夏祭りの日。それからが、本当に大変な時期だった。理性とか、そんな馬鹿馬鹿しい話じゃない。
あの時は、本当に冗談抜きで困ったんだ。
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今日は町内の夏祭りの日だった。去年は咲耶と二人して縁日のバイトに励んだものだが、生憎と今年の俺には学校からバイトの許可が下りなかった。夏休み直前に停学喰らってるんだから当たり前といえば当たり前なんだけど。
学校の許可が無くてもバイトをしようかとも思ったが、少なくともこういう不特定多数の人間が集まるイベントでは止した方が良いと考えた。許可なしに無断でバイトをした場合、うちの学校では四日以内の停学処分が下る。
これ以上停学の数を増やしたらやばいってのに、先生に見つかりやすいお祭り会場で無断バイトだなんて、自殺行為も良いところだった。
で、話を戻すんだけど。前述の通り、夏祭りである。花火が始まるまであと一時間ほどある今現在、俺と咲耶はそれぞれの部屋で浴衣相手に悪戦苦闘していた。
「んと、あれ?帯ってこう結ぶんじゃないのか・・・?えーっと、ここの結び目、どう解けば・・・」
・・・少なくとも、俺は確実に悪戦苦闘していた。むしろ圧され気味である。仕方ないだろ、浴衣なんて自分で着たこと無いんだから。
母さんから借りた着付けの本を眺めるが、写真に載っている結び目は明らかに俺の腰の後ろにあるものと形が違う。しかも戻せない。じーざす。
(いっそ一旦足の方まで下ろして解くか・・・いててて、だめだ、腰のところで引っかかる・・・)
うーんうーんと唸っていると、木製のドアから、ノックの音が聞こえた。
「あ、咲耶か?悪い、ちょっと待ってくれ。どうにも上手く行かなくてな・・・すぐ行くから、玄関で待ってろ」
そう言ったのだが。予想に反して、ギィ、とドアが開く音が。
「・・・え・・・?」
俺が呆けていると、咲耶が部屋に入ってくる。そのまま俺の背後に立ち、腰で引っかかっていた帯に手をかけ・・・って、
(なに!?なんですか!?え、もしかしてこのままドキドキタイム突入!?俺ってば大人の階段登っちゃう!?)
一秒くらいの間にそこまでかっ飛んだ思考が脳内に展開されたが、もう一秒後にそれはどこかへ飛んでいく事になる。
「・・・ここ、ほどけなくなったの?」
言いながら咲耶は、俺の浴衣の帯をちょいちょいと引っ張る。
「あ・・・ああ、うん。直そうとしたんだけど解くに解けなくて」
「・・・わたしがやってあげる。さっき、覚えたから」
言うなり咲耶が、がんじがらめになっていた俺の帯をすっと解く。いきなり腰周りが楽になり、俺はふっと息を付く。
「・・・うで上げて」
「あ、はい」
言われるままに両腕を広げる。すると肩越しに咲耶が顔を出し、俺の浴衣の前面を覗き込む。
「・・・かずくん、合わせ方ぐちゃぐちゃだよ」
手厳しい一言が待っていた。
「う、仕方ないだろ・・・こういうの苦手なんだって」
こういう手先の器用さがものをいう作業は昔から苦手なんだ。思い返すとそういった精密さが求められる事で咲耶に勝てた事は一度たりとも無かった。
「・・・むかしから、ぶきっちょさんだったもんね。かずくん」
くす、と笑いながら言う咲耶。どうやら彼女も、俺と同じことを考えていたらしい。
それから咲耶は手際よく俺の帯を結んでいく。俺はその流れるような手捌きをぼへっと突っ立って見ているだけだった。
(よく考えると、年頃の男が年頃の女の子に服を着せてもらうって嬉しいような哀しいような・・・)
俺の心のため息は、夏の西日に溶けて消えた。
数分後。なんとか浴衣を着る事のできた俺は、腕時計を見て舌打ちをする。当初の出かける予定の時間を大幅に過ぎていた。
「やべ、大分遅くなっちまったな。行こうか、咲耶」
「・・・・・・(こくん)」
頷いた咲耶の手をとり、俺たちは歩き出した。
咲耶は、何時ぞやに見た金魚の浴衣に身を包んでいた。三日ほど前に咲耶が母さんに拝み倒して買ってもらったもので、俺と咲耶はあまり期待はしていなかったのだが・・・
