正博が最初にこの遊びを思いついたのは、いつ頃だっただろうか。  
 小学生の低学年頃だったと思う。ネコジャラシにじゃれつき、それを奪い取ろうとする  
シロ。そして、シロに捕まらないようにネコジャラシを動かす正博。いつの間にか遊びと  
称した真剣勝負になっていた。  
 
「にゃァ……」  
 
 こたつに突っ伏したまま、シロは涙目になっていた。くたりと伏せられた猫耳と、萎え  
た二本の尻尾。右手に握りしめられたネコジャラシ。しかし、それは正博から奪い取っ  
たものではない。  
 持っていたネコジャラシを放り投げるのが、この遊びの終わりの合図だった。  
 ネコジャラシを睨みながら、シロが悔しげに口を動かす。  
 
「また負けてしまいました。ただの白猫その1から猫又になってパワーアップしてたから、  
今度こそは勝てると思ったのに。無念です……」  
「挑戦はいつでも受け付けるよ」  
 
 余裕たっぷりに、正博は微笑んだ。  
 久しぶりのネコジャラシ争奪戦。二十分ほどの攻防を続けた結果、シロは一度もネコ  
ジャラシに触れることもできなかった。今までどれほど同じ事を繰り返したのか覚えてい  
ないが、全戦全勝なので対戦成績に意味はない。  
 
「ご主人様って変な才能ありますよね……? わたし以外の猫をじゃらすのも上手かっ  
たですし。普段ネコジャラシに反応しない子も、ご主人様のネコジャラシは無視できませ  
んでしたし、猫を弄る天才です」  
「それ褒めてるのか?」  
 
 シロの頭を撫でながら、正博は苦笑した。  
 言われてみると、昔から猫を相手にするのは得意だった気がする。他人の家の猫や、  
野良猫も何の気無くじゃらしていた。それも一種の才能なのだろう。  
 
「それでは、罰ゲームですね……」  
 
 握っていたネコジャラシを手放し、静かに呟いた。  
 
「罰ゲーム?」  
 
 ネコジャラシを手に取って、正博は首を傾げる。ネコジャラシ争奪戦は、罰ゲームとい  
うものはない。ただ、お互いに勝敗を悟ったらそこで終わりである。それが今までの暗  
黙のルールだった。人間と猫で文章的な意思疎通もできないが。  
 
「はい。敗者の掟です」  
 
 神妙に頷いてから、シロはこたつから出た。  
 微かな布擦れの音ともにその場に立ち上がる。紺色のワンピースと白いエプロンとい  
うメイド服姿。二本の白い尻尾を揺らしながら、部屋の片隅に移動する。  
 部屋の隅に置かれた『私物入れ』と書かれた箱。  
 それを開けて何かを取り出し、戻ってきた。  
 
「何コレ?」  
 
 こたつの上に置かれたもの。  
 黒い皮革の輪っかふたつが鎖で繋がれたもの。棒の左右に黒い皮革の付いたもの。  
四十センチほどの黒い革の帯。アイマスクのような形の黒い革。  
 
「手枷と足枷と首輪と目隠しです」  
 
 至極普通に答えてくるシロに、正博は眉間を押さえた。やはり元が猫であるせいか、  
普通の人間とは感覚がズレている。  
 
「いや、それは見て分かるから……」  
 
 いわゆるSM道具と言われるもの。主に相手の自由を奪うための拘束具である。ハ  
ードなものではないようで、身に付けても痛くないように工夫されている。正博自身も知  
識として知っているだけで、実物を見るのは今が初めてだった。  
 しばし考えてから、ジト目でシロを睨む。  
 
「これで一体何をしろと言いたい?」  
「メイドさんのお仕置きはエッチなものと決まっています――」  
 
 何故か嬉しそうに言ってくるシロに対して。  
 顔を近づけるように、正博は指を動かした。  
 
「何です?」  
 
 素直に顔を近づけてくるシロ。  
 そのこめかみに曲げた中指を押しつけ、ぐりぐりと捻る。  
 
「にゃぁぁ!」  
 
 悲鳴を上げて両手で腕を掴んでくるが、無視。  
 
「痛い、痛いです……! ご主人様、ぐりぐりはやめて下さい!」  
 
 五秒ほどこめかみを抉ってから、正博は手を放した。  
 解放されたシロが、こたつに突っ伏す。  
 
「うぅぅ」  
 
 両手でこめかみを押さえながら、目元に涙を浮かべて唸っていた。数秒で体力を根こ  
そぎ奪われたような有様である。  
 正博は手枷を持ち上げた。マジックテープ式で簡単に取り外しができる構造である。  
 
「これ、どこから調達してきたんだ……? 探せば手に入るだろうけど、まさかシロがそ  
ういう専門店行って買ってきたわけじゃないだろうし」  
「猫の神様がいる神社の裏手に捨ててあったそうです」  
 
 顔を上げて、あっさりと白状する。神社の裏手に捨ててある怪しいもの。よくあるもの  
と言えばよくあるものだった。大抵はいかがわしい本であるが、そういう処分に困るもの  
を捨てる人間もいるのだろう。  
 視線で先を促すと、シロは身体を起こし、  
 
「神様が見つけて、さてどうしようと困っていた所にわたしが訪ねてきたので、せっかくだ  
からお前にあげるからご主人様とよろしくやりなさい、というわけで貰ってきました。大丈  
夫です、未使用みたいですから」  
 
