伯父さんの家の裏には、小さな川がある。春先から秋の中頃にかけて農業用水として使われるその水は、夏には子供達の何よりの遊び道具となる。  
 ぼんやりと川べりに腰掛ける俺の目の前でまた一人、奇声染みた歓声と共に子供が水面にダイブした。  
「あっはははー!こらこら、あんまり勢い付けちゃ駄目だよー?」  
 そしてその中に一人、明らかに子供と言い切れない少女。七瀬は甲斐甲斐しく・・・というより、自分も楽しみながら、近所の悪ガキどもを見守っていた。  
(・・・保母とかに向いてるのかねぇ、あいつは)  
 子供達は初め仲間内だけで楽しんでいたのだが、楽しそうに遊ぶ子供の声に触発されたのか、気が付いたときには既に奴は水に飛び込んでいた。  
 それとも初めからその心算だったのか、水に濡れた七瀬のシャツの下には、学校で見かけるタイプの水着が透けて見えた・・・言っておくが、別に俺は積極的にそれに視線を向けてはいない。  
「和宏ー。あんたもこっち来て泳ごうよ。楽しいよー?」  
 数人の小学生と水を掛け合いながら、七瀬がこっちに向かって声を張り上げる。が、そんな気分では無いので、適当に切り返して置く。  
 
「俺が水泳苦手なの知ってて言ってんだろうなー?」  
「へーぇ、そりゃあいい事聞いた。野郎共!あそこで寛いでる都会のもやし男に、里山育ちのパワーを見せ付けてやれーい!」  
『おぉーーーー!!』  
 ちょ、待て待て待てぃっ!?お前ら間違ってる!チームワークの使いどころ間違ってる!つーか七瀬てめえ、いつの間にガキ共のリーダーになってるんだよ!?  
 ガキ共の異様な雰囲気を目にして、俺は咄嗟に陸地側へと避難・・・しようとしたが、一歩遅かった。  
「てりゃーっ!」  
「どぁあっ!?」  
 ガキの一人が俺の足元に向かって猛然とタックルを仕掛け、そのまま俺の足を両手でホールド。バランスを崩された俺は抗う術も無く重心を後方へと引っ張られていく。  
(うわあ特に首とか曲げてないのに空が見えるや今日も鬱陶しいぐらいに晴れてるなあどうでも良いけどそういえば水面って意外と暖かいんだでも考えてみれば夏だし当たりま)  
 ざばっしゃーん。  
 
「わーい、兄ちゃんよっえー!」  
「恵太がこーこーせーの兄ちゃん倒したぞー!」  
「あいあむチャンピオーン!」  
 ぷかぷかとドザえもんの気分を味わっている俺を尻目に、ガキ共がぎゃーぎゃーと騒ぐ。  
「・・・・・・ふ」  
 ざばっと音を立てて立ち上がりながら、俺は鼻笑いを一つ。これが、子供の悪戯を笑って受け流すような大人の余裕の表れだったなら少しはまともだったのかもしれないが・・・  
「・・・ふ、ふふふふふ」  
・・・正直に言うと、さっきの一撃で完全に理性が飛んだ。腰とか脛とか水中の石にぶつけて痛かったし。  
「そーだよな。考えてみりゃ、里山育ちってのはしぶといんだから、手加減する必要は無かったんだよな。よーし喜べクソガキ共徹底的に遊んでやらあああーーーーっっっ!!!」  
 心の中で、小さい頃に見たヒーロー戦隊シリーズの三流悪役を思い浮かべながら、俺は全力で水を跳ね上げた・・・うん、とことん駄目だな、今の俺。  
 
 
 それからまた一時間近く経過して、子供達は岸に上がり、近所の人が持ってきたスイカにかぶりついている。俺もまた、水分と糖分を同時に補給するべくその真っ赤な果肉を口に運び・・・  
「で、和宏生きてる?」  
「・・・いっそ殺せ・・・」  
・・・運びたかったのだが、いかんせん全身の筋肉を苛む痛みが、それを邪魔した。もちろん筋肉痛と呼ばれる類のものである。  
「ったく、あんだけ大暴れしたくせに終わってみればこれだもんなー。この都会っ子め」  
 るせえぞ、そこの野生児女。都会育ちと体力は関係ねえだろ。  
(・・・とすると、俺の体力の無さは俺の運動不足が原因か・・・)  
 大の字に寝転がりつつ、心中でぼやいた言葉に自分でダメージを受けている俺を放置して、七瀬は切り出されたスイカをもう一つ口に運んだ。  
・・・ああ、それ俺の分なのに・・・  
「少しは楽しみなさいよ、良い男がみっともない。彼女に会えなくて寂しいのは分かるけど、そーやってうじうじしてたって人生何も良い事無いわよー?」  
 何で俺は人のスイカを取り上げる女に人生の何たるかを説かれているんだろうか。世の中は残酷だと教える腹心算ならスゲエ身に染みる方法だが。  
 