「あの我慢強い咲ちゃんがそんなに欲しがるなんて・・・!」
と、むしろ母さんはテンションを上げつついそいそと買いに行ったのだった。
居候の立場からか、咲耶はこれまで父さんや母さんに物をねだった事など無かったから、その彼女から服を買って欲しいと頼み込まれたのがよっぽど嬉しかったんだろう。
で、咲耶が浴衣なのに俺がTシャツじゃ駄目でしょ、という母さんの意見で、急遽俺の分の浴衣も用意してもらった。咲耶のものよりは深くて暗い青地に、シンプルな井桁模様のものだ。
届いたのが昨日だったから、着付けの練習でもすればよかったんだろうが・・・正直に言います。浴衣、舐めきっておりました。こんなに難しいと思っていませんでした。何事も予習は大事ですねハイ。
数分歩くと、町の中では一番大きい神社が見えてきた。神社の境内は人で溢れ、それに面した通りまで露天が立ち並んでいる。
俺がそれらをきょろきょろと眺めて、今年はどんな出店があるのかと思っていると、咲耶の目は綿菓子に釘付けになっていた。
「咲耶、綿菓子食うか」
「・・・・・・(こくこくこく)」
相変わらず無口だが表情豊かな少女である。
一通り露天を見終えて、花火が始まるまで俺たちはその辺をぶらぶらと歩く事にした。時間を潰すときのお決まりのパターンである。
「・・・・・・(もぐもぐもぐ)」
「・・・・・・はぁ」
綿菓子を頬張る咲耶の隣で、俺は結構落ち込んでいた。そのうち、脈絡無く一気に暗くなった俺を見兼ねて、咲耶が困った顔で声を掛けてくる。
「・・・・・・かずくん」
「何だよ」
「・・・・・・ケバブ、そんなに食べたかったの?」
「うん・・・」
ちくしょう何で今年はドネルケバブの屋台が出ていないんだ・・・
俺のお目当ての品のドネルケバブは、ここ数年で見かけるようになった新しいメニューである。二年ほど前からは屋台に常に行列が出来るほどに人気が出た為、辛抱強く列に並ばないと食えなくなってしまった。
小学校の給食で出てきたナンによく似た生地に、細切りのキャベツと火に通した肉を挟みフレンチドレッシングを垂らしたもので、一度食べると病み付きになるシロモノだ。
特に屋台がスゴイ。阿呆みたいなでかい肉を串に通し、それをごーろごーろと回転させながら豪快に火で炙るのだ。あれは宣伝になる。人気が出る訳である。
「それが今年は無いなんて・・・」
「・・・そんなに、落ち込むような事かな・・・」
うわコイツ。自分はちゃっかりお目当ての甘いもの食ってるくせに・・・
「考えてみろ、咲耶。祭りの屋台からアイスも林檎飴も、綿菓子すらも消え去ったとき、お前はそんな事を言えるか?」
俺の台詞に咲耶はうーん、と考え込み、徐々に顔色を暗くしていった。やがて、俺と同じ結論に達したらしく。
「・・・・・・あぅ」
眉を八の字に曲げて力なく呻いた。
「んむ、分かってくれて嬉しいぞ」
そう言って歩いていると、視界の端にジュースの店が見えた。そう言えば、さっきから喋っていた事と人ごみの熱気の中にいた事で、大分のどが渇いていた。
「咲耶、ジュース飲むか?」
「・・・・・・(こくこく)」
「おっけ。ちょっと待ってろ」
彼女が頷いたのを確認した俺は、ジュース屋へと足を向けた。あいつの分は甘いのにしないとなー、と考えながらさほど長くは無い列に並ぶ。やがて、前にいたカップルがジュースを受け取って列から離れると、店番と思しき少年が声を掛けてきた。
「いらっしゃいませー!どれにしますか?」
「あ、はい、えっと・・・」
マンゴーオレンジとメロンサイダー、と言おうとして俺は・・・いや、『俺たち』は硬直した。
「あ・・・や、山口?」
「え・・・古賀?」
・・・なんというか。まさかこんな所でコイツと会うとは思っていなかった。互いにアホ面突き合わせたまま硬直する事、たっぷり五秒。先に自分を取り戻したのは俺だった。
「なにお前、バイトしてんの?」
「いや、この屋台、俺ん家で出してる奴だから」
あ、そう言えばコイツの家って商店街で雑貨屋やってたっけ。
・・・・・・・・・にしたって、わざわざここで顔合わせなくてもなあ。