猫が恩返し 3話 雪の日の話  
前編 買い物帰り  
 
 
 自動ドアが閉じる。  
 頬を撫でる空気に、正博は一度目を閉じた。皮膚に刺さるような冷たさである。トレーナ  
ーの上にジャンパーも着込んでいるが、それでも寒い。右手には手提げの買い物袋。中  
身は買ってきた野菜や肉である。  
 いつも買い物に来ているスーパーマーケット。  
 
「ご主人様……」  
 
 隣には人の姿をした猫又のシロがいた。  
 
「寒いですねぇ」  
 
 外見は十代後半くらいの少女。背中の中程まである白い髪と黄色い目、頭には猫耳が  
生え、腰の辺りから尻尾が二本生えている。厚手のダッフルコートを着込んで、首には赤  
いマフラーを巻き付けていた。服は全て人間のものである。  
 
「天気予報じゃ今夜から雪が降るって言ってたからね」  
「雪はあんまり好きじゃないです」  
 
 シロが猫耳を垂らす。  
 空には灰色の雲。朝からずっとこの曇り空で、気温も下がってきている。今は五度くらい  
らしい。天気予報では、低気圧の影響によって晩から明日の夕方にかけて雪が降ると言  
っていた。積もるようである。  
 正博は近くの屋台を指差した。  
 
「鯛焼き買って行こうか?」  
「はい」  
 
 笑顔で頷くシロ。  
 シロと一緒に鯛焼きの屋台へ行き、正博は中のおじさんに声をかけた。  
 
「すみません。鯛焼き下さい」  
「あい、いらっしゃい。何にしましょう?」  
 
 計算機から目を離し、笑顔を見せるおじさん。軽トラックを改造した移動式屋台で、暖房  
もあるため、周りは暖かかった。品書きの写真には、小倉や抹茶餡、クリーム、チョコ、チ  
ーズ、黒胡麻、ジャーマンポテトなど色々な鯛焼きが並んでいる。  
 人差し指を咥え、品書き写真を眺めて尻尾を動かしているシロ。  
 正博は財布を取り出しながら、  
 
「何がいい?」  
「うーん、お肉の鯛焼きがあったら、それを頼みたいんですけど……無いですよね」  
 期待するように、シロがおじさんを見る。  
「はは、残念だけど肉は無いねぇ。ごめんね」  
 
 と、おじさんが笑った。  
 正博は苦笑しながら、その様子を見る。  
 白い髪に黄色い瞳、猫耳や尻尾を付けた女の子。シロから自分の容姿を言い出さない  
限り、他人がそれに気を留めることはない。そういう仕組みのようだった。曰く、猫の神様  
に姿眩ましのお守りを貰ったらしい。  
 
「う〜ん……。ん……」  
 
 尻尾を揺らしながら、指を咥えて、目を移動させる。  
 だが、結局何を頼むのか決まらず、尻尾を垂らしながら振り向いてきた。自分の代わり  
に選んで欲しいという合図だろう。  
 
「じゃ、小倉とチーズをお願いします」  
「はい。二百二十円になります」  
 
 正博は財布から百円玉二枚と十円玉二枚を取り出し、受け皿に乗せた。  
 おじさんが紙袋に鯛焼きを入れ、差し出してくる。  
 
「ありがとうございます」  
 
 正博が紙袋を受け取るのを眺めながら、シロが笑顔で礼を言った。  
 鯛焼きは保温機の中に入っていたおかげで暖かい。  
 スーパーマーケットからアパートまでは徒歩で十分ほど。遠くもなく近くもない距離。シロと  
一緒に歩いていると、すぐに着いてしまう印象がある。  
 鯛焼き屋を振り返りながら、シロが難しそうな顔をする。  
 
「最近じゃ、チーズとかクリームとかチョコレートとか、黒胡麻とか。随分種類あるんですね。  
昔は黒餡と白餡くらいだけだったのに」  
 
 シロの言う昔がどれくらい昔を指しているかは分からないが、確かに最近は鯛焼きの種  
類も増えた気がする。ジャーマンポテトやピザ鯛焼きなど、もう鯛焼きではない。  
 買い物袋を肘にずらし、正博は紙袋から鯛焼きをひとつ取り出した。  
 
