西日が差し込む頃、親父が帰ってきた。廊下を歩きながら既に外したのだろう、汗だくになったワイシャツの襟元にネクタイは見当たらなかった。そのままテーブルに突っ伏す。  
「うおお、溶けるっ。溶けてしまうっ・・・か、華澄、ビールをくれ」  
「まだ早いからジュースで我慢してくださいね、あなた」  
 切実に見えてどさくさ紛れな親父の嘆願を笑顔でスルーした母さんは、冷蔵庫からよく冷えたりんごジュースを出した。  
「ぬうっ、華澄よ・・・仕事帰りの夫に、ノンアルコールで我慢しろというのか!?」  
「あら、だったらビールが出てくるまで何も飲まないで待っていますか?その方がありがたみがあるでしょうし」  
「すいませんジュースで良いです」  
 ・・・我が父ながら、本当に情けない。  
「・・・おじさん、おかえりなさい」  
「おお咲耶、ただいま。和宏に変な事はされなかっただろうな」  
「ブッ飛ばすぞクソ親父」  
 三者三様好き勝手に言いながら、俺達は食事を始めた。  
 
「・・・ごちそうさま」  
 少食な咲耶が一番最初に食事を終えて席を立つのは、いつもの事だ。けど、その日はすこし、いつもと違う事があった。咲耶がパーカーを着て、玄関へと向かったのだ。  
「あれ、咲耶?どこ行くんだよ、こんな時間に」  
 俺の質問に、指をもじもじさせたり視線をきょろきょろと巡らせたり眉を八の字に曲げたりしながらたっぷり十数秒は悩んだ後、咲耶はポツリと言った。  
「・・・おでかけ」  
 ・・・スゲエ気になる。  
「俺も行くよ。夜に女の子が一人で出歩くなんて危ないだろ」  
「・・・・・・(ふるふるふる)」  
 拒否されてしまった。がーん。  
 微妙に落ち込む俺にはお構い無しに、咲耶は微笑んで玄関から右側を指差す。そういえば、そちらの方角には彼女のお気に入りの甘味のお店があった。  
「あ、『かかしや』行くのか?」  
「・・・・・・(こくり)」  
 正解らしかった。  
 まあ、そこなら家からは歩いて三分程度だし、人通りも多いから大丈夫だろう。俺は手を振って見送った。  
「わーった。でもまあ気を付けろよ」  
「・・・・・・(こくり)」  
 はにかみながら頷いた咲耶は、足取り軽く出かけて行った。  
 
 数分の後、咲耶はビニール袋を左手にぶら下げて、帰ってきた。  
「おう、お帰り。早かったな」  
「・・・はぁ・・・はぁ・・・っ、うん(こくこく)」  
 走ってきたようだった。上気してほんのり赤く染まった頬がとてもとても可愛い。  
 
「落ち着け。深呼吸しろ深呼吸」  
「ん・・・すぅ・・・はぁ・・・すぅ・・・」  
 しばらくすると落ち着いたらしく、はふ、と大きく息を吐いて瞳を開いた。微かに赤みが残る頬と運動後で潤んだ瞳がとてもとても以下略。  
「・・・・・・(くいくい)」  
 自分の部屋に戻ろうとすると、またしても服を引っ張られる。  
「お?な、なんだ咲耶」  
「・・・・・・(もじもじ)」  
 何やら言いにくそうにもじもじしている咲耶。よく見ると、ビニール袋には『かかしや』特製のアイスクリームが二つほど入っていた。  
「・・・一緒に食おうって?」  
「・・・・・・(こくこくこく)」  
 いつもよりも多めに首を振る咲耶。特に断る理由も無かったので、誘いに乗る事にした。  
 
「・・・・・・おいしい?」  
「・・・をう、すげー美味い」  
 甘ったるくて胃がもたれそうだとは一言も言わない俺。良い紳士になれそうである。別になりたくないけど。  
 あ、やばい。なんか前頭葉がちりちりしてきた。つーかこれ、絶対歯ぁ溶けてる。なんか口の中が変だし。  
「・・・すまん、流石にこれ以上は食えん」  
「・・・・・・(かくん)」  
 半分ほど残った抹茶(と呼べるかどうか疑問に感じるほど甘い)アイスを受け取り、またも落ち込む咲耶。  
「・・・・・・これなら、だいじょぶだとおもったのに」  
「俺でも食えるような甘さだってか?」  
「・・・・・・(こくこく)」  
 し、信じられん・・・これでもまだ甘くない方だってのか?いったいこいつ、何食って・・・  
「・・・・・・うわー」  
「・・・?」  
「いや、なんでもない」  
 覗き込んだ彼女の手元には、季節限定練乳チョコレート&トリプルベリーミックスという恐ろしい文字の並びがあった。  
「お前、身体のあちこちがもう砂糖に置き換わってそうだよな」  
「・・・・・・(ぽっ)」  
 頬を赤らめられた。なんでだよ。  
 
