午後になってから、俺達は連れ立って家を出る。最寄のバス停からバスに乗り、ごうんごうんと揺られる事二、三分。駅前通り三丁目のアナウンスが聞こえて、降車ボタンを押す。  
 俺達が降りたのは、駅前の大通りのど真ん中だった。上を向くとアーケード街の屋根が広がり、足元を見ると歩行者天国として道路とは違う舗装がされていた。  
・・・それはまだ良い。前を向くと人。後ろを向いても人。右を向いても以下面倒なので略。要するにスゲエ混んでる。  
「・・・ひと、いっぱいいるね」  
 休日の人ごみに圧倒されたのか、咲耶がそんな事を呟く。  
「・・・まあ、昼飯も食い終わってまた遊びに行こうっていう暇な奴らばっかりなんだろうな」  
 予想以上の混み具合に、俺も若干引き気味に答える。実際、俺達もその一部と言えなくも無いんだけど。  
「とにかく、その辺ぶらついてみよう」  
「・・・・・・(こくり)」  
 言って、俺達は歩き出した。咲耶のハンカチ以外にも買おうと思ったものはあったから、立ち並ぶショーウィンドウを眺めながらゆっくりと見て回る事にした。  
 
 歩き始めてから数分。俺達は婦人服と小物を取り扱っている店の中で陳列棚を見ていた。いつもはあまり見ない店だが、婦人小物千円均一セールの広告が目に入ったのだ。逃す手はあるまい。  
 咲耶は、棚に並ぶ色とりどりのハンカチを手にとって模様を見たり、手触りを確かめたりしながら品定めしている。  
 その目は真剣そのもので、今にも「うーん、うーん」と唸り声が聞こえてきそうである。こうなると付き添い兼財布係というのは暇なもので、俺は手持ち無沙汰にそれを眺めていた。  
 何とはなしに店内を見回す。すると、セール対象商品のシールが貼ってない婦人服のコーナーに、一際目立つ代物があった。  
「あ、浴衣」  
 思わず口に出してしまった。それぐらい浮いている。周りに洋服しかないのにそこだけ『夏のお供に』とかいうキャッチコピーと数着の浴衣が展示されていたのだ。  
「・・・ゆかた?」  
 俺の声に、咲耶の視線がハンカチから逸れる。  
 
「ほら、そこ。浴衣売ってるぞ」  
「あ・・・ほんとだ」  
 咲耶も、洋服ばかりの店の中で浴衣を見つけるとは思わなかったのだろう。ハンカチの棚を離れて、俺の隣に並んで浴衣を眺める。  
 そのうち、咲耶は浴衣の一つを手に取り、一面にあしらわれた金魚の模様をしげしげと眺める。  
「・・・・・・(うずうずうず)」  
「気に入ったのか?」  
「・・・・・・(こくり)」  
 咲耶は照れくさそうに首を振ると、またもしげしげと眺める。買いたいけど我慢しているのがスゲエ良く分かる。  
「分かってるだろうが買ってはやらんぞ」  
「・・・・・・(かくん)」  
 冗談めかして言うと、少々残念そうに頷く咲耶。・・・学習しろ、この阿呆。  
すると、売り場にいた店員の一人が、俺達を微笑ましそうに眺めながら歩み寄ってきて、一言。  
「宜しかったら、ご試着なさいますか?」  
 咲耶が反射的に頷いたのは、言うまでもない。  
 
 で、試着室のカーテンの前で待つ事数分。一人では浴衣を着れない彼女を手伝うため、試着を勧めてきた店員が一緒に試着室の中にいる。  
 もとからこういう事を考えて作られているのか、試着室は大きめで、人が二人いっぺんに入っても狭くは無いようだった。  
「お客様、スタイルが良いからとても似合っていますよー」  
とか、  
「髪型も浴衣にぴったりですねー」  
とか、  
「これ、セットで巾着もあるんですよー」  
とか。  
 流れるような売り文句がカーテンの中からスラスラと聞こえてくるが、多分咲耶の耳には入っていないだろう。甘いものを食うときは特にそうだが、咲耶は好きな事に夢中になると周りが見えなくなる。  
 いつもの咲耶がそこに居ることに間違いが無ければ、ものスゲエ高確率で目をきらきら輝かせて夢見心地で浴衣に袖を通しているに違いない。  
 やがて、シャッ、という音と共に、カーテンが開けられた。  
「・・・じゃん」  
「おお・・・」  
 試着室の中から姿を現した咲耶を見て、俺は思わず阿呆な声を漏らす。  
 ある程度の予想はしていたが、実際に見るとそれは思った以上の威力があった。浴衣の下地は爽やかな青で、赤と金の糸が一面に泳ぐ金魚たちを描いている。  
 この浴衣のコンセプトは「夏休みの池」なのだろう。描かれた金魚もただの模様ではなく、水を思わせる青の上に白の波紋と共に描かれていて、そこに泳いでいるような錯覚を覚えさせた。  
「・・・にあう?」  
「おう、すげえ似合ってるぞ」  
「・・・えへへ」  
 
 店員も言っていたが、咲耶の髪は黒のおかっぱなので、着物とか、そういった和服にとても良く似合う。店員の台詞といえば、袖の内側を見せるように広げていた右手には、件のセットの巾着袋も握られていた。  
 で、店員のもう一つの台詞は。  
『お客様、スタイルが良いからとても似合っていますよー』  
・・・・・・  
(うん、深くは考えるまい)  
 彼女の浴衣のうち数箇所からは微妙に目を逸らしつつ、俺は冷静を保った。  
 
 更に数分立つと、今度は先程までの咲耶に戻っていた。浴衣は既に元通りに畳まれ、彼女の腕にあった。  
「・・・なあ咲耶。いい加減、本来の買い物に戻らないか?」  
「・・・ん、もうちょっとだけ」  
 ・・・相当気に入ったようで、金魚の模様を見詰めながら目を輝かせる咲耶。しかし、流石に浴衣と巾着を一式買ってやるほど俺の懐は潤っていない。  
「今度、夏祭りのときにでも母さんに頼んだら良いんじゃないか?」  
「・・・・・・(こくん)」  
 頷き、持っていた浴衣を名残惜しそうに列へと戻す。それからまた、俺達はハンカチの棚に向かい、いろいろと品定めをしていた。  
 
 ありがとうございましたー、と店員の声を背に受けながら、俺達は店を出る。結局咲耶は、あの浴衣と同じ生地で作られたらしい金魚のハンカチを選んだ。  
(よっぽど気に入ったんだな、あの浴衣)  
 せめて巾着だけでも買ってやれればよかったのだろうが、ハンカチと一緒に買うには、いかんせん懐の寒さはどうにもならなかった。  
・・・誤解を招かないよう言っておくが、決して俺が貧乏なのではない。無駄遣いをしないように必要最低限しか持たない事にしているんだ、俺は。嘘じゃないぞ。  
「かずくん」  
「ん?」  
 不意に名前を呼ばれて振り向くと、俺の隣で、ハンカチの入った小さな袋を大事に持つ咲耶が、俺に微笑んだ。  
「・・・ありがと、だいじにするね」  
「ん、そうしろそうしろ」  
・・・ま、いっか。喜んでるみたいだし。  
 
 

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