「はい。チーズ鯛焼き。シロが好きそうな味だから」  
「ありがとうございます、ご主人様、さっそくいただきます」  
 
 両手で鯛焼きを受け取るシロ。嬉しそうに尻尾を動かしている。  
 口をあけて、それを食べようとしてから――ふと動きを止めた。  
 
「ところで、ご主人様。ご主人様は鯛焼きはどこから食べるんです? 頭ですか、背中です  
か、お腹ですか、尻尾ですか? それとも丸呑みとか」  
 
 最後の言葉が引っかかったが、それは聞かないことにする。  
 正博は普通に答えた。  
 
「俺は頭からかな?」  
「じゃ、わたしもそうします」  
 
 素直に頷き、シロは鯛焼きの頭に噛み付いた。よく焼けた小麦粉の生地と中のチーズを  
口に入れ、満面の笑顔で味わっている。しばらく口を動かしてから、呑み込んだ。  
 口から白い息を吐き出し、嬉しそうに猫耳を動かすシロ。  
 
「美味しいです〜。ご主人様も一口どうですか?」  
 
 チーズの見える鯛焼きを差し出してくる。  
 
「お言葉に甘えて」  
 
 一言断ってから、正博はシロが持っている鯛焼きに噛み付いた。前歯で小さく噛み千切  
ってから、もごもごと口を動かす。口に広がる生地の甘味と、チーズの塩味との独特な調  
和。鯛焼きとしては不思議な味だが、決して不味くはない。  
 
 ふぅと息を吐き出し、正博は笑った。  
 
「美味いな。ありがとう」  
「へへ。あとでご主人様の鯛焼きも一口下さいね♪」  
 
 シロは再びチーズ鯛焼きを食べ始める。  
 瞬く間に全部食べてしまい、シロは満足げに吐息した。  
 
「チーズ鯛焼き美味しかったです。また食べたいですね」  
 
 自分の指を舐めながら、シロが笑う。猫耳を動かし、尻尾を揺らしながら。子供のように  
無邪気な笑顔だった。  
 正博は買い物袋に目を落とす。  
 
「そういえば、晩ご飯何にしようか?」  
「ステーキが食べたいです」  
 
 シロが即答する。人差し指を立てて、黄色い目の瞳孔を大きく開いていた。きらきらと瞳  
の中で輝く星。猫耳と尻尾も自己主張をするように、ぴんと伸びている。  
 
「ステーキって……」  
「わたしが普通の猫だった頃から、このよく焼けたお肉は美味しいんだろなぁと思っていま  
した。それに、猫は肉食動物ですから、お肉が好きなんですよ」  
 
 尻尾を振りながら、シロが両手で正博の左腕を掴む。  
 元々肉食動物だけあって、シロは肉が好きだった。猫は魚を好むとも言うが、それは魚  
をよく食べる日本での話であり、実際には肉の方が好きらしい。しかし、人間になるには、  
食事も人間的なものに切り替える必要がある。  
 左手に持っていた鯛焼きを買い物袋に入れ、正博はシロの頭に左手を置いた。  
 
「駄目だよ。野菜も食べなさい」  
「うぅ。野菜は苦手ですぅ」  
 
 イヤそうな顔をするシロ。  
 正博は今日買ったものと家にあるものを頭に思い浮かべ、  
 
「今日はうどんでも作ろうかな」  
「肉うどんですね!」  
 
 ぱっと表情を輝かせるシロに、正博は曖昧な笑みを返した。  
 
「考えておくよ」  
 
 
  ― ― ― ―  
 
 
「ごちそうさまでした」  
「ごちそうさまでした!」  
 
 こたつに向かって、二人揃って頭を下げる。  
 買ってきた野菜と肉を刻んで入れた肉野菜うどん。しかし、今はどんぶりの底に僅かに  
残るつゆだけとなっていた。薬味の効いた熱いうどんを食べ、腹も膨れて身体も暖かい。  
こたつと暖房が付いているため、室温も過ごしやすい。  
 しかし、染み込むような冷たさがある。  
 
「んー。寒いですね?」  
 
 シロが視線を動かす。  
 正博は両手を突いて座布団から立ち上がり、室内サンダルを穿いて窓の横に移動した。  
空気が冷たく、サンダルを穿いた足に微かな空気の流れが触れている。  
 カーテンを開けると、予想通り雪が降っていた。  
 
「冷えるわけだよ、かなり本降りになってる。もう少し積もってる……」  
 
 ぱたぱたと傍らまで歩いてきたシロ。  
 感心や驚きが入り交じった、間の抜けた表情で窓の外を見つめている。  
 
「うわぁ、降ってますね」  
「天気予報で言ってた通りだよ」  
 
 音もなく降ってくる白い氷の結晶。近くの民家の屋根や、木などにうっすらと積もっていた。  
黒い夜の色に雪が白く浮き上がり、なんとも幻想的な光景である。  
 身体を震わせ、シロが窓辺から離れた。  
 
「うー、寒いですね。じゃあ、ご主人様は先にお風呂に入っちゃって下さい。わたしは食器  
の片付けとかをしておきますから」  
「お言葉に甘えさせてもらうよ」  
 
 窓から離れ、正博は頷いた。  
 
 

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