと自分の手を見つめている。  
 
「くっくっくっ、甘いなぁ」  
 
 不敵に微笑みながら、正博はネコジャラシを持ち上げた。ゆらゆらと先端の綿毛を揺  
らしながら、悪者顔で尋ねる。真下からライトを当てられている気分で、  
 
「シロが僕の操るネコジャラシを無視できたことあったかなァ?」  
 
 悔しげな眼差しが、揺れる綿毛を捉えていた。  
 普通の猫だった頃から、正博はネコジャラシでシロと戯れていた。最初は興味無い振  
りをするシロだが、ほどなく手を出すのが常である。さすがに年を取ってからは控えてい  
たのだが、今ならネコジャラシで遊ぶことができるだろう。  
 こたつに突っ伏していたシロが、おもむろに身体を起こした。口元を引き締め、白い眉  
毛を内側へと傾ける。  
 
「ご主人様……。ネコジャラシの恨み、今こそ晴らさせてもらいます」  
 
 黄色い瞳に燃える熱い炎。今までシロが正博の操るネコジャラシを無視できたことは  
なく、そして一度もネコジャラシを捕まえられたことはない。  
 
「ふっ。返り討ちにしてくれるわ」  
 
 そう言って、正博は静かにネコジャラシを前に出した。  
 

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