大きな旦那様と小さな奥様外伝
エロ無し
私の名前は小沢 治子(なおこ)年齢は26歳。
職業は運輸局管轄の監査官、通称PSC(ポートステートコントロール)。
私の家庭は、先祖代々から続く厳格な軍人の家系なのですが、
私はこの道を選びました。
WAC(女性自衛官)へなる道もあったのですが、
両親は特に反対することなく、『治子自身が決めたのならそれで良い』と言ってくれました。
が、しかし職業軍人の家庭で育ったためか、この目つきと言動が災いしているのでしょう。
職場の皆さんは私を恐れているような感じがします。さらに以前にお尻を触った港湾作業員に
発した言葉に拍車がかかり、職場の同僚はもとより先輩方からも畏怖されているようです。
これはいけません。
いけないので……クリスマスにケーキを持参したり、
ヴァレンタインにチョコを配給したりしました。
その後、『怖いのではなくクールで淡泊な女性』というイメージが定着したようです。
これで一安心。オールグリーン。クリア。
そんな事を思いながら私は電車を降り、駅の改札を抜け、自宅へと戻りました。
「ただいま帰りました。」
「おおっ、お帰りなさ〜い。今回は長かったね、治子さん。お疲れ様でした」
陽気な声が聞こえたかと思うと、エプロンを掛けたツンツン頭が私を迎えてくれます。
「頼まれていた牛乳とトマトです。これで間違いありませんか?」
「あ、ありがとー。じゃ、夕飯の支度にかかるから待っていてねぇん」
「了解しました。」
彼の名前は猛士(たけし)、何とも強そうな名前ですが、私と同じくらいの背丈に
なんとも優しい笑みを浮かべているのを見ると、名前負けしているような気がしてなりません。
しかも年齢は23歳で年下です。そして私の―――――「夫」です。
籍は2ヶ月前に入れたので新婚…と言うことになるのでしょう。
ですが、挙式はしていません。
理由は結婚を反対されたからではなく、海上自衛隊に所属している兄が
対海賊法案により、海外派遣されているので、それを考慮しての事です。
実のところ、結婚式の最中に万が一にも戦死などの報が入ってきては
困ると父が強くいうのです。父、曰く『俺の戦争はまだ終わっていない』そうです。
はぁ……私はため息を胸中で呟き、自室に入りました。
ネクタイを解き、化粧を落とします。
私は連夜の泊まり込みで疲労する程、体力が無いわけではありません。
幼い頃から兄と共に剣道、柔道、空手その他、諸々の訓練……やめましょう。
私は眼鏡を置き、鏡を見ました。
私は女性です。
それも結婚したから妻なのです。
ですが料理ができません………
私、小沢治子は全く料理ができないのです。
新婚SS『奥様はクールで眼鏡で料理ベタ』
「お素麺が特売だったんだ。ジャーン『ロースハムのそうめんチャンプルー』
治子さんお腹減ってるでしょう?だからできるだけ早く作れるヤツを。
あ、あとトマトサラダもね。」
私の前には見たこともない、それは美味しそうな料理が…
この数日間、即席麺にコンビニおにぎり漬けだった私にとって、
それはこの上ないごちそうみえました。
「い、いえ…私は空腹では…」
ぐ〜……
「………」
「ほらほら…港に泊まり込みの時は、インスタントやコンビニ食だと思うし、
食事も睡眠も不定期になるからね。じゃ、さっそくいただきま〜す」
「いただきます」
小沢猛士、旧姓は戸川(とがわ)…彼との出会いは、なかなかに運命的なモノでした。
監査対象の船舶が父の友人で船長であり、昼食をごちそうになる事になりました。
船舶の料理は船員向けの為、総じて塩辛いのが特長です。
「ウチのコックは腕が良くてね、船員にも好評なんだよ。
私が治子ちゃんの親父さんと乗っていた艦は塩っ気が強い料理ばっかりで辟易していたもんだ。
ささ、治子ちゃんも食べてみるといい、きっと驚くよ。」
「は…はぁ…」
そして出てきた料理は何の変哲もない船内食ばかりです。
「…………」
私が沈黙していると船長があわてて言いました。
「見た目はいつも治子ちゃんが見てる船内食だと思う…が、まず一口
食べてみてくれ。きっと驚くよ?」
そう言われては食べるしかありません。私は意を決して