 色々とズレている答えであるが、大筋は理解できた。  
 率直に正博は訪ねる。  
 
「俺にどうしろと……?」  
「メイドさんお仕置きモノ好きじゃないですか、ご主人様……!」  
 
 黄色い目を大きく開き、シロは人差し指を立てて顔を近づけてくる。二本の白い尻尾  
をぴんと立て、ぴくぴくと猫耳を動かしている。シロが人間の性的な営みに対してかなり  
好奇心旺盛ということは知っているが、それで納得出来るわけではない。  
 正博は再びシロのこめかみに曲げた中指を押し当てた。  
 
「あ」  
 
 シロの表情が固まるが、気にせず捻る。笑顔で。  
 
 グリグリグリ……  
 
「んニャゃぁ! 痛い、いっ、痛いッ――痛たたァ! 痛いですよ、ご主人様? やめ、ソ  
レ本当に痛いんですから。ウニャぁぁッ! 待ってください? ご主人様許して、痛い、痛  
いですから……許して、下さい。本当に痛い……! ギブ、ギブアップです! ニャァア」  
 
 二十秒ほどお仕置きしてから手を放す。  
 
 しぅぅ……。  
 
 とこめかみから立ち上る煙が見えたような気がした。実際に煙が出ているわけではな  
いが、そんな雰囲気が感じられた。こたつに突っ伏したまま、シロは両目から滝涙を流  
している。苦しげに震えている両手と猫耳。  
 
「なるほど。よく分かった」  
 
 こたつから出て、正博は静かに呟いた。暖房が効いているため、部屋の空気は暖か  
い。両手をほぐすように動かし、こたつを回り込むように歩く。  
 
「うぐぅ」  
 
 力尽きているシロの背後へと移動してから、コタツの上の手枷を掴んだ。脱力したシ  
ロの両腕を背中側に回してから、手枷でしっかりと拘束する。さらに、黒い革の首輪を  
首にしっかりと嵌めた。構造は普通の首輪と変わらないので、難なく付けられる。  
 
「あれ、ご主人様……?」  
 
 いまさらながら、シロが手枷を外そうと腕を動かしていた。しかし、マジックテープの拘  
束は意外と頑丈である。並の腕力では、外すこともできない。  
 手際のいい動きで、正博はシロの肩を掴み身体を後ろに引っ張った。  
 こたつの中から両足が引っ張り出される。紺色のワンピースの裾と白いエプロン。白  
い靴下が見えた。その足首辺りを、足枷で拘束する。黒い革製の足輪と、プラスチック  
製の五十センチほどの棒で、両足を開いた状態を固定された。  
 最後に、目隠しをして終了。  
 両手両足を拘束され、目隠しをされたシロ。首には黒い首輪。  
 
「こうして見ると、いかにも襲って下さいって格好だな」  
「あうぅ。ご主人様……何でこんな手慣れてるんですかぁ?」  
 
 戸惑ったように猫耳と尻尾を動かしながら、シロが目隠しをされた目を向けてくる。普  
通は手間取るのだろうが、正博はごく自然に拘束具でシロを動けなくしていた。  
 
「いや今が初めてだけど。そんなに難しくないものだよ」  
 
 言いながら、動けないシロの傍らに腰を下ろした。  
 
「もしかして、ご主人様。拘束具の使い方とかそういう道具系のエッチな本を持ってたん  
ですか? わたしの調査だとそういうのは見つからなかったですけど」  
「人の私物を勝手に漁らないように」  
 
 言いながら、シロの頭に手を置く。  
 自分で言い出したことだが、かなり緊張しているのが分かった。これから何をされるか  
分からない恐怖だろう。シロは猫だった時から後の事を考えない行動をすることが多か  
った記憶がある。  
 
「えっと、ご主人様……痛いのとかはやめて下さいね?」  
「いぢめたくなる格好だけど、虐めたりはしないから安心しろ」  
 
 そう笑いかけてから、正博は両腕でそっとシロの身体を抱きしめた。右手でそっと頭を  
撫でる。今まで緊張していた身体から、安心したように力が抜ける。  
 
「シロの頼み通りきっちりお仕置きしてあげるから、覚悟してくれ」  
「お手柔らかにお願いします、ご主人様」  
 
 その台詞に、正博はそっとシロの唇に自分の唇を重ねた。  
 
「んっ……」  
 
 薄く柔らかなシロの唇を味わいながら、お互いに舌を絡ませる。ディープキスというほ  
ど深くはなく、お互いの存在を確認するような丁寧な口付け。目隠しをされたシロにとっ  
ては、抱きしめる手と丁寧な口付が正博が存在を知る手段だった。  
 そっと正博はシロの唇から自分の唇を放す。  
 
「ご主人様……」  
 
 シロが物欲しそうに自分の唇を舐めていた。  
 
「安心しろ、シロ。これからたっぷり可愛がってやるから」  
 
 優しく告げてから、正博は丁寧にシロの頭を撫でる。人間とは少し質の違う白い髪の  
毛。撫でているだけで、シロが安心しているのが感じ取れた。  
 そして、微かに動いている白い猫耳に、正博は前触れなく息を吹きかける。  
 
「ニャァ!」  
 
 シロが驚きに身体を跳ねさせた。  
 
 

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