「別に咲耶は・・・」  
「あ、咲耶ちゃんって言うんだ?彼女の名前」  
「・・・・・・」  
 ど畜生。俺の阿呆。さっきから調子狂いっぱなしじゃねえか。  
「どんな子どんな子?あたしより可愛い?スタイル良い?胸とかは?」  
「・・・お前も知ってるだろ。小さい頃俺達と一緒に伯父さんの家に来てた、おかっぱの・・・」  
 隠すのも面倒くさくなり、俺はぽつぽつと、引き離されてしまった(というのは大袈裟かもしれないけど、さ)恋人の事を話し始める。  
 つーか、可愛いか否かの基準が何でお前なんだよ。めちゃくちゃ可愛いよ。お前と比べ物にならないくらい可愛いよ。胸も実はスゲエでかいよ。服の上からしか見た事無いけど。  
 俺が声に出さずに愚痴を漏らしていると、七瀬は先程の説明で咲耶のことを思い出したらしく、目をハッと見開く。  
「え、あの子!?おかっぱって事はあのさっちゃん?うっわ、思わぬ伏兵だったわ」  
 伏兵って何だ、伏兵って。お前は誰と戦っていたんだ。公孫勝の闇の軍とか何かか。そう言えば家から持ってくれば良かったな水滸伝。  
 
「へー、でもあの子、小さい頃はあたしと一緒に和宏の事からかってなかったっけ?」  
・・・ああ、そういえば。こいつは、咲耶が変わってしまう前にしか会った事が無かったんだな。  
「お前と一緒にするなよ。誰かさんと違って、今じゃすっかり大人しくなったしな」  
「・・・なーんだ」  
 俺がそう言うと、七瀬はつまらなそうに顔を反らした。やきもちでも焼かれたかと思ったが、七瀬に焼かれてもあんまり嬉しくない。  
「つまんないの。和宏のくせに」  
「・・・お前、本気で俺の事何だと思ってやがる・・・?」  
「あたしを差し置いて彼女なんて作りやがって、って感じ。つまんないから、あたしは皆とまた泳いできまーす!」  
 言って立ち上がると、七瀬は川に向かって歩きながら羽織っていた上着を脱いで、水に濡れたシャツ姿になった。スイカを食い終わった元気なガキ共が追従する。  
「・・・ったく」  
 あいつの分かりやすい所は、今でも変わらない。  
 
 
 自惚れるなよ、と言われてしまえばそれまでだが、俺は、幼い頃の七瀬が俺に抱いていた感情が何だったのかを知っているつもりだ。今の俺自身が咲耶に向けるそれと同じものなのだから。  
 もっとも、気が付いた時には俺と七瀬は疎遠になっていたし、はっきり言ってしまっては何だが、俺はその頃には、咲耶の隣に居たいとしか思えなくなっていた。  
 
 暫く眺めていると、またも子供達は水中でバトルロワイヤルを開始する。今度の標的は俺じゃなくて七瀬だけど。  
「あははっ!ほらほら、鬼さんこーちらー!」  
 迫ってくる子供達に水をかけながら、七瀬が水中を縦横無尽に駆け回る。子供の一人が飛び込んでくると、闘牛士のようにくるりとターン。そして両手で水を跳ねてやる。  
 
「わぷっ!ねーちゃんやったなーーっ!」  
「いけーっ、亮介ーっ!」  
 周囲の声援を受けたその子供は顔を手で拭い、狙いを定めてもう一度ダイブ。今度は、七瀬は避けなかった。  
「おおっ!?捕まっちゃった!よーし、じゃあ今度はお姉ちゃんが鬼だっ!」  
 ややわざとらしく言って、今度は七瀬が子供達を追う・・・今まで背にしていた、鋭い石を勢いよく蹴りながら。  
(あの子、あそこで七瀬に避けられてたら額がザックリ割れてたな・・・)  
 時に闘牛士のように。時に優しい羽衣のように。七瀬の、一見すると粗野に見えて実は計算された『おふざけ』に内心で舌を巻いていると。  
 
「・・・なあ、にーちゃん」  
 
 隣から、声が聞こえた。振り向いてみると、先程俺の闘争心に火を付けた小学生・・・俺にタックルかましてから、一番最初にとっ捕まえられたガキが、俺を横目で睨んでいた。  
・・・こいつにも、何か恨まれるような事をしただろうか。寧ろ俺の方がこいつに恨みがあるんだが。タックルとかタックルとかタックルとか。  
「にーちゃんってさ、七瀬姉ちゃんのカレシなのかよ?」  
「・・・いや、違うけど」  
 何が言いたいんだ、このマセガキは。高校生の人間関係に口出ししてきおって。男子小学生なら男子小学生らしくお気に入りの女子を苛めてろ。そして心の底から大嫌いって言われてこっそり泣いてろ。  
 俺が若干荒んだ事を考えていると、そのガキはぼそりと呟いた。  
 
「・・・じゃあ、七瀬姉ちゃんに手ぇ出したらコロスからな」  
 
・・・お前もかよ。古賀といいお前といいなんなんだよ、もう。  
 
 
 

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