フライドチキンを一口食べてみました。
「――――――お、美味しい」
私は思わずサラダにも、漬け物にも、お味噌汁にも手がいきました。
「素晴らしい味でした、とても美味しかったです。」
「だろ?毎日、こんな船内食なら大歓迎だよ。なにせ家で食べるカミさんの
料理より美味いんだから……でもね……」
船長の顔が暗くなりました。
「でも…?何か問題なのですか?」
「ああ、食材保管のミスで傷んだ食材を使って一人、食中毒者を出してしまったんだ。
それでかなりショックをうけて、責任取ってコックをやめるって言うんだよ。
軽い食中毒だったし、食材保管者のミスだからって言っても………本当に残念だ。
これが最後の料理になる…」
「…そうですか…」
きっとその料理人の誇りや気高い人なんでしょう。
私も職は異なるとは言え、共感するモノはありました。
そしてその夜、いつもの改札を抜け帰宅する前に24時間営業の食材センターに寄りました。
料理ができない私ですが、だからと言ってインスタント食やレトルトばかりでは身体が持ちません。
そう思い、今夜は
『死力ヲ尽クシテ野菜炒メナル物ヲ調理スベシ』
とタマネギをとり、買い物カートの籠に入れようとしました。
その時、
「そのタマネギよりこっちのタマネギの方がいいですよ。」
と背後から声が掛けられました。
私はハッとして振り返りました。そこにいたのは髪の毛がツンツン頭の若者、
服装は清楚な白いポロシャツに青いジーンズ、相当履きこなしているのでしょう、
自然に色落ちした生地が実に格好良いです。
「このタマネギに問題があるのですか?」
「うん。そのタマネギと、このタマネギ、表記されてる賞味期限は同じだけど少し傷んでる。
火を通せば問題ない程度だけど、味は少し落ちるから、こっちの方がいい。
材料から、野菜炒め…かな?」
とニコニコしながら若者は自分の持っているタマネギを差し出しました。
「は、はい…そ、その通りです。」
私が驚いて、その若者に向かっておずおずと言うと
「あ、すいません。勝手に籠の中…その職業柄…その性分でして…本当にすいません」
「いえ、ありがとうございます。」
私は姿勢を正して、お礼の言葉を述べました。しかし、材料を見ただけでその料理を
見事にあてるとは、この若者は何者なのでしょう?外見からして2〜3年下でしょう。
疑問に思った私はその若者に問いました。
「職業柄…とは、貴方は料理をされる職人の方ですか?」
「あ…え、ええ。つい最近まで貨物船の船内コックをしてたんですけど……」
「失礼ですが、その貨物船の名前は、もしかして――――――」
「そうですか…僕の料理を…船長さんが言っていたお客さんって
小沢さんの事だったんですね…料理がすごい好評だったって
船長さんから聞きました。どうもありがとうございます。」
その若者は戸川 猛士と名乗りました。
「いえ、とても美味しくいただきました。」
私は若者にセンターの自販機前に設置されているベンチで缶コーヒーを片手に
昼間の経緯を話しました。
しかし…この若者があの料理を…驚きです。
「小さい頃から料理が好きだったんです…家族も料理人の家系で…
でも僕には兄がいて、実家の料亭は兄が継いで、僕は『好きにしていい』
って、両親に言われたんです…それだったら、海外で色んな料理や食材を見ることができて、
料理ができる職業がいいと思って、あの船に……後は、小沢さんの知る通りです。」
「そうだったんですか…ですが、船長は――――――」
コーヒーを啜り、私は言いました。
傍らには今夜の夕食、野菜炒めの材料が入ったマイバッグ。
「いいんです。たとえ一人でも僕の料理で具合が悪くしてしまった。
それは変えようのない事実です。」
「これからどうされるのですか?」
「あの食材センターでパートとして雇ってもらいました。
蓄えもありますし、しばらくは大丈夫です……って、初対面の人に、
な、何か僕、調子にのっちゃって…すいません。」
「いえ……差し出がましいのですが……戸川さんさえ、よろしければ――――」
「はい?」
「私に料理を教えて頂けませんか?」
続く