「お前さ。どうして急に、俺にも分ける気になったんだ?」  
 なんとなく、話題を変える。  
 誘いを受けたときから気になってはいた。咲耶はとてつもない甘党であり、甘いものを人に分ける事など、滅多に無い。俺や、俺の両親が相手であってもである。  
 その咲耶が自分から甘いものを人に与えるというのは、俺としてはある意味悪い予感がした。有り体に言えば、何か企んでいるようにも思えるのだ。  
「・・・・・・(もじもじ)」  
 もじもじしている。  
「・・・・・・・・・えと、その・・・」  
 何かを言いかけている。  
「・・・・・・あぅ」  
 黙ってしまった。  
(察してやるしかないか・・・)  
 何か照れくさかったりするような理由があるんだろうなと勝手に決めつけ、俺は彼女の持ち物に視線を巡らす。  
(アイスか・・・そういえばこの間も食ったっけな、俺の奢りで・・・奢り?)  
 あ。  
「もしかして、昨日の奢りの約束、覚えてたのか?」  
「・・・!(こくこくこく)」  
 なるほど、それなら納得がいく。  
「ぁ・・・ひ、昼間も・・・そこの喫茶店で・・・」  
「え?喫茶店って・・・あ」  
 言われて思い浮かんだのは、学校からの帰り道にあった、落ち着いた雰囲気の喫茶店。もしかして、下校するときに咲耶があのサ店に拘ってたのって、その為に・・・?  
「ぐぁぁっ、俺サイアク過ぎだぁ・・・」  
「・・・!!(ぶんぶんぶんぶん)」  
 
 俺の考えが伝わったのだろう。全力で首を横に振る咲耶。気持ちは嬉しいが、どう考えてもあの時の態度は俺の八つ当たりだった。考えただけで、自分自身が許せなくなってくる。それだけならまだしも、約束を綺麗さっぱり忘れた挙句に何か企んでいるなどと・・・  
「ごめんな、咲耶。咲耶はちゃんと覚えててくれたのにな」  
「あ、ぅ・・・だ・・・だいじょぶ・・・きにして、ないから」  
 がっくりと項垂れた俺に、懸命に話しかけてくる咲耶。しかし俺は一向に頭を上げる事が出来ず・・・  
「・・・・・・」  
 そのうち咲耶も黙りこくってしまう。しばらくして、すっ、と衣擦れの音が聞こえる。  
 おや、と思ったときにはもう、白い腕が伸びて、俺の頬に温かいものが触れていた。  
「咲耶?」  
 何を、と聞こうとした時。  
 
むに。ぐいっ。  
 
「べぅっ!?」  
 頬っぺたをつねられ、上のほうに引っ張られる。って、いたたたた、本気で痛いってこれ!え!?咲耶さん実は凄い怒っていらっしゃったの!?つーか指が食い込んでる辺りにちょうど良くニキビがあるからスゲエ痛いっ!  
 痛みと驚きに目を白黒させている俺に、咲耶が若干怒った表情で言う。  
「わらってなきゃ、だめ」  
 あ、そういうことですか・・・ってじゃあやめんかいっ!  
「へべっ、いてえってのっ!」  
  咲耶の手首を掴んで俺の頬から無理矢理剥がすと、咲耶が大きくバランスを崩す。  
「あ、わ・・・」  
「うわっ、とっ、あぶね・・・」  
 で、咄嗟に抱きとめたのだが・・・お約束と言うか、なんというか。咲耶を思いっきり抱きしめる形になってしまった。  
 
「・・・・・・」  
「・・・・・・」  
 双方、沈黙。ややあって・・・  
「うわわ、わ、悪いっ」  
 先に飛び退いたのは、俺だった。  
「その・・・つ、つい反射的にって、あ、ちがっ、ああああいやあのえと別に本能的に行動したと言うわけでわ」  
 ぐあああ駄目だ、自分が何を言いたいのかさっぱりわからん・・・  
「・・・くす」  
 しかし、慌てる俺とは対照的に、咲耶はほのかにはにかむと、言った。  
「よかった。かずくん、元通り」  
「へ?」  
 言われた事の意味が分からず、ついつい素っ頓狂な声を出してしまう俺。  
「おこったり、あかくなったり・・・うん、いつものかずくん」  
「あ、うん・・・」  
 ・・・俺は、今更ながら、一生こいつに頭が上がらない事を悟った。いや、自分でも大概重傷だなあとは思うんだけど、さ。  
 